SAO アソシエイト・ライン ~ 飛龍が如し ~(※凍結中)   作:具足太師

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新年、あけましておめでとうございます!

いや、もう2月だぜ……バレンタインも過ぎちゃったぜ……細かい事は気にしないで下さい(何様)

長らく間を開けて、申し訳ありませんでした。仕事が忙しかったのと、色々と燃え尽きてたのが原因でして……。


ともなく、今回で秋山と直葉の現実サイドは終了です。
あらかじめ伝えておくと、話の中に独自の設定や考察が混じっているので、おかしかったり突っ込みどころ満載かもしれませんが、私の実力の底ですので、ご了承の程を。

では、本編を どうぞ。



『 兄 』

 

 

 

 

 

【 1988年 年末  神室町 】

 

 

 

 

 

 酔っている ―――――― そんな思いを、新堀(にいぼり) 尚海(なおみ)は禁じ得なかった。

 

 

 今は日本中、どこもかしこも熱気に包まれている。

 戦後、類を見ない好景気に金は溢れ、老若男女の誰もがこの世の春、極楽を噛み締めていた。

 道を歩けば金が舞い、女は踊り、酒の雨が降る。そんな酒池肉林が現実のものになっているかの如くだ。

 

 

 今の時代は、まさに金こそ全て。

 

 

 金で出来ない事はないと、言わんばかりの世の流れである。

 

 

 

 

 

(まったくもって………救い難いね……この国も、酔ってる連中も……)

 

 

 

 

 

 そんな中にあって、尚海は そんな熱気に対し極めて冷めた思いを抱いていた。

 仕事から帰る道すがら、すれ違う人間も、狂うように笑う声も、煌びやかに輝く電飾も ―――――― その全てが薄っぺらく、張りぼてに等しいものだと確信していた。

 

 

 彼女は、いわゆるキャリアウーマンだ。

 若い頃は、女というだけで満足のいく仕事が貰えず、常に男の影として雑務に終始する人生を送っていた。

 しかし、80年代に入ってから仕事において男女の区別・差別をなくそうという動きが活発になり、新たな法律が制定された。いわゆる《 男女雇用機会均等法 》というものである。これにより、今まで日陰を強いられてきた彼女にも その腕を揮う場が与えられ、今や彼女は属する企業において、なくてはならない存在になりつつあったのだ。

 加えて、この好景気。生まれた時の不況が嘘のような景気の良さに、誰もが我を忘れるように狂喜していた。彼女も、最初は そうであった。

 

 

 

 だが、時を置かずして彼女は気付いたのだ。

 

 

 こんな時間は、到底 長くは続かないと。

 

 

 少し冷静になって、距離を置くように考えれば解る事だ。

 何もかも、常に定まっている訳ではなく、時間と共に、時代と共に移ろいゆくのが世の定めである。今の好景気とて、いつまでも長続きする道理はない。

 景気上昇の主な要因である土地価格も、東京 山手線 近辺だけでアメリカ全土が買える試算が出るという、はっきり言って異常な数値を叩き出している。土地は必ず値が上がる、土地さえ持てばよいという《 土地神話 》が、今や投資家たちの常識となっている。

 

 

 馬鹿馬鹿しいと言う他なかった。

 

 そんな都合の良い状況が、一体いつまで続くというのか。

 

 現にアメリカは、前年の貿易赤字を乗り切ろうと《 ルーブル合意 》と呼ばれる政策に着手し、一旦は持ち直すものの、その後 様々な要因もあって、10月19日に史上稀に見る株価の大暴落に見舞われてしまった。

 これは世界恐慌すらも上回る下落率であり、その日は月曜日であった事から後に《 ブラックマンデー 》と呼ばれる暗黒の時期を迎えてしまった。

 

 本来なら、これに日本も危機感を抱き、金利政策などを見直さなければならなかったのだが、外交上の問題や政府、企業などの楽観的な考えから、結局 今に至るまで何もせずに来てしまっていた。完全なる、思考の放棄である。

 

 

 

 尚海は悟ってしまった ―――――― 誰も彼もが、正常な感覚を欠いてしまっていることを。

 

 

 

 溢れているのは金だけではない ―――――― 処分のしようもない(ゴミ)もだ。

 

 

 

 

 

(さて………どうしたものかね……)

 

 

 

 

 

 尚海が考えているのは、自身が務めている会社についてだ。

 彼女の所属する企業も今の好景気に便乗した消費活動、土地運用に便乗するようになり、金を儲ける為には形振り構わなくなってきている。最近では、東城会との繋がりさえ見え隠れしてきていた。

 更に、急激に営業規模を拡大した為に人手不足に陥り、新入社員などには残業は当たり前、休日すら満足に与えないなどの問題も浮上している。そんな若手は上司の言われるまま、大学の後輩などを無理矢理に近い形で企業に誘うなどして人手不足を解消しようとしていた。

 

 この日も、そんな状況を冷静に見て危機感を抱いている部下が相談にやってきていた。このまま、そんな世の流れに流されるばかりで良いのかと。

 彼女自身、企業の目先ばかりを見ているような方針には疑問を持っている。もし、今の景気に何かが起これば、間違いなく大きな損失となり、特に若手にとっては この上ない危機的状況になるだろう。万が一、企業の業績が不振となれば、真っ先にリストラなどの憂き目に遭うのは実績の少ない若手なのだから。

 

 そう考えると、今の内に何か手を打たねばならない。

 彼女にとって、若い者達は皆、可愛い部下達だ。会社の都合ばかりで、理不尽な目に遭う事は耐え難い。

 

 しかし、はっきりとした事が言えない今の状況では、上司に何と言って説得したものかも想像が付かない。上役は、本当に目先の事しか見ていない。彼女が将来の事を憂慮して説いたところで、聞く耳を持つとも思えなかった。

 

 

 グルグルと、荒波に揉まれるような思考の渦に入り込む尚海。

 

 

 考え付く未来と、どうしようもないような現実との板挟みに頭痛さえ覚えそうになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこのアンタ ――――――――― ちょっと待ちな」

 

 

 

 

 

 ふと、彼女の意識を思考から引き戻す声が聞こえた。

 

 

 全く聞き覚えのない女性の声。

 

 しかし、明らかに自分に向けて掛けられた声なのは間違いなかった。日々、電話コールと会話が飛び交う中で、確実に自分に対する声を拾う為に培った耳の力は伊達ではないのだ。

 

 

 

 そして、ふと視線を右手側へと向ける。

 

 

 

 そこには、確かに1人の人間がいた。

 

 全身に黒いマントを身に纏った人物だ。ほとんど隙間なく被っている為、表情などは全く伺えない。見えるのは せいぜい口元くらいだ。その僅かに見える口元から、その人物が自分の方へ顔を向けているのが解った。

 

 

 

(……誰だい、あれは……?)

 

 

 

 やはり、全く身に覚えのない人物だった。

 椅子に座り、目の前には紫色の布で覆われた机があり、その上には大きな水晶玉が置かれている。そして側には『 未来は(・・・) すぐそこに(・・・・・) 』と書かれた看板が立てられている。そこに『 占 』と大きく書かれている事から、占い師である事が伺えた。ただ、その怪しい雰囲気から占い師というより、死神に近い印象を受けるが。

 

 その姿を確認したところで、どうするか尚海は反射的に悩む。

 真っ先に、面倒な相手に声を掛けられてしまったと感じた。この手の引き留めは神室町では数多くあり、今までにも沢山 声を掛けられた経験があった。そこから、こういう手合いは とにかく口から出任せを言って相手を翻弄し、挙句には大金を巻き上げるという先入観が強くあった。故に、相手にせずに さっさと この場から離れるべきと考えた。

 

 しかし同時に、彼女の持つ独特の雰囲気に何故か目が離せずにいた。

 今まで尚海が見てきた自称 占い師は、とにかく声を掛けて引っ掛かった相手は逃すまいという有無を言わさぬ勢いを感じさせるものだった。

 

 だが、この占い師は違う。

 声を掛けてからは、一言も発さない。ただ、じっと尚海の方を見ているだけだ。それだけだが、その姿から何とも言えない雰囲気を感じさせていたのだ。

 

 今までに感じた事のない感覚に、尚海は無意識の内に立ち竦む。

 

 つい先程まで早く家に帰って休もうとだけ考えていた体が、一歩も動こうとしない。

 

 

 そして ―――――― 今までにない自身の無意識の行動に内心 戸惑いつつ、尚海は自然と足を占い師の方へと向けた。

 

 

 

「……ここは、占い屋ですか?」

 

「見ての通りさ。まぁ、ウチは他の所とは ちょっと違うけどねぇ」

 

 

 

 改めて見て、声を聴くと、相手は老年に近い女性である事が解った。少なくとも、尚海よりは年上であろう。

 

 

 

「他と違う、というと?」

 

 

 

 何か、他では見られない特殊な占いでもするのだろうか。尚海は そんな予想を立てる。

 

 

 

 

 

「アタシはね ―――――― 未来が視える(・・・・・・)占い師なんだよ」

 

 

 

 

 

 思わず、尚海の思考は呆気に取られた。

 

 もしかしたら、開いた口が塞がらないというような状態になっているかもしれない。何となくだが、そんな自覚があった。会社の知り合いは ともかく、身内にすら そんな間抜けな表情は見せてこなかったというのに。

 思わず そんなズレた思考が走る程、尚海は今までにない位に小さな混乱が生じていた。それだけ、生来 真面目な尚海にとって思いもよらぬ発言だったのだ。

 

 

 

「……それ、本気で言ってる?」

 

「ヒッヒッヒ。やっぱり、すんなりとは信じられないかい?」

 

「そりゃあ……未来が視えるなんて、非科学的にも程があるでしょうよ」

 

 

 

 昨今は、ポケベルや家庭用ゲーム機、更に国産車が海外で人気を博し、同時に外国車も普及が広まるなど、そこかしこで科学技術の発展の報が飛び交っている。

 その一方で、かつては誰もが心から信じていたであろうオカルト関連は下火になりつつある。

 それでも、テレビや雑誌などでは未だに心霊写真など、未だに人気を博しているものもあるが、少なくとも尚海は信じていない。彼女は子供の頃から、そういった根拠もない話は信じぬ性質であった。その所為で、幼少期は「可愛げがない」と大人達から白眼視される事もままあったのだが。

 

 

 

「それじゃあ1つ、信じられような事を言ってやろうか」

 

「? それってどういう……」

 

 

「どうやら、アタシを殺そう(・・・)って輩が来るみたいだ」

 

 

「えっ……?!」

 

 

 

 到底 聞き流せない言葉に、尚海は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 しかし占い師の方は、相も変わらず冷静というか、しれっとした様子だ。もし今 言った事が本当ならば、もう少し動揺したりしないのだろうかと尚海は思う。度胸があるのかと思うよりも、人として何かが欠けているのではと疑う程だ。

 

 

 そんな尚海の混乱と疑惑を他所に、占い師は ふと視線を動かした。

 

 

 

「……ほら、来たよ(・・・)

 

 

「え……」

 

 

 

 占い師の言葉に尚海も視線を移すと、その先から1人の男が駆け寄って来る。

 年齢は30代後半か、40代前半といったところ。現在のファッションの流行である、縞模様の入った ややダボッとした派手なスーツを纏っている。身に着けている時計やアクセサリーも、今の景気に乗って儲けている事を表しているかのようだった。

 

 そんな見た目の景気の良さとは裏腹に、その表情は不景気そのものだった。そこそこに端正であるはずの顔は険しいまでの皺で深い溝を刻まれており、そこからは言葉に出来ない程の憤怒を感じさせた。

 そして、2人の目の前まで やって来ると若干 息を切らしながら口を開く。

 

 

 

「テメェ……! やっと見付けたぞババァ!!」

 

「おやおや、いつぞやの お客さんじゃないか」

 

「客? この人が?」

 

 

 

 どうやら、2人は顔見知りらしい。それにしては異常に殺気立った雰囲気を醸し出すのは どういう事なのだろうか。

 

 

 

「テメェの所為で、何もかもが滅茶苦茶だ! どうしてくれんだよ、あぁっ!?」

 

「ちょ、ちょっと待ちなよ! 一体、この占い師が何をしたっていうんだ?」

 

「あぁ? 何だ お前……」

 

「通りすがりだよ。何だか穏やかな雰囲気じゃないんでね、口を挟ませてもらった」

 

「ふん! 新しい“ カモ ”ってワケかよ……アンタも運がねぇなぁ」

 

「? どういう意味だい」

 

 

 

 尚海が占い師の客であると見るや、男は憐れむような蔑むような眼と言葉を向ける。

 状況が今一つ飲み込めない尚海が尋ねると、男は占い師を指差し、今までの鬱憤を噴出させるように言い放った。

 

 

 

「コイツはなぁ、占い師の皮を被った、とんだペテン師なんだよ!!」

 

「ヒッヒッヒ。言うに事欠いて そんなこと言うかい? アタシが何か、間違った事 言ったかねぇ?」

 

「忘れたとは言わせねぇぞ!! 100万も払って占ってみりゃ、出てくる言葉は“ 仕事が上手くいかなくなる ”、“ 女には逃げられる ”、“ 借金は出来る ”、散々だった!!」

 

「ひゃ、100万!?」

 

「あぁ、言い忘れてたけど、アタシの占い料金は100万だ。これでも、安くしてる方だよ」

 

 

 

 初めて聞いた料金に尚海は思わず唖然としたが、占い師の方は どこ吹く風である。

 そんな様子を見て ますます苛立ちを高めた男が、更に自身の不幸を述べる。

 

 

 

「そっからだった……何もかもが狂い始めたのは。

 

 取引先は急に融資を断り出すは、部下は次々と辞めていくは、挙句の果てには婚約者に婚約を破棄されるは……っ、散々だった!!」

 

「ヒッヒッヒ。何だい、アタシが占った通りじゃないか。言ったろ?

