ハヴィランド宮殿のバルコニーに立つ姿があった。ワルドである。ここからの景色は久しぶりだった。なんと言っても、この所、宮殿中をずっと締め切っていたのだから。今ではアチコチの窓がみんな開いている。あの充満していた匂いも、さすがに薄れた。怪我の具合も大分よくなり、気分は悪くない。少々痛みを堪えながら、大きく息を吸った。外の空気がうまいなどと感じたのは、いつ以来か。
そんな彼の後ろから声がかかる。
「ワルド子爵」
振り向いた先にいたのは、白鬚を蓄えた威風堂々とした将軍だった。
「これはホーキンス将軍」
ホーキンス。古武士という雰囲気を漂わせた老将軍である。その戦歴も、いくつもの輝かしいものがあった。アルビオン軍の要と言っていい人物。ホーキンスは自慢の髭を摩りながら、笑顔を浮かべる。
「怪我の具合は、いかがかな?」
「後、わずかで完治します。さすがアルビオンの医師は優秀ですな」
「左様。おかげであの秘書も、命を取り留めたというものだ」
実はこの所、シェフィールドはよく話題に上る。
秘書の分際で、鼻に着く口ぶり、どこかしらバカにしたような態度。誰もが彼女に含む所を持っていた。だが、皇帝からの寵愛や、ガリアの後ろ盾もあるので、苦々しく思いながら厳しく当たれない。そんなシェフィールドが、皇帝護衛の総指揮という権限を貰いながら、賊を逃がした上、最後はトイレで気絶していたというのだから。兵はもちろん貴族、閣僚の間ですら、物笑いのネタになっていた。
「かなり病状は、酷かったようだな」
「ええ。高熱の上、下痢に嘔吐が止まらなかったそうで。妙齢の女性としては、とても見せられたものではなかった、と聞きました」
「ハハッ。これであの秘書も、慎みを覚えてくれればいいが」
「確かに」
僅かな笑みを交わらせ、二人はバルコニーの手すりに寄りかかる。しかし、ワルドの笑みが消えた。ホーキンスの方へ顔を向ける。
「お時間は、空いているでしょうか?」
「ん?ああ。警備の任も解けた。後始末は部下がやっておる。時間には余裕があるな」
「私の執務室で、話がしたいのですが」
「…………分かった。伺おう」
それから二人は、ワルドの執務室へ向かった。
ワルドの執務室へ入った二人。そこには、資料が整然と並べられ、机の上も整理されている。それはワルドの性格を、表しているようだった。感心するホーキンス。すると部屋の主は、ホーキンスを脇にあるテーブルへと案内する。
「将軍、こちらへ」
「うむ」
席に座るホーキンス。ワルドの方はというと、机の中から一枚の紙を取り出した。老将軍の前へ差し出した。
「なんだと思われます?」
「古代文字……いや、ルーンのようにも見えるが……。いったい何だ?これは?」
「これが秘書殿の、額に刻まれていたそうです」
「何?」
「医者から聞きました」
ワルドはシェフィールドについて、探りを入れていた。アルビオンにおける、シェフィールドという存在。ガリアとの関係が噂されるなど、ある意味、要とも言える人物。だがどうにもその人物がハッキリしない。そもそもガリアの後ろ盾は、本当なのか?本当だとしてもガリアの真意は?これらの真相によっては、彼の予定が大きく狂う事になる。だからこそ知りたかったのだ。シェフィールドの事を。そして、いい機会を得た。彼女が倒れたのだ。期間が短かったので、そう深い調査はできなかったが、重要な情報を手に入れた。
「調べてみたところ、これは使い魔のルーンです」
「あの女が使い魔!?人間の使い魔なぞ、聞いた事がないぞ!」
「ええ。ですが注目すべきは、そこではありません。このルーンの意味です」
「なんだったのだ?」
「虚無の使い魔『ミョズニトニルン』」
「な……!いや、では陛下の……」
「そういう事になります」
ワルドはうなずく。話を聞いていたホーキンス。歴戦の将といえども、少しばかりショックを受けていた。クロムウェルが虚無と称している以上、その使い魔がいるのは当たり前なのだが、まさか人間だとは思わなかったのもあった。もう一つ。クロムウェルの虚無に、少々疑念も持っていたのもある。だが、これで彼の虚無は確実なものになった訳だ。
