Eismeer   作:かくさん

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1939年 バルト海 氷の海04

東に扶桑皇国、西にブリタニア連邦王国と、世界に名だたる海軍国家に挟まれ本格的な海洋進出こそできなかったものの、長大にして広大な国土を持つオラーシャ帝国の海軍力は、世界のパワーバランスの中で決して無視することのできないものだ。

世界は海で繋がっており、大陸を跨ぐ大帝国を維持するためには、水上で戦うための相応の実力を身につけねばならないのは言うまでもない。であるから、長い歴史の中で、オラーシャ帝国海軍はいくつかの方面において、個別の艦隊を創設し、日々増強してきたのである。

そしてリバウはその一翼、バルト海防衛を担うバルチック艦隊の本拠地として栄えた軍港都市であった。

古くは商業の中心であり、今でも都市としての輝きを失ってはいない。

一たび空に舞えば、市街地全体に広がるレンガ造りの街並みを見ることができ、薄雲の間から見える、静謐な水をたたえるバルト海と陸地との境界線にたたずむ整然とした街の情景は、他の観光都市にも劣らない美しさであろう。スオムスからの空路を帰還するたびにその光景が出迎えてくれると思えば、バルト海を包む冷気を浴びることも、そう悪いことではないのではないかとすら感じる。軍事都市としての無骨さ、そこに旧時代の古くも華麗な文化が溶け込んでいるような、そんな不思議な雰囲気があった。

さて、美しさもさることながら、今は戦時中ともあり、世界の目が向くのは軍港としてのリバウだろう。現在のリバウ軍港には、本来の機能オラーシャ帝国海軍バルチック艦隊の本拠である他に、現在のバルト海、いや欧州情勢における重大な特異点となる要素があった。

扶桑皇国遣欧艦隊の存在である。

西大平洋の雄、極東の大国、扶桑皇国が欧州への援軍として送りだした精鋭中の精鋭、彼らが根拠地として定めたのも、ここリバウ軍港だったのだ。

第二次大戦の前哨戦と言われる1937年のヒスパニア戦役と扶桑海事変の後、欧州に戦乱の兆しありとの世界情勢を踏まえ、先んじて派遣されてきたのが第一陣。大戦勃発後は、カールスラント、スオムスへの義勇軍派遣とともに、遣欧艦隊にも選抜部隊の増派がなされ、扶桑皇国は、ネウロイに相対するための一大戦力をはるか大陸の向こうに保持することとなった。

現在の戦争の舞台が欧州であることは言うまでもないが、扶桑海事変での経験を積んだ皇国軍は他国から見ても非常に有力であり、彼の国にとってもまた、陸軍は扶桑海事変からの精鋭を含む義勇軍部隊、海軍は虎の子の空母機動艦隊を持ち出し、今次の大戦への参戦が真剣なものであることが容易に見てとれるだろう。

さらに遣欧艦隊は艦隊拠点としての港湾施設だけでなく、欧州本土での腰を据えた航空戦力の運用を考慮し、陸上にも基地を設置する。

リバウは軍事的な面とは言え一躍、国際都市としての役目も帯びることとなったのである。

大陸を隔てた反対側からやってきた極東の大戦力に、街は湧いた。人々からすれば、いつ自分の身に降りかかるかわからぬ戦火の恐怖に、脅えるだけだった毎日へと光りがさしたのと変わらぬのではないか。少なくとも、扶桑皇国海軍がリバウの景気に一役買ったのは、きっと私の思い違いではないはずだ。

さて、そんな事情も相まって、わずかにネウロイの進行という不穏な空気を漂わせながら、リバウの街は大きな賑わいを見せているのであった。

 

「やー、女の子同士で街を散策するって、どうしてこんなにワクワクするんでしょうね」

 

先頭を歩くライネルトが地図と周囲を見比べながら言う。

港にごく近く軍施設や市街地と隣接する区画、先のような活気が最もよく見られる場所だ。

私はテオとライネルトの二人と共に、人の往来の激しい大通りをのろのろと駄弁りながら歩いていた。通りに面した商店のガラス窓は白くくもり、外気の冷たさを際立たせているが、白い息を吐きながら客を呼び込む元気な店主もよく見かける。

