Eismeer   作:かくさん

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1939年 バルト海 氷の海01

1939年 11月 カールスラント北東部

 

 

 

車輪がレール上を回転する規則的な振動。

長距離列車の一両、その中に並ぶ個室の内一つ、生ぬるい日差しが差し込む車窓のそばに、私はいた。

水分の足りない眼球が発する痛みをこらえ、目を覚ます。

とても、とても嫌な夢を見た。

戦闘機のパイロットをしていた私が、部下を失ったあげく、自暴自棄になって爆撃機へ突っ込む夢だ。

『生まれ直して』から十二年にもなったというのに、死んだ瞬間の記憶というのは焼印のごとく、いつになろうと消えてくれないらしい。きっと将来子供ができる時も、孫ができる年になっても、きっと忘れ去ろうとした頃に、また夢を見るのだろう。

心が重たい何かに縛りつけられているようだ、気が滅入ってしょうがない。

死への恐怖のためか、情けなく震える体を誤魔化すように、背伸びを一つ。体を動かすと軽い目まいと吐き気を感じた。その後に、顔をペタペタと、輪郭をなぞるように触って確かめる。

目、鼻、口、耳、どこか欠損している部位もない、体温もある。部屋に備え付けの鏡には、癖のないブラウンの長髪と琥珀色の瞳を持った少女が映っており、寝起きで微かに赤みがかった顔で、眉間にしわを寄せた厳しい表情を向けている。脈を確かめたが、心臓はゆっくりと、だが確実に鼓動を繰り返しているのがわかった。

時間をかけて、自分の体が生命活動を停止していないかを確認。死に際を思い出すたび、こんな調子だ。

 

「……生きてるんだよな、私は」

 

眠気はもう感じない。

たとえ体が睡眠を欲したとしても、またあの瞬間を見るくらいなら、それはもう眠らない方がずっとマシだ。

幸いにも、列車はもう目的地のそばまで来ているらしく、部屋の外からは慌ただしい足音が聞こえ始めている。寝覚めは最悪だったが、目を覚ましたこと自体はちょうどいいタイミングだと言えた。

対面の座席で眠りこけている同僚兼妹分を横目に、自分の荷物がどこに置いてあるのかを確認。別にバッグの中身をひっくり返してパーティーを始めた訳でもないから、そんな作業はすぐに終わってしまう。

あとは駅のホームで、列車が止まるのを待つばかり。

ふと、座席のわきに置いていた制帽を手に取って、内側を覗いた。黒い下地に白い糸で刺繍してある名前は、ハインリーケ・エールラー。

 

 

 

 

 

 

 

私はこの世界に、二度目の生を受けた。それも、一度目の生の全ての記憶を忘れ去ることも無く。

こんな事を実際に口に出して言ってしまえば、何を馬鹿なことを言っているのだという白い目で見られることは考えずともわかる、しかし私の身に起こったそれは紛れもない事実であった。

全く同じ名を両親から与えられ、性別も変わらず女性。出身地がバーデンであることや、9月14日の誕生日も変わっていない。

唯一、一度目の世界では1917年生まれだった誕生年が、十年分ずれこんで1927年生まれになっていたことだけが不思議でならなかった。

ともあれ、二十二歳、乾ききった戦いの中自暴自棄とも言える体当たりで戦死するという己の最期までを明確に記憶したままの頭では、如何に身体が子供のものであろうともそれらしく振る舞うことも難しい。

そんな、傍から見れば可愛げも何もあった物ではない私を、父も母も、変わらず愛してくれていて。

これ以上ないくらいに幸せだった。もしや、これがやはり天国というものでは無いだろうかと思ってしまう程には。

それも当たり前のことだろう。もう会う事もないと、覚悟の上で私は己のが身を投げ出したのだから。

だが、家族と過ごすそんな幸福な生活の中でも、どこか私の心には陰りのようなものがあった。

一体、いつ、あの金属でできた化け物がまた姿を現すのか。

第一次大戦が、歴史の通り起こったのは知っていた。

後に1936年、私が八歳になった頃だ。ヒスパニアで小規模怪異発生のニュースを耳にした時、歴史は変わらないと、やはりネウロイはやってくるのだと確信させられることとなった。