「陛下があの女を重用するのは、てっきりガリアの後ろだてからと思っていたが、まさか使い魔だとは……。ならばあの女が倒れた時の、陛下の動揺も分からなくもない。して、どんな力を持っているのだ?虚無の使い魔というからには、普通ではないのだろ?」
「それがハッキリしません。あらゆるマジックアイテムを、使えるらしいのですが……」
「そうか……。しかし、よりによってあの女が……。いずれにしても、我が国にとっては、よい知らせと受け取るべきだな」
言っている事は好意的だが、態度は憮然。腕を組んで不満そう。ホーキンスは、よほどシェフィールドが、気に食わないらしい。
ワルドはそれに思わず賛同したくなる。彼自身も彼女に、いい感情を持っていなかった。それはともかく、ワルドは話を次に進めだす。
「もう一点あります。先日の浸水の件です」
「あれがどうかしたのか?」
「どうも、人為的に起されたようです」
「何!?あれが、何者かの仕業だと?いや、待て。どう考えても大雨が原因であろう。あの日、山中に雨が降り、市内も大雨であったでないか。貴卿も知っているであろうが?」
「はい。ですがこれをご覧ください」
そう言うと、子爵は別の紙を出した。そこには迷路のようなものが書かれている。所々にロンディニウム市内の屋敷の名前があった。ハヴィランンド宮殿の名もある。
ホーキンスは、見下ろすように地図へ目を向けた。
「これは?」
「ロンディニウム市内の、下水道の図面です」
「ふむ。ん?何やら、線で道が塞がれているが……」
図面の所々に線が引かれていた。下水道を寸断するように。ワルドは線を指さした。
「ここに、土壁ができていました。土系の魔法のようです」
「なんと……!」
「あの浸水の日、市内で浸水した場所は、宮殿だけだったそうです。そこで調査させた所、これが見つかりました。さらにこの土壁は、川の水や市内の雨水が、宮殿に集中するように作られています」
「むぅ……」
髭をいじり眉間に皺を寄せながら、うなるホーキンス。
「しかし、貴卿の言う通りだとすると、あの浸水の最中、賊が何かしかけたという事になる。まさか、シェフィールドが行方知れずとなっていたのは、そのせいか?」
「おそらく。しかも賊は、目的を達成したと思われます。今回、説明もなく警備を解いたのも、賊がもう来ないと分かっているからでしょう」
「だが、一体何をされたというのだ?被害など、何も聞いておらんぞ?陛下からのお言葉も、ないではないか」
「実は、ミス・シェフィールドを陛下が見舞った時、二人が言い争う声を耳にした医師がいました」
「なんと……!しかし……そうなると、二人だけしか知らぬなにか、重要な事態が起こったと考えるのが妥当か……」
「はい。重臣にも言えぬ何かが」
「…………」
ホーキンスは口を噤むと黙り込んだ。顔に刻んだ多くの皺が、やや深くなる。
彼が神聖アルビオン帝国に身を置いているのは、何もクロムウェルの虚無に惹かれてという訳ではない。むしろ、先王、ジェームズI世のやり方に反発を覚えたからだった。今のアルビオンに属している多くの貴族が、大なり小なりその気持ちを持っている。そうでなければ、レコン・キスタ発生後から、勢力が急激に増大するはずもない。クロムウェルの虚無は、無道を働く王を打倒する大義、という側面も強かったのだ。だからクロムウェル個人が、貴族達の信任を確実にしているという訳ではなかった。
そんな状況でのワルドの話。クロムウェルとシェフィールドには秘密があると。それは皇帝の信用に、ヒビを入れかねないもの。しかし、出来上がったばかりの国で、それは危うい事態を招きかねない。
老将軍は厳しい眼を、目の前の若い貴族に向ける。
