永遠のアセリア ~果て無き物語~   作:飛天無縫

3 / 9
0-03

 

 険悪の一言では済まされない雰囲気だった。

 互いに憎悪を抱き、きっかけがあれば殺し合いでも始めかねない空気に気圧されたのか、気付いたところで誰も彼らに近付こうとしない。

 

 自分がそんな空気を撒き散らしている自覚もなく、悠人は相手の胸倉を掴み上げた。

 

「言いたいことがあるならはっきり言え」

「おい、よせ悠人っ」

 

 光陰の静止の言葉も今の悠人には届かない。

 

 相手の名は秋月瞬(あきづき しゅん)

 この地方の名門である秋月家に生まれ、文武両道をその身で体現する少年だ。

 しかし人気は皆無。とにかく自分の気持ちばかり優先させたがる行動により、周囲の人間からは精神的にかなりの距離を置かれている。

 かと言って積極的に排斥する者はいない。名家の嫡男への対応を間違えたりしたらどうなるか分かったものではない。教師達も学園への影響を恐れているのか、瞬に対してだけは強く出られない。

 いけ好かないけど手が出せない――それが周囲の評価である。

 

 そんな瞬が唯一拘るのが、悠人の義妹、佳織だ。

 誰も信用しない瞬が。佳織にだけは異常なほど優しい。それが悠人にとって不気味だった。

 不気味で、不可解で、不愉快。不の三拍子が揃った存在である瞬を、悠人は激しく嫌っていた。

 同時に瞬もまた悠人を嫌っている。佳織の側に自分ではない誰かがいる。瞬にとってそれだけで憎むには十分すぎる理由だった。

 

 ――それが意図的に作られた関係であることを本人たちが知る由はない。

 

「触るな」

「触るなじゃねえんだよ。何が気に入らないか説明しろよ」

 

 胸倉を掴む手を瞬の喉へ押し付ける。瞬の顔が一瞬苦痛で歪むのを見た悠人は、さらに腕に力を込めた。

 

 保健室で目覚め、迎えに来た光陰と今日子の三人で教室に戻ったところを偶然出くわした瞬が、悠人の顔を見た途端舌打ちして通り抜ける際に肩をぶつけてきたのが騒動の発端だ。それだけで頭に来た悠人は衝動に任せて正面から瞬にぶつかったのだ。

 基本的に温厚な性格の悠人からは考えられない行動である。

 

(俺が一体何をした! 何がお前をそうさせる!)

 

 激情に駆られた悠人はますます強く腕を押し付け――瞬がニヤリと笑ったことに気付いた。

 突然、自分の脇腹に何かが食い込む。その凄まじい衝撃に悠人は声も出せず手を放し、その場に倒れた。腹部で荒れ狂う衝撃が邪魔をして呼吸もできない。

 

「悠っ!」

 

 倒れた悠人に今日子が駆け寄る。

 

「はっ、何やってるんだよ。だから触るなって言ったろ?」

「か……ぁはっ……」

 

 のたうつ悠人を、ニヤニヤと笑いながら瞬は見下す。冷たい廊下のタイル上でもがく悠人は呼吸を取り戻そうとするだけで精一杯で、何もできない。

 

「野蛮なことをするのは勝手だけど、かっこ悪いぜ悠人」

「随分とえげつない真似するじゃないか、秋月」

 

 二人を守るように前へ出た光陰が口を開く。

 

「仕方ないだろう。先に手を出してきたのはそっちなんだからな」

「だからと言って、携帯握って腹を殴るなんて感心しないな。下手すりゃ命に関わるぞ」

「はっ……よく見てたな。仕方なかったって言っただろ。正当防衛だよ」

「そうは言っても、過剰防衛は逮捕ものだぞ。きちんと加減しないと面倒なことになるからお互いに気を付けような」

「いや、加減とか言う前にそもそも喧嘩するな――って匠?」

「はーい、匠さんですよー」

 

 いつの間に現れたのか、光陰の隣で喋り出した匠に場の全員が驚く。

 しかも無駄に爽やかである。平時はやる気のなさそうな仏頂面が、盆と正月に加えてクリスマスまでいっぺんに来たかのようなにこやか笑顔であり、やたらご機嫌だ。

 会話への加わり方がさり気なさ過ぎて彼の登場をうっかり流してしまいそうだったが、光陰は確かめずにはいられなかった。

 

「お前、今までどこ行ってたんだよ?」

「クソしに便所」

 

 気絶した悠人の側を離れた理由を聞く光陰に、匠は実に短く簡潔に答えた。

 微妙な顔になる光陰を他所に、匠と【悔恨】は現状把握に努める。

 

(こいつ見覚えあるんだけど誰だっけ?)