やがて、予想のとおり、極東では一度目の世界と同じ時期に扶桑海事変が勃発し、世界ではネウロイへの脅威が叫ばれ始める。

ウィッチの重要性を再認識した各国は、宮藤理論を取り入れたストライカーユニットの生産を開始。今考えれば、その時には、第二次大戦へのカウントダウンはすでに始まっていたのである。

が、歴史を知っていたところで私に何かができる訳でもない。大戦が勃発するのは1939年9月であり、誕生日を迎えても誕生年が十年ずれ込んだ私の年齢は12歳にしかならないのだ。

戦闘機になど乗れるはずもなかった。今度は飛ぶことすらできない。半身をもぎ取られたかのような喪失感。

そうやって茫然自失としていたのが、1938年の時、この頃の私は本当に両親に迷惑をかけただろう。十歳そこそこの小娘が「無力な私には何も出来ない、いずれ自分の見ていない空で誰かが死ぬ」などという大それた悩みを持っていたのだ。

悩めども悩めども、打開策など見つけられる訳もなく。

しかし、そう言うものだと自分に言い聞かせ、思考を放棄してしまおうと考えたある日、十年分のタイムラグに心の底から感謝する瞬間が、ふいにやってきたのである。

 

 

 

 

 

町中を散策していた時のことだ。

何の気なしに、ある店先のショーケースを覗いて、ガラスに映った自分の姿を見て驚愕した。

何か特徴がある訳でもなかった私の頭には犬の耳が、ズボンからは尻尾がはみ出ていたのである。

ウィッチに仮装する玩具は売られているが、私の頭と尻から生えていたのは、よくよく見ずとも明らかに生き物の一部であったし、触れた感触もしっかりと伝わってきた。

一体どこで使い魔との契約に至ったのか。契約の方法は、適性のある女子の尻に使い魔が触れるだけであるし、ベンチなどに座った拍子に踏みつけてしまったのかもしれない。

困惑に困惑を重ねたその日は、とりあえずの判断で両親に報告して、一まずは落ち着いたのだが、翌日にはどこから聞きつけてきたのか軍の担当官が家まで押しかける騒ぎになってしまった。

さらに、彼らはその場の検査で、私に一万人に一人と言われる空戦ウィッチの適性があると告げ、空軍入隊の書類の束を差し出してきたのである。

私としては陸戦だろうが空戦だろうが、自分にウィッチの適性があることそのものが驚愕すべき事態であった。

適性が現れるのが遅かったり、魔力が少なかったりといった理由で、検査から漏れるウィッチもいると聞いたが、一度目の世界の私も案外その内の一人だったのだろうか。

そう考えると、やはり十年の遅生まれに感謝もしたくなるというものだ。

とにかく、空軍からの勧誘は渡りに船であった。そこから続いたのは連日連夜、反対する両親と押し問答である。両親の心配は本当にありがたかったが、空に対する憧憬だけはどうしても譲ることはできなかった。

結局、最終的に首を縦に振らされたのは両親であり、私は晴れて、帝政カールスラント空軍の門をくぐる事になったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

やがて、ついにやってきた1939年。

黒海周辺にネウロイが出現した。

初めはドナウ川流域の国家ダキアが、次に隣国であるオストマルクが防衛の要所であったカルパティア山脈の鉄門を破られ、瞬く間に陥落。

間もなく、西進したネウロイとカールスラントが戦闘状態に入る。

また、その後の北進と東部攻勢によって、レンベルク、ドニエプル川防衛線が崩壊したオラーシャは、欧州との連絡路を遮断され、首都モスクワを含むウラル山脈以西を失った。

囲い込みに失敗した各地戦線はついに北はスオムス、西はカールスラント、ロマーニャまで到達し、人類は着々と欧州での生存圏を奪われつつある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時は今、1939年11月に至る。

