コルベールの目に映るのは、冗談のような光景。ホールでは、何人ものティファニアが走り回っていた。他にもアンリエッタや、有名演劇俳優、歴史上の人物、童話の英雄やお姫様までもが見える。
『フリッグの舞踏会』会場のホール。貴族文化を映すはずのこの場は、今や混沌のるつぼと化していた。どちらかというと下品な方向に。貴族の品性とやらは、どこへやら。
「やむを得ん!」
責任者として、彼は決意する。最悪、『眠りの鐘』で全員を眠らせ、舞踏会は即時中止という選択肢も考慮にいれて。さっそく踵を返し、出口へと向かおうとした。
だが、身をひるがえしたその時。
「うぐっ!?」
何かを口に押し込まれた。思わず飲み込んでしまう。
「な、何をする!?」
口元を拭いながら前を見ると、目に入ったのは、ウエディングドレスのような純白な衣装に身を包んだ褐色美少女。キュルケだった。しかしどういう訳か、飄々とした彼女らしからぬ張り詰めた顔で、彼を見ている。足を止めてしまうコルベール。
「ミス・ツェルプストー?」
「ミスタ・コルベール!今こそ、本心を教えてもらいますわ!」
「何を言って……」
「あたしの気持ちは、分かってるはずでしょ!?」
「それは……」
コルベールも男だ。常々手を貸してくれるキュルケが、自分に好意を抱いている事くらい気付いている。それに、ここでこの話を持ち出すのも、分からなくもない。フリッグの舞踏会は、愛の告白の場としても有名なのだから。だがそれは、いつもの舞踏会ならばの話。
「待ってくれたまえ。今はそれ所じゃない。会場は、あんな有様なんだよ?私は、ここを急いで収拾しないといけならないんだ。そこを、どいてくれないか」
「だったら、一言だけ仰ってください!」
「…………」
教師は黙り込んだ。目の前にいる荒々しくも美しい少女は、自分の愛情の答えを欲している。まさしく情熱そのものとも言える瞳が、彼へと向いていた。しかし、その答えは決まっている。彼に、彼女への愛情があろうがなかろうが関係なく。
そしてキュルケは、恋する相手に告げた。
「"今一番気にしてる女性になる"って」
と。
コルベール、一時停止。
「は?」
彼の予想が全く外れた。キュルケが何を言っているのか、まるで理解できない。
「その……何を言っているんだね?」
「いいですから!それさえ言ってくれれば、ここを去ります!」
「??」
「早く!」
「あ……ああ……。"今一番気にしてる女性になる"……でいいのかな?」
一瞬の閃光。そして次に出てきたのは……キュルケの悲鳴だった。
「あーっ!ま、まさか……まさか……。あの女!?もう一年近く前に、いなくなったのよ!それを……まだ想ってただなんて……」
「ちょっと、君。何を言ってるんだ?」
「あ、あたしは負けないわ!絶対、あなたを振り向かせてみせるから!」
「お、おい!ミス・ツェルプストー!」
キュルケは、コルベールの制止も聞かず走り去ってしまった。茫然として見送る中年教師。しかし、すぐに我に返る。
「いかん、無駄な時間を費やした。急がねば」
すぐさま彼はホールから出て行った。学院長室へと向かって。この時、コルベールは気づかなかった。あまりに異様な事態の連続で。自分の声のキーがやけに高い事に。
わずかなノックの後、学院長室に突入するコルベール。疲れを酒で癒しているオールド・オスマンが目に入る。
「学院長!一大事です!」
「う、うぉ!?ミス・ロングビル!?ではなく、サウスゴータ卿!?いつ来られたのですじゃ?」
慌てて酒瓶を隠し、席を立つオスマン。急いで身なりを整える。一方の中年教師は、今言った学院長の言葉の意味が分からない。後ろに居るのかと振り返ったが、誰もいない。やがて気を取り直すと、ずかずかとオスマンへ近づいて行った。
「酔いを醒ましてください!学院長!今、ホールは大変な状況です!」
「?あの……何を言われておるのですかな?サウスゴータ卿」
「さっきから何なのですか!いい加減、目を覚ましてください!サウスゴータ卿などおりません!」
