ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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第二次指輪奪還作戦

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿のシェフィールドの執務室。ノックと共に声がかかる。

 

「ミス・シェフィールド、陛下のお出ましにございます」

「お入りください」

 

 開いた扉の中央に、この国の主、クロムウェル皇帝がいた。近衛兵と共に部屋へ入っていく。それに対し、姿勢を正し、おごそかに頭を下げて迎える秘書。

 クロムウェルは威厳を持ったまま、近衛兵たちに声をかける。

 

「シェフィールドと二人で話がしたい。他の者は下がれ」

「はい」

 

 兵たちは部屋から出ていき、扉を閉めた。残ったのは二人だけ。

 するとクロムウェルの表情が急に変わる。情けないと思えるほど、弱気な表情に。

 

「ミス・シェフィールド!賊を逃したというのは誠ですか!?あれほどの人数を揃えたというのに!」

 

 皇帝は縋るように秘書の元へ寄る。

 対するシェフィールドはさっきまでの、慎ましい態度はどこへやら。横柄な口ぶりへと変わっていた。

 

「読みが甘かったようだわ。妖魔らしく力攻めかと思ったら、策を弄してたようなの」

「で、では、また……」

「おそらく。妖魔とメイジのチームなんて、長続きはしないでしょう。まだ形になってる内に、仕掛けて来ると思うわ」

「な、なんと……。しかし……あれほどの人数を退ける賊を、どのように相手にしたら……。しかも、ワルド子爵まで怪我をし、戦いはしばらく無理と言うではありませんか!」

 

 自分の命の危機はまだ去ってない。クロムウェルは、その不安を隠そうともしない。

 ちなみにワルドは、壁に激突する寸前、『エアシールド』で身をなんとか守った。もっともそれでも、怪我は免れなかったが。

 シェフィールドは、成り上がり皇帝を鬱陶しいと思いながらも、冷静に答える。

 

「私が相手をするわ。というか、私にしか相手にできないでしょうね」

「と申されますと?」

「相手の正体と目的に、見当がついたという事よ」

 

 淡々と告げながら椅子に座る。驚いて突っ立ったままの皇帝を、不敵に見上げた。

 

「あの後、捕縛に参加した連中から話を聞いたわ。それから推測がついた。妖魔と呼ばれたものの一つは、水の精霊。他にも精霊がいるようね」

 

 妖魔が口にした"精霊の加護"という言葉。それに水がかかった兵達が豹変したという話を聞き、思い当たったのだ。さらに先住の魔法ですら、詠唱は必要。雷を使った妖魔は、それがなかった。そんな事ができるのは、精霊くらいだ。妖魔たちというより、精霊たちが手を組んでいるという、珍しい連中だと考えた。

 クロムウェルは話を聞き、その意味をすぐに察する。

 

「水の精霊?まさか……ラグドリアン湖の……」

「ええ。だから目的は、『アンドバリの指輪』に違いないわ」

「精霊が、取り返しにワザワザ来る!?信じられません!」

「仕組んだのはメイジの方でしょう」

 

 そうは言ったものの、方法が分からない。だからこそ、シェフィールドはメイジを捕まえたかったのだが。

 狙いがハッキリし、ますます顔をゆがめるクロムウェル。怯えた表情を、シェフィールドへ向ける。

 

「そ、そのメイジですが、やはりトリステインかゲルマニアの手の者で、私の命を狙っているのでしょうか?」

「それがよく分からないわ」

「分からない?」

「あの光の玉。ワルドからラ・ロシェール戦のものによく似てた、という報告を受けた」

「ではやはり、トリステインのでは……」

「それにしては、両国の動きが全くないのが腑に落ちない。お前の暗殺が成功すれば、この国は大混乱。絶好の攻め時になるわ。ならいつでも出撃できる体制を、とっておかねばならない。でも、そんな様子はまるでない」

 

 連合軍との開戦は間近と考えられているので、情報は逐一入っていた。その中に、おかしなものは全くなかったのだ。大規模な戦争の準備だ。隠し通せるとも思えない。

 さらに秘書は続ける。

 

「だいたい、艦隊を壊滅させるほどの攻撃を、暗殺に使うかしら?私なら、戦争のための切り札として隠しておくわ」

「言われてみれば、確かに……。それでは、いったい……?」

「戦争とは、まるで関係ない連中かもしれない。精霊と個人的に縁があるだけで、やってきた……と」

 

 得体のしれない連中に、シェフィールドも少々戸惑っていた。腕を組んで、考え込む。

 黙り込む彼女に対し、クロムウェルがしびれを切らす。

 

「と、ともかく、『アンドバリの指輪』が奪われては、何もかもが終わりです。あなたにとっても……」

「その通りよ。だからなんとしても守らないといけない」

 

 視線を強くするシェフィールド。『アンドバリの指輪』は実はこの国の要だった。無くせば、この国が崩壊しかねないほどの。

 すると彼女は、手の平をクロムウェルへ差し出した。

 

「だから、指輪を私に渡しなさい」

「し、しかし……」

「安心なさい。少なくとも精霊たちの目的は、お前の命ではない。その可能性があるのはメイジの方。それに、お前を守る方法は他に考えているわ」

「そうですか……」

 

 皇帝は仕方なさそうにうなずきながら、指輪を差し出す。シェフィールドは、手にした指輪を厳しい顔つきで見つめていた。

 

 その後、クロムウェルは部屋を出ていく。いつもの威厳を持った、国の主として。秘書はその変わり様に、皇帝よりも役者の方が向いていると、内心笑っていたが。

 やがてシェフィールドも部屋を後にする。そして地下へと向かった。地下には彼女だけが入れる特別な部屋があった。その場所こそ、彼女の本当の力が隠されていた。

 

