Eismeer   作:かくさん

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アニメ、小説、その他のメディアで名前だけ登場する人物や作戦など、また、小説版とアニメ版の設定の矛盾や、漫画版の『蒼空の乙女たち』のような公式の設定に影響するのか微妙な部分は、ほぼ現状の情報から推測した独自解釈で進めていきますのでご了承ください。

※オリキャラ多数、主人公に原作知識無し

※時系列や設定には、公式で明らかになっておらず不明な部分や登場した作品ごとに微妙な誤差があります。このSSに関しては漫画版や小説版、wikiや年表、史実の歴史を参考にして、逆算、または捏造して二次創作としてそれっぽく整合性を合わせてみようと試みたものです。今後の公式の発表次第で矛盾が生じたりする可能性があります。



1940年 プロローグ

1940年 カールスラント東部戦線

 

 

昔から、空を飛ぶのが好きだった。

別に特別な理由がある訳でもない。初めて空が好きだ、そう思えた時は、どこまでもどこまでも広く大きいから、自由に空を舞ってみたかったから、そんな人並みで子供じみた理由だったに違いない。

けれども、それは夢に溢れていたかつての私にとって、飛行機の操縦桿を握らせるには充分なもので。

もう十代の半ばになる頃には、骨董品の複翼機を借りてきては、毎日のようにやかましいエンジン音をたてながら、故郷の空を飛びまわっていた記憶がある。

 

「こちら管制、着陸を許可します」

 

来る日も来る日も、失恋したときも、友達が遠くの街へ引っ越していったときも、天気が許すのならどんな時でも飛び続けた。

女らしくないと言われながらも、操縦は初めよりもずっと上手くなり、せっかくの広い空ですら手狭に感じるようになって。

人類の仇敵、ネウロイ共が現れたのはそんな時期だった。

欧州、ひいては世界の危機。

新聞やラジオから連日連夜、絶え間なく聞かされる戦況悪化の知らせ、オストマルクを蹂躙した化け物が祖国カールスラントまで押し寄せてくる。

そして、最前線に立つのはウィッチ―――まだまだ子供と言えるような少女達だった。

 

「横風16ノット、機首の向きに注意」

 

ある日のラジオを聞いていた私は、朝食もすませずに役所へと駆け込んだ。

面食らった顔をする窓口の担当者にむかって、軍人になりたいんだ、と大声を出したのは今でも覚えている。

その時には国境線の戦闘は激しさを増して、軍も人手不足だったのだろう、女性だというのにすんなりと手続きが終わってしまった。ウィッチではない事を告げた時に意気消沈されたのは流石に堪えたが。

ともあれ、気がつけば私が乗る飛行機は、扱いなれたおんぼろ複葉機から、美しく、だが鈍い輝きを放つ単葉の戦闘機に変わっていたのである。

私が飛ぶ空は、優しい風が吹く故郷の空ではなく硝煙にまみれた煤けた戦場の空になり、その真下では8.8cm砲アハトアハトが吼え猛る。

山のような量の砲弾を撃ち込んでも、無機質で醜悪な化け物は大空を黒く染め、大地を埋め尽くす圧倒的な物量で押し寄せてきた。

多くのネウロイはウィッチにしか倒せないのに、肝心のウィッチの数が全く足りていなかったのだ。

始めは皆言っていた、大丈夫だ、決着なんてすぐにつく。欧州から化け物を追い払い恒久平和を実現するための戦い、紙面に踊る文字はそんな楽観的なものばかりだったはずなのに、今はどうか、欧州本土からの総撤退の可能性すら兵士達の間で噂されるありさまだ。

自分こそがカールスラントの盾となるのだ、戦場に立つものは誰もがそう言う。皆、明るく振舞いながらも、どこか諦めに似た覚悟のような雰囲気をにじませていた。

どこにも安全な場所など無い。

戦場はどこまでも、山火事のように広がっていく。

 

「着陸成功です、哨戒任務お疲れ様でした」

 

軽い衝撃。

高速で滑走路を走る機体に制動をかける。

大好きだった空はどこに行ってしまったのだろうか。

風防の中、管制官の声を聞き流しながら、私はただただ、ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

「中尉!」

 

野戦基地に併設された飛行場。

自分の機体を移動し終えた時だ。エンジンが奏でる轟音の中に、階級を呼ぶ声が混じった。

ふと視線を向けると、粗末な滑走路を部下の男が横切ってくるのが見える。

 

「エールラー中尉!」

 

階級にラストネームが付け足される。

私の名だ。

ソイツはいやに響く太い声で、人の名を叫びながら歩いてくる。迷惑極まりない。

私は頭をかきながらエンジンを切った。機体のパワーがそのまま溢れ出てきているような頼もしい振動が、徐々に小さくなっていく。

反比例して、爆音の中でも聞こえていた声が更に大きくなった。

 

「何事だ騒々しい、爆撃に頭のネジでも吹き飛ばされたか?」

 

さすがに呼ばれている本人が無視を決め込む訳にもいかない。

悪態をつきながら操縦席から飛び降りる。

 

「いえいえまさか! 我らが隊長殿へのあふれんばかりの想いが! そう、心から喉を通って声に変わり、そして」

「やかましい、少し黙ってくれ」

 

うるさい。

歌うような声色で返してきた言葉を遮って、しばし黙考。

異常だ。

普通の人間ならば、上官に向かってこんな気持ちの悪い返答をするわけがない。

何も悩むことはない、少し考えればわかってしまう。結論はすぐに出てきた。

戦争神経症。

前大戦ではシェルショックと呼ばれていた心の病だ。

戦場では敵への恐怖、戦況への不安、味方の死、絶え間なく降り注ぐ砲撃音、ありとあらゆるストレスが襲い掛かる。兵士は皆、人間だ。当然、心が磨り減り、へし折れて、最後には元に戻らなくなってしまう者もいる。

