星々の名をたずね   作:さんかく日記

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【1】イゼルローン駐留艦隊

漆黒の宇宙に浮かびあがる天体。

青白い光が河底のように揺らめいて球体を包む様は幻想的で、遠目にはまるで芸術作品のようにも見える。

しかし、輸送船が天体へと近づき硬質な表面が眼前に迫ると、銀河に浮かぶ巨大な球体は本来の役割をはっきりと示して見せた。

人工の球体の名は、「イゼルローン要塞」──9億2400万メガワットの出力を持ち、一撃で数千隻もの艦艇を沈めることのできる絶大な主砲「トゥールハンマー」のもと、500万の人員と2万隻の宇宙艦隊を抱えた軍事要塞である。

直径60キロにも及ぶ巨大な人工の天体は、400隻を同時に修復可能な整備ドックや一時間で7500本のレーザー核融合ミサイルが生産可能な兵器廠、7万トンもの穀物貯蔵庫に加え、学校や病院、商業施設といった生活インフラを揃えており、軍事基地というだけでなく巨大な都市という側面も有している。

長きに渡り、銀河帝国軍の支配下に置かれ、難攻不落の要塞として宇宙回廊に鎮座してきた軍事基地が、歴史上初めて自由惑星同盟の手に渡ってから、半年が経過していた。

「イゼルローン回廊は叛徒どもの屍で舗装されたり」と帝国軍が豪語したとも言われる要塞に対し、自由惑星同盟は実に六度もの攻略戦を仕掛け、そのすべてで大軍を失って敗北している。

ついに七度目となった「イゼルローン要塞攻略作戦」にて、巨大要塞の占領という偉業を果たした人物こそが「ヤン・ウェンリー大将」であり、今は彼が「イゼルローン駐留艦隊司令官」の名のもとに、この要塞の主となっている。

 

軍用の輸送船でイゼルローン要塞を目指す一人の女性、ジーン・ブラックウェルは、今や民間人でも知らぬ者はいないほどに有名となった名前の持ち主について様々に思いを巡らせていた。

「エル・ファシルの英雄」、「ミラクル・ヤン」など多くの呼び名を持つ彼は、弱冠29歳であり、高級軍人としては突出して若い。

今日この日より、ジーン自身の上官となる人物である。

自分とそう歳が違わないながら数々の武功を立て「大将」の地位にあるヤン・ウェンリーとはどんな人物なのか、それは単純な興味というよりも気構えのような関心だった。

着任に当たって多くの資料に目を通しては来たジーンであったが、心のうちにある感情は期待よりも不安のほうが大きかった。

 

今日に至るまでのジーンの経歴は、自由惑星同盟軍においてはかなり異質なものである。

何しろ彼女は、つい先日までハイネセンの有力議員の秘書をしており、軍や戦争とは遠く関わりのない場所にいたのだ。

宇宙船から航空機、地上車までを生産する巨大企業の創業家の主を父に持つ彼女が政治学の道に進んだのは、幼い頃に読んだ「アーレ・ハイネセン」の伝記がきっかけだった。

建国の英雄である彼の人生を描いた挿絵付きのその本は、今でも彼女の実家の書棚の特等席に置かれている。

ゴールデンバウム王朝の圧制下で奴隷として苦役を強いられていたアーレ・ハイネセンが、ドライアイスを用いた宇宙船を建造し、仲間とともに流刑地を脱出する様子は、幼い少女の心臓を昂ぶらせ、宇宙空間をさまよう中で仲間を失い、やがて彼自身も命を落とすことになる逃亡の悲劇は少女の小さな胸を激しく締め付けた。

やがて少女は大人になり、先人たちの積み上げた崇高な理念の執行者となるべく政治の道を志した。

民主主義の恩恵のもと何ひとつ不自由のない暮らしの中にいた少女を導いたのは、遠き日の祖国に自由と希望とをもたらした偉大な一人の政治家だったのである。

 