「???」
オスマンは首をひねりながら、引き出しから手鏡を取り出した。そして相手に向かってかざす。コルベールがそこに見た者は……あのロングビルそっくりなマチルダ・オブ・サウスゴータだった。しかもその姿は、ティファニアを連れてきた時のもの。
コルベール、思考停止。
「な!?」
「ご覧の通りじゃが……」
「なんで……まさか……私にも影響が!?」
「一体、どうされたのですかな?」
オスマンの問に、マチルダ(コルベール)は事情を話し出す。原因は不明だが、『フリッグの舞踏会』会場で、生徒達が次々と姿を変えている事を。騒ぎを収拾するために『眠りの鐘』の使用許可が欲しいと。
ちなみに、コルベールがマチルダの姿になったのは、ロングビルとあまりにそっくりな事が気になっていたから。キュルケの考えている理由とは違っていた。ストレートに好きな相手と言っていれば、結果は違っていただろう。
オスマンは、コルベールの話の一つ一つにうなずく。だんだんと落ち着きを取り戻す学院長。
「つまりじゃ。君は本当は、ミスタ・コルベールな訳じゃな」
「はい!そうです!」
「そうか……」
オスマンはつぶやきながら、マジックアイテムを仕舞っているチェストの鍵を開け、蓋を開く。
「うむ。確かに非常事態じゃ。眠りの鐘を持っていくがよい」
「はい」
マチルダ(コルベール)は、すぐにチェストの側に来ると、のぞき込み、体を潜らせ鐘を取ろうとした。その時。
「ぎゃぁっ!?」
思わず飛び跳ねるマチルダ(コルベール)。尻を抑えながら。そんな彼、もとい彼女へ、オスマンは目元を歪めながら言う。
「どうしたのじゃ?ミスタ・コルベール」
「い、今、な、何をなされたのです!?」
「ん?いや別に……。お!いやいや、すまんすまん。この右手がな、勝手に動きよった。美しい女性を見るとついな」
そう言って、右手を左手で叩くオスマン。だがその様子を見ていたコルベールには、形容し難い寒気が走る。さっき感じた臀部の感触は。すなわち……。
オスマンは、ゆっくりとマチルダ(コルベール)の方へ近づきながら話す。
「だいたい君も悪いんのじゃぞ。そんな魅力的なお尻を突き出して、鐘を取ろうとするからじゃ。だいたい、ほんのちょっと触れただけじゃろうに。大げさじゃのう」
「な、何を……おっしゃっているのですか……?」
「そう言えば……ミス・ロングビルは触らせてくれたもんじゃ。後で、酷い目にあったがな」
「…………」
マチルダ(コルベール)の体中に汗が染み出す。一方、ジジィは遠い目をしていた。
「そうそう、知っておるか?ミス・ロングビルは、元々、酒場の給仕やっておったのじゃ。あの時は、尻を触っても怒らんよく出来た女性じゃった。じゃから雇ったんじゃが、学院に来てからは厳しくてのぉ。スカートの中を覗いても怒る始末じゃ」
「…………」
「なつかしいもんじゃて……」
オスマンは中を仰ぎながら、そうつぶやいていた。そして突然、マチルダ(コルベール)の方を向く。眼光を爛々とさせながら。
「もう一度、味わいたいもんじゃのぉ」
「……!」
悪寒が走るコルベール。部屋の端へとずるずると下がる。脳裏に鳴り響くは、レッドアラート。
「が、学院長……。わ、私はこんな姿ですが、コルベールですよ。ほら、中年禿の」
「そうは見えんが」
「あ、あの……よ、酔っておられるのですか?」
「ああ、そうじゃ。酔っておる。故に、全てはボケ老人の戯れじゃ」
「……!」
酔っていない。このジジィは意識をはっきり持っている。コルベールは確信した。もはや、人間の尊厳を捨て去っていると。
ボケ老人は、顔をゆがませにじり寄って来ていた。
「何、老い先短い老人への慈悲じゃ。うん、施しと思っとくれ」
「な……!こ、これ以上、近づくと、いくら学院長と言えどもただでは済みませんぞ!」
「おお……。なつかしいのう。その厳しい物言い。ミス・ロングビルを思い出すわい」
何を言っても無駄と気づくコルベール。目の前のオスマンは、もう開き直っていた。ならば是非もない。コルベールも覚悟を決める。
