日もすっかり落ち、ラグドリアン湖には双月が映し出されていた。
夕食も終わり、一同はそれぞれの用意された部屋へ行く。各々が就寝までの時間を気ままに過ごし、そろそろ寝静まるかという時間。明かりの少なくなった屋敷から、人影が一つ出た。
その人物は厩舎へと向かうと、自分の使い魔へ話しかける。
「シルフィード」
「ん……何?おねえさま。今から寝ようって思ってたんだけど」
「仕事」
「え~……。またなのねー。お仕事じゃなくて、いじわるされてるだけなのにー」
「文句言わない」
シルフィードはブツブツ言いながら、横になっていた体を起こす。
タバサの使い魔、シルフィード。学院ではただの風竜として知られている。だが実は話す事もできる知能の高い風韻竜だった。非常に希少な存在だが、その希少性さ故にトラブルになるのを避けるため、あえて正体を隠しているのだ。
タバサは未だブツブツ文句を言っているシルフィードを厩舎から出すと、目的の場所へ向かおうとした。
実家に帰って来たのは、母の治療のためだけではなかった。もう一つの理由があったのだ。王家から命令されている、いつもの汚れ仕事の方の役目が。
「お出かけですか?」
不意に後ろから声がかかる。
タバサは瞬時に杖を抜くと、声のした方へ振り向いた。
同時に眩しい光。思わず目を伏せる。
「驚きの表情、一枚いただきました」
タバサがゆっくりと瞼を開けると、黒い翼の翼人が見えた。いや、そうじゃなくって、カメラを向けたパパラッチが。
「聞いてたの?」
「はい」
「この子が話すのも?」
「ええ、お二人で話してましたからね」
「…………。驚かないの?」
「ん?そのドラゴンが話した事ですか?」
うなずくタバサ。文はそれに、少し意外そうな顔を返す。
「あやや。私達が気づいてないと、思っていたのですか。タバサさんは妖怪の五感を甘く見過ぎですね。シルフィードさんが話すのは、ずっと前から知ってましたよ。まあ、幻想郷では人語を話す妖獣は珍しくもないので、気にしてませんでしたが」
タバサは、驚きの表情を浮かべていた。
自身では気配に注意して、シルフィードと会話していたつもりだった。しかし、ヨーカイの能力は想定を超えていた。いや、人間の能力では、彼女達の気配を察知するのは無理だったのかもしれない。
タバサは文に向き直る。
「秘密にして欲しい」
「なるほど。口止め料に、何かいただけるという訳ですね」
「……」
なんというしたたかさか。ルイズからの話や学院で文が起こした騒ぎから、彼女の性格を知っていたとは言え、小憎らしい烏天狗である。
そこに、もう一つ声が入って来る。
「何を言ってるんですか。あなたも、妖怪である事を伏せてるでしょうに」
「ち……。余計な事を……」
少し不満そうな文の上から、ゆっくりと降りて来るその姿。学院ではあまり見ない人物である。永江衣玖。天使と聞いている存在。
すると、さらに衣玖についてくる人影追加。楽しそうな声といっしょに。
「何、何?どっか行くの?」
比那名居天子。もう一人の天使で、ルイズの使い魔。
タバサ、一つ溜息。人目を避けて出かけようとしたが、無理だったようだ。いや、”人”目だったら、避けられたかもしれないが、相手は”人”ではなかった。
やがて屋敷の部屋にいくつかの明かりが灯りだす。どうも言いふらして回ったのがいたらしい。タバサは少しばかりうんざり。幻想郷組関連で、ルイズが喚きたてている事が何度かあったが、ちょっと気持ちが分かる気がした。
双月に照らされた湖畔を、ゾロゾロと歩く少女の集団。結局、全員来てしまった。ついでにシルフィードとフレイムも。
先頭のタバサは表情を変えないながらも、開き直っている。王家からの汚れ仕事は、なるべくなら誰にも見せたくなかったが、最早この状態なので。
隣を歩いているキュルケが、尋ねてきた。
「水臭いわね。家の事話しちゃったんだから、隠すことないでしょ。手伝ってって言えばいいのに」
「今度からそうする」
やけに素直なタバサに、キュルケは少しばかり驚く。家の事情を話したのが、彼女の胸の内を解きほぐしたのかもしれない。炎のメイジはやわらかい笑みを浮かべる。