【秋月瞬。悠人や今日子とは別の意味で有名人だよ】

(あー、あのボンボンね……なるほど、こいつが高嶺と対の契約者か)

【だね。【鷹目】君のおかげで、今なら私にも分かるよ】

 

 学校に戻る際に、風で感じ取れる間合いに入った時から悠人を監視していた匠は、瞬と会って激昂した様子も殴られて倒れたことも見えていたので知っている。なので学校に到着してすぐ彼らの元へ来ることができた。

 それだけでなく、悠人と同じように風を通じてマナの気配を感じ取ることで瞬もまた別世界との繋がりがあることを知る。しかも悠人に共鳴しているような、非常によく似た波動を感じられた。

 

【見たところ、憎しみの増幅だね。あ~あ、二人に挟まれたマナが怯えちゃってる】

(なーる。やつらの好きそうなやり方だ……)

 

 憎しみ。それがもたらす怒り。他人を傷つけるにはもってこいの感情を、意志のあるものは当たり前のように持っている。それを異常増幅させて契約者同士で争うように仕向ける方法は、数多くの神剣が好んで用いる運命操作の一つだ。

 何故か? 都合がいいからである。

 互いを傷付け合うのに最高の感情が最初からあるのだ。わざわざ新しい何かを植え付けなくても、元々あるものを後押ししてやる方が簡単なのは明白である。

 

(ったく、これだから躾のなってない剣は……)

 

 匠としては反吐の出る思いだが、今のところそれは置いておく。

 現状は芳しくない。匠の返事を聞いた光陰は頬をやや引き攣らせ、今日子は露骨に顔をしかめている。瞬は胡乱な目つきを向けており、悠人に至っては這いつくばったままで匠の登場に気付いてもいないだろう。

 四人が立っていた舞台に、部外者が唐突にしゃしゃり出てきたようなものだ。観客がいたらブーイングが飛ぶかもしれない。気にもならないが。

 かと言って、舞台に上がっておきながら何もしないわけにはいかない。ここで匠がするべきことは、

 

「しっかしまあ、ひどいことするねえ」

 

 悠人の味方だ。

 

「何だお前は?」

「そこに倒れてるやつのクラスメイトさ」

「目障りだ、消えろ」

「気持ちいいくらいに断言するね。人のダチに手ぇ出しておいてそりゃないだろ」

「……何?」

 

 匠を見る瞬の目つきが、路傍の石を見やるような素っ気無いものから敵意を帯びた険しい視線に変わる。

 

「ついさっき友達になったばかりなんだが、なったからにはキチンと友人として接しようかと思うんだ」

「お前も疫病神に与する偽善者の同類というわけか」

「ちなみに名前は榎本匠だ、よろしくね~」

「ちっ、カスが……好きなように吠えていろ」

 

【あ、言っちゃった】

 

「おおそうか、なら好きなように吠えさせてもらうとするよ。前々から思ってたんだけどさ、お前の髪の毛って真っ白だよな。その歳で脱色するくらいストレス溜まっちゃってんの? 適度に発散しないと次は胃とか内臓が参っちゃうから気ぃ付けな。目も赤くなって充血しちゃってるし、化粧や目薬で誤魔化せるものにも限度があるからちゃんと睡眠取りなよ」

 

 匠以外には聞こえなかったが、【悔恨】の呟きに被るタイミングで匠はすらすらと淀みなく語り出す。

 へらへらした笑みと相まって、どう考えても挑発にしか聞こえなかった。

 

「貴様……僕に喧嘩を売っているのか?」

「いやいやそんな滅相もございません。ワタクシといたしましては秋月家のお坊ちゃまの健康を配慮した上での発言でありますのでどうか平にご容赦を」

 

 売ってるよ。むしろ吹っかけてるよ。

 ニコニコと人のよさそうな笑顔(やはり挑発でしかない)で続ける匠を睨む瞬の視線が険しさを増し――

 

「……てめぇ…」

 

