SAO アソシエイト・ライン ~ 飛龍が如し ~(※凍結中)   作:具足太師

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カチ………





 カチ…………









  カ    チ……………――――――






『 別離 Alea jacta est 』

 

 

 

 

 

 思いがけず、広大なフィールドで出会った女達と男達。

 休憩がてら4人は腰を下ろし、互いに ここに至るまでの話を軽く話し合った。聞けば、キリトという男性プレイヤーもベータテスターであるらしい。初心者であるクラインが街で他のプレイヤーと違う雰囲気を持つ彼を目敏く見付け、首尾良く安い武器と腕の立つ先生を得たと言う。

 ハルカも、同じくベータテスターの者に様々な面で助けられ、こうしてフィールドに出ている事を話す。

 1万という大人数の中、同じくテスター絡みで共通点がある事は中々に珍しいと、クラインは運命を見たとばかりに驚喜する。キリトも、それは一体 誰だったのかと少なからず興味がありげだった。

 

 そして話も(たけなわ)、程良く互いの距離も縮まった空気の中、クラインがハルカとシリカに提案した。

 

 

 

「ここで出逢えたのも神の思し召し。どうです、よろしければ俺達と組みませんか?」

 

 

 

 若干 芝居がかった物言いに、思わず笑みが零れるハルカとシリカ。軽薄そうではあるが不思議と不快感は感じず、そこには良識を弁えた芯がある事が、言葉の節々から感じ取れる。

 

 

 故に、2人に とっては彼の提案も吝かではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルカ! そっちに行ったぞ!!」

 

「OK! 任せて!」

 

 

 

 そして現在。ハルカは、キリトとコンビを組んで湧出(ポップ)した2体のフレンジー・ボアを相手に戦っていた。

 これは丁度、男女が2人ずついる事から、どうせなら男女でコンビを組んでやらないか、というクラインの提案によるもの。女性陣にしてみれば下心が見え見えの提案ではあったものの、キリトもクラインの顔を立ててやってくれと、さり気なくフォローした事もあり大した問題はないと、それに乗る事にした。

 シリカも初めは少なからず緊張していたが、今ではハルカ達から少し離れた所でバンダナの若武者と仲良く敵と戦っている。そして当のクラインも(アバター上は)美女と組めた事に歓喜し、嬉々として曲刀(カトラス)を振り回していた。

 

 

 

 突進して来たフレンジー・ボアの攻撃を横跳びで(かわ)し、敵の背後を取る。この敵は突進の後、振り返るのに若干 時間がかかるという隙があった。既に突き止めていたハルカが、それを上手く狙った形である。

 走りながら接近し、棍棒を上に構えてソードスキルの溜め動作に入る。射程に入る頃には棍棒に光が宿っており、後は放つのみとなった。

 

 

 

「やあぁぁ――――――っ!!!」

 

 

「ぷぎぃぃ~~!!」

 

 

 

 そして、弱点である首筋を狙い棍棒を振り下ろす。見事、片手用 棍のソードスキル・《 サイレント・ブロウ 》を叩き込み、敵のHPを一気に減少させた。

 棍系の武器は、手数が少なく一撃の振りが遅めという欠点はあるが、それを補う程の高威力が魅力である。

 この一撃が余程 効いたのか、まだ7割は残っていたはずフレンジー・ボアのHPは残らず削り取られ、断末魔と共に光を纏って爆散した。

 

 

 

「やった! やったよ、キリト君!!」

 

「凄いな、ハルカ」

 

 

 

 戦果を挙げ、堪らないとばかりにガッツポーズを取るハルカ。平淡そうで、その実、驚きと感心を込めた言葉をキリトは呟く。ちなみに彼が戦っていた、もう1匹のボアは倒された後であり、彼の得物である片手用 直剣(スマート・ソード)は鞘に納められている。

 経験者である彼に褒められ、ハルカも嬉しいながらも謙遜の言葉を返す。

 

 

 

「えへへ、ありがと。でも、説明書 通りにやっただけだよ」

 

「いやいや……俺から言わせれば、“ 説明書通り ”なんて言葉で済むレベルじゃないよ」

 

「?? と、言うと?」

 

 

 

 何やら含みのある物言いに、ハルカは首を傾げる。鞘に仕舞っていた剣を再び抜き、動作を交えつつキリトが説明する。

 

 

 

「通常、ソードスキルってのは“ システムで規定された動作に身を任せる ”ってだけなんだ。現実では有り得ない程のスピードやパワー、衝撃も、あくまでシステムが定めたものであり、その補助(アシスト)でしかない。

 

 

 ……でも、ハルカの動きは“ その先 ”を行ってる」

 

 

「……“ その先 ”? それって……」

 

 

 

「俺達ベータテスターの間では、ソードスキルの《 ブースト 》って呼ばれてる奴だ」

 

 

 

 

 

 キリトは、テスト時の出来事を回想する。

 

 

 ソードスキルとは、システムで定められた特定の技の動作をアシストで自動的に行うもの。通常、これは発動してしまえばプレイヤーの意思は関係なく、ただシステムの動きに身を任せるのみである。

 しかし それ故に、発動タイミングが合わず暴発してしまうケースも勿論あるし、直後に課せられる硬直時間を敵に突かれ、手痛い反撃を被るといった展開に陥る事も決して少なくはなかった。

 

 

 だが、ベータテスターの中に、ふと“ ある考え ”を抱いた者がいた。

 

 

 なら、そのシステムの動きに、自分の動きを“ 上乗せ ”出来やしないか ―――――― と。

 

 

 概念としては、理に適う話である。元からある特定の力の向きに、その上から更なる力を加えれば、確かに その力は結果として増大するに違いない。一般的な理系の授業を受けていれば、誰でも思い付きそうな話である。

 だが実際 試してみると、決して出来ない事はないと判明したが、同時にとんでもない“ 壁 ”に直面した。

 

 

 ―――――― その理由は、このソードスキルが意外な程に“ 柔軟性に乏しい ”という事だった。

 

 

 振り被りや突進などのシステムアシストは、事前に規定の動きや構えに乗っ取らないと正常に機能しない。つまり、規定された動きと“ ほぼ寸分 違わぬ動きで重ねなければ ”この技は成立しないのだ。さもなくば、技は発動しない、無駄に隙は出来るなど、メリットが何1つ生まれない。

 更に厄介な事に、無数にあるソードスキルの基となったのは、剣術家や武道家など、実際に段位を持っているような猛者の動きであるとの事。この平和なご時世に、その道のプロと同じ動きをするなどというのは、如何な熟練のゲームプレイヤーでも困難を極めたのであった。

 

 結果、このベータテスト中に編み出されたブーストという技術は、その あまりのピーキーぶり故に、ごく一部のプレイヤーが使え、情報が少しばかり出回る程度の、知る人ぞ知る幻の技と化したのであった。

 

 

 

 

 

「………へぇ~。私、そんな凄い技術を?」

 

 

 

 説明を聞き終えて、最初のハルカの言葉。どこか、他人事のようでもある。自分が凄いと言われているのだと解るが、それでも今1つ実感が湧かなかったのだろう。

 

 

 

「あぁ。たぶん無意識になんだろうが、確かに使ってたよ。そうじゃなきゃ、たった一撃で敵の7割近くも奪うなんて芸当、出来る訳がないからな。いくら相手が最弱のフレンジー・ボアでもだ」

 

 

 

 多くの敵を倒してレベルが上がり、使用武器が棍という事もあり、ハルカは筋力値を最優先に上げる事にした。それ故、この場のメンバーの中では攻撃力は高い方である。

 それでも、フレンジー・ボアの体力を根こそぎ奪う程の力は身に付いていないはずだと、ベータテスト時代からの感覚が伝えていた。

 

 

 

「う~ん……そう言われても。私はただ、技に勢いを付けよう、って程度にしか考えてないんだけどね」

 

「さいですか……」

 

 

 

 軽く肩を竦める。しかし、この時キリトは密かに目の前にいるハルカという少女の潜在能力に末恐ろしさを感じていた。

 キリト自身、口には出さないが、この場にいる誰よりもこのゲーム(SAO)をやり込んでいると密かな自負を抱いていた。勿論、自身がベータテスターである事も前提においてはいるが、それでも誰よりも手本になれるだろう自信はあったつもりだった。

 

 

 

(……だけどブーストを誰からも教わらずに使って、あまつさえ、ほとんど物にしかけてるとか……俺だって、テスト期間の大半を使ってどうにか使えたっていうのに……)

 

 

 

 だが、このハルカという少女は、自分が長い時間かけて身に付けた技を、ほぼ無意識に我が物としている。

 こういったゲームは全くの未経験で、特にスポーツなどを専攻してやった事は皆無と聞いたが、そんな言葉にさえ疑問を抱かずにはいられない程、ハルカの筋の良さは誰よりも群を抜いていた。

 事実、同じく初心者であるシリカや、キリトと同じゲーマーであるクラインですら、未だ満足がいく程にはソードスキルの発動もままならない有様である。

 

 

 

(これは ―――――― 事によれば、とんでもない存在に“ 化ける ”かもしれないな……)

 

 

 

 ハルカは言っていた。今日のプレイも、病気で出来なくなった妹の代わりにやっているだけだと。

 今日という日が終われば、もしかしたら もう2度と やらない可能性もあると。

 

 

 惜しい ―――――― 一切の贔屓目 抜きで、キリトは思った。

 

 

 長年のゲーマーとしての勘が告げている。彼女の才能は、きっと数多の初心者の中でも ずば抜けていると。

 こんなダイヤの ―――――― それも、もしかすれば何百カラットは下らない程の原石を見れば、誰でも そう思うと断言できた。もし、この場に自分 以外のゲーマーがいてハルカの凄さを目にすれば、きっと誰もが我先にと自分のチームへと勧誘するに違いない。

 

 

 

 グランドクエスト一番乗りも夢ではない。

 

 

 ―――――― そう思わせる何かを、ハルカは持っているだろうから。

 

 

 

 

 

「ハルカさ~ん」

 

 

 

 キリトが思考していると、手を振りながらシリカが戻って来る。とてとて、という擬音(オノマトペ)が似合いそうな愛らしさがあった。

 

 

 

「シリカちゃん。どう、レベルは上がった?」

 

「はい! さっき3に上がりました!」

 

 

 

 戦った当初は勿論1だった事を考えれば、相応の数を屠ったはずである。目の前の可愛らしさとは似つかわしくない戦果を思うと人によっては苦笑いを禁じ得ないだろう。

 

 

 

「私も、3になったよ。後10匹くらい倒せば、次の4になるかな」

 

「うわぁ! もう、そんなに? ハルカさん、凄いです!」

 

「ありがと。でも、たぶん普通くらいだよ。私よりも、きっとキリト君の方が ずっと高いだろうし。ね?」

 

「え? あ、あぁ、まぁな」

 

 

 

 確かに、キリトのレベルは既に5であり、この4人の中では一番の高さだ。それは純粋に自慢できるのだが、自分が可能性の塊のように思っている少女に言われると、何とも言えない微妙な心境しか湧かなかった。

