Eismeer   作:かくさん

3 / 13
1939年 バルト海 氷の海02

眼下に広がるバルト海の景色を見降ろす。

まず目に映るのは、冬の冷たい空気が作り出す低い雲だ。さらに、薄くたなびく真っ白な綿のようなそれの間から、陽光を照り返す美しい海面が覗いた。

渡り鳥か、それとも科学技術によって空を飛ぶ術を得た人間という生き物にしか見る事の叶わぬ風景。

しかし、海上を空から見るのという初めての体験も、空へと飛び立ってしばらくすると、抱いた感慨は少しづつ薄れてくる。

運が良ければ、我々人類が守るべき欧州大陸も見えたかもしれないが、あいにくと、陸地は視界を遮るもやの向こう側だ。

変わり映えしない海から移した視線を前方へ向け、周囲の警戒を再開する。退屈だろうと、つまらなかろうと、緊張感だけは手放さない。腕に抱えたMG34機関銃の重みが、私に「ここは戦場だ」と言い聞かせ縛りつけようとしている、そのように感じられた。

余計な物は、もう眼に映らない。五つの僚機と、護衛対象であるJu52輸送機以外の物体が見えたら、それが敵機だ。

高度はおよそ六千メートル。

風が少し強い。首からさげた戦闘機パイロット用のゴーグルが小さく揺れた。保護魔法によるフィールド越しでも、肺を凍らせるような冬の、しかも高空の冷たい風が吹きすさいでいるのがわかる。

流動する雲の間から見える、かもしれない敵機を、無心に探し続ける。

しばらくして耳に取り付けた無線受信機から声が聞こえた。

 

「あー……こちら赤一番機、中隊各機、状況を報告しろ」

 

隊長機からの通信だ。さらに指先でマイクを叩く音、軽いノイズが二回走る。

送れ、の合図である。

 

「こちら赤二番機、異常無し……『あー』なんて情けない声出さないでちょうだい、新人達の教育に悪いでしょ」

 

溜め息混じりの声は副隊長機。

銃を抱いていなければ、こめかみを押さえていそうな声色で話す。

 

「だいったい、アンタはただでさえガサツで雑で乱暴で適当なんだから、こういう所で気をつけないとこっちにまで迷惑が」

「んなこと離陸前にも聞いてる、ちゃんと理解してるから言わなくていいっての。長くなるなら地上で聞くから、んじゃー、また後で、以上」

「なっ、ハァ!? ちょっと! 私はアンタが理解してないから言ってんのに!」

「うるせーうるせー! 次だ次! 赤三番機、状況報告!」

 

無線を介して言い争う二人の姿が、輸送機の翼越しにチラリと見えた。後ろ姿しか見えないため表情はうかがえないが、大声を出すたびに姿勢が小さく揺れている。

中隊の編成は六人。

三つの二機編隊(ロッテ)を組み、輸送機を三角形で囲むように、前に二名、後ろに四名でフォーメーションを作っている。

私とテオのロッテは輸送機の右後ろを担当していた。

 

「……赤三番機、異常なし」

「赤四番、異常なーし! んふふ、楽しそうですねぇ隊長達」

 

赤三番と赤四番のコールサインは、反対の左側を担当する二人のものだ。

抑揚のない気だるげな寝起きのような声と、それと対照的なやけに明るい楽しげな声が返る。

どうにも護衛任務の最中という状況には、そぐわない空気であった。

慣れない雰囲気に、溜め息をつきそうにもなるが、隊員同士のコミュニケーションが取れているだけマシかと思い直す。仲間といがみ合いながら、銃弾飛び交う戦場にいれる人間など、どこにもいやしない。

 

「赤五番機、異常なし」

 

