Eismeer   作:かくさん

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二、三話一気に投稿しようと思いましたが、ペース乱すのもどうかなと思いましたので投稿しました。
次話はもっと早く投稿したいなぁ……。


1940年 バルト海 氷の海08

朝。第四飛行中隊に与えられた格納庫は今、にわかに活気づいていた。機械油の染みの目立つ作業服がユニットケージの周囲を行き交い、無数の足音を響かせながら魔女たちが空を舞う土台を整えていく。

鉄の匂いが鼻の奥を突く。年長者である整備長の怒号まがいの指示が聞こえていたが、やがてそれもストライカーユニットが動作テストを開始すると、甲高い駆動音に埋もれ掻き消されていった。

 

「急ぎなさい! もたもたしてると時間に遅れるわよ!」

 

エンジンが吼える中でもフライターク中尉の声はよく通る。早々に発進に必要なプロセスをこなした中尉は、準備が遅い部下達に発破をかけて滑走路へ急いだ。

格納庫を出て離れていく背中を見ながら、テオとライネルトが焦りを顔に滲ませながらストライカーの起動を始める。フレデリカは手間取る二人を放ってチェックを終えると、さっさとフライターク中尉の後を追っていった。

その横には、出撃命令が下っているにも関わらず、発進準備の手がつけられていないストライカーが一基。

放置されている訳でもなく、むしろ、カールスラント空軍の職人芸とも言える整備を施されたそれの状態は完璧であった。魔力を注げばすぐにでも目を覚ますはずだ。そんな物なのに、仲間外れされるかのように扱われているのは、持ち主が飛べる状態ではなかったために他ならない。

ストライカーが空へ躍り出ることが叶わなかった原因、持ち主である私は、冷たい空気を介して伝わるベーア隊長の声に耳を傾けていた。

 

「ハインリーケ・エールラー少尉に、リバウでの待機を命じる」

 

有無を言わさぬ口調とは裏腹に、ベーア隊長の目には思い詰めたような色が見える。

私が墜とされてからすでに十日程が経過し、年号も1939年から1940年に移り変わった。その間中、悩み続けて出した答えなのだろう。

 

「了解いたしました」

 

我々の仕事は空で戦うことであって、飛ぶことを禁じられることはあまりにも致命的。そんなことは、ベーア隊長も理解できていないはずがない。

私はつとめて淡白に返そうとした。私にだって、納得はできなくとも、今の自分の状態が空を飛ぶに値しないことくらいわかっている、それを伝えることになったベーア隊長の苦悩もだ。

 

「ご命令の意図は私も理解しております」

「ああ……やっぱりお前に、出撃許可は出せないよ」

 

ベーア隊長は側にいる私と目を合わせず、大きく開け放たれたシャッターの外へ視線を移す。

 

「別に喧嘩したからだの、お前が嫌いだからだの、そんなことで命令してる訳じゃない」

 

先に滑走路へむかった仲間の背を見つめる表情は、どこか物憂げであった。

私もつられるように外へ目を向けた。逆光に遮られ、彼女らの姿はおぼろげにしか感じとれない。まるでお前には見る価値など無い、と言われているようだった。

 

「東部じゃ戦闘機乗りや地上の野郎共にも知り合いがいたんだ。ただ、今のお前みたいに、よくない物を抱えて出撃した奴が無事に帰ってきたのを見たことがない。帰ってこなかった奴もいる」

 

上官、と言えども齢15にも満たない少女なのに。そんな子供がこのような言葉を、噛みしめるように語る。ウィッチとして戦場に立ったが故に。

私はそのあり方を直視することができない。以前は焦がれる程に、その姿を憧れたというのに。記憶にこびりついた怪物に脅え、震える今の私には、あまりにも眩しすぎた。

 

「配慮に感謝します、隊長殿」

「礼なんているかよ馬鹿、むざむざ部下を死なせに行く隊長がどこにいるってんだ」

 