「わ、私も蛇炎の二つ名を持つ身。簡単には……え?」
マチルダ(コルベール)の顔が、急に青くなった。杖を取り出そうとしていたのだが、何故かみつからない。必死になって体中をまさぐるマチルダ(コルベール)。実は、身に着けていたものは全て化けてしまっている。もちろん杖も例外ではない。このためマチルダの姿では、杖が見つかる訳がなかった。
その様子にオスマンは、ニタニタと笑みを浮かべる。
「そんなに体をくねらせおって、わしを誘っておるのかの?」
「な、何を……ば、バカな……」
「それとも……杖が見つからんのかの?」
「!」
「それは運が悪い。ちなみにわしは持っとる」
そう言って、愛用の杖を手にした、人でなしオスマン。
マチルダ(コルベール)はドアへ向かって走りだした。しかしドアは開かない。オスマンのいやらしい声が届く。
「さっきな、ロックの魔法をかけたのじゃ。残念じゃのう。杖さえあれば、簡単に開くものを」
「…………」
「さてと。観念せい」
「……!」
マチルダ(コルベール)は、壁に張り付くのが精いっぱい。それはあたかも、エイリアンに襲われる直前の海兵隊員のようであった。
コルベールが『フリッグの舞踏会』会場から出て行った丁度その頃、遅れてきた参加者がいた。タバサと彼女の母親。そして鈴仙だ。オルレアン公夫人は、カステルモールというシャルルと懇意にしていた騎士の姿をしていた。もちろん、今のではなく若い頃の姿だが。二人は胸を躍らせながら、会場に入る。
だが、会場は騒然。タバサは唖然として行動停止。表情をそう変えない彼女だが、いつも以上に固まっている。オルレアン公夫人の方は、呑気なまま。
「トリステイン魔法学院の舞踏会は、その……かなり変わった趣向なのね」
「母さま。違う。何かが起こった」
「何かって?」
「分からない」
タバサは混乱の坩堝の会場を見渡す。すると壇上で、何やら喚いている人物を見つけた。ルイズだ。一緒に魔理沙達もいる。
三人はすぐさま、彼女達の元へ向かった。
「ルイズ!」
「タバサ!」
「何があったの?」
「えっと……その……、つまり……ね」
気まずそうに説明しだすルイズ。もちろん原因が、例の万能薬だと分かっているので。それをチャンと管理しなかったのは、自分なのだから。
ただ、滅茶苦茶になったフリッグの舞踏会を前にして、魔理沙達はむしろ楽しげ。
「こんな祭もいいじゃねぇか」
「うんうん。踊るだけなんて、つまんないしねー」
騒ぎを広げた張本人の天子は、そんな事は一言も口にせず、この状況を喜んでいた。そして鈴仙が付け加える。彼女も慌てていない。
「後、もう四半時もすれば、効果、切れると思うわよ」
つまり放っておいても大丈夫というのが、幻想郷の人妖達の考え。だからこそ、見物に徹しているのだろうが。その中でも一番楽しそうなのがこあ。ちなみにこあの衣装だが、羽に手を加えて派手な装飾のように見せている。おかげで羽だとはバレていない。
「浅ましいですねぇ。人間って。煩悩がただ漏れですよ!」
「嬉しそうね、あなた」
パチュリーが呆れ気味にこぼす。それにこあは、喜々として答えた。
「一応、サキュバスですから。この状況を見て、楽しまないなんて悪魔の名折れです!」
「ああ、そうだったわ。ま、とにかく、これで舞踏会は台無しね。ダンスもなさそうだから、帰らせてもらおうかしら」
紫魔女は使い魔とは逆につまらなそうに、踵を返す。すると文が声をかけた。
「随分余裕だけど、あれ、いいのかしら?」
「何がよ?」
「あそこ」
烏天狗が指さした先を、一同は一斉に目を向ける。ホールのとある一か所に、集団がいた。見慣れた姿の。魔理沙やパチュリー達など、幻想郷の人妖達が。しかも同じ顔が複数。不機嫌そうになるパチュリー。
「……」
「あれの正体は男だけど」
「見てたの?」
「うん。化けるところも。私って目はいいから」
「……」
ついさっきまで他人事とばかりに喜んでいた魔理沙達は、急に顔つきを変える。
「行くぜ」