 その背後で立ち上がった悠人を見て一瞬驚いた顔をした。

 あっさりと匠に興味を無くし、すぐに余裕の表情で声をかける。

 

「おや、大丈夫かい悠人。だいぶ顔色が悪いようだよ?」

「そう言う、てめぇも、顔が引き攣ってるなっ」

「よしなってば、悠…」

「おっとっと」

 

 袖を掴む今日子の手を振り払い、間にいた匠を押し退けて悠人は拳を握る。

 しかし、瞬に向かって一歩踏み出したところで、光陰がその腕をしっかりと掴んだ。

 

「離せよ……光陰!」

「やめろ悠人」

 

 悠人が腕を動かそうとしてもびくともしない。凄まじい力で止めている。

 

「ったく、秋月も悠人もその辺にしておけ。学校で殺し合いでもしたいのか?」

「そうだよ。あんたも悠も、顔合わせるといっつもこうなんだから……」

 

 光陰と今日子の顔を見て、瞬はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 襟元を直し、興味が失せたように立ち去ろうとして、背中を向けたまま口を開いた。

 

「言いたいことを言ってやるよ、悠人」

「……」

「佳織はお前といたら絶対に幸せになれない。どこかに行った方が彼女のためだ」

「またそれかよ。たまには違うこと言えばどうだ?」

「佳織の面倒は僕が見る。絶対にその方がいいんだ!」

「っは! パパにお小遣いもらって、だろ。下らないこと言うのも大概にしろ!」

「話はそれだけだ……いや、後一つ」

 

 そこまで言うと瞬は振り返り、悠人を睨む。

 その視線に込められているのは紛れもない憎しみ。

 

「お前に触られることが、僕にとって最も気に入らないことなんだよ!」

「なんだと!」

「いいか、二度と触るんじゃあない! もし今度、僕に触ったら……本当に殺すぞ!」

「っは、できるもんならやってみろよ!」

 

 言うだけ言うと、悠人の怒声を気にする素振りも見せず瞬は歩き去る。

 その背中が離れていくにつれて、ようやく場の空気が穏やかなものへと戻っていった。

 悠人の方も、瞬の姿が完全に見えなくなったところでようやく落ち着きを取り戻したようだった。

 

「……わりぃ」

「相変わらずだな、お前らも」

 

 小さく笑いつつ光陰は悠人の手を離す。強く掴まれていた部分が赤くなっていた。

 

「ほんっと、あんたたちは仲悪いわねー。前世の因縁でもあるんじゃない?」

「なんだよそれ。別に俺があいつに何かしたわけじゃない。あいつがいつも……」

「その割には秋月と会うと、いつもお前が喧嘩吹っかけるよな。よっぽど合わないのかね?」

「分からない……けど」

 

 悠人は考え込むように言葉を切る。

 

「しかし殺伐ってのはあのことかね。とんでもない空気だったわ」

 

 そこへ響く、場の空気を無視した匠の声。まさにAKY。

 

「なんだ、匠は悠人と秋月のぶつかり合いを見るのは初めてか?」

「ああ、岬のハリセンと違って実際に見たのは今日が初めて」

「どうしてそこであたしが引き合いに出されるのよ」

「細かいことは気にするな」

 

 授業の合間の休み時間でも、匠が廊下に出る用事と言えばほとんどがトイレに行くくらいである。

 廊下で起こる悠人と瞬の接触を目撃することはなく、教室で今日子のハリセンを見ることが多いのは当然だ。

 

 話題を切り替えるように光陰が匠に話し掛ける。

 

「けどずいぶんと長いトイレだったな」

「ああ。でも保健室を出る前にちゃんと置手紙を残したぞ。ベッドに生徒が寝ていて何も伝言がなかったらサボりと勘違いされるからな」

 

 匠が保健室を飛び出す直前に残したメモのことだ。

 ちなみに書いてあった内容は『2-3 たかみね きぜつ』だけである。

 決して偽りの情報ではない……のだが、これを見ただけで分かる者は少ないだろう。たしか保健室には生徒の利用記録帳とかなかったのだろうか?