すれ違う人々は誰もが厚手のコートを着込んでおり、制帽をかぶった軍関係者も幾度となく目に映った。我々の格好も支給された軍用コートにタイツを履くスタイルで、潮風が厳しいこの時期の海沿いは、ただ制服を着ただけでは少々厳しいと感じた。

 

「始めてきた街ってそうだよね、何だか冒険してるみたいでさ」

「でしょー? せっかくですしエールラー少尉も楽しんでいきましょうよ」

「ん、ああ……お構いなく、十分楽しんでるよ」

「うっそだぁ、眉間にしわ寄せて何言ってるんですかもー」

「放っておけ、これが自然なんだ」

 

初陣から一週間ほどが経過した今日。

今回の外出はベーア隊長からの命令を受け、新入り三人で出かけたものだ。命令内容は『都市の地理を実地で把握せよ』であった。

唐突に実戦を経験してからも訓練を続けている隊員への配慮だろう。慣れないことに疲れているだろうから息抜きをしてこい、ということだ。すでに東部で実戦を経験している士官の三人が指揮所に残り、軍資金まで手渡されているのがいい証拠であると思う。

しかしまあ、何であれ命令を受けたのならば、小さくとも成果を残さねばならない。私は周囲の立地を覚えつつ、空から見たらこの辺りだろうかなどとぼんやり考えていた。

 

「一応聞いておくが、ちゃんと命令をうけて外出してること理解してるよな」

「うん、大丈夫」

「ええ、もうバッチリです、しっかり予習もしてきましたよ。ここの通りの突き当たり、そこにある喫茶店はコーヒーが中々美味しいとか」

「待て待て、ベーア隊長はそんな場所を確認しろといった訳じゃあない気がするぞ」

 

私が懐疑の視線を送ると、ライネルトはコートのポケットから厚い手帳を取り出し開いた。

書かれているであろう文字を指と目で追って、それから私に言葉を返してくる。

 

「そうは言っても、隊長情報なんですよこれ。角砂糖五つ入れると苦みが消えていいとか何とか。コーヒーから苦みを消して何の意味があるのかわかりませんが、今度いっしょに試しに行きましょうね」

「遠慮しておく」

 

ベーア隊長は甘党か、あまり必要のない情報が増えていくな。

 

「あ、ティニちゃん、次の通りは左でいいの?」

 

私の一歩前を歩くテオがライネルトの地図を覗きこむようにして聞いた。

楽しい気持ちが抑えきれないという雰囲気だ。そわそわと落ち着きなく、そんな行動を繰り返している。

小さな溜め息を吐きながら、気心知れた相手というのもあるが、時速数百キロで空を駆ける芸当をこなしていてもやはり子供なのだな、と思った。

 

「ええ、合っていますよ。なぁに、心配しなくても私に任せてくれれば、まったく問題なんてありません……安心して、マイ・リトル・シスター」

 

しんみりしていた思考が一秒足らずで吹き飛ぶ。

聞き流していたはずの会話が終点まで至った瞬間、言い表せない悪寒が背筋を伝い、反射的に手が伸びた。

大股一歩でテオを抜き去り、大馬鹿者の首にガッチリと腕を絡める。

 

「ちょっと待ってエールラー少尉もいきなりチョークスリーパーなんてヒドイ」

「あの気持ちの悪い呼び方は私への当てつけか? ん? それとも私の解釈がひねくれすぎているか? どっちだろうな軍曹」

「姉さんなんて呼ばれてるんで、もしかしたらプライベートではヴァイセンベルガー少尉のことを妹とか呼んでいるのかもなーなんて思ってみたりぐええ」

「思うだけにしておけばよかったのにな」

「ダメだよ! やりすぎだよ姉さん!」

「お前が呼び方を改めないのが原因だろうが!」

 

