アルビオン王国の首都、ロンディニウム、ハヴィランド宮殿。その宰相の執務室に、似つかわしくない人物がいた。怯え切った顔をした太った少年が。上半身と両手をロープで縛られ、体格のいい兵達に囲まれている。マリコルヌだ。ティファニアに化けていた彼だが、アルビオン親衛隊がアルビオンに連れて帰る途中、時間切れで元に戻ってしまった訳だ。
宰相であるマチルダが、マリコルヌを睨みつける。射貫くような視線で。対するマリコルヌ。情けないを通り越して哀れな程。言い訳を散々した喉は枯れ果てて声も出ず、目は真っ赤に充血し頬にも涙の跡が残っていた。
次にマチルダは、その鋭い視線を親衛隊へ向ける。
「これは、どういう事だい!」
「面目次第もございません!」
頭を深々と下げる親衛隊に、マチルダの怒声。いつの宰相然とした振る舞いはどこへやら。モロに地が出ていた。神妙にしていた親衛隊の一人が、一通の手紙を差し出す。
「その……宰相閣下。この者、このようなものを身に着けておりました」
「よこしな」
奪うように手にした手紙を、苛立ち紛れに広げた。すると急に表情が変わる。今までの怒りが萎んでいく。代わりに頭を抱えるマチルダ。
「全く……あの子は、ここまで無茶するとは思わなかったよ」
手紙の内容は、ティファニアからの弁明だった。筆跡ももちろん彼女。長年共に暮らしたマチルダだからこそ分かる。そして内容だが、友人を救うためにトリステインにしばらく残るというものだった。あの大人しいティファニアが、こんな大胆な行動をとるとは。マチルダにとっては、喜ぶべきか怒るべきか困る。
ただ、一つだけ確かなものがあった。ティファニアが戦争に巻き込まれつつあるという事だ。冷静さを取り戻したマチルダ。指示を出す。
「ホーキンス国防大臣とワルド外務大臣をここへ」
「はっ!」
親衛隊はすぐに命令を二人に伝えた。ついでにマリコルヌは、監視付ながらも賓客扱いとなった。ティファニアのために、こんな目にあったのだから。
しばらくして宰相執務室へ訪れたホーキンスとワルド。さっそく命令が下る。ホーキンスへはティファニア救出の指揮を。すぐさま執務室を出る古強者。
残ったワルド。ティファニアの無茶とガリアとトリステイン間の問題を、マチルダ以上に重く捉えていた。何故なら、彼の最終目的、聖戦が破綻しかねないのだから。
「宰相閣下!トリステイン、ガリア間の戦争だけは避けねばなりません」
「その通りだよ。ワルド。だからあんたにはロマリアに飛んでもらう」
「ロマリアに?」
「教皇に、両国の仲裁とエルフ探索をすぐに決断してもらうよう、催促しておくれ」
「分かりました」
ワルドは直ちに行動開始。だが彼らはまだ知らなかった。ガリアとトリステインが、まもなく開戦する事を。
ルイズが化けたシェフィールドが両用艦隊から去って、しばらく経った頃。甲板に立つ、トリステイン艦隊総司令オリビエ・ド・ポワチエは、望遠鏡を覗きつつ眉間にしわを寄せていた。困惑気味の表情で。
「何が起こったというのだ?」
「トリステインのエルフ探索を、ガリアが受け入れたのでは?」
「う~む……」
レンズの向こうある大艦隊は反転し始め、この場から去ろうとしている。理由が全く分からない。ただ一つだけ気になる点があった。伝令と思われる竜騎兵らしきものが、ガリア旗艦に降り立ったという報告あったのだ。命令変更があったのかもしれない。
ともかく胸をなでおろすポアチエ。
「いずれにせよ。どうやら国家の危機は去ったようだ」
「そのようですな」
副官も肩から力を抜きうなずいた。
突然の轟音。緊張感が走る。顔色を変える二人。
「な、何事だ!」
「発砲音!?ガリアからの攻撃か!?」
慌てて望遠鏡を覗く。しかし両用艦隊からは、砲煙は上がっていなかった。代わりに上がっていたのは、被弾の噴煙。一体、何に攻撃されたのか。
再び発砲音が耳に響く。今度は分かった。なんと自分達の艦隊が攻撃しているのだ。音の方へ駆け寄ると、一隻の船がガリアへ向かって攻撃をしていたのが見えた。
青い顔で怒鳴るポアチエ。
「何をやっている!すぐやめさせろ!」
「はっ!」
副官はすぐさま命令を伝えた。しかしその間に、三発目が発射される。結局、三発中二発が、ガリア艦隊旗艦『シャルル・オルレアン』に直撃していた。攻撃はそこで停止。だが両用艦隊は怒りに打ち震えるように、船首を戻し始める。戦闘陣形を整えつつ。