 光陰たちがそんな風に考えていることを察したのか、匠は慌てて付け足す。

 

「だ、だって仕方ないじゃないか。俺だってあそこまで急に腹が下るとは思わなかったんだ。便意なんて人間にはそう我慢できるもんじゃないし、メモを残せただけいいだろ?」

「……まあ、悠を診てくれたんだし、あんま責めるのも悪いか」

「だな。それで、すっきりしたか?」

「おうよ!」

 

 光陰の問いに、無駄に元気良く答える匠。そんなに嬉しいか。

 

「いやー、あそこまで大量に出たのは久しぶりだったよ。よく、腸が健康だとバナナくらいのやつが二、三本って言われるじゃん? まさか五本分も出てくるとは、俺もびっくりしたさ。今体重計に乗ったら一キロくらい軽くなってるんじゃね? これってば何というダイエッt」

「分かった、分かったから。聞いたのは俺だけどその話はもう止めろ」

 

 ニコニコと語り出す匠を疲れた気分で止めながら、光陰は内心で驚いていた。

 これほど機嫌の良い匠は見たことがない。少なくとも、便の出が良かった程度でここまで喜ぶとは思えないのだが……

 

「それはそれとして、災難だったな高嶺」

「ああ……その、悪かったな」

「何が?」

「瞬とのゴタゴタに巻き込んじまって……ごめん」

「別にいいさ。秋月瞬と高嶺悠人の仲の悪さは学園でも有名だ、俺だってそれくらい知ってる。それに――」

「?」

 

 一度言葉を切る匠だがすぐ続ける。

 

「俺たちは、いわゆる友達になったんだろ? だったら、困ってる時は手助けしないとな」

 

 肩をすくめて何でもないように言う匠の姿に、悠人は救われた気分だった。

 

 この地方における秋月家の影響は大きい。学園の中だけで考えても、瞬に盾突いて平気でいられる者は少ないのだ。

 悠人に影響が出ていないのは佳織が関わっているからであり、関わりのない生徒や教師が立場を危うくしたことも多い。

 そんな相手に真っ向からぶつかる悠人を、匠は抵抗なく友達と呼ぶ。

 それが嬉しかった。

 

 

 

 

 

(さて……掴みはこんな感じかね)

 

 教室に戻りながら三人の様子を見やり、匠は心の中でほくそ笑む。

 

 悠人を利用すると決めた匠は、とにかく彼に近いポジションを取ることに決めた。それも単純に物理的に近いのではなく、信頼を交えた友人にならなくてはならない。

 悠人にとって近しい人間となることで、彼が主人公である物語の登場人物に加わるのだ。そしてその運命に巻き込まれる形で、彼の『渡り』に乗じて匠もこの世界を出る――それが匠の決めた方針である。

 

 秋月瞬という存在は、匠にとっては好都合だった。

 明確な『敵』がいれば行動一つで己の立場を大きく変えられる。対応次第で自分も敵か味方かはっきりするのだ。利用しない手はない。

 結果、榎本匠は高嶺悠人に味方する人間である、と周囲に認識させることができた。上出来だ。

 

 そう考えると勉強会とやらも渡りに船だ。

 早急に仲良くなりたい匠としては、とにかく接触する機会を増やすことが肝心となる。なるべく不自然に思われないようにしなければならないが、元々クラスメイトだし、友達ともなれば怪しさはかなり減るだろう。

 

 決して不可能ではない。

 やるべきことは分かっている。できることも決まっている。

 考え、選択し、その果てに望む結果を得る。

 やるのはいつもと同じこと。

 

【匠……それでいいの?】

(いいんだよ。俺にはそれで十分だ)

 

 打算に満ちた仮初の信頼――匠にとっては、それでも十分すぎる。

 

 

 

 

 

   ***

 

 

 

 

 

 そんなわけで、夜。

 高嶺家へとお邪魔した匠と光陰が紅茶をご馳走になってゆったりとしていたところ、光陰の携帯電話が震え出した。

 

「お、電話だ」

「高嶺か?」

「ああ、悠人からだ……もしもし? バイト終わったか?」

 

 仕事が終わって帰宅途中で電話してきたのだろう。またも風を通じて盗聴をする匠の耳に、二人の会話が届く。

 

「今日子は用事があるって、いったん学園に戻ったぞ。そのまま悠人の家に集合ってことで」

『じゃあ、まだ進んでないんだな?』

「わりぃ、放課後に少し進めちまった」

『そっか……光陰は今どこにいるんだ?』

「今は悠人の家。佳織ちゃんに言って上げてもらった。帰るのがめんどくさくてな」

 