「それに今は、いろいろできるヨーカイがたくさんいるんだから、頼めば一発で解決しちゃうでしょ」
その提案に、忠告が入る。専門家から。ルイズである。
「止めといた方がいいわ。連中に借りを作ると、ややこしい事になるから」
「あー、それもそうね」
比較的、幻想郷組の側にいた事が多かったキュルケとタバサは、この連中が気まぐれで打算的なのをよく分かっていた。よほどの事がない限り、タダで何かやってくれるような連中ではないと。
ルイズはタバサの隣に寄ると、訊ねた。
「それで、今度の仕事って何?」
タバサは湖の方を指さす。一瞬、なんの事か分からなかったルイズとキュルケだが、すぐに気づいた。
「浸水してる家があるわね」
「水が増えてるの?」
うなずくタバサ。
つまり、このラグドリアン湖の水位を下げるのが仕事という訳だ。ルイズは、少しばかり拍子抜け。結構まともな命令なので。
「へー、汚れ仕事ってもう少し酷いのかと思ってたわ」
「ルイズは能天気ねぇ」
「何よ」
「大雨が降った様子もないのに、水かさが上がってるのよ。水の精霊が関係してるに違いないわ」
キュルケの言葉に、タバサもうなずく。
水の精霊。ラグドリアン湖に古くから存在している。水属性の先住魔法を使い、人間をはるかに超越していると言われている。それ以上はよく分からないが、それだけでも人には手に余るものに思えた。
前行く人間の話を聞いている人外達と普通の魔法使い。うさぎ耳が感心した声を漏らす。
「へー。こっちの精霊ってそんな事もできるのね」
「私達の言う精霊とは違うと思うわ。どっちかっていうと、妖精じゃないかしら」
人形遣いが解説。すると隣の白黒が一言。
「パチュリー、連れてくればよかったな。アイツが喜びそうなネタだぜ」
さらに後ろにいる天人は、楽しそうな表情を浮かべている。
「こっちの妖精か。決闘してみようかしら」
「総領娘様……。なんで戦うって発想になってるんですか。こっちに来て、バトルフェチになってませんか?」
「ふふん。あのさ、話は変わるんだけど。衣玖はなんで来たの?」
「暇だったもので。それに、湖に興味がありましたから」
天子は衣玖が水妖だったのを思い出す。さて烏天狗はというと、まるで関係ない事をしていた。いつもの営業スマイルで。
「シルフィードさん。お話しするのは初めてですね。私、射命丸文と申します。以後、お見知りおきを」
「…………」
「タバサさんの使い魔という事ですが、あの方、複雑な経歴をお持ちなんですね。その点、お詳しいんでしょうか?」
「きゅ……きゅい……」
風韻竜は、キュルケ達がいる状況で、次々と質問をぶつけられる。会話する訳にいかない彼女は、苦虫を潰したような顔でなんとか鳴き声を上げるだけ。元々おしゃべり好きだけに、まさに拷問。
しばらく進むと、開けた浅瀬が見えてきた。タバサはここで水の精霊と対するらしい。だが近づく目的地に気配を感じる。同時に話し声が届いた。それも聞き覚えのある声。ルイズ達も気づいたらしい。
声の方へ急ぐ一同。すると、見覚えのあるシルエットが目に入る。
「ギーシュ!少しでいいから離れてて。お願いだから」
「やっぱり、モンモランシーは僕の事が嫌いなんだぁ」
「そうじゃないわよ。でもこれじゃ、儀式がやりにくいからよ」
「僕より儀式の方が好きなんだぁ!うわああああ~~ん!」
足を止めたルイズ達。彼女達の視線の先にあるのは、知った顔。クラスメイトのモンモランシーとギーシュである。思わず駆け寄る。
「ねえ。あんた達、何やってんの?」
「え゛?ル、ルイズ!?あ、キュルケ……タバサも……。それに……」
ぞろぞろと現れた集団に、モンモランシー少しばかり腰が引く。頬が引きつる。幻想郷組の正体を知っているので余計に。
キュルケは首を傾げながら尋ねた。
「恋人同士が湖畔でロマンチックなひと時を、って感じじゃないわね。だいたい、どうしちゃったのよ?ギーシュ。変よ」
「えっと……その……。ほ、惚れ薬を飲ませちゃって……」
「惚れ薬って……。それ禁忌でしょ?っていうか、ギーシュってあなたの事、好きだと思ったんだけど。別にいらなかったんじゃないの?」