 キリトにしてみれば、初心者でありながら経験者を唸らせる程の技術を身に付けているのだから、それこそ自慢の1つでもするところだ。

 だがハルカという少女は、そんな素振りは一切 見せないのだ。初心者ゆえに、逆に自分が どれだけ凄いのか自覚できていないのだろうが、それにても謙虚過ぎる。おそらく、それがハルカらしいという1つの人間性なのだろう。

 

 

 

「いやぁ~狩った狩った!! 俺様、大満足!!」

 

 

 

 程なく、クラインも満足気な様子を見せながら歩いて来る。

 彼なりに、存分に戦えたのだろう。やり遂げた気持ちを伝えたくてしょうがないとばかりに、白い歯を見せて破顔している。充分にイケメンと言える容姿であるのだが彼の場合、不思議と様になるというよりは子供っぽいという見た目不相応な印象を与えている。

 

 

 

「あ、クラインさん。大丈夫ですか? さっきも派手に飛ばされてたみたいですけど……」

 

「ははは! レディに格好 悪いとこみせちゃいましたね! なぁに、どうせこのゲームには痛みなんざ、これっぽっちもないんすから。あれ位、屁でもないっすよ」

 

「そう、良かった」

 

「やれやれ」

 

「アハハッ」

 

 

 

 笑いながら、まだまだいけると言わんばかりに自分の尻を手で叩く。その仕草に、ハルカも杞憂だったかとばかりに笑う。

 キリトも呆れ交じりで溜め息を吐き、相変わらず間の抜けたところを見せるクラインに、シリカも笑いを禁じ得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、数多くの敵を倒した事で体が温まった4人は、小休止といった形で近くの草むらに腰を落ち着け、雑談を始めていた。

 この世界における季節は、現実と同じに設定されている。故に秋らしい、やや肌寒い空気が辺りに流れている。だが、戦いで火照った体には丁度良いと寒いと訴える人間はいない。

 

 

 

「……いや、しかし、ここがゲームの中だなんて未だに信じられねぇぜ」

 

 

 

 風を全身で感じ深く深呼吸しながら、感慨深げにクラインが呟く。

 

 

 

「そうですね……私も、他の箱庭タイプのゲームなら何個か やりましたけど、ここまでリアルに風景を再現したのは初めてだから、驚く事ばかりです」

 

「へぇ、シリカちゃんと同じで、ハルカちゃんも完全(フル)ダイブの経験者か。俺ぁ、このゲームの為に、ハードから揃えたんだよ。だから、何もかもが新鮮でさぁ」

 

「そうだったんですか。それは、良い買い物しましたね」

 

「違ぇねぇ! 運良くこの時代に生まれて、俺ぁ幸せ者だぜ!!」

 

大袈裟(オーバー)だな…」

 

「アハハッ」

 

 

 

 全知全能の神を見たとばかりに歓喜を露わにするクライン。初めてとはいえ、その大仰な感想にキリトは若干 呆れ気味である。

 だが、その気持ちが解らないでもない。その時代に生まれた文明の利器を使い、その素晴らしさに感動する。確かに、その時代に生まれた人間として、これほど役得と言える事もないだろう。それは誰もが共通して思える事だ。

 ましてや今、自分達がプレイしているゲームは今までのあらゆるゲームの常識や概念を覆す、革命的とも言える物である。その記念すべき初日にゲームの凄さを体験できた事は、今更ながら途轍もない位に幸運な事なのだと、誰もが強く実感するのだった。

 

 

 

(……ごめんね、理緒奈。こんな素敵な気持ち、私が先に感じちゃって)

 

 

 

 ハルカも、本来なら今の気持ちを抱くはずだった義妹を想い、密かに謝罪すると共に、この気持ちは忘れまいと心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、程なく ――――――

 

 

 

 

 

「あっ」

 

 

 

 不意に、クラインが声を上げる。鳩が豆鉄砲を食ったような表情は何とも間が抜けたものだ。

 

 

 

「どうしたんですか、クラインさん」

 

「やべぇ……もうすぐ5時半になるじゃねぇか!」

 

「えっ……もう そんな時間?」

 

 

 

 ハルカも視線を、プレイヤーの視界の端に映る時計を確認する。確かに、表示されている時刻は【 5:19 】とあった。

 

 

 

「クライン、何かあるのか?」

 

「おぉ、ピザの宅配を頼んでたんだよ、5時半にな。もしかしたら、もう来てるかもしれねぇ……!」

 

「あぁ、そりゃ急がないと」

 

「冷めちまったら大事だんな。冷えたピザなんざ、ネバらない納豆 以下だぜ」

 

「何だ、それ?」

 

 

 

 そんなキリトとクラインの会話を尻目に、ハルカも少なからず狼狽える。

 

 

「大変、早く帰らなきゃ!」

 

 

 

 夕方には帰って夕食を作ると約束していたのに、思いの外ゲームにハマり過ぎて時間の感覚が鈍ってしまっていたらしい。

 こうしては いられないと、俄かに立ち上がった。

 

 

 

 

「えっ……ハルカさん、もう帰っちゃうんですか!?」

 

 

 

 ハルカが いなくなる。その言葉を聞くや、シリカは目に見えて動揺し始める。

 

 

 

「うん、早く帰らないと弟や妹達がお腹を空かせちゃうから。もう帰らないと」

 

「そう、ですか……」

 

 

 

 そう言うと、シリカは誰が見ても解る位、落ち込んだ表情を見せた。

 その様子を見ていたキリトとクラインは、無理もないと考えた。シリカにとって、ハルカはSAOに来て初めて出来た仲間であり、今や姉貴分だ。

 ただログアウトするだけでならば まだしも、ハルカは今後SAOをプレイしないかもしれない可能性を既に聞いていた。その為、もう二度と会えないような感覚に襲われたのだろう。フルダイブという疑似的な五感を通じて接して来たからこそ、ゲーム中と言えど深い喪失感に苛まれるのだ。

 

 

 

(シリカちゃん………)

 

 

 

 そんな捨てられた子猫のようなシリカの表情を見て、ハルカは胸の奥が切なくなるような感覚を覚える。

 そして、考える。彼女とは出会って、ここまで僅か5時間にも満たない付き合いである。数字の上だけなら、せいぜい知り合い、顔見知りの範疇を出ない関係だろう。

 だが、彼女なりに言葉を交わし、表情を向け合い、ちょっとしたトラブルも共に乗り越えた仲だ。少なくとも、今後どうなろうと関係ないと言い切れるような、薄情な間柄ではないとハルカは断言できる。自惚れでなければ、シリカも また同じであると。

 

 

 口元を噛み締め、手を軽く握りしめる。

 

 

 そして意を決し、密かに考えていた事(・・・・・・・・・)を口にする。

 

 

 

 

 

「……心配しないで、シリカちゃん。帰ったら、義妹に頼んでみるよ。

 

 

 また やらせてくれないか(・・・・・・・・・・・)って」

 

 

 

 

 

「えっ ―――――― それじゃあ……!」

 

 

 

 ハルカの言葉の意味を察し、シリカの表情に まさか という感情が宿る。

 

 その縋るような表情に対し、ハルカは温かい程の笑みで答えた。

 

 

 

 

「うん。私も、このゲームとっても気に入っちゃった。とても1日じゃ満足 出来ないや。

 

 

 ―――――― ……また、一緒に戦ってくれる?」

 

 

 

「っ……はいっ!!」

 

 

 

 返事を聞くと、ハルカは右手の人差指と中指を真っ直ぐ揃えて掲げ、真下に振る。すると、鈴の音に似た効果音と共に、紫色の《 メインメニュー・ウインドウ 》が現れた。自身の装備を初め、あらゆる操作を行うメニューである。

 その中の“ ある項目 ”を開いていき、最後のボタンを(タップ)した。

 そうすると、シリカの目の前に1つのメッセージ画面が浮かび上がる。

 

 

 

 

 

『 フレンド登録申請がありました。プレイヤー「 Haruka 」と、フレンド登録しますか? 』

 

 

 

 

 

 《 フレンド登録 》。これも、ディアベルから教わったものの1つである。これさえ行なっておけば、相手とメールで やり取りが出来る上、メニューの画面上に そのプレイヤーの現在位置が 表示されるようになるのである。

 つまり、たとえハルカが中々プレイ出来ないとしても、これなら連絡も合流も容易になるという事だ。これは文字通り、シリカにとってもハルカにとっても、友情(フレンド)の誓い そのものであった。

 

 

 これからも、一緒にプレイが出来る。

 

 それが解ったシリカは輝かんばかりの笑みを浮かべ、迷いなき動きで《 Yesボタン 》を押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな麗しい女の友情を、男2人は離れた位置で温かい目で見ていた。

 

 

 

「……クラインも、申請しなくて良いのか? 確か、女の子との出会いが欲しかったんだろ?」

 

 

 

 キリトが不意に、揶揄うように尋ねる。出会ってから ここに至るまでの間、クラインが女っ気を欲しており、あわよくばゲーム内で親しい仲に発展したいという願望を聞いていた為だ。キリトが元ベータテスターだと聞いた時、仲の良い女性プレイヤーはいなかったのかなど地味に しつこく喰い下がってきた事は記憶に新しい。

 クラインも、その辺りを思い出したのだろう。自身の見苦しい姿を思い出して苦笑いをしつつ、至極 真面目な口調で答える。

 

 

 

「馬鹿 言え。今あの空気にムサい男が割り込むなんざ、KY(空気が読めない)にも程があんだろが」

 

「同感」

 

 

 

 まさしくと頷き同意する。キリト自身、人との関りでの空気を読む能力は高くないと思っているが、今の彼女達の中に割って入る事が如何に顰蹙を買う行為課は容易に想像できる事だ。

 

 

 

「ま、とにかく俺ぁ一旦 落ちる(ログアイトする)わ」

 

「挨拶は良いのか?」

 

「ま、今は良いだろ。タイミングが合えば、今後も会えるだろうしな。男はクールに去るって奴さ」

 

「そうか。じゃあ、早く行きな。せっかくのピッツァが冷めちまうかもよ」

 

「おぅ!」

 

 

 

 キリトが半分 脅かすように言うと、クラインも苦笑いを浮かべながらウインドウを開いた。ウインドウのメニューにログアウトするボタンがあり、それを押せば即座に現実の体に帰還できるのだ。

 

 

 

「じゃあな、キリト。今日は本当に、凄ぇ助かったぜ、ありがとな!」

 

「気にすんなって。また何かあったら、アドバイス位ならしてやるよ」

 

「サンキュー! いつか、絶対お礼すっからな、精神的に!」

 

「はは。まぁ、期待しないで待ってるよ」

 

 

 

 クラインが言った台詞は、一昔前に流行ったアニメの名台詞だったはずだとキリトは記憶していた。無論、キリトは世代の人間ではないがネットなどで様々なアニメを見る中で、自身が生まれる前の物も多数 見ていたのである。