しかし、今は民主主義がもたらす希望も資本主義の力強さも、彼女の心を支えてはくれない。

宇宙歴796年、この夏に最高評議会が決定した銀河帝国領土の開放作戦が、ジーンの人生を大きく変えてしまっていた。

イゼルローン要塞の陥落は、長く銀河帝国の脅威に晒され続けた自由惑星同盟の市民たちをおおいに勇気づけ、歓喜させた。

その中で起こったのが、「帝政の下で苦難を強いられる銀河帝国国民の解放」という壮大な作戦を巡る議論である。

公民主義の観点で言えば、帝政からの解放は確かに正しい道なのかもしれない。

だからといって、他国を侵略する行為を「正義」とは呼ばないというのが、彼女が秘書を務める代議員の意見であり、ジーン自身も同様の考えを持っていた。

勝利の余韻が軍国主義へと傾いていく中で、評議会は荒れた。

経済開発委員会の重鎮である代議員は、銀河帝国との本格交戦を望む中央政府を当初厳しく批判していた。

「民主主義とは、軍事力ではなく議論と交渉で問題解決をはかるべき理念だ」という彼の主張にジーンは多いに共感したし、強大な軍を従える皇帝の圧政から逃れるために建国された自由惑星同盟が、今度は逆に帝国領を侵攻するという発想はとても理解できない。

暴論が、議論によって打ち破られることを願った。

 

しかし、代議員はあっさりと変心し、議員らの後押しを受けた最高評議会は「銀河帝国領土への侵攻」をついに決議した。

「なぜ」という問いかけへの答えが、ジーンを一層絶望させた。

 

『我々政治家は民衆に選ばれて初めて職務を全うできる、それが民主主義だ。そして、民衆が今求めているのは軍事的な成功。政治とは駆け引きなのだよ。時勢に応じて意見を変えるのは、いつか自分の理想を叶えるためだ。』

 

『先生は、将来の理想のために目の前にある信念を捨てるというのですか。』

 

『政治とは駆け引きなんだ、ジーン。』

彼が告げた言葉が信念であったのか、それとも詭弁であったのかはわからない。

はっきりしていることは一つ、最高評議会も代議員たちも、「政治に戦争を利用している」ということだ。

事実として、低下していた中央政府の支持率は、この決議によって回復の兆しを見せていた。

 

市民こそが戦争を求めている。

果たして本当にそうだろうかとジーンは思う。

軍事的成功を賛美し、より大きな勝利をという時勢は、政治家たちこそが作り出しているのではないかと彼女は思うのだ。

民主主義と資本主義のもとに発展を続けてきた自由惑星同盟の人口は130億人、ついに銀河帝国の半分を超えた。

膨らんでいく人口によって経済的な歪みが生じ、富めるものはより富み、貧しい人々に与えられる再起の機会は確実に減っている。

格差が生み出す不満や社会の閉塞感は時を追うごとに強まっており、批難の矛先は当然に中央政府に向いていた。

だからこそ──政府は、国民の視線を銀河帝国という外敵に向けることで、経済的不満を逸らそうと考えているのではないだろうか。

 

戦勝という美酒は、民衆を酔わす。

また、戦争のために割かれる膨大な人と物資が、時として経済の起爆剤となり得ることも事実である。

軍需産業を中心に製造業は売上を伸ばすことができるし、雇用も増える。

戦後に起きる経済変動や戦死者の増大による人口の偏りを考えれば、負債を先送りする以上の麻薬でしかないのだが、過去の歴史においても実際に戦争が経済的な閉塞感を打ち破るための手段として利用されることは実際にあった。

 

心にかかった靄を振り払えずにいたジーンを打ちのめす出来事が起きたのは、アムリッツァ星域の戦闘での敗戦が決定的となり、作戦を断行したサンフォード内閣が倒壊へと向かう中でのことだった。

主戦論に沸いていた世論は反戦へと大きく傾き、同盟領は大きく揺れた。

各地で政府への抗議集会が開かれる中、膨れあがる熱はやがて暴力へと変化していく。

軍需部門をもっていたジーンの父の会社も大きな非難に晒されることとなったが、まるで凶事は重なるとでもいうように父が病に倒れたのである。

 

度重なるデモやテロまがいの行為に対抗する柱を失った会社の株価は急落、病床の父が代表の椅子を重役の一人に譲ると同時、支配株数を持たない創業家はあっという間に経営から排除された。

管理職の地位にあった兄もその座を奪われ、後ろ盾を失ったジーンもまた厳しい立場に立たされることとなった。

父の看病に専念するという理由を建前に彼女は議員秘書の職を辞し、ハイネセンポリスにある実家に戻った。

 