 

 

 

 

 晴れ渡った青空。ロンディニウム郊外の岡の上。林の端。異質な一団がいた。もちろん魔理沙とその一党である。前日、危ない目に遭ったというのに、まだあきらめてない。結構キモの据わっている連中だった。

 タバサとキュルケが林から出て、町の方を見ていた。遠見の魔法を使うタバサの瞳に映るのは、ハヴィランド宮殿。隣の微熱が話しかけて来る。

 

「どう?」

「警備が強化されてる。衛兵も竜騎士も数が多い。後、メイジが宮殿中に張り付いて、何か作業をしてる。固定化らしい」

「宮殿中に固定化とか、どんだけよ」

「窓や扉にも細工をしてる」

「念には念をって訳ね」

 

 つまりハヴィランド宮殿の周りは、ガチガチに防衛されているという事だった。

 やがて二人は後ろへ下がる。迎える仲間に、キュルケはお手上げの態度。

 

「侵入はまず無理ね。予定の作戦は実行できそうにないわ。ハヴィランド宮殿なんて、籠城戦でも始めるかみたいだし」

「う~ん……。困ったわね」

 

 ルイズが難しそうな顔で、腕を組む。脇で聞いていたアリスが、魔理沙の方を向いた。

 

「どうする?一旦、引き上げる?」

「いや。それじゃ期限に間に合わなくなるぜ」

「そう言ってもね……。強行突破はできればやりたくないし。忍び込むにしても、下調べ自体が厳しそうだし……。」

「……」

 

 魔理沙も難しい顔。すると何かを思いついたのか、ピンクブロンドに尋ねる。

 

「ルイズ。虚無の魔法、どのくらい使えそうだ?」

「大きいのは無理ね。『エクスプロージョン』派手に使っちゃったから。期限までには、それほど回復しそうにないわ」

「そうか……」

「使えたら、どうするつもりだったのよ?」

「『イリュージョン』で囮を作りだしてな。そっちに引きつけて、どさくさまぎれにってのを考えたんだよ」

「なるほどね。でも今の状態じゃ無理だわ」

 

 ルイズは今でも、アリスの作ったマギカスーツVer.3を着ている。そのため、普通のメイジより精神力の回復が早いのだが、それでも期限までの短期間では、あまり回復しそうになかった。

 

 次に白黒魔法使いが声をかけたのは天人。

 

「天子」

「ん?」

「地震起こせそうか?」

「小規模ならねー。やっぱりこの土地、歪みが少ないわ。自在に、って訳にはいかなそう」

「そっか」

 

 がっくりうなだれる魔理沙。そんな彼女に、衣玖が声一つ。

 

「地震で混乱してる最中に、という訳ですか」

「まあな」

 

 漏らすような覇気のない返事。

 

 それから、何人かがアイディアを出したが、どれも上手くいきそうになかった。

 やがて誰もが口を噤む。動きを止める。ただ文だけは何やら忙しそう。話し合いにまるで乗らず、今回の事を記事として構想中。

 

 結局、無駄に頭を悩ましても仕方がないので、食事を取りだす一同。もっとも人間だけだが。

 食事の雑談の中。タバサは短くなった影を見ながら、何気なく視線をずらす。その先にあったのは、水の精霊、ラグドが入った残りの樽。半分は、町を脱出する時に流した。今は水堀から川を伝って、下流で待機している。

 

 その時ふと思いついた。彼女はおもむろに口を開く。

 

「一つ考えがある」

 

 全員が会話を止め、タバサを注視。静かに語られた第二次奪還作戦。その案は全会一致で採用された。ただし、一つだけネックがある。もっとも、なんとかなるレベル。解決するために、早速行動開始。担当は、なんと文だった。

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学院では、今日も変わらぬ授業風景があった。コルベールが黒板にチョークを走らせながら、解説をしている。

 ギーシュがノートを取っていると、空いた机が目に入った。ルイズ、キュルケ、タバサの席。ふと思う。三人は例のロバ・アル・カリイエの連中と共に、今頃アルビオンで何をやっているのかと。ともかく付き合うハメにならなくて良かった、とか思いながら胸をなでおろす。神聖アルビオン帝国の首都に、泥棒に行くというのだから。付き合っていられない。

 ただ、精霊の涙で正気に戻してもらったので、魔理沙達に大きな借りを作ってしまった。それが、ちょっとばかり気にかかってはいる。

 

 突然、教室の扉が開いた。

 

「ギーシュさん!ここにおられましたか!」

 

 そこに立っていたのは、射命丸文。嘘くさい笑顔でギーシュの方を向いていた。

 一方、ギーシュ顔が引きつっている。いや、ここにいる誰もが。

 

 実は文。この学院での評判は芳しくない。というか恐れられている。その烏天狗の力、ではなく秘密の収拾能力に。知らない秘密はないのではないか、と言うくらい人の裏話を知っている。空飛ぶゴシップ。彼女達が来たばかりの頃。東方の田舎者として小バカにした連中が秘密をばらされ、恋人と別れたり、教師から大目玉をもらったり、実家から呼び出されそうになったり、あるいは王宮の衛兵に突き出されそうになったりと、悲惨な目に遭っている。それ以来、文を誰もが恐れていた。

 

 そんな中、コルベールは別の理由で緊張感を持っていた。未だにパチュリーと対峙した時の、おかしな違和感が忘れられなくて。

 

「な、なんの用ですか!?ミス・シャメイマル」

「授業のお邪魔をして、申し訳ありません。実はギーシュさんに、用がありまして」

「授業が終わってからに、してください」

「そうは言われましても、女王陛下から依頼なのですが」

「女王陛下?」

 