「だって!……浮気ばっかりするんだもん!」
「それでやっちゃったのね。だけど見てると、成功したように思えないわよ。あなたに惚れ込んだって言うより、母親に甘える駄々っ子にしか見えないわ」
「…………。なんか……うまく行かなかったのよ」
落ち込むモンモランシー。キュルケの言う通り。ギーシュは確かにモンモランシーを大好きになったようだ。親に懐く子供のようになったのは、予定と違っていただろうが。
金髪縦ドリルのクラスメイトは、視線を落としてつぶやく。
「それで……。治すクスリを調合しようと思ったんだけど、『精霊の涙』が足らなくって……。ここの水の精霊に、譲ってもらおうと思ったのよ」
「へー、ここの精霊って、そんな事もできるのね」
するとずっと黙っていたタバサが、前に出て来る。
「モンモランシー。譲ってもらうのは、どうやって?」
「水の精霊と交渉して。私の家、代々ここの精霊との交渉役を務めてたのよ。ただ今は……ちょっと……上手く行ってないけど……」
「頼みたい事がある」
「何かしら?」
「水の精霊と話がしたい」
「タバサが?なんで?」
今度はルイズが口を開いた。
「ほら、湖の水位が上がってるでしょ。タバサはこれを元に戻しに来たの」
「なんでそんな事を?もしかして、近くに実家の所領でもあるの?」
「え!?ほ、ほら、ここに住んでる人たちが困ってるからよ!」
意表をつかれ、慌てふためくルイズ。タバサの実家が近くにあるのは、伏せとかないといけない。何しろ不名誉印の王族なんて事が広まったら、ただでは済まないので。
挙動不審な動きでルイズは、なんとかごまかそうとしていた。だが、モンモランシーは、首を傾げるだけ。
「?」
「と、とにかく、やって欲しいのよ!あなたも水の精霊に、お願いするつもりだったんでしょ!?」
「そうね。いいわ。二つも願いを聞いてくれるか分からないけどっ……て、ギーシュ……」
相変わらずギーシュはモンモランシーにまとわりつきながら、喚いていた。もうウザイというレベルで。
するとタバサが杖を抜く。
ギーシュが突然、空へ飛んでいった。『レビテーション』で浮かしてしまったのだ。空でバタついている色男。タバサは、変わらぬ表情で、モンモランシーの方を向く。
「はじめて」
「え、ええ……。さ、ロビン。出番よ」
モンモランシーは腰の袋から、カエルを取り出した。彼女の使い魔、ロビンである。彼女は指に針で小さな傷をつけると、ロビンの頭に一滴血を落とした。
「さ、お願い。水の精霊を呼んできて」
ロビンは湖に飛び込むと、あっという間に潜っていった。
しばらくすると、小さな使い魔が水面の上に顔を出した。ロビンは岸まで泳ぎ、主の元へ帰っていく。
「ロビン。ご苦労さま」
使い魔の労をねぎらうモンモランシー。
すると今度は湖面に波が立ちはじめる。迫って来るような波が。それはロビンと同じコースを辿り、近づいてきていた。何か大きなもの。期待と不安。各々がいろんなものを胸に浮かべ、迫る波を見つめていた。
夜も更け、ヴァリエール領の主の城もわずかな明かりを残すのみ。公爵夫妻はベッドで、眠りに入るまでのわずかな時間を楽しんでいた。
ふと、公爵が愛妻へと声をかける。
「そう言えば、グラモン伯から手紙が来ていたよ。いつもの他愛のない話だったが、お前について一つ気になる事があった」
「何ですか?」
「噂にすぎないのだが、近く、お前に勲章が授与されるかもしれないそうだ」
カリーヌは、怪訝な表情を公爵に向けた。
「どういう訳ですか?私は何もしてませんが」
「ラ・ロシェール戦での英雄的行為に対する、栄誉だそうだ」
「私達は、間に合わなかったではありませんか。それがどうして、ラ・ロシェールで戦った事になっているのです?」
アルビオン軍との決戦に出陣した公爵夫妻だが、結局、現地に着く前にトリステイン勝利で決着。一戦も交える事はなかった。それは王家も知っているはずだった。
公爵が苦笑いを含みながら、答えを告げる。