「一つ、伺おう。何故この話を私にした?こう言っては何だが、子爵はアルビオンでは新参者。言わば陛下の寵愛こそが、貴卿の立場を支えている。だが、こんな後ろ盾の信用をなくすような話をして、なんとする?」
「私が、アルビオンに混乱をもたらそうと、していると?」
「そうとも取れる」
「実はトリステインの間者、とでも言われますか」
「そうは思わん。そこまでトリステインに忠誠を誓うほどの者なら、あの手紙を持ってくるはずもないしな。さすればテューダー王家は未だ滅んでおらず、泥沼の戦をしておったかもしれん。トリステインへの出兵も起こるまい。それに、騙すならもっと相応しい相手が他にもいる。こんな問いを返す相手を選ぶハズもない」
そこには、ホーキンス自身の慧眼の自負と、ワルドの能力の高さを認めている態度が、見えていた。ワルドはそれに苦笑い。
「仰る通り。私は祖国を捨てた新参者です。虚無を求めこの国に来ました。だからこそ、虚無の真意を確かめたかった」
「それで、陛下の周りを探っていたという訳か」
「はい」
「……。分かった。今後は何かと相談に乗ろう」
ホーキンスはワルドの真意を汲み取った。要は味方が欲しいのだと。
皇帝周辺を調べた結果、クロムウェルに対し疑念ができてきた。皇帝が心代わりでもすれば、この地でのワルドの立場はない。そのための保険。さらにホーキンスは親皇帝というよりは、反テューダーという立場でこの国にいるいわば反主流派。両方に縁を作った訳だ。ホーキンス自身も、クロムウェル周りの情報が入れやすくなると踏んで、彼と縁を結ぶ事とした。それに彼自身を、気に入ったのもあった。
やがてワルドはホーキンスと固く握手をすると、部屋から出る彼を見送った。一人残ったワルド。一つ息を漏らす。そして安堵の表情。うまくいったと。実は同じ話をボーウッドにもしていた。元々共に戦った仲なので、快く味方となってくれた。
さらに、二人に話していない事がある。シェフィールドの部屋を調べていた時、ガリアとの繋がりを証明する決定的な証拠を手に入れたのだ。ガリアからの命令書を。クロムウェルの使い魔である彼女が、何故ガリアの命令書を持っていたのかは判然としないが、一つハッキリした事がある。クロムウェルの裏にガリアがいるのは、噂ではなく実体のあるものだと。
大国ガリアの後ろ盾。心強くもあるが、ワルドにとって不都合な面もあった。虚無を、掛け替えのないこの世界の珠を、ガリアの道具にされる訳にはいかないからだ。むしろ、ワルドの意を虚無が実現しなければ、アルビオンに来た甲斐がない。それこそが、彼の望みに近づく事なのだから。ワルドは、そのために動き出した。アルビオン内での影響力を増そうとしていた。
一方のシェフィールド。彼女の陰謀に、足元からヒビが入り始めていた。そうは知らず、相変わらずベッドで療養中の彼女だった。
ルイズは、今朝、王家からの使者を伴い、王宮へ入城した。謁見の儀礼もそこそこに、アンリエッタの執務室へと案内される。簡単だった儀礼に、幼馴染からの遊びの誘いかも、と考えたルイズ。しかし、執務室へ入ったとたんに、その考えが変わった。
女王の執務室にいたのは、まず女王アンリエッタ。そして、近衛である銃士隊のアニエス。さらに、宰相であるマザリーニ枢機卿。この場にマザリーニがいるのだ。政務に関わる話なのだろうと、気持ちをあらためる。
ちなみに天子は置いて来た。もう公の場で、あの天人をなだめるのはコリゴリなので。
アンリエッタは執務席に座っていた。他に席がいくつか用意されている。
「ルイズ、お坐りなさい。枢機卿もどうぞ」
二人はうなずくと、席に座った。アニエスは立ったまま、わずかに緊張感を漂わせている。
女王の表情は何やら重い。ルイズはますます身が縛られる気持ちになる。重要な話をされるのは、間違いないと。
アンリエッタは重々しく口を開いた。
「ルイズ。あなたを呼び出したのは、大変重要な話があるからです」
「はい」
「やってもらわねばならない事が、あるのです」