 思わず目を見開く禿教師。意外な人物から意外な言葉。

 

「どういう事ですか?」

「それは言えません。ここでは憚られるので。ただお急ぎでしたよ。ちなみに、学院長から許可は取ってあります」

「そうですか……。分りました。ミスタ・グラモン。急いで準備しなさい」

「はい」

 

 ギーシュは納得いかないながらも、アンリエッタの命とあらばと、気持ちを引き締める。そして文の後について、教室を後にした。

 

 文が来た場所は広場。ギーシュは首を捻りながら尋ねる。

 

「陛下にお会いになるなら、身支度をしないといけないんだけど。こんな所にいる暇はない、と思うんだが」

「身支度なら、ここでしてください」

 

 そう言って、文が指さした先にあったのはフルメイルの鎧。王族などの迎賓の時、学院の衛兵達が着る儀式用のだ。結構頑丈にできている。ますますギーシュは訳が分からない。

 

「鎧を着て陛下に謁見?いったいどういう事なんだい?」

「それは道すがらお話しします。とにかくお急ぎでしたので」

「そうかい……。分かった」

 

 渋々うなずくギーシュ。腑に落ちないながらも、鎧を身に付け始める。

 実は元々メイジは、鎧の着方なんて知らない。しかし、アルビオン戦後、授業の一環として戦争関連のものが増えたのだ。今では鎧の身の付け方を、知らない生徒はいなかった。さらにギーシュは武門の家。鎧を身に着ける術は当然心得ている。

 

 しばらくして、重装甲を身に纏ったギーシュ。兜のスキマから、文の姿が目に入った。なにやらベルトらしきものを、取り付けている。眉をひそめ怪訝な表情になる色男。どうもおかしいと。

 

「あの……ちょっと聞きたいんだけど……。本当に陛下がお呼びしてるのかい?」

「あー、後ろ向いてください」

「え?あ、いや。君……そうじゃなくって……」

「ほらほら、時間がありませんので」

「ああ……」

 

 疑念がいっぱい頭の中に浮かぶ。でも文の押しの強さと、鎧のせいでイマイチ身動きの取れないのもあって、彼女の言う通りに。

 ふと、何やら金属の金具を繋ぎ止める音がした。そして腰に回される文の手。さっきの音は、彼女が身に着けたベルトに鎧を接続した時のものらしい。つまり今、文とギーシュは一心同体。いつもなら女性に密着されて喜びそうな色男だが、鎧越しでは嬉しくもなんともない。そもそも、こんな事している理由が分からない。ハテナが浮かぶギーシュ。

 

「えっと……。いったいどういう……。うわっ!?」

 

 体が宙に浮いていた。文に抱えらえれ、空を飛んでいたのだ。

 一瞬レビテーションの魔法かと思ったが、妙な事に気づく。魔法ではなく抱えられて飛んでいたのだ。そう、彼女はフルメイルを着込んだ男子を、女性の手で持ち上げていた。なんという膂力。ハテナがさらにたくさん浮かびだす。

 一方、文はそんな彼に構わない。

 

「注意事項を言っておきます。まず目は、なるべく開けないでください。それと呼吸は鼻でするように」

「い、い、いったいなんなんだ!?だいたい陛下から呼び出しって、どういう理由で……」

「それ嘘です」

 

 烏天狗、あっさり。

 驚いて文句を喚こうかと思ったギーシュだったが、慌てて口を閉じる。身に感じる妙な感覚から。異常な風の圧迫感から。

 

 速度が上がっていた。

 すぐにこの速度が、フライの魔法をはるかに上回っているのが分かった。

 いや、火竜に近づいていた。

 むしろ、風竜のそれだった。

 違う。風竜を超えた。

 

 いったいそれは何か、どういう事か、そもそもなんで自分はこんな目にあっているのか。

 すさまじい空気の圧力の中、混乱だけが頭を回る。

 

 ギーシュ・ド・グラモン。ハルケギニアで初めて音速を体験した人間となった。

 

 

 

 

 

「おーい、起きろー」

「文。あなた、ちゃんと障壁張ったの?」

「もちろん」

「人間運んでるって、考えて?」

「当然。自分なりの解釈で」

「…………」

 

 薄っすら意識を取り戻したギーシュの耳に、何やら話声が届いた。それに何人もの気配。自分をぐるりと囲んでいる気がした。

 パチっと目を開ける。

 見えたのは、格子のスキマから見える夕焼け色の空。檻に入れられた。一瞬、そう思った。

 

「うわっ!?」

 

 跳ねる様に起きる。

 

「あれ?」

 

 すぐに気づいた。檻ではなく、兜の格子だと。つまり自分は鎧兜を着込んでいると。

 ちなみにこの鎧。音速で飛ぶので、念のために着させたのだ。もちろん文は障壁を張っていたので、それで十分の可能性はあったが。

 

 ぼやけた意識の中、ギーシュは記憶を手繰っていく。授業中、突然文に連れ出された事を。女王が呼んでいるという話だったが、嘘だったと。

 思わず兜を脱ぎ棄てると、すぐに文を見つけた。

 

「き、き、き、君!いったい、どういう……。あれ?ルイズ……、キュルケ……?なんでここに?」

「アルビオンだからよ」

「え?」

 

 唖然。口を半開きにしたまま止まった。

 やがてギーシュは首をゆっくり回す。広がる見慣れぬパノラマ。すぐにここがアルビオンと悟った。眉間が引きつる。出来る事は、せいぜい薄ら笑いだけ。

 