 匠の耳に、寒さを滲ませる悠人の声が届く。遅くまでご苦労様だ。

 そうやってボケッと眺めてる匠に近付くのは、この家のもう一人の住人。

 高嶺悠人にとって、この世の何よりも大切な家族。

 

「榎本先輩、紅茶のおかわりはいりますか?」

「ん、ああ、半分だけもらおうかな」

「はい、どうぞ」

 

 注いでもらった紅茶を飲みながら、匠はこっそり少女を観察する。

 

 高嶺佳織(たかみね かおり)――悠人の義妹であり、光陰も今日子も可愛がっている後輩の少女。

 なるほど、話に聞いていた通りの良い子だ。気配りができ、初対面である匠のことも兄の友人と言うだけで自分もまた友であるように気が置けない空気を自然にまとっている。

 

(なんつーか、小動物っぽさがあるな)

【そだねー、保護欲をくすぐるって感じ】

(そそ、弄びたくなる雰囲気に満ちている)

【いや違うからその感想】

 

 やはりと言うか何と言うか、ずれた感想を抱く匠に【悔恨】は突っ込むものの、彼がこの程度で認識を改めたりしないのは承知しているのでそこで止める。

 

 そんなことをしてる内に、光陰の方で話がまとまったようだ。

 

「分かってるって。相変わらずのシスコンぶりだな、悠人は……あ、佳織ちゃ~ん。悠人もうすぐ帰ってくるってさ」

「お兄ちゃんですか? あ、それじゃお風呂洗っておかなきゃ」

「よし! それじゃ俺も手伝うよ。二人で洗って一気に終わらせよう!」

「え? えっ? あぅ……」

 

 鼻息も荒く乗り気な光陰を見てどう断ればいいのか迷う佳織。

 

『ちょっと待ったぁぁぁ!!』

「なんだよ、安心しろって。熱い風呂沸かしておくから」

『ダメだ! 光陰は風呂への立ち入り禁止。佳織一人にやらせればいい。光陰はくつろいでろって!』

「碧先輩いいですよ。私一人で洗いますから」

 

 佳織の方もやんわりと光陰の申し出を断る。

 

「……っち」

『おい、今舌打ちしなかったか?』

「いや、空耳だろ? じゃあゆっくり紅茶飲んで待ってるわ」

『なあ、今舌打ちしたろ?』

「早く帰ってこいよ。まあ、ゆっくりでも俺は一向に構わんが」

 

 大切な義妹の身に迫る危険に悠人は気が気でないようだ。まあ、電話口でモロに伝わる光陰の鼻息を聞いてしまえば誰だって心配になる。

 ふと、匠は手招きするように腕を伸ばして言う。

 

「光陰、ちょいとパス」

「ん? ああ――じゃあな悠人。匠が話があるみたいだから代わるぞ」

 

 それだけ言うと光陰は自分の携帯電話を匠に投げ渡す。危な気なく受け取った匠は光陰に小さく目礼して電話を耳に当てた。

 

「よー、仕事お疲れさん」

『榎本か? 光陰と一緒に来てた……いや、今はそれより』

「分かってる、二人のことは心配するな。俺がちゃんと監視しておくよ」

『そうか。すまないけど、頼むよ榎本』

「ああ、頼まれた。何が起ころうと手を出すことなく二人の行く末をこの目に焼き付けて一部始終をきっちり監視しておくから心配は要らないぞ。ちゃんと事の顛末を報告してやるから」

『それじゃダメだろ! 逆に心配だ!』

 

 朗らかに告げられた内容はとても安心できるものではなかった。

 

 

 

 

 

 で、その二十分後。

 

「はっはっは! そんなことするわけないだろ?」

「そうだよ~。そんなこと言っちゃ碧先輩に失礼だよぅ」

「そうそう、やっぱり佳織ちゃんは俺のことよくわかってるなぁ」

「いやはやまったくその通り。あんまり親友を疑うもんじゃないぞ高嶺?」

 

 和気藹々とした雰囲気の中、悠人を交えた四人は今日子の到着を待つことになった。

 場所は悠人の自室に移り、ミニテーブルには佳織自慢のブレンド紅茶が湯気を立てている。

 側に添えられているクッキーは匠が持ってきた。高嶺家での印象を少しでも良くしようと打算故に持参したものである。

 