「はい。なんなりと」
「できれば、頼みたくはなかったのですが、これも国のためです。心して聞いてください」
「はい」
ルイズは背筋を伸ばすと、毅然と返事をする。
アンリエッタはマザリーニの方へわずかに顔を向けると、うなずいた。それに応える枢機卿。一つ咳払い。
「オホン。では仔細は私が話そう」
「はい」
「知っての通り、現在我が国は神聖アルビオン皇国と戦争状態にある。しかし、この度、ゲルマニアとの同盟が成立した」
「そうなのですか!?おめでとうございます!陛下」
なんとかアルビオンの侵攻は食い止めたが、劣勢なのは変わりない。だがゲルマニアとの同盟が成ったとすると話は違う。女王の心を痛めていた戦争も、好転するだろう。ルイズはそんな気持ちで、賛辞を送ったのだが、当のアンリエッタの表情は冴えない。硬い笑顔を返すだけである。
マザリーニの話は続く。
「状況はそれほど、楽観できるものではない。両国合わせてもアルビオンとは、よくて六分四分と言った所だろう」
「そうですか……」
「そこで、この状況をさらに我々有利にするため、ミス・ヴァリエールには戦地に赴いてもらいたい」
「え!?」
思わず、少し間抜けな顔で返すルイズ。重大な話が出るとは考えていたが、まさか戦争に行けという命令が出るとは予想外。しかも自分一人が行って、どうなるというのか。学徒総動員ならともかく、たった一人だけとは。ただただ、困惑するルイズだった。
アンリエッタが心痛を湛えた表情で、言葉をかけてきた。
「ごめんなさい、ルイズ。こんな事になってしまって。実は、あなたの虚無とロバ・アル・カリイエの方々の事を、話してしまったの」
「え!?陛下……」
「約束を破ったのは謝るわ。でも、今は国家存亡の危機。弱体化した我が軍では、不十分なのです」
さらにマザリーニが付け加えた。
「その足りない部分を、ミス・ヴァリエールの虚無で補ってもらいたいのだ。ロバ・アル・カリイエの方々の参加も望みたいが、それは難しいと陛下から伺っている。だからこそ、ミス・ヴァリエールの参加が不可欠なのだ。時期は、すぐにという訳ではないが、そう先の話でもない。なるべく早く、心を決めていただきたい」
ルイズには、言っている事をすぐに理解した。理由も納得できるもの。ただ、引っ掛かる点があるのだ。根本的な話で。
一方、女王と枢機卿、さらに近衛兵長。全員が、心痛な顔つきでルイズを見た。貴族としての矜持を常に意識している、ヴァリエール公爵家が三女。当然、毅然と胸を張って了承すると、誰もが思っていた。
「えっと……そのぉ……」
出てきたのは、やけに気に抜けた返事。
一気に全員の表情が、厳しくなる。不快な方向に。
「ルイズ。確かに、無理なお願いです。ですが、是非ともあなたの力が必要なのです」
「ミス・ヴァリエール!国家の状況を正しく認識すべきですぞ」
「今こそ、貴族の矜持を見せる時だ!」
アンリエッタ、マザリーニ、さらにアニエスも、まるで責めるかのような口ぶり。ますます微妙な態度になるルイズ。
実は彼女、参戦するのが何も嫌な訳ではない。むしろ進んで参戦する気持ちがある。だがある事実を知っている事により、どう返していいか困っていた。
三人の要請はさらに厳しくなる。主にマザリーニとアニエスが。
「ミス・ヴァリエール!この度の件、君の助力に全てがかかっていると言っていい!」
「貴族の誉は、国と民につくしてこそだ!」
ルイズは益々当惑。やがて観念した、というか開き直った。一つ深呼吸して、ゆっくり話始める。
「あの……お話ししたい事があるのです」
「…………」
その言葉に三人は、一旦、追及を止める。代表して女王が答えた。
「ええ。伺いましょう。あなたにも言い分があるでしょうから」
「その……。神聖アルビオン帝国ですが、放っておいても潰れちゃうと思います」
「「「は!?」」」
一瞬、言われた事がよく理解できない一同。さっきの厳しい表情は崩れていく。何を言いだすんだこの娘は?という顔が並ぶ。