赤五番は私のコールサイン。

もう一度周囲を見回し、何も異常のない事を伝える。

敵影見えず。

スオムスまで輸送機を護衛する時間のかかる任務であったが、すでに航路の半ばを過ぎても敵機の姿を見る事はなかった。

空中輸送路の遮断は向こう(ネウロイ)にとってそこまで重要な事でもないのか、それとも単に気付いてすらいないのか。

私には奴らの思考を理解することなどできないのだから、考えるだけ無駄な事である。

仮にネウロイに知能に類するものがあったとしても、奴らが鉛玉を撃ちこんでくるなら、我々は撃ち返さなければならない。

私がやることも変わらない。敵機が現れたら、無数の弾丸を機体にぶち込んでスクラップに変えてやればいいだけの話だ。何も難しい事は無い。それだけで輸送機を操るパイロットの命も、スオムスへの輸送路も守ることができる。

気持ちを引き締め、MG34機関銃を持ち直す。意識は周囲に拡散、視野を広くたもち、警戒は厳に。

と、ここで、何か足りない事に気がついた。

 

「おい、赤六番機、聞こえるかー?」

 

隊長からの通信が聞こえる。

どう決着がついたのかはわからないが、いつの間にか、言い争いも終わっていたようだ。

 

「赤六番、おーい?」

 

もう一度赤六番機を呼ぶ。

返事は無い。

そう言えば赤六番機からの状況報告があがっていなかった。

赤六番のコールサイン、割り当てられたのはテオドーラ・ヴァイセンベルガー。

私は軽いめまいを感じた。

隣を飛んでいる彼女を見ると、ハンドリック少佐と面会した時のように、顔面から血の気が引いているのがわかる。緊張で声も聞こえていないのだろう。

機関銃を抱きしめるようにかかえて、視線は周囲にせわしなく泳いでいる。

 

「エールラー、ヴァイセンベルガーは大丈夫なの?」

 

今度は副隊長からの通信が入る。

小さな声で、コールサインではない本名での会話。テオの事を心配してくれているのだろう、いい上官だ。

 

「問題ありません」

「そう? 初めての任務だから緊張してると思うんだけど」

「大丈夫です、初めて飛んだ時もそうでした。じきに慣れるはずです」

 

これでも士官教育まで受けているのだ。そうでなくては困るし、教官も浮かばれない。

私は若干速度を緩め、そばを飛ぶテオとの距離をさらに縮める。

 

「赤六番、応答しろ。赤六番」

 

返事が無い。

表情に変化も見られない。

 

「テオ、返事くらいしろ……おい、テオ!」

 

無線が壊れていなければ、聞こえていないはずはないのだが。

何度呼んでも、やはり応答は見られない。

私はいよいよ溜め息を深くした。

どうにもこの娘を再起動させるたびに、強力な刺激が必要になるらしい。一しきり打開策を考えたが見つからず、結局こうなるのか、と嘆息。

そして思い切り息を吸い込んだ。

 

「返事はどうしたテオドーラ・ヴァイセンベルガー! 上官の問いに答えんとはどういうことだ!」

 

大声。

とたん、テオの体が大きく震え、硬直する。

その拍子に機関銃が手からこぼれ、肩紐(スリング)にぶら下がった。

 

「聞こえていないのか? ん? ヴァイセンベルガー訓練兵、貴様の耳はブリキの玩具ででもできているのか?」

「聞こえております教官殿! 申し訳ありません!」

 

テオは体を水平に保った姿勢のまま敬礼をする。

機関銃が振り子のように左右に揺れた。

 

「ほう? では何故返答しない、貴様にやる気はあるのか! 無いのか! どっちだ!」

「あります! 恥ずかしながら緊張に飲まれておりました!」

「言い訳はいらん! 今すぐに状況を報告しろ!」

「ヤー! 中隊はバルト海北東部をスオムスへ向け速度120ノットで飛行中! 雲多し、敵影いまだ発見できず!」

「そう言えばいいだけなのに……何でお前はまったく」

「うん……ごめんね、姉さん」

 

正気にもどったテオの謝罪を聞きながら、私は頭を抱えたくなった。

この調子では慣れるまでにどれくらいかかることやら。

個性と言ってしまえば、それまでではあるが、上がり症は軍人にとってマイナスにしかならないだろう。

ちゃんと見ておいてやらねば訳もわからぬまま撃墜されて命を落とすか、一生モノのトラウマを作るか、どちらにしてもロクなことになりやしない。

 