 言葉の意味は『 借りは返すが、直接的なものではない。精々、助言などの範疇だ 』的なものだ。中々に慇懃無礼な物言いなので、本来は気心の知れた、あるいは腐れ縁的な間柄で使う言葉である。

 クライン自身、意味を理解して使っているかは解らないが、キリトも具体的な見返りを求めているわけでもないので深くは考えない事にした。きっと、彼なりの人との接し方なのだと。

 

 

 

(柄にもなく、盛り上がってるのかな……我ながら変な気分だ)

 

 

 

 自身の それまでを回顧し、自嘲気味に笑うキリト。しかし、その胸に抱く感情は、決して不快なものではなかった。

 

 

 これからは、楽しくプレイ出来そうだ ―――――― そう、感慨深く思った直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― あれ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハルカの口から、何とも不可解な声が聞こえたのは。

 

 

 何事かと、キリトとクラインは視線を向ける。そこにはハルカがウインドウを見ながら指を止め、棒立ちしている姿があった。

 シリカも一体 何事なのかと、首を傾げている。

 

 

 

「ハルカさん? どうか、したんですか?」

 

 

 

 その問いに、ハルカは2、3秒 言い淀むように唇を震わせた後、恐る恐るといった風で答える。

 

 

 

「えっと……その………ログアウトボタンがない(・・・・・・・・・・・)の」

 

 

 

 ハルカの答えに、他の3人は目を丸くした。特にクラインとシリカは、まるで意味が解らないと言いたげな間の抜けた表情となっている。

 やがて、いち早く気を取り直したキリトが、溜め息 交じりに言った。

 

 

 

「いや、そんなはずないだろ。メニューの一番下だぞ? よく見てみろって」

 

 

 

 この手のメニュー画面といったものは、人によっては慣れるだけでも相当 時間が掛かりがちである。どこに どういった項目があるのか、その基本を把握するだけでも人によっては至難の業だ。

 そしてハルカは戦闘面では極めて筋が良いが、それでも紛れもない初心者。きっと、何か操作を間違えたか勘違いしているだけに違いない。キリトは、そう考えたのだ。

 

 

 

 

 

「いや……キリト、ハルカちゃんの言う通りだ。本当にねぇ…」

 

「え……」

 

「ほ、本当だ………あたし のにもないです!」

 

 

 

 しかし、そんな考えは多方面から同時に否定された。クライン、果てはシリカまでもが、ハルカと全く同じ事を言い出したのである。

 皆して自分を揶揄っているのか。そんな考えも一瞬よぎるが、驚く3人の表情を見る限り そのような雰囲気でもない。何より、クラインは まだしもハルカは そういった冗談は口にしないだろうと予想が出来た。

 キリトの胸中に、言い知れぬ不安が湧き上がってくる。何かに駆られるように、自分もウインドウを開く。

 

 

 

 指を動かしメニュー画面を動かして ―――――― その表情を固めた。

 

 

 

 

 

「――――――――― ない……」

 

 

 

 

 

 そう、無かった。

 

 

 今から数時間前 ―――――― ログインした直後、操作の確認と復習にと、その目で確認したはずの《 LOG OUT 》というボタンが、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。

 見間違いか、見落としたか。考え得る可能性を浮かべ、その度に確認し直すが、結果は変わらない。

 

 全員が異常を確認できて、その一角には不穏な空気が漂い始める。先程までの穏やかな空気は、ほぼ霧散していた。

 クラインはバリバリと頭を掻きつつ、キリトに助言を求める。

 

 

 

「おい、キリト……こりゃあ、一体 何だ。バグ、なのか……?」

 

「あ、あぁ……たぶん……ログアウトボタンが消えるなんて、バグ以外の何物でもない……」

 

 

 もっとも自分も見た事も、聞いた事もないと、キリトは付け加える。

 

 

 

「そうだ、《 GMコール 》は どうだ?」

 

 

 

 GMコールとは、プレイヤーが特定の方法を用いてゲーム運営会社のスタッフ、即ちゲームマスター(GM)に対しての問い合わせ機能の事である。ゲーム内で様々なトラブルが起これば、それを解決する為に働く存在であるので、キリトは真っ先に その名を挙げたのだ。

 しかし、クラインの返答は首を横に振る事だった。

 

 

 

「もう、とっくに試したさ。けどよ、うんともすんとも言わねぇでやんの」

 

「……そこも繋がらなくなってるのか、あるいは同じ問い合わせが殺到して混線してるのか……?」

 

 

 

 事情は窺い知れないが、最大とも言える頼みが使えないのは確かである。否が応にも、皆の中に不安が広がっていく。

 

 

 

「ほ、他にログアウトする方法はないんですか?」

 

「そうだ、他にねぇかっ? こうしてる間にも俺のピザがぁ……!」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ……っ」

 

 

 

 シリカとクラインに急かされ、キリトは こめかみに指を添えつつ記憶を掘り起こす。目を閉じ、同時に極めて難しい表情を続ける様に、誰もが不安げに見守るしかない。

 

 

 熟考する事10秒近く、キリトが目を開く。眉間に寄った皺は、消える様子はない。

 

 

 

「………駄目だ。ログアウトボタンを押してログアウトする以外、方法はない……!」

 

 

 

 出て来た答えは、諦めを多分に含んだ言葉だった。

 

 

 

「そ、そんなぁ……!」

 

「本当に、何もないの?」

 

 

 

 クラインは頼りが外れ、落胆の色を隠せない。ハルカも黙っていられなくなり、何か見落としはないかと期待して尋ねる。

 

 

 

「あぁ……俺はテスト中も、ナーヴギアの説明書は朗読できる位に読んだんだ。何度 思い出してみても、ログアウトするにはゲーム内でログアウトボタンを押すとしか書かれてなかった……」

 

「け、けどよぉ……肝心のボタンは、現に消えちまってるじゃねぇかよ。だったら、一体どうすりゃ良いってんだ?」

 

「何か、こう……そういった時の為の、緊急用の方法みたいなのはないの?」

 

 

 

 数ある機器の中でも、最先端の技術を惜しみなく投入しているのだ。何か安全装置的な機能があっても不思議ではないと、ハルカが意見する。

 

 

 

「……一応、フルダイブを強制解除する方法は、ない事はない」

 

「何だよ! それじゃあ、早速それを……」

 

 

 

「……それは、不可能だ(・・・・)

 

 

 

 ようやく光明が見えたとばかりに喜んだクラインだったが、続いて出たキリトの言葉が、それを容赦なく断ち切った。

 

 

 

「な、何で……!?」

 

 

「何故なら、その方法は ―――――― “ ナーヴギアそのものを、使用者から取り外す事 ”だからだ……」

 

 

「 !! 」

 

 

 

 もう1つの方法を聞き、それをキリトが不可能だと告げる理由を、ハルカは即座に理解した。

 

 

 そもそも、完全(フル)ダイブとは、ナーヴギアの内部にある信号素子が働いて直接 脳に接続し、人が感じる視覚や聴覚、触覚などの五感を肉体に送られる前に遮断・回収し、それらをアバターを動かす為のデジタル信号に換える事で成り立っている。だからこそ、ゲーム内で激しく体を動かす動作を行なったとしても、現実の肉体は全く微動だにせず、安全にプレイ出来るのだ。

 

 

 そう ―――――― 使用者はプレイ中、微動だに出来ない(・・・・・・・・)のである。

 

 

 即ち ―――――――――

 

 

 

「自分の意志で……取り外す事は出来ない……?」

 

「……そういう事だ」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 

 

 シリカがアイドル並の容姿を この上なく曇らせ、精も根も尽き果てたかのように肩を落とす。つい先程まで、ゲーム史における転換期に立ち会えたかの如し高揚感と万能感に浸っていたのが、一転して脱出不可能な牢獄に閉じ込められたに等しい立場になったのだ、無理もない。

 

 

 何とも形容し難い重苦しい空気が、4人の周りを支配していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………何も、起こらないね」

 

 

 

 不意に、ぽつりとハルカが呟いた。

 既に4人が異常に気付いて10分近くが経過している。その間、キリトが提案した運営の報告を待とうという意見を取り入れ、その場で座り込んでいた。幸いと言うべきか、モンスターも一匹も襲って来ず4人は静かに心身を落ち着かせ時を待った。

 

 だが、待ち望んでいる動きは一向に現れる気配はない。ただ変わらず、現実と同じ肌寒い風が全員を等しく凍えさせているばかりだ。

 

 

 

「いくら何でも、おかしいです! このゲームの運営って、結構いい加減な所なんですか?」

 

「いや、それはねぇと思う。ここの開発・運営元の《 アーガス 》って所は、余所に比べてユーザーを重視する姿勢で名を売ってきたんだ。だからこそ、俺も躍起になって手に入れたわけだしな」

 

「俺もクラインと同意見だ。連日ニュースになる程に熱気が上がったのには、ユーザーからの確かな信頼があった事の証明に他ならない」

 

 

 

 痺れを切らし、不満を漏らし始めたシリカに対し、クラインとキリトが持論を展開する。2人の芯の通った言葉に、シリカも信頼性を感じて押し黙る。

 

 

 

「だけど……だったら尚更、何も言ってこないっていうのは妙じゃない?」

 

「……そうだな。それにも同意だよ」

 

 

 

 そして、ハルカの言葉にも一切の反論が出来ず、今度はキリトが押し黙った。

 更に深く推察すれば、このSAOというゲームは仮想現実大規模多人数オンライン(VRMMO)という全く新しいジャンルの開拓を担うべき大作である。それこそ、開発元が社運を賭けて作り上げた物と言っても過言ではない。

 そんな事情を抱えた中で大事な初日に、それもVR空間からの離脱が出来ないという致命的な不具合が発生して、大事にならないはずがない。にも かかわらず、現在に至るまで何ら動きが見られない事は、女性陣に比べ業界の事情に詳しいキリトとクラインには全くもって理解できなかった。

 

 

 

「はぁ……結局、このまま待つか現実(向こう)で誰かがナーヴギアを外すのを期待するしかねぇか。でも、困ったな……俺ぁ1人暮らしだぜ」

 

「私は、時間が経てば義弟か義妹が外してくれるかもしれないけど……」

 

「あぁ、そっか。ハルカちゃんには弟妹(きょうだい)がいたっけか。いいなぁ……お前らは どうだ?」

 

「あたしは、お父さんとお母さんが……」

 

「……俺も、母親と妹がいるから、晩飯になっても起きなければ気付くと思う」

 

「何だよ、俺一番ヤベェじゃんかよ!」

 

 

 

 図らずも、互いに家庭の事情を語り合う事になった。本来、元の経歴は明かさないのがルールのオンラインにおいては、異例の事態になったと言える。特にキリトは、僅かでも自身の身の上を語った事に少なからず抵抗を覚えていた。

 しかし最悪の場合、人命に関わる事にもなりかねない状況では、四の五の言っていられないのも事実だ。場合によっては、クラインの身の安全を訴える事も視野に入れねばならないのだから。

 

 

 

 

 

 そう考えた ――――――――― その刹那

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          5:30      ピッ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     リンゴーン………    リンゴーン………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― 彼等の視覚は“ 青き光 ”に