最初に口を開いたのはマザリーニ。声色にちょっと怒気が混ざっていた。国家の大事を話す場で、投げやりな事を言いだすルイズに対し少し苛立っている。
「どうかされたのか?ミス。何を根拠に、そのような戯れを言っておる」
続いてアニエス、そしてアンリエッタが口を開く。
「臆したのか!?ミス・ヴァリエール!」
「ルイズ。繕う必要はありません。こちらも無茶な依頼と承知していますから。正直な気持ちを言っていいのですよ」
益々、困った顔になるルイズ。それが三人には、真剣味がないように見えて、余計に不満を増していた。
ルイズ、一つ深呼吸。なだめる様に話し出した。一歩引いた態度で。
「その……、信じられないかもしれませんが、アルビオン皇帝は、虚無の担い手のフリをしたただの平民司教です。でも、もう虚無のフリはできません」
「何?」
「そのためのマジックアイテムを、私達が奪ってしまったからです」
「は!?」
さらに表情が歪む三人。今度は困惑した顔が並ぶ。意味不明という有様。もう、どうかしたのか?という目で、ルイズを見ている。
「えっと……つまりですね……」
それからルイズの長い語りが始まった。アルビオンで自分達が何をやったか。やってしまったかの。魔理沙達の借金に始まり、水の精霊、アンドバリの指輪、ロンディニウム、クロムウェル、シェフィールド、そしてガリア王と虚無。一連の出来事を全て。水の精霊に裏取りすれば、事実と証明できるとも。
ただしこの中で、タバサについては語らなかった。さすがに、不名誉印のガリア王弟家の話をする訳にはいかないので。もっともそのせいで、指輪を取り戻しに行った理由が、変わってしまったのだが。
話が終わって、アンリエッタ、大きな溜息。もう呆れているんだか、戸惑っているんだか分からない表情。机に肘を突き、疲れたように肩を落とす。
「つまり、あなた達は借金を返すために、神聖アルビオン帝国の要を奪ってしまったと」
「まあ、結果的にですが……」
「なんというか……はぁ……言葉もありません」
言葉に詰まっているのは他の二人も同じ。聞いていて耳を疑うほどに。微妙な表情を浮かべている。頬と眉間が引きつっている。どんな顔すればいいのか、分からなくて。本当は、喜ぶべき話なのだが、なんか笑えない。
あれほど戦争を起こしたレコン・キスタの根幹が、ただ一つのマジックアイテムだったとは。しかもそれを奪った動機が、借金を返すためだと。実は喜劇の脚本と言われても、納得してしまう。
なんとも間抜けな空気が漂う、アンリエッタの執務室。最初の緊張感は霞のように消えてしまった。やがてマザリーニが口を開く。咳払いでごまかして。
「オホン。まあ……その……いずれにしても、ミス・ヴァリエールの行いは国のためになったのは確かですな」
「え、ええ」
苦笑いを向け合う女王と枢機卿。だがさすがは宰相、すぐにいつものマザリーニに戻った。
「しかし、今、聞いた話。特にガリアの暗躍は憂慮すべきものです。さらに、ガリア王が虚無だとは。しかもエルフと手を結ぶなど、信じがたい」
「重臣達とも、話し合う必要がありますね」
「はい。またアルビオンについても、『アンドバリの指輪』の件により、作戦を大きく変えざるを得ないでしょう」
「ええ。ですが被害が、かなり抑えられそうなのは幸いです」
「それどころか戦にもならぬかと。クロムウェルの正体を、アルビオン中に知らせれば、それだけで分裂するでしょうから」
マザリーニは考えていた。クロムウェルの真相を主要都市に伝播させれば、それだけで勝敗は決すると。ただ当面の懸念が一つある。それはアルビオンでもガリアでもない。同盟国であるゲルマニアの事だ。かの国に、どう対するかである。
枢機卿はルイズの方を向く。
「ミス・ヴァリエール。あなたの国への貢献は非常に大きい。それは私も評価する」
「は、はい!」
