悪びれた様子もなく、にっこり笑顔のはやてを見て思わず息を吐く。
諦めの境地、ここに極まれりって感じだ。
そもそも、小学生にこんなこと言ってる自分が情けなさ過ぎるんだから仕方ない。
「まあ、これで闇の書の分くらいは聞けた感じやな」
「そりゃよか……おい待て。言っとくが、今のは全部世間話だ。闇の書の対価に情報をやってるわけじゃないからな?」
不意に、ひやりと腹の底が冷えたような錯覚があった。
やばい。今、なにか致命的な一言を許してしまった気がする。
油断していたつもりはない……と思いたい。
そもそも相手は小学生だ。年季の差だってある。
どこか心の底で、大丈夫だと高を括っていた部分がなかったとは言い切れない。
「残念やけど、そう思ってるんはヤクモさんだけやで?」
「ごり押しにしか聞こえないな。はやてがなにか言ったところで、脅されてたって事実は捏造できるからな?」
「そらまあ、言うだけやったらな。悪名が信頼に置き換わるんって、皮肉以外のなんでもあらへんけど」
余計な御世話だ。
そう言い返そうとしたところで、無造作にICレコーダーが取り出された。
ポケットからするりと出てきたそれは、赤いランプを灯しつつ稼働している。
「よこせ」
「闇の書やったら、ちゃんとあげたやろ?」
最初から最後まで今の会話を録音されたとして、特に問題はない。そんな些細な証拠、捻じ伏せられるくらいの伝手はある。
握りつぶしてもいいし、不十分な証拠として却下もできるだろう。
ただ、はやてが行動を起こしたという事実は問題だ。
状況理解はもちろんだが、行動力だって馬鹿にはできない。
そもそも、子供と侮ったのが間違いだったか。
「お前の将来が怖いな。抜け目ない行動だとは思うが、カードとしては弱い」
「でも、できたら証拠は回収していきたい……ちゃうか?」
手の中でICレコーダーを弄ぶはやての、どこか試すような視線が俺を射抜く。
確かにその通りだ。
できるなら、そういう小さな芽は摘んでおきたい。
下手なゴシップは、未来で絶対に厄介事を産む。
はやてが管理局に就職して、上を目指すならなおさらだ。
それでなくても、古代ベルカの技術と最高の戦力持ち。どこかで目をつけられて、変な横やりを入れられる可能性だってある。
「もう一度言う。よこせ」
「うーん……そうやなあ。じゃあ、取れるもんなら取ってみ?」
不意に悪戯でも思いついたように笑ったはやてが、自分の服の襟にICレコーダーを放り込んだ。
引っ掛かりのない体型のせいか、お腹の辺りが重みで垂れ下がっている。
なにやってんだこいつ。
「はーい、ちょっとお邪魔しますよー」
「ちょッ!? マジか!!」
驚くぐらいならやらなきゃいいのに。
無造作に裾を上げ、可愛らしい臍を眺めつつICレコーダーを回収する。
普段ならいざ知らず、この状況で躊躇うわけないだろうが。
「ヤクモさんに汚された……」
「否定はしないけど、人聞きが悪いな。そもそも、小学生の裸で興奮しろとか無理ゲーだろ」
「かっちーん。なんや、今凄い勢いでバカにされた気分やわ」
体を退くよりも早く、はやての手が俺の肩を捉えた。
ひくひくと頬が引き攣っているのは、たぶん気のせいじゃないだろう。
なんでさ。
「まあいい。頼むから、もう普通に諦めてくれない?」
「お断りやな。ようやっと、ヤクモさんをライトの下まで引きずり出したんや。今の自分が、どれくらい届くんか知っとくのも大事やろ?」
言われて見上げる。
当然だが、頭上には煌々と輝く街灯があった。
さっきまで届かないと錯覚していた場所。俺が『いるべきではない』光の下だ。
「付き合う必要があるのか?」
「もちろんあるで。例えば、そやなあ……グレアムおじさんのことやったら、実はもう連絡取れてんねん」
「……は?」
「ヤクモさんは、ずっと家におらんかったもんなあ。やから、私がなのはちゃんに魔法の相談しとったんとか知らんやろ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
なのはに、魔法の、相談?