あんたに“ あらゆる方面から不幸が訪れる、そして やがてはゴミを漁るような身になる ”ってね」

 

 

 

 尚海は目を見開いて両者を見た。

 男の不幸の連続も そうだが、何より占い師が それを見通していたのだという事にもだ。もっと言えば、そんな他人の家に土足で、それも家財を散らかすような物言いをしていたのだという事に。

 幾ら占いとはいえ、言って良い限度というものがあるのではないか、と思わず突っ込みそうになった。

 

 だが、そうはしなかった。

 

 占い師の言葉に よって、男の体から凄まじいまでの怒気が溢れ出すのを感じたからだ。

 

 

 

「あぁ、そうだな……だからよ ―――――― その礼をしに来たんだよ!!」

 

 

 

 そう言うと、男はスーツの懐から何かを取り出した。

 夜の街の中でも、周りの電飾や月の光で白く輝く それを見て、尚海は瞠目する。

 

 

 それは、一振りのナイフだった。

 

 

 これはいけない ―――――― 考える間もなく反射的に悟った尚海は咄嗟に占い師を庇うように立った。

 

 

 

「いきなり何て物を抜くんだい!! 馬鹿な真似は よすんだ!!」

 

「どけよ! お前には関係ないだろうが!!」

 

「人を殺そうとしといて言う台詞じゃないね。第一、何で この人を殺すなんて話になるのさ」

 

「決まってる! 何もかも、その占い師が元凶なんだ!!」

 

「何だって?」

 

「そうじゃなきゃ説明がつかねぇ!!

 これまでの俺は完全無欠だった。金も地位も、女だって不自由しなかった。この景気に乗って、ゆくゆくは知事にだってなってやるはずだった!!

 なのに、何で急に やる事なす事が裏目に出る!? 何で俺が こんな思いをしなきゃならねぇんだ!?

 

 それで、ふと気付いたのさ……何もかも、そのババァが占ってからだってな」

 

「………まさかと思うけど、この占い師が裏で手を引いた、なんて言うつもりじゃないだろうね?」

 

「そうだ!! そのババァが そこら中に金を ばら撒いて、俺に幸せを全部 抜き取っていったんだ!!」

 

 

 

 まさか、それだけは違うだろうと思って問い掛けた言葉が、まさかの大当たり(どんぴしゃ)だとは。こればかりは、才媛の誉れ高い尚海でさえも予想外であった。

 男の不幸は占い師から占って貰ってから、というのは解る。自身の不幸を、その占い師の責任にしてしまう心理も、人として決して皆無ではない事は理解できる。本当は解りたくもない、情けない心理だが。

 

 しかし、だからと言って この行動は戴けない。

 普通に考えて、男の言い分は子供の癇癪以下であるからだ。曲がりなりにも、先の言葉から他人の将来さえも担っていたであろう人物の言葉とは思えない。

 

 冷静に考えて、よしんば占い師に そんな資金力とコネがあったとしても、そうであるならば人が幸せになる占い結果を出して、そして裏で働けば良いだけだ。無駄に不幸にして話題を掻っ攫ったところで、今のように下手に恨みを買うなどリスクが高すぎる。

 

 権謀術数などに興味がない尚海でさえ、それ位の事は解るのだ。

 

 であれば、男の今の行動は本当の意味で全てを失う可能性がある愚行でしかない。

 そうでなくとも、人の命が危ういのだ。

 

 

 

 故に ―――――― 尚海としては退く道理は(ごう)もなかった。

 

 

 

「……あんたの言い分は解った。だけど、それだけは駄目だ。さぁ、それを大人しく仕舞うんだ」

 

「うるせぇ!! こうでもしなきゃ、俺の気が収まらねぇ!! そっちこそ退きやがれ!!!」

 

「聞けないね、そんな身勝手な言葉は。そんな事すれば、本当に取り返しのつかない事になるよ」

 

 

 

 尚海は、どうにかして宥め賺すように、それでいて決して動かぬという揺るぎなき意思をもって男に伝える。

 見れば、男のナイフを持つ手は震えている。

 当然だろう。自分が何をしようとしているのか、本当の意味で解っているのは本人に他ならない。

 そして、そうしてしまえば どうなってしまうのか。解らない程、愚かでもないはずだ。

 まして、尚海の言葉を受けて更に男は自分の行動の意味を悟ったはず。そうなれば、良心の呵責や恐怖などで震えが出るのも、当然の事であった。

 

 

 

 何とかなるか ―――――― 男の反応を見て、尚海は そう考え出した。

 

 

 

 

 

「あ………あぁ………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うああああああああ!!!!!!

 

 

 

「っ!!!」

 

 

 

 

 

 その刹那だった ―――――― 男が絶叫と共に、突進を始めたのは。

 

 

 

 迫り来る男の表情は、恐怖、憤怒、困惑、絶望など、ありとあらゆる感情が坩堝に呑まれたように綯交(ないま)ぜになり、形になったようなものだった。

 

 

 有態に言えば、正気を欠いている姿、そのものである。

 

 

 

 精神(こころ)は既に正常でなくとも、その勢いと“ キョウキ(凶器・狂気) ”が止まる事はない。

 

 

 

 命さえ斬り裂くであろう刃は、そのまま無慈悲に尚海の体を貫こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

  ガッ

 

 

 

 

 

「?!!」

 

 

 

 

 男は、自身の体に走った感触に正気を取り戻す。

 

 

 だが それは、何かを貫いた感触ではない。

 

 

 

 何かが、自身の腕を圧し止めたが為のものであった。

 

 

 

 

 その時になって男は ―――――― いつの間にか目前にまで迫っていた(・・・・・・・・・・)尚海の顔を見た。

 

 

 

 

 もはや、説得は無意味 ―――――― 瞬時に決断した尚海は、行動を起こしたのだ。

 

 

 ナイフを我武者羅に振り下ろそうとする男の腕を、一の腕で交差させるようにして止めた。

 思いもよらぬ行動に男は驚き、同時に発狂気味だった意識も僅かながら正気に傾き、それによって動きに硬直が生まれた。

 その隙を、尚海は見逃さない。即座に次なる行動に移る。

 右腕で相手の動きを制しながら更に懐に飛び込み、その右手側へと回り込む。未だ男が反応できないでいる中、尚海は左腕を伸ばし、男の右肘を掴んだ。

 

 

 

「ふっ!!」

 

 

「ぐあぁっ?!」

 

 

 

 そして、次に尚海が一呼吸をした時には、男の体を完全に抑え込んでいた。

 

 その動きは まさに、合気道における《 正面打ち一教(いっきょう)・表 》だ。

 男からの攻撃を《 正面打ち 》という打撃技で捌き、動きを止めた隙に《 一教 》という関節技で男の腕を極めたのだ。ちなみに《 表 》とは、相手が向かって来るのを迎え撃つ形になる事を指す。

 

 無理矢理に体勢を低くされ、更に右腕の関節で極められた男は まるで身動きが取れない。暴れようとすればする程、いたずらに腕に痛みが走り、悶えるだけだ。

 

 

 

「まったく……手間かけさせるんじゃないよ」

 

「痛ててててっ!! 折れる、折れる!!」

 

「いやぁ、お前さん強いねぇ。大したもんだ」

 

「こんな ご時世で女の1人暮らしだからね。護身術の1つくらい習得もするもんさ」

 

「ちょちょちょっ、折れる! マジで折れるってマジでぇ!!」

 

 

 

 体格で優る大の大人を軽々と制する尚海を称えるように、占い師は拍手を送る。その声は喜色満面である。

 ある意味元凶である彼女の緩い言葉に、少しばかりカチンと来るものの、今は集中を途切れさせない為に軽く流す。

 そんな間もミシミシと悲鳴を上げている関節を代弁するかの如く、拘束された男は悲鳴を上げ続ける。

 

 

 

「放してほしければ、まず お前さんの物騒な物を放しな」

 

「は、はいぃ……!」

 

 

 

 もはや観念するしかないと思い知った男は大人しくナイフを手放す。カランという音が、男の完全敗北を示すようだった。

 それを確認し、尚海も警戒しつつ腕の拘束を解いた。ようやく解放された男は、何とか無事に済んだ右腕を慈しむように擦っている。あくまでも拘束、そして攻撃の意思を削ぐ為の技であり、尚海も本気ではなかったとはいえ、やはり体の構造に反する圧力を加えられていた事は相当 堪えた様子である。

 

 

 

「おい、あんた」

 

「っ……!!」

 

 

 

 男が少しばかり落ち着くのを待って、尚海が声を掛ける。

 男が見せた反応は、まるで男に暴行された後の女の如く軟弱なものだった。地面に這い蹲るようや自分と、それを見下ろす形の尚海との立場の違いを見て、自分が仕出かした愚かな行為の重さに気付いたのだ。男の脳裏には、様々な形の絶望が見え隠れする。

 

 まるで親に叱られ、脅える子供の如く萎んでいく男の様子を見て、尚海は毒気を抜かれ溜息を吐く。

 ちらり、と占い師の見る。

 フードを被っている為に表情は ほとんど解らないが、僅かに覗ける口元は笑っているようにも思えた。そして尚海の心情を察しているように、コクリ、と一度だけ頷いた。

 

 ふぅ、と大きな溜息を吐く。

 

 男が それに過剰に反応してビクリと体を震わせる。

 

 

 

「本人の許可も得たからね、今回は見なかった事にしてやるよ」

 

「えっ……」

 

「二度も言わないよ。あんたが恐れるような事にならない間に、早く ここから消えろって言ってるんだ。さぁ!!」

 

「は……はいっ!!」

 

 

 

 尚海の言った事が理解できていなかった様子だったが、更に尚海が脅かすように一喝を含めて告げると、ようやく言わんとする事を飲み込み、慌てて立ち去って行った。

 その後ろ姿は、どこまでも頼りなく、情けないものだった。

 

 

 

「いやはや、命拾いした。助かったよ」

 

「まったく、呑気なもんだね……」

 

 

 

 占い師は、目の前で理不尽な殺意を向けられたばかりだというのに、その体も言葉も全く震えを見せず、それどころか面白おかしく笑う始末だ。

 せめて、命を張った人間に対して もう少し誠実な態度を見せても良いのではないかと文句の1つも言いたくなる。だが、言ったところで軽く流されそうなのが浮かんでくるので、尚海は何も言わない。

 

 

 

「それにしても、あんたの言う通りになったね……」

 

「あぁ、言った通りだろ。少しは信じる気になったかい?」

 

「さぁ……単に経験則で言った可能性も、無きにしも非ず、だしね。まぁ、勘が良いのは確かだろうけど」

 

「ヒッヒッヒ。お堅いねぇ」

 

 

 

 単純に、恨みと殺意を持つ人間が現れた事には驚いたのは事実だが、だからと言って占い師の異能を信じるかと聞かれれば正直 微妙なところだ。

 一瞬、男と共犯(グル)なのでは、とも考えたが、男の殺意は間違いなく本物だったと感じた。それは、直で それに対したのが尚海だからこそ解った事だ。

 第一、そんな回りくどく手の込んだ、それでいてリスクが高すぎる芝居を打つとも考え難かった事もある。

 未だ自分の能力を信じないと言われたのに、占い師は怒るでもなく落ち込むでもなく晴れやかだ。そんな尚海の態度さえ愛おしいとでも言わんばかりに。

 

 

 

「まぁ良いさ。そんな事より、助けてくれた お礼をしなきゃねぇ」

 

 