言葉は毒だ。優しいはずの、少女には似合わないほどの、使命感に溢れた言葉であるのに、それが私を責め立てるのだ。

目の前の小さな上官殿は隊長として私を守ろうとしてくれている。

比べるまでもない、人生経験の差など結果から見れば何の指標にもならぬ塵芥にすぎない。

 

「言っておくけど病室で喧嘩したことは手打ちにできて良かったと思ってるが、納得した訳じゃないからな。だんまり決め込まれたら誰も手を貸せなくなっちまうじゃねえか」

 

鼻を鳴らして言うベーア隊長に、何も返すことができなかった。

弁明のしようもなく、荒唐無稽な自分の過去を教えることもできない。

私を見つめる一対の目が曇りを帯び、ベーア隊長は輸送機の発進間際を知らせる通信を受け取った。

 

「了解、すぐ行く……時間だな。こっちはこっちで上手くやる、妹のことは安心しとけ。お前は何とかして早く戻ってこい……じゃあな!」

 

別れの挨拶で思考を切り替えたのだろう、瞳に力が戻るのが感じとれた。ベーア隊長は弾かれるようにユニットケージから飛び出す。エンジンから発生した空気の流れが髪を揺らすのを感じながら、私は遠くなる背中を追いかけて外へ出る。

私を抜いた五名のメンバーがちょうど飛び立っていくところだ。帽子を振る整備員らと共にそれを眺めるのは奇妙な感覚であった。

まるで彼女らが何の関わりもない他人のように感じられて。

頭を振る、私はその感覚に嫌悪を抱いた。

 

「どうか、よい空を」

 

ウィッチを見上げる地上の人々に混じって、誤魔化すように呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指揮所の壁にはコルクボードと幅の広い黒板が設置されている。コルクボードには士気高揚のため、中隊の集合写真と、隊員それぞれが選んだ景気のいい新聞記事の切り抜きが貼り付けられており、黒板には護衛任務にあたって隊員それぞれの出撃予定が記されていた。

定員に満たない第四飛行中隊はどの任務においても、今まで全員が出撃している。ところが、今日の日付の箇所だけは違った。見るとバツ印が一つ書き込まれていることに気づく。印は私の名、ハインリーケ・エールラーのすぐそばにあった。

このままではよくない、私は今現在、自分が置かれている状況をかんがみて、そう判断を下す。

待機命令と言われているだけあって、出来ることは少ない。扶桑海軍航空隊の傘に収まっているリバウでは、火急の用事というものは無いと言って差し支えない具合だ。ただただ指揮所に詰め、別命を待つだけの無為な時間。自分だけのために、貴重な資源を使ってまで暖房を焚く気にもなれず、指揮所はとても肌寒かった。白い息を吐きながら、私は椅子に座って時間が過ぎるのを待つ。空に上がり、戦うやもしれぬ中隊の面々に比べて、何と意味の無いことであろうか。

こんな状態でありながら、私は空軍少尉、機械化航空歩兵として彼女らと同等に扱われているのだ。

 

私がここにいる意味は、何なのだろうか?

 

下らない疑問だ。命令のためである、普段の私であれば迷いなくそう答えることができるはず。無論、ベーア隊長に返した通り、今でも命令にはどんな意図が含まれているのか、理解はできている。

飛べない者にストライカーの使用を許す訳がない、当たり前のことだ。

書類では原因は操作の失敗であると処理されているが、ウィッチは子供とは思えないほどに聡い。私が何か抱えていると、すぐにさとってしまう。ベーア隊長は私とフレデリカとの会話で感づき、他の隊員は隊長が激昂した時点で察してしまった。

ベーア隊長が疑念を飲みこみ下したこの命令は、それでも隠そうとした私に、自分で決着をつける時間を与えようというのだ。現状の打破、再び飛べるようになる、私のやるべきことは決まっている。

だが、私は命令を完遂できるのか?