突然、騒音にしか思えなかった部下の声が、酷く悲しげに聞こえてきた。ふざけているようにしか見えないのに、その姿は消え入りそうなほど儚げで、精一杯の強がりを叫んでいるようで。

激戦続く、カールスラント東部戦線。きっと彼の心もネウロイに、いや、この戦争そのものに押しつぶされてしまったのだろう。

「所詮二線級の兵器」と言われウィッチの穴埋めにしかなれない戦闘機に乗って、私の後に少尉にまでなった男だ……でも、彼はもう、戦えない。

 

「よせ……もういい、軍医の診断書をもらってきてやろう」

「私はこう思うのです、伝えなければならない事があると……あると……はい?」

「後方送りだ、達者で暮らせ」

「ああ、中尉殿? これはいけません、失礼ですが貴女は少し勘違いをしています、自分は健康そのものですよ」

「やめろ! いいんだ、もういいんだ少尉! すまなかった……部下の精神状態も把握できんとは、私は隊長失格だ」

「いやぁ、これは悪ふざけが過ぎましたね、中尉殿、謝りますからこちらを向いてください、すみませんでした、待ってください中尉、エールラー中尉ー」

 

 

 

 

 

 

さておき。

 

「で? 結局何の用なんだ、え? この口だけ少尉ロイトナント」

 

心象はおふざけに対する怒りが九割九分九厘、残りの一厘が勘違いした事への恥ずかしさだ。

まずは少尉の肩書きを持つ大馬鹿者の顔面を、パイロット用の分厚い手袋でしばき倒し、倉庫の中まで移動する。

綺麗に手形がついた頬をさすりながら、気の抜けるような愛想笑いを浮かべている少尉を、さらに一睨み。

 

「ええまあ、第三者から見ればまったく大した事ではないんですがね? 当事者からすればもしかすると物凄くデリケートな案件かもしれませんし、やっぱりどうでもいい瑣末事かもしれませんし」

「言え、上官侮辱で軍事法廷にぶち込むぞクソ野郎め」

「了解ですヤーボール、中尉殿。でも女性がそんな言葉を使うのは、あまりよろしくないと思いますよ」

 

懲りずに返ってきた無駄口に顔をしかめると、少尉は懐から何か封筒を取り出した。

 

「いつもご利用ありがとうございます、カールスラント郵便局です。ハインリーケ・エールラー様宛のお手紙を預かっております、こちらの用紙にサインをどうぞ」

 

手袋を顔面に投げつける。

 

「サインは僕の顔ではなく用紙にお願いしますよ」

「おお、なんてことだ神よペンが無いぞ。馬鹿者にかまっている暇はない、取りに行かねば」

「コメディアンが一番嫌がるのは無反応って本当なんですね、顔よりも心が痛いです、ええ」

 

任官したてからの僚機であるが、多分に面倒な男であった。

彼の軽薄ぶりは、野戦基地の誰もが知るところである。

鬱屈した戦場の空気をはらうのに一役買っているのだろうが、そんなに無駄口が叩きたいなら新聞記者にでもなって政治家を突っつきまわしていればいいものを。

 

「私が中尉なのは分不相応だと思うが、何でお前みたいな奴が少尉なんだろうな」

「自分も疑問に思います、きっと上の人間が手でも滑らせて判子を押してしまったんですね、はっはっは」

「何してんですか中尉殿? まーた痴話喧嘩ですか? いつも通りお熱い事で」

「黙れ」

「や、了解ヤー」

 

騒動を聞きつけた整備兵を散らし、倉庫から基地へ通じる扉を、蹴破るような勢いで開け放った。

内側にいた女性士官が目を丸くしていたが、一言だけ謝って先を急ぐ。

日が差し込む廊下は、明るいが、狭い。早足で歩くと、急造の木造床がギシギシと頼りない音をたて、それがドア越しに響くのだ。

きっと上官がいたら見咎められるだろう。そう考えると、若干ではあるが、心に冷静さが戻ってきた。せっかく無事に危険な空から戻ってきたのに、中尉にもなって上から怒鳴られるなんてあんまりだ。

思わずこめかみを押さえる。

 

「頭痛なら、医者に見てもらいましょうか?」

「けっこうだ」

「何故です」

「お前が消えればすぐにでも全快するさ」

 

狭い野戦基地の中、自分の部屋など探さずとも、憎まれ口を叩いているうちにたどり着いてしまう。

部屋自体は他人と共用であるが、戦闘機の部隊はたったの一個中隊、結果的に空間にあまりが出来てしまうため、個々人のスペースは他よりも大きめに用意されていた。

私は棚から万年筆を取り出し、少尉の手からひったくった用紙にサインする。

 

「ん、手紙」

「えー、親愛なるハインリーケ・エールラー様、このたびは」

「誰が読み上げろと言った」

 

即刻、手紙を奪い取る。少尉に背を向けて送り主を確認した。

『親愛なる』などと書かれているだけあって、そこには見知った名前があった。

ささくれ立った精神が落ち着きを取り戻す。自然と顔が緩んだ。

 

「ふむ、なるほど……恋人、ですね?」

「違う」

 

断じて恋人ではない。変な勘違いをされても困る。

便箋に書かれた名前を、渋々ながら少尉のほうへ向けた。

 

「貴女の妹、テオドーラ・ヴァイセンベルガーより……妹?」

「妹分、な。家が近いもんでな、生まれてから十年以上面倒を見てやってた」

「へえ、いいもんですね、そういうの。今はどちらに?」

「適正があって空戦ウィッチになった、第77戦隊で空を守ってるよ、まったく立派になったもんだ」

 