ポアチエは、体中から血の気が引いていく感覚に襲われた。血管一本、一本で感じられるほどに。側では副官が動揺した声を上げる。
「し、司令!ど、どうされます!?」
「……こ、後退する!」
「後退ですか!?」
「まともにやりあっても勝ち目はない!応戦しつつ、ラ・ロシェールまで下がる!」
「は、はっ!」
トリステイン全艦に慌ただしく信号旗が上がり出す。同時に全艦が射撃準備に入っていった。
開戦の空気に満たされる両艦隊。死地の緊張感が双方の乗組員に溢れる。そんな中、安堵の吐息を漏らす者が地上に一人いた。両艦隊から離れた、放棄された粗末な小屋の中に。ガリア王ジョゼフ。その人だ。
小屋の窓から両艦隊を眺めつつ、忠実な使い魔に話しかける。
「気を揉んだぞ。まさか余の艦隊が、勝手に撤退しはじめるとはな」
「おそらく、トリステインの虚無とヨーカイ共が何か仕掛けたのでしょう」
「だろうな。だがお前の策の方が、一枚上手だったという訳だ。さすがは余のミューズだ」
「恐れいります」
喜びを噛みしめつつ、深々と頭を下げるシェフィールド。
シェフィールドの策とは、トリステイン艦隊に内通者を用意するというもの。正確には人を一時的に操るマジックアイテムを使って、乗員の何人かを操った。トリステイン艦隊は、神聖アルビオン帝国戦から立て直した急造艦隊。このため、素性の定かでない者が多数乗り込んでいた。そこに付け込んだ訳だ。
その一部の人間達が、ガリアに向かって砲撃。しかも上空にはロマリアの船が来ていた。証人には十分すぎる存在だ。これでトリステイン側の先制攻撃が、戦争の原因として成立。堂々とトリステインに攻め込む事ができる。
ジョゼフは青髭を弄りつつ、楽しげに両艦隊を眺める。
「さてと、後はこの戦を上手く操らねばな」
「はい」
「では、次といくか」
「はい!」
粗末な小屋にいた虚無の主従は、瞬時に姿を消した。虚無の魔法『テレポート』を発動させて。
王宮ではアンリエッタが、自分の耳を疑っていた。信じがたい報告を耳にして。トリステイン艦隊がガリアの両用艦隊に、大砲を撃ちかけたというのだから。それを切っ掛けに、ガリア軍が攻めに転じようとしていると。
「どういう事ですか!?」
「子細は分かりません。ともかく両用艦隊は戦闘態勢で反転、我らが艦隊はラ・ロシェールに後退しつつあります」
伝令の言葉に、側に控えていたマザリーニがしかめた表情をさらに険しくする。
「先ほど、南部と東部でも、ガリア軍が前進しつつあると報告がありましたが……」
「…………」
茫然とし、何も言えないアンリエッタ。
正直、ルイズ達が動くというので楽観していた所があった。この国家の危機もアルビオンの時のように、結局は無難に収まってしまうだろうと。それが予想外の状況に陥っている。これが余計に彼女を混乱させていた。
その時、執務室のドアの向こうから慌てた声が届く。
「へ、陛下!」
「お入りなさい」
飛び込むように入って来たのは、また伝令だった。その顔はまさしく青。
「ゲ、ゲルマニアが、宣戦布告を通知してきました!」
「な……!」
一斉に席を立ちあがるアンリエッタ達。言葉の全くでてこない。マザリーニが無理に吐き出すように尋ねる。
「り、理由は!?どういう大義で、宣戦布告などと……!?」
「それが……同盟国ガリアを支援するためと……」
「……!」
ある程度予想していたとは言え、いざ現実となるとさすがにショックを隠し切れない。ガリアだけでも手に余るのに、その上ゲルマニアまで来ては、もはやこの国は終わりなのではと。
アンリエッタは茫然とし席に戻る。未だ戸惑いから抜け出せない女王に代わり、マザリーニが指示を出した。
「ともかく情報だ!各地の状況を知らせよ!」
枢機卿の言葉を合図に、王宮が慌ただしく動きだした。それから女王の名で、緊急の会議が招集される事となる。
国境配備済みのトリステイン軍には、堅守が指示される。予備軍として後方にいた部隊も国境へ向かった。一方で幻想郷の人妖達だが、全員、国境に集中していた。彼女達の目的は、戦争で死者を出さない事なのだから。だがこれらは、トリステイン全軍と妖怪達が全て国境に釘づけになっている事を意味する。そしてそれは、ガリア王の思惑通りでもあった。ただ一つを除いて。