魔理沙の低音の一言に、三魔女と鈴仙はその場へと飛んで行った。ついさっきまで、他人が騒ぎに巻きまれるのを楽しげに見ていたのが、今はこの態度。自分の事なると話は違うようだ。勝手なものである。
文はさらに余計な一言。
「それにしても、ルイズさんに化ける人はいませんね」
「え?」
「万能薬まで使って、せっかくめかし込んだというのに、ルイズさんの魅力に気付けないとは。いやはや。目の曇った連中ばかりのようですねぇ。ルイズさん」
「ぐぐ……」
こちらも急に不機嫌になる。
「もう、こんなバカ騒ぎは止めよ!」
そう言って、彼女も杖を手にし、飛んで行った。
文はわずかに笑みを浮かべると、カメラを手にする。その脇から、衣玖が声をかけた。
「あなたに化けてる者もいますよ。行かないのですか?」
「あなたにもね」
「目くじら立てる程のものでもないでしょう。無邪気なもんです」
「歳の功ってヤツ?」
「それはお互いさまでしょう」
文と衣玖。こう見えても1000歳を超えている妖怪だった。この程度の戯れで、動ずる訳もなかった。ちなみに天子も動かない。というのも、天子に化けている者はいなかったので。
ホールの一角。そこには魔理沙、アリス、パチュリー、鈴仙などがいた。しかもたくさん。もちろん誰かが化けたものだ。ルイズ達を除くと、生徒達とそれほど接触していなかった彼女達だが、意外に人気があったらしい。しかも今日に限っては、ドレスで着飾っている。日頃とのギャップもあり、余計に彼らの心を鷲掴みにしていた。
「やっぱり、かわいいよなぁ」
「うん」
お互いの化けた姿を見ながら、歪んだ笑みを浮かべる彼ら、もとい彼女達。
すると不意に、とげとげしい声色が飛び込んでくる。
「褒めてもらえるってのは、悪い気しないぜ」
「えっ?」
一斉に向いた声の先には、言葉の割に怒っているような魔理沙がいた。鈴仙もいっしょになって、口をとがらしている。側にいるアリスも不機嫌そう。
「で、私たちに化けて、どうしようって言うのかしら?」
「えっと……」
アリスの姿をした男子生徒が、顔を引きつらせている。すると突然、アリスに近づき直立不動。
「ミ、ミス・マーガトロイド!初めて見た時からお慕いしておりました!お付き合いください!」
「その姿で言うか!」
人形の上海と蓬莱が、アリス(偽)にボディブロー。モロにみぞおちに入る。前のめりにうずくまるアリス(偽)。血の気が引いていく、三魔女(偽)達と鈴仙(偽)。すると彼女達の背後から、鋭い声が届く。憤怒を込めた声が。
「面倒だわ。全部、片づけちゃいましょ」
パチュリーだった。紫魔女は手元に本を広げ、戦闘態勢。
しかし、少年もとい少女(偽)達は、パチュリーの怒気に気付かない。いや、意識できない。彼女のドレス姿に視線を釘づけ。感嘆の声を漏らすほど。日頃の寝間着のような恰好からは想像もできなかったほどの、スタイルの良さに。
「おお……!」
この時の彼らには、次の瞬間に何が起こるか、想像もできなかった。
ホールの中央では相変わらず、ティファニア、ベアトリスコンビに偽物たちが追いかけられている。彼女達に対抗しようとした偽物たちだが、何故か杖がなくなっていたので、逃げるしかなかった。
すると彼らの目前に、舞い降りる影が一つ。ルイズだ。
「あんた達!」
「ル、ルイズ……!」
「どいつもこいつもなんで、ティファニアに化けてんのよ!」
「は?」
「他にも魅力的な子はいるでしょ!その……目の前とか……」
「?」
ティファニア(偽物)にはちびっ子ピンクブロンドが何を言っているのか、サッパリ理解できない。そこでついルイズは口にしてしまった。せっかくこの日のために準備してきた思い故に。
「わ、私……とか……」
「ルイズに?何で?」
ティファニア(偽)達の返答は無情。選択肢にすら入っていなかった。
ルイズの中に、何かが湧きだした。溢れかえった。憤怒の色に塗り込められた。
「バ、バカばっかだわ!」
虚無の担い手は、懐から勢いよく一枚のカードを取り出す。天へと掲げ、高らかに宣言。