「いやぁ、お二人とも面白い方ですねぇ」

 

赤三番機が緊張感の無い声で言う。

面白いで済めばいいのだがな。

僚機を見殺しにするなどという選択肢は存在しないのだから、テオが実戦で同じ状態になったら、困るのは中隊の全員だろうに。

テオの潜在能力に期待しているのだろうか、それとも一人二人足を引っ張っても何とかする自信があるのか。

 

「すごく、個性的……というより……変」

「あっはっはっは! それをお前が言うのかぁ?」

「……アンタら全員人のこと言えないわよ」

「酷いですね副隊長殿、少なくとも私はまともですよ? 他と違って」

「それは、ない」

「うん、ないない、ぜってーないな」

 

会話を聞いていると、単に緊張感にかけているだけのような気もするが。

凛々しくてカッコいい空の乙女に憧れる女子たちには、あまり聞かせたくない会話であった。

どうにも自分だけが気を張っていたように思えて、少々気が抜けてしまう。

これがウィッチの普通なのだろうか。

ウィッチに対しては軍規も大分緩いようであるし、過度な緊張を強いないよう、軍全体でそのように雰囲気を作っているのかもしれない。

まあ、少女を戦場に送りだすのだ、それくらいの配慮をしても不思議ではないと言えば不思議ではないか。

そんな事を考え、やはり気が緩んできているのを自覚する。

先程、気を引き締めようと思った矢先にこれだ。空気に流された事もあれど、自分の自制心の無さに少し呆れる。

まったく、一度は戦闘機一個中隊を率いた身とは思えんな、と心の中で呟いた。

霧散した意識を集めて、また遠くへ向ける。

と、そこで気がついた。

 

「……何かいる」

 

今の一言が聞こえたのだろう。

通信機から聞こえていた姦しい会話が途切れた。

目を凝らして遥か彼方を凝視する。白い雲の間に、小麦の粒ほどもない大きさの、黒い点が見えた。

首から下がっていたゴーグルをかけ直す。次いで、限界まで目を見開いて、黒点を補足。

体内の魔力が流れ出すのを感じ、私の固有魔法が機能をはじめる。

 

「報告しろ」

 

隊長から短い命令が飛んだ。声色は、先程とは別人のように冷静で、緊張感を含んだものだった。

私は目標を補足し続ける。

やがて、ゴーグルに文字が浮かぶかのように、視界の中に『情報が表示』された。

黒点から線が伸び、その先に『ラロス』の文字。さらに続けて、敵機の数、進路、高度など必要な情報が次々と現れる。

 

「赤五番機より各機、敵機発見。ラロス級、数8、二時方向距離10000、高度2500を南南西へ向けて140ノットで進行中」

 

情報の表示は自分の残燃料数、残弾数が現れたところで止まった。

私の固有魔法は、かのアドルフィーネ・ガランド少佐が持つ魔眼のような能力だ。

ゴーグル着用による視界の限定で集中力を制御し、見える範囲の情報を収集して、可視化する。

ちょうど今のように、敵機や僚機の状態、位置、進路が、文字や記号となってゴーグルに映っているように見えるのだ。

簡単に言えば、見えているものを、もっと見やすくする力だろうか。

 

「便利な固有魔法ですね、うらやましいです」

「あるに越したことはないがな、索敵に限ってはそうでもないさ」

 

赤四番からの言葉を否定する。

利点の反面、ガランド少佐の魔眼ように、見えないものを見えるようにする訳ではないため、使いどころが難しい。

今回は運良く肉眼で敵機を見つける事ができたから良かったが、そうでなかった場合には、発動したところで補足する事もできなかったに違いない。私の固有魔法は、あくまで見えたうえで使わなければならないのだ。

索敵として使うには有効な範囲が狭すぎる。かといって、格闘戦を行うにも、一撃離脱に徹するにも、役に立つかは実際に撃ちあってみなければ判断のしようもない。

何かと評価に困る力であった。

ややあって、隊長と副隊長の会話が聞こえてくる。

 