 

 

 

 

 ――――――――― 聴覚は“ 鐘の音 ”に支配された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ††       ††

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは あまりに、唐突の出来事だった。

 突如、辺り一帯に響き渡る程の鐘の音が鳴り響いたと思えば、今度は4人の体を それぞれ包み込むように、青白い光の柱が立ち上り始めたのだ。ログアウト出来ない異常事態の中で起こった、何の前触れもなしの更なる怪現象。

 誰もが突然の事に対応できず混乱する中、やがて光の柱は時間と共に風のように消えていった。

 

 そして、視界を取り戻した4人が目に光景は、先程までの赤に染まった草原ではなかった。

 

 

 

「ここは………《 はじまりの街 》……?」

 

 

 

 いち早く落ち着きを取り戻したハルカが、周囲を見渡して自らが立つ場を推測する。踏んでいる石畳も、中世ヨーロッパを思わせる日本離れした街並みも、時間帯の違いにより記憶とは印象が異なるが、間違いなくログインした際に誰もが降り立った、第1層の主街区であった。

 

 

 

「ど、どうして……あたし達、街に? それに、さっきの光や音は……?」

 

 

 

 ハルカに続き、他の面々も周りを見て自分の置かれている状況を察する。不可解な出来事の連続に、シリカもクラインも視線を右往左往するばかりだ。

 

 

 

「……今の光は転移(テレポート)の光だ。上下の層の街と街を繋ぐ門や、それ専用のアイテムを使った際に発生するエフェクトだよ」

 

「間違いねぇのか?」

 

「伊達に毎日、テストに行ってた訳じゃないからな。……もっとも、あの鐘の音は何なのか、さっぱりだけど」

 

 

 

 ベータテスターのキリトの推測でも、全ては解らないらしい。それについてはクラインも贅沢は言えないと理解している。お互いに被害者なのだから。

 

 

 

「解らない事だらけだね……」

 

「はい……」

 

 

 

 ハルカとシリカの表情には明らかな困惑と疲れの色が見える。あまりにも事が起こり過ぎ、もはや騒ぐ気力も慌てる衝動すらも湧かない様子だ。

 それでも何か情報を得ようと、周りを見渡してみる。見れば、4人の周囲は(おびただ)しい数のプレイヤーによって埋め尽くされていた。4人を運んだであろう青白い光が現在も各所で柱を上げており、更に その数は増えているようである。

 

 

 

「凄い数の人だね」

 

「道理で喧しいと思ったぜ。だけど、ホントに とんでもねぇ人数だ……こりゃ下手したら、SAOの全プレイヤーがいそうだぞ」

 

「約1万人、って事ですか?」

 

「それ位は下らねぇぜ、この数はよ」

 

「でも、どうしてわざわざプレイヤー全員を……何の為に?」

 

 

 

 シリカの疑問は もっともだ。仮にログアウトボタンが消失したのが運営側によるシステムエラー、あるいはヒューマンエラーなのだとなのなら、まず それぞれのプレイヤーにメッセージを送るなり、最低限の連絡は回るはずである。転移が可能であるのなら、それ位は可能なはずだ。わざわざ、全プレイヤーを街に集める必要性など全くないのである。このような行為は むしろ、異常事態という“ 火 ”に油を注ぎ、余計な混乱を招きかねない。

 

 

 

(運営側は、一体 何を考えてるんだ……?)

 

 

 

 この行動の意図について、皆目 見当がつかない。アーガスという運営の過去の実績を知るキリトにとって不可解 極まるものであり、理解できない もどかしさは彼の眉間に皺を刻んだ。

 

 

 

 

 

「お、おい!   あれ(・・)を見ろ!!」

 

 

 

 

 

 その声は不意に上がり、周囲の注目を誘った。キリト達から少し離れた位置にいた男性プレイヤーが、突如 上空を指差して叫んだのだ。

 男の声に釣られ、他のプレイヤー達も訝しみつつも次々と視線を上げた。

 

 

 

 

 

 そこには ―――――― “ 異様 ”としか形容できない光景が起こりつつあった。

 

 

 

 

 

 上空 ―――――― 厳密には上層である第2層の底にあたる部分が、真っ赤な市松模様で染まっていたのだ。鮮血の如き色で彩られた それは、まるでコンピューターウイルスに浸食されていくように四方へ広がっていく。

 

 

 

「ま、何だありゃ!? 一体 何が起こってやがる!!」

 

「……っ?!」

 

 

 

 あまりにも常識外れで現実離れした光景に、クラインも訳が解らないまま叫ぶしかない。

 かく言うキリトも、このような現象は見た事も聞いた事もない。ここがゲームの中である事は理解しつつも、目の前で起こる現象のリアルさが齎す衝撃は相当なものである。表情は大きく動かなくとも、動揺の度合いは周りと大差ないものである。

 言葉に詰まりながら眺めていた時、ふとキリトは ある事(・・・)に気付いた。

 よく見ると、空に浮かび上がった市松模様には2つの英文が交互に表記されていた。それぞれに『 Waring 』『 System Announcement 』 ―――――― 即ち、“ 警告 ”と“ システムアナウンス ”を意味している。

 

 

 

「システム……て事は、運営か?」

 

「何だよ、やっと本格的に動いたのかよ?」

 

「もう、脅かさないでよ! 何よ、大袈裟なエフェクトまで使って」

 

 

 

 同じく、模様に表記されたメッセージを確認した他のプレイヤーが口々に反応を見せる。これが現れたという事は運営側が ようやく動きを見せたのだと、大多数の者は考えたらしい。

 一度 安堵を覚えると気持ちにも余裕が出るものらしく、喜び以上に要領の悪い動きに対する不満も少なからず聞こえてくる。下手すれば暴動にも発展しかねない状況だが、今の様子だと そこまでではないようだ。

 キリトら4人も、ようやく事態が動き始めたと次なる展開を待ち空に浮かぶ市松模様を見上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― ゴポッ………

 

 

 

 

 

 

 直後 ―――――― 何とも(おぞ)ましく耳障りでしかない音がプレイヤー達の耳を不快に陥れた。

 

 

 既に、およそ1万人のプレイヤー全員が見渡せるにまでの範囲に広がっていた市松模様の中央から、“ 何か ”を彷彿させるような液体が零れ出したのだ。

 

 

 

(“ 血 ”……?)

 

 

 

 キリトのみならず、おそらく大多数の人間が、それを連想しただろう。視覚的にも、そうとしか思えない痛々しさを感じさせる光景であった。

 そして、まるで糊か何かのように粘着性を見せる それは、非常に ゆったりとした速度で下に垂れ落ちていく。このままでは、確実に下にいるプレイヤーに降り掛かるだろう。真っ先に その結果に気付いた者から、逃げるべきと慌て始める。

 

 

 

「!? な……動きやがった(・・・・・・)?」

 

 

 

 だが、それがプレイヤー達に降り掛かる事はなかった。クラインが叫んだ通り、その深紅の何かは途中から まるで意思を持ったかのように動き出したからだ。思いもよらぬ展開に、逃げようとした者も思わず足を止め、その光景から目を離せなくなる。

 宙に浮かびながら蠢き続ける深紅の それは、あらかじめ決められていたように徐々に何かの形を成していく。

 

 

 

 

 

 プレイヤーが見守り続ける事、およそ20秒弱 ―――――― “ それ ”は、現れる。

 

 

 

 

 

「―――――― 何………あれ(・・)……?」

 

 

 

 

 

 目の前の光景に呆気に取られながら、ハルカが呟く。

 

 視線の先には、まるで魔法使いを思わせるフード付きローブを纏った“ 巨人 ”が浮かび上がっていた。大きさにして、20メートル近くは あろう巨体である。

 もっとも、それは一言で“ 巨人 ”と言うには語弊が生じる姿だった。フードを深く被っているものの、見上げる形になるプレイヤーの位置からは、その中は覗けるはずである。だが、そのフードの中には“ 顔 ”らしくものが なかった。暗くて、影になって見えないのではない ―――――― 本来あるべき所に(・・・・・・・・)首がないのだ(・・・・・・)。事実、ローブの裏側も はっきりと視認できる。腕にしても そうである。ぱっと見た限りでは腕があるように盛り上がり、手袋もあるが、その手袋の付け根に当たる部分には、伸びていて然るべき腕が一切 映っていなかったのだ。

 

 まさしく、目の前に現れた存在は、魔法使いというよりは幽霊とでも言うべきものであった。

 

 

 

「……キリト。巨人(ありゃ)、何だ?」

 

「あれは……多分、GM(ゲームマスター)だ」

 

「ゲームマスター?」

 

 

 

 呆然としながら問うたクラインに、キリトも確信は持てないと取れる口調で答える。その答えはハルカやシリカにとって、聞き慣れないものであった。

 

 

 

「あぁ、ベータテストにも出てきた。アーガスの社員が、あのローブを纏っていたのを覚えてる。

 もっとも、男なら魔術師みたいな白髭の老人、女の人なら、いわゆる眼鏡っ子みたいなアバターがあったどな」

 

 

 

 少なくとも、目の前に現れた幽霊の類としか言えない巨人ではなかったと。やはり、目の前の巨人は得体の知れない何かであるらしい。

 しかし周囲に耳を傾けると、どこか安堵したような、肩の荷が下りたような声が ちらほら聞こえてきた。キリトのようにローブの正体を知る者がおり、それを元に各々推測した末の反応だろう。それは、あながち間違ってはいないのかもしれない。

 

 

 

(……本当に、そうなのか?)