考えをめぐらせれば、めぐらせるほどに悪い方向へ向っていく。結局、自分を責めることしかできない。

記憶の中心に居座り続ける恐怖は、内側から鎖を伸ばしていつの間にか私の身体を雁字搦めにして自由を奪い去ってしまった。身動きが取れないまま鋼鉄の怪物に脅える、自分が恨めしくて仕方がない。

 

「ああ、駄目だ」

 

何も考えずに飛び出た独り言。

無意識下ではもうわかっているのかもしれない。まったくもってその通り、思考、現状、全てが『駄目』であると。

溜め息が冷気に触れ、まるで氷結したかのように白い靄に変わる。靄が消えてから私は重い身体を動かし、関節を軋ませながら立ちあがった。

黒板に記された自分の名とバツ印を見ると、胸の内に苦いものが広がる。心に負荷を与えまいとすぐに目を隣のコルクボードへ移した。いくつかの写真と明るい話題で埋め尽くされた一枚の板。鋲で貼りつけられた集合写真の中で、私はやはり眉間に皺を寄せた仏頂面でこちらを睨んでいるようにも見える。

私はコルクボードの中で、一つの切り抜きに目をとめた。

日付は大体一週間前、私が墜落したすぐ後に世に送り出された記事である。それは最近のニュースではもっとも空軍関係者の話題を引きつけ、多くのウィッチを勇気づけた記事だろう。

 

『スオムス独立義勇中隊、ディオミディアを撃墜』

 

現在、世界初であり唯一の撃墜報告であった。

あの難攻不落の空飛ぶ要塞が、主戦場と見られることなく軽んじられた北欧の地で、ついに地上へ叩きつけられたと言うのだ。

近頃のニュースを熱心に調べる気にもなれず、受け流していた私にとって、この報せただ一つだけがトピックになり得た。死ぬ前にもこの記事を見て、少なからず歓喜の念を抱いていたことが思い出される。その時は少し遅れたクリスマスプレゼントだと舞い上がったものだ。

たった五人の少女達が戦闘機がどれだけ束になっても勝ち得ぬ怪物へ、勇ましく立ち向かい討ち果たした。まるで英雄譚でも聞いているような気持ちにさせてくれる。彼女らの勇気と力が、ついにネウロイへと届いたのだ。

パイロットの私に活力を与えてくれたウィッチ達は、この世界でも健在だった。

しかし、希望が滲む記事とは裏腹に、私は暗愁が心に拡がっていくのを感じていた。医務室のベッドの中で、ニュースを目にした時も、きっと笑ってはいなかったはずだ。機械的に文字を読みとっていく今の私の思考は、完全に濁りきっているに違いない。

ディオミディアと戦うことは生半可なことではない、独立義勇中隊のウィッチ達は懸命に戦い、勝利を手にしたのだろう。

なら、私はこんな所で、何をしているのだ。

格下相手にも敗北し、飛んで雪辱を晴らすことすらできない。そうして自分を責める一方、現状を受け入れている感情もある。機械化航空歩兵の肩書は、彼女らと変わらないはずなのに、だ。

鬱々とした思考と、脱力感。コルクボードに手をつき、もたれかかるような姿勢になる。

このままではよくない、再度自分を評価し、考えはスタートラインに戻り始める。

 

「私は、何のためにここにいる」

 

呟きが冷気に溶けた頃、時計の針はすでに正午を指そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気の抜けたままの身体が栄養を欲する、責務を果たしたとも言えないというのにだ。やはり湧きあがってくる暗い感情を、決められた時間の食事は規則にのっとった行動である、と抑えつけた。

余剰スペースを目一杯に使ったのだろう広い食堂。どこも士官であれ下士官であれ、午前の職務で生じた空腹を癒そうとする彼らによって埋め尽くされている。

そんな中にいて、座席には私一人だった。誰も好き好んで年の離れた小娘と昼食をとることもなかろう、あまり近づきすぎればあらぬ疑いをかけられることもあるやもしれぬ、あるいは大人の異性が無為に子供に恐怖を与えぬように皆で気を使っているのか。私の周囲に人が集まらないのも当然のことと言えた。