 あの後、光陰の毒牙から佳織を守ろうと電話の後は全力疾走してきたらしく、家に着いた悠人は全身汗だくでもう限界かというほど息が上がっていた。

 そして悠人が一風呂浴びる間に、光陰と匠は勉強道具を広げ、佳織は紅茶を淹れ直し、現在四人で雑談に興じている。

 

「どうだか……佳織はすぐ人を信じるからな。そんなことじゃ、この世の中渡っていけないぞ。悪人に見えないやつほど怖いんだから」

 

 己に非などないと笑う二人を横目でじろりと睨む悠人。こいつらのせいで全力疾走して疲れる羽目になったようなもので、視線には自然と険が宿る。

 

「おいおい、勘弁してくれよ。俺と悠人の仲じゃないか。ね、佳織ちゃん。どうも悠人は俺を誤解してるんだよ」

「そうだよ。碧先輩ってとっても良い人だよ? さっきだって、お風呂掃除手伝ってくれようとしてたんだから。そんなこと言っちゃダメだよぅ」

 

 光陰の泣きつきに応えるように佳織は助け舟を出す。

 

 同情を誘い、母性をくすぐる光陰の手にあっさり乗ってしまうのは、佳織の良いところであり、悪いところでもある。

 人を疑うことを知らない……と言うより、人を疑うことをよしとしないタイプの人間なのだろう。

 

【懐かしいね、こういう雰囲気って】

(そうだな、懐かしいって言えるか)

【なんか佳織って【忘我(ぼうが)】に似てるかも。う~ん、会いたいな~】

(いや、どっちかというと【惑乱(わくらん)】似じゃないか?)

【でも【惑乱】は規律とかけっこう口うるさいし、ちょっと違うよ】

(それもそっか。【忘我】ね……うん、なるほど、似てるわな)

 

 頭の中で【悔恨】と話しながら、匠は思い出す。自分たちの家族――『彼女』に連なる数多の眷属たちのことを。

 もうずいぶんと永いこと会っていない。今日喚んだ【鷹目】も、言葉を交わしたのは実に四年ぶりだ。

 元気にはしゃいでいたやつ。今でも元気にしているだろうか。

 気性の荒いやつ。他のやつと喧嘩なんてしていないだろうか。

 内気で引っ込み思案なやつ。寂しがって泣いたりしていないだろうか。

 気分はまるでお父さんである。事実、眷属たちから見て匠は父のような存在なのだ。

 

 気になる。会いたい。何度も喚ぼうと思った。

 でも、喚ばない。まだ時ではないのだ。無為にマナを浪費できる余裕は今の自分にはない。その事実に歯軋りする度に匠は誓いを新たにする。

 必ずこの世界から出る、と。

 

「いいか佳織、これが光陰の手なんだから、引っかかっちゃダメだっての!」

「ん~~?」

「ほらほら、俺たちは勉強するんだから、佳織は部屋で本でも読んでるように!」

「むぅ~……分かったよ。あ、でもお兄ちゃんご飯まだでしょ? 後で支度するけど……」

「今日子も後で来るだろうから、その時にでも食べるよ。軽く温めれば食べられるもん作ってくれ」

「は~い」

 

 匠が意識を戻すと、佳織が部屋から出ていくところだった。

 

「またねぇ、佳織ちゃん」

「またです。ご飯食べてくださいね、碧先輩、榎本先輩」

「あいよー、また後でな」

「佳織ちゃんの料理ならいくらでも食べるよ。それはもう腹が破裂するまで、いくらでも!」

「もういいっつーの!」

 

 軽く返事をした匠はともかく、何度も手を振る光陰に律儀に応える佳織。その姿に再び危機感を覚えたのか、悠人は佳織を追い出すようにドアを閉めた。

 

「なんだよ~、せっかく佳織ちゃんと仲良くしてたのに」

「……やっぱり光陰が一番、佳織にとって危険な存在だな」

「ひでぇな~、俺は佳織ちゃんが可愛くて仕方ないだけだ」

「光陰は本当に佳織がお気に入りなんだな」

 

 ミニテーブルの頬杖をついたまま匠も会話に参加する。

 

「ああ。あんな可愛い娘をだな、独り占めしている悠人の方が問題ある。可愛い女の子は人類の共有財産だぞ。匠だってそう思わないか?」

「一理あるな。献身的な義兄思いの義妹なんざ、どこのエロゲだと突っ込みたくなるくらい貴重な存在だ。光陰の主張も分からなくもない」

「二人して下らんことを力説するな! 俺は兄として、佳織が付き合う相手を選ぶ権利がある」

 