「それがな。おまえは何でも密かに我軍から抜け、単身アルビオン軍へ潜んだのだと。『烈風カリン』となってな。そこで大暴れ。英雄の活躍でアルビオン軍は大混乱。おかげで祖国は勝利したそうだ。英雄はまた勲章を一つ増やす。という訳だ」
「ま。おとぎ話のような、微笑ましい話ですこと。もちろん私は辞退します」
カリーヌはあまりのバカバカしさに、面白くなさそうに返す。
烈風カリン。演劇の題材にもなっているこの英雄は、実は公爵夫人カリーヌその人だった。在任中は通して男装だったため、実は女性と知っている者はわずか。そして退任後、姿をくらます。正体も定かでない英雄は、やがて伝説となった。もちろん、姿が消えた理由は女性に戻ったからなのだが。
寝る前のちょっとした笑い話。そんななごやかな雰囲気だったが、わずかに公爵の口調が厳しくなる。
「ところで、烈風カリンを最初に口にしたのは、陛下だそうだ」
「もしかして……侵入を果たしたのは、『銃士隊』ではないでしょうか」
「平民出の貴族が最大の成果を上げたので、反発を買うのを避けるため……か」
「はい。そこで行方も知れぬ者に栄誉を与え、有耶無耶にしようと」
カリーヌはそう言いながらも、腑に落ちないものがあった。銃士隊はアンリエッタの肝入りでできた平民出身の近衛兵。むしろ栄誉を与えて、貴族達に力を認めさせるという選択肢もある。なんと言っても救国の英雄だ。文句も言いづらくなるだろう。
一方、公爵は彼女とは別の考えを持っていた。
「私はルイズではないかと思っている」
「ルイズが?まさか」
「正しくは、あの子の言う異界の者ども。それならば、予想外の事も起こり得るだろう。それに……勲章の話が、今になってというのも、引っ掛かってな」
「そう言えば……アルビオンへの出陣が噂されておりますね。戦にラ・ロシェールの英雄を、つれて行くという話が出ているのでしょうか?」
「だろうな。だが英雄が異界の者どもでは、明らかにする訳にもいくまい。そこで、英雄を行方のしれぬ者にし、ごまかそうとしているのではないかと思っている」
「ですが、そうなると秘密裡に、連れて行こうする可能性もあります」
「その場合は、ルイズも同行する事となるだろうな。異界の者どもと折り合いつけられるのは、あの子だけだろうし」
夫妻は天上を見つめながら考え込む。予想される難事について。
やがて、公爵はポツリとこぼした。
「何にしても、その者達の招待は、我が子の恩人を迎えるというだけでは済まなそうだ。気持ちを引き締めねばならんだろう」
「私は、そんな者共と付き合っている、ルイズの方が心配です。また妙な厄介事に、巻き込まれてるのではないかと」
だがもう、厄介事に巻き込まれつつあった。知らぬは親ばかりだったりする。
双月が照らす湖畔。見上げる少女達の視線の先にあるのは、水で出来た人型。透明な裸のモンモランシーだった。宝石のように光を反射するその姿は、神々しさすら感じる。それが水面から柱のように伸びていた。これこそ、ラグドリアン湖の水の精霊だった。
モンモランシーは一歩前に出ると、その人型に話しかける。少しばかり、緊張しながら。
「水の精霊よ。私はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。血に覚えがあるかしら?覚えていたら、私達に分かる言葉で返事をしてちょうだい」
水の人型は様々な表情を浮かべていた。人型の身を試すように。だが、やがて静止する。そして口を開いた。
「覚えている。単なる者よ」
「よかった」
ホッと一息。門前払いにならずに、済んだようだ。一つ咳払いをすると、本題に入るモンモランシー。
「いくつか頼みがあるの。まず一つは、あなたの一部を分けて欲しいの」
水の精霊の一部。これこそが精霊の涙である。涙とは俗称で、この秘薬はまさに精霊そのものだったのだ。
ラグドリアン湖の精霊は、彼女の依頼にすぐ解答。
「断る」
一言で。
希望があっさり絶たれた。モンモランシー、真っ青。慌てて、いろいろ言葉を並べ始める。
「い、以前、無礼を働いたのは謝るわ!父さまに代わって!だから、機嫌を直してもらえないかしら!?」
「…………」