空戦ウィッチとしての訓練課程を修了した私は少尉に任官し、カールスラントから北東の国境線近く、オラーシャ領リバウへ移動の途中であった。

問題が無い限り、そこに駐留する第77戦闘航空団への配属が決まっている。

配属先であるリバウはバルト海沿岸の都市ペテルブルグが陥落した今、安全な地域という訳ではないが、激戦区である東部戦線に比べれば、まだ本格的な侵攻を受けておらず、主戦場とは言い難い。

東部戦線、オストマルク国境にはカールスラントのほぼ全軍が展開しており、それだけ規模が大きく、かつ苛烈な戦場であるという事だ。

一度経験済みの私も、それは重々承知している。

また、リバウの軍港には扶桑皇国欧州派遣軍の本拠地が設置されていると聞く。扶桑海事変を戦い抜いた極東のエースが何人も駐留しているのだ、戦力は充分足りているはず。

それでいて、主戦場の戦力に余裕が無いというのに我々が投入されないのは、おそらく、任官したての新米に対する配慮だろう。

正直に言えば、役立たずのひよっこは引っこんでいろと言われているようで、少々納得がいかない決定だった。

 

「おい、テオ、そろそろ起きろ」

 

列車が速度を落としつつある、もうすぐ到着だ。

思案もそこそこに、さっきから眠りこけているテオドーラ……テオを起こさねばならない。

肩をゆすると、ウェーブのかかったグレーの短髪が小さく揺れる。

だが、長旅に疲れたのか、彼女は可愛らしい唸り声をあげるだけで、目を開かない。

 

「次の駅まで連れていかれてしまうぞ、起きろ」

 

起きない。

固く閉じられた瞼は居心地悪そうに歪むだけ。

列車はもう駅に進入しており、今にも止まってしまいそうだ。

私はこめかみを押さえる。

困ったものだ。このままでは寝過ごしたなどというくだらない理由で上官に怒鳴られる事になる。

起こす方法が無い訳ではないが、確実に周りに迷惑をかかるだろうから、やりたくはない。

しかし、無情にも列車は大きなブレーキ音と共に動きを止めてしまう。

時間は残りわずか。

顔も知らない上官の努号が聞こえた気がした。

いた仕方なし。

多分に恥ずかしい思いをすることになるが、やるしかない。

私は溜め息をついたあと、息を大きく吸い込んだ。

 

「とっとと起きんかテオドーラ・ヴァイセンベルガー! 起床ラッパはもうなっているぞ!」

 

めいいっぱい低く、かつ、相手が百メートル向こうにいるような大声。

ドアの向こう側の足音がやむ。

途端に、座席からテオドーラの体がバネ仕掛けの玩具のように跳ね上がった。

 

「ヤー! すでに起床しております! 教官殿!」

 

そのまま直立不動の姿で敬礼。

 

「整列!」

「ヤー!」

「もういいな、おはよう、テオ」

「おはようございます! 教官……あれ?」

 

訓練校の同期は大体がこのやり方、教官の声真似で跳ね起きる。

我々を担当した教官は優しくも厳しい人で、とりわけ時間には厳格であった。

早起きに慣れていなかった者は、皆、教官からキツイお叱りを受けているのだ。

私も含め、同期連中は怒鳴り声を聞くと教官を思い出すのか、どんなに疲れていても起きだすようになってしまった。

 

「……えっと、リーケ姉さん? もう着いたの?」

「姉さんと呼ぶんじゃない。とっくに着いてる、早く出ないと汽車が動き出すから急いでくれ」

 