 

(キリト君……)

 

 

 

 だが、キリトは違った。先の転移も、頭上で広がるアナウンスも、突如 現れた肉体のいアバターの登場も、常識的に考えれば、あまりにもイレギュラーな事態なのは間違いない。少なくとも、ローブが運営の物と同じというだけで安心は出来なかった。腑に落ちない事が多過ぎるのである。

 そんな、キリトの納得していない表情を察してか、ハルカも同様に得体の知れない不安感を覚える。

 

 

 

 

 

「!! 動いたぞ!」

 

 

 

 

 

 1万弱のプレイヤーが見上げ続ける中、1人のプレイヤーが叫ぶ。彼の言う通り、現れてから浮かんでばかりだったアバターが、その腕を動かし始めたのだ。

 

 

 遂に、何か(・・)が始まる ―――――― プレイヤー達は、それに何となく感付いていた。

 

 

 

 膨大な視線を その巨体に浴びながら、そのアバターは持ち上げた腕を横に広げ、まるで人が客人を迎えるような形を取り ―――――― 言った(・・・)

 

 

 

 

 

『  プレイヤーの諸君。私の世界へようこそ  』

 

 

 

 

 

 その声は、低くも周りに良く通る落ち着いた雰囲気を醸し出す男性の声だった。

 第一声を聞いて、プレイヤー達には少なからず困惑が生まれた。彼等からすれば、おそらくログアウト不能な異常事態に対して何か説明があるのだろうと考えていたのに、突然 落ち着き払った声で場違いなの台詞を言われたのである。至極、真っ当な反応だったと言える。

 

 ちなみに、ハルカは先の声を聴いて神室町で桐生が出会いハルカも何度か会話した事のある、とある《 金貸し 》の事を思い出していた。だが、彼がこんな事に関わっているはずもないので、そんな考えは すぐに意識の端へと追いやった。

 

 

 プレイヤー達の困惑を余所に、巨人は更に言葉を続ける。

 

 

 

 

 

『  私の名は茅場(かやば) 晶彦(あきひこ)。今や、この世界をコントロール出来る、唯一の人間だ  』

 

 

 

 

 

「なっ……! 茅場!?」

 

 

 

 巨人が語った名を聞くや、キリトは目を大きく見開かせて驚愕する。

 

 

 

「キ、キリトさん?」

 

「キリト君、何か知ってるの?」

 

「だ、誰だっ、その……カヤバ、てのは?」

 

 

 

 今まで彼が、ここまで大きく感情を揺さぶられた様子を3人は見た事がない。巨人が名乗ったこと以上に、その様子に3人は驚いていた。

 だが逆に言えば、その名を確実に知っているのは間違いない。3人の言わんとする事を察したキリトは、呼吸を落ち着かせて語る。

 

 

 

『 茅場 晶彦 』 ―――――― アーガスが抱えるゲームデザイナーにして、量子物理学者。

 

  そして、SAOの開発ディレクターであると同時に、ナーヴギアの基礎設計者でもある男だ。」

 

「っ! じゃあ……」

 

 

「あぁ。他でもない ―――――― 今、俺達も体験してるフルダイブそのものの“ 生みの親 ”だ」

 

 

 

 その情報は、他の3人をも驚愕させた。即ち、今の世の話題を欲しいままにしている張本人という事である。

 これまで世になかった未開の技術を開拓させ僅かな期間で世に広めた実績は、専門家でなくとも察するに余りあるものだ。つい先程までフルダイブ技術の素晴らしさを心から体感していた事もあり、その生みの親が目の前にいるという事実は驚く以外に反応が浮かばない程だったのだ。

 

 

 

(だけど、どうして彼が……?)

 

 

 

 一方でキリトは茅場に対し、とある疑問を抱いていた。

 周りに話した事はないが、キリトは1人のゲーマーとしてゲーム界に革命を起こした茅場 晶彦という男に対し密かに憧れを抱いていた。ある種、心酔していたと言っても過言では。その傑出した才能に惚れ込んだが故に、彼に関連っする雑誌は全て購入し、そこに書かれたインタビューの内容や、それに対する返答を暗記する程に読み込んだ位だ。

 だからこそ、キリトは腑に落ちなかった。茅場は、その天才性ゆえなのか気難しく社会性に難がある一面が少なからず見え隠れしていた。それ故メディアには極端なまでに顔を出さず、ましてや開発はするものの、今のようなゲームマスター役を担った事など、ただの一度もありはしなかったのだ。

 

 

 

(それなのに、どうして……何で、よりによって今こんな真似を?)

 

 

 

 この場に姿を現して二言しか言葉を発していないが、その言葉や現在の状況を照らし合わせ、茅場 晶彦その人が、この状況を作り出した事に間違いはないだろう。しかし、それが真実なのか、それともアーガスが仕掛けたサプライズの類なのか、判断が付かなかった。

 

 何より先程、彼が述べた“ この世界をコントロール出来る唯一の存在 ”という言葉が気になった。彼は運営に大いに関係している人間なのだから間違いではないだろうが、どうにも意味合いが違って聞こえたのだ。

 

 

 キリトが沈黙したまま熟考する中、茅場(アバター)は更なる言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

『  プレイヤーの諸君は、既にメインメニューからログアウトボタンが消滅している事に気付いていると思う。

 

 

 しかし、ゲームの不具合では無い(・・・・・・・・・・・)

 

 

 繰り返す。

 

 

 これは不具合では無く、《 SAO(ソードアート・オンライン) 》本来の仕様(・・)である  』

 

 

 

 

 

「え……?」

 

「し、仕様だぁ~?」

 

 

 

 シリカとクラインの頓狂な声が漏れる。周りを見ても、皆が同じような反応を見せている。まるで意味が解らないという感情が丸解りである。

 それはそうだろう。“ 現実に戻れない ”という異常事態がゲーム本来の仕様などと言われれば、誰もが見せる真っ当な反応だ。

 

 

 

 

 

『  諸君は今後、この城の頂(・・・・・)を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトする事は出来ない。

 

 

 また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止、或いは解除も有り得ない  』

 

 

 

 

 

 そんなプレイヤーの反応などお構いなしとばかりに、茅場は言葉を続ける。そして告げた内容も、他人の都合など知らぬとばかりの身勝手なものだった。

 ログアウト出来ない。プレイヤー以外の、仮にもコントロール出来ると言う人間が告げた事で、広場の空気に決して小さくない動揺が走った。アバター登場と同時に、すぐにログアウト出来ると楽観視していた者は、特に驚愕と落胆に打ちひしがれる。

 そして、その あまりにも傲慢な言い分に彼方此方から非難の声が上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

『  もし、それが試みられた場合 ――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊(・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

   ――――――――― 生命活動を停止させる(・・・・・・・・・・)  』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが ――――――――― それは、信じ難い言葉によって遮られた。

 

 

 

 

 

 

 しん、と広場の空気が変貌した。静まり返ったどころか、凍り付いたと言っても良い。誰もが表情を硬直させ、呼吸を忘れたかのように呆然としていた。

 

 

 

 

 

「―――――― えっ……は……え……? ハ、ハルカさん……今、あの人、何て言ったんですか……?」

 

「……………」

 

 

 

 時間にして1分弱といったところ。しかし、この場にいる者にとっては、その何十倍にも等しい沈黙の時間が続いた頃、シリカが口を開く。その言葉は弱弱しく震えており、言葉としては、まるで継ぎ接ぎのようであった。

 尋ねられたハルカは、何も答えない。決して、彼女が無視したのではない。あまりの事に感覚が混乱し、シリカの言葉が一切 耳に届かなかったのだ。逆に言えば、それだけの衝撃が降り注いだのである。

 

 

 

「………おい、キリト」

 

「あ……あぁ……」

 

「俺の、聞き違いじゃなければよ……あの野郎、妙な言い回しだったが……とんでもねぇ事、言わなかったか……?」

 

「………脳を、破壊する……つまり ――――――」

 

 

 

 “ それ ”が意味する事は、小学生でも解る。

 

 

 

 

 すなわち ――――――――― “ 自分達を殺す ”という事。

 

 

 

 

 そう、簡潔に述べていた。あまりにも冷血に、凶暴なまでの重さと鋭さをもって。たった二言程度の言葉が、数多の人間を圧倒していた。

 

 

 

「は、はは……何だ、ソレ……」

 

 

 

 クラインの表情には引き攣った笑みが浮かぶ。そして彼は無意識の内に、右手を側頭部に添えていた。まるで、ここには ありもしないナーヴギアを確認するかのように。

 周囲の様子も見るからに、ざわついていた。暴動を起こす程の混乱は見受けられないが、誰もが困惑を浮かべ、ある者は不安げに辺りを見渡し、あるいはクラインのように歪な笑みを浮かべている。そこからは、彼等が理解できないでいるのではなく、本能的に理解を拒んでいるような感があった。

 自分の周りで異様な空気が漂い始めるのを感じ取り、シリカは にわかに手を握って震え出す。

 

 

 

「でっ、でも、そんなの……」

 

「あ、あり得る訳 ねぇだろ、そんなの! 確かにナーヴギアは凄ぇけどよ、たかがゲーム機だろ!? それで、どうやって人間の脳を壊すっていうんだ! なぁ、キリト!!」

 

 

 

 クラインの言葉には、自らの胸に去来した不安を払拭しようという強い意志が宿っている。本能的な恐怖から来る、無意識な行動だった。

 そして、彼の言う事には決して少なくない説得力があった。世の中には人を殺す方法が無数にあるのは真理だが、さすがにゲーム機には不可能であろう。少なくとも、彼は そう考えている。それには、ハルカやシリカも無言の同意を送っていた。

 あとは、キリトの同意もあれば確定だ。そんな期待を込めて、返答を待った。

 

 

 

「…………」

 

「……キ、キリト……?」

 

 

 

 しかし、彼の口からは希望の言葉は出てこなかった。

 

 

 

「原理的には……不可能じゃない………」

 

「え………」

 

「「 !? 」」

 

 

 

 逆に、無慈悲も肯定したのだ ―――――― 絶望の証明を。

 

 

 

「ナーヴギアは……内部に埋め込まれた無数の信号素子から微弱な電波を発生させて、脳細胞そのものに擬似的 感覚 信号を与える物だ。機能的には、今のテクノロジーの粋と言える物だけど、その原理を用いた機械(・・・・・・・・)は、もう30年は前から家庭で使われてる……」

 

「な、何だよ、その機械って……?」

 

 

 

「――――――……《 電子レンジ 》だ」

 

 

 

 彼の言葉を聞き、3人は偶然にも、ある共通の情報を思い出した。それは、何ヶ月か前にテレビで放映された特別番組で、ナーヴギアを題材にゲームの歴史を取り上げた内容だった。その中で、ナーヴギアの機能を簡単に解説しており、キリトが言ったように電子レンジにも通じる技術が使用されているとの事だった。

 その技術原理とは、マイクロウェーブを照射されると対象に含む水分子が振動し、その摩擦によって加熱が起こるというものである。そして人間は、その体の半分以上が水分で構成されている生き物だ。

 

 

 つまり ―――――― ナーヴギアの出力次第では、人間の脳に含まれる水分を過熱させ文字通り蒸し焼きにする事は、決して不可能ではないという事である。

 

 

 あり得ないと思っていた茅場の言葉に信憑性が増し、4人の表情には恐怖が張り付く。今まさに自分達が ここ(VR)にいる現実が、ギロチン台の紐を握られている事と同義だと朧気ながら理解したのだ。

 

 

 

「でも……いくら原理的に不可能じゃないとしても、やっぱり無理だ。それをするには相応の電気出力が要る。もしナーヴギアの電源コードを引き抜けば、その時点でもう、そんな高出力は成し得ない」

 

 

 

 原理的には可能であっても、実際には不可能であるとキリトは論破を図る。たとえ脱出できないとしても、命を奪う事が出来ないと解るだけでも格段にマシだからだ。その表情には彼なりの意地が浮かんでいるようだ。

 

 

 

「それこそ、大容量のバッテリーでも内臓されてない限 ―――――― 」

 

「キリト君……?」

 

 

 

 だが、言葉の途中でキリトの口が止まる。口が開き、瞬きも忘れたように固まった その顔は、まるで何かを悟った風であった。彼の ただならぬ反応に、ハルカもシリカも嫌な予感を ひしひしと感じざるを得ない。

 

 

 

「……内臓、してるぜ。ギアの重さの3割はバッテリーセルだって、確か説明書にも書いてあった……!」

 

 

 