「その……!あの……!私にできる事なら何でもするから!」
モンモランシー、跪いての必至の懇願。すると精霊からリアクションがあった。相変わらずの無表情だが。
「よかろう」
「よかった……ありがとう。それで何をすればいいの?」
「貴様らの同朋に盗まれた、我の秘宝を取り戻してみよ」
「秘宝?」
「『アンドバリの指輪』」
「聞いた事あるわ。確か水のマジックアイテム……。うん。分かったわ。それで、いつまで」
「貴様の生が尽きるまでに」
モンモランシーはその言葉を聞きホッとする。期間は一生。それほど長い時間があれば、いつか見つけられるだろう。これでギーシュを戻せる。そう思った。だが精霊の話には続きがあった。
「秘宝を取り戻した暁に、我の一部を渡そう」
「え!?今じゃないの?」
「約定を果たした時のみだ」
「ええ~~!!」
茫然。うつくむモンモランシー。
ハルケギニアの、どこにあるかもわからない秘宝。いつ見つかるのやら。それまでギーシュはこの状態。もしかしたら、薬の効果が切れるかもしれないが。少なくとも、すぐに解決しないのは確定となった。
沈み込んでいる彼女を他所に、今度はタバサが話はじめた。
「水の精霊。もう一つ頼みがある。湖の水位を上げるのを、やめてもらいたい」
「貴様の望みは、秘宝が戻れば叶う」
「何故?」
「秘宝を探すためだ。水が触れれば、秘宝は我が手に戻る」
「見つかるまで、水かさを上げるという事?」
「さよう」
話を聞いてルイズとキュルケは唖然。
「なんて気の長い……。指輪に水が触れるまでって、いったい、いつまでかかるって言うのよ」
「始祖の時代からいるって言われてる水の精霊だもの。時間の感覚とかないんじゃないの?」
ただただ、あきれるしかない。今のペースで水かさを上げて行っては、場所によっては何百年と必要となる。ルイズやキュルケ、タバサは、精霊の時間感覚の違いを思い知らされる。
だが、全然違う感想を持ったのが一人。ずいっと精霊の前に出る。ルイズの使い魔の問題児が。
「アンタ、頭悪いわね」
その一言で、一斉に視線が集まる。天人に。
「天子!」
黙らせようと飛びかかったルイズをかわし、宙に浮く。水の精霊に面と向かった。
「アンタ。ハルケギニア、水に沈めても探すつもり?」
「その通りだ」
「やっぱり妖精程度の頭だわ。そんな事したら、他の縄張りの連中が、アンタつぶしに来るわよ」
ハルケギニアには様々な者が存在している。もちろん人間以外も。妖魔だっている。精霊だって他にもいるだろう。彼らが水浸しになって、黙っているハズもない。範囲が広がるほど、敵だらけになっていく。こんな発想も幻想郷の住人だからか。幻想郷で似たような事すれば、妖精、妖怪、神やら、巫女やらまでやってきてタコ殴りだ。
「それこそ、指輪探し所じゃなくなるわよ。秘宝が見つかるより、湖がなくなる方が先だと思うけどねー」
「…………」
氷の様に固まって黙り込んでいる水の精霊。やがて一気に溶ける様に湖の中に戻っていった。
広がる波紋を見下ろして、天子が一言。
「あ、すねた」
ゆっくり降りて来る天子に、主が駆け寄って来る。顔に憤怒を張り付けて。
「な、何やってんのよ!」
「侮辱したなぁ!ゆるさん、決闘だー!とかなると思ったんだけどねー」
「はぁ!?決闘?そんな事してる時じゃないでしょ!だいたい、禁止って言ったじゃないの!」
「相手、貴族じゃないし」
「あ、あんたは……!!」
ルイズには言葉がない。振るえる拳を強く握るのが、精いっぱい。
次にモンモランシーの罵声が飛び出す。
「なんてことしてくれるのよ!これで絶対、水の精霊の涙なんて、譲ってくれなくなっちゃったじゃないの!」
「世界のどこにあるか分からない秘宝、探さないとくれないんだもん。譲らないって言ってんのと、同じでしょ」
「だ、だからって……!」
相変わらずのふてぶてしさの天子に気圧されたのか、矛先が変更された。
「ルイズ!使い魔の失態は、主の責任よ!なんとかなさい!」
「私!?」
「そうよ!水の精霊の涙、買ってきて!メチャクチャ高いから、覚悟しときなさいよ!」