私が外套をはおって部屋を出たところで、テオは時間がないことにようやく気がついたようだ。

まとめてあった荷物を持って、慌てて後ろを追いかけてくる。

テオに空戦ウィッチ適性があったことは一度目の世界と変わらず、彼女は空軍に入った私を追って、こちらの世界でも同じようにウィッチとなった。

これまでのやりとりは今に始まった事でもなく、この娘は軍人になるにはおっとりし過ぎているのではないかと思うのだが、担当官はその辺の適性を考慮しているのだろうか。まさかウィッチ適性がある女子を手当たり次第に勧誘している訳ではあるまいな。そんな事では、いずれ親御さんから猛反発を喰らっても文句は言えんだろうに。

とりとめのない事を考えていると、外から発車を知らせる笛の音が聞こえた。

マズイ。知らない駅に連れていかれる。

 

「いかん! 走れっ、ほら!」

「あっ、待って!」

 

配属されたその日に遅刻したくはない。

我々は慌ただしく、映画のワンシーンのごとく列車からホームへ飛び降りる事となった。

 

 

   ♦♦♦♦♦♦

 

リバウ軍港、第77戦闘航空団司令部。

 

下車にいたるやりとりとは逆に、どうやらこれから上官となる戦闘航空団の司令殿は、前もって車を手配してくれていたらしく、目的地までは割とすぐにたどり着いた。

慣れない冬の寒空の下を歩くのは、少々遠慮したいと思っていたところ、非常にありがたい気づかいであった。

道中、港に停泊する扶桑皇国海軍遣欧艦隊の船が見え、二人して目を奪われることになる。

陸軍国家である帝政カールスラントの人間からすると、本格的な外洋艦隊はとても新鮮に見える。世界最大級の空母である『赤城』や、それを護衛する数々の戦艦、駆逐艦、巡洋艦群。

ブリタニア、リベリオンに並ぶ海洋国家の戦力を間近で観察できたのはいい経験だった。

だが、はしゃぐ我々の姿は、運転手の軍人としてのプライドを刺激してしまったらしく、「カールスラントにもビスマルク級戦艦や空母グラーフ・ツェッペリンがあります、その辺の海軍には負けませんよ」と、海軍に関するうんちく語りが始まってしまったのは、どうにも。

気持ちは痛いほど理解できるが、そもそもグラーフ・ツェッペリンは扶桑海軍から赤城級の三番艦を買い取った物ではなかったのか。疑問に思いながらも、軍人の前で他国軍を褒めるのはやめておこうと誓うのだった。

 

「時間に遅れなくてよかったね、姉さん」

「ああそうだな、だけどその呼び方はやめろ。もうすぐに同い年だろうが」

 

バルト海から吹き付ける冬の風が、窓を揺らす音を聞きながら、司令部棟の長い廊下を速足で歩く。

私の生まれは1927年、テオも変わらない。

同年代の幼馴染であったが、お姉ちゃん風を吹かせていた一度目の世界と同じ接し方をしていたら、今度も変わらず呼び名が「姉さん」になってしまった。

年下の女子に自分の事を「お姉さま」と呼ばせるウィッチがいるとは、風のうわさで聞いたことがあるが、私はそんな呼ばれ方をされても別に嬉しくない。同い年の、しかも幼馴染からそう呼ばれるのは、背中がむず痒くなるというか、何と言うか恥ずかしいのだ。

と、暖房の効いていない廊下の寒さに背中を押されながら歩いていると、目的地である戦闘航空団司令室に辿り着いた。

頑丈そうな造りの木でできた扉。

その前に立ち止まり居住まいを正す。初めて入る場所に、初めて会う上官だ。私も初めて戦闘機乗りとして配属された時は、手が震えるほどに緊張したものだ。今はそれも懐かしいとすら思えるが。

後ろにいるテオを見ると、青い顔で小刻みに震えている。大丈夫だろうか、中にいる司令殿を見た瞬間に気を失うのではないか、そんな心配が頭をよぎる。

とは言え、部屋の前で司令殿が出てくるまで待っている訳にもいかない。テオを憐れむ気持ち半分、司令室の扉を軽く叩いた。

 