 

 そして占い師は、話を切り出してきた

 

 

 

「礼って?」

 

「アンタの未来を占ってあげようじゃないか」

 

「え、でも……」

 

「あぁ、料金なら良いよ、命の恩人だからねぇ。特別に無料(タダ)で占ってあげるさ」

 

 

 

 尚海の遠慮も どこ吹く風とばかりに流し、占い師は台に置かれた水晶玉に手を添え始めた。撫でるように、あるいは何かを形作るような手付きで手を動かす。

 半ば強引に占いを始めた事に、尚海は少なからず困惑している。そもそも占ってほしかった訳でもない上、100万という本来なら必要な経費を免除してくれるという事についても、有難いどころか逆に困惑を増すだけだ。生来 真面目な性格が故の反応であった。

 

 

 

「ヒッヒッヒ。何だか、以前も こんな事があった気がするねぇ。あの時は、随分と波乱万丈な人生を背負う若者だったかね」

 

 

 

 占い師は水晶を いじりながら、かつての客らしき人物を思い出しながら作業をしている様子だ。

 以前にもあったのかと、目の前の占い師の危うさと それに首を突っ込んだ人物の物好きさを懸念した。もっとも、自分も人の事は言えないのかもしれないが。

 

 

 尚海は考える。

 今更、止めるように言っても聞きはしないだろう。

 これが、彼女なりの感謝なのだとすれば、ここは目を瞑って付き合うのが礼儀なのかもしれない。

 

 

 

 そう結論付け、尚海は黙っている事にした。

 

 

 

 

 

 やがて、先程とは違う、どこか神妙な雰囲気を纏い始めた占い師が尚海の方を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ ――――――――― 何から占って欲しいんだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 現在  ナオミの館 】

 

 

 

 

 

「―――――― と まぁ、それが彼女との馴れ初めだったね」

 

「ははぁ……それは、また数奇というか何といいますか」

 

 

 

 ナオミ(尚海)の回想を聞き終えたところで、秋山が感心したような感想を述べる。

 同じく直葉も、普通なら中々ないだろう経験談を聞き、どこか夢心地の如き感覚を覚えている。人生の長さも、生きてきた世界も自分とは まるで違う事に、深い感銘を受けた様子だった。

 特に、彼女が生まれる前の日本や世界の情勢なども軽く触れた事で、歴史の授業などで聞いたものとは全く異なる感触も得たようだ。何しろ当時を生きた人間の実体験なのであるから、その説得力は群を抜いていた事だろう。

 

 2人の反応を一通り見て、ナオミは話を続ける。

 

 

 

「それからね、その占い師には色々な事を占って貰ったよ。明日は何が起こる、仕事はどうしてる、10年後には どうしてる、とかね」

 

「それで、結果は……?」

 

 

 

 件の占い師について特に知りたいと思っている直葉が尋ねる。ここに来るまで噂でしかなかった事柄の真実が、一端ながらも解るとあって、どこか緊張と期待が籠った声だ。

 そんな感情を彼女の目を見て察したナオミは、まるで自分の孫を見るような目を浮かべ、答えた。

 

 

 

「あぁ。結果から言えば……彼女は“ 本物 ”だったよ」

 

 

 

 直葉、そして秋山も目を見開いた。

 

 

 ナオミは更に語る。

 

 

 

 次の日には小さな出逢いがある ―――――― その言葉通り、翌日の仕事の帰りに自宅前で子猫を拾い、生涯 愛し続けた事。

 

 

 仕事の事、そして10年後については、彼女は世界を飛び回っている事 ―――――― 最初は信じられなかったものの、翌日に仕事場で中国人の新入社員が意地の悪い上司に言葉で嬲られている姿を見て激昂。

 

 その時に仕事場を退職し、独立する事を決意。

 同時に、同社で苦しんでいた多くの若手社員を引き取り、苦労しながらも企業を数年の内に拡大させ、バブル崩壊後もメセナ・フィランソロピー活動を展開させた事。

 

 

 その、波乱万丈ながらも充実したという様々な人生談を聞かせてくれた。

 

 

 

「凄いですねぇ……それじゃあ、今の仕事も?」

 

「そうだね。会社の方は若い奴に譲って、2000年以降は支援活動を主にやってたんだけど、その内に日本で働く多くの外国人が、その立場の弱さに付け込まれて苦しんでる現実を知ってね。表の活動だけじゃ、とても救い切れないと解ったのさ。

 で、この神室町に根を下ろして、微力ながら力を貸してるって訳さ」

 

「なるほど」

 

「凄い……!」

 

 

 

 秋山も彼女と出会って1年近くになるが、初めて聞く過去に感心を覚え、深く頷く。

 そして直葉も、ナオミが中々に危ない橋を渡る活動をしている事実に驚きつつも、そんな危険を冒してまで虐げられている人を救おうとしている事に感動すら覚えていた。まだ中学生でしかない直葉にとって、ナオミの語る事が どれほどの事なのか。正直おぼろげにしか解らないものの、生半可な覚悟や能力では出来ない事は察する事が出来た。

 

 秋山の感心は まだしも、直葉の尊敬に等しい眼差しには こそばゆさを覚えたのか、ナオミは小さくクックと笑みを溢す。

 

 

 

「まぁ、アタシの話は この辺で良いだろ。その占い師が今どうしてるか、知りたいんだろ?」

 

「そ、そうでした。ナオミさん、どうか知ってる事があれば教えて下さい!」

 

「お願いします、ナオミさん」

 

「うん。それなんだけどね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 おいぃ――――――すっ!!  お遣いから帰ったっす!! 」

 

 

 

 

 

 

 直葉と秋山に乞われ、ナオミが語ろうとした、丁度その時だった。

 

 

 神妙になりつつあった空気を、色々な意味で()ち割る大声が響き渡ったのは。

 

 

 

 店内に、シ~ンと居心地の悪くなりそうな沈黙が広がる。

 

 

 

 秋山、直葉が、入り口から入って来た人物に視線を集中させた。

 

 

 

「……んん……? 何スか、このビミョ~な空気?」

 

 

 

 それは、今もナオミの両側に侍っている道化(ボブ宇都宮)と全く同じ衣装、身長、そして顔を持つ者だった。お遣いという言葉が示す通り、彼の右手には近くにある《 ドン・キホーテ 》特有の黄色い買い物袋が下げられていた。

 全く同じ姿を持つ3人目の登場に、直葉は話を遮られた事も忘れて ただただ茫然と口を開けてしまっている。

 

 

 

「あぁ、そういえば頼んでたっけね。ご苦労様」

 

「うっす! ボス、お客さんですか?」

 

「あぁ、そうだよ」

 

 

 

 ナオミの言葉を聞き、ボブ宇都宮Cは秋山と直葉に対しお辞儀をする。見た目こそ道化だが、主人の客に対して礼を欠くほど非常識ではない。

 顔見知りである秋山も軽く会釈し、直葉も若干 慌て気味にお辞儀を返す。

 

 

 

「ん……?」

 

 

 

 お辞儀を終え、直葉が頭を戻した、その時だった。

 

 

 

「ん? んん? んん~???」

 

 

「え……えっと……?」

 

 

 

 突然、ボブ宇都宮Cが直葉の顔を食い入るように凝視し始めたのだ。

 顔のメイクも相まって、その様は さながら歌舞伎の見栄を切る行為のようにも見えるが、あまりにも怪し過ぎる上、どちらかと言えば不良のメンチ切りと言う方が しっくり来る程だった。

 自分よりも ずっと体格の大きい男、加えて道化(ピエロ)のメイクという、人によってはトラウマさえ植え付けられそうな顔で迫られては、怯えるなという方が無理な相談だった。

 突然の奇行に面喰っていた秋山だが、さすがに見かねて制止に入る。

 

 

 

「ちょっとちょっと。君、いきなり何してんの。子供とはいえ女性(レディ)に失礼でしょ」

 

「あ、スンマセン。つい」

 

「ついって……」

 

「一体、どうしたっていうんだい?」

 

 

 

 ナオミもボブ宇都宮Cの行動が疑問らしく、その真意を問い質してきた。

 すると、彼は答える代わりに懐に手をやり、何かを探し始めた。皆が首を傾げながら見ていると、やがて そこから何かを取り出す。

 

 

 

「はい、これ」

 

「え……あたしに、ですか……?」

 

「それは……手紙か?」

 

 

 

 取り出したのは、1通の手紙であった。

 そして それを渡した相手は、何と直葉である。彼女も どうして自分が それを受け取るのか全く理解できず、驚きと疑問で表情を固めていた。

 状況が全く掴めない秋山は、ボブ宇都宮Cに尋ねる。

 

 

 

「この手紙は、一体どうしたんだ?」

 

「いやね、買い物の帰りに、何か知らない男に手渡されたんスよ」

 

「知らない男だって?」

 

 

 

 ナオミの問いに、ボブ宇都宮Cは頷く。

 

 

 

「へぇ、間違いなく初対面のオヤジでしたよ。それで そのオヤジが、“ 店に、顔見知りの男と一緒にいるだろう少女に渡してくれ ”って、そう言って手渡してきたんス」

 

「何だって?」

 

 

 

 聞き捨てならない話に、秋山が声を上げる。直葉も声には出さないが、驚きの表情を見せている。

 

 

 

「……お嬢ちゃん。とにかく、その手紙を読んでみな」

 

「は、はい!」

 

 

 

 あまりにも奇妙な話に、ただ考えても埒が明かないと察したナオミが直葉に促す。

 了承した直葉は すぐに封を切り、中に入っていた内容を読み始める。秋山も、横から覗き込む形で見る。

 

 

 そこには、こう書かれてあった。

 

 

 

 

 

『 突然の お手紙に、困惑していると お察しします。

 

  しかし、貴女にとっては願ってもない話であると思います。

 

  もし、この手紙を読んで その気になったのであれば、一度お目にかかりましょう。

 

 

  場所は、“ ナオミさんとの思い出の場所 ”です。 』

 

 

 

 

 

 差出人の名などは書かれていなかったが、相手が どういう人物なのかは断片的ながら察する事が出来る。

 

 

 

「秋山さん、これって……!」

 

「あぁ、多分……“ 例の占い師 ”に関係する人間からだ」

 

 

 

 手紙からは、直葉が占い師を求めている事を知っている風の文章が見て取れる。“ 貴女 ”と、わざわざ漢字で女性当てだと解る形にしているのも その表れだろう。

 そもそも、直葉が件の占い師を求めている事など、相談を受けた秋山とナオミ、そしてボブ宇都宮A・Bしかいない。

 そして何より、タイミングが良過ぎる。ナオミから過去の事を聞いて間を置かずに こうして手紙を届けるなど、間が良過ぎるにも程がある。

 

 

 ――――― まるで、未来が見えている(・・・・・・・・)とでも言わんばかりだ。

 

 

 例の噂、そしてナオミの体験談を考えれば、導き出される答えは1つしかない。

 

 

 即ち、例の占い師が直葉が自分を求めていると予知し、こうして手紙を寄越したのだ。

 

 

 

「やったな、直葉ちゃん!!」

 

「はい!!」

 

 

 

 予想していた形とは違ったが、それでも大収穫である。まさに、王手の一歩手前と言っても過言ではない位の前進である。

 特に直葉は、藁にも縋る思いだったとはいえ、30年近く前の、それもネットでの噂に過ぎなかった事柄が、こうして自分の手元に形を持って結果が出た事に、喜びの感情が沸き上がり、体が火照るような興奮を覚える。

 秋山も、全くと言って良い程に手掛かりがなかった状態から、たった1日以内で核心に近付けた事に驚きと喜びを禁じ得なかった。同時に、心の底から喜んでいる直葉の表情を見て、この上なく晴れやかな気分にもなっていた。

 

 

 そして、善は急げとばかりに、秋山と直葉は最後の手掛かりを持つとされるナオミに問う。

 

 

 

「ナオミさん。この手紙の主が言う“ 思い出の場所 ”ってのは、どこですか?」

 

 

 

 秋山が率先して問い掛け、直葉も緊張の面持ちを隠さずに待つ。

 

 

 ナオミは、しばし無言だった。

 

 その表情は、どこか懐かしむようであり、何か気に掛かった事を熟考しているようでもあった。

 

 数度 小さく首を頷く動きを見せた後、ナオミは返事を待つ2人に しっかりと目を向け、答えた。

 

 

 

 

 

「……占い師との思い出の場所。場所は、泰平通りの東の端 ―――――― つまり

 

 《 チャンピオン街の入り口前 》さ。そこが、あたしと占い師が初めて出逢った場所だよ」

 

 

 

 

 

「あそこか……よし! 行こう、直葉ちゃん」

 