ライネルトを締めあげるとテオが非難の声をあげるが、それも振り返りざまの一睨みでしどろもどろだ。

獲物が腕の中でもがいているのを感じながら、生前も中隊の連中とはこんなやり取りをくりかえしたものだと、しみじみ思った。あの頃は『少尉』を締めあげるのが日常であったが、まさか何の縁もないところで同じような境遇に立たされるとは、何とも不思議なものである。それとも『少尉』やライネルトのような人間はカールスラントのどこにでもいるのだろうか、一生気苦労に付きまとわれる想像が脳裏に浮かび、若干意識が遠のくのを感じた。

 

「あっ、と……でもそろそろやめてあげよう、ちょっと、その、可哀そう……?」

 

苦笑いを浮かべて、自信なさげにテオは言う。

悩んだあげくに出てきた言葉が、可哀そう、とは。そんな言葉をかけられるのも、それはそれで可哀そうだと思うのだが。

私から小さな怒気が霧散していく。なんとも、毒気が抜けたというか、やる気が失せたというか。

嘆息、腕をタップしてきたライネルトを解放する。

するりと離れて行ったライネルトは、ありがとうございますヴァイセンベルガー中尉ぃ、などと情けない声をあげてテオにしだれかかった。

テオはされるがままに、慌てふためきながら赤面する。突然のことに対応しきれなかったのだろう、ふらつきながらその場で立ち止まった。

私はと言えばその様子を見ていただけだったが、テオの後ろ、二人の体越しに、往来の中を早足で歩く男性の姿が見えて。

はっとしたが、もう遅い。危ないと警告する間もなく、男性は背の低い我々に気付かず、テオの背中に衝突してしまった。

 

「あわっ!?」

「ぐへえぇ」

「お、っと……失礼、お嬢さん」

 

背後から押し出されたテオが、ライネルトを巻き込んで私に突っ込んでくる。

私とテオの間でつぶされる形となり、大きな蛙の鳴き声を思わせる上品とは言えない呻き声を発するライネルト。

男性は怒ることもなく、帽子(ハット)のつばをつまんで一言謝罪すると先を急ぐ素振りで去っていってしまう。

 

「うわああ、ごめんね二人とも!」

「……ああ、苦しいけどお二人の間に挟まれるのも、これはこれで落ち着くような」

「やかましい、馬鹿を言ってないで離れろ」

 

気味の悪い笑みを浮かべるライネルトを放り出す。

何が楽しくて大通りの真ん中、女子三人で抱き合うような奇行をさらさねばならないのだ。

ただでさえ他国の軍服は注目を浴びるというのに、余計に目立つような真似はしたくはない。カールスラントの軍人は変人ぞろいだ、などという評判を流されでもしたら先達にも後輩にも、同僚にも、皇帝陛下(カイゼル)にも申し訳が立たんではないか。

 

「いやぁ、エールラー少尉がいなかったら冷たい地面に飛び込むところでした、賑やかなのも考えものですね、ゆっくり話せやしないんだもの」

 

コートを叩いて皺を伸ばしながら、ライネルトが言う。

やれやれと肩をすくめ不満げに唇を尖らせる。

腕時計を見れば時刻は十時になろうというところ、これから昼食時が近づけば人もさらに数を増してくるだろう。

 

「脇道使って行きませんか? 少し時間がかかるかもですけど」

 

地図を確認するのはライネルトの役目だ。手元の地図と睨めっこしながら、大通りとは別の近道を探そうとしている。

この悪戯好きの小娘の言うこととはいえ、一考の価値はあるか。私としては街にどんな物があるのかがわかればいい、どこどこの通りを使ってどこそこへ向えといった指示は一つも受けていない。もともと息抜き目的の外出だ、ある程度の自由は許されている。

だとすれば、やはりわざわざ人が多くて歩きにくい時間に、大通りを使う理由はないか。

 

「地図は読めているのか? 迷って基地に戻れなくなるのはちょっとな」

「問題ありませんとも、歩く羅針盤とは私のことです。もうバッチリ頭の中に入っていますよ」

 