ルイズが学院に戻ってから半日。王宮から急ぎの伝令がやってきた。その指示は、すぐに予備隊を編成し、ゲルマニア国境へ向かへというもの。つまりそれは、戦争が始まってしまった事を意味する。学院の誰しもが、縛り付けられたかのように、緊張で身が固まるのを感じていた。
軍事教練をする予定だった教官達は、すぐに指揮官へと役割が変る。そして、カリーヌによってすでに鍛え上げられた二、三年生はただちに出立を指示された。そして残りの一年生も、しばらく教練を受ける事となる。もちろん予備兵として。
こんな状況だが、ルイズの方は少しばかり安心していた。前線への移動とはいえ、生徒達が学院を離れるのだから。それにゲルマニアには、手を打ってある。しばらく戦い起こらないハズ。少なくともガリア国境ほど危険はない。
ただ、いろいろ手を尽くしたが、デルフリンガーの警告した通り戦争は起こってしまった。それは、もう一つの警告も有り得るという意味でもある。学院へガリア王が来ると。たった二人だとしても虚無の主従。侮れるものではない。ここはある意味、前線によりも危険だとルイズは考えていた。
ところでルイズは、虚無の力を理由にデタラメを言い、参戦を遅らせてもらった。ジョゼフ達を迎え撃つために、ここに残らないといけないのだから。代わりという訳ではないが、アンリエッタへの手紙を託す。ガリア王が来るかもしれないから、支援が欲しいと。この話を彼女が信じるかどうかは、分からないが。
広場で出発準備を始めている二、三年生達を眺めながらリリカルステッキの手入れをするルイズ。
「天子か誰かいれば、大分楽になるんだけど……」
厳しい表情で、ポツリと漏らす。確かに二、三年生達が出発した後も、一部の軍人や教師達は残る。人数という意味では多い。ただ人妖達の力は、それを補って余りあるものだった。しかし、ジョゼフがいつ来るか分からないのに、彼女達を呼びに国境へ向かう訳にもいかない。
ルイズは頬を軽く叩くと、勢いよく背筋を伸ばす。長い杖で床を軽く叩き、気持ちを引き締める。
「うん!やってやろうじゃないの!」
これまでの戦いが、彼女に自信を持たせていた。それにある意味、好機だ。上手くガリア王を捕られれば、一発逆転も有り得るのだから。
「そう気負っては、思わぬミスに繋がりますよ」
ルイズが振り返った先に、コルベールがいた。落ち着いた様子が見て取れる。戦争をいやがり、アルビオン出兵すら拒否した臆病者というイメージが未だ彼女の中にある。もちろん、キュルケから彼はとんでもない実力者だと聞かされてはいたが、直に見ていない彼女には今一つ信じられなかった。
しかし、ここにいるコルベール。ガリアの虚無と使い魔が来るかもしれないのに、不安が微塵も感じられない。今はこんな彼の存在は、ありがたかった。他の教師達はあまり当てになりそうもなく、軍人達はルイズの言い分を信じている様子がないので。
そんな事を考えていると、ふと気になった。どうしてここまで落ち着いているのかと。
「えっと……。ミスタ・コルベールは戦争の経験でも、おありなのですか?」
「何故、そのように思ったのかな?」
「いえ、随分と落ち着かれてるもんですから」
「…………。一時期、戦いの場に身を置いていたのは確かだよ。ただこの事は、黙ってくれるとありがたいのだが……。私にも思う所があるのだよ」
「分かりました」
小さくうなずくルイズ。今になって、キュルケの言葉を実感していた。隣にいるパッとしない風貌の教師は、どうもただ者ではないようだ。
「ん?なんだ?」
ルイズが感心している横で、コルベールがポツリとつぶやく。眼鏡をかけ直し遠くを見る。釣られるようにルイズも、同じ方角を見た。
広場に集まっていた二、三年生達が騒いでいる、というか後退っている。さっきまで整然としていた列は、ある一点を中心に輪を描く様に崩れていた。その一点、学院の囲む壁の上に目を凝らすルイズとコルベール。
「「え!?」」
同時に声が上がった。驚きに固まった表情で。想像もしなかったものが、そこに見えていた。ルイズは思わず、その言葉を口にする。
「エ、エルフ!?」
長い耳、透き通った金髪。ビダーシャルという、本物のエルフを間近で見た事のあるルイズだから分かる。間違いなく男のエルフだ。だが、知らない相手だ。もちろんビダーシャルとも違う。それにしても何故、今、エルフがここに?まさか彼がガリアの言っていた密偵なのか。