 だが、次に思いついたのはどうやって来たのか。普通、学院からアルビオンまでは、馬車と船で数日かかる。だが何泊もした記憶は全くない。だったら数日間寝ていたのか。魔法でもかけられて。だいたい文は、鎧を着込んだ彼を、軽々と持ち上げて飛んでいた。それも魔法なのか?異様な違和感がギーシュの脳裏を襲う。妙な冷や汗が流れ始めていた。

 色男、文に向かって、ぼそぼそと尋ねる。

 

「あ、あの~……。学院を出てから何日経ったのかな?」

「えっと……、半時も経ってませんね」

「え!?」

 

 半時。つまり1時間も経ってないという。数日かかる行程が。

 

「そ、その……、と、東方の魔法かな?」

「魔法って?なんの話です?」

「いや……、どんな魔法を使ったのかなって……」

「魔法使えませんよ。私」

「えっ!?」

 

 ギーシュ、顔をゆがませて眉をひそめる。目の前にいる女性は、ロバ・アル・カリイエのメイジで貴族と説明を受けていた。にも拘わらず、魔法が使えないとはどういう意味か。だいたい魔法を使わずに、これまでやった事をどう説明するのか。何も思いつかない。

 

 対する文。なんでギーシュの表情が疑念で一杯なのか、まるで理解してない。そんな烏天狗をアリスが小突いた。ようやく気づく。

 

「あー。冗談です。魔法使えます」

「いや、だ、だけど……」

「なんなら、お見せしましょうか?」

「そう言われても……。東方の魔法なんて知らないから、判別できないし……」

「でも、信用してください。正真正銘、魔法ですから」

 

 何を根拠に信用しろと言っているのか。余計にギーシュの疑いは強くなる。

 するとルイズが溜息一つ。

 

「もういいわ。話進まないし。ギーシュ。落ち着いて聞いてね」

「な、なんだい?」

「文は魔法使えないわ。つまりメイジじゃないの。っていうか、ロバ・アル・カリイエから来た連中は、人間じゃないわ」

「ええ゛っ!?に、人間じゃない!?」

 

 ギーシュ、間抜けな顔のまま固まった。しばらくして復帰。

 

「じゃ、じゃ、じゃ、妖魔なのか!?」

「妖魔とも違うんだけど……。いろいろよ」

「い、いろいろ?」

「そうね。例えば、私の使い魔、天子。あの子は天使よ」

「天使?」

「聖典に載ってる天使」

「えーーーーっ!!」

 

 口を力いっぱい開けて、叫んでいた。目が飛び出そうなほど、瞼を開けていた。

 そんな彼を横で見ていたキュルケは、幻想郷メンバーと初めて会った時の事を、しみじみ思い出す。全く落ち着きをなくした自分達と、小憎らしいほど落ち着いていた彼女達を。

 

 ギーシュの方は、相変わらず。何か言おうとてるのだが、うまく言葉にならない。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ、いったいどういう……。人間じゃない!?天使!?なんだそれは!?」

「動揺するのは分かるけど、少しは落ち着きなさいって」

 

 キュルケがなだめるように声を掛ける。隣でうなずくタバサ。ギーシュは二人へ顔を向けた。

 

「キュルケ、タバサ……君ら知ってたのか?」

「まあね。言ったでしょ?ルイズが帰って来た時に、偶然会ったって。その時知ったの。モンモランシーも知ってるわよ」

「モンモランシーも?」

「そうよ。だからあなたと天子が決闘しそうになった時、必死に止めたのよ。天使相手じゃ、勝負にならないでしょ?」

 

 息を飲むギーシュ。視線を天子に向けた。いろいろと騒ぎばかり起こしていたルイズの使い魔が、天使とは。とても神聖そうには見えないが。

 すると今度は文。

 

「ぶっちゃけてしまいましたね。なら、別に隠す必要はなさそうです」

 

 そういうと、文の背中から黒い翼が広がった。バサッという具合に。

 ギーシュ、またも目を大きく見開いて茫然。そのまま後ろへ、逃げるようにずるずる下がる。

 

「よ、よ、翼人!?」

「違いますよ。烏天狗です」

「カラステ……?え?」

「烏天狗。翼人とかいうのではありません」

「???」

 

 もう訳が分からない。いろんな話が一気に頭に飛び込んで、イケメン大混乱。もうなんか前衛芸術でもしているのか、口をパクパク、手足をバタバタさせながら、喚いていた。

 

 それから、長い説明が続く。その間、ギーシュがパニックになったり、なだめたり、という事が繰り返された。やがて何周目かで、ようやく彼は落ち着きだす。

 

「しかし……、そんな奇妙な世界があるとは……。未だに信じられない……」

「あるのよ。で、それはもういいでしょ。本題に入るわ」

 

 ルイズ、手間がかかりすぎたのもあって、少々不機嫌。強引に話の流れを変えた。ギーシュは精神的に疲れているにも関わらず、相変わらず振り回されっぱなし。

 

「本題?」

「ここにあなた連れてきた理由よ」

「そ、そうだ!なんで、こんなところに、無理矢理連れてきたんだ?」

「もちろん、アンドバリの指輪奪還のためよ」

「まだ取り戻して、なかったのか!?」

「取り戻してたら、ここにはいないわよ」

「だいたい連れて来るにしても、やり方ってものが……」

「時間がなかったの」

「はぁ……。分かったよ。それで僕になんの用だい?」

「えっとね……」

 

 またまた長い説明が続いた。そして……。

 

「やだ!絶対、やだ!なんでそんな事しないといけないんだ!」

 