どうも自信満々だが、そう大げさに言われると信憑性が薄れるのはどうしてだろうか。

 

「テオはどうだ?」

「私はー、うん、あんまり人ごみは歩きたくない、かなあ」

 

賛成多数と。

それならばライネルトの提案に異を唱える必要もない。方針は決まった、あとは動き出すだけ。

 

「道案内はこのままライネルトに任せる、頼んだぞ」

「お任せください、少尉殿(ロイトナント)

 

ライネルトは年相応の無邪気な笑みを浮かべ、大仰に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは薄暗い路地裏だった。左右に見えている建物は倉庫だろう、屋根は高く日光を遮り、壁はレンガだったが一日中陽が当たらないためかひんやりとしていて何となく無機質さを感じさせる。路地裏特有のジメジメとした空気はなく、むしろ乾燥しており舗装された地面は所々が凍りついていた。人の気配などあるはずもない、狭い空間を空気が流れる獣の呻き声のような音が不気味に響き渡っているだけだ、時折吹きつける強い風が体にぶつかるたびに、コートでは守ることのできない耳や鼻が冷え、痛みのような感覚を発してきた。

両脇の壁に切り取られたような、細長い青空を見上げ、ライネルトが呟く。

 

「……おかしい、ここはどこでしょうか」

「もう何も言うことはないぞ、歩く羅針盤」

 

先程の市街地のような喧騒からはまったく離れた場所だ。それだけは希望通りであったが、我々は路地裏を徘徊して一日を終えようとしている訳ではない。寒いし、陰気だし、楽しくない、何も見えない。

何のことはない、迷ったのだ。

 

「こんなに入り組んでいるなんて思っていませんでしたよ。どこまで歩いても倉庫倉庫、また倉庫。ここだと思って曲がっても行き止まり、都市部をあげて迷路でも作ってるんですかまったくもう!」

 

一応海沿いを目指して歩いていたのだが、それが失敗だったのかもしれない。

軍港施設の規模が大きくなっているため、その周辺は拡張が目覚ましく、地図通りになっていない場所も多いのだろう。我々はそこに入りこんでしまったのだ。空いている土地に随時倉庫を新設しているためか行き止まりも多い。

地図を基準に歩いていれば、それは迷うのも当然だ。やたらと自信過剰なライネルトであったが、私もテオも賛同していた上に、行き先に意見を述べずに放っておいたのも悪い。今回ばかりは必要以上にライネルトを非難する気は起きなかった。

 

「どうしよう、ここからでも引き返してみる?」

「いや、このまま海を目指して、視界が利く開けた場所を探した方がいい、この辺りの道はレンガの積み方よりも複雑だ。軍港まで辿り着けば、そこで道を聞いてもいいだろう」

 

テオは頷く。ライネルトはバツの悪そうな表情で、役に立たなくなってしまった地図をポケットにしまい込んだ。

後悔しても仕方がない。どこまでも永遠に陰気な路地裏が続く訳ではないのだ。歩き続けていればいずれ海が見えてくるだろう。

これはただ迷ったのではなく遠回りをしているだけなのだ、そう思うことにして、我々は誰ともなく歩きだした。

温かみを感じない壁面に圧力を感じながら足早に進んでいく。途中、寒そうに震える猫を見かけたが、固いコンクリートの地面を叩く軍用ブーツの足音が聞こえると、目を鋭くして逃げていってしまった。残念に思ったが、彼らからすれば我々は勝手に縄張りへと上がり込んできた侵入者なのだから、邪険に扱われても仕方ない。風が当たるたびにコートからしみ込んでくる肌寒さは相変わらずで、頭上に見える青空が恋しく思えて、早く暖かい日光を浴びたくなった。

しかしながら、物流を集積する倉庫が立ち並んでいるということは、港が近いはずなのだ。

歩いているにつれて、感じる風も何か匂いが変わってくる。乾燥していた空気が段々と湿り気を帯びているように感じた。建物同士の間隔はしだいに広くなっていき、先程までは一人一人縦に並んで歩かねばならなかったのが、今は三人横に並んでも不自由を感じない程になっていった。