一緒にいるようになったのは、私が始めて空を飛んだ頃である。

きっと自分が大きくなったつもりで、お姉ちゃん風を吹かせたかったんだろう。思い返すと少し恥ずかしいものだ。

そんなことを考えていると、少し考え込んだ少尉が、一言。

 

「まあ、そうですよね、中尉に恋文なんてくる訳グェ」

「喧嘩を売ってるのか」

 

反射的に張り手が飛ぶ。

訓練生時代にはずいぶんと聞きなれた、鈍い打撃音。

理由無き暴力は犯罪行為だが、口で言ってもわからぬ相手には仕方なし。

 

「いつつ……しかしマズイと思いませんか? もう二十二でしょう、戦争が終わる頃には行き遅れになるやも」

 

頬をさすりながら聞いてくる。めげない奴だ。

そんな事よりも、私は阿呆を営倉に叩き込むには、どんな罪状がいいかを延々と考えていた。

知ってか知らずか、少尉は殴られる前と同じ調子でしゃべり始める。

 

「管制室のエアハルトはどうです? 眼鏡が似合う出来る男ですよ」

「立派な妻子持ちだろうが馬鹿者」

「我らが中隊のヘンリックは?」

「却下、女たらしはお断りだ、二股がばれて締め上げられているのを見たぞ」

「では……同じく我らが中隊イエルク」

「あー……そうだな、アイツはいい男だが、同性にしか興味が無いとか……というか何だ、お前、わざと問題がある奴だけ選んでないか」

「いえいえそんなことはないですよ? 僕は中尉殿が幸せになってくれればそれでいいのです、ええ」

 

一瞬の沈黙。

 

「うそつけ」

「信用ありませんねえ」

 

肩を落とした少尉は、口に手を当て、少し考えるような仕草をする。

私はそれを無視して便箋の封を切る。

どうせろくでもないことを考えているのだろう、私の中ではその程度の認識だ。

と、唐突に少尉が顔を上げた。

 

「僕はどうでしょうか中尉殿」

「何が」

「いえ、恋人云々の話ですよ」

 

二度目の沈黙。

 

「阿呆」

 

自然と出てきたのはそんな言葉だ。

あまり感慨は抱かない、むしろこの馬鹿者の正気を疑ってしまう。

 

「……ないない、一番ありえんな」

「はっはっは、ですよね、ここで選ばれてもどうしようかと」

「まあ、候補くらいには入れておいてやる、戦争が終わるまで生きていられるように努力しろ」

「ヤー、光栄です中尉殿」

 

伸びた背筋に正しい角度で曲げられた腕、形だけは模範的な敬礼をする少尉を無視して、手紙に目を向けた。

丁寧だが、女の子らしく可愛らしい文字が紙上に躍る。

戦場にいるのはとても辛いが、かけがえのない仲間に出会えたこと。

護衛した部隊の隊長から直接お礼を言われて、泣きそうなくらい嬉しかったこと。

戦線の後退に伴い、部隊ごと異動になったこと。

最後は近くの基地へ配属になるから、会えるのを楽しみにしています、と締められていた。

流し読みだったが、ざっとこんな感じの内容だ。

かわいい妹分は姉の手を離れて、ちゃんと成長しているのがわかる。

勝手に顔がほころぶ。私も会うのが楽しみだ。

 

だが、

 

 

「こんな戦争、とっとと終わってしまえばいいのにな」

 

妹分が、戦場で成長するなんてことには、なってほしくなかった。

 

「早く終われば行き遅れる心配も減りますからね」

「うるさい、私は真面目だぞ」

 

少尉は目を丸くする。

彼なりに上官の雰囲気を察したのか、先ほどまで顔に張り付いていた笑みを消した。

 

「終わるでしょう、なんてったって我々人類には無敵の魔女がついてますから」

 

少尉の返答。

人類の守護者たる魔女、私にとってそれが一番の問題だった。

 

「本当なら、子供を戦場に送り出すのは許されないことなんだがな」

 

大昔から怪異が発生するたびに繰り返されていたこととは言え、納得できることではない。

ウィッチと共に戦う兵士の中で、むしろ国を追われ避難を続ける民衆の中でさえ、負い目を感じない者がいるだろうか。

きっと誰もが、化け物に立ち向かう小さな背中を見て、心のどこかですまない、と謝り続けているに違いない。

一緒に空で戦える、そう思った私ですら、ウィッチが最前線で戦っている間、戦線から漏れ出てきた雑魚を中隊全員で袋叩きにする、そんなことしかしてやれない。彼女らは数十メートル級の化け物共を必死に食い止めているにもかかわらず、だ。

戦闘機は脆弱で、非力で、大型のネウロイの前には何の役にも立たなかった。

 

「歯がゆいな」

「ええ、まったくです」

 

心なしか、軽薄な少尉の笑みにも陰りが見えた、そんな気がした。

そこで会話が止まる。

外では整備兵達の声がまだ聞こえてきて、部屋の空気がなんだかさびしく感じられた。

 

「ま、悩んでも仕方のないことです。この前は前線のウィッチから礼を言われましたよ、いつも背中を守ってくれてありがとう、だそうで」

「……全部が全部無駄という訳ではないと、そうだといいんだがな」

「一応我々も役目があるから飛ぶんです、二線級と言われようと、愛すべき空で仕事が出来るなら安いものではないですか」

 

私は軽く息を吐いて脱力した。

この男が言うなら、取り繕ったでまかせかもしれないが、ほんの少しは気が楽になったかもしれない。

 

「お前が殊勝な事を言うなんて、内陸部なのに戦艦の主砲弾でも降ってくるんじゃないか?」

「何をおっしゃいます。私ごときよりも弱気な中尉の方が異常ですって、僕は最後の審判の日が近いんじゃないかと怖くて怖くて」

 