 色男、強烈な拒否。彼の美学に関わる話なので。

 そこに出て来る白黒魔法使い。覗き込むように彼を見る。不敵な笑みがそこにあった。

 

「理由は簡単だ。お前は私に借りがあるからだぜ」

「な……!」

「借りは返さないとな」

「え……、あ……」

 

 言葉が出ない。有無を言わせない理由。ギーシュは、あきらめるしかなかった。うなだれて肩を落とす。

 

「はぁ……もう、好きにしてくれ……」

「まあ、私も付き合うぜ。だいたい一人じゃ無理だしな」

「それは……、心強いね」

 

 疲れた笑いで、少しばかりの皮肉。これが彼の精いっぱいの抵抗だった。

 白黒魔法使いは、そんな彼に構わない。

 

「で、今夜やるぜ」

「こ、今夜!?」

「そんな嫌がるなって。飯でも食えば気分も変わるぜ」

「そうかなぁ……」

 

 もっともその飯も、辺りで調達したものを、適当に食べられるようにしただけなのだが。とてもギーシュの口に、合うものじゃなかった。イケメンは不遇の連続で、半泣きで食べたという。

 

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿では、急ピッチで防衛力強化の作業が進んでいる。シェフィールドの執務室では、警備隊長からの状況が告げられていた。

 

「外壁、屋根の固定化はほぼ終わりました」

「窓や扉は?」

「鍵を特殊なものに変えたため、少々時間がかかっております。ただ翌朝までには終わるかと」

「魔法装置は?」

「指示のあった場所に、移してあります」

「通用門は?」

「そちらも指示通りに」

「ご苦労。残りの作業を急がせなさい」

「はっ」

 

 歯切れのいい返事と共に、警備隊長は部屋から出て行った。

 一人になった部屋で、シェフィールドは椅子に身を沈め、考えをまとめる。

 

 相手が精霊だと分かった時点で、普通の兵やメイジには対抗ができない。彼女自身が相手にするしかなかった。幸い、ここには新たに開発したマジックアイテムがいくつもある。アルビオンはマジックアイテムの試験場でもあったのだ。

 相手の動きを掴むため、ディテクトマジックの魔法装置は、ハヴィランド宮殿周辺に集中的に配置されている。市街の城門に置かれていたものを、移したのだ。お互いがお互いをカバーし、死角は一つもない。もっともこのため、城門の警備は、逆に緩くなっている。さらに宮殿の通用門だけ、微妙に警備を軽くしてあった。侵入経路を絞り、罠に嵌めようというのだ。

 兵や武器の配置図を眺めながらつぶやく。

 

「罠に引っ掛かればいいが……。強行な手を取る可能性もある。甘く見ない方がいいわね」

 

 シェフィールドは、厳しい顔つきで席を立った。

 精霊を相手にする。しかも複数だ。一筋縄ではいかない。彼女はこれに対するに、秘蔵のマジックアイテムを、全て放出するつもりでいた。先住の力を宿した、異質な道具な数々を。

 

 

 

 

 

 日はすっかり落ち、空には双月が上がっていた。

 ルイズ達がいた丘には、ルイズ、キュルケ、タバサ、文、そしてラグドのみ。他は、二手に分かれすでに行動を開始している。

 まずは天子達。ロンディニウムからさらに離れ、川の上流、山奥の村にいた。宙に上がり見下ろしている。衣玖が辺りを見回しながら尋ねた。

 

「目ぼしいのは、ここしかありませんね。できますか?総領娘様」

「う~ん……。少ないけど、やってみるわ」

 

 そう言うと、緋想の剣を抜いた。

 

 他方、魔理沙、アリス、ギーシュ。現場に着いて、全員が顔をしかめる。

 

「こ、これは……」

「さすがに、キツイわね」

「ま、文句言ってもしゃーない。やるぜ」

「はぁ……。分かったよ」

 

 三人は作業を開始した。

 

 

 

 

 

 ハヴィランド宮殿では、夜間も厳重な警備が行われている。一方で、防衛力強化も、夜を徹して進められていた。皇帝であるクロムウェルは、いつもの自室から移り、隠し部屋へ避難している。一方、メンヌヴィル達は、皇帝警護のための詰所にいた。そしてシェフィールドは地下にいた。まるで宝物庫か武器庫かというような特別な部屋に。

 ここには、得体のしれないマジックアイテムが多数置かれていた。透明になれるマントや、見かけと違い、広い空間があるチェスト。そしてあの『始祖のオルゴール』、『風のルビー』もあった。

 

 彼女は、机に乗っている小さな人形を手にする。

 

「まずはこれからか……」

 

 同じく机に乗っている小瓶を持つと、中の赤い液体を一滴、人形に垂らす。するとみるみる内に姿を変えていった。やがてクロムウェルそっくりとなる。人形の名は『スキルニル』。血に触れると、その持ち主そっくりになるマジックアイテムだ。

 

 シェフィールドは、クロムウェルに化けた人形に話しかける。

 

「お前は、いつもの皇帝の居室に籠りなさい」

 

 人形はうなずくと、部屋を後にした。この人形はクロムウェルの身代わり。メイジの正体がハッキリしない以上、保険をかけた訳だ。あの成り上がり皇帝は、まだまだ必要だった。殺される訳にはいかない。

 

「次は……、精霊にどう立ち向かうか……」

 

 彼女は棚状になった金庫へ向かった。そこから石を一つ取り出した。慎重にあつかいながら、つぶやく。

 

「水の精霊には火、雷の精霊もおそらく同じ手が使える……。だが……」

 