「スオムスまであとどれくらいだ」

「飛行時間から考えると、そこまで離れていないはず。長くて200キロってところかしら」

「自前の燃料で充分か、敵機を撃破する。全機増槽落とせ」

 

敵機との距離は10000から徐々に減りつつある。向こうがこちらに気がついているかは定かではないが、このままいけばニアミスするのは確実だろう。

奴らが我々をそのまま通してくれるとは、到底思えない。

隊長は撃たれる前に撃つと決めたようだった。

飛行脚用の燃料が積まれた小型のタンクを切り離す。楕円形のそれは不規則な回転をして、雲の中に消えた。

 

「向こうに飛んでるガラクタ八機は、私と赤二番で狩るぞ。赤三番から六番は残って輸送機を護衛しろ」

「ヤー」

 

副隊長が返答し、その他の隊員も習う。

ラロス八機の編隊は、そこまで規模が大きいとは言えない。

経験を積んだ隊長機と副隊長ならば、充分におつりがくる。残る我々はその予備だ、万が一の場合に輸送機の盾になればいい。

 

「じゃあ行くぞ。また後でな、お前ら」

「赤五番、六番をちゃんと見ておいてあげなさいよ?」

 

先行する二人が高度をあげて視界から消えた。

輸送機はラロスと接近する進路から外れるために、左へ舵を切っていく。

視線は周囲を警戒しようと、無意識のうちに忙しない挙動を始める。

中隊にとって初めての、私にとっては十二年ぶりの実戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

            ♦♦♦♦♦

 

 

 

 

 

 

数日前。

 

リバウ軍港、第77戦闘航空団隊舎。

司令室のある建物から、ほど近い、立地のいい隊舎だが、実際はリバウに展開するオラーシャ海軍の施設を借り受けたものだ。

オラーシャが誇るバルチック艦隊の本拠地、さらには扶桑皇国も駐留する国際的な軍港都市。その中の施設の一つとあって、末端の兵士のための建物であれど、装いは立派なものだった。

まあしかし、立派と言っても私の感覚がずれているだけかもしれないが。

カールスラントの前線基地は、オストマルク崩壊後の混乱の最中に造られたため、急造の物も多い。

そのせいで冬になった頃、ちょうど11月に入ったこの時期には、将校下士官問わず、吹き込んでくる隙間風に身を震わせることになった。物資の節約のために無駄な燃料は使えないのだ。あの時ほど、たき火にありがたみを感じた期間は記憶にない。

何にせよ、そんな環境に比べればここは天国に等しい。

 

「ここだな」

 

私はテオをともなってドアの前に立った。

目線よりも少し上、その横には確かに『第4飛行中隊』とある。

中では複数人が歩く気配がする、誰かいるのは間違いなさそうだ。

 

「……大丈夫か?」

 

ノックの前に、隣のテオに聞いてみる。

私はおそらく問題ないが、心配なのはテオの方だ。

返ってくる反応は、固い表情でコクコクと頷く動作のみ、司令との顔合わせよりかは幾分かマシだが、それでも不安で仕方がない。

 

「恥ずかしいのか?」

「……うん……でも、大丈夫、きっと……うん」

 

一瞬返事が返ってきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。自分に大丈夫だと言い聞かせているようだ。

 

「入る前に休むか、どうする?」

「大丈夫……大丈夫、そう、大丈夫」

「とても大丈夫そうには見えんぞ」

「リーケ姉さん」

「ん……んっ? 何だ、どうした?」

 

突然に名を呼ばれて、返答に詰まる。

よくわからんうちに心の整理がついたのか、テオは決意に満ちた表情で私に向き直った。

強い意志がこもっているように見える瞳に、少し気押される。

 

「私が先に入るよ、挨拶も私がする」

「ああ、うん? いいのか?」

 

彼女の一言に、思わず聞き返してしまった。

正直、初対面と言えど、ただの顔合わせなのだから大したことではないのだが、この気弱でそそっかしい娘に限っては相当難しい事のように感じる。

心配だ、とてもとても心配であった。

 