「入れ」

 

室内からの反応は早い。

ノブを回して扉を開けると、暖炉の温もりが漏れ出して肌にまとわりつくのを感じた。

ドアの隙間から見えた内装は簡素なものだった。

カーテンや壁紙は無地。目につく物は背の高い本棚と、正面の執務机、あとは暖炉のそばにあるソファーくらいなものだ。勲章や栄誉カップですら目立つ位置に飾る訳でもなく、手の届かない本棚の上の段にまとめ置かれていた。

 

「失礼します」

 

滑り込むように室内へ入り、姿勢を正して司令殿の顔を見る。

色素が抜けたような淡い金髪が特徴的で、アメジスト色の瞳が目を引く女性。目深にかぶった制帽、きっちりと着こなした軍服には埃一つ付いていない。机の上で手を組んだ姿はとても理知的だが、手足が長く背が高いのだろう、それらを持てあましているようにも見える。

手元にある書類から視線を移し、こちらを捉えた目が小さく細められた。切れ長の鋭い目尻と相まって、挑戦的な眼差しに見える。

私とテオは正面に立って敬礼。

 

「ハインリーケ・エールラー少尉、第77戦闘航空団へ、ただいま着任いたしました」

「お、同じくテオドーラ・ヴァイセンベルガー少尉、た、ただいま、ちゃ、着任いたしましたっ」

 

もう少しテオを落ち着かせてから入ってくるべきだったと、少し後悔した。

私の名乗りについていこうとしたのだろうが、声が震えている。

 

「第77戦闘航空団司令、グレーティア・ハンドリック少佐だ、よろしく」

 

司令殿、ハンドリック少佐は立ちあがって答礼する。

無駄なものがついていない、スラリとしたスレンダーな体型だ。

薄く柔らかな笑みを浮かべて我々に、楽にしていい、と促す。

 

「遠路はるばるリバウへようこそ、君達二人は訓練校でも優秀な生徒だったと聞いている、優等生の配属を歓迎しよう」

「はっ、光栄であります」

「あああ、ありがとうござ、いますっ」

 

テオの緊張が最高潮に達している。

お礼の声ですらうわずってしまった。

ハンドリック少佐は思わず、といった感じで小さく吹き出した。

 

「私の顔は新人に恐怖を与えてしまう凶相、か……悲しいが、顔を隠すマスクが必要になるな」

「え、えっと……そんなことないです、あ、いえ、ないで あります!」

「いや、怖いなら正直に言ってかまわんよ、部下に隠しご とをされるのは個人としても上官としても、とても辛いこ とだ」

「そ、それじゃあ……少し目が怖いかなー、なんて」

「そうか、やはり目つきか、ショックだよ……生まれ持った顔を弄ることはできない。私は軍にいない方がいいかもしれん、すまない、ヴァイセンベルガー少尉、私は至らない上官だった」

「ええええっ! そんな、嘘ですっ、怖くないです! 目つきだったらいっつも怖い顔してるリーケ姉さん、エールラー少尉の方が悪いですし! あのその何て言か、すみませんでしたっ!」

 

猛烈な勢いで頭を下げ始めるテオを見ながら、ハンドリック少佐は笑いをこらえている。

テオは言わずもがな、雲間から敵の大編隊が突如として現れたかのような、混乱の極みに立たされているのだろうが、流れ弾に当たるような形で私もダメージを被った。

私の方が目つきが悪いとか、怖い顔をしているとはどういう了見か。

幼馴染とは言え失礼極まりない。

 

「ああ、すまんな、エールラー少尉、そう睨まないでくれ。緊張をほぐしてやるには驚かせてやるか、からかってやるのが一番なんだ。個人的な経験則だがね」

 