 雷を使った賊が、精霊の加護とやらで左手を治した点からそう考えた。どちらも水属性の存在であろうと。ただ、残りの精霊。その正体が分からない。一つは光の筋を撃つものらしいが、それだけでは、なんの精霊か想像もつかない。メイジという可能性もあるが、光の筋のような魔法など聞いた事もない。

 しかし相手が何者であろうとも、撃退できる一つの手があった。それが、今彼女が手にしている石である。

 

 火石。

 

 それが石の名だ。

 風石、土石などと同じ、四系統の力が籠っている石。ただ火石が他のものと違うのは、理論上存在するというだけで、人間には手にする事ができないものという点。

 彼女はそれを手にしている。"ある者"の協力により。もっともこれは実験中のもので、想定された能力には遠く及ばない。だがそれだけに、扱いやすくはあった。少なくとも、水の精霊、いや、生ある者は全て、瞬時に蒸発させる程度の力はある。

 

 すると、火石を眺める彼女に近寄る姿が数体。異様なゴーレムが、近づいてきていた。大きさは二メイルと、大柄な人間程度。だがその身を作る鎧は、あらゆるものを跳ね返す。電撃であろうとも。これも"ある者"の協力で作り上げたもの。そしてまだ試作品である点も同じ。

 

 シェフィールドはゴーレムに近づくと、鎧を開く。そして中に指輪を入れた。『アンドバリの指輪』を。これで指輪は、完全に守られる。さらに彼女は、またスキルニルで自分のコピーを作り出した。

 

 アンドバリの指輪は餌だ。これを囮に精霊達をおびき寄せ、火石で一気に消滅させる。だが指輪は、ゴーレムに守られているので、猛烈な爆発の中でも傷すらつかない。これが精霊達に対する策。そのタイミングを確実にするため、自分のコピーに罠を見張らせる。さらにこのコピーは、生物ではない。水の精霊に操られる事もないだろう。策が成功すれば、ハヴィランド宮殿の一角を、吹き飛ばす事になる。だが、それだけに撃ち漏らす事ない。そうシェフィールドは考えていた。

 

 道具が揃った所で、彼女は席に着く。宮殿の図面を広げ、細かな配置を考える。するとふと、妙な違和感を覚えた。

 

「ん?これは……!」

 

 違和感の方角へ思わず振り向く。魔法装置が反応していたのだ。

 

「チッ!もう来たのか!?動きが早い!」

 

 宮殿の防備も、精霊を嵌める罠の方も、準備は半ば。シェフィールドは仕方なく、コピーとゴーレム共に指示を出した。暫定的な配置だが、躊躇している暇はない。さらに、警護隊長へ賊が迫っている事を告げた。深夜の宮殿に、緊張が走る。

 

 部屋で構えるシェフィールド。賊の動きに神経を尖らす。

 賊はだんだんと近づきつつあった。すでに市内に入り込んでいるのが分かる。ただこれは想定通り。城壁の警備は軽くし、入りやすくしているのだから。うまく罠の入り口である、通用門を通る事を期待する。

 

 だが賊はある程度近づくと、足を止めた。そして宮殿を中心に横へ移動。そして離れていった。

 

「罠に気づいたか?」

 

 一瞬そう思ったが、また近づき始めた。しかし、それもやがて止まる。そして横に移動。

 結局、賊は位置を変えつつ行ったり来たりしながら、最後は宮殿から離れていった。シェフィールドは腕を組むと考え込む。

 

「探りを入れてきたか……。何にしても、まだまだこちらにも時間があるようね。準備を急がないと……」

 

 彼女は緊張を解くと、ゴーレム共を呼び戻す。そして念入りに配置を検討し始めた。

 

 

 

 

 

 さて、賊の一派。魔理沙、アリス、ギーシュの帰還を迎えるルイズ達。その顔は、あまりいいものではなかったが。特にキュルケは。

 

「あなた達……」

「言うな。自分からが一番分かってるぜ」

「そうだよ!どんだけ大変だったと思ってるんだ!」

 

 女性に優しいギーシュも、キュルケの態度にちょっと不満げ。さすがのキュルケも一応謝る。今回は、留守番しかしてないのもあって。そんな連中に構わず、アリスは服をタオルで拭きながらポツリ。

 

「ま、苦労した甲斐はあったけど。おかげで上手くいったわ」

「そう。なら、後は本番を待つだけね」

 

 ルイズ、キュルケと同じくちょっと渋かった顔を、緩める。

 しばらくして、残りの一派、天子達が帰って来た。そちらも作業完了。やがて人間たちは、明日に備えて眠りに入る。残りの連中は、暇をつぶしていた。

 

 翌日。日はすでに地平線から離れている。夜明けから、2時間ほどが経っていた。全員が準備万端、林から出てその時を待つ。

 

「さてと。はじめるぜ」

 

 魔理沙は、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 地下の自室で、賊を待ち構えるシェフィールド。仕掛けは全て終わり、後は、罠に嵌るのを待つだけだ。もっとも相手の動きによっては、臨機応変に対応しなければならないが。そのために、試作のゴーレムと火石をいくつか残してある。さらに透明になるマジックアイテムも、所持していた。

 そんな彼女の耳に雨音が届いた。

 

「雨か……。まさか……!」

 

 すぐに彼女は部屋を出て、一階へ上る。目に入った窓の外は、かなり強い雨脚となっていた。

 シェフィールドは、ロビーで警備隊長を見つける。

 

「隊長」

「ミス・シェフィールド……。なんの御用で?」

「今、外にいる者は、決して宮殿内に入れないように。さらに中の者も、外に出ないように」

「は?」

「分かったわね。厳命よ」

「は、はぁ……」

 