減らず口を。

少しはまともな思考が残っていたのかと関心していたらこれだ。私の感動を返せと思う。

しかし、言い返そうと開いた口から、言葉が続くことはなかった。

突然、スピーカーから何かが切り替わるような音が漏れる。

ほんの一瞬、基地のすべてが確かに凍りついた。

そして次の瞬間には、それはけたたましいサイレンの音に変わる。

 

『空襲! 空襲警報!』

 

誰かの叫び声が聞こえた。

ベッドで寝ていた同僚が次々と飛び出してくる。

 

「酷いもんだ……悪態をつく暇もない」

「そういうもんですって。行きましょう我らが中隊長、いつもどおりの、化け物狩りの時間ですよ」

 

手紙をベッドに放り、代わりに手袋をつかむ。

ちゃんと読むのは帰ってきてからにしよう。

開けっ放しにされたドア、私は同僚の後を追って走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通信機へむかって何度も同じ言葉を繰り返す。呼びかけに応じる答えはなく、故障を疑って乱暴にノブを回してみると、不快な雑音が漏れだしてきた。

違う、私が聞きたいものはそんな乾燥した音ではない。

さっきから湧きあがってくる焦燥がついに平常心を覆い隠し、耐えきれなくなった私は慌てて通信の設定を元に戻した。外側へ意識を向ければ、そこにある光景が私を現実へ引き戻す。

空気が濁っている。地上から吹き上がる黒い線が束になり、空を飛ぶ私の目を遮っているのだ。隙間から、穴だらけになった地面の中心で、うずくまった戦車が骸となり果てている姿が覗く。揺らめく火炎に包まれた味方陣地だけは、意地が悪いと思えるまでに明るい光を放ち続け、どんなに視界が悪くても確認できた。

凄惨な光景だ。煙のヴェールを抜けるたび、精神が削り取られているように感じる。

 

「中隊各員、被害状況を報告しろ」

 

思わず、中断していた呼びかけをもう一度行う。『今度こそ』、そんな考えを、絶え間なく戻ってくるノイズが打ち消した。

はるか遠くからは砲撃の着弾音が聞こえてくる。

やはり違う、私が聞きたいのは自身の無事を知らせるたった一声だけだと言うのに、どうしてもその一声が返ってこないのだ。

 

「少尉、状況は、どうなっている」

 

部隊に対する通信を中断し、斜め後方から私に追従する僚機に対して、問うた。普段通りの位置を飛んでいることを確認できる彼の存在が、図らずも精神へかかる負荷を押しとどめていた。

そこにいることがわかるのは、少尉の機体のみ。しかし、私はまだ、小さな期待を抱いている。いくつもの声が沈黙を破るのを待ちわびている。

そのような願いも通じるはずもなく、やがて、躊躇うような時間を空けて聞こえた返答は、やはり一人のものだけだった。

 

「……生き残りは、我々二人しかおりません」

 

ようやく聞こえた少尉の声が、私の心臓を握りつぶした。

いつもの軽い口調が失せ、聞きたくなかった現実を突きつけてくる。

 

「こちら管制、状況の確認を」

「壊滅だ」

 

基地から通信が入るが、それを遮って告げる。

 

「中隊は私と僚機の二人を残して全員撃墜された、全員だ、損失は十機、ほとんど残っていない」

「……そんな」

 

電波越しでも、管制官が息を呑むのがわかった。

少し前まで一緒に空を飛んでいた仲間が、みんな死んでしまった。

高高度で敵機を待ち構え、再生する間を与えず、一撃離脱をもって袋叩きにする。戦闘機乗りとして、自然と身についた戦い方だったが、奴らネウロイもそれをわかっていたのかもしれない。

私の中隊は同規模のラロス編隊による奇襲を受けた。

陸空両方からの大攻勢で、防衛線を突破してきた中の一部、おそらく混乱に乗じて内地まで入り込んできたのだろう。奴らは前線へと急ぐ我々に向かって、雲の中から突然のように姿を現したのだ。

始めの一撃で二機が脱落。戦況は乱れに乱れ、部隊はバラバラに。無線があろうと混乱などすぐに収まるわけもない、気がつけば、生き残れたのは私と少尉だけだった。

今まで感じたことのない喪失感が襲う。気を抜けば操縦桿から手を離して、計器を殴りつけてしまいそうだ。

無言のまま飛行を続けていると、先ほどの管制官から新しい通信が入る。

 

「お気持ちはわかりますが……ディオミディア級爆撃機が前線を突破、そちらに向かっています、すぐに撤退してください」

 

管制官の言葉は沈鬱だった。

ディオミディアが前線を突破。その言葉がどれ程の重みを持つのか、私も理解しているつもりだ。

四つのエンジンで推進するその怪物は、中型爆撃機の三倍を超える巨体を持つ。要塞をそのまま浮かべたかのような図体に、一体何トンの爆薬を搭載しているのか、想像もつかない。

このままでは基地も飛行場も、何もかも灰にされてしまう。

 

「中尉殿、我々はもう……戦力になり得ません」

 

少尉の言葉。

ぎり、と唇を噛み、操縦桿を握り締める。

これが現実だ。

 

「中隊、これより帰投する」

 

何が中隊か、二人しか残っていないのに。

機体を傾け旋回させる。

体全体にかかる遠心力の重みが、まるで私を責めているようだった。

何故こんなことになった、と自問自答を繰り返しては、自分のせいだと結論する。頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

「あのような奇襲は誰にも予見できるものではありませんでした、ご自分を責めないでください」

 

思考に割り込み、打ち消すように少尉が言葉を送ってくる。私は何とか返事をしようと口を開きかけた。

しかし、機体を反転させ終えた時、それはやってきた。

上空、雲とは違う影が頭上を横切っていったのが見える。

ほんの一瞬だったが、私の目は確かに黒い鉄塊を捕らえていた。

脳内に鳴り響く警報、全身が毛羽立つ。考えがまとまるより先に口と手が動いた。

 