「"爆符"!」
時を同じくして、三魔女と玉兎の一角でも、宣言が連なる。
「"恋符"!」
「"咒詛"!」
「"赤眼"!」
「"日符"!」
そして全ては放たれた。
「"エクスプロージョン"!」
「"マスタースパーク"!」
「"魔彩光の上海人形"!」
「"望見円月《ルナティックブラスト》"!」
「"ロイヤルフレア"!」
『フリッグの舞踏会』会場の大ホール。そこは目もくらむ無数の光で、満たされていた。
こうして今年のフリッグの舞踏会は終了した。正確には中断となった。学院史に刻まれるほどの汚点を残して。
ところでコルベールだが、ホールでのスペルカード発動の閃光と爆音に気をとらえたオスマンの隙をつき、右フックでジジィをノックアウト。所詮は老人。隙さえあれば、体力で圧倒するのは難しくなかった。
舞踏会翌日。昼休み。広場にティファニアとファンクラブ達がいた。ただし今までと様子が違う。ティファニアが怒って彼らを無視するように進んでいるのと、ファンクラブの少年達が必死に平謝りしているのが。舞踏会での事を考えれば、当然だろう。
するとその前に立ち塞がる影があった。クルデンホルフ公国姫、ベアトリスが。
一斉に足を止める一同。またも険悪な状況になると予想して。しかし、どういう訳か金髪ツインテールの公国姫の方は、赤くなってまごついている。いつもと違う様子に、当惑するティファニア達。するとベアトリス、突然頭をさげる。
「その……ティ、ティファニアさん!昨晩は、どうもありがとうございました!」
「え?」
「それと、数々の不快な思いをさせた事、本当にごめんなさい!」
「あの……」
戸惑うしかないティファニア。あれほど尊大に振る舞っていた彼女が、いきなり礼と謝罪をしている。そもそも、ベアトリスが何を言っているのか、今一つ理解できない。
「えっと……昨日って?」
「その……、舞踏会で私を守ってくれてた事ですわ。私に恥をかかせようとした連中を、止めてくれて……」
「ああ」
納得がいったとばかりに、パンと手を叩く金髪の妖精。
「私って、アルビオンにいた頃は、たくさんの子供たちと暮らしてたの。喧嘩なんてしょっちゅう。男の子が女の子を泣かした時は、いつもああやって怒ってたのよ。だから、それがつい出ちゃっただけ」
「ですけど、私は、それまであなたに散々無礼を働いてました。エルフ呼ばわりまでして……。なのに……私を守ってくれました……。あ、あなた素晴らしい方ですわ!」
「そんな……」
ティファニアは苦笑い。どういう顔をすればいいのか困る。これほど真正面から褒められた経験がなかったので。一方のベアトリス。意気込んで彼女を褒めたたえていた態度が、急にしおらしくなる。またも身をまごつかせている。やがて意を決したように、ティファニアの方を向いた。
「ティ、ティファニアさん!」
「は、はい!」
「と、と、と……」
「ととと?」
「友達になってください!」
ベアトリスは深々と頭を下げていた。裁判の判決でも受けるかのような、緊張した面持ちで。そんな彼女に、明るい声が届く。
「いいですよ。ベアトリスさん。お友達になりましょう」
「ティファニアさん……」
感極まったように、思わずティファニアの手を掴むベアトリス。それに笑顔を返す金髪の妖精。穏やかなものが二人を包んでいた。ティファニアファンクラブの連中も、釣られるように頬を緩める。
だが、いきなりベアトリスが彼らの方を向いた。今度は、厳しめの顔つき。怯む彼ら。公国姫はづかづかと近づいていく。
「どなたか存じませんが、あなたの言う通りと思います」
「?」
身構えていた少年は、拍子抜け。想像していた彼女の言葉と、まるで違うものを耳にして。構わず続けるベアトリス。ただその態度は、怒っているものではなかった。
「確かに私は、家に頼りすぎていたかもしれません。恥を忍んで言いますが、やはり甘えていたのでしょう」
「!」
意外そうな顔をする少年達。まさかこの傲慢お姫様から、こんな言葉が出るとはと。彼らの中でも特に、レイナールが驚いていた。彼自身が彼女に向けて言ったのだから。家に頼り切りのお嬢ちゃまと。