ハンドリック少佐が言う。

私は別に睨んでいるつもりはないのだがな。

戦闘機中隊の隊長をやっていた頃は、威勢のいい野郎共を率いる立場だった故に、常に厳しい表情というものを心がけていた。『少尉』のような輩もいたし、どれだけ効果があったかは未知数であったのだが。

しかし、どうにもそれが癖として十年以上たった今でも残っているらしい。

気がつけば眉間にしわをよせている、言う事を聞かない顔は、訓練校でもそのままだった。

ついたあだ名が『不機嫌お嬢(フラウ)』やら『鷹の目エールラー』やら。

課程を修了した今思い出してもイライラする。

 

「それでは、そろそろからかうのを止めてあげてください。この子は冗談も真に受ける性分ですので」

「了解した。そうしようか、まあ方向性は違えど、二人とも真面目そうな性格で安心したよ」

 

反応を見て我々を推し量っていたようである。

この上官の前では気を抜くことができなさそうだ。

 

「さて、挨拶はこんなもので十分だな、まずは座りたまえ。話もしてみたいし、外は寒かっただろう、少し暖をとっていくといい」

 

立ちふるまいには気をつけねばなるまい。

一言礼を言って腰かけ、テオも遠慮がちに続く。

そばにある暖炉の温もりが心地いい。

冷気にさらされた体に体温が戻ってくるのを感じた。血の通い始めた指先がしびれてくる。

では始めよう、そう前置きして、対面に座ったハンドリック少佐が話し始めた。

 

「君達が配属される部隊は我らが第77戦闘航空団の第4飛行中隊となる、任務は主にスオムス方面への空中輸送路の護衛だ」

 

輸送機の護衛任務。

局地迎撃や、敵地への攻撃任務ではない。

スオムスへの輸送路がバルト海を経由する以上、陸の戦いに比べれば、ネウロイと遭遇する確率は格段に低い。

東部に比べて安全な任務に回されて安堵する一方、戦場で戦いたいという思考が頭の中で不満を訴えていた。まあ、それもわかっていたことではある。悔しいが、扶桑皇国軍が駐留するリバウ軍港で、カールスラントが大規模な任務を行う必要性は多くない。

しかし、だ。

そうすると、少し疑問が生まれる。

 

「質問があるなら遠慮なく。でき得る範囲で答えるよう努力はするつもりだよ」

「では一つ、よろしいですか」

「なんだ随分早いな。まあいいさ、どうぞ」

 

小さく挙手。

 

「私とヴァイセンベルガー少尉が、ここ、リバウに配属された理由を教えていただけますか」

 

ハンドリック少佐の目が細まる。

疑問はこれだ。

戦力の分散配置は軍事学上のセオリーに反し、主戦場でない拠点の戦力を増員するのは、理にかなわない。

簡単に言えば、一応の訓練を積んだ空戦ウィッチを何故後方に派遣したのか、という事だ。

陸続きのオストマルクから破竹の勢いでネウロイが迫ってきているのに、カールスラント軍にはそんな余裕はあるのだろうか。

私の知る限りでは、開戦から二カ月、すでに国境沿いの防衛線はネウロイの物量に押され少しずつ後退を始めている頃である。

兵員を一人でも多く欲しているのは間違いなく、東部戦線のはずだ。

 

「んー、君たち二人の将来性に惚れた私が無理やりに引き抜いた、では駄目かね?」

「自身の役割、任務の意図を深く、かつ的確に理解すべし。訓練校ではそう習っております。その答えを受け入れろとおっしゃるのであれば、それで構いませんが」

「はは、これはまた、まだ12だというのに子供らしくない受け答えだな」

 

私の目を見て、少佐はしばし黙考。

悩んでいるのか、それとも私を見定めているのか。そばで落ち着かない様子のテオを置いて、私とハンドリック少佐は互いに視線を外そうとしない。

やがて、小さく首肯したハンドリック少佐がにっこりとほほ笑んだ。

 