 渋々頷く警備隊長。意味不明な命令の狙いを、宮殿内が濡れるからかと勝手に考えた。それが厳命とは、腑に落ちないが。

 

 彼女がこんな手を打ったのは、実は、雨に紛れて水の精霊がやってくる可能性を考えたからだ。精霊自体は飛べないが、メイジが精霊を空に運ぶ事はできる。もっとも逃した賊の様子、残した品から、精霊の量はそう多くなく、大した事はできないとは思っていたが。

 

 それから雨は長く続いた。しかも大雨と言った様相。静かな地下に、雨音だけが響く。一方で、それに紛れて賊が近づくような気配はない。魔法装置は、相変わらず無反応。もちろん先日のように、細工された様子もない。

 シェフィールドは少々、落ち着きなさそうにしていた。さすがにこう緊張が続くと、不満も溜まる。

 

「賊共め……何をしている。雨は絶好の機会だと言うのに、まだ来ないなんて……。まさか、あきらめた?いや、それなら夜に来たりはしないわね……」

 

 苛立った言葉が漏れる。

 配置図を眺めながら、気持ちの置き所に困っていると、妙な刺激が鼻を突いた。

 

「ん?」

 

 背筋を伸ばし、辺りを見回す。特に変わった様子はない。だが妙な匂いは確かにあった。不快な匂いが。

 シェフィールドは顔をしかめると、席を立つ。すると部屋中に、それが充満しているのを感じた。もう何の匂いか、ハッキリ分かった。

 

 腐臭だと。

 

 ますます顔をしかめる彼女。思わず鼻を塞ぐ。いったいどういう訳で、こんな匂いが充満しているのか。空気を入れ替えようと、扉に近づき、思いきり開けた。

 すると……。

 廊下から水が流れ込んできた。

 

「えっ!?」

 

 混乱。目と口を開きっぱなしのまま、固まる。

 茫然としたまま部屋から出ると、水浸しの廊下があった。衛兵たちが喚きたている。ますます唖然とするシェフィールド。状況が、よく呑み込めない。

 その時、ふと何かを踏んづけた。やわらかい妙な感触。視線を足共に向ける。そこにあったのは……。

 

 腐ったねずみの死体だった。

 

「ひゃぁぁっ!?」

 

 らしからぬ悲鳴を上げる秘書。思わず飛び退く。

 するとネズミの死体は、流れに乗って部屋へ侵入。だがよく見ると、いろんな物が流れていた。ゴキブリの死骸に、半分溶けたキャベツ。何やら黒い塊に、黒だか緑だかよく分からん泡だったもの。……と、目を背けたくなるものばかり。

 それらが全て、強烈なものを発していた。

 

 腐ったかほりを。

 

 一瞬、喉の奥からこみあげて来る。すっぱいものが。シェフィールドは、それをなんとか飲み込んだ。押し込んだ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 荒い息。だが、激しい呼吸をすれば、余計に腐臭が匂って来る。

 

「……!!」

 

 彼女は顔を叩くように、鼻と口を塞いだ。もはや待ったなし。すぐに、駆け出していた。

 着いた先の階段では、濃い茶色っぽい汚水が滝の様に流れてきている。もう、ざざざぁーっという具合に。それに構わず駆け上がる。身に着けた美しいドレスに、汚水が飛び跳ね、先の方はなんだか黒く滲んでいく。

 

 一階にたどり着いたが、状況は地下と同じ。水浸し。流れているのは、元々何かだった得体のしれないもの。溢れる腐臭。そして喚く兵達。ただメイジだけは、フライで宙に浮いていた。今ほど魔法が使えたら、と思う事はない。なんと言っても、両脚は、汚水に浸かったままなのだから。

 

 彼女は目に着いた衛兵を、どなりつけた。

 

「そこのお前!」

「はい!?」

「私を抱えなさい!」

「はぁ!?」

「いいから、やりなさい!」

「は、はっ!」

 

 お姫様だっこされるシェフィールド。なんとか汚水からは逃れた。しかし、腐った匂いはどうしようもない。

 それはもう、真夏のさなか、一週間締め切った生ゴミ処理施設に、入り込んだかのよう。もはや臭いなどという生易しいものではなく、頭にガンガンくる強烈な何か。30分もいたら、気を失ってしまいそうな何か。

 

 半ば息を止めつつ、目を流す。すると、宙に浮いている警備隊長を見つけた。

 

「隊長!窓を開けなさい!」

「そ、それが固定化を何重もかけ、鍵まで変えたので、簡単には開かないのです」

「!」

 

 防御力を強化したのが仇になった。白の宮殿が、今や汚水タンクかという状況。

 シェフィールドは、苛立ちをそのままぶつける。喚きたてる。

 

「原因は何!?」

「昨夜から高地に雨が降ったため川が増水しており、下水道の水位が上がっていたのですが、さらにこの大雨で限界を突破したようなのです。それで、トイレが溢れかえっており……」

「トイレを、塞ぎなさい!」

「しかし、雨が止んだ後に、困った事になりますが……」

「状況を考えなさ……!」

 

 いっぱい喚いたので、たくさん空気を吸ってしまった。もちろん匂いも。またも、すっぱいものがこみ上げる。

 

「うっ……!や、やりなさい!」

「は、はっ!」

 

 隊長は慌てて人を集めだした。

 シェフィールドには、慌てて去っていく隊長の姿が目に入らない。頭がくらくらしてきた。息を抑えているせいで酸欠になっているのか、強烈な腐臭のせいなのか区別がつかない。

 

 その時、彼女の体が宙に浮いた。衛兵が、彼女を放り投げていた。

 

「きゃっ!?」

 