またお金の話かと、ルイズはクラクラしてくる。せっかく魔理沙達の話に、目途が立ったというのに。貧乏神でも、取り付いているのだろうか。
すると、外野から声が挟まれる。白黒魔法使いからの。
「ま、でも天子の言い分にも一理あるぜ」
「そうね。ハルケギニア、水没させてただで済む訳ないものね」
アリスも彼女に同調。ルイズもよく考えてみれば、水の精霊の考えている事はかなり無茶筋だとは思う。しかし納得いかない。
「だからって、言い方ってもんがあるでしょ!」
「まあな。それはルイズの言う通りだな」
やっぱり外野なのか、気軽な態度で返事。ルイズがヒスってようが、お構いなし。
そんな騒ぎの中に溜息一つ。
「はぁ。私がなんとかしましょう。総領娘様の粗相ですし」
竜宮の使い、永江衣玖だった。
彼女はすぐに湖の上空に上がる。すると、真っ直ぐ落ちてった。水柱を上げ、一気に潜って行く。
その様子をみて慌てたのが、モンモランシー。
「ちょ、ちょっと何やってんのよ!水の精霊相手に、生身のまま潜るなんて!」
「大丈夫よ。水妖だし、伊達に龍神相手にしてないから」
腕を組んで仁王立ちの天人は、不敵に答える。
幻想郷の龍神は全能の最高神であるが、水を好む所がある。衣玖は、そのメッセンジャーという立場だ。水を扱うもの相手は、慣れていると言うのだろう。
ただモンモランシーは言われている事の意味が分からず、首を捻るだけなのだが。
しばらくすると、また波が近づいて来た。水の精霊が現れた時と同じものだ。やがて、水の精霊が人型となって湖上に現れた。今度は衣玖の姿で。同時に、水中から飛び出す姿が一つ。本物の衣玖だった。彼女はそのまま、岸へと降りて来る。
「なんとかなりました。少々条件が厳しくなりましたが」
「厳しく……」
ルイズとモンモランシーは不安を込めて言葉を漏らす。一体どう厳しくなったのか。
「一生との期限を、一年にするとの事です」
「一年……」
一気に、期間が数十分の一に短くなった。
それでも全く手に入らなくなるより、はるかにマシだ。ルイズも、自分にとばっちりが飛んでくる事もなくなったので、少し表情を緩める。
だが、ふと視界に入った緋色の光が、嫌な予感を呼び覚ました。思わず向けた視線の先では、使い魔が『緋想の剣』を抜いて頭の上でくるくる回している。楽しそうな事をしようとしている、あの表情で。
ルイズ、杖を向けて、魔法発動。
「天子!ダメよ!」
天人の足元が爆発。
しかしそこに姿はなく、天子は空へかわしていた。ルイズに構わず、水の精霊に突貫。
「あんたってヤツはぁ!」
ルイズもすぐに飛ぶと、弾幕準備に入る。
ところが天子の方はルイズに背を向けたまま、水の精霊と対していた。そして剣を鞘に納めると、人差し指を突き立てる。天に向けて。
「一ヶ月!」
「……」
一瞬誰もが何を言っているのか分からなかった。
「一ヶ月で、秘宝を取ってきてあげるわ。その代わり、一つ貸しよ」
「……よかろう」
「うん。約束したからね」
大きくうなずくと、天子は満足そうに戻っていった。
待っていたルイズは、またも勝手な事やっている使い魔に怒り心頭。ヒステリーを爆発させ、いろいろ喚きたてている。一方、モンモランシーはさらに顔が青くなっている。数十分の一になった期限が、さらに十分の一以下になったのだから。
しかし、鉄面皮の天人は彼女達の様子を意に介さず。むしろ楽しそう。そんな天人に竜宮の使いが声をかける。
「総領娘様。見当はついてるのですか」
「まあね」
ルイズの罵声が止まった。
「え!?もう、どこにあるか分かってんの?」
「私はバカじゃないわよ。じゃないと、こんな取引する訳ないでしょ」
「う……。じゃあ、どこよ」
「ふふ~ん」
自慢げに緋想の剣を抜く天人。そして北西の空の方を指した。
「あの妖精……じゃなかった精霊の気をあっちの方に感じるの」
「だとしても、なんでそれが、アンドバリの指輪って分かるのよ」
「"水は低きに流れる"よ。この湖より下にあるはずのものが、なんで上にあるのかしら?」
「あ、なるほど。指輪しか考えられないか」
「そういう事」
さらに胸を張る天人。