「はい!!」

 

 

 

 その場所の名は、神室町に住む秋山にとってはルートも光景も息を吐くように浮かぶものであった。

 そして、最も心待ちにしている直葉に出発の意思を伝えると、彼女も待ち切れないとばかりの声を上げた。その大きな瞳は、宝物を目前にした冒険者(トレジャーハンター)の如くキラキラと輝いて見えた。

 

 

 

「お世話になりました。俺達は これで」

 

「ナオミさん、本当にありがとうございました!」

 

「あぁ、行っといで。向こうにも、よろしく伝えておいて頂戴な」

 

「はい。行きましょう、秋山さん」

 

「よし! それじゃあ」

 

 

 

 ナオミに ひとしきり感謝の意を伝え、秋山と直葉は店を後にしていった。

 入り口を出る際も、直葉は重ねて お辞儀をして行った。尽きる事のない喜びを表しているようで、ナオミとしても気分の良いものであった。

 

 

 

 

 

「行っちまったっすね。ん……ボス?」

 

「………」

 

 

 

 2人が店を出て、それまでと空気が変化した時、ボブ宇都宮Aが違和感に気付いた。

 

 

 座っているナオミの様子が、どこか おかしいのだ。

 

 客人の願いが叶い、喜んでいるでもない。ただ、僅かに俯いて返事も返さず、心あらずといった雰囲気を見え隠れさせている。

 A・B・C、3人のボブ宇都宮は、おそらく初めて見るナオミの様子に、互いに見合わせるばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつ………何で“ 今になって”………?」

 

 

 

 

 

 木の葉の先の水滴のように、ほんの少し零れたナオミの呟きは、3人には届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 14:22  泰平通り 】

 

 

 

 

 

 擬音にするなら、バキっとでも書けるような音が、天下の往来に響いた。

 

 

 続いて重く、同時に弾力がある何かが倒れる音が流れる。

 

 それは、やや余分に肉の付いた体を持つ1人の男だった。黒を基調とし、首には銀のアクセサリーを身に付けた そこそこ派手な出で立ちだ。

 

 

 

「まったく……あんまり手間かけさせるんじゃねぇよ。こっちは急いでんだから……」

 

 

 

 心底うんざりしているような口調が静寂を破る。

 

 男を吹き飛ばしたのは、他でもない秋山 駿である。

 

 

 そう、彼が蹴り飛ばした男は神室町中に闊歩している有象無象(ゴロツキ)の1人だった。

 手紙で示された場所を目指していた最中、金銭目的で因縁を付けてきたのだ。

 下品極まりない笑みを浮かべながら意味不明な言葉を並べ立てて金を無心し、それを断られるや否や顔を真っ赤にする位に激昂し、そして殴り掛かろうとした刹那、先手を打った秋山の蹴り上げを顎に喰らい、吹っ飛ばされて気絶した、というのが事の顛末である。

 

 

 秋山の ぼやきの後、周りで成り行きを見ていた通行人達、もとい野次馬は少なからず沸き立った。

 何しろ、瞬殺だったのだ。圧倒的な存在に人は惹かれ、その感情を昂らせる性を持つという事だろう。

 

 

 そこに、離れて見守っていた直葉が駆け寄って来る。

 

 

 

「秋山さん!」

 

「あぁ、大丈夫だよ直葉ちゃん。行こう」

 

 

 

 こんな事をしてる場合ではないと、秋山は直葉を伴って その場を離れた。

 

 

 

 去って行く2人を目で追う野次馬が多くいる中で、気絶している男を助けようという輩は ついぞ現れなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「秋山さん、今のは ちょっとやり過ぎじゃなかったですか?」

 

 

 

 喧嘩場所から離れて程なく。直葉が秋山に並んで歩きながら、そう言い出した。

 

 

 

「んん~。そうは言っても、奴さんは問答無用だったしなぁ。止む無しって奴でしょ」

 

「それは、そうですけど……」

 

 

 

 実際、相手が因縁を付けてきた事に、特に理由などなかった。

 強いて言えば、服装などから金を持っていそうで、見た目は さほど強くなさそうで、更に言えば昼間から見目麗しい小さな少女を側に置いていたという、ろくでなしが嫉妬するのに充分な要素があったからでしかない。

 

 当然、それだけの理由でカツアゲをして良い理由にはならないのは自明の理。そして秋山の制止にも耳を傾けず、いの一番に暴力を振るおうとしたとあっては、自衛の為に脚を奮ったとしても咎められる謂れはないだろう。

 

 無論そんな事いちいち考えずとも、秋山に非が一切ない事を直葉は理解している。

 

 しかし、だからといって全てに納得できるかといえば、そうでもないのだ。

 

 

 理由は単純 ―――――― 神室町が醸し出す雰囲気に、底知れぬ“ 違和感 ”を覚えるからだ。

 

 

 新宿は神室町という街が、日本を代表する歓楽街であると同時に、暴力沙汰に関しては話題が尽きる事がない事を、直葉は事前に調べて知ってはいた。

 それでも兄の為に、行かないという選択肢は選べなかった。故に、親には告げずに単身やって来た。もし言えば、きっと引き留められるのは性格上 予想がついたからだ。

 

 全てを覚悟したつもりで街にやって来た訳だが、結果的に その覚悟は甘過ぎたのだと思い知る事になった。

 

 ほんの数時間という短い時間ではあったが、様々な人物と出会い、経験を重ねて、直葉は1つの答えを持つに至る。

 

 

 ―――――― この街に住む人間は、自らの“ 欲 ”に極めて忠実なのだと。

 

 

 食欲、金銭欲、色欲、そして暴力 ―――――― 人が生きる為には絶対的に必要で、同時に社会を形成する為には一定の枷が必要な要素。

 それが、この街の人間は あまりにも(アンバランス)なのだ。

 

 特に、暴力に関しては常軌を逸しているように思えてならない。

 確かに、人は本能的に そういったものを求める欲求があるのは何となくだが聞いた事がある。だからこそ、スポーツだって人気があるし、近年は特に戦国の歴史などが賑わっているのだろう。

 

 だが、この街での それは、そんな甘いものではない。

 

 間近で見たからこそ、若い直葉にも解る ―――――― まさしく、正真正銘の“ 殺し合い ”だ。

 

 当事者は元より、見ている人間さえも“ 人の死 ”を垣間見せる程の それを、彼等は“ 喧嘩(ケンカ) ”の一言で済ませている。

 そして それを見ている街の人間は、誰1人 止めようとはせず、むしろこの上ない見世物を見るかのように、歓声を上げて心躍らせていた。

 

 それが、直葉に一方ならぬ違和感を覚えさせるのだ。

 同じ日本人であるのに、まるで違う国の人間 ―――――― むしろ、違う世界の人間とすら思えてしまう程の違和感。時間と共に、秋山という街の人間と共にいる分だけ、それは徐々に大きくなっていく。

 

 直葉としては、恩人に対して そんな感情は出来るだけ持ちたくはない。

 仕方のない事なのかもしれないが、秋山に悪意はなく、彼自身 極めて善良な人間であるのは解っている。

 それだけに、そういった感情が湧く自分に対して自己嫌悪すら抱いてしまう、何とも複雑な感情が沸き上がって来るのだ。

 

 

 

(―――――― まぁ……無理もないよなぁ)

 

 

 

 そして、そんな直葉の感情は、秋山には筒抜けであった。

 元々 人の感情の機微には敏く、何より自身も生粋の神室町の人間ではなく、徐々に慣れ親しんだ人間として、彼女が抱く考えは経験則としても理解できるものだった。

 

 目的の場所まで、まだ10分は掛かる。

 

 彼女の心を落ち着かせる為にも、何か話題を変えようと考え、秋山は一計を案じた。

 

 

 

 

 

「ふふ………剣道を嗜んでる(・・・・・・・)人間としては、マジの喧嘩は受け入れ難いかな?」

 

 

 

 

 

 秋山の その言葉に、直葉の表情は時が止まったかのように固まった。

 

 

 それは まさに、“ 鳩が豆鉄砲を食ったよう ”という言葉がピッタリなものだった。

 

 

 

「ど……どうして…?………アタシが剣道をやってるなんて、一言も……」

 

 

 

 秋山が言った事は事実だ。

 

 彼女は、剣道を何年も続けている。

 

 だが、その事を秋山が知るはずがない ―――――― そのような事、出会ってから一言だって話していないのだから。

 それとも、自分の記憶が おかしいのかと、直葉は一瞬 混乱の渦に入りそうになる。

 

 

 

「うん。聞いてないよ」

 

 

 

 だが その前に、秋山が その可能性を否定した。同時に、悪戯が成功した悪ガキの如き笑みを浮かべる。直葉の反応を見て、自身の言葉が正しかった事を確信したのだ。

 

 一方の直葉は戸惑うばかりだ。

 聞かれてもなければ言った事もない自分の嗜みを、なぜ彼は知っているというのか。

 混乱のあまり涙目にすらなりそうな雰囲気の彼女を見て、秋山はバツの悪そうな苦笑を浮かべ、首元を掻きながら言った。

 

 

 

「ごめんごめん。そんなに驚かせるつもりはなかったんだけど。 君の“ 手 ”さ」

 

「手……?」

 

 

 

 秋山の答えに、直葉は自身の両手を見やる。

 

 

 

「君の左手、タコが出来てるだろ。俺の学生時代に、剣道部員だった友人がいてね、それで気付いたのさ」

 

「で、でも、いつ……?」

 

 

 

 彼の言う通り、直葉の左手の薬指と小指の付け根付近にタコが出来ている。

 だが、しっかりと見てならば まだしも、彼女は秋山に掌を見せる行為をした記憶がなかった。更なる疑問に、秋山は答える。

 

 

 

「喫茶アルプスで食事をした時、俺が おしぼりを落としたの、覚えてる?」

 

「……あ……そういえば……」

 

 

 

 言われてみれば、昼食を共にしていた時、そんな事があった記憶があった。

 秋山が店の おしぼりで手を拭いて それをテーブルに置いた際、置き方が悪くてテーブルから落ちてしまったのだ。それに気付いた直葉が、真っ先に拾ってあげたのである。

 

 

 

「その時、君の左手の掌が見えてね。同時に、そのタコが見えたんだ。それで気付いたってワケ」

 

「あ、あんな一瞬の間に……?」

 

 

 

 時間にして、2秒あるか ないかの短時間だったはずである。

 そんな僅かな一瞬で、彼は細かな一点に気付き、更に その原因さえ把握していたのだ。まさに、テレビやマンガの名探偵も顔負けの観察力であろう。

 

 曰く、金貸しやキャバクラ経営の仕事をする身として、相手の嘘や本音などの感情を読み取る事が重要であり、そういった能力を身に着ける為に会得した技量(スキル)なのだという。

 既に秋山の敏腕さを言葉の節々から感じていた直葉だが、更に強く感心させられる事になった。

 

 

 

「それにしても、直葉ちゃんって結構 剣道 強いんじゃない? 少なくとも、下手って事はないでしょ」

 

 

 

 剣道というスポーツは、両手で竹刀を握り、相手と激しく打ち合う競技だ。その性質上、どうしても手にはマメやタコが出来る。籠手という防具を身に付けたとしても、それは必然である。

 

 しかし、同じタコでも“ 上手なタコの出来かた ”と“ 下手な出来かた ”があるのだ。

 

 剣道では特に、その“ 竹刀の握り方 ”に重点が置かれると言っても過言ではない。握り方1つ見ただけで、相手が手練れか否かが解ると言われる程だ。

 右利きの人間の場合、もし右手にマメやタコが出来たら、その人間は正しい握り方をしていないという事になる。本来、竹刀を振るう際には右手の力は ほとんど使わない為だ。そういった人間は、無駄な動き、力を使っているという事になる。

 逆に、左手はしっかりと柄の頭を握り締め、力を籠める事が要求される。故に、正しい握り方をしている人間は左手の小指、薬指付近に痕が残るのだ。

 

 そして、直葉は右利きである。加えて、出来て正しい位置にタコが出来るほど振るってきたという事は、彼女が並ならぬ技量を持っている事の証明でもあるという訳である。

 彼女ほどの年齢の者なら、握り方1つ満足に出来てない者も多いと言われている。それを考えれば、彼女は特に念入りに鍛錬を続けてきた事が窺えた。

 

 

 学生時代の旧友から聞いた蘊蓄による予想に対し、直葉は照れくさそうにして答える。

 

 

 

「えへへ。実は、アタシ中学の剣道部に入ってるんですけど、レギュラーなんです」

 

「へぇ! 1年生でレギュラーか。大したもんじゃないか」

 