そのジーンに、声をかけたのが古い友人であるフレデリカ・グリーンヒルだった。

統合作戦本部次長であるドワイト・グリーンヒル大将を父に持つ彼女とジーンと少女時代からの友人同士、所謂幼馴染みの関係である。

仕事を通じて知り合った彼女たちの父親は、軍人と経済人という垣根を越えて親しい友人関係を築いており、父親同士に連れられて始まった少女たちの交流は、ジーンのほうが3つ年上ということもあり、どこか姉妹のようでもあった。

フレデリカが士官学校に進んだ時はさすがに驚いたジーンだったが、お互いの立場を超えて話し合える友情は今も変わらない。

 

そのフレデリカが、「あなたに頼みたいことがある」と言う。

同盟軍に属する彼女からの提案であるからには軍に関わることであるのは当然で、そのことにジーンは戸惑った。

かつての志が揺らいでいるとはいえ、ジーンは基本的に軍に対して決して好意的な印象を持っていない。

銀河帝国という脅威と対峙している現代において軍の重要性は十分承知しているつもりだが、それでも「非武装の平和」こそ人類の理想ではないかと思うのだ。

 

それが理想に過ぎないということも、一方で理解している。

そして、先の会戦で多くの人員を失った軍が、深刻な人材不足に陥っていることも知っていた。

人的資源は枯渇する一方であり、銀河帝国の膨張を目の前にした自由惑星同盟にとって、同盟軍の立て直しは喫緊の課題である。

とはいえ、当のフレデリカの父も敗戦の責任を問われる厳しい立場に置かれている。

今後起こるであろう混乱を思えば、今軍に近づくという行為は危険だと言わざるを得ない。

 

国家の難局に、果たせる役割があるのなら──。

ジーンが申し出を受けたのは、フレデリカに対する友情と「ヤン提督に会えば、きっとわかってもらえるから」という彼女の強い説得の結果だった。

 

 

「ブラックウェル少尉です、本日付けでイゼルローン要塞の事務官として着任いたします。」

 

「お待ちしておりました!」

履き慣れない軍靴の踵を揃えて告げると、軍人らしくよく通る声がそれに応える。

 

(……少尉、ね。)

自分で口にしながら、違和感でおかしな味がしそうだと感じている。

慣れない言葉を発した反動で眉をわずかに歪めながら視線を滑らせると、居並ぶ輸送船の間を駆けるベレー帽に、ついにやって来てしまったと感慨とも諦めともつかない感情が胸の中に湧いてくる。

規律正しい足音、訓練された軍人たちの独特の所作。

隙のない重厚な空気に支配されたこの場所は、紛れもない軍事基地なのだと肌に感じる雰囲気で頭よりも早く理解する。

 

「銀河帝国の圧政から苦役に耐える人民を開放する」という政府の大言はついに実現せず、勝利の高揚は敗戦の責任を問う怒声へと変わった。

人々は悲しみ、怒り、混乱し、同盟領土内には不満と不信が渦巻いている。

法に沿って選出されたトリューニヒト国防委員長を暫定議長に選出した最高評議会は、形こそ一応は保ってはいるものの、かつての権威も信頼も今は失いつつある。

積み上げてきた過去への誇りと未来への不安の間で同盟全土を揺るがす声が、一層大きなうねりを生み出そうとしている。

 

 

輸送車両に乗ってイゼルローン要塞の司令部へと向かいながら、ジーンはそっと目を閉じる。

時代の荒波の中で、彼女の心もまた揺れていた。

 

(闇が濃くなるのは、夜が明ける直前……。)

アーレ・ハイネセンが民衆を励ましたというその言葉が、今は不安への予兆としてジーンの胸に迫る。

世界を覆おうとする闇が、すぐそこまで来ている。

多くの有能な将官を失った同盟軍において、唯一の希望のごとく人々が求める名前──ヤン・ウェンリー提督がもたらすのは、より深い闇夜か、それともまばゆい夜明けなのか。

軽いブレーキ音を立てて停車した車両が、司令部への到着を知らせて寄越す。

胸の底に漂う不安を瞬きで隠して、腰掛けていた椅子から、ジーンはゆっくりと膝を伸ばして立ち上がった。


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