 キリトに代わりクラインが、呻くように苦々しげに言った。

 ナーヴギア自体が重かったと、この場にいる誰も その感覚を覚えている。そしてクラインは、このSAOの為に初めてナーヴギアを買った人間である。そう考えれば、最も新しい記憶を持つ彼の証言に間違いはないだろう。

 また同時に、その重量の30パーセントがバッテリーによるものだとしたら、その中に溜め込める電量は相当なものになるのは容易に想像できる。単純に考えれば、大きければ大きいほど溜め込めるのだから。

 

 

 

 そこまで考えられれば、もはた疑う事は出来ない ―――――― “ 人間の脳を焼く位は、わけないだろう ” と。

 

 

 

「む、無茶苦茶だ……っ!! そ、それに、もし瞬間停電でも起こったら どうすんだよ!?」

 

 

 

 瞬間停電してしまえば、勿論パソコンやゲームの通信も切断される。それだけではなく、正規のシャットダウンの方法ではない故に機器に様々な悪影響が出る。近年は性能の向上により昔ほどは丈夫になっているものの、それでも最悪 故障を起こしてしまう危険性は皆無ではない。

 もし万一それが起これば、茅場の告げる死刑宣告のトリガーなり得るのではないか。クラインが謂わんとする可能性に納得してしまった3人も顔を引き攣らせる。

 

 

 

 

 

『  より具体的には、【 10分間の外部 電源 切断 】、【 2時間のネットワーク回線 切断 】、【 ナーヴギア本体のロック解除、または分解、または破壊の試み 】 ―――――― 以上のいずれかの条件によって、脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、既に外部世界では当局(アーガス)及び、マスコミを通して告知されている。  』

 

 

 

 

 

 上空から、再びアナウンスが再開される。クラインの叫びが聞こえているのかは不明だが、淡々と紡がれる言葉は先の懸念に答え得る内容だった。

 だが、違う。自分達は そういう言葉が聞きたいのではない。感情の起伏を感じない説明を聞く度に、聞くしかないプレイヤー側の不安と不満は膨らむ一方だ。

 

 

 

 しかし、彼等は まだ知る由もない。

 

 

 

 

 

『  ちなみに、現時点で、プレイヤーの家族・友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果 ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   残念ながら、既に213名のプレイヤーが、アインクラッド及び、現実世界からも永久退場している(・・・・・・・・・・・・・・・)  』

 

 

 

 

 

 恐怖は ―――――― 未だ序の口でしかない事を。

 

 

 

 

 

 誰かが、か細い悲鳴を漏らしたのを、ハルカ達は逃さなかった。それは仕方のない事だろう。ただでさえ、日常からは程遠い異常としか言えない状況の只中に置かれているのだ。そこで更に200を超える人間が死んだなどと聞かされれば、然るべき反応である。

 それでも不思議と、大多数の者は静かで冷静な反応だった。しかし、それは上っ面の事。実際には誰もが信じない、信じられないと思考を抱きつつも、体は それを裏切り、ガタガタと震え、蝋で固められたように硬直していただけに過ぎなかった。

 何か切っ掛けがあれば、一挙に爆ぜてしまう危うさが広場の空気に漂う。

 

 

 

「信じねぇ……信じねぇぞ俺は……いい加減にしろよ、どうせ ただの脅し、もしくは行き過ぎのオープニングイベントだろ? 今ならまだ笑って許してやるよ、だから早く出せよ。いつまでもこんな下らねぇイベントに付き合っていられる程、俺も暇人じゃねぇんだよ。出せよ……さもねぇと、アーガスに裁判の1つでも起こしてやるかんな……っ」

 

 

 

 沸き上がる感情のままに、クラインが捲し立てる。人が大勢 死んだと聞いて脱力したのか、その場で尻餅を付いており、座り込みながらの言葉だった。その声は、せめてもの抵抗とばかりに(しゃが)れたものになってしまっている。それでも、何が何でも上空から見下ろす巨人に ぶつけるという意地だけは詰まっていた。

 おそらく、それはクラインのみならずキリトを始め全プレイヤーの思い、望みであったに違いなかった。

 

 

 だが、そんな言葉を無慈悲にも振り払うように、茅場は事務的な口調で続けたのだ。

 

 

 

 

 

『  諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要は無い。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ている事も含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に除装される危険は既に低くなっていると言って良かろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま2時間の回線 切断 猶予時間の内に病院、その他の施設へと搬送され、厳重な介護態勢の下に置かれる筈だ。

 

 

 

 諸君には安心して ―――――― ゲーム攻略に励んで欲しい(・・・・・・・・・・・・)  』

 

 

 

 

 

 息を呑む声、声を漏らす者、開いた口が塞がらない者。見せる反応は、それぞれだ。

 

 

 

「な………何を言ってるんだ! ゲームを攻略しろだと!? ログアウト不能の状況で、呑気に遊べってのか!?

 

 

「キ、キリト君……!」

 

 

 

 その中で、今まで何とか声を出さないでいたキリトが遂に叫んだ。僅かな時間に溜め込んだ全ての感情を込めて叩き込むような、鋭い声だった。そばで見ていたハルカも、彼が ここまで感情を露わにするのに驚き思わず反応してしまった程だ。

 彼の絶叫は止まらない。勇者然とした凛とした顔を感情のままに歪ませ、遥か上空に漂う赤フードの巨人を貫いてやるとばかりに吼える。

 

 

 

 

 

「こんなの ――――――――― もうゲームでも何でもないだろうが!!」

 

 

 

 

 

 有りっ丈の思いを ぶつけたのだろう、キリトは言葉を止めると大きく肩で息をする。ハルカやシリカは心配そうに、クラインや周りのプレイヤー達は唖然とした風で見ていたが、やがて茅場の方へと視線を移した。

 

 

 

 

 

『  ―――――― しかし、充分に留意して貰いたい  』

 

 

 

 

 

 そして大方の予想通り、再び茅場は その叫びに答えるかの如く、説明を再開する。

 

 

 

『  諸君にとって、《 SAO(ソードアート・オンライン) 》は、既にただのゲームではない。“ もう1つの現実 ”と言うべき存在だ。今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。HP(ヒットポイント)0(ゼロ)になった瞬間、諸君のアバターは永久に(・・・)消滅し………  』

 

 

 

 

 

 相も変らぬ、抑揚のない声。その癖、どこまでも届きそうな程に澄んでもいる矛盾した声色。

 

 

 

 それが、更に紡ぐ言葉を ―――――― キリトを含む、勘の鋭い者は予想できてしまった。

 

 

 

 

 

  

   『  同時に ―――――――――――― 諸君らの脳は(・・・・・・)ナーヴギアによって破壊される(・・・・・・・・・・・・・・)  』

 

 

 

 

 

 

 今まで以上の痛ましいまでの静寂が、広場を支配した。誰もが今の言葉を意味を理解し切れずにいた。信じなかった、と言う方が正しいかもしれない。もっとも、今までの話でさえ信じない者が相当数いたが。

 言われた仕組みを理解した者から、ちらりと視線を動かした。プレイヤーの視界の左上には、細長い横線が表示されており、その上には小さい数字がある。

 

 《 ヒットポイント 》 ―――――― 即ち、命の残量だ。

 

 レベル差などによって多少の違いはあれど、今この場にいる者達の数値は300そこらだろう。フィールドに出て、雑魚モンスターの攻撃を10数回近く受ければ尽きてしまう数字だ。

 

 

 それが尽きてしまえば、死ぬ(・・) ―――――― ナーヴギアに仕込まれているマイクロウェーブにより、脳を焼かれ殺されるというのだ。

 

 

 馬鹿馬鹿しい ―――――― ゲーマーなら、たとえ そうでなくとも、誰もが等しく抱いた感想だった。

 どんなに優れたゲーマーでも、この手のゲーム(R P G 系)で一度も死なずにクリア出来る者など皆無に等しい。何度も死に、失敗を糧にして また挑戦して少しずつ攻略法を覚えてクリアする。個人差はあろうが、大抵は そういうスタイルのはずだ。まして、このSAOは今日 正式サービスが開始されたばかりの新作である。攻略法は元より、効率的なプレイスタイルとて確率されていない未知の産物だ。

 

 そんな、何もかもが手探りな状態で、一度たりとも死ぬ事は許されない。あまつさえ、自発的にゲームを止める事も出来ない。

 

 

 

(―――――― デス(死の)……ゲーム……)

 

 

 

 これ(SAO)は、確かにゲームだ。それは間違いない。ただし、本物(現実)の命が懸かった遊戯(ゲーム)。悪趣味と言うにも、あまりに悪意が籠り過ぎた仕様だ。

 

 

 

「そんな……そんなの、誰も……」

 

「あぁ……やるはずがない」

 

 

 

 間違いなく、確実に死ぬと解っていながら、一体 誰が危険な所へ向かうと言うのか。

 プレイヤー達は今、戦士の姿こそしているが大半が実際には学生、あるいは平凡な社会人が ほとんどだ。戦う術や生き残る術など、その手の職の者か知識を持つ人間でなければ備えていないだろう素人ばかりだ。比較的 経験が豊富であろうベータテスターであっても、デスゲームでのルール上で如何ほど役に立つのか。

 少なくとも、キリトはハルカの言葉には同意であるし、自分が問題なく戦い続けられると思えるほど自惚れてはいなかった。無駄なリスクなど、冒さないに限る。

 

 

 

 そんなキリト達のみならず、ほぼ全てのプレイヤーが考えている事も読んでいたかのように、茅場は更なる宣告を行なう。

 

 

 

 

 

『  諸君がこのゲームから解放される条件は、たった1つ。

 

 先に述べた通り、アインクラッド最上部 ―――――― 100層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすれば良い。

 

その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされる事を保証しよう  』

 

 

 

 

 

 今まさに、ざわつこうとしていた空気が一気に沈黙する。大多数の人間が、述べられた事の意味の咀嚼に時間を取られていた。

 その中でキリトは、元ベータテスターであったが故なのか、彼自身が聡いのかは定かではないが、周りよりも いち早く茅場の言葉の意味を理解した。

 

 

 

「ここを ―――――― 巨大浮遊城(アインクラッド)を、一度も死なずに登って行けって言うのか……?!」

 

 

 

 その条件が唯一のものだと仮定すれば、誰もが考えた“ 安全地帯で立て籠もる ”という案は完全に無意味になる。誰かが、その身と命を削りながら、遥か上へ、上へと駆け上がるしか道はなくなったという事だ。

 途方もない、厳しいという言葉さえ生温い話に、クライン達も唖然とするばかりだ。

 

 

 

「クリア……100層だぁ!? そんな馬鹿げた条件で、そんな上まで行けってのか!?」

 

「そ、そんなぁ……っ! だ、だって、ベータテストの時だって満足に行けなかったって……」

 

「キリト君、本当なの……?」

 

 

 

 ハルカの問いに、クラインとシリカもキリトを見る。その目は、絶望の中で藁をも掴むといった心境の者が浮かべるようなもののようだった。2人は意図していないだろうが、その目が宿す圧に思わずキリトは息を詰まらせる。