「小さい頃から ずっと続けてきましたから。ここだけの話なんですけど、このまま順調に練習を重ねれば、将来《 インターハイ 》玉竜旗(ぎょくりゅうき)も夢じゃないって、顧問の先生からも太鼓判 押されちゃってたりしてます」

 

「くはぁ……! こりゃ冗談抜きで、とんだ逸材と対面しちゃったもんだ!」

 

 

 

 インターハイも玉竜旗も、剣道を志す高校生にとっては野球の甲子園、あるいはオリンピックにも匹敵する晴れ舞台と言える。練習ありきとはいえ、そこに確実と言われる程であるなら、彼女の実力は まさに筋金入りと言えるだろう。

 可憐な少女が秘める神童の才に、秋山は出会えた事の ありがたみを感じていた。

 気が早いと直葉は こそばゆい気持ちになるものの、純粋に褒められているのは心地よくもあり、心からの笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「それじゃあ ―――――― 君のお兄さん(・・・・・・)も、凄い剣道家って事になるのかな?」

 

 

 

 

 

 その質問は、秋山にとっては軽い好奇心のつもりだった。

 

 これまでの会話や、直葉が神室町に来る切っ掛けになった経緯、そして言葉の節々から感じる敬愛の感情。

 

 偏見かもしれないが、女の子である彼女が ここまで頑張って来られたのは、きっと兄も その道を志し、その背中を追ったからではないか。

 

 少ない情報から秋山が そういった推測を立て、尋ねた事に関しては、一切の非はないと言えよう。

 

 

 

 

 

 だが それでも、秋山は後悔の念を禁じ得なかった ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――― 直葉の、ただならぬ表情(・・・・・・・)を見てしまっては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

 

 

「………えっ……と……」

 

 

 

 言葉は、一切 発さない。

 何1つ口にしないというのに、その沈黙が秋山の耳を、心臓を、全身の血管すらも痛覚で蝕むような感覚を与えていた。

 直葉は ただ俯くばかりだ。秋山との身長差もあって、その表情は窺えない。掛けるべき言葉も即座に浮かばず、秋山は ただただ狼狽える。

 

 

 

「……兄は……お兄ちゃんは、剣道やってないんです」

 

「えっ……?」

 

「最初は、あたし と一緒に始めたんです。でも、お兄ちゃんには向かなかったみたいで。結局すぐに止めてしまって……続けたのは、あたし1人だったんです」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「はい……」

 

 

 

 零度の空気を振り払ったのは、直葉の言葉だった。

 ゆっくりと顔も仰向かせながら、事の経緯を語った。その内容は、秋山の予想が外れていた事を表すものだった。

 直葉の口振りは、真実は それだけであると断言するものであった。

 

 

 だが、秋山は気付く ―――――― 直葉の言葉の、そして雰囲気が醸す違和感に。

 

 

 口調と表情は それで全てだと語っているのに、醸し出す雰囲気そのものは それが全てではないと語っているように思えてならなかったのだ。

 

 

 何か、もっと重要な事を直葉は語っていないのだと、秋山は直感で そう感じ取った。

 

 

 

「さっ、行きましょう! 目的の場所まで、もう少しですよね」

 

「あ、あぁ」

 

 

 

 そして、直葉は表情に笑みを戻した。本来の目的を改めて語り、先を急ごうと歩き出したのだった。

 未だ呆然としている秋山に先んじるように、直葉は歩を進め出す。

 

 

 

(……直葉ちゃん……)

 

 

 

 自分の先を歩く、小さな背を秋山は見る。

 一見、年相応に溌剌と動く その背中は、どこか危なっかしさのようなものを感じさせていた。

 

 言葉も、動きも、何か重大な事を隠そうとしているように思えてならない。

 

 

 

(……お兄さんと、何か あったのか……?)

 

 

 

 彼女が見せた違和感に原因があるとすれば、その事しか考えられない。

 きっと、まだ話していない何かが発端となって反応に表れたのだろうと、秋山は踏んだ。

 

 

 

 

 

(……止そう。まだ出会って間もない俺が、気安く踏み込んで良い話じゃない)

 

 

 

 

 

 そして、秋山は自分の思考を中断した。

 今ここで問い詰める事は簡単。だが、人には誰しも語りたくない事、語りにくい事の1つや2つは必ずある。自分にだってあるのだから、自分より小さな子供、まして女の子にはあって然るべきだ。

 

 過去に何があったにせよ、今 彼女は動けなくなった兄を救いたい一心で、慣れない土地にまで足を踏み入れている。

 

 

 その、肉親を想う情愛がある ―――――― それが解るだけで良い。

 

 

 沸き上がる好奇心に似た感情を押し込め、秋山は直葉を追い掛ける。

 

 

 

 

 

 目的の場所は、すぐ そこにまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 14:46  泰平通り東の端 】

 

 

 

 

 

 街の端へと進むにつれて、人通りが少なくなってくるのを感じ始める。

 立ち並ぶ店も、他と違って質素な雰囲気の看板などが目立ち、全体的に落ち着いた印象を与えるのが大半だ。

 

 

 その中でも、一際 目立つ大きな廃墟を越えた所が、2人の目的地であった。

 

 

 

「ここ、ですか?」

 

 

 

 到着して早速、直葉が周囲を見渡しながら秋山に尋ねる。

 余談であるが、ちょっとした事で流れていた微妙な空気も、ここに来るまでの数分の内に霧散していた。

 

 

 

「そのはずだけど……ん?」

 

 

 

 土地勘のない直葉に代わり、秋山が気になる所がないか周囲を探る。

 

 

 そして程なく、“ それ ”を見付ける。

 

 

 場所はナオミの言う通り、泰平通りと北のチャンピオン街を繋ぐ通路の入り口付近。

 本来なら駐輪不可の場所に、無造作に置かれた自転車の数々。ビルが立ち並び、その側面のパイプが張られているのが見える場所。

 

 そこに、じっと立っている1人の男がいた。

 

 年の頃合いは50代そこそこといったところ。服装には特に こだわりはないのか、作業着にも見えなくはない地味な色合いのジャンパーとズボンを履き、顔付き以上に歳を重ねて見える。

 暇潰しに携帯を見るといった行動も取らず、その場から一歩も動かない姿は特に目に映るものだった。

 

 当たりを付けた秋山が、直葉を見る。その意図を察し、見合わせた直葉は こくりと頷く。そして同時に、2人は男の方へと歩み始めた。

 

 

 

「あの、スイマセン」

 

「ん……」

 

 

 

 秋山の声掛けに、男は小さく声を漏らして振り向いた。

 続いて、直葉も当事者として声を掛ける。

 

 

 

「あの……アナタが手紙をくれた人ですか……?」

 

 

 

 男は、すぐには答えなかった。

 直葉に目線を合わせた後、彼は再び秋山への視線を戻した。そして再度 直葉に向いた時、その表情には“ 納得 ”の色が宿っていた。

 

 

 

「ふむ……特徴が一致する(・・・・・・・)……君達が そうか」

 

「という事は、やはり?」

 

「あぁ。私が、手紙を預けた者だ」

 

 

 

 思った通り、彼こそがボブ宇都宮Cに手紙を手渡した人物であった。

 ようやく辿り着いた目的地に、直葉は その小さな顔に満面の笑みを浮かべる。手に汗握る冒険という程でもなかったが、ここに来るまでの道は平坦ではなかった分、その喜びも一入(ひとしお)であった。

 

 

 

「それじゃあ、早く その占い師に ――――――」

 

「待った」

 

 

 

 善は急げと、息巻くような勢いで言う直葉を、男はピシャリとした言葉で制止させた。

 

 思わぬ言葉に、直葉も秋山も呆然とし、そして怪訝な面持ちを浮かべる。

 ここに至って、何故 止めるというのか。2人が来る事を知っているなら、直葉の目的も知っていると考えられるはずなのに。

 

 そんな疑問を浮かべる2人を尻目に、男は視線を動かす。

 

 

 

 

 

「………“ 招かれざる客 ”だ……」

 

 

「「え……?」」

 

 

 

 

 

 視線の先 ―――――― 秋山と直葉の後方を見ながら、男は忌々しいと言わんばかりに目を細め、そう呟いた。

 

 

 それと同時に、秋山は後方から来る何かの気配を感じ取った。

 

 胸に去来する嫌な予感と共に後ろを振り向く。直葉も、慌てて それに続いた。

 

 

 

「あれは……!」

 

「あっ……!!」

 

 

 

 そして、後ろを見て早々、2人は息を呑んだ。

 

 

 

 3人から見て西側 ―――――― 南北に伸びる《 千両通り 》から、人が屯して歩いて来ていた。

 それは、決して ただの通行人ではない。

 服装は明らかに他を威圧し、かつ自己顕示力を表すような派手な色合いと模様、プリントがされた物である。更には、その手には金属バットや鉄パイプといった、街中で持ち歩くはずもない物を握る者さえいる始末だ。

 そんな、10人近くの物々しい集団が秋山達に近付いて来ている。

 

 嫌な予感が、直葉の胸に去来する。もっとも、こういった場面に慣れている秋山は、そんな予感がなくとも既に確信を持って立っている。向こうの視線は、明らかに秋山達に向けられていたのだから。

 

 

 

「―――――― 見付けたぞ!!」

 

 

 

 不意に、男の大声が響き渡った。

 

 スッと集団の真ん中から自動ドアの如く道が開けられる。その奥から、2人の男が歩み寄って来た。1人は背が高く、もう1人は比較的 小さい男だ。

 

 

 

「!! あいつは……!」

 

 

 

 その内の小さい方に見覚えがあった秋山が、声を上げる。同じく、直葉も その姿に覚えがあった。

 

 

 

 

 

数時間ぶり(・・・・・)だなぁ、オッサン………たっぷり礼をしに来たぜ!!」

 

 

 

 

 

 片方の背が低い男。それは紛れもなく、秋山と直葉が出会った際に直葉に ちょっかいを出していた2人組の片割れであった。秋山が真っ先に戦闘不能にし、もう片方がダウンさせられた際には、恐怖のあまり逃げ出した男だ。

 その男の右手には、白い包帯が巻かれている。特に人差し指と中指には包み込むように巻かれていた。骨折こそしなかったものの、秋山によって硬いコンクリートの壁に思い切り打ち付けたのだ。重傷なのは間違いない。

 

 

 

「おう、『 コウ 』……アイツが例のヤツか?」

 

 

 

 もう片方の背が高く、体格も大きい男が、低く重厚に聞こえる声を響かせて小さい男(コウ)に尋ねる。

 

 

 

「そうだよ、兄ちゃん。アイツが俺と『 リョウ 』をやったんだ!!」

 

「兄ちゃんだって?」

 

「おうよ。『 シュン 』ってんだ。弟が随分と“ 世話 ”になったみたいだなぁ」

 

 

 

 中心人物と思しき2人の人間関係を掴み、ようやく秋山は状況を正確に把握するに至る。

 とは言っても、何という事はない。直葉へのナンパを邪魔し、あまつさえ怪我を負わせた結果を もたらした秋山に、報復を仕掛けて来たのだ。

 秋山にしてみれば、逆恨みも甚だしい。非力な女の子に乱暴しようとし、それが止められると複数で抵抗しようとした末の末路であったというのに。

 

 

 

「なるほどね。自分じゃ敵わないから、兄貴と お仲間に泣き付いたって訳か。中々賢いじゃないの」

 

「なんだと!?」

 

 

 

 とはいえ、こうして報復に来てしまったものは仕方がなかった。相手は数すらも揃えて やって来た。こちら側には直葉もいる以上、対処しない訳にもいかない。

 

 

 

「落ち着け、コウ」

 

「うっ………ぐぅ……!」

 

 

 

 考えを切り替え、まずは軽く挑発して出鼻を挫こうとしたが、それはシュンに阻まれた。極めて短気な弟とは違い、中々に冷静な思考の持ち主らしい。粗暴そうに見える外見とは裏腹だ。周りのチンピラと比較しても その立ち振る舞いには落ち着きが見える。相当に場馴れしているらしい。

 

 

 

「……なるほど、コウやリョウじゃ相手にならないワケだ。オッサン、かなり喧嘩慣れしてるな」

 

「ま、御陰様でね」

 

 

 

 そしてシュンも、先程の やり取りだけで秋山が只者でない事に気付いた様子だ。ただ睨んでいるようで、その実 相手の様子を窺っていた目の色に、少なからぬ闘志が宿ったように見える。

 思ったよりも手強そうな相手に、秋山は皮肉を返しながらも溜息を吐く。地味に相手の名前が自分と同じ(シュン)なのも、気が滅入る要因だった。

 

 

 

「ふん、口の方も一丁前なオッサンだな……まぁ、良い。

 