ジョゼフとシェフィールドが来るとばかり思っていたルイズ。予想外の相手の出現に少々混乱。しかもそれが最強の妖魔エルフでは、なおさらだった。その時、脇から強い声が上がる。
「ミス・ヴァリエール!君の力を借りたい!」
その声に自分を取り戻すルイズ。コルベールだった。すでに冷静さを取り戻している。やはりただ者ではなかった。
「虚無の力ならば、エルフに対抗できる!」
「あ、はい!」
ルイズは強くうなずくと、コルベールと共にエルフへと向かって行った。
突然現れたエルフに、騒然とする生徒達。だがカリーヌの特訓の成果か、パニックとまでは行っていない。指揮官の軍人たちもカリーヌが推薦しただけの事はあり、動揺はしているが混乱まではしていない。
指揮官立は最前面に出て杖を構える。距離を置き、エルフへ相対した。
「お前が我が国に忍び込んだエルフか!」
「いかにも。そして貴様らの国が窮地に陥っているのも、私の策によるものだ」
「何!?」
「聖戦などという愚かな考えを持つものは、相食んでいるのがふさわしい」
「おのれ……!だが愚かなのは貴様の方だ!お前を捕らえれば、トリステインの危機は去る。この妖魔を捕縛せよ!」
指揮官も生徒達も一斉に杖を向ける。だがエルフの態度は揺らぎもしない。むしろほくそ笑んでいた。
その直後、彼の背後から影が現れた。影はさらに伸び、エルフを、指揮官を、生徒達を包み込む。影に飲まれた彼から、さっきまでの強気の態度が消え失せていた。唖然として一点を見つめていた。
壁の向こうから巨大な姿があった。そびえ立つ巨人が。壁越しに彼らを覗き込んでいる。その大きさは、二十メイル超。鎧を着こんだその姿は、巨大な騎士。ゴーレム、あるいはガーゴイルか。いずれにしても誰も見た事ないもの。異形な存在。広場にいる全員が茫然と立ち尽くしていた。
エルフは巨人の肩に、軽い足取りで飛び乗った。軽業師のごとく。
蛇に睨まれた蛙のように、動きを止めてしまう指揮官と生徒達。瞼を開ききったまま、巨人を見上げるだけ。エルフは宣言した。
「愚かな蛮族どもよ。大いなる意志の罰を受けるがよい!」
ゴーレムが塀を越え、彼らに迫り始めた。
そびえる巨人を前に指揮官立は、動揺する気持ちを意地で抑え込む。
「あ、あの姿はコケ脅しだ!あの程度のゴーレム、トライアングルでも作れる!こちらが多勢である事を忘れるな!攻撃開始!」
一斉に魔法が放たれる。しかし……。
「ぐあっ!」
悲鳴が上がった。しかもそれは、エルフからではない。すぐ側から。魔法を放ったメイジが倒れていた。一瞬何が起こったか理解できない一同。するとエルフの方から、あざ笑うような声が届く。
「無駄だ。私に攻撃をしても、自らを傷つけるだけだ」
「な、何ぃ!?」
疑問に思いながら、さっきの光景を思い出す。エルフへ魔法を放った時、彼をゴーレムの腕が守った。その腕に当たった魔法は全て跳ね返り、自分達に返ってきていたのだ。悲鳴を上げたメイジは、自らの攻撃で傷ついたのだった。エルフの言葉通り。
エルフの力。それがここにいる全員の脳裏に刻み込まれた。想像を超えていると。この人数でも勝てるのかと。そもそも数の問題なのかと。身動き取れないメイジ達。不敵に見下ろしてくるエルフ。やがて巨人が、その足をさらに進め始めた。
地響きと共に土埃が舞う。
次の瞬間、指揮官が声を張り上げた。
「た、退避!校舎内に後退せよ!」
命令を合図に一斉に逃げ出す生徒達。もはや半ばパニック。いくらカリーヌが鍛えたと言っても、やはり戦場を経験していない彼らには限界があった。
ほどなくして広場には誰もいなくなった。いや、残っていた。二つの人影が。ルイズとコルベールが。巨人を前に立ち塞がる。ここから先へは進ませないと言わんばかりに。
彼女はコルベールへ話しかけた。
「ミスタ・コルベールは、学院のみんなを守ってください」
「君だけでエルフの相手をするのかい!?あのゴーレムも!?私が援護を……」
「大丈夫です。エルフとの闘い方は、もう知ってますから」
「……。分かった。ここは虚無の君に任せよう。だが無理はするんじゃないよ」
コルベールはそう言うと、急いで校舎へと入って行った。残ったルイズ。杖をエルフへと勢いよく向ける。
「こっちは攻略法知ってんのよ!」