いよいよ鼻が潮の匂いを感じ始めた頃、路地の先に光が見えた。実際には明るい程度の感覚だったが、延々と薄暗い場所を歩かされていた我々にはそう見えたのだ。自然と歩みも早くなる。海から吹きこむ潮風は冷たさを増していたが、路地の先は陽の暖かさを感じさせる。

路地の終点に至り、そこには軍港部との間を仕切る3メートルはあろうかという柵が張られていた。柵の上には有刺鉄線が巻かれ、侵入者を拒んでいる。

 

「行き止まりか」

 

いまだに迷路からの脱出は叶わない。最初からやり直し、とまではいかないが面倒はまだ続く。

が、陰鬱な気分にはならなかった。

早くその場を離れて道を探すべきなのだろうが、この時、私の頭からはそんなことは瑣末事だとばかりに抜け落ちてしまっていたのだ。他の二人も同様で柵に張り付くように、向こう側の後継を見つめている。

我々は見惚れていた。

 

「そうか、あれが『赤城』か」

 

思わずその名を呟く。海を行く、黒鉄の城がそこにはあった。

視線の先、赤城は我々にその姿を見せつけるように左舷を向けている。

鈍く光を照り返す灰色に、喫水線の下は目に鮮やかな赤。そこまでは軍艦として何か特別な物がある訳ではない、が、まず目を奪われたのはその威容、200mをゆうに超える艦影であった。艦体は艦首から艦尾まで機能美を感じさせる緩やかな流線形を描き、揺るぎなく上部の構造物を支えている。その上に乗るのは閉鎖式の格納庫だろうか、中身をうかがうことはもちろん不可能だが、外部の通路には扶桑海軍の水兵がひっきりなしに行きかっており、内部にはどれほどの航空機とストライカーユニットが積まれているのか想像を掻き立てる。さらにその上、脇に対空機銃が設置された飛行甲板が目に入った。中部を格納庫と一体化し、前後の浮いた部分を鉄骨で支えている。艦体のほとんどを覆う全通甲板の広さはいかほどのものか、幅は左舷しか見えないこの位置では把握できないが、下手なグラウンドよりもさらに広いことは容易に想像がついた。

 

「すごい……大きいね」

 

感心したようにテオがつぶやく。どこか放心したような気の抜けた口調だ。

私も思わず身を乗り出して観察したくなる。

見る者を圧倒するその巨体。赤城型空母はカールスラントにも売却されており、この鋼鉄の怪物と同型の艦がカールスラント海軍にも配備されていると思うと、大いに頼もしく感じた。あの艦があるのならばカールスラント、欧州もまだ大丈夫だ、と。

そう考えた時だ、唐突に我々の耳に飛び込んできた声があった。

 

「そこで何をしている!」

 

我々三人に髪の毛どころか、全身の毛が逆立つかのような衝撃が走る。びっくりしたなどと生易しいものではない、自分の心臓が最期の力を振り絞っているのかと思うぐらいに激しい鼓動が感じられた。落ち着いたらこのまま止まるんじゃないかと少し怖いほどだ。

隣の二人も同じだったらしく、いっせいに大慌てで振り返り声の主を見る。

 

「海外じゃあ船の性別は女だというが、同性とは言え覗き見は感心せんな」

 

続けられた言葉はオラーシャ語でもカールスラント語でもない。ほんの少しなまりを感じるが、とても流暢なブリタニア語だ。

相手の顔は一目見て欧州の人間ではないとわかった。

扶桑人の少女だ。

彼女は艶やかな黒髪を後ろ手にまとめ、釣り目がちな目で溢れんばかりの意志の強さをもって我々を見据えていた。その容姿でさらに特徴的なのは右目を覆い隠す眼帯であった、怪我かそれとも別の理由か、青色の帯のような太い線の入った白い眼帯をしている。服装は軍用コートを羽織っているが、首の部分が白い詰襟で隠れていた。扶桑皇国海軍の士官服だ。手には、たしか竹刀といったか、剣を模した鈍器のような物があり、足元に突き立てるようにしてそれを持っていた。