 事情は どうあれ、ウチの身内に手ぇ出したんだ ―――――― 言い訳は聞かねぇぜ?」

 

 

 

 秋山としては話し合いも考えていたが、シュンの方は問答無用らしい。比較的 理性的に見えるが、それでも実の弟に怪我を負わせた事が許し難い事のようだ。

 更に言えば、やられたままなのは相手に嘗められる事と同義という、チンピラならではの思考も少なからずあるのだろう。秋山も数多のチンピラ、ヤクザと闘り合って来た為、そういった考えも理解できた。

 

 

 10人の取り巻きも武器を取り、体を慣らす動きを見せ、周囲の空気は一気に緊張状態に入る。

 

 

 

「直葉ちゃん、奥へ下がってて」

 

「でも、秋山さん……!!」

 

「俺は大丈夫だ、心配ない。……すまないが、彼女を頼みますよ」

 

「あぁ、解った。お嬢ちゃん、行こう」

 

「………はい」

 

 

 

 いつ点火しても おかしくない空気を肌で感じ取って、秋山は直葉に避難を呼び掛ける。

 初め、直葉は躊躇する。秋山の強さは2度ほど その目で確認しているものの、今回は あまりに戦力差が大きい。いくらなんでも無謀だと、大きな不安を抱くのは無理からぬ事だった。

 しかし、秋山の決意と意思に揺らぐ様子は全くない。

 言葉と表情から これまでにない位の力強さを感じ取った直葉は、後ろ髪を引かれる思いを持ちつつも彼を信じ、手紙を寄越した男と共にチャンピオン街の方へと向かった。

 

 

 

 直葉と男の避難を確認した秋山は、改めてシュン、コウの一派の方へ意識を向ける。

 既に彼等は その数の優位を活かし、秋山に対して半包囲陣系を取っていた。左右、斜めには手下達が囲い込み、真正面にはリーダーであるシュンが陣取る。

 たった1人を相手に、それでも一切の隙を与えないような対応。そこには手練れ、場馴れ云々よりも、自分達に逆らう者に対する情け容赦の無さ ―――――― 残忍性を思わせた。

 

 

 

「さて……覚悟しろよ、オッサン。なぁに、さすがに殺しゃしねぇよ。ただ、その右手は確実に潰させてもらうぜ?」

 

 

 

 コウが負った怪我に対する意趣返しのつもりだろう、シュンが秋山に そう告げる。性格こそ最悪だが、弟想いではあるらしい。

 同時に、秋山を囲む周りの面々も卑下た笑いを飛ばす。今から行なう集団暴行(リンチ)を思い、興奮しているのが見て取れる。人を甚振るのが よほど好きらしい。

 

 

 

 

 

「………フッ……」

 

 

 

 

 

 不意に、秋山が声を漏らした。

 小さな音だったが、シュン一行は聞き逃さなかった。そして、それが何を意味するのかも察した。

 

 

 

「……何 笑ってんだ、オッサン」

 

 

 

 秋山の口角が、片方だけ上がっている。

 それは即ち、笑っている事を表している。それも、そこには侮りの意味合いさえも含んでいる事は明らかだった。

 この期に及んでの そのような笑みに、ある者は訝しみ、シュンを始めとする者は怒りを覚える。

 

 

 

「いや、悪い。ちょっと、堪え切れなくなってね」

 

「あぁっ?」

 

 

 

 申し訳なさそうに言葉を紡ぐ秋山だが、そこには詫びる気持ちなど微塵も籠ってないのは明白だ。現に、今も堪え切れずに笑っているのだから。

 あからさまに小ばかにしている態度に、おのおの の怒りは膨れ上がり、殺気の域にも届かんばかりだ。遠目で見守っている直葉は秋山の行動が理解できず、オロオロするしかない。

 

 

 

 

 

「さっきから黙って聞いてりゃ ―――――― まるで俺が このまま、為すがままでいる みた(・・・・・・・・・・)いな言い方じゃない(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

「は………ハッハッハッハッハッハ!!!!」

 

 

 

 一瞬、秋山の言葉を理解できなかった。

 しかし、時間と共に その理解が及ぶと、シュンはポカンとした表情から一転、大爆笑した。

リーダーに釣られて、周りのチンピラ達も笑い出す。

 

 

 

 秋山は こう言ったのだ ―――――― 俺が黙っているだけだと思うか、と。

 

 

 

 彼等にしてみれば血迷ったにも等しい言葉だ。

 そこそこ喧嘩馴れしているかもしれないが、所詮は1人。圧倒的 不利な状況に置かれているというのに、この台詞。

 怒りも通り越して笑うしかなかった。腹も捩れる程に、シュン一行は爆笑を続ける。

 

 

 そんな品のない男達の様を見て、直葉は不快な気持ちになる。

 人を傷付け、人を馬鹿にするのが当たり前だと言わんばかりの言動に、人として純粋な心を持つ彼女が怒りを覚えないはずがないのだ。

 けれども、非力な自分は何も出来ない。剣道を嗜んでると言っても、あくまでもスポーツの範疇。まして、得物もなしに大人数を相手に戦えるはずもなかった。

 ある意味では自分も騒動の原因であるとの認識を持つ直葉にとって、ただ秋山に頼る他ない現実は極めて歯がゆい物だった。

 

 

 人数の不利。

 

 

 状況の不利。

 

 

 あらゆる点において、秋山の不利が定まっていく。場の空気も、濁った質のものが支配しようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ ――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中において、秋山ただ1人だけは、全く その立ち振る舞いを変えなかった。

 

 

 

 一言 ―――――― それだけで、不思議と場の空気に、凄まじいまでの緊張が走る。

 

 

 

 赤子の一突きでさえも、容易く切れてしまう程のものだ。

 

 

 

 一部が そんな感覚に戸惑いを覚える中、秋山は自然な動きで もって構えを取る。

 

 

 

 

 

 そして ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「  もう お喋りは充分だろ ―――――― さっさと来いよぉ!!!  」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――― まさに、神獣の咆哮の如き叫びと共に、それは切られた。

 

 

 

 

 

「っ!! やっちまえぇっ!!!!」

 

 

 

 

 

 刹那、シュンの体に“ 違和感 ”が走る。

 

 しかし、すぐさま それを忘れるように跳ね除けると、即座に攻撃開始の下知を下す。

 

 想定とは違う秋山の戦意の高さに僅かに気圧されつつも、包囲を為していたチンピラ達は攻勢を開始する。

 おのおのが武器、凶器を持ち、あるいは素手(ステゴロ)のまま、我先にと突っ込む。

 

 

 待ちに待った喧嘩 ―――――― 否。“ 狩り ”の時が来たのだ。

 

 

 その表情と眼には、餌を抜かされ我慢を強いられた猟犬の如き獰猛さが宿っていた。

 

 

 そして そのまま1秒と経たずに、秋山は いずれかの“ 牙 ”の猛威に晒される

 

 

 

 

 

 

 

  ゴキィッ

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――― はずだった。

 

 

 

 

 

 ある者は、音だけを聞いた。

 

 

 ある者は音と共に、視界が真っ暗になった。

 

 

 

 全員に共通する事 ―――――― それは、皆が秋山を見失った事だ。

 

 

 

 

 

「…っがご……?」

 

 

 

 

 

 くぐもるような声が流れる。その声の主は、秋山を正面から襲った1人だ。

 

 そして その男は今、宙に浮いていた(・・・・・・・)。 

 

 男には訳が解らなかった。

 何故、自分は こんな状況に陥っているのか。

 

 解るのは、今の自分の状況と、顎に残る凄まじい衝撃、そして、最後に目に映った者(・・・・・・・・・)

 

 

 

(あり……得ない……こんな…… ――――――)

 

 

 

 記憶に残る その男の表情を浮かべ、浮遊感に身を泳がせながら、男は意識を手放していった。

 

 

 

 ドサッという鈍い音が響く。

 

 

 更に、何かが地を踏み締める音も聞こえる。

 

 

 大地を踏み締めた者 ―――――― それは誰あろう、秋山だ。

 

 

 そう、彼は周囲の攻撃が始まると同時に地を蹴って駆け、そして真正面にいたチンピラに飛び膝蹴りを喰わらせて昏倒させたのだ。

 それは、物の見事に大命中(クリーンヒット)。180に迫る長身、80に近い体重が、凄まじい速さを もって勢い付かせたのだ、その威力たるや想像に難くないものであろう。チンピラは鼻周辺を真っ赤に染め、鼻血を流しながら白目を剥いていた。

 

 あまりに一瞬の間の一連の動きを目の当たりにして、他の面々には衝撃が走った。仲間を 呆気なく脱落させた秋山の早業を見て、急激に狭まっていた攻勢が弱まったのだ。

 

 

 それは時間にして1秒 有るか無いか ―――――― しかし その刹那を、秋山は逃さない。

 

 

 顔を上げた秋山が、前方と左右を瞬時に見渡す。そして、左手側にいるバットを持った男の動揺が特に大きい事を確認する。

 

 

 

「ふっ!!」

 

 

 

 即座に行動に移る。

 着地で下がった体勢の脚に力を籠め、そして発する。バネの如き弾性力を持った脚は、1メートル近く離れていた男の すぐ近くまで接近する事を可能にした。

 

 

 

「しゃああっ!!!」

 

 

「ごふっ!!」

 

 

 

 2人の距離が ほぼ無くなった所で、秋山は右脚を振り上げる。勢いと速さが合わさった蹴りは、寸分違わず男の顎に喰い込み、頭を押し上げた。

 顎の衝撃が脳にまで届き、それは脳震盪へと発展。男の意識は堪らず遮断される事となり、そのまま背中から地に倒れる。

 

 

 

「野郎!!」

 

 

 

 2人目の脱落に、鉄パイプを持った1人が激怒しながら襲い掛かる。

 渾身の力で振り下ろされた鉄パイプは秋山の頭部を捉えており、秋山は僅かに体を捻る事で躱す。

 ブゥン、という風を切る音が響く。間違いなく直撃すれば頭蓋骨がヒビ割れ、あるいは砕ける程の威力だ。

 

 遠目で見ている直葉が、一切の加減を見せないチンピラに恐怖さえ抱く。

 

 だが、秋山は あくまでも冷静である。

 相手の動きを観察し、男が鉄パイプを振り下ろし切ると、再び振り被るまでに小さな隙(タイムラグ)が生じたのを見付けた。

 

 

 

「てえぇい!!」

 

 

「なぁっ!?」

 

 

 

 そして間髪入れず、低くしていた姿勢を更に下げ、両手を地に着けると その場で右脚を回転させる ―――――― 足払いである。

 手元に集中する あまり足元が御留守になっていた男は咄嗟の対応が出来ず、雪で滑ったように そのまま尻餅を()き、そして仰向けに倒れる。

 

 

 

「どおぉりゃあっ!!!」

 

 

「ぐほおぉっ!!?」

 

 

 

 戦いにおいて倒れる事は、即 敗北()を意味する。

 完全に無防備になった男に、秋山は己の全体重を掛けた踏み付け攻撃を見舞った。その無慈悲なまでの攻撃は男の肋骨、ひいては内臓も衝撃を与え、耐え難い激痛に全ての息を吐き尽し、男は悶絶の後 完全に倒れた。

 

 

 

「コ、コイツ……っ!!」

 

「何なんだ、このオッサン!?」

 

「くそぉ!!」

 

 

 

 瞬く間に、3人もの仲間がリタイアしてしまった結果に、残りの面々の士気は大いに揺れ始めていた。

 しかし それでも、数の上では絶対的に優位のままだ。まだまだ勝機は自陣にあると、真っ先に戦意を取り戻した1人が突貫を開始する。

 

 

 

「おらあっ!!」

 

 

「ぬおぉっ?!」

 

 

 

 そして何と、そのまま勢いを落とす事なく秋山の懐に飛び込み、掴み掛ったのである。

 我武者羅な攻撃が来ると思っていた秋山は それ以上に捨て鉢な行動に対応が遅れてしまい、がっちりと固定されてしまう。

 

 

 

「くそっ! このぉっ!!  っ!?」

 

 

 

 秋山は肘内で背中を打って拘束を解こうとする。しかし男は痛みに悶えつつも中々に しぶとく抵抗し、その手を放そうとしない。

 拘束の解放に手間取っている中、秋山は ふと、左右からの殺気に気付いた。

 

 

 

「でやあああっ!!!」

 

 

「死ねやああっ!!!」

 

 

 

 左からは角材を、右からはバットを振り被ろうとする男達の姿があったのだ。

 

 

 解かざれば“ 死 ” ―――――― それが頭に過ぎった時、秋山の脳は1つの“ 枷 ”を外した。

 

 

 

 

 

  バキッ!!