「散開だ!」

 

少尉の反応は早かった。彼は左に、私は右に急旋回する。

無理矢理な挙動に風防が軋む。まるで機体が抗議の声をあげているようだ。

冷や汗が頬を伝う。

直後、私達がいた空間を機銃の弾丸が蹂躙した。

風切り音をたてて機体を掠める黒い鉛球。遅れて、二つの単葉機型の影がそれらの軌道をなぞるように駆け抜けていった。

交差は瞬きほどの時間もない。

思わず舌打ちを一回。

狭い操縦席の中、首を目一杯に捻ってようやく敵機を視界にとらえる。

愛機と同じ戦闘機型のシルエットが見えた。黒い無機質な胴体から、同じく黒い翼が二つ生えている。

ラロス型戦闘機だ。

奴らはやっと旋回を終えた我々を嘲笑うかのように、悠然と機体を上昇させていく。

高高度から急降下することによる速度を利用し、相手に一撃を加えて飛び去る。一撃離脱の基本であった。

従来型のラロスが徒党を組んで飛びまわるだけだったのに対し、中隊への奇襲も含め、やけに統率のとれた動きをする。

普通ではない。

おそらく、スオムスで存在が確認されて以来、各地で脅威をふりまく新型機。これはラロス改と呼ばれる改良型なのだ。

 

「どうしました!? 報告してください!」

「新手のラロス改二機編隊に奇襲を受けた、損害無し。このままの撤退は不可能と判断する、帰投は敵機撃墜の後だ」

「ウィッチを支援に向かわせています、せっかく魔女が来てくれるんだから死なないでくださいよ!」

「可能ならそうするさ、以上、通信終わる」

 

管制官との会話が途絶える。

新型と言えど、報告では防弾装甲と編隊空戦の他に大きな脅威となるような変更点は少ないと言う。慣れた相手に恐怖はない。

だが、ここで自分の腕が震えているのに気づいた。

慣れようが、恐怖が無かろうが、無事に勝てると保証できる相手でもないのだ。

こちらも、あちらも、同じ戦闘機型。互いに大きなアドバンテージは存在しない。

ラロス改の防弾装甲も20mm機関砲が直撃すれば簡単に粉々になる、が、それは機銃が当たれば簡単に息の根を止められる人間とて同じ事だ。

結局は空戦が巧みな方が勝つ。

彼方ではラロス改がなおも上昇を続けている。

私は軽く息を吐き、スロットルを全開にした。

軽い振動を感じる。

回転音が甲高く、力強い音に変化。見えない手に引きずられるように、機体が加速していく。

少尉の機体もまた、私を追うようについてくる。

 

「上空で仕留める」

「ヤー」

 

短い返答を聞き、更に加速。

そして一気に操縦桿を手前に引いた。

カールスラントの機体は上昇速度に優れる。芸術品とも言える大出力エンジンが、重力の枷を振り切って機体を押し上げ始めた。

一撃離脱は相手よりも優位な高度を保たなければ上手く機能しない戦い方だ。

我々はラロス改が旋回し、再突入をするまでに高度の差を無くしてやればいい。そして、私の機体はそれに充分な性能を有している。

上昇性能はこちらが上、敵機が一撃離脱に固執すれば、いずれは追いつく事になる。

追いすがればこちらの勝利。

燃料に余裕は無いが、何とかならない程ではなかった。

だが、奴らもそう簡単には勝たせてはくれない。

まだ急降下の恩恵で、速度に勝っていたはずの敵機との距離が、しだいに近づき始めたのである。

眉をひそめる。

おそらく少尉も同じ表情だろう。

何かおかしい。

怪訝な顔で、引き金に指をかけ、射撃のタイミングを計り始めた時、予感は的中した。

当たる、そう確信した距離に入った途端、二機のラロス改は20mm機関砲の射線から大きく外れ、先程の我々のように左右へ分かれ急旋回したのだ。

舌打ちがもう一度漏れた。

 

「……格闘戦でも始めるつもりか」

 

やりにくい相手。

こちらのフィールドで戦うつもりは更々無いと言う訳だ。

このままなら速度を活かし、失速した敵機を振り切りつつ、時間をかけて狙い撃ちするのが安全策だが、状況はそれを許してくれない。

もうすぐディオミディア級がやってくる、その知らせが重く圧し掛かっていた。

高速度で、長い距離を行き来する時間のかかる戦い方を選ぶなら、きっと基地への帰還という選択肢も捨てねばならない。

相手は我々がこうなる事を読んでいた、そのように感じた。

離脱して基地を目指せば、嬉々として背後を取って追いかけてくるだろう。何であれ逃げに入った時が最も危険だ、後ろから撃たれていれば、いつ撃墜されてもおかしくない。

我々は嫌でも格闘戦に応じる必要があった。

得意な高速戦闘を捨て、なおかつ短時間で仕留める。

難しい注文であった。

 

「面倒ですね、本当に」

「ああ、やっていられん、奴らにこんな知恵があるとは驚きだ」

「えぇえぇ、まったく」

 

もうすぐ敵機の旋回が終わる、ほどなくして我々の背後から無数の鉛玉が襲いかかってくるだろう。

心臓の鼓動が早くなる。

手袋の中が汗ばむのが不快だった。

 

「それで? どちらを?」

「私は左だ」

「では右をいただきます」

 