年季の入った銀色のトレイにはカウンターで受け取った昼食が並ぶ。

普段通りであれば、私の隣にはテオとライネルトがいて正面にはベーア隊長とフライターク中尉、フレデリカがいた。ベーア隊長の号令で一斉に食べ始め、誰かが笑い、誰かが誰かをちゃかす声を聞きながら、自然と騒がしい食事の時間となるのだ。自分が感じるいつも通りの昼食を思い出し、ふと考える。

私は寂しいと感じているのだろうか。

一人の食事に孤独だ、と不安になるような精神年齢でもない、はずなのにか。だが、そうなのだろう、私がそれほどまで弱っているのだ。

じっと眺めていたトレイの中身にようやく口をつける。野菜が溶け込んだスープ、ブルスト、パン、ザワークラウト。決して嫌いではないそれらが、今はこの上なく味気ない。

食堂の喧騒は別世界のように遠く感じる。

私は喉に引っ掛かる食料を、胃の奥へ押し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後になって私が訪れたのは、この一週間で何度か出入りすることになった医務室であった。

私は件の戦闘によって軽度ではあるが負傷と判断されている。自己申告で復帰という訳にもいかず、待機時間を使って、最終的に問題なしとのお墨付きを得るための検査を受けることとなった。あまり気は進まない、ここで大丈夫だと言われたところで、直属の上官に止められていれば空を飛べないことには変わりない。

とは言え私の意志とは関係なしに作業は進む。鼻につく消毒液の匂いが慣れによって気にならなくなる程度の時間をかけ、私は簡易な検査を全てこなし、担当の軍医殿と対面した。

 

「身体的な問題は見られない、いたって健康だね」

 

カルテを見ながら軍医殿はそう告げ、あくまで身体面に限った話だが、と念を押すように付け足す。難しい案件だと判断したのだろう、読み進める彼の表情が歪むのを感じた。

 

「戦闘中の制御の喪失……ああ、報告書は確認させてもらった。ストライカーユニットには故障は見られず、身体に異常はない、乱気流などの外的な要因も薄い、と」

 

確認するような調子で言う。いくつかの書類に目を通すと軍医殿は小さく唸った。

面倒だと思っているだろうか、私はそう邪推したが、すぐに考えを打ち消す。手元の紙を睨む目は真剣そのものだ。

 

「そうとなれば考えられるのは心因性の症状になる。戦闘中に悪いものを思い出すことは聞かない話ではない、言いにくい事だとは思うが、何か過去に大きな事故などは?」

「いえ、何も」

 

事故。事故と言えば事故かもしれない。原因はネウロイ、そして私だ。鉄の災害を予見することができず、不慮によって自分を含めて『少尉』と部下達を巻き込んで死地に飛び込んだ。

私は短く、端的に嘘をついた。

目の前で自分のために頭を悩ませている彼を見て、胃に小さな痛みを感じる。

 

「では戦争や環境に対する過度のストレスか……過去のトラウマであれ、ストレスであれ精神的な負担はエールラー少尉のように身体面に影響が出るほどになると、深く根を張っている場合が多い」

 

簡単でありながら深刻さが感じとれる説明だ。

一しきり話し終えたところで、彼の目は文章を追うのを中断し、私を真っ直ぐに見すえた。

 

「本来の任務に支障をきたすのであれば、最悪、任を解かれ療養とせざる負えん」

 

胃の痛みが増す。自然と奥歯に力がこもった。

そうなれば、私が何と喚こうが後方送りは避けられまい。療養と言っても、精神という不確か極まりない物を治すとあれば、いつ復帰できるのか全く不明瞭だ。

もう二度と第四飛行中隊には戻って来られぬやもしれぬ。

どうしようもない焦りを感じた、手のひらが汗で湿り気を帯びてくる。

言葉には出していなかったはずだが、軍医殿は私の心中の変化を察したのかもしれない。悩める表情をそのままに、真摯な瞳を向けながら言う。

 