しかし、そんな素直そうにしていたベアトリス。急に敵意を浮かび上がらす。
「ですが、それはそれ!あの時の侮辱は絶対に忘れません!いずれ雪辱を晴らしますわ!私自身の手で!」
「!」
再度、少年達は緊張で身を固める。やっぱり公国姫は怒っていると。だがベアトリス。すぐに態度を和らげると、そんな彼らを無視して、ティファニアの方を向いていた。
「さ、ティファニアさん。お詫びと言ってはなんですけど、実はお菓子など用意いたしましたの。さ、あちらで頂きましょ」
「え、あ、うん……」
ティファニアは、ベアトリスに引っ張られ、そのままこの場を去ってしまった。少年達は戸惑ったまま、彼女達を見送るのだった。
この日以来、ベアトリスの傲慢な態度は目につかなくなる。程度の話はあるが。家格を口にする事もなくなった。さらに、クルデンホルフ空中装甲騎士団を追い返してしまう。同時に、取り巻き達も減った。結局彼女達も、ベアトリス自身にではなく、クルデンホルフ家という権威に引き付けられていただけなのだろう。ただベアトリス自身は、今までになく晴れやかな気持ちになったようだった。
幻想郷組のアジト。幻想郷への転送陣の前に、荷物がいくつも並んでいる。文と鈴仙の荷物だ。フリッグの舞踏会を最後に、ここでの生活を終えると決めていた彼女達。いよいよ今日が帰る日だった。
オスマン達への挨拶はすでに済ましている。オスマンとコルベールは名残惜しいと、口では言ってはいたが、騒ぎをよく起こす妖怪の一人、文が帰る事に、正直、胸をなでおろしていた。
文と鈴仙をルイズ達が囲んでいる。人妖一同に、キュルケやタバサもいた。ルイズが烏天狗に声をかける。
「最後の思い出だったのに、散々だったわね」
「いえいえ、むしろ幸運でした。あんな舞踏会なんて、見ようと思っても見れないですから」
「皮肉?」
少しムッとするルイズ。あの騒動の原因の一端が、彼女にあるのは確かなのだから。しかし文の笑顔は変わらない。
「突発イベントは、新聞記者の好物って話です」
「でしょうね」
ルイズの方も分かっているのか、すぐに態度を和らげる。
「でも……文にはいろいろ迷惑かけられたわ。私がどれだけ頭下げたか、分かってる?」
「もちろん。ルイズさんには、大変感謝してますよ」
「全く……。けど、いなくなるのは、それはそれで寂しいわね」
「なら、まだ残りましょうか?」
「いいわよ。帰りなさいよ」
気心が知れた仲のような挨拶が交わされる。ルイズ、次に玉兎の方を向いた。
「鈴仙。あなたにはたくさん世話になったわ。ちい姉さまの事、ホントありがとう」
「気にしないで。一応は師匠からの言いつけだったし」
「それでもよ。また、来たら歓迎するから」
「うん、その時はよろしくね」
鈴仙は笑顔を返す。心なしが玉兎の赤い瞳が、さらに赤くなっていた。
やがて二人は荷物と共に転送陣の中央に立った。
「それではみなさん、再びお会いする日を、楽しみにしております」
「それじゃぁ、またね」
文と鈴仙は手を振りながら、霞むように消えて行った。
余韻を噛みしめる人妖達。それもわずかな間。キュルケが口を開く。
「さてと、そろそろ寮に戻りましょ。もう夜だし」
「そうね」
「うん」
ルイズとタバサはうなずくと、寮への転送陣を潜る。残されたのは幻想郷の人妖達。魔理沙がポツリとつぶやいた。
「ずいぶんと、減っちまったな」
「そうね」
アリスがうなずく。一時は、11人の人妖で溢れていた頃もあったが、今は6人だけ。すると天子がそれに一言。
「何言ってんの。あんた達が里帰りしてた時、ここって私と衣玖だけだったんだから」
「そういやぁ、そうか」
そこに衣玖が付け加える。
「しかも総領娘様は、ルイズさんが卒業するまでは、付き合わないといけませんし。最悪一人になるかもしれません」
「あんたも、帰るっての?」
「帰っては困りますか?」
「べ、別に……。きょ、今日は疲れたから、もう寝る!」