次の瞬間、弾丸が機体へ届く前に、主翼を横転させた。

力任せで美しくない、急激なカーブだ。

ついさっき聞いた風切り音が、背後、機体のすぐ後ろで聞こえる。

直撃弾は無い。

いくつかが尾翼をかすめたかもしれないが、無視する。そんなものは被弾の内には入らない。

後ろにラロス改が喰らいついてきたのを感じながら、横転したままの機体を持ち上げた。

上昇旋回。

旋回も上昇も一瞬、身体にかかる重圧が倍増する。体中の水分が、遠心力に押されて下へ下へと集まっていくのがわかった。

脳へ血液が回っていない。思考が鈍り、視界が徐々に狭まっていく。

危険だ。

急激な機動によって発生する血流障害が、意識そのものを吹き飛ばす。果ては、失神、墜落。

ブラックアウトと呼ばれる症状である。

 

「……ぐ、ぎっ」

 

思い切り下唇をかむ。

八重歯が薄い皮膚を抉った。

かすかに広がる錆びた鉄を思わせるエグ味が、意識を再構築させる。

こんな時に寝ている場合ではない。手の感覚が無くなるほどに、操縦桿を強く握りしめる。

私とラロス改はグルグルと、緩やかだが高速で螺旋を描きながら上昇を続けている。死にたくないなら、旋回半径はでき得る最小の範囲に収めねばならない。旋回の内側に回り込まれ、射線を機体の進行方向にとられる、つまり見越し角をとられればそれでお終いだ。

と、再度の銃撃音が聞こえる。

一瞬息が詰まったが、弾丸はまた尾翼をかすめて明後日の方向へ飛び去っていく。

背後に貼りつくラロス改は、まだ見越し角を見いだせてはいない。

 

「まだ……まだ、勝てるさ」

 

言い聞かせるように思わず呟いた。

背後はとられたが、まだまだ負けていない。

私は機首を持ちあげ、高度を一気に引き上げた。機銃の射線から外れ、機体は風に吹かれた枯葉のように舞い上がる。

追いかけっこにいつまでも付き合うつもりはない。

相手が勘のいいパイロットであれば、私は今の隙を突かれて蜂の巣だろう。

だが、後ろを飛ぶラロス改は、経験を積んで技量を磨く事ができる『人間』ではない。

案の定、私の機体を一瞬でも見失ったのか、追従が遅れていた。

こんなチャンスは逃さない。

スロットルを細かく操作して宙返りの要領で反転、虚を突かれて鈍りきった動きではついてこれまい。

狙い通り、私を見失って、まるで戸惑っているような、ヨタヨタとした動きで旋回するラロス改の後ろに張り付く。

一撃加えれば、私の勝ちだ。

引き金にかけた指に力がこもる。

ラロス改と、愛機を結ぶ一本の線。20mm機関砲の銃口から伸びる弾道が、見えたような気がした。

背後に回った私に気がついたのか、ラロス改は急旋回を始める。

 

「逃がして、たまるか」

 

上昇旋回を繰り返したせいで、互いに速度は出ていない。

低速での格闘戦だ。

相手の背後に、飢えた野犬のごとく喰らいつく。もはや、見逃すビジョンなど浮かばなかった。

追いかけながら、徐々に旋回半径を縮めていく。

敵機から目を離さず、かつ失速ギリギリの速度で機体を制御するのだ。加減は全身に伝わる音や振動で、全幅の信頼をよせる愛機が教えてくれる。この機体に乗る限り、同じ条件でなら負ける気がしない。

そして、勝機はやっと訪れた。

 

「くたばりやがれ、化け物め!」

 

叫ぶ。

射線はラロス改の進行方向、私が見出した敵機の予測位置。

躊躇いなく引き金を押し込んだ。

今までの鬱憤を晴らすかのような、20mm機関砲の連射が始まる。

大口径の機関砲には、防弾装甲など紙切れと何の変わりもない。曳光弾が混じった弾丸の軌跡が、ラロス改に深々と突き刺さる。

一発目は機体前部のプロペラに直撃、次に胴体部を舐めるように尾翼まで掃射。

外装を引き裂かれ、主要部位を粉々にされた機体から、炎があがるまでは一瞬だった。

黒い不気味な塊は、慣性に乗って数秒だけ旋回を続け、やがて制御を失って真っ逆さまに落ちていく。

 

「……ざまあみろだ」

 

周囲を警戒しながら呟いた。

砕け散るラロス改を眼下に収め、スロットルを絞り減速。

身体が震える。

敵機を撃墜した達成感を感じる事ができたのは、ほんの少しの間だけだ。

あとに来るのは喪失感のみ、死んだ部下は誰も帰ってこない。私には拭いされない虚しさが重く重くのしかかってきていた。

そのまま、鬱々とした気分で通信を開く。

 

「少尉、生きているか?」

 

スピーカーから聞こえる細かなノイズに耳を澄ませ、彼からの返答を待った。

かすかに寒気を感じる。

何故だかはわからない、でも、このノイズの向こう側から、誰かの怨嗟の声が聞こえてきそうに思えて怖くなる。

 

「おい、少尉」

 

返事がない。

寒気が増した。

まさかな、と、ほとんど無意識のうちに呟く。

通信機の故障を疑って、ダイヤルを調節したが、ノイズしか返ってこない。

一対一で少尉がやられたのか、任官から私の後ろを飛び続けていたアイツが。

信じられない。

同僚の腕を信用する感情が半分、現状を分析して最も絶望的な結果を弾きだす理性的な思考が半分。

気がつけば、狭苦しい操縦席の中で大声をあげていた。

 

「返事くらいしろ大馬鹿野郎!」

 

通信機のノイズの波が大きくなる。ザザッという耳障りな音。

そして、返事は声ではなく別の方法で返ってきた。

雲を裂いて現れる黒い物体。

飛んでいるのではなく、落ちている。それは翼を半ばからへし折られたラロス改であった。

続けて飛び出て来たのは、すでに見飽きたフォルムの中隊二番機、少尉の機体だ。

撃墜を認めたのか、彼の機体はラロス改の追跡を中断し、バンクを振った後、水平飛行を始める。

 

「中尉殿」

 