「今はまだ様子を見ることにしよう。エールラー少尉は任官からあまり経っていない、周囲の環境は目まぐるしく移り変わり、追いかけることに苦労する時期でもある。少し時間をかけて自分を見つめ直してみてはどうかな?」

 

私の心は波立っている、聞きながら頭を抱えたくなるほどに。

彼の言は全くもって正しい、自らと向き合い問題点を洗い出して解決する。今、私に必要な行動はそれなのだろう。だが、実践したとして、どんな成果が得られようか。空を飛べる自分に戻らなくてはならない、しかし、フラッシュバックする恐怖が行くてを阻む。

結局、今の私は何もかも中途半端なのだ。

戦わなければと思えど、私の身体は銃を構えることを拒んだ。部隊から離れるのが嫌だ、ウィッチの肩書を失うのが嫌だと思っていながら、恐怖に打ち勝つことなど不可能なのだと諦めようとしている。

 

「仮に精神に異常があると判断して、私が書類に判を押せば、そこでお終いだよ。私とて君のような未来ある士官の道を潰してしまうことはしたくはないのだ。医者としては間違っているのかもしれないがね、今は君が自力で立ち直れることを祈らせていただこう」

 

目の前の軍医殿は私が空へ戻ることを、真剣に望んでいた。言葉からは彼なりの医者としての矜持が読み取れる。

誰しも自分の役割を果たそうと懸命になっているというのに、私は。

私には彼の目を正視することはできなかった。これ以上自分を嫌悪することに耐えることができなかったのである。

申し訳ない、という気持ちが溢れる。

外は夕暮れ時に差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御無事で何よりです」

 

格納庫の窓から差し込む夕日が、内部の明暗をハッキリと分ける。沈みかけた太陽から発せられる横殴りの光が目を焼きながらも、細長く伸びた影が陰鬱な気分を掻き立てる、そんな時間だ。

私はスオムスから帰還し、ようやく格納庫の入口までやってきた五人の少女に敬礼をした。彼女らは反射的に動きを止めて礼を返してくる、これまでの生活で動作が染み付いているのだろう。

先頭にいたベーア隊長は姿勢を解くと、私の前にくるなりしかめ面になってしまった。隊長は呆れが混じった溜め息を吐く。

 

「馬鹿たれ、私らよりも自分の心配しやがれってんだ」

 

眉間に皺をよせ、頭をかきながら私のそばをすり抜けていく。

今しがた敵が現れかねない空域に出向いてきたというのに、気づかいなど不要だと言う。年相応のふて腐れた雰囲気を滲ませながら、子供には全く似つかわしくない言動をとる。ベーア隊長だけではない、坂本や竹井もそうだ。それ以前に、銃器を手に戦場に立つこと自体が少女らしいとは言えない。

私は悩む、これこそがウィッチなのだろうか。

 

「こんなに寒いのにありがと、さ、早く帰りましょう」

 

動きを止めた私の肩をフライターク中尉が叩く。私を気づかう響きが多分に含まれている声を聞いて、ありがたいなと思う。

フライターク中尉は眉尻を下げた、困り顔のような笑みを浮かべてユニットケージにむかっていった。

次いで、私の前に出たのは二人。

フレデリカが私を一瞥して通り抜け、ライネルトが苦笑いの表情を私に向けながらフレデリカを追いかける。

そして、最後の一人は私の前で立ち止まった。

 

「リーケ姉さん」

 

横顔に夕陽を浴びたテオがにこりと笑みを浮かべる。私もつられて今日初めての笑顔を浮かべた。上手い笑顔を形作れたかは、わからない。

 

「何もなかったか?」

「うん、何にも。ちゃんとスオムスに送り届けてきたよ」

 

我ながら、意味のない質問だと思う。彼女らが無事に帰ってきたのだ、それが任務遂行の何よりの証拠であろう。

そんな無意味な時間の浪費にも、律儀に返事をくれるテオの性格がとても好ましく思える。聞かずともわかること、無駄なことと感じながらも、私は何か会話をしていたかったのだ。

 