「仕方ないか、部下に隠しごとをされるのは嫌だが、私も隠しごとをしたくないしな」

「ありがとうございます、少佐殿」

「礼はいらんよ、心に荷物を抱えたまま飛ぶのは辛かろう」

 

雰囲気が緩む。

このまま押し通されるかと思ったが、この上官殿は中々に部下のことを考えてくれそうな御仁だ。

ハンドリック少佐は膝上で手を組んで口を開く。

私はほんの少し身を乗り出した。

 

「とても簡単な話、上層部の意見が割れているのだよ、二つにな」

 

開口一番、眉をひそめる事になった。

嫌な傾向だ。

上の対立というのは、古今東西ロクな結果を生み出さない。

 

「現在、カールスラントはほぼ全軍をもってネウロイの進撃を食い止めているが、戦況は芳しくない。遮蔽物のない平地での防衛線は敵の陸上戦力に押し込まれ始めている。制空権も大型機が現れてからは、綻びが顕著だな、そろそろシュツーカ隊の運用すら難しくなるだろう」

「では、二つに割れた意見というのは」

「亡国の危機と言えば、挙がる声は相場決まっている。抗戦か、はたまた降伏か。ネウロイ相手に降伏はあり得ん、だから選択肢は徹底抗戦か総撤退だ」

 

ハンドリック少佐はそこで言葉を区切り、立ちあがる。

緩んだ雰囲気が、先程とは違った緊張を帯びようとしていた。

亡国、という言葉を聞いたからか、テオは不安げな表情をしている。

やがて、少佐が執務机から大ぶりな紙を引っ張り出してきた。

カールスラントを中心とした欧州地図だ。

 

 

「さて、君達がここに配属された理由だがな、ここだ」

 

差し出された細い指が、何度もこうして使われた感の在る擦り切れた地図の一部分を指し示した。

 

「北欧、スオムスだな」

 

今や北上したネウロイが眼前まで迫り、新たに侵攻の危機にさらされている北欧の国。

少佐の指は地図上のスオムス領をなぞるように動いた。

 

「先月決まったスオムスへの義勇軍派遣は知っているか?」

「ええ、救援要請に合わせて、各国から選りすぐりの航空歩兵を派遣したとか」

 

机へと視線を落としたまま、声のみで問いかけられる。

隣に立つテオは、わかっているのかいないのか、良くわからない瞳で私の顔を見据えるものだから、取り敢えず表面上だけと言えども以前聞いた覚えのあるその情報をそらんじる。

少佐はやはり顔を挙げぬまま鷹揚に頷き、再び言葉を続けた。

 

「世間一般にはそういう触れ込みだったのだが。他の国はまだどうだか知らないが、カールスラントが送り込んだのは十歳のひよっこ、それも聞いた話によると、上層部の決定も彼女が前線で邪魔者扱いされている事を知ってのものらしい」

 

表沙汰にされた話とは異なる、軍内部での裏の話。

何か腹にたまる不快感をを感じ取りながらも、私は彼女の話に聞き入った。

 

「これはカールスラントには他国への積極支援を行う余裕はないという小さな意思表示だ、決定が出たときの主流は抗戦派であり、まだ総戦力を東部に集中運用する方針だった」

 

だがな、と言って今度はカールスラントの国土をノックするように叩く。

 

「今は状況が変わってしまった。御前会議では本国からの撤退作戦を支持する声が挙がり、皇帝陛下も臣民の安全を優先するようにと命じられた」

「しかし……欧州本土からカールスラント国民を避難させるのは、難しいなどという話ではないですね。一年以上の期間と、複数の退路が必要になる」

「その通り、そして撤退作戦発動の際の退路の一つが、スオムス」

「我々が守る空中輸送路は、撤退先を維持させるための生命線という訳ですか」

「うん、それに仮に撤退が無かったとしてもだ、スオムスが破られれば、次はこうなるだろうな」

 