そう言って、ルイズは勢いよく宙へと上がった。二十メイル程上空で停止。杖を勢いよく振り上げる。するとルイズが花火になったかのごとく、無数の光弾を周囲に放たれた。
ルイズが放ったのは通常弾幕。闇雲に光弾は飛んでいく。実はこれがエルフ対策の基本。まずは辺りの精霊を弾幕で活動停止にし、先住魔法を使えないようにしようという訳だ。この方法は魔理沙達がビダーシャルに使った手で、ルイズはそれを聞いていた。
そしてさっき魔法を跳ね返した効果。これも知っている。エルフの"反射"の魔法だ。下手に手を出すのは自殺行為。だが対策はある。"反射"の結界越しに弾幕を発生させればいい。これも人妖達から聞いた話。そしてエルフさえ倒してしまえば、このゴーレムも動きを止めるだろう。
一通り弾幕をばらまき終わり、次に移ろうとするルイズ。しかし動きが止まる。奇妙なものが目に入って。ゴーレムの肩に乗っていたエルフが、唖然とし彼女を見つめていたのだ。その顔つき、まさしく想定外という様子。
「な……何故、貴様がここにいる!?」
「は?そんなもん、どうでもいいでしょ。っていうか、なんであんた、私、知ってんのよ」
「……!」
しくじったとでも言いたげな顔で、黙り込むエルフ。しかも、さっきまであったエルフの傲慢さが消えている。ルイズは違和感に眉をひそめた。何かおかしい。
その時、空に声が響く。
「そりゃ、こいつがエルフじゃねぇからさ!」
見上げた先、視界に入ったのは魚姿の悪魔、ダゴンとデルフリンガーだ。悪魔はいきなり、エルフに切りかかった。彼はなんとか避けたが、バランスを崩し地上に降りてしまう。
突然乱入してきた悪魔とインテリジェンスソード。戸惑うばかりのルイズ。
「あんた……!えっと……ダゴンとデルフリンガー!何しに来たのよ!」
「とりあえずは、嬢ちゃんを助けにだぜ」
「何よそれ?どいうつもり?ずっと私達、騙してたくせに」
「こっちにも事情があるんだよ」
「事情ぉ!?」
文句を山ほど頭に浮かべつつ、二体の人外を見るルイズ。助け来たとは言っているが、彼女としては信用が置けないのも無理はない。デルフリンガーの方は、そんなルイズを他所に話を進める。
「で、他の連中はどうした?」
「みんな国境よ。あんたの言う事なんて、誰も信じる訳ないでしょ」
「せっかく警告してやったのに、無視かよ」
「当たり前でしょ!」
「けど、嬢ちゃんは信じてくれた訳だ。ここにいるんだもんな」
「…………。か、勘よ!」
気恥ずかしそうに答えるルイズ。もしデルフリンガーに身体があったら、にやけつつ肩をすくめていただろう。ルイズは、この妙な空気を断ち切るように質問を口にした。
「そ、それで、エルフじゃないってどういう意味!?」
「ああ。こいつな、シェフィールドだぜ」
「ええっ!?」
ルイズはまたも戸惑う。予想外の答に。そして地上にいるエルフを凝視。どう見てもエルフにしか見えない。しかも男性だ。彼を指さすルイズ。
「シェフィールドって……え!?化けるマジックアイテムでも使ってんの?」
「八意永琳の薬さ。シェフィールドが幻想郷行ったの知ってんだろ?そん時、貰ったのさ。こっちに、いくつか持って来てたんだよ」
永琳の薬。ルイズも使った万能薬。急に表情が厳しくなる虚無の担い手。あの宇宙人の薬とすると、どんな能力を身に着けているのか想像もつかない。
次にゴーレムを指さすルイズ。
「じゃあ、あのゴーレムは何?シェフィールドって言ったけど、"反射"の魔法使ってたわよ。どういう訳?万能薬で、エルフの力でも手に入れたの?」
「そうじゃねぇ。あのゴーレム、『ヨルムンガント』ってんだが、鎧にエルフの"反射"、『カウンター』の魔法がかかってんのさ」
結界ではなく鎧に魔法がかかっているとなると、考えていた対策は使えないかもしれない。動くゴーレムの鎧越に弾幕を発生させるなど、ルイズの技量では至難の業だ。愚痴をこぼしてしまう虚無の担い手。
「厄介なもん持って来て……。だいたい、どうやって持ってきたの?」
「瞬間移動の魔法、虚無の『テレポート』を使ったのさ」
「虚無の魔法で……って事は、ガリア王も近くにいるって訳?」
「まあな」
警戒心を上げつつ、ゆっくりと降りる。悪魔とインテリジェンスソードも彼女の隣に下りた。対するエルフ、いやシェフィールド。彼女もさっきまでの余裕はもうなく、張り詰めた緊張感を纏っていた。
「貴様……。その姿……ビダーシャル卿を攫ったヤツね。やはり、お前はゲンソウキョウの連中の仲間なのか?」