いや、落ち着け。別に相談くらいすればいい。
俺にはいないが、頼れる仲間は大切にするべきだ。
でも、ギル・グレアムと連絡が取れている? それはつまり……
「近くに仲間がおるんやったら、お互いに助け合う。それは普通のことやない? それに、なのはちゃんは友達やもん。相談くらいするで」
「あンの守銭奴! 仕事ぐらい選べ!!」
ビデオレターの仲介したり、はやての人探し手伝ったり。
そんな心温まるハートフルな仕事をこ受けるやつだった記憶が欠片もない。
思い浮かぶのは、金勘定をしながらけらけら笑っている姿だけだ。
なのに、どうして人助けみたいなことしてんだよ!
「あいつが、本当にギル・グレアムに連絡をつけたのか? 高くついたんじゃないか?」
「まあ、確かにお金は取られたんやけどな。でも、普通にエアメール送るくらいの値段やったで? なのはちゃんも、これでビデオレター送ってるって言うてたし」
あいつ、マジでなにやってんだよ。
今さら慈善活動でも始めたってのか?
いや、巡り巡って俺への当てつけって可能性もあるけど。
「なんでギル・グレアムがミッドにいるってわかった」
「それはたまたまやな。ホンマは魔法のこと聞くつもりでなのはちゃんに相談して、嘱託魔導師って制度があるのを知ったんが始まりや」
「……なるほど。管理局になのはが紹介して、書類を上げたらギル・グレアムの目に入ったのか。世の中クソッたれだな!!」
なんだよそれ。
どうせ、リンディ・ハラオウン辺りに書類送ったんだろ?
なら、そこはしっかり自分の手柄にしろよ! ミッドに帰ってから、新戦力として報告を上げればいいだろうが!!
いや、わかってるよ!
高町なのはっていうとんでもない戦力を持ってる以上、追加ではやての面倒までは見れないよな!
武力の集中を防ぐとか、確かそんなルールが管理局にはあったはずだ。
どうせ最初から自分が運用できないなら、相応に信用できて貸しを作れる相手に紹介するのは道理だろう。
それがギル・グレアムだってのは出来過ぎだと思うが。
「思ったより通用してるみたいやなあ。ちょっと落ち着きぃや」
「腸が煮えくりかえりそうだ。ネコ共から通信が来なかったのも、それが理由だな?」
「せやで。私がここへたどり着くまでの間に、説得するよう守護騎士のみんなに頼んどいたからな」
ギル・グレアムの同意もあって、帰る手段も確保できたなら裏切られるのは当然か。
本当に頭が痛くなる。
なにより、自分で撒いた種なのが余計に腹立たしくて仕方ない。
「手紙でやったけど、おじさんがいろいろ話してくれたわ。私のこと監視してたんとかな。次元航路が安定したら、改めて会いに来るらしいで」
「それはまた、ずいぶん殊勝だな。今度会ったらぶん殴ってやる」
「もう、そういうのあかんで? 貰った伝手は、ちゃんとヤクモさん追いつめる為に使うから安心してえな」
どこに安心すればいいんだよ。
それにしても、この調子ならミッドに進出してくる未来は遠くないな。
「わかった。この件に関しては俺の負けだ。これも返してやる」
まあ、ここまで仕込んだならICレコーダー以外の録音媒体も用意してあるだろう。
猫共が裏切ってるなら、ここにこっそり守護騎士が勢ぞろいしてる可能性もある。
証拠を突き返されたはやての眉間に皺が寄った。
あっさり返されたことが腑に落ちないのだろう。
わずかに警戒の色を目に宿し、驚きとも戸惑いともつかない表情で俺を見返す。
「本当は、お前が中古車店で駆け引きとかも覚えて。そのあと、ミッドに来てから情報を流すつもりだったんだけどなあ。予定が狂ってばっかりだ」
「……おかしいなあ。ちょっとは届いた気ぃしたんやけど」
「ちゃんと届いたさ。だから、使いたくないカードを切るはめになった」
ここまで用意したものは全部無駄になったよ、おめでとう。
今からやるのは純粋なコネクションのごり押しだから、まだはやてじゃ対応できない方法だよ。
「ミッドに来たら、ベルカ自治領にある聖王教会本部を訪ねろ。言っとくが、今回のは強制だ。行かないとダメかどうかなんて問答はするな」
なにか言いそうになったはやての口を、先に釘を刺す形で閉じさせる。