不機嫌そうに天人は、大股で部屋へと向かっていった。そんな彼女に竜宮の使いは、わずかに頬を緩ます。やがて衣玖も部屋へと戻っていった。
さて残った三魔女。白黒魔法使いが口を開く。
「さてと、私らも部屋に戻るか?」
「眠るの?」
アリスがポツリと尋ねた。魔理沙は気さくに返す。
「いや、部屋でグダグダするだけだぜ」
「なら、ちょっと話したい事があるのよ。時間もらえる?パチュリーも」
聞かれたパチュリー、わずかに視線をアリスへ向ける。彼女が見たアリスの表情は、さっきまでと変わっていた。少し厳しいものが窺える。七曜の魔女はうなずいた。
三魔女とこあが来たのはリビング。テーブルの上には茶菓子とティーカップが並んでいた。それぞれが一口含み、場を落ち着かせる。やがてアリスが話を切り出した。
「さてと……じゃあ、例の黒子の話。するわよ」
「だと思ったわ」
パチュリーが当然とばかりに答えた。アリスが幻想郷に戻っていたのは、全てはこのため。その一環として、永琳達の考えを探るために。魔理沙もさっきまでと違い、表情を引き締める。
「何が分かった?」
「まず、てゐっていうか、永琳が策を仕込んだのは、やっぱりワルドだったわ。彼には幸運が与えられてるわ」
「予想通りって訳か」
「それだけじゃないのよ。永琳はワルドに、薬を盛ったの」
わずかに曇る二人の顔。あの宇宙人の薬となると、半端な薬ではないだろう。魔理沙が続けて聞く。
「効果は?」
「聖戦の事しか、考えられなくなるようにする薬」
「つまりヤツは、聖戦実現マシンって訳か」
「そうね。てゐの幸運だけでもやっかいだけど、永琳の薬もあるとなると、ワルドに手を出すのは至難よ」
次にパチュリーが聞いて来る。
「結局、永琳の目的はなんなの?」
「ほら、紅魔館周りで転送現象が起こってたでしょ?キュルケ達とかシェフィールドとか」
「ええ」
「あれの原因究明よ。また、ああいうのが起こると困るから、止めたいそうよ。紫達も絡んでるわ」
「それが何で、聖戦なのよ」
「ハルケギニアで騒ぎを起こして、その反応をさぐりたいそうよ」
「それで一番派手な騒ぎ、聖戦って訳ね」
「ええ」
アリス達は不満そうにこぼす。ジョゼフが起こした、アルビオンの騒乱どころではない。全ハルケギニアを巻き込む騒動を、起こそうとしているのだから。ハルケギニアにいる者達にとっては、迷惑すぎる話だ。
続けてパチュリーは尋ねる。
「黒子の話はした?」
「ええ。それ聞いて、彼女、言ってたわ。黒子を探し出して転送現象を止めれば、ワルドの幸運効果を解除するって」
すると魔理沙。
「つまり、聖戦が起こるかどうかは、私たち次第か」
「そうね。それに、ワルド本人に手を出すのは厄介だけど、聖戦自体はなんとかなるかもしれないわ」
「なんでだよ?」
「てゐの幸運効果は、聖戦を起こす事に対してなの。つまりワルド自身が、聖戦が起こったと思えばいいのよ」
「なるほどな」
数々のペテンを仕掛け来た彼女達。同じくワルドに仕掛けるのも、なんとかなるだろう。だが、パチュリーは表情を変えない。カップを手にすると、気掛かりを口にする。
「だけど、それでやり過ごしたら、永琳達には結果が手に入らないわ。そうしたら、また何か仕掛けてくるわよ」
「でも、時間は稼げるんじゃない?」
「何にしても、黒子を見つけ出すのが、根本解決でしょうね。私たちも、それがやりたいんだし」
紫魔女は紅茶を飲み干す。同じく魔理沙も一気に飲んだ。
「ま、黒子を探しながら、聖戦対策も考えるか。んじゃ、今日はお開きだな」
「ちょっと待って」
二人が立ち上がろうとした所に、アリスの制止が入る。座りなおす魔理沙とパチュリー。
「まだ何かあるの?」
「ある意味、もっと重要な話がね」
「何?」
また気持ちを締め直すと、アリスの言葉に聞き入る二人。
「てゐがここで、何か探してたって話があったでしょ」
「ああ。デルフリンガーが、言ってたな」
「あの子に聞いたんだけど、そんな事してないそうよ。永琳も命令してないって」