「違うぜ。あんたの同業者さ。虚無の使い魔、ガンダールヴだよ」
「な!?」
呆気に取られるシェフィールド。ルイズから、ガンダールヴは異界の天使と聞いていた。彼女自身も直に見た。にも拘らず、この魚の妖魔は自分がガンダールヴと言う。使い魔は一人一体しか持てない。それは虚無でも例外ではない。ではあの天使は死んで、新たなガンダールヴでも召喚したのか?それにガンダールヴならば、ルイズの使い魔だ。それならばヨーカイ達の仲間と言っていい。だがこの魚頭は、それを否定している。どこか腑に落ちない。
何にしても、一つだけ確かなものがある。ここで自分の正体が知れ渡っては、全ては水の泡という事だ。
一方のルイズ。疑問が一つ浮かんでいた。インテリジェンスソードに尋ねる。
「ねぇ、デルフリンガー。だいたい何で、あんなもの持ってきたの?転送陣潰すだけにしては、大げさでしょ」
「もちろんそれも目的だ。だがな、それだけでは足らんのだ」
答が返って来た。しかしその声はデルフリンガーのものではなかった。シェフィールドでもない。ルイズが知っている誰のものでもなかった。
目の前に男がいた。豪勢な狩装束に身を包み、青い髭を蓄えた偉丈夫が。彼が答えていた。
頭が完全に止まるルイズ、男に視線が釘付けになる。青髭の男はいきなり現れた。なんの予兆もなく突然に。転送陣ですら、出現前に前兆がある。しかし、今は何もなかった。
放心しているルイズを前に、男は淡々と話しかけた。
「初めて見たな。お前がトリステインの虚無か」
「だ……誰よ?あんた!?」
「ん?余か?ガリア王、ジョゼフ一世だ」
「ええっ!?」
思わぬ人物の出現に、上ずった声を出してしまうルイズ。いや、いるのは分かっていたハズだ。しかしそれでも、この意表をついた出現は、冷静さを吹き飛ばすには十分だった。
対して、彼女に構わず話を続けるジョゼフ。
「ヨーカイ共が散々余の邪魔をするのでな、目障りになってきたのだ。そこで、ゲンソウキョウとの線を切ろうと思ってな」
「……」
「その後、ゲンソウキョウとハルケギニアを繋ぐのが、ここだとは分かった。ただな、ここを潰すとトリステインもガリアを快く思うまい。それでは聖戦に支障が出る。そこで一計を案じた訳だ。ここを潰した上、トリステインに聖戦で奮起してもらおうとな」
「はぁ!?学院を潰されて、トリステインが聖戦にやる気だす!?何、バカ言ってんのよ!」
ジョゼフの自分勝手な言い分に、ルイズも気丈さを取り戻す。いや、怒で頭が一杯になっていた。しかしジョゼフは動ぜず。
「だが全てがエルフの仕業で、そのエルフに自分達の子供が殺されたとしたらどうだ?」
「!?」
「あの『ヨルムンガント』には『火石』が仕込まれててな、一瞬で学院諸共この辺りを吹き飛ばせる。もちろん、生徒もテンソウジンとやらもまとめてな」
「!」
瞬時に意味を理解するルイズ。
つまり、シェフィールドがエルフ姿でヨルムンガントと共に現れたのは、全てはエルフの仕業と印象付けるためだった。実際、エルフ出現を報告するため王宮へ伝令がすでに飛んでいた。
『火石』により転送陣ごと学院が消滅し、多数の生徒達が犠牲になっても、王宮は全てエルフの仕業と受け取るだろう。親である貴族たちの怒はエルフへ向く。そのタイミングで、ガリアが停戦に乗り出す。自分達もエルフに騙されたと言い訳し。やがては、スムーズに聖戦へと向かうという訳だ。
ジョゼフは軽く首を振り、白々しく気落ちした仕草を見せる。
「だがトリステインの虚無も生徒だ。お前まで死んでしまっては、本末転倒。だから戦争を起こし、お前を最前線に釘づけにする手筈だったのだ。アルビオンの騒ぎでもお前はかの地に向かったそうだし、今回も当然向かうと踏んだのだが……。それがまさか国家の危機に、こんな所で油を売ってるとは思わなかったぞ。やれやれ、困った娘だ」
「……」
ルイズは何も答えない。代わりに憤怒の色に染まった視線を、貫くようにジョゼフに向ける。
「ふざけんじゃないわよ!もう、あんたはただじゃ済まさないわ!」
「ふむ。やはりそうなるか。やむを得まい。ではお前は、『地下水』に任せるとするか」
「?」
言っている意味が分からない。『地下水』とはなんの事か。ルイズが一瞬戸惑い、意識が削げる。その時、スッとジョゼフの手が伸びた。彼女を掴もうとする手が。