 

 

 

   ゴキィッ!!

 

 

 

 

 

 硬い物が肉に喰い込む、鈍い音が響く。

 

 だが、左右で確かな手応えを感じた男達は狂喜ではなく、驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

 

「ぎゃああああっ!!?」

 

 

 

 何故なら、2人の武器が喰い込んだ相手は、自分達の仲間(・・・・・・)だったからだ。

 

 秋山は腰を掴む男の首元を押さえ、何と そのままプロレスのスープレックス系の如き動きで男を持ち上げたのだ。桐生や冴島ほどでないにせよ、秋山も自身と同じか それ以上の男でさえ投げ飛ばせる程の膂力の持ち主である。まして相手が自分よりも体格が小さければ、多少 無理な体勢でも投げるのは さして苦ではなかった。

 秋山と入れ替わるようになり、拘束していた男は仲間からの攻撃を両脇に受けてしまったのだ。まさかの巻き返し方に驚き、同時に仲間に攻撃を加えてしまった事に2人は激しく動揺した。

 

 秋山は、それを逃さない。

 

 素早く悶絶の末に気絶した男を手放すと、転がりながらバットを持つ男の前に現れる。

 相手が それに気付くも対応される前に、回転を加えた蹴りを放ち、それが腹部に見事 直撃。男は悲鳴を上げながら大きく吹き飛び、その先にあったゴミの山に突っ込んで そのまま気絶した。

 

 

 

「くそぉっ!!」

 

 

 

 次々と仲間が やられていく様に、角材を持った男は半ば自棄になりながら得物を振り被る。

 だが、その攻撃は決して速くはない。加えて殺気も丸出しで大声まで上げては避けてくれと言っているようなものであり、秋山は体を回して苦もなく躱す。

 そして躱した際の回転を利用し、返す体で力を籠めた脚を男の胸部に叩き込んだ。勢いよく吹き飛ばされた男は、そのまま近くの壁に激突し、体の背部に激しい痛みと肺から空気が無理矢理 吐き出される感覚を味わう。

 

 

 

「ごっ……」

 

 

 

 肺、肋骨、背骨という人体にとって重要な箇所に度重なる圧力を負った男は、脳が痛みを処理し切れなくなり、遂に意識を断ち切る事となった。

 

 

 

 

 

「なっ……何なんだよ、これ……っ」

 

 

 

 

 

 シュン、コウら一行は、混乱の極致にあった。

 

 

 眼前に広がるのは、四方で転がる仲間の姿と、それらの中で悠然と立つ秋山の姿。

 

 

 こんなはずではなかった。

 彼等とて、喧嘩が日常茶飯事の神室町で幅を利かせつつあるチームの1つだ。一方的な暴力(リンチ)は元より、同勢力との戦争だって幾度か経験してきた。

 だから、コウの言葉で秋山が手練れという事も解っていたし、威圧と保険も兼ねて全兵力を投入しての戦いに及んだのだ。

 それでも、相手は たった1人。2、3人は倒れたとしても、その勢いのまま自分達が捩じ伏せるのは確実だと確信していた。

 

 だというのに、目の前に広がる光景は、そんな彼等の予想を嘲笑うかの如きだった。

 被害は自分達の頭数のみ。しかも、既に それは半壊の域を超えている。それでも、肝心の秋山には傷一つ負わせる事すら叶わない。

 

 

 

「くそ……っ!」

 

 

 

 忌々しいにも程があった。シュンは、胸中で煮え滾る怒りを口から放出させるように呟く。

 不安そうに、メンバーが顔を向ける。その表情から察するに、撤退すら考えに入れているのだろう。

 だが、そんな事は出来ない。

 自分達は持ち得る全ての戦力を擲って ここにいるのだ。それを、たった1人の人間の為に敗走したなどと知れれば、自分達の“ 看板 ”に拭い切れない泥が付く。それは即ち、神室町からの撤退すらも意味する事だ。そんな事、認められるはずもなかった。

 

 

 

「行くぞ、テメェら!」

 

 

 

 シュンが、残った3人の部下に号令を下す。

 ここまで追い込まれた時点で看板に傷が付いたも同然だが、まだ挽回のチャンスは残っている。つまり、それ程の手練れである秋山さえ倒せれば、失った名声すら及びも付かない武勇を得るだろう。

 もはや、それしかない ―――――― 裏の世界に片足を突っ込んでいる人間として、敗北は“ 死 ”を意味する事を自覚する彼等は、覚悟を固める他なかった。

 

 

 

 シュンを先頭に、最終局面の火蓋が切られた。

 

 

 

 

 

「降参する気はないか……まぁ ―――――― そうだよなっ!!

 

 

 

 残りの面々が向かって来るのを確認し、秋山は僅かに抱いていた自らの楽観を自嘲するように言った。

 秋山にすれば取るに足らないチンピラだが、彼等にだって彼等なりの意地、矜持がある。チームを半壊させた事で それを大いに刺激した事を理解している秋山は、残った甘さを引っ込め、最後の戦いに意識を集中させた。

 

 

 

「どおおらあっ!!」

 

 

 

 先頭を切ったシュンが、真っ先に秋山に襲い掛かる。

 助走を付けての突進から姿勢を低くし、下からのパンチを繰り出して来る。それを秋山は僅かに横に逸れて躱すと、そこから間髪入れず二の腕を狙って蹴りを行なう。

 しかし、それはシュンの防御によって防がれる。その際、シュンは腕のみならず、脚も上げて防御に用いるスタイルを見せた。

 それを見て秋山が“ ある事 ”を察するも、考える間も与えないようにシュンのジャブが秋山の顔を狙う。流れた思考を ひとまず跳ね除け、秋山は後ろに下がって それを避ける。

 一旦 距離を取った秋山だが、それを見越していたようにシュンが下半身に力を籠め始める。

 

 

 

「ふっ!!」

 

 

 

 そして充分に引き絞った右脚を、秋山の頭 目掛けて蹴り上げた。

 動いたばかりで躱す事は困難だと判断した秋山は、腕と足で それを防いだ。受け止めた瞬間、腕と足の筋骨にミシミシと圧力が掛かる。

 それは、これまでの雑魚とは比べ物にならない位の速さ、重さを誇るハイキック ―――――― 否。テッカンコークワァー(右脚のハイキック)であった。

 

 

 

(やっぱり、ムエタイ使いか…っ)

 

 

 

 タイにおいて国技と指定され、今や本国以上に海外で知名度を上げるスポーツ。

 それこそ、シュンが用いる戦いのスタイルであった。

 ボクシング等とは異なり、両手、両脚、そして両肘、両膝をも加えた多くの攻撃方法がある格闘技だ。その多彩さと全体的な威力の大きさ等から、一部では“ 最強の立ち技 格闘技 ”とまで言われている程である。

 

 厄介なものを習得していると、内心 愚痴を溢したくなる秋山。

 そんな気持ちなど知った事かと言わんばかりに、シュンの猛攻が始まる。

 渾身の蹴りから体勢を戻すと、即座に秋山へと肉薄を開始する。その際、両手を使ってのジャブ・ガ・ムエイ(ムエタイ式のジャブ)で顔面を狙いつつ牽制を行なう。

 秋山も それらを躱し、あるいは腕で防御しながら相手の隙を伺う。

 

 

 

「うおおおっ!!!」

 

 

「ぬおぉ?!」

 

 

 

 だが、シュンは ここで出方を変えてきた。

 秋山が防御で見せた一瞬の隙を狙い、一気に接近して掴み掛って来たのだ。両腕でガッチリと掴んでの それは、ムエタイでは お馴染みのモエパン(首相撲)である。

 そこから秋山の動きを封じつつ、両膝を用いてのティーカウ(膝蹴り)を行なった。首元を抑えられ、無理矢理 体勢を崩される苦しみに耐えながらも、秋山は手で防ぐなどして、それらを防御する。

 

 ムエタイは、タイに伝わる白兵戦用の武術から発展したスポーツであり、古今東西の似た格闘技と比べても、実戦向きだった当時の性質を色濃く残していた。故に、他のスポーツなら反則とされるような技も多く取り揃っているのである。

 秋山も、これまでの喧嘩や戦いで多くのスポーツ習得者を相手取って来た実績がある。その中でも、特に実戦向きと言えるムエタイ使いは、やはり厄介だと言わざるを得なかった。

 

 

 

「―――――― っ!?」

 

 

 

 と、不意に秋山の脳裏に独自の警鐘が響いた。

 

 

 

「おらあっ!!!」

 

 

 

 秋山が身動き出来なくなったのを見た1人が、秋山の背後を強襲したのだ。

 残った取り巻きの3人は、全員 素手だったのを覚えている。しかし、今ここで無防備である背中に一撃を受ければ、たちまちシュンの猛攻を許し、ひいては秋山の敗北に直結するのは必定。

 だが、首元を未だシュンに掴まれている現状では、迎え撃つ事も容易ではない。後ろの気配が ますます大きくなるのを感じる。

 

 

 そして秋山は、考えるよりも先に行動に移った。

 

 

 

 

 

  ドゴゥッ!!!

 

 

 

 

 

 不意に“ 重い音 ”が響いた。

 

 

 

 

「ぐぎゃあああっ!!?」

 

 

 

 

 そして程なく、男の悲鳴が上がる。秋山を拘束しながら舎弟の行動を見ていたシュンは驚愕の表情を見せる。

 拘束していた為に全ては見えていなかったものの、秋山が僅かに体を動かした事は解っていた。そして それからの、舎弟が股間を抑えて悶える姿(・・・・・・・・・・)

 それらを見て、シュンは秋山が行なった行為を理解するに至った。

 

 

 

「おらぁっ!!」

 

 

「ぐっ?!」

 

 

 

 そんなシュンの僅かな動揺を逃さず、秋山が拘束の中で頭突きを見舞った。それは鼻や眉間辺りを直撃し、シュンは思わず拘束を解いてしまう。

 自由になった秋山。そして その背後では、未だ股間を抑えながら身悶える男。

 

 

 瞬時に それを確認した秋山は ―――――― その場で跳び上がった。

 

 

 助走も何もなしの跳躍だが、それでも秋山は1メートル近くも高く跳ねた。やがて背中側から回転が掛かり、脚側が天を突く形になる。

 空中で逆さまになる秋山。そんな彼と、一瞬 目が合った男。その一瞬だけ痛みを忘れ、脳裏や胸中に言葉では表せないような圧迫感を覚える。

 

 

 そして ―――――― 秋山は更なる回転ともに、その右脚に力を加える。

 

 

 

「てりゃあああっ!!!」

 

 

「ぐええぇっ!!!?」

 

 

 

 その動きは空中での回転蹴りへと昇華し、回転と落下の勢いで威力が増した蹴りを、秋山は男の脳天へと直撃させたのだ。プロのサッカー選手も顔負けなオーバーヘッドキックである。

 その威力は凄まじく、蹴りを受けた瞬間から受けた方向へ男の体が回転し、そして一瞬 宙に浮いた後、背中から倒れ込んだ程だった。

 

 

 これこそ、秋山が誇る喧嘩殺法(ヒートアクション) ―――――― 金的(きんてき)の極み 》だ。

 

 

 男にとって永遠の急所を強打された挙句、脳天への一撃と背中からの転倒。男には到底 耐えられるものではなく、口を開けて気を失った。

 

 

 

「く、くそぉ……っ!!」

 

 

 

 痛む顔面を押さえながら、シュンが悔しさに言葉を漏らす。

 みすみす好機を逃してしまった事への苛立ちと同時に、真後ろからの奇襲に瞬時に反応し、あまつさえ撃破してのけてしまった秋山の力量に末恐ろしいものを感じ始めていた。

 

 

 その時 ――――――

 

 

 

「う、うわあああっ!!!」

 

「ああああああっ!!!」

 

 

「っ!! 待てっ、お前ら!!」

 

 

 

 彼等チームの中で最も強い心身を誇るシュンが、少なからず恐れを抱き始めた。であれば、彼より数段 劣る面々は それ以上なのは自明の理。

 結果、恐れのあまり判断力を失い、完全に自棄(ヤケ)になって無謀な突撃を行なってしまった。シュンの制止の声も聞かず、2人は秋山へと接近する。

 

 

 

「く……っ!!」

 

 

 

 止められない事を悟ったシュンは、自分も後を追い掛ける。

 (シュン)という人間は、やっている事や思考は非行少年。まさに“ 社会の敵 ”そのものと言っても良い。だが、その一方で仲間と認めた相手には気を遣う事を忘れない義理堅い面もあるのだ。

 思慮が足らない面はあるものの、弟の訴えを疑いもせずに聞き、取り巻きも彼を見捨てて逃げ出さない辺り、彼等なりの繋がりを垣間見る。

 