もう一度、指先が北欧へ向かう。

ネウロイ占領地からスオムス領をなぞり、バルトランド領を通って、バルト海の入り口であるシェラン島、ユトラント半島へ至った。その先にあるのは、欧州本土、カールスラント領。

流れから言って、指の動きはネウロイの進撃路だろう。

 

「これじゃ北から挟み撃ちに……」

 

テオが消え入るような声で言った。

安心させるように、ハンドリック少佐は微笑みかける。

 

「そうだ、こうならないためにスオムスの重要性は大きくなっている。だから上層部としては輸送路の安全確保のためにもっと戦力を送り込みたい、反面、抗戦派の反発で激戦区から大っぴらに航空歩兵を引きぬく訳にもいかない、またその余裕もない」

 

ここまでの説明を聞いて、私はなるほど、と頷いた。

もう結論が出ているようなものだ。

 

「そんな状況の中、ちょうど訓練校の優等生が訓練課程を終了したという、渡りに船。そうして君達は私の元へカールスラントの命脈を守るために、めでたく配属されたという訳だ」

 

と、パン、と少佐が手拍子をうち、重い空気が霧散する。

疑問は解けた。

後方へ無駄な戦力として投げ出された訳ではないことが判明して、少し気が楽になる。

使われなくなった歯車が錆ついて動かなくなるように、軍人は役割が無ければ死んでいるのと同じなのだ。

 

「やる気は出たかね?」

「はい、おかげさまで」

 

上層部の裏の動きも知ることができた。

知ったからといって、どうという事もないが、前回はそんな事など気にならなかったためか、何だか違う国の事のように新鮮に思える。

 

「それは重畳、ではそろそろ隊舎に向いたまえ。時間はネウロイのように無限に湧いてくる訳ではないからな。第4飛行中隊の隊長含め、他の隊員の話は本人達から聞くといい。以上だ」

 

立ちあがって敬礼。

答礼が返ってきた事を見届けて、ドアへ向かう。

テオは相変わらず反応が鈍い。私よりワンテンポ遅いタイミングでついてくる。

 

「ああ、そうだ、待ちたまえエールラー少尉」

 

ドアに手をかけたところで呼び止められる。

何だろうか。

連絡事項に漏れでもあったのか。

 

「何でしょうか」

「ちょっと気になったんだが、うん、君はヴァイセンベルガー少尉に自分の事を姉と呼ばせているのか?」

 

ピキリと、私の表情筋が固まった。

『目つきだったらいっつも怖い顔してるリーケ姉さん』

そう、たしかテオはこんな事を言っていた気がする。

 

「まあ、君くらいの年齢ならまだいいと思うが、15、16になった時には気をつけたまえよ?」

「少佐殿、いったい何を」

「悪いこととは言わないが、世の中にはそういう呼び方から、そのなんだ、女性同士の恋愛うんぬんに発展することもあるからな」

「何を言って」

「君達がそう望むなら何も言わないが、将来の選択は慎重に、だ」

「少佐殿」

「ではもう行きたまえ、はしゃぎ過ぎないようにな。以上だ」

 

聞いてもらえない。

もしかすると、先程のテオと同じで私もからかわれているのだろうか。

顔を引きつらせて執務室を後にする。してやられた気分だ、人生の総数は私の方が上のはずなのに。

そんな私にまったく気づいていないのだろう、テオが無邪気な笑顔を向けてくる。

 

「司令もいい人そうで良かったね姉さん」

 

自分の目尻がキッと釣り上がったのがわかった。

 

「だから」

「え?」

「姉さんと! 呼ぶなと言ってるだろうが! 何度言わせるつもりだテオドーラ・ヴァイセンベルガー!」

「いだだだだっ! ごめんなさいごめんなさい!」

 

冷え切った廊下に、新任士官のくぐもった悲鳴がこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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