 突っ込みを入れながら鞄から教科書とノートを出し、そこで悠人は気付く。

 

「榎本、お前今、佳織のこと……」

「ん? 呼び捨てにしたことか?」

「まさかお前まで光陰みたいに……」

「安心しろ。高嶺が想像してるようなことはない。ただお前と区別するためだよ。高嶺妹じゃ失礼だし、この呼び方は本人も了承済みだ」

「まあ、それは……そうだけど」

 

 光陰に案内されて高嶺家にやって来た匠がまず最初にしたことが、佳織との自己紹介である。何しろ自分と佳織は初対面。彼女からの印象を良くすることで悠人からの印象も良くできる重要なイベントだ。

 普段からだらけている匠を知る光陰の手前、あまり好青年を演じてしまうと後々しこりが生まれかねない。なのでここは光陰に同調することで、佳織にとって受け入れやすい姿を見せたのだ。

 要するに『この人は碧先輩と似てる人だな、じゃあ同じような感じで話していけばいいかな』と思わせたのである。

 

「しかし聞いていた通りだ。本当に佳織、佳織だな、高嶺は」

「まったくだ。悠人のシスコンっぷりは天然記念物モノだな。そんなんじゃ佳織ちゃんに恋人なんてできないぞ」

「しょうがないだろ。あ――」

「兄貴の責任、だろ? 分かってるって」

 

 教科書とノートを開いた光陰が、ふっと溜息を吐く。

 

「でもな悠人。佳織ちゃんのことだけで頭を一杯にするなよ? お前だって普通の学生なんだぜ?」

「……」

「そうやって一生懸命で真面目なのが、お前のいいとこなんだけどな。でも、あんまり背負い込むなよな」

「別に嫌でやっているわけじゃないさ」

「そうだろうけどな……一人で全部で背負い込んで、潰れてもしょうがないぜ?」

 

 優しく、そしてはっきりと語る光陰の言葉を、悠人は形容しがたい表情で聞いている。

 そんな悠人を見て、匠は小さく溜息を吐いた。

 

「頑固だよな、高嶺って」

「……どういう意味だよ」

「いや、頑固っつーか、固定観念が強いのな。佳織の幸せは自分が作らなきゃいけない、自分じゃなきゃ作れないとか考えてないか?」

 

 緩んだ顔のままでも、匠の眼光はまっすぐ悠人を貫いている。

 

「下手をすりゃ『押し付けがましい』と紙一重だぞ。ま、他人の負担を背負ってる姿は立派だけど」

「ちょっと待てよ。佳織は俺の義妹だ。家族を助けることは負担じゃない。それと、他人なんて言うな」

「それは高嶺の主張だよな。俺の意見は違う。ぶっちゃけた話、究極的に言えば自分以外はみんな他人だ。血が繋がっていようと、そこに確かな絆があろうと、自分ではない別の存在だというだけでそれは背負う荷物になる」

「だから、俺は荷物だなんて思ってないって!」

「そりゃお前はそうだろうさ。けど佳織の方はどうだ?」

 

 声を荒げる悠人に動じた風もなく、匠は淡々と言葉を続ける。

 

「背負われっぱなしでいることをよしとする性格か? 負担をかけ続けている自分を許せるやつか? 高嶺が義妹を守ると決めたのはいい。けっこうなことだ。けどな、守られることを受け入れるのは佳織本人だぞ」

「……!」

「例えば、そーだな。世界に一つしか傘がないとしよう」

「いきなり何だよ」

「まあ聞けって。そんで雨が降ってきたら、お前はたった一つしかない傘を探しに飛び出すわけだ。それよりいっしょに雨宿りできる場所を探せばいーじゃん。その方が楽だし」

「は?」

 

 匠の言葉がよく理解できず、首を傾げる悠人。そんな二人を見かねて、光陰が苦笑しつつも口を出す。

 

「つまり、特別なことをしなくたって、ただ側にいるだけで安心できるんだから、頑張りすぎることはないんじゃないかってことだ」

 

 光陰の方に顔を向ける悠人をよそに、匠は一人クッキーを頬張る。光陰に説明させた方が分かりやすいと思ったのか、もしくは自分で説明するのが面倒臭くなったのか。

 