目を輝かせ、胸を張って答えるルイズ。褒められ慣れしてないので、ついつい大げさに反応してしまう。しかも、さっきの自分を責めるような態度から、一変してなので余計に。だが、対するマザリーニは何故か渋い顔。
「だからこそ、心苦しいのだが、ミスの手柄を譲ってもらえないだろうか?」
「はい?それはいったい……」
「つまりミスの行いを別の者がした、という事にしたいのだ」
「え……」
折角の手柄を取り上げられる事に、ちょっとばかりショック。確かに、元々国のためにやった訳ではない。だが祖国に最大限の貢献をし、称えられるという栄誉を、貴族として手に入れたいものだ。貴族の矜持を叩きこまれたルイズには、それがあった。それに、やはり褒められるのは嫌いじゃない。だがそれを、他人に譲ってくれという。彼女としては、すぐには答えづらいものだった。
アンリエッタもさすがに悪いと思ったのか、口を挟む。
「それはあまりに無体ではないでしょうか?曲がりなりにも、危険を乗り越えての成果なのですから」
「分かっております。そこを押してです」
「何故ですか?」
「ゲルマニアに対するためです」
「ゲルマニア……」
「今回の遠征。アルビオンの状況に関わらず、ゲルマニアの力は借りざるを得ません。結果、我が国が政治的に劣勢に立たされ、戦後処理も不利に働く可能性があります。ですが、アルビオンを我が国が窮地に陥れたとすれば、話は変わります。立場を対等にする事ができるでしょう」
「そうなのですか……」
「はい。そのため、『アンドバリの指輪』の件は、国として行った事にしたいのです」
「…………。言われる事は分りました」
アンリエッタは引き下がるしかない。ゲルマニアとの関係は、以前にマザリーニから説明を受けていた。この点もあり、虚無の参戦を了承したのだから。しばらく黙り込んでいた彼女だが、やがて考えなおす。ルイズに声を掛けた。
「ごめんなさい。ルイズ。枢機卿の申し出を受けてもらえないかしら?わたくしとしては、あなたが戦地に向かわなくて済むなら、それはそれで悪くないと思っています」
つまりアンリエッタは、ゲルマニアに対するために、虚無か他の成果を見せるしかないと言っている。前者ならルイズは戦地へ、後者なら戦地に向かわずに済む。そして彼女は、後者を選んで欲しいと願っているのだ。
ルイズは懇願するような視線を向けてくる女王に、向き直った。一つ、呼吸を整える。
「分りました。それが国のためになるなら、喜んで成果をお譲りします」
「ありがとう。ルイズ。あなたには、何か別の形で答えたいと思いますから」
「はい」
ルイズは整然と礼を返す。もっとも、いかにも貴族というような顔の奥で、ちょっと悔しいとか思っていたが。ただ、手柄自体は瓢箪から駒みたいなもの。おかげで、それほど不満がある訳でもなかった。
やがて主だった話は終わる。ルイズはわずかな間、アンリエッタとの談笑を少し交わした後、帰路についた。外は日が傾き始めていた。
後の話になるが、水の精霊に指輪の件の裏取りをした後、手柄は銃士隊のものとなった。最初、嫌がっていたアニエスだが、マザリーニに押し切られる。銃士隊の名を上げるのに、ちょうどいいと。生真面目な当人は、結構不満。実力で名を上げたかったし、人の手柄を掠め取ったようで、あまり居心地のいいものではないからだ。
「あー、肩凝ったぁ」
背伸びするルイズ。
ここは自室ではなく、幻想郷組に割り当てられている寮の一室。だがこの部屋で生活している者はいない。おかげで、ルイズ達のたまり場と化していた。
さらにこの部屋には、もう一つ役目がある。いわば連絡路の出入り口。というのは、ここは転送陣で廃村の寺院と繋がっているからだ。部屋の奥に、転送陣が描かれている。さらに結界まで張られており、登録されていない人物は入れない。