 

 

 

「………本当だ。当時 行けたのは、10層。それも……誰もが100回近くは死んだ(・・・・・・・・・・・・・)中で、だ」

 

 

 

 そして俯きながら弱弱しい声で答える。自分に非はないと理解しつつも、残酷な真実を話すという意味で彼は一種の罪悪感を抱いていた。

 案の定、3人の表情は凍り付く。特にクラインとシリカは悲痛とも言うべきもので、言われた言葉を飲み込み切れないとばかりに口をパクパクさせている。

 

 

 

「……それじゃあ、一体どれだけの時間を掛ければ……?」

 

 

 

 ハルカが呟き、キリトも反射的に思考する。

 

 当時のテスト期間は二か月。その中で攻略されたのは10層。挑んだのは1000人である。もし当時の やり方のまま、時間は問わず、人数も1万に増えたなら。そう字面だけで捉えれば難しい事ではないように思える。

 だが、当時は何度モンスターに殺されようが幾らでも蘇生できたという圧倒的アドバンテージがあった。今回は、それが一切 通用しない。一度でも不覚を取れないとなると、通常よりも遥かに慎重にならざるを得ない。現実での戦いと全く相違はない状況になるだろう。また、人数がテスト時の約10倍という点も曲者だ。実際に命が懸かっているという状況だけに、全てのプレイヤーが戦いを決意するのは まず あり得ない。運が良くて半数、あるいは二、三千人、最悪、テスト時の人数にも満たない可能性だってある。むしろ、危険性を考慮すれば百人単位でも多い位だろう。

 加えて、全プレイヤーが攻略に対して意識を向けられるのかという懸念もある。今この城には、ゲームマスターである茅場以外には閉じ込められたプレイヤーしか存在しない。つまり、本来なら犯罪被害者である彼等を救う警察などの存在がないという事だ。

 

 そんな中で、死の恐怖に抗いながら協力し合い、果てなき戦いを続ける ―――――― もし成し遂げれば、確実に英雄と称えられるだろう行為を、本当に果たせるというのか。

 

 広場の空気が、一際 重いものに変わったようだった。

 

 誰もが、はっきりとした感覚ではないにせよ悟ってしまったのだ。それは どうしようもなく困難で、考えても考えても答えなど出るはずもない、無限に続く暗闇の階段を上り続けるに等しいものであると。

 それでも、未だ どよめきは小さく戸惑いの中にも彼等には理性が感じられた。これは彼等が総じて冷静であるという訳ではなく、未だ彼等が現実を飲み込み切れていないが故だ。茅場の言う事も、自分達が置かれた状況も、あまりにも現実離れし過ぎていたが為に“ 本物の危機 ”なのか“ 運営が仕掛けたオープニングイベントの過剰演出 ”なのか、判断が出来なかったのだ。それは彼等が愚鈍である訳ではなく、一般的な人間なら誰でも あり得る事。たとえ真実であっても、社会一般の規範を逸脱した恐怖は人々に与える現実感を自然と薄めてしまうのだ。

 皮肉にも、それが人間が地上を支配する過程で自然と身に着けた脳の、心の仕組みであった。

 

 

 

「…………っ」

 

「キリト君……」

 

 

 

 息苦しい程の沈黙の中、キリトは自分達を見下ろす存在を睨み付けていた。親の仇と言わんばかりの眼光、しかし彼も内心は不安で仕方ないか、その手は硬く握られながら震えている。彼なりに必死に現実を受け止めようと、湧き上がる様々な感情で葛藤しているのだと、似たような気持でいるハルカは何となく察していた。

 

 

 

 そんな中、常にプレイヤーや―達の思考を読み取り続けて来た茅場が、がらんどうの腕をひらりと動かし言葉を告げた。

 

 

 

 

 

『  それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君の《 アイテムストレージ 》に、私からの“ プレゼント ”が用意してある。確認してくれ給え  』

 

 

 

 

 

「プ、プレゼントぉ?」 

 

「こんな時に、何を……」

 

「……取りあえず、調べてみよう」

 

「は、はい」

 

 

 

 どこまでも無機質で平淡な言葉に4人は底知れぬ不快感を覚えつつも、黙っていても状況は動かないと悟り、メニューを開く動作を行なう。周囲のプレイヤーも同じ動作を行ない、広場には鈴のような電子音が煩い位に響き渡る。

 耳に届く大音量を若干 気にしつつ、メインメニューからアイテムの欄のタブを叩き、表示された所持品リストを見る。すると、《 回復薬(ポーション) 》や《 ボアの肉 》と言った これまでに得たアイテムの上に、見覚えのないアイテム名が表示されていた。

 

 

 

《 手鏡 》……? 何でこんな物が?」

 

 

 

 キリトが呟いた通り、それは名前そのままの何の変哲もない手鏡であった。白い縁に四角の長方形の それは、前年に販売され話題になったタブレット端末に似た形状であり、大きさも それ位だった。

 だが、それ以外は特に特徴もなく、何故このような状況下で手渡されたのか、その意味が誰も理解できなかった。ウインドウを操作して実体化させ、みな恐る恐ると言った手で鏡を覗き込む。だが映るのは、この場にいる全プレイヤーが、おそらく時間を掛け拘り抜いて完成させた自慢の顔であり、特に何も起こりはしなかった。

 

 

 

「んだよ……ただの悪ふざけかよ!」

 

「一体、どういう事なんでしょう?」

 

「解んない……」

 

 

 

 

 覗き込めば何かが起こると身構えていただけに、肩透かしを喰らって誰もが不思議がるか、しかめっ面を浮かべている。ただでさえ不自由な立場に冒された上、意味の解らない事をされれば当然の反応であろう。

 

 

 

(一体……茅場は何を……?)

 

 

 

 その中でキリトは他と反応が違っていた。彼は、茅場 晶彦という人間が どういった人間なのか、全てではないが知り得る範囲で把握しているつもりだ。その上で、彼が冗談などを好むようにも、まして意味のない事を進んでするとも思えなかった。故に、彼が手鏡を手渡したのには何か意味があるはずだと感じ取っていたである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ――――――――― その直後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――― ッ!!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトら4人 ―――――― 否、この場にいる全プレイヤーを中心に真っ白な光が発生する。それは一瞬の内に大きくなり、あっという間に全員が包み込まれた。

 

 そして、輝く時間も あっという間だった。ほんの数秒で光は消え去ったのだ。

 

 

 ざわざわと周囲が狼狽える声が聞こえてくる。光の所為で視覚が遮っていた為、余計に それが大きく聞こえた。

 

 

 

「っ……何だったんだ……? みんな、大丈夫か!?」

 

「お、おぉ……何ともねぇ!」

 

「だ、大丈夫!」

 

「あたしもです……!」

 

 

 

 逸早く目を開けて光が収まった事を確認したキリトが半目の状態で声を上げる。間を置かず3人から返事が返ってきた事で、ひとまずは安堵した。

 強烈な光で麻痺していた視覚も、徐々に平常さを取り戻してきた。ゆっくりと瞼を開け、仲間の姿を確認する。大丈夫と言った通り、全員に異常はない様子だった。

 

 

 

 

 

「「「「  え……――――――  」」」」

 

 

 

 

 

  ―――――― だが、ほぼ同時に4人が顔を見合わせた時、全員が唖然とした表情を浮かべた。

 

 再び目に映った視界には、先程と何も変わらぬ景色があるはずだった。だが、明らかに違うところがあった。

 つい先程まで、お互いが見ている場所には互いがいたはずだった。あれから一歩も動いてはいない。

 

 にもかかわらず、その場には全く見覚えの無い人間(・・・・・・・・・・)が立っていたのだ。

 

 

 

「お前……誰?」

 

「おい……誰だよ、お前ぇ?」

 

 

 

 服装などから若武者と言える容姿だった男の所には、今では山賊か野武士とでも形容できる男が。

 

 落ち着いた雰囲気などから勇者のようと例えられた男の所には、体格が一気に幼くなり、逞しさが欠片も感じられぬ、少女のようにさえ感じられる少年が。

 

 

 双方とも、しばし呆然とした後、何かに気付いたように それぞれ手に持った手鏡を覗き込んだ。

 

 

 

「うおぉぅ!? ()じゃん!」

 

()……だ…」

 

 

 

 

 

   ……………………

 

 

 

 

 

「「…………え………っ」」

 

 

 

 それぞれが発した言葉の意味を悟り、両者は再び顔を合わせる。

 

 

 

「そのバンダナ(・・・・)……お前………っ」

 

 

「その服の色……もしかして、お前ぇ………っ」

 

 

 

 

 

 そして、それぞれが装備している服や防具などの色や形を確認した時 ―――――― 2人は、確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 『 キリト 』かぁ!? 」

 

 

 

「 『 クライン 』か!? 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………もしかして……『 シリカ 』ちゃん……なの?」

 

 

「ハルカさん、ですよね……?」

 

 

 

 

 一方、男2人がコントのような やり取りをしている中、女性陣の空気も変化していた。2人の少女が呆然とした面持ちで見詰め合っており、何とも居心地の悪そうな面持ちである。

 とりわけ、ハルカの唖然とする表情は強い。ホワイトアウトの影響で数秒間、目を離しはしたが、目を向ける位置にはシリカがいたのは間違いないはずだ。しかし今 現在、その視線の先にいるのは全く違う人間だった。

 女なのは、間違いない。顔の作りなども、ハルカ基準ではあるが充分に美少女と呼べるものだ。だが、身長はハルカより30cmは低い低身長で、髪は小麦色に近い色合い、全体的に丸みを帯びた顔立ちといった、まだまだ幼さが体全体に滲み出る小柄な少女が、そこに立っていたのである。

 あまりと言えばあまりの変わり様。しかし、ツインテールを結んでいる赤い髪飾りや服の種類、色合いなど、推理するに充分な要素を見付けた事で、ハルカは即座に答えを見付けた。すぐ後の問い掛けにより、それは的中したと判断できたのであった。

 

 

 

 

 

「おいおい……こりゃ一体どうなって……いぃ!?