一方で、用が済んだはずの水の精霊は、まだ人型を保ったままだった。ふと口を開く。
「助けになるか分からぬが、盗んだ個体について教えよう」
話を止め、一斉に注目する。
「数個体の単なる者が、我が秘宝を盗んでいった。その内の一つは『クロムウェル』と呼ばれていた」
その名を聞いて、ハルケギニアの住人は神妙な顔。やがて、キュルケがポツリとつぶやいた。
「確か、神聖アルビオン帝国の皇帝もそんな名前ね」
続いてタバサも。
「さっき指した方角には、高い山はない。あるのはアルビオンだけ」
今の会話で、だいたい察しがついてしまった。ルイズが震える声でつぶやく。
「ま、まさか……アンドバリの指輪がアルビオン帝国に……?」
「決まりじゃないの。武器として使ってるんじゃないの?しかもそんな秘宝レベルのマジックアイテムだもの。ロンディニウムにあるんじゃないかしら」
キュルケの返事に、愕然とするルイズ。つまり、アンドバリの指輪を取り返すには、ロンディニウム、敵本拠へ突入しないといけないという事だ。すかさず天子の方を向く。
「天子!あんた!どうやって……」
と言いかけて言葉を止める。ふと思った。あのアルビオン軍を撃退した彼女達だ。神聖アルビオン帝国の本拠とは言え、案外いけるかも、という考えが浮かぶ。
しかしそんな彼女の淡い期待を、砕く声。アリスである。
「天人ならなんとかなるかも、とか思ってるなら、考えを改めた方がいいわ」
「だって、あなた達、アルビオン軍を撃退したじゃないの。そりゃあ、今度は相手の本拠地だけど」
「撃退なんかしてないわよ。私達がラ・ロシェールでやったのは、敵を混乱させただけ。実際にやっつけたのはルイズとトリステイン軍でしょ?それに天子には五戒の縛りがあるのよ」
「…………」
当時を思い出す。艦隊を沈めたのはルイズの『エクスプローション』で、最終的に全軍を降伏させたのはトリステイン軍だった。幻想郷メンバーは、一兵も倒していないのだ。
希望が消え、動揺するルイズ。顔から血の気が引いていく。天子のせいで、モンモランシーはともかく、タバサにまで迷惑かけかねない状況になってきた。
「天子ぃ!」
「な、何よ!」
「何がバカじゃないよ!あんた、バカでしょ!どこにあるかちゃんと確認しないで、あんな約束して!どうすんのよ!」
「と、取り返せばいいんでしょ!いいわよ!今から行って来るから!」
天人は要石を出現させると、すぐに飛び乗った。
だが鋭い音とともに、レーザーに要石が貫かれる。崩れる要石。天子はバランスを崩し、ずり落ちる。
「何すんのよ!」
怒鳴った先にいたのは魔理沙。八卦炉を構えていた。呆れた顔で。
「落ちつけよ。考えなしに行っても、怪我するだけだぜ」
「はぁ!?」
「お前は、知らないかもしれないがな。系統魔法には、鉄をスパスパ切っちまう魔法もあるんだぜ。いくら天人が頑丈だからって、舐めてかかると酷い目にあうぜ」
さらに衣玖も言葉を添えた。
「それに、アルビオンという土地では、おそらく地震が思うように使えないでしょう。総領娘様の能力も、半減と言った所でしょうか」
天子の大地を操る能力は、大地のゆがみを利用する事が多い。だが、空中大陸であるアルビオンは、地震がない事からもそのゆがみが少ないと思われる。これでは、天子フルパワーという訳にはいかない。
「うぐぐぐ……」
天子は歯ぎしりしながら、何か口答えしてやろうとするが、何も出てこない。苦虫つぶしたように唸るだけ。
しかし同じ気持ちなのは、彼女だけではない。まずモンモランシー。ほとんど精霊の涙が手に入る目途がつかなくなった上、一族と水の精霊の和解が絶望的に。次にタバサ。難易度はそれほどでもないと思われた仕事が、高難易度に変わってしまった。そしてルイズ。事態を悪化させた使い魔の主。
吐き出しようがない、いらだちが渦巻いていた。
だが、そんな中落ち着いた声が、ふと入ってくる。
「なら、やる事は一つしかないな」
普通の魔法使い、霧雨魔理沙である。ルイズがいぶかしげに尋ねた。
「ど、どうするのよ?」
「へっ、盗むんだよ」
白黒は、不敵にそんな事を言っていた。
描写面ちょっといじりました。