「大丈夫、私だって軍人だよ、このくらいでつまずいてちゃいけないと思う」

 

口を真一文字に引き結び、おっとりした印象を与える目を、釣り上げた顔で言う。

私は頬をかいた。

少し考える。

たしかに、小さい事でも何かに挑戦する機会を与えた方が今後のためだと思わなくもない。

 

「よし、わかった。そこまで言うならしっかりするんだぞ」

「うん」

 

不敵な、似合わない笑みを浮かべてテオが頷く。

私は入れ替わるように彼女の後ろに回った。

 

「身だしなみは?」

「制帽、襟元、大丈夫」

「ノックはちゃんとしろよ?」

「うん、大丈夫」

「その前に深呼吸」

「スー……ハー……」

「よし行け!」

「うん!」

 

部屋に入るまでには、こんなに手間をかけるものだったか、と疑問に思ったが無視。

頷き、ごくごく自然な動きでドアを叩こうとするテオ。

だが、大丈夫だろう、そう思った時ほど、良くない事は起こるものである。

 

『バッカヤロウ! 触んな!』

 

ノックしようとした手が、ビクリと痙攣して止まった。

部屋の中から怒鳴り声が聞こえてきたのだ。

手を空中に固定したまま、テオは小刻みに震え始める。

ダメだ、もう、台無しだ。

 

「リ、リーケ姉さん……どうしよう」

 

涙目になってテオが振り向いた。

 

「いや、待て泣くんじゃない」

「だって、だって……さ、さわ、触るなって」

「お前に言った訳じゃないだろう、元気出せほら」

 

溜め息をつきながら慰めてやるが、テオの心はもうキレイにへし折れてしまっている。

本当に台無しだ。

頭痛を感じながらドアの向こうに意識を向けると、内部の会話が聞こえてくる。

 

『その飾りはそこであってんだよ! 勝手に移動するんじゃねえ!』

『何言ってんのよ! 絶対こっち! アンタのセンスに任せてたら埒が明かないわ!』

『じゃあお前のセンスは正しいってか? 馬鹿も休み休み言え、幼年学校のお遊戯じゃねえんだぞ?』

『そっちこそ馬鹿言わないでもらえる? これがげいじゅつだぁ、なんて訳わかんないこと言って、部屋中荒らされたんじゃたまんないもの』

『隊長命令だ、その飾りを元に戻せ!』

『うっさい! アンタの好きにさせるもんですか、副隊長って言うのは隊長の暴走を止めるためにいんのよ!』

『いい加減にしましょうよ、お二方ったらー、もう新人の少尉さん来ちゃいますよー?』

『何言っても無駄……こうなったら、止まらない』

『うわあ諦めるの早いですねぇ』

 

テオの代わりに中に入ろうと思ったが、流石にこれは私でも入りにくい。

第4飛行中隊はどんな人員で構成されているのか。

今後この部隊でやっていけるのか、かなり不安に思えてきた。

 

『いーやあ面倒ですね。どうしましょ、うん、どうしようもありませんね、ですのでお二方が落ち着くまで私は外で待ってます。終わったら呼んでくださいな』

 

喧騒に混じって芝居がかった声が聞こえてくる。

さらに続いて足音。

あっ、と思う間もなくドアが内側から開いた。

 

「いやはや人間関係は難しい……おや」

 

出てきたのは私よりも背の低い少女であった。

癖っ毛が目立つショートヘアが活発な印象を抱かせる。

少女は我々を見るなり大きな目を丸くした。観察するように私を足から頭頂部まで見て、階級章に目を止める。

おお、と納得したように手を打ち、次の瞬間には背筋の伸びた綺麗な敬礼を見せた。

 

「これは少尉殿、エルネスティーネ=ヴィルヘルミナ・ライネルト軍曹です。どのようなご用件でしょうか」

 

演劇のような大仰な言い回しが鼻についたが、とっさの反応としては模範的な行動である。

少し感心しながら、私も答礼する。

 