だが、二人の間を漆黒の大剣が遮った。地面に突き刺さり、土を舞い上げる。デルフリンガーだ。ルイズを守るように、彼女の前に立ちふさがる。
瞬時に『テレポート』の魔法で、10メイルほど後に下がるジョゼフ。ルイズは驚くと同時に理解した。この能力で、自分を連れ去ろうとしていると。その後、学院を吹き飛ばすつもりだと。
ダゴンは、デルフリンガーをジョゼフの方へ向ける。
「お嬢ちゃんを連れて行こうってのは、なしだぜ。とっとと住処に帰りな」
「全く……。トリステインの虚無の周りには、余の邪魔する者ばかり集まるな。どうも相性が悪いようだ。まあいい」
ガリア王は忠実な使い魔の方へ向いた。
「ミューズ」
「はい」
「お前はガンダールヴを始末せよ。トリステインの虚無の相手は、余がやる」
「御意」
エルフ姿のシェフィールドは、強くうなずく。ジョゼフはルイズへと向き直ると、口元を楽しげに緩めた。対するルイズ達。身構え、戦闘態勢に入る。
その時、ふと背中に寒気が走った。すぐさましゃがみ込み、長い杖を後ろへ突き出す。前を向いたまま。
「うっ!」
抑えた声が聞こえた。杖を受けたのはジョゼフだった。驚いた表情を浮かべつつ。
「なんだ貴様。背中に目でもついておるのか?」
「そんなもんよ」
腰に杖を添え構え直すルイズ。厳しい表情を崩さない。
どうやら『テレポート』で、ジョゼフがルイズの背後に現れたらしい。気配を察した彼女がガリア王を打った。だが、直撃したものの、ジョゼフの方もダメージを負った様子がない。苦虫を潰したように、口を強く結ぶルイズ。
対するジョゼフ。かわされたというのに余裕の態度。
「お前が特殊な体術を身に着けているというのは聞いてはいたが、驚くべきものだ。いやはや大したものだ」
「あんたに褒められたって、嬉しくないわよ」
「フッ……。だが、何度避けようが、余はお前に一度触れればいいだけだがな」
「!」
ルイズの額に冷や汗が流れる。
ジョゼフはルイズを攫おうとしている。洗脳するために。彼女を連れ去るのは簡単だ。手でも掴み、『テレポート』で瞬間移動すればいいのだから。しかもそれは、たった一度でいい。
対するルイズ。瞬間移動する相手に、全く触らせないという芸当をこなさないといけない。しかもその間に、『ヨルムンガント』の『火石』をなんとかしないといけない。圧倒的に不利な勝利条件だ。
するとデルフリンガーが、ルイズの前に出る。
「お嬢ちゃん。ここは俺に任せな」
「え!?一人で相手するっていうの?無茶言わないでよ!私もやるわ」
「虚無の担い手を守るのは、ガンダールヴの役目だぜ」
「ガンダールヴって、あんたじゃなくってダゴンの方でしょ」
「そうなんだけどな。ま、見てな。一発で終わらしてやる」
「やけに自信ありげじゃないの。分かったわ。見せてもらうわよ」
デルフリンガーの言葉にルイズはうなずくと、一歩下がる。
ダゴンはデルフリンガーを肩へと乗せる。表情は変わらないが、どこか余裕を感じられた。『ヨルムンガント』を操るシェフィールドと、虚無の担い手ジョゼフを前にして。二人に悠然と語り掛ける大剣。
「そう言やぁ、まだちゃんと自己紹介してなかったな。俺はデルフリンガー。インテリジェンスソードだ。ガンダールヴはこっちの魚頭さ。名前はダゴン。で、正真正銘、本物の悪魔だぜ。ハルケギニアのじゃねぇけどな」
「な!?」
目を見開くシェフィールド。さすがのジョゼフも驚きを隠せない。幻想郷に悪魔が存在するのを二人共知っている。だから大剣の言葉を、戯言とは受け取らなかった。
「つまりだ。ただの虚無の使い魔と違うんだよ。ガンダールヴだけじゃねぇ、悪魔の力が使えるのさ。悪魔だから当然だけどな。ビダーシャルを助けた時に使った力も、この"魔"の力だぜ」
「魔の力……だと……!?」
「ああ。系統魔法でも先住魔法でも、虚無の魔法ですら防げねぇ。ついでに言うと見えもしねぇ。避けようがねぇのさ」
「!」
シェフィールドには言葉がない。どう反応すべきか分からない。それはジョゼフも同じ。ハルケギニアでは、神官が説教の時に宣う悪魔の力。二人にとっては聞く耳すら持たない代物が、ここにあり、それが自分達に向けられる。
対処の術など、思いつく訳がなかった。
ダゴンは何かを放つように、ゆっくりと右手を広げた。
「さてと、悪いがしばらく悶絶してもらおうか」