上から下まで厳しい目線で我々を見て、問う。

 

「軍人か。いや? なりすましということもあり得る、所属と階級を答えてもらおうか」

 

剣のような鈍器を携えて、それも将校自ら警邏とは扶桑の軍も穏やかじゃない。相手が激昂しておらず至って冷静なだけマシか。だが、きっと無駄口を叩いて警戒心を煽ると余計に面倒が増える事になる。ずっと眉尻を下げて不安げな顔をしているテオはこんな場面に向いている訳もなく、げんなりといった表情のライネルトは説明はできそうでも余計な一言が飛び出しそうで任せようがない。

相手の正面に立ち、隠している物がないことを示して両手を挙げる。

んんっ、と咳払いを一つ。

考えを変換して、士官教育期間に学んだブリタニア語に言葉を切り替えて言った。

 

「私は帝政カールスラント空軍、第77戦闘航空団第4飛行中隊所属、ハインリーケ・エールラー少尉です。隣にいる二人は同部隊のテオドーラ・ヴァイセンベルガー少尉とエルネスティーネ・ヴィルヘルミナ・ライネルト軍曹。身体検査をしていただければ兵隊手帳で証明がとれるかと、疑わしい場合はリバウ駐留の第77戦闘航空団司令部に問い合わせていただいてもかまいません。そちらの管轄区に無断で接近したことは謝罪します、ですがこれは全て道を見失ったことが原因であり、機密や物資に関する何かしらの意図があった訳ではないことを御理解いただきたい。退去勧告には今すぐにでも応じましょう、できれば案内か大通りへの道を提示していただければ、我々としても非常に助かります」

 

肺の空気を総動員して、ここまでを一息に言いきった。疑いを持たれているなら相手が確認したい情報を早いうちに伝えてしまった方がいい。時間が長引けば長引くほど、この手の誤解というのは大きくなっていくものだ。

私の長ったらしい返答を聞いて、扶桑の少女は難しい表情で視線を外した。我々の処遇を考えているのであろうか、何やら思案している。

と、思ったところ、彼女は唐突に顔をあげ、私に向って真っ直ぐに機敏な動きで歩み寄ってきた。

なぜか、抜き身の剣を持った武人に詰め寄られているような、得体のしれない威圧感を感じてしまう。早足で近づいてきた彼女は何を思ったのか、身構える私の肩を勢いよく半ば叩くようにつかんできた。

あらためて至近距離にある彼女の顔を見ると、人種は違えどとても綺麗な容姿をしている。その中で眼力の強い瞳が爛々と光を放っているのが印象的だった。

そして、彼女は呆ける私の前で、その端正な顔立ちを目いっぱい使って、満面の笑みを見せてきたのである。

 

「あのカールスラント空軍所属か! 理屈っぽいというのはやはり本当だったんだな!」

 

何、と私は唐突に雰囲気が変わったせいで、彼女の言葉の意味を認識できずに困惑することとなった。隣の二人も面食らって固まっているのがわかる。

そんな私の様子を見て、彼女は目をパチクリとしばたたかせ、数秒考えて言う。

 

「あ、理屈っぽいというのは悪い意味じゃないぞ、規律がとれてるのはいいことだしな。いや、たまたま知り合いのカールスラント空軍の大尉が少し奔放な方でな、初めて想像していた通りの受け答えが聞けて何だか感動してしまったというか……まあ何だ、気にしないでくれ! はっはっはっは!」

 

景気のいい笑い声が路地裏に反響する。

私が困惑したのはそう言うことではないのだが、まあいい、気にしていても仕方がない。

一しきり笑ったところで、彼女が見ていた顛末を話し始めた。

彼女いわく、路地裏に入っていくところから、地図を睨んでうろうろし始めたところまでを見ていたらしい。迷っているのか、悪さをしようとしているのか判断がつかず、最終的に海軍の管轄区に行きついたところで声をかけたという寸法だ。