もっともこの仕掛けのせいで、部屋自体が不気味がられていた。なんと言っても、大勢入って行ったのに気配が消えたり、逆にさっきまで物音が一つなかった部屋から、ゾロゾロ人が出てきたりする。しかも何故か一部の人間しか入れない。密かに幽霊部屋なんて噂も立っていたりする。当たらずとも遠からずだが。ここを使っているのは、ほとんど人外なので。
「疲れたー」
パタリとテーブルに臥せるルイズ。王宮から帰って来て、羽を伸ばす。さすがに気疲れしたらしい。
「お疲れ」
目の前にカップが置かれる。紅茶の甘い香りが漂ってきた。ふと見上げた先にいたのは、アリス。ルイズ、体を起こす。
「ありがとう」
「どうしたしまして」
アリスはルイズの対面に座った。カップを両手で持って、少し味わう。
「王宮行ってたって?」
「うん」
「なんの用?」
「戦争行ってくれないかって、頼まれたのよ」
「何でまた?」
「私の虚無の力が、借りたいんだって」
「ん?秘密じゃなかったの?」
「姫様が話しちゃってね。問い詰められて」
「ふ~ん……。でも魔力そんなに溜まってないでしょ。虚無、使えないんじゃないの?」
「うん。行っても、大して役に立たなかったと思うわ」
指輪奪還騒動で、ルイズは『エクスプロージョン』を使ってしまったので、魔力はそれほどない。少なくとも、軍事作戦ができるような、大規模な魔法は使えそうになかった。そう思うと、実は、アンリエッタの期待に応えるのは、そもそも無理だったのだ。
紅茶を一口、喉に通す。ちょっと間を置くルイズ。
「でも、行かずに済んだわ。指輪の話したから」
「良かったじゃないの。面倒な事しなくて」
ルイズ、ちょっと笑いを漏らす。戦争に行くのは、アリスにとって危険じゃなくて面倒なのかと。
それから、手柄を取られたことの文句を言ったり、アリスのガーゴイル研究の話になったり、文についてまた教師から怒られそうになったりと、他愛もない雑談が続いた。
ふと窓を見ると、外は緋色に染まっていた。夜まであとわずか。ルイズは新たな話題を振った。
「最近、パチュリー見ないわね。どうしたの?」
「幻想郷に帰ったのよ。なんでも研究が、行き詰ってるらしくてね」
「系統魔法の研究なのに、幻想郷に必要なものがあるの?」
「ああ、それは一旦保留。今、彼女がテーマにしてるのは、ハルケギニアそのもの」
「何それ?」
「万物の由来の研究って所かしら」
「はぁ……。気の遠くなるような話ね。なんでまた、そんな途方もないもの、テーマにしたのよ」
「元々、神奈子から頼まれてたのよ。でも『デルフリンガー』ってインテリジェンスソードを手に入れてからは、のめり込んでるわね」
「インテリジェンスソードの『デルフリンガー』?」
「ええ」
「…………」
「ん?どうかした?」
アリスは、少し不思議そうな顔しているルイズに、視線だけ向ける。だがすぐに、いつもの彼女に戻った。
「いえ、なんでもないわ。それにしてもインテリジェンスソードなんてものが、本当にあったなんて」
「珍しいらしいわね。他に聞かないし」
「それで、いつまで彼女向うに行ってるの?」
「ん?ああ、それは……」
と答えを言いかけた時、視界の脇に光が入って来た。青白い光が。二人は思わず、その方向に顔を向ける。魔法陣が光っていた。誰かが来たらしい。二人にとっては、とりたてて珍しい事でもない。誰が来るのか、黙って見る事に。やがて姿を現したのは……三人。
「あら、ルイズ。元気にしてた?」
「ルイズー!久しぶり!」
「御無沙汰しております」
ルイズに取っては懐かしい顔。思わず、パッと表情が明るくなる。
「レミリア、フラン、咲夜!」
紅魔館のメンバーだった。席を立つと三人に近づくルイズ。すぐにフランが抱き着いて来た。
「来ちゃったー」
「どうしたのよ!?」
笑顔で抱き着いて来た少女を迎える。それはもう、妹を迎えるかのように。フランの方も屈託のない笑顔を浮かべていた。それを姉と従者が顔を綻ばせて見ている。
人間と吸血鬼と従者。ハルケギニアではあり得ない組み合わせだが、四人は昔馴染みのように言葉を交わしていた。