ようやくスピーカーから声が聞こえた。

言い知れぬ安堵感を感じ、溜め息をつく。

敵機を撃ち落としたのなら返事をしてくれてもいいだろうに、そう、唐突に嫌味を言いたくなる。

私は通信機の音量をあげて、口を開いた。

 

「中尉殿」

 

しかし、少尉はもう一度私の階級を呼んだ。

喉元まで来ていた言葉を飲み込む。

何故か、私は、彼の声を遮る事ができなかった。

 

「どうした?」

 

何故だ。

先程の寒気が収まらない。

少尉の声色に、途方もない違和感を感じる。

今まで混じった事のない感情が、不純物のように入り込んだ声。

少尉は、その違和感を感じさせる声のまま、言葉を続けた。

 

「我々は」

 

私は、続きを聞いて後悔する。

 

「我々は、間に合いませんでした」

 

その返答の意図を噛み砕き、頭の中に落とし込むまで数秒を要する。

理解して、絶望した。

 

一体、彼は雲の上で何を見てきたのだ。

 

直後、空から降ってきた無機質で、醜悪で、巨大な金属の壁が、私の視界の全てを遮った。

何が起こったのかわからなくなる。

轟音と、得も言われぬ威圧感が空を蹂躙していく。

肺が押しつぶされそうな重圧に、呼吸すらも止まってしまう。

私と少尉の間に割り込むように、分厚い雲を引き裂いて現れたそれ。

まさしく化け物と呼ぶに相応しい姿。

数十メートル級の巨体から伸びる、針山のようなおびただしい数の機銃砲座と、戦闘機が玩具にすら見える厚い翼が見える。そして、翼からぶら下がる四発のエンジンが奏でる、獣の唸り声のような不気味な重低音が、空気を振動させている。

ディオミディア級超大型爆撃機だ。

勝てない。

論理的な思考を省略して、本能が勝手にそう結論してしまう。

何も間違いではない、どんな手段を用いたとしても、私がディオミディアを落とす光景が浮かばない。何回現状を打破する道筋を考えたところで、脳裏に浮かぶのは明確な死のビジョンだけだ。

死ぬ。

あの無数の機銃に全身を貫かれて死ぬ。

銃口がゆっくりとこちらを向くのが見えた。

破局は、もうすぐ訪れるのだ。

 

 

 

「こちら第52戦闘航空団第2飛行隊、ゲルトルート・バルクホルン大尉だ、離脱を支援する」

 

そこで、スピーカーが発したのは、強く、芯の通った少女の声だった。

ハッと我に返って操縦桿を握り直す。

ディオミディアの機銃砲座が火線を吐きだしたのはほぼ同時だった。

脊髄反射じみた挙動ですぐさま回避行動に移る。

目前に広がる死へ抗おうとランダムな挙動を織り交ぜながら、全速で距離をとる。

 

「少尉、離脱だ、急げ!」

 

こちらからはディオミディアの巨体に阻まれて、少尉の様子が確認できない。

向こうが見えない苛立ち混じりにマイクへ大声をはる。

 

「無念です、中尉殿」

 

だが、返事は、命令への返答ではなかった。

 

「何を、言っている」

「機体とデカブツとの距離が近すぎます、動いた瞬間に蜂の巣だ」

 

また、少尉らしくないやけに落ち着いた声色。

気持ちが悪い。

私は聞いていられなかった。

 

「何言ってる馬鹿野郎! そこにいても同じだろうが、死ぬ前に動け、早く!」

「中尉殿、だから無念なんですよ」

「知った事か! こんな時くらい、命令を聞いてくれてもいいだろう! 動け、動けよ! 少尉! なあ!」

「先に行った連中によろしく伝えておきましょう、貴女は、まだ来ないでくださいよ?」

 

見えない、少尉の姿が。

死を覚悟しているであろう部下の機体が、見えない。

どうしてこんな時まで、私の声を聞いてくれないのだ。

何度通信機にむかって声をあげても、何も意味がない。

 

「チクショウ……!」

 

ただ、かすかに、いつもの軽い笑い声が聞こえた気がした。

そして、ひと際大きな、爆発音のようなノイズ。

耳を塞ぎたくなる音がスピーカーから漏れ出す。

それも波が引くように、少しずつ静かになって、それっきり。

この通信機はもう、少尉の機体が発する電波を拾う事は二度とない。

 

「何で、クソッ! やられた、間に合わなかったのか!」

 

別の声が聞こえる。

先程の少女の声だ。皮肉にも、悔しさが滲む声色が少尉が撃墜された証明になる。

 

「一機だけでも救い出せ! ハルトマン以下第五中隊は私に続き射撃支援、第六中隊はラロス改を引きつけろ! 散開!」

 

歯切れのいい指示が飛ぶ。

現状はすぐに動いた。

ディオミディアの装甲に赤い火花が散った。

直上からの援護射撃が始まったのだ。

鉛玉を吐きだし続けていた銃座が、不意打ちを喰らって火を噴き、沈黙する。

私は機体とディオミディアの間に、いくつかの小さな影が割り込んだのを見た。

しつこく私を狙う銃撃を、幾何学的な形をしたシールドが防いでくれる。

機械化航空歩兵。

ウィッチだ。

皆、小柄な少女でありながら、重火器を携え、流線形のストライカーユニットを操る姿の何と頼もしい事か。

そのうちの一人と目が合う。

まだ十歳そこそこに見える、幼い少女だ。

必死の表情で凶悪な銃弾を防ぐ彼女の眼は、離脱しろ、そう言っているように思えた。

少尉を撃墜された悔しさと、虚しさが胸を満たし、痛みを発する。

だが、私は気押されるように操縦桿を引き倒すしかできなかった。

 

「対象の離脱を確認した、攻撃を開始する」

 