「そこでカリム・グラシアという女に会え。さっきも言ったが、管理局は魔窟だ。後ろ盾がないと、お前なんて一瞬で呑まれるぞ」
「ベルカ自治領の聖王教会な。真面目な感じやし、了解や。その辺の詳しいところは、またグレアムおじさんから聞いとくけど。それが使いたくないカードなん?」
その話も、全部録音しとるで? と言外に言ってるんだろうが無駄だ。
そういう問題じゃないんだよ。
「じゃあ、これで逆転だ。ヤクモ・ナナミなんて名前の人間はどこにもいない。この場合はL級艦船第八番艦・アースラの艦長、リンディ・ハラオウンが証人になるんだろうな。そんな人間は、第97管理外世界はもちろん、どこにも存在しませんってさ」
「……は?」
今度ははやての頭が真っ白になる番だ。
アースラはジュエルシードの件で第97管理外世界のことも調査している。
その上で、一般人の情報提供者からフェイトのパーソナルデータや魔力干渉の観測データを受け取っている。
これが犯罪者の提出物だとバレれば、当然だが証拠能力は薄くなるだろう。
そうならないよう、俺の存在を認めることはない。
同時に、俺の名前は偽名だ。
例え交流があっても、どれだけ映像が残っていても、ただのそっくりさんでは俺と断定できない。
「本当の名前を教えなかったのは、こういうときの保険だよ」
「とんでもないごり押しを見たわ。でも、それやとヤクモさんがここにおらへんってだけやろ?」
「まさしくその通りだな。だからこそ、コネクションだ。俺は2年ほどベルカ領でヒキコモリ生活をしていたことになるだろうな。そう言わせるだけの手土産も、ここにある」
「無茶苦茶言うとんな。闇の書が聖王教会に流れるルートでばれるやろ」
「闇の書を盗んだのはヤクモ・ナナミだろ? 裏社会に流されたロストロギアは、どこから出てくるかわかったもんじゃないからな。俺は知らん」
はやての顔が、目に見えて苦い顔になっていく。
完全に屁理屈の塊だが、実際どうしようもないから困っているのだろう。
もちろん、深く突けば埃の出る言いわけだ。
ただ、軒並み突ける人間が突かれるとまずいというだけの話である。そして、今のはやてにはそもそも突けるだけの力すらない。
「どれだけ頭が回っても、コネクション1つで全部潰せる。それを覚えておくといい。次に会うときが、今から怖くて仕方ないけどな」
「あわよくば、ここで首輪付けたろうと思ってたんやけどなあ」
やっぱり届かんかった、とはやては苦笑する。
いや、はっきり言って危なかったよ。
これでコネクションが揃ったら、将来的にどうなるのか想像もつかない。
次のときには、正面からやり合うのは避けた方がよさそうだ。
「ホンマに行ってしまうんか?」
「ああ。なかなか楽しい共同生活だったよ。俺みたいなのが、まさか家族の温もりを――」
そのときふしぎな事が起こった。
いや、太陽光とか液状化とかは関係ないんだけどね?
家族という言葉が、いやにすとんと胸の奥に納まった気がする。
愛とか恋とか、そんな小さな理由でこんなことしてるわけがない。
「家族がどうしたん?」
「いや、別に。ミッドで待ってるから、さっさと魔法覚えて追いかけてこい。あんまり遅いと、俺の敷いたレールの上を歩き続けることになるからな」
「そんなんぶっ壊したるさかい、覚悟しときや」
本当にぶっ壊されそうだなあと、思わず笑みが漏れた。
俺に初めてできた、本当の家族。
利用するために拾われた恩でも、同業者のよしみでもない確かな繋がりがここにある。
なるほど、これが家族か。
確かにこれなら、理由なんてなくても肩入れしたくなる。
「こんな感情が、俺にもあるなんて驚きだな」
「え、なんか言うた?」
いんや、なんにも。
するりとはやての手から逃れて、数歩離れる。
転移魔法を展開し、諦めたような笑みで手を振るはやてに罪悪感を覚えた。
厄介なもんだなあと苦笑しつつ、俺も手を振り返し、そして世界は切り替わる。
ここからは、また殺伐とした世界だ。
でも大丈夫。
考えても見ろ、闇の書の影響力を。俺はあと10年は戦える!
空白期‐追い回され編‐終了のお知らせ
続いて、空白期‐ミッド暗躍編‐を掲載予定。
なお、はやてさんの出番は……
ヒロインとはいったい(うごごごご