ほどなくして、フランも離れる。するとまた魔法陣が光った。出てきたのは紫寝間着。
「レミィ。やっぱり、ベッドはどうしようもないわよ。あきらめ……。あら、ルイズ。帰って来てたの?王宮に行ってたって聞いたけど」
「帰って来たばかりよ。あなたも、いつ帰ったのよ」
「同じ。ついさっきよ。おまけもいっぱい連れてね」
少しばかり、うんざりしたような顔で答える。すかさずレミリアが反論。口を尖らせて。
「ちょっとくらいいいじゃないの。パチェばっかり、ハルケギニアに遊びに行ってるんだから」
フランもそれに賛同。大げさにうなずく。
横で聞いていたルイズは、納得。パチュリーが、あまりにこっちにいるものだから、レミリアが文句を言ってきたのだろうと。で、駄々をこねて付いて来たという訳だと。
だがすると、一つ気に掛る事があった。
「ねえ。レミリア。屋敷の方は大丈夫なの?」
「美鈴に任せてきたわ。あれでも元メイド長だしね」
「へー。そうだったんだ」
いっしょにトレーニングしていた時は、そんな話は一度も出てきた事はなかった。彼女の意外な一面を知る。だが思い起こせば、フランクながらも対応は丁寧だったし、内容はともかく生活も規則正しかった。メイドっぽい所が、いくつも思い当たる。
やがてアリスが廃村に戻ると、ルイズは四人といっしょにテーブルについた。ふと懐かしい光景が、脳裏に浮かぶ。異世界での慌ただしい生活が。少しばかり顔を綻ばせると、レミリアに話しかけた。
「で、予定はどうするの?私が観光案内してあげようか」
「そうね。それもいいけど、まずは挨拶からね」
「挨拶?」
「一時的とはいえ、あなたを預かったんだもの。スカーレット家当主として、筋目は通しておきたいわ」
「ふ~ん……。そう」
レミリアの言葉から浮かんだのは、両親。だが、元々幻想郷メンバーを紹介する予定ではある。彼女は吸血鬼だが、人外だらけの中に新たに吸血鬼が入っても、なんとか説明できるだろうと楽観していた。
レミリアは思案しながら答える。
「まずはあなたの両親」
「うん」
「そしてここの長、学院長だっけ?」
「学院長か……。まあ、なんとかなるでしょ」
日頃、幻想郷メンバーのトラブル処理に関わる事も多い、オールド・オスマン。また新しいメンツに会った所で、なんという事はないだろう。こっちもなんとかなる。もちろん吸血鬼である事は、伏せておかないといけないが。
ルイズはどう紹介するか考えを整理していると、もう一言レミリアが付け加えた。
「後、この国の主ね」
「え?」
何やら不吉な響きが耳に入った。
もう一度言葉を噛みしめる。確かに"国の主"と言った。ルイズはちょっと慌てた。
「ちょっと待ってよ。さすがに陛下は無理よ」
「なんでよ」
「ハルケギニアの妖魔と人間の関係は、話したでしょ?人間と妖魔は敵対してるって。人間の国王と会えるはずないじゃないの」
「そうね。妖魔なら無理ね」
「だったら……」
そこで言葉を止めるルイズ。お嬢様は自分が妖魔じゃなくて、妖怪だとか言いだすんじゃなかろうかと。それは、ただの屁理屈。しかし、レミリアの自身満々の演説は続く。
「でも私は違うわ」
「そうじゃなくて……」
「そりゃぁ、妖魔が嫌われるのも無理ないわ。人様の家に忍び込んだり、洞窟に住んだり、木の上に掘っ立て小屋作って生活してたんじゃね。最低限、文化的じゃなくちゃぁ。その点、私の文化性は別次元よ」
「は?」
「真の強者には、真の気品が宿るわ!それを知れば、王とやらも自然と握手を求めてくるわよ」
そう言ってお嬢様は胸を張る。今回のハルケギニア旅行のために新調したお洋服を、見せびらかすように。
一方、ルイズ。レミリアの妖魔の理解はそういうものなのかと、絶句。確かに野蛮とも思われているし、実際、野獣と言っても差支えないのもいる。だが、敵対している理由は、全然違う。
ともかく、このカリスマをなんとかしないといけない。嬉しい旧友との再会兼、新たな悩みの増えたルイズだった。