「!!」
悪魔の気迫に、身構える他ない二人。そして……。
何も起こらなかった。
「?」
様子の変わらないジョゼフとシェフィールドを前に、怪訝に眉をひそめるルイズ。デルフリンガーへ声をかける。
「ちょっと、早くしなさいよ!何、余裕してんのよ!悪魔っぽいとか、どうでもいいから!」
「いや……その……な。もうやってんだが……」
「え!?だって、連中、何ともないじゃないの!」
ルイズは以前、デルフリンガーとダゴンを罠にハメた時、ダゴンが悪魔の力を使い兵達を苦しめていたのを見た。しかしそんな様子は、ガリアの虚無の主従に全く見られない。デルフリンガーの方も妙に思いだす。
「おかしいな?」
力を込めるが、やはり何も起こらない。ジョゼフの表情が緩んでいた。
「フフ……。ハッハッハッハ……。いや、少しばかり悪魔の力とやらを楽しみにしておったのだが、どうも期待外れのようだな」
「どうなってやがる……?まさか虚無の力?そんなハズはねぇ」
「余は何もしておらんぞ。あえて言うなら……」
「何だよ」
「薬を飲んだからかな。天界のさらに上の者が作った薬をな」
「……!」
デルフリンガーもルイズもすぐに察する。幻想郷の有力者の一人である彼女の作る薬。どうも、悪魔の力を跳ね除ける効果もあるらしい。
ガリア王は悠然と腕を組むと語り出した。
「なんでも、能力が5倍になるのだそうだ。しかも、悪魔の力すらも退けるとはな」
「……」
「さて、この能力……。まだ試しておらん。少し楽しむとするか」
「!」
ルイズとデルフリンガーは神経を尖らせる。5倍の能力とはどの程度なのか、頭を巡らせる。対策を考える。だがその答が出るより先に、ジョゼフがルイズの前に現れた。咄嗟に杖で防御しようとするルイズ。しかし、二人の間に影が入った。
直後に衝撃音。同時に土埃を上げ吹っ飛ぶものが一つ。ダゴンだった。軽く10メイルほど。蹴り飛ばされていた。悪魔が人間に。
ルイズは思わず振り返る。
「デルフリンガー!」
「他人を心配する暇があるのか?」
ジョゼフの手が伸びてきていた。ルイズ、思いっきりのけ反ると、低空で急加速。文字通り、飛んで下がっていった。そしてダゴンの側まで来る。
「大丈夫!?」
「お、心配してくれるのか?」
「う、うるさいわね!一人であいつら相手にするの、大変だからよ!」
「そりゃそうだ。で、こっちはなんともないぜ。悪魔だからな。焼かれたって死なねぇよ」
「そ、よかった」
一先ず胸を撫で下ろすルイズ。しかし状況は悪化したまま。ゆっくりと立ち上がる悪魔。
「けど、どうするよ。悪魔としてはもう役立たずだ。それにダゴンは陸地は苦手なんだわ。いくらガンダールヴって言っても、限度がある」
元々水魔であるダゴンは、地上で戦うには分が悪かった。
視線の先にあるのは、余裕に溢れた敵二人。『カウンター』の魔法を身に着けたゴーレムを操るシェフィールドに、瞬間移動ができるジョゼフ。しかも二人共、永琳の薬を飲んでいる。
ルイズの背に、冷たいものが這いあがってきていた。しかし考えるのを止めない。その時ふと一つ手が浮かんだ。つぶやくように話し出すルイズ。
「使い魔の仕事は、主を守る事でしょ」
「ん?なんだよ藪から棒に」
「守ってもらうわよ」
「どうしようってんだ?」
「『エクスプロージョン』でケリつけるわ」
驚いてルイズの方を向くダゴン。ルイズは続ける。
「『エクスプロージョン』は破壊するだけじゃない。消滅させる力もあるわ。『火石』と『ヨルムンガント』、それに連中の身体にある永琳の薬を消すのよ」
「おいおい、そんな事できんのかよ?それに詠唱は?その間、連中が手ださないハズがねぇ」
「だから守ってって言ってんの。陸地が苦手とか、言い訳はなしよ」
「…………。いいぜ。確かにガンダールヴの仕事は、虚無の担い手を守る事だったな」
「任せたわよ」
ルイズは扱う腰に構えた杖を持ち直す。棒術使いからメイジへと雰囲気が変わった。
虚無の詠唱は長い。この作戦を成功するために、使い魔が主を守り切らなければならない。しかしルイズとデルフリンガーは、騙し合った仲な上、今こうして手を組んでいるのはやむを得ずだ。そんな信頼関係も怪しい急造ペアだが、どういう訳かルイズは収まりがいいものを感じていた。この黒い大剣を構える使い魔の背を見つつ魔法を紡ぐ姿が、あるべきもののように思えていた。