 皇帝の秘書、汚水の中に落下。茶色の飛沫が上がる。

 

「お前!何を……!ぎゃぁぁぁっ!」

 

 手で押さえていた、プニュっとしたものに気づいた。トイレでよく見る、濃い茶色の塊に。半ば錯乱している彼女。四つん這いんになって、そこから逃げ出す。汚水がバチャバチャ舞い上がる。もうドレスはおろか髪まで、腐臭まみれ。

 ようやく立ち上がると、衛兵を睨みつけた。

 

「き、貴様……!」

 

 だがその衛兵の瞳には、光がない。意思をまるで感じない。彼女は一瞬、不思議に思ったが、次の瞬間その意味を悟る。水の精霊の影を。

 しかしその時、声が届いた。耳にではなく頭の中に。

 

(見つけたぞ)

 

「しまっ……!」

 

 シェフィールドはその言葉を最後に、意識を失った。

 しかし何故か彼女は、倒れたりしない。むしろ、しっかりと背筋を伸ばしていた。ただ、顔から感情が消え失せる。まるで別人にでも、なったかのように。そう、彼女は乗っ取られてしまったのだ。

 

 シェフィールドは辺りを見回すと、他の衛兵に声をかける。その声には、さっきまでの動揺した響きが微塵もなかった。

 

「おい、貴様」

「はい」

「外に出て、馬を一頭用意しておけ」

「しかし窓も扉も開きませんが……」

「開けろ」

「は、はっ!」

「それと隊長に、トイレを塞ぐのは止めろと言え」

「はい」

 

 衛兵は、ただちに命令を伝えに行った。

 

 やがて彼女は、汚水など気にも留めず、ずんずん進みだす。そして、罠を仕掛けている部屋にたどり着く。扉を開けると、異様なゴーレムが数体佇んでいた。彼女のコピーも。しかし、動く気配はない。せっかく用意した万全の対策も、まるで役立たず。

 部屋の様子に構わず、目標のゴーレムに近づいていく。

 

「こんな所に、仕舞っておくとは……」

 

 手慣れた作業で、ゴーレムの鎧を開けた。目標のものが目に入る。『アンドバリの指輪』が。

 

「返してもらうぞ」

 

 大切そうに指輪を抜き取り、左手に嵌める。

 無表情ながらも、どこか安心したかのよう。本人にとっては、手元から無くなったのはほんのわずかな期間だったろう。だがそれでも、他人の手によって、身から離れたのは許しがたかった。しかも、よりによって人間の手で。

 その時、ふと思い出した。異界の者達の考え方を。表情が元に戻る。

 

「さて……」

 

 彼女は目的のものを手にいれたのだが、次の場所に向った。行先は地下。もう腰ほどの高さに汚水が溢れているが、シェフィールド、相変わらず気にしない。そして自室にたどり着いた。

 

「これか……」

 

 金庫から品を取り出す。『始祖のオルゴール』と『風のルビー』。その二つを手にすると、部屋を後にした。

 

 一階に戻ったシェフィールド。ようやく窓が開いたのか、少しばかり匂いが薄まっていた。衛兵に声をかける。

 

「馬は用意できたか」

「あ、はい」

 

 礼も言わず、視線をずらす彼女。するとその背後から、近づいてくる兵がいた。さっき彼女を汚水に突き落とした衛兵だ。表情は、さっきと同じく能面のよう。

 彼はシェフィールドの脇を過ぎると、窓から出ていく。外はもちろん大雨。しかし、まるで気にしてないふう。やがて彼女は衛兵に、二つの指輪とオルゴール、そして皇帝の通行書を渡した。

 やがて二人は別々に動き出す。お互いの意思が、伝わっているかのように。だが二人には、まるで会話がなかった。側の兵は、不思議に思いながらも首を捻るだけ。

 やがて衛兵は馬に乗り、城外へ。一方、シェフィールドは、宮殿奥へと進みだした。

 

 汚水流れる廊下を進むシェフィールド。飛び散る茶色の液体に構わず、上流へと向かっていた。

 そして、たどり着いた先はトイレ。宮殿を床上浸水させている元凶のトイレ。今でも、汚水を吐き出している。ついでに、いろんな汚物も。警備隊長や兵達は、ただただ茫然と眺めていた。

 

「こ、これは、ミス・シェフィールド」

「……」

「塞ぐのを中止しろとの命令ですが、本当によろしいのですか?」

「ここは私が処理する。貴様たちは配置に戻れ」

「はぁ……。それではお任せします」

 

 命令を聞き、ちょっと喜ぶ兵達。よほどこの匂いから、逃げ出したかったのだろう。急いでトイレから去っていった。

 

 一方、残った秘書。足に絡みつく、なんか分からん汚いものなど気にせず、トイレに突入。部屋の真ん中まで来ると、立ち止まった。視線の先にあったのは便器。じゃぶじゃぶ汚水を吐き出している便器。

 

「異界の者に触れて、いくつか気に入った考えがある」

 

 便器からは、黒いのとか、死骸とか、肉の残った骨とかが、噴き出していた。

 

「借りは返さないといけないそうだ」

 

 茶色い濁った水とか、なんとも言えない腐臭とかが、嫌になるほど湧き出ていた。雫も当然、飛び散りまくり。

 そんな便器を、シェフィールドはロックオン。

 

「釣りはいらない。取っておけ」

 

 そうつぶやくと、汚水溢れる便器に……

 頭から突っ込んだ。

 

 それから、しばらくして。行方知れずとなった彼女は、トイレで溺れていた所を発見されるのであった。命は、辛うじて取り留めたという。

 

 

 

 




描写面ちょっといじりました。

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