「詐欺師と宇宙人の言い分だぜ?」
「けど、何もなくなってなかったでしょ?」
「探してたんじゃなくって、仕込んでたんじゃないか?トラップを」
「今まで、何も起こってないのに?」
「そりゃ……まだ発動してないんだぜ。たぶん」
白黒の取って付けたような推測に、アリスは溜息。それから彼女は、語り掛けるように言い出した。
「てゐの話を聞いて、思いついた事があるのよ」
「何だよ」
魔理沙はアリスの言葉に集中する。人形遣いの表情は、厳しさを増していた。
「てゐと永琳の話が本当だった場合、デルフリンガーが嘘を言っていた事になるわ。彼の証言を保証するのは、彼自身だけなんだから」
「おいおい、あいつが嘘ついてるってか?」
「じゃあ聞くけど、何故、あの剣が嘘ついてないって分かるの?」
「……」
うつむいて考え込む魔理沙。アリスの言う通り、信じる理由なんてない。幻想郷の住人である彼女達。デルフリンガーの言葉を信じたのは、インテリジェンスソードという付喪神のような形体に、親近感を覚えてしまったせいかもしれない。
アリスは 言葉を続けた。
「もし、デルフリンガーが嘘をついていたとしたら、最初の現象の意味が変わって来るのよ」
「最初の現象……」
黙っていたパチュリーが、口を開く。
「天子がデルフリンガー持った時に、地震が起こって、ガンダールヴが欠けたってヤツ?」
「ええ。あれ、私たちを虚無から引き離すためって考えてたけど、違うかもしれないわ」
「どう考えたの?」
「デルフリンガーの嘘を隠すため」
「……」
七曜の魔女も、白黒魔法使いも、黙り込む。身を縛るような緊張感に襲われる。人形遣いのその言葉に。アリスは語った。
「天子には、嘘を見破る力があるわ。正確には緋想の剣にね。でもあの一件で、彼女はデルフリンガーに近づかなくなった。本気で痛がる、なんて目にあったせいでね」
天子の頑丈さは、幻想郷ではよく知られていた。彼女が本心から痛がるなど、滅多にない。それを経験したのだから、本能的に避けるのも無理はなかった。それに緋想の剣を持っている天子。取り立てて、武器が必要という訳でもない。彼女がデルフリンガーに関わろうとしない理由は、十分だった。
やがてパチュリーが、全てを理解したとばかりに話し出す。
「つまり、あなたはこう言いたいのね。あのインテリジェンスソードには、裏があるって。そして、実は黒子の配下、あるいは本人……」
「ええ」
鋭い顔つきで、小さくうなずくアリス。すると魔理沙が、急に立ち上がった。
「証明するのは簡単だぜ。デルフリンガーを天子の前に連れてきて、聞いてみりゃあいい。お前は黒子の関係者かって」
すかさず、うなずく七曜の魔女と人形遣い。同じく立ち上がる。だが、その時……。大地が揺れた。
「な!」
「地震!」
まさしく地震。しかし、この三魔女にとっては、ただの地震とは意味が違う。誰もがすぐに察した。また黒子が仕掛けてきたと。
地震はすぐに収まる。被害としては大したことはない。だが魔女達の緊張感は、むしろ増していた。魔理沙が鋭く叫ぶ。
「アジト中、チェックだ!」
「ええ!」
アリスとパチュリー、そしてこあはうなずくと、一斉に動き出した。それから天子、衣玖にも声をかけ、全員で探索を開始する。
部屋を丹念に調べる一同。ほどなくして、声が上がった。魔理沙の大きな呼び声が。
「こっち来てくれ!」
全員が魔理沙の部屋に集まった。相変わらず汚い部屋だが、明らかに変わった点があった。パチュリーとアリスはすぐに気づく。彼女達の考えを代弁するように、魔理沙が口をひらいた。
「アリス、ビンゴだぜ」
「みたいね」
「デルフリンガーがいねぇ。逃げられた」
一同が見ている先。デルフリンガーをいつも置いていた場所に、その姿はなかった。霞のように消えていた。自分では、わずかも動けないはずの剣が。
パチュリーが零すように言う。
「灯台下暗しって訳ね。盲点だったわ」
魔理沙とアリスは、その言葉を噛みしめるように耳に収める。二人も、同じ思いに駆られていた。