「一つしかない傘をずぶ濡れになって探してたら寒いだろ? 待っている方もその間は一人ぼっちだ。しかも自分のために傘を探そうとずぶ濡れになってる相手を待つしかない。それってすごい心苦しいことだと思わないか?」

「ああ、そう思うけど……」

「そうやって不安にさせるくらいなら、最初から傘探しなんてしないで、二人でいっしょにいればいいのさ。安心できるし、二人なら頑張ろうって気にもなるだろ?」

「俺がやっていることが、佳織の負担になってるのか……?」

「負担っていうか、そうだな……佳織ちゃんもすごく感謝してると思うぜ。けどその気持ちをきちんと形にして悠人に示してやれないのを寂しいって感じてるんじゃないかな」

「……」

 

 再び黙り込んでしまった悠人を見て、光陰は微笑して言葉を止めた。

 そして、口の中のクッキーを紅茶で喉へ流し込んだ匠の方を向く。

 

「お前が言いたかったのは大体こんな感じだと思うんだが、間違ってないか?」

「そそ、俺はそーゆーことを言いたかったのさ」

 

【最後の部分に本音が混じってたけどねー】

 

 【悔恨】の突っ込みをスルーしつつ、俯いてしまった悠人に匠は伝える。

 

「これはあくまで俺の個人的な捉え方だ。佳織を守るっていう高嶺の決意を否定したいんじゃない。最初から一人で歩けるやつなんてそうそういないしな。歩き出せるようになるまで守ってやりなよ」

 

 そこまで言うと、この話はここまでだと示すように匠は自分の教科書とノートを広げた。

 なんとも勝手なまとめ方だが、悠人としてはあまり追求されたいことではなかったし、光陰も性急に話を進める気はなかったので、今回はこれくらいで落ち着くことにした。

 

「ま、佳織ちゃんは可愛いからな。一人で背負い込む価値はあるってか」

 

 指で回していたシャーペンを止めた光陰はニヤリと笑い、悠人の肩を軽く叩く。

 

「俺もぜひとも独り占めしたいからな。ま、気にするなよ」

「いや、いいさ……じゃあ光陰、榎本、数学を教えてくれよ。俺もバイトがあるから、掃除はマズいんだ」

「そうだな。切実な問題だもんな。とりあえず一通りやるか」

「あいよー。次のテストの範囲はこのページからだったな」

「頼むわ。んじゃ、よろしくお願いします」

 

 そして三人はようやく勉強を始めるのだった。

 

 

 





【ほーい、どうも。【悔恨】だよ。
 ブログから持ってくるだけなのに時間かかってるねー。文章の改訂とか面倒臭がる作者がブツブツうるさいけど、規約とかあるしね、きちんとしないと、うんっ。

 今回は新しい能力は出てこなかったね。私の風術を少し使っただけ。
 でも、ちょっと歌詞を引用してきたところがあったね。最後の辺りで悠人と話したところで、匠が例えとして言ったやつ。
 えっと、この歌のタイトルは『キミがいれば』(歌:伊織/作詞:高柳恋/作曲:大野克夫)。アニメの『名探偵コナン』(原作は少年サンデーコミックス/青山剛晶)のメインテーマに歌詞をつけた歌だよ。
 匠はあんまり好きじゃないみたいだけど私はそうでもないな。たまに歌ったりするし。私、歌うのも好きなんだー。カラオケとか、人間もいいもの考えるよね。

 おっといけない、続き続き。
 んで、匠ってば早速動いてるねー。高嶺君に取り入ろうとちょこちょこ言ってるし。あからさまに気に入られようと媚を売るんじゃなくて、自分なりの意見を言ってるところが匠らしいっちゃらしいかな。
 でも仲良くなった後はどうするつもりなんだろ……

 気を取り直して次回予告!
 こうして、色んなイベントを通して仲良くなっていく匠は、物語の登場人物としてのフラグを順調に回収していく。
 ついにやって来る運命の瞬間……門が開く時、匠は無事に世界を渡ることができるのか?
 そして明かされる匠の正体、その力の根源、私も含めた神剣との関係とは如何に?

 それでは、作者が次回を早めに書いてくれることを祈って!
 ばいばば~い】




















【もうすぐ……もうすぐで、あなたに会えます……匠さん】

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。