 

「ハルカ! それに……シリカ、か……?」

 

 

 

 互いに混乱が収まり切らない中、男性陣も加わって来る。そして案の定、金髪のアイドルと言えた美少女の変わり様に2人とも目を瞠って驚いた。

 

 

 

「2人も、姿が変わってる……!」

 

 

 

 ここで初めてハルカはキリトとクラインの変化に気付く。当然と言うべきなのか、顔のみならず声質も少なからず変わっていたが、装備や雰囲気などで彼等だと察していた。

 

 

 

「本当だ……! あれ? でも、何でハルカさんだけ変わってないんですか?」

 

 

 

 シリカの言う通り、他の面々が大きく様変わりする中でハルカだけが何も変化が見られない。それは、この場では極めて大きな違和感だった。

 

 

 

「……ハルカ、もしかして……」

 

 

 

 その疑問に、キリトが1つの仮説を思い付く。彼の言わんとする事を察したハルカは、思わず バツの悪そうな顔で頬を掻く。

 

 

 

「えぇっ、と……どうせ、今日しか やらないと思ってたし……だったら、別に変える必要はないかな、って……」

 

「いやいや……もしネットとかでリアルばれしたら、どうするつもりだったんだ? 今の世の中、すぐに情報なんて広まるんだぞ?」

 

「あ、あはは…………そこまで考えてなかった」

 

 

 

 ネットの恐ろしさを知っているキリトは、ハルカの不用心すぎる考えに溜め息を禁じ得なかった。世の中には、ちょっとした情報で相手の私生活まで暴き、最悪ストーカー化するケースもあるだと、思わず自分らしくない説教をしようとさえ思った程だ。

 だが、今は それどころではない。何とか その思いを抑え込み、意識を別の方へ向けた。

 

 

 

 改めて周囲を見と、周囲の様子もガラリと変貌していた。つい先程までは、まるでアニメの世界の如く美男美女が集う空間だった そこは、今や ただのコスプレ会場に近い、有態に言えばリアルな人物が(ひし)めく場と化していたのである。

 とりわけ顕著な変化は、男女比である。変化前は半々と言えた比率は、今では極端に女性の比率が下がっているようだった。今では、多くて2割弱といったところか。

 よく見ると、スカートを穿いた男プレイヤー、逆にズボンを穿いた女プレイヤーが見受けられる。いわゆるネカマとネナベという人達であろう。予想外過ぎる展開に慌てふためき、その混乱の度合いが肌でも感じられる程だ。

 

 

 

「……改めて確認するけど、その姿は現実でのものなんだね?」

 

「はい……これが、本当のあたしです」

 

「おぅ、間違いねぇ」

 

「……あぁ、そうだ」

 

 

 

 真剣な面持ちでハルカが問い、シリカとクラインは深く頷く。キリトも僅かに躊躇いを見せたものの、この状況では誤魔化す意味はないと悟り肯定を行なった。

 それから、しばし4人は考察に入る。疑問は山ほどあるからだ。

 

 

 まず第一に、どうやって この姿を再現したのか。

 その疑問に、キリトが ある推測を立てた。

 

 

 曰く、ナーヴギアは その形状により高密度の信号素子で顔全体を覆っている。故に、脳だけでなく、顔の表面の形さえも精細に把握できる、という事らしい。当人達からすれば、さすがに質感や細かい部分には違和感も見受けられるものの、それでも驚異的な再限度であるという。

 

 その仮説に納得しかけた所で、クラインが重ねて疑問を述べた ―――――― ならば、体格の変化はどのようにして行なったのかと。確かに、先程の仮説では体格までは どうにもならない。

 

 

 その疑問に答えを もたらしたのは、シリカだった。

 

 

 曰く、それは《 キャリブレーション 》を利用したのではないか、と。

 

 キャリブレーションとは、ゲーム内においてナーヴギア装着者の体表面感覚を再現する為、“ 手を どれだけ動かしたら自分の体に触れるか ”の基準を測る作業だ。その際、頭や顔、胸、腹、腰、腕、足に至るまで事細かに測る。その為、それで導き出した数値を用いれば自分のリアルな体格をデータ化する事は出来るのではないかと。

 その考えは、少なくともハルカよりは機械に詳しいキリト、クラインも納得できるものだった。特に疑念も浮かばず、可能であると結論付けた。

 

 

 

「………でも、どうしてこんな事を……?」

 

 

 

 現実の体を再現させた種は解ったが、その意図は掴めずにいた。何故わざわざ、そのような事をする必要があったのかと。

 クラインもシリカも首を捻る中、キリトは神妙な面持ちで佇んでいる。そこには、何か確信めいたものがあるようにハルカは感じ取った。それを示すように、キリトは唸るように呟いた。

 

 

 

「……茅場(あいつ)は言った……“ これは現実だ ”と。このポリゴンで出来たアバターと、数値化されたHP(ヒットポイント)は、共に本物の体であり、命なんだと……強制的に全プレイヤーに認識させる為だ……」

 

 

 

 まるで、念には念を入れる、細かい歪みさえ許さないような意志、否 ―――――― 執念を感じさせるものだ。キリトの言葉越しでも感じる茅場の茅場の並ならぬ徹底さに、3人も固唾を呑まざるを得ない。

 

 

 

「でも……でもよぉ、キリト……!」

 

「どうして……? そもそも、どうして こんな事をする必要が……!?」

 

 

 

 クラインとシリカの叫びは、怒りを通り越して悲愴さを孕んでいた。何気ない日常を過ごしていたはずが、まるで下手な物語に無理やり参加させられ、自由を奪われた。思考も、感情も、理解も納得も出来ずに悲鳴を上げるのには充分過ぎるものだったのだ。

 

 

 

「キリト君……」

 

 

 

 心を搔き乱す程の感情を ぶつけられた事を案じ、ハルカはキリトを見詰める。自分の鼓動も痛い位に音を立てているが、他人を守らねばという彼女の持つ使命感が少なからず心を落ち着かせていた。

 

 

 そしてキリトは、それに答える事はなかった。ただ俯いていた顔を上げ、未だこの城の如く浮遊するアバターを睨み付ける。

 

 

 

 まだ、言う事があるんだろう? ―――――― その双眸は、そう問い掛けていた。

 

 

 

 

 

 そして、魔術師(アバター)は彼の予想を裏切る事はなかった。

 

 

 

 空中で光るシステムアナウンスの紅色を背景に、厳かとさえ言える声を降り注がせた。

 

 

 

 

 

『  諸君は今、何故……と思っているだろう。何故 私は ―――――― SAO及びナーヴギア開発者の茅場 晶彦は こんな事をしたのか? これは大規模なテロなのか? 或いは、身代金目的の誘拐事件なのか?……と  』

 

 

 

 

 

 まさしく、この場にいる全ての人間の唯一にして最大の疑問だった。誰もが口を(つぐ)み、その答えを待った。

 

 広場の空気が極限まで張り詰められる。空間に罅が入っても不思議ではないとさえ思え、1万弱の鼓動が自然と一体化し、強く耳に残りさえした程だった。

 

 

 そして、茅場は答える。

 

 

 

 

 

『  私の目的は、その どちらでも無い。それどころか、今の私は、既に一切の目的も(・・・・・・・・)理由も持たない(・・・・・・・)。何故なら……この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ。この世界を創り出し、観賞する為にのみ、私はナーヴギアを、SAOを造った。

 

 

   そして今 ―――――― 全ては達成せしめられた  』

 

 

 

 

 

 それまで、何の感情も窺えなかった茅場の言葉に、僅かに変化(・・)があった事に気付いたのは、極少数であった。

 

 

 その他の者は例外なく、ただ唖然と、呆然と、放心状態で見上げていただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『  ……以上で、《 SAO(ソードアート・オンライン) 》正式サービスのチュートリアルを終了する。《xbig》

 

 

 

 

      《xbig》プレイヤー諸君の ――――――――― 健闘を祈る  』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び、無機質な声で茅場は締め括った。

 

 

 見上げるばかりのプレイヤーを置いていくように、深紅のローブの魔術師は ゆっくりと音もなく上昇していく。表示されているシステムアナウンスに触れると、そこ部分から溶け込むように同化していき、やがて完全に沈み切って見えなくなった。同時に、空を覆い尽くしていたアナウンスも前触れもなく一瞬で消え去った。

 

 

 

 

 

 風邪の音が、街エリアで流れる穏やかなBGMが、プレイヤー達の聴覚を刺激する。

 

 

 

 

 

 それは、まさに ―――――― “ 通常のプレイ風景 ”が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや ――――――――― 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあああぁぁぁぁぁ――――――――っ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1万のプレイヤーは、抑えに抑えられていた感情を、爆発させた。

 

 それは然るべきと言える反応だった。時間を掛けて状況を理解した頭が、本能的に様々な行動を取らせる。

 

 

 即ち ――――――― 悲鳴。怒号。絶叫。罵声。懇願。咆哮。

 

 

 おおよそ文明人とは言い難い、しかし限りなく生物的と言える動きを見せていた。理解も出来ず、納得も出来ず、ただ目の前の光景を否定しようと蹲り、手を伸ばし、叫び続ける。

 

 

 

 

 

 だが、時は ただ過ぎて行く。

 

 

 

 それが否応なく、鋭く突きつける ―――――― 紛れもなく、これは現実であると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラインは、ただ茫然と立つばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シリカは、もはや己が感覚すら信じられないと、その場に蹲り強く目を閉じ、耳を塞いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトは、本人も驚くほど冷静に物事を考えていた。そして、1つの決意(・・・・・)を固めようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……あの茅場っていう人の言った事……多分、全部 本当だ。

 

 

 

 もう自力で出られない事も、HP(ヒットポイント)がなくなったら、現実の私も死んじゃうって言うのも………きっと、事実なんだ……!!)

 

 

 

 

 

 そしてハルカは、不意に これまでの人生で出会った人物の事を思い出していた。総じて桐生と相対した者達には、ある共通点があった。

 

 

 それは、己の欲望や野心の為には“ 一切 手段を選ばない ”という点。

 

 

 ハルカには、茅場 晶彦という人間が どんな人物なのかは知らない。だが、その声色や雰囲気から、彼等に似た何かを敏感に感じ取っていた。それこそ、常人には及びも付かない事を仕出かしてしまうと容易く受け入れてしまう程の、何か(・・)を。

 

 

 

 同時に、ハルカは思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 もう ―――――――――― あの沖縄の風景を見る事は出来ない

 

 

 

 

 

 

 もう ―――――――――― 兄弟達と語り合う事も、笑い合う事も出来ない

 

 

 

 

 

 

 もう ―――――――――― あの大好きな、大きな背中を見る事も叶わない………

 

 

 

 

 

 それが、一か月なのか、半年なのか、一年なのか、あるいは それ以上なのか。全くもって、想像も出来ない。

 

 

 

 あるいは、永遠に(・・・) ―――――― そんな考えが過ると、無意識の内にハルカはスカートの裾を掴み、強く強く握り締める

 

 

 

 震えそうになる手を、口を、足を、必死に抑えようと足掻いていた。

 

 

 

 

 

 

(――――――――― みんなっ………おじさん…………っ)

 

 

 

 

 

 

 心中の叫びは、空しくも周囲の怒号に掻き消されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― これは、ゲームであっても遊びでは無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― 戦士たちよ………己が身を剣とし、進み続けるのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― 既に、賽は投げられた(Alea jacta est)

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ようやく、ここまで書けました。いやぁ、時間がかかりました(苦笑)

茅場の演説のシーンは、本当は端折ろうと最初は考えておりましたが、ハルカ達の絶望感を徐々に演出する為には、やはり必要かな、と思い書きました。
原作コピーに引っ掛からなきゃ良いけど……(汗)

途中、遥が秋山を思い出すのは、完全に中の人ネタですvv


次回は、現実世界の桐生視点から第2部が始まります。

遥(ハルカ)の危機を知った桐生が、どういった経緯でSAOへと飛び込むのか。


次回も、お楽しみ下さい!!


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