そんな通信とともに、上空からさらに飛来したウィッチが、ディオミディアに一撃を加えて飛び去っていく。

見事な一撃離脱、戦闘機よりも高速で相手を叩き、さらに機敏な動きで元の高度を取り戻す。

射撃も正確だ。

すれ違いざまの一撃で、無数の銃座が食い破られ、破壊されていた。

戦闘機では考えられない戦果だ。

ずっと年下の少女達が、禍々しい空の要塞を翻弄している。

歯がゆい。

この感情は羨望だろうか、自分には到底できない戦い方をする彼女達への。

あんな動きができたら、少尉も、部下も死なせる事はなかったのではないか、と。

 

「……チクショウ」

 

少尉が撃墜された時の言葉をもう一度呟く。

意気揚々と軍人になったというのに、こんな結末があっていいのか。

不甲斐なさが私の心を焼いて、思考が堂々巡りを始めてしまう。

唇を噛む。

ディオミディアから少しづつ離れつつある機体の中で、少女達の通信に耳を傾ける。

 

「一撃離脱では効果が薄いかっ……」

 

悔しげな声、おそらく隊長機だろう、一番最初に通信を飛ばしてきた少女だ。

ウィッチは弾丸に、ネウロイにとっての毒となる魔力をのせて撃つと言うが、それでもディオミディアの装甲を破る事はできなかったのだ。

状況は切迫している。

あの装甲を破壊するには、大砲クラスの威力がいる。

 

「ダメだトゥルーデ! 弾が、もう無いよ!」

 

隊長機の声に応えたのは、さらに焦ったような声だった。

彼女達の武装は戦闘機を相手取るためのものだ。

この戦闘には役不足。

それも、弾薬も足りないという、きっと、前線から補給も無しに飛ばしてきたのだろう。

私達を、救うために。

 

「そんなことはわかっている! それでも、やるしかないんだハルトマン!」

 

その声からは、悲しげにも感じる決意が滲んでいた。

 

「私達がやらなければ、ここでディオミディアを食い止めなければ! 誰が奴を止めるんだ! みんな殺されてしまうんだぞ!」

 

そんな言葉は、十歳そこそこの少女が言うには内容も、意味も、込められた感情も、何もかも重すぎる。

もう、我慢ならなかった。

 

「チクショウがっ!」

 

叫んで、力任せに目の前の計器を殴りつけた。

ガラスが割れ、基盤が微かにひしゃげる。

皮膚が破れる。灼熱する痛みが手から神経を伝わり脳へ巡った。そのおかげか、鬱屈した思考が薙ぎ払われ、代わりにヒヤリとしたものが溢れだす。

自分が軍人になったのは何のためだったのか。

幼い少女達を戦わせたくなかったからではないのか。

部下は祖国に殉じた、少女達すらも命をささげようとしている。私が逃げる訳にはいかないのだ。

自分自身を責める声。

同時に生まれる、それらを解消する一つの解答。

思い至れば、もはや躊躇いなどなくなる。体が勝手に動いた。

スロットルを全開に、燃料の残りも気にしない。

力強い駆動音と共に、愛機が息を吹き返す。

操縦桿にも、折れよと言わんばかりに力を込め、進路をディオミディアがいる方向へと無理やりに修正する。

 

「ハインリーケ・エールラー中尉だ、進路を空けてくれ、突入する」

 

加速のための距離を稼ぎだすため、高度を引きあげつつ、通信機へと、短く告げる。

疑問の声が聞こえたが、時間がない、もう気にしない事にした。

 

「突入だと? 何をしている、離脱したはずだろう」

「死ぬ前に、ひと仕事させてほしい。大尉殿、あとの事はお任せする」

「死ぬ……? エールラー中尉、まさか!」

 

もう十分だ。

充分な高度から機体を反転させ、そのまま通信を切る。

重力の助けを得た機体の加速は、止まらない、止める気もない。

制動など必要なかった。

ただ一直線に眼下のディオミディアへ向かえばいい。戦闘機一機分の質量を叩きこめば、装甲を破壊するくらいはできるはずだ。

命を落としても、この化け物に一矢報いて、彼女達の手助けになれるなら。

もう、何もかまわない。

進路上で戦っていたウィッチが道を空けていく。

目の前にあるのは、どす黒い巨体のみ。

機銃砲座がこちらを向く、大口径の弾丸が機体を掠め始めた。

しかし、自分に対する脅威を排除するためのそれも、ウィッチの猛攻によって削り取られていた。

邪魔をするものなど、どこにもない。

このまま私は、ディオミディアに機体ごと突入して、死ぬ。

 

「ごめん、ごめんな、少尉、テオ」

 

僚機と、幼馴染の愛称を呼んだ。

少尉には、まだ来るなと言われたのに、もう後を追う事になっている。

テオが書いてくれた手紙も、ちゃんと読んでやる事もできなかった。

未練が無い訳がない、やはり、心の底から悔しかった。

それでも、こんな所で、自分一人だけが、背を向けて逃げ出す事など、できなかったのだ。

衝突まであと数秒。

引き延ばされたように感じる時間の中。

上空に目を向けた。

優雅に天を駆ける魔女の姿が見える。

悲しげな瞳をこちらに向ける姿は、天使のようだと思えた。

 

「……綺麗だなぁ」

 

美しい。

羨ましい。

できる事なら、自分もあんな風に、自由に、優雅に、空を飛んでみたかった。

残された時間の中で、思わず彼女に向って手を伸ばし、そして、強化ガラスでできた透明な壁に阻まれる。

もう少し、あと少しなのに、届かない。

 

 

風防の中の小さな空は、私の手には狭すぎたのだ。

 

 

 

 

 

 

帝政カールスラント空軍は、一連の戦闘でディオミディア級大型爆撃機の撃破に成功するものの、戦闘機一個中隊を喪失した。

 

 

 

 

 

 

 


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