話し方にも先のような険悪にも感じる雰囲気はなく、肩の重しが外れたようにも思える。ホッと一息休みを入れたいところだ。

 

「誤解が解けて何よりですね、ついでにうちの指揮所まで扶桑の海軍さんが送っていってくれたら嬉しいなぁなんて……あいたたた、冗談です」

 

不届きな言葉を発したのはライネルトだ。これはカールスラント語であったため聞かれていないとは思ったが、ほぼ反射的に、扶桑の少女に見えない背後からライネルトの脇腹の肉をねじり上げてしまった。

 

「通りまで案内しようか? ここでたむろしていると、また誰かに誤解されてしまうかもしれん」

「ええ、是非。感謝します、我々の不手際でお手を煩わせてしまって申し訳ない」

「なに、困った時はお互い様さ。見たところウィッチのようだし、ネウロイと戦うもの同士、助け合っていかないとな」

 

ライネルトの言動を聞いてか聞かずか、彼女は快く案内を申し出る。

もう安心だろうか、ありがたいことだ。

彼女の爽やかな笑みがとても眩しい。踵を返して歩きだした士官服の背中を三人で追う。

 

「そう言えば、どうしてこんな所に? 迷ったのは理解したが、非番の休日か?」

「いえ、我々の隊長から市内の地理を把握してくるように命令を受けたもので」

「ふむ、なるほど、たしかに必要なことではあるな。それで、成果のほどは?」

 

初対面の上、国と人種も違うという壁を気にせず、果敢に話かけてきた彼女にはとても好感が持てる。

決して良好とは言えないファーストコンタクトの印象は吹き飛び、大きく頷いて同意する彼女の横顔を見ながら、そんなことを思った。

 

「途中までは上々でしたね、最大の成果は赤城の実物を見れたことでしょうか」

 

振り返って、その艦影を目に収めながら問いに答えを返す。

路地の景色に切り取られ、一部しか見えないが、巨大な建造物の頼もしさ、やはりその造形には目を奪われそうになる。無意識のうちに歩みすら遅くなりそうになりそうで無理に体制を立て直した。

 

「はっはっは! いい艦だろう? 扶桑皇国海軍自慢の正規空母だからな!」

 

誇らしげに言う声を聞くが、嫌味な感じは全くしない。むしろ大手をふって頷けるほどに、同意してしまいたいくらいだ。同型艦を二隻も購入したカールスラント海軍の気持ちもよく理解できるというものだ。

彼女の言葉に私だけでなく、テオとライネルトも同意を示すと、何やら彼女は歩きながら考え込み始めた。

少しその挙動に疑問を抱くも、触れずにいると、拳で手のひらをポンと叩いて元気よく頷いた。

 

「なあ、もっと近くで見てみたくないか?」

 

振り返った彼女の表情はまた爽やかな笑みに彩られている。

ここでテオが驚きの声を発した。

 

「ホントですか!?」

「一度許可をとらねばならんが、国は違えど我々は同じ轡を並べる仲間だ。うちの海軍もそうそう邪険には扱わんよ」

「その申し出は個人的にも嬉しく思いますが、こちらとしても本隊からの許可が下りないことには」

「はは、それは仕方のないことだが、電話くらいならいくらでも貸してやれるさ。それに、街を把握してこいと言われたのだろう? うん、赤城ならちょうどいい目印だな」

 

私も一度は遠慮したが、言葉に反して勝手に顔がほころんでしまう。

彼女はうんうんと頷き、我々の顔を一人ずつ見ていく。

 

「エールラー少尉にヴァイセンベルガー少尉、ライネルト軍曹だったか。早めに手続きを済ませたいから確認しておこう、間違いないな?」

 

問いには首肯。

それを見て、やはり満足げに笑う。そして、彼女は一生涯忘れることはないであろう名を名乗ったのである。

 

 

「申し遅れたが、私は扶桑皇国海軍少尉、坂本美緒という。よろしく頼むぞ」

 


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