「姉さんがいないとやっぱり緊張するね、いっつも頼りきりだったから。あと私は臆病だし……ダメダメだなあ、やっぱり」

 

テオがはにかみながら自分自信の評価を語る。臆病、という単語だけが、私の耳に残る。テオは自嘲気味に笑った。

涼しい顔を装いながら結局飛ぶことすらままならなくなった者と、震えながらも死に打ち勝ち乗り越えた者、どちらが臆病なのだろうか。

私にはテオを笑えない、この子の言葉に頷くことはできない。

 

「でも今日で一歩前進かな? そのうち姉さんに迷惑をかけないように……ううん、誰が見ても恥ずかしくないようなウィッチになるよ!」

 

少し前まで脅えていた少女はもう前を向いて歩きだしている。誰が恥ずかしいなどと言える、私などとは雲泥の差だ。

 

「テオ」

 

とっさにこの子の言葉に応じることができず、かろうじて名前だけを絞りだす。

会話を遮るようにして唐突に名を呼ばれたテオは、キョトンとした顔になり、私の目を見つめてくる。どうやら私の言葉を待っているようだった。

あまり思考がクリアになっているとは言い難いが、聞きたいことは確かにあった。私は滲むように、ゆっくりと頭の中に現れる単語の一つ一つをつなぎ合わせてテオへの返答とした。

 

「お前はもし、自分が死ぬような状況で誰か……ライネルトでも、私でもいい、誰かを助けなければならないようになったら……どうする?」

 

テオは首を傾げ、不安げに眉尻を下げた。

大昔から使い古された、非常に古典的な問いだ。どうしてこのようなことを聞くのかすら、おそらく疑問に思っていることだろう。それでも私には確信があった。この子ならば答えてくれると、物を話せるようになった頃から私の最も近いところにいたこの子は、誠実さをもって考え抜き、ウィッチとして私の問いに『応えて』くれる、と。

どうすれば死の恐怖を乗り越え、化け物へと銃をむける自分に戻ることができるのか、私はその解を知りたい。希望すら抱きながら、返ってくる声を待ちわびる。

テオは口を開いては閉じる動作を繰り返す。私のために本気で悩んでいるのだ、罪悪感が湧き出てきて問いを打ち消す声を出そうとする。が、私にはそれを音にすることはできなかった。もう第四飛行中隊に戻ってこれないかもしれない、という可能性に縛られていた。

小さく唇を噛む。痛みを感じていなければ、自分の中の葛藤を忘れることができなかったからだ。

やがて、テオの口から声が飛び出てくる。

 

「わからないよ」

 

消え入るような小さな声だった。

テオは私と交わしていた視線を外し、うつむいてしまう。

 

「私なんかには難しすぎて……そんな、怖いこと」

 

さらに不安そうな表情を深めるテオを見て、思う。

望んだ答えではなかった。

いや、何を考えているのだろうか。私はテオが出した答えに落胆できる立場ではないだろうに。

だが、もうすでに眼前のウィッチは私の考えなど及ばないところにいたのだろう。独りでに沈んでいく私に相対するように、テオはうつむけていた面をあげる。不安が滲んでいても、その目は真っ直ぐに私を射抜いた。

 

「でも、そうなったら、何もできないのは嫌かな……私は死ぬなんて怖いけど、皆がそうなるのも、同じか、もっと怖いもん」

 

時折、目線はどこかへ揺らぐ。何度か逸れながら戻り、そのたびに私は貫かれているように感じる。

 

「姉さんが死んじゃうなんて考えたくもない、私がウィッチになったのは、姉さんがいなくなるのが嫌だったから、なんだ……みんなが死んじゃうのも嫌、誰にもいなくなってほしくないよ」

 

不規則に動く瞳は言葉を重ねるにつれて、私の目を捉えていった。私はようやく理解する。

わからない、などとそんなことはなかったのだ。テオは答えを持っていた。

どんな状況になっても、きっとこの子は戦えるに違いない。泣きながらでも、絶望的な苦境を打破しようと全力を振り絞るだろう。

 