「ハインリーケ・エールラー少尉だ、今日から第4飛行中隊配属となる」

「新任の少尉殿ですか、よろしくお願いします……まあ、本当は隊長が先に挨拶するのが普通なんですけどねえ」

 

ライネルト軍曹は腰に手を当てて部屋の中に目を向ける。

その先からは相変わらず二人の少女の言い争う声が聞こえていた。

 

「隊長も副隊長もあの調子なもので、困ったもんです」

「お二人はいつもそうなのか?」

「ええ、まあ、リバウ配属前から仲はよろしくなかったようで。オストマルク戦線で活躍していたから腕は確かなはずですがね」

 

なるほど、と最後の言葉を聞いて、隊長と副隊長への印象を上方修正する。

オストマルクでの戦いと言えば、初期の鉄門陥落から撤退戦が主であっただろう。

現在の東部戦線にも劣らない凄惨な戦いだったはずだ。そこを生き残ったのであれば、やはりウィッチとしての技能に大きな期待を抱くことができる。

腕もいい、実戦経験もある、そんな兵士はどこへ行っても重宝されるのだ。

と、思考するのはここまで。

私は感心しつつ、テオを肘で小突く。

 

「いつまで震えてるんだ、お前も挨拶しろ」

「あ、っはい、新任のテオドーラ・ヴァイセンベルガー少尉です…………よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。相手は下士官なんですから、緊張しなくてもいいと思いますよ? 私だって任官したてのぺーぺーですもの」

 

おっかなびっくりといった様子のテオに、ライネルト軍曹は笑いかけた。

どっちが上官かわからない。そのうち苦労するだろうな、と幼馴染の将来を思ってこめかみを押さえる。

一方、ライネルト軍曹は少し考え、ポケットの中から何かをとりだした。

包装紙に包まれた小さい板状の物、チューイングガムだ。

 

「甘いものでも食べて落ち着きませんか? どうです、リベリオンからの輸入品ですよ」

 

数枚の束から突き出た一枚を差し出され、テオは少しだけ目を輝かせた。

手を伸ばそうとして、その前に私に目配せしてくる。

何でもかんでも私に許可を貰わねばいかんのか、この娘は。幼少時に世話を焼き過ぎたことを今更になって反省しなければならないとは。

首だけを動かして、貰えばいいだろうと合図。

テオはにこっと笑ってチューイングガムに手を伸ばした。

いずれ一人立ちさせねばならないだろう、本当にこの子のためにならない。

 

「エールラー少尉もいかがですか?」

 

ポケットからもう一つ束を取り出して、ライネルト軍曹が聞いてきた。

貰おう、私もそう言って手を伸ばす。

だが、そこで何か違和感を感じた。

 

「どうしました?」

 

空中で手を止めた。

ライネルト軍曹の朗らかな笑み。

どうにもそこに、嫌なものを感じとったのだ。

愛想はいいが、何か腹に抱えているような顔。今は記憶の彼方だが、私は誰しもを安心させる柔らかい笑顔を浮かべながら、平気で上官にロクでもない悪戯を仕掛ける『少尉』のような人間がいる事を知っている。

 

「遠慮なさらずに、ささ、どうぞ」

「いや、私はいらな」

「ひぎゃあ!」

 

手を引っこめたその時だった。

私の言葉を遮って、一瞬の短い悲鳴が響いた。

見ればテオの指先にチューイングガムが『喰らいついている』。

チューイングガムに似せたダミーを引っ張ると、中からネズミ捕りのような、バネの仕掛けが飛び出して指を挟む悪戯用の玩具である。

テオは指から外すのを忘れて、虫に噛みつかれたかのような動作で、涙目で腕を振り回している。

 

「ナーイスリアクション」

 

朗らかな笑みのままライネルト軍曹が言う。

私は顔の筋肉が引きつるのを感じた。

心配だ。

テオを落ち着かせる事も忘れて、自分の今後に思いを巡らせる。

 

 

 

――――私はこの部隊でやっていけるのだろうか?

 

 

 

この時ばかりはウィッチとしての、ひいては軍人としての自信も裸足で逃げ出さんという心境であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。