「そうか」

「うん、そうだよ。だから怖いことになる前に、私が何とかしてあげられたらなって」

 

思った通りに、テオは私に応えてくれた。

解答は、私には手の届かないものだった。羨望すら感じる、ウィッチとはやはり尊い存在だったのだ。私など及びもつかない程に。

自分の考えを伝え、少し恥ずかしそうにしているテオに言う。

 

「なあ、先に戻っていてくれないか?」

「姉さん、どうして?」

「用事があるんだ、すぐ追いかけるから」

 

表情を弄り、今日で二度目の笑顔を作る。

一度目の笑顔よりは上手くできただろう、でも、テオは私の顔を見て不安そうな表情に立ちかえってしまう。

 

「すぐだよ? どこか行ったりしないでね?」

 

念を押すような言い方は、表情を変えるだけでは受け止めきれない不安の現れか。

その場で立ち続ける私の真横をすり抜けるようにして、テオは格納庫へ滑り込んでいく。私の顔を横目で見ながらだ、私はあの子を心配させてしまっている。応えてあげられないのが苦しい。

 

「どうしたら、あんな綺麗なことを言えるようになるんだろうな」

 

 

問いかけは誰かに向けたものではない。本当に意味のない単語の羅列にすぎないのだ、私はもう答えを理解し、自覚してしまったから。

テオやライネルトは死の恐怖を乗り越えた、しかし私は先に進むことができない。

訓練校で自分自身すら誤魔化し続けてきた化けの皮はっもう剥がれようとしている。ここにきて、私を支えてきた物が破綻しようとしていた。

ディオミディアの装甲で砕け散った最期の瞬間から、自由に空を舞い、死に屈することのない彼女らの姿にどうしようもなく焦がれた。私はウィッチになりたかった。

適正という名の天からの贈り物を受け取った時の、何物にも代えられない喜び。ウィッチになれる、ウィッチになった、だから私はネウロイと戦える、否、戦わなくてはならない、と。喜びと義務感がディオミディアに殺された恐怖を曇らせ蓋をした。

無自覚に、ウィッチの肩書だけが死の恐怖に立ち向かう支えとなっていたのだ。そんな弱々しい支えなど、隣を飛ぶ彼女らとの差を目にすれば、すぐに役に立たなくなってしまう。

自覚したのは今、無意識であれ気付かされたのは扶桑海軍との演習、坂本と相対したそのときだろう。

私を貫く力強い瞳。ただ真っ直ぐに勝利だけを見すえ、全力を賭してきた彼女の在り方。模擬戦だろうと実戦だろうと、絶体絶命の局面であろうと、きっと彼女は同じ瞳で戦い最後には勝利を手にするに違いない。否応なしに理解させられた、これが優れたウィッチでり、私はウィッチを名乗るには何もかもが足りない。

坂本に向けた銃口が震えたのも、死の恐怖がよみがえっただけではない、私の存在がウィッチ足り得ないことを自覚するのが怖かったのだ。理想が形となったような姿を見て、中身が露呈することに恐れをなした。

肩書にすがる支えが砕け、蓋が取りはらわれてしまえば、結果は明らかである。溢れ出た死の恐怖に抗うこともできず、飲みこまれ、気がつけば私は飛ぶことができなくなってしまっていた。

テオのように恐怖を克服する心もなく、坂本のように輝く意志もない。ウィッチとしての高潔さを持つことができなかった私には、もう何も残されていない。

 

「私には、無理だ」

 

私はウィッチの紛い物だ。見た目を取り繕っただけのガラクタにすぎない。

太陽はもうすでに沈みきっている。

 

 

 

 

 




どうもこんにちは、私は這い上がる系のストーリーが大好きです。
いろいろ試しながら書いてみると文章が安定しないというか何というか。
とりあえず今回はネガティブ主人公です。ここで長引くのもアレなので、次は早く投稿したいところ、少ない文量で面白いものが書ける方々が羨ましい……もっと練習しないとあかんなぁ。



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