 

 そんな彼等の姿を見て、そういった事を思索する秋山。彼等にしてみれば、それは とても尊いものであり、美しくもあるだろう。それを否定はしない。

 

 

 だが ―――――― それでも彼等は間違った行為を働いた。

 

 

 秋山は彼等と戦い、察していた。彼等の強さは ともかく、残忍性は本物だった。それは即ち、今までも同じような行為を働いてきたという事。

 それが、彼等と同じような相手なら まだ良い。だが、それだけでない事を、秋山は確信している。

 

 何故なら、そういった連中は(すべか)らく“ 弱者を甚振(いたぶ)る ”のを楽しむからだ。

 

 認めるのは自分と、自分達が認める人間のみ。それ以外は、塵芥にも等しい。

 それが、彼等のような人間の主だった思考なのだ。

 

 であれば、秋山に遠慮する理由はなかった。

 

 もし、ここで自分が倒れるような事があれば、下手をすれば直葉にも飛び火する。元々、コウが直葉に ちょっかいを出そうとした事が発端だったのだから。

 

 

 

 そうして ―――――― 全てを決する覚悟を固めた秋山は、駆ける。

 

 

 

 未だ秋山と2人、そしてシュンとの間には距離があったが、それを一気に詰めるような速さだ。

 相手からの突進に、恐怖で突っ込んだ2人は恐ろしげに反応するも、今更 止まる事も出来ず、我武者羅に加速して力を溜めようとする。

 

 

 

 

 

 やがて、2者と1人が激突する ―――――――――

 

 

 

 

 

「どおりゃっ!!!」

 

 

「「 っ!? 」」

 

 

 

 ―――――― 事はなかった。

 

 

 

 両者が ぶつかる瞬間、秋山は突如として跳躍を行なったのだ。

 不意の行動に、2人は思考が乱れて動きが鈍り、迎撃も不発に終わった。

 

 

 そして、動きが鈍った2人の肩に、秋山は脚を着け ―――――― 更に跳ぶ。

 

 

 

「なあっ!?」

 

 

 

 それを、部下2人に続いていたシュンは見た。

 2人の肩を踏み台とし、優に3メートル近く跳び上がった秋山を見て、驚愕に染まる。同時に、危険も察する。動揺する心を落ち着かせ、目で追って可能ならば迎撃もしてみせようと意気込む。

 

 

 だが、そこで思いもよらぬ事が起こった。

 

 

 

「っ……?!」

 

 

 

 秋山を目で追い、空を見上げた時 ―――――― 視界を、閃光が遮った。

 

 そう、地表を照らす太陽だ。

 

 秋山を追う事に執着するあまり、思わず太陽を直視してしまったのである。網膜も虹彩も焼き尽くさんばかりの光を まともに受け、シュンは堪らず目を閉ざしてしまう。

 

 

 それが、致命的な隙となってしまった。

 

 

 太陽による目潰しは秋山にとって思わぬ幸運だったが、瞬時に自身の勝機を感じ取り、迷わず行動に移る。

 最高高度まで上がった事を感じ取ると、すぐさま利き足である右脚を伸ばし、シュンに狙いを定める。

 

 

 そして ―――――― 落下の勢いをも利用した跳び蹴りを炸裂させる。

 

 

 

 

 

「 せえいやあああああっ!!!!!!! 」

 

 

 

 

 

 それは寸分違わずシュンの顎を捉えた。太陽の光で視界を閉ざされ、反応できずにいたシュンには為す術がなかった。メキメキ、ゴリゴリといった、人体にとって良くない音が流れる。

 

 

 

「っご……っ!」

 

 

 

 顎関節を中心とした圧迫、そして顎を強打した事による脳震盪。いかに強靭な肉体を持つシュンも、脳を揺さぶられては耐えられない。

 

 

 ましてや、脚技は秋山の十八番なのだ。その威力も半端ではない。

 

 

 

 

 その威力に弄ばれるが如く、シュンの その巨体は大きく宙に舞った。

 

 

 

 そして、秋山の攻撃は まだ終わっていない。

 

 

 

 シュンを屠った直後、彼が地面に着く事はなかった。シュンの顔を踏台代わりにするように、蹴った脚で更に力を籠め、三角飛びを行なったのだ。

 再び、その場で宙に浮く秋山。その人間離れした動きを見た2人は、驚きのあまり開いた口が塞がらなくなる。

 その隙に、秋山は浮いた状態で体勢を入れ替える。体の向きを逆にし、秋山が空を向く形となる。そして そのまま、両脚を広げて伸ばした。

 

 

 その矛先は ―――――― 2人の脳天である。

 

 

 

 

 

「 でええええいっ!!!!! 」

 

 

 

 

 

 自由落下の勢いを加えた蹴りは、宙に浮いた体勢からでも凄まじい威力を発揮した。

 両脚とも、2人の脳天に踵が命中し、そのまま地面に叩き付けられた事で、2人もノックダウンと相成った。

 

 

 

 これぞ秋山の喧嘩殺法――――――三角(さんかく)()びの極み 》。その発展形である。

 

 

 

 

 

 

 

 時間にして、僅かに3分そこそこ。

 

 

 

 

 

 泰平通り東の道に、再び静寂が流れ始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この喧嘩は ―――――― 秋山 駿の完全勝利であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ………終わったか……」

 

 

 

 起き上がりながら服に着いた汚れを払い落とす秋山。

 溜息こそ吐いているが、さほど疲れている様子は見受けられない。ちなみに、彼は きちんと受け身を取った為、傷らしい傷は一切 皆無である。

 一応、シュンに掴まれた首元や防御した腕などには若干の違和感があるが、それも間もなく引くだろう。

 

 改めて、周囲を見渡す。

 そこかしこに転がる、シュン一行の姿。ある者は仰向けに、ある者は うつ伏せに、壁に、ゴミ捨て場に、まるで捨てられた人形の如くだ。

 いずれも、意識を飛ばしている様子だ。強めに頭や内臓を刺激したので、当分は目を覚まさないだろうと踏んでいる。

 

 

 ならば、今の内に本来の目的を果たそう。

 

 

 

 

 

「キャアアアアア!!!!!」

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 

 

 そう思った瞬間だった ―――――― 悲鳴が響き渡ったのは。

 

 

 そして、その悲鳴には覚えがあった。そして、声がした方角にも。

 最悪な予想が過ぎる。そして、それは ほぼ確実であろうという現実も、秋山は認識していた。

 

 

 

 振り向いた、その先には ――――――

 

 

 

「直葉ちゃん!!」

 

 

 

 チャンピオン街入り口に、“ 拘束された ”直葉の姿があった。

 

 

 

「あ、秋山さん……っ!」

 

 

「テメェ……よくも やってくれやがったなぁ!!!」

 

 

 

 拘束しているのは、コウであった。

 負傷している右腕で首を絞めるように固定し、直葉の身動きを封じていたのだ。

 

 しかも、それだけではない。

 

 

 

  バチバチッ……

 

 

 

 コウの左手には、スタンガンが握られていたのである。既にスイッチが入れられ、青白い閃光を放って放電している。それを、直葉の首元に突き付けていたのだ。

 

 

 

「お前……っ!!」

 

 

 

 悪態を吐きながら、秋山は己の失態を悔いた。

 コウは戦闘中、一切 手出しをして来なかったので、今回は兄達の応援に終始すると決め付けてしまっていた。加えて、自身の抵抗の為に利き手も負傷している。故に、脅威度の低さから頭の片隅に置いてしまっていた。

 

 その為に、頼みの兄達が敗れ去った際、彼が冷静さと正気を失い、暴挙に及ぶ可能性を考えていなかったのである。

 

 この代償は高かった。

 

 自分1人なら、どうにでもなった。だが、か弱い女の子を人質に取られては、おいそれと手出しが出来ない。

 

 

 

「うぅ……っ」

 

 

 

 また、直葉とコウの近くで、手紙を送った男性が苦悶の声を上げて倒れている。コウのスタンガンで無力化されたのだ。

 直葉だけでなく、その男性すらも被害に遭わせてしまった。自分の至らなさを目の当たりにして、一瞬でも勝利の余韻に浸っていた自分を蹴り飛ばしたくなる気分であった。

 

 

 

「馬鹿な真似は やめろ!! もう勝負は着いた。その子は関係ないだろう!」

 

 

 

 だが、今は自分を責めてる時間もない。

 自責の念を一旦 片隅に追いやり、コウへの説得を試みる。

 最悪、聞き届けずとも矛先を自分に向けさえすれば良い。万一スタンガンで攻めて来ても、自分なら無力化できる自信は充分にある。

 

 

 

「う、動くなテメェ!! ちょっとでも動いてみろ、コイツはタダじゃ済まねえぞ!!」

 

「ひッ!?」

 

 

「くっ……!!」

 

 

 

 しかし、コウは酷く興奮状態にあり、聞く耳を持とうとしない。

 兄達が敗れ去り、その為に今後 自分達がどうなるかを想像して恐怖に駆られたのだ。その脳裏には前科や報復といった単語や光景が浮かんでいる事だろう。

 それは正直 彼等の自業自得ではあるが、今の状況では拙い。

 

 コウのスタンガンを持つ手は、目に見えて震えている。今は まだ大丈夫だが、ふとした拍子で直葉に触れでもしたら一大事だ。スタンガンは よほど酷い改造でもしない限り人が死ぬ事はないが、触れる箇所が神経などが多くある所であれば、最悪 後遺症が残る可能性もある。

 

 人として、男として、そんな一生ものになるような傷を、少しでも付けさせる訳にはいかなかった。

 

 

 

「解った、落ち着け! 今回の事は、俺の胸に仕舞っておいてやる。だから彼女を放すんだ、今すぐ!」

 

「く、来るな!! マジで この女 感電させちまうぞっ!!」

 

「うぅ……っ!!」

 

「お、おい、やめろ!! 頼むから やめろって!!」

 

 

 

 秋山は必死に心からの嘆願を行なう。

 自分の誠意や彼等の今後の無事を懇々と説くが、やはりコウの悲愴なまでの興奮は治まる様子はない。手を広げ、自分は無害である事を見せる秋山の姿にさえ過剰に反応し、スタンガンを持つ左手に異常なまでの力を籠める。

 ますます、スタンガンの電極が直葉の肌に近付く。拘束されながら それを感じ取る直葉は、恐怖に身を強張らせるしかない。

 その痛ましい姿に、秋山は どうしようもない苛立ちと焦りが走る。

 

 そして、コウが秋山から逃れるように動き始める。その先はチャンピオン街だ。

 

 もしかしたら、直葉を人質にしたまま逃げるかもしれない。最悪の展開が秋山の脳裏に過ぎる。

 

 そうなったら、それこそ彼女の無事は保証できない。

 興奮し切って冷静さを欠いた男が女に何をするか(・・・・・・・・・)、それこそ解ったものではないからだ。

 

 

 

「待て!! 待てって……!?」

 

 

 

 ここで逃がす訳にはいかない。

 

 改めて そう考え、再び説得を試みようとした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 秋山の視線の先に、予想だにしなかった光景が広がったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コウは、混乱の極致にあった。

 

 

 彼は、彼の兄・シュンが率いるギャングチームの一員だ。もっとも、リーダーの実弟である為に、実質 彼がサブリーダー的な存在であった。

 その地位を利用して、彼は今まで自分の欲望の赴くままにやって来た。

 人を殴ったり蹴ったりとした暴力は元より、ひ弱そうな人間から金を巻き上げ、挙句には目を付けた女性を、無理矢理 “ 手籠め ”にした事も1度や2度ではない。

 彼自身、喧嘩は得意ではない。いつも、それら行為に目を付けられては兄達を頼って掻い潜って来た。故に、今回の事も、兄に任せれば万事 上手くいくと確信していたのだ。

 

 

 兄達がいれば、自分は無敵 ―――――― そんな“ 幻想 ”は、木っ端微塵にされた。

 

 

 その兄達は全員 敗れ去ったのだ。たった1人の男の為に。

 確かに、自分が戦った際は手強いと思っていた。だが、自分が さほど強くない事は自覚していたし、それでも兄達が数に物を言わせれば問題ないと本気で考えていたのだ。

 

 だが、結果はご覧の有り様である。

 

 今や、自分は丸裸も同然。秋山は何もしないと言っているが、この事は瞬く間に神室

町中に広がるだろう。この街の独自のネットワークは尋常ではない。

 自分達の地位は既に陥落したも同然だ。今に、この街にいられなくなる。それだけの事をしてきた事は自覚していた。

 

 故に、今の行為は完全に自棄である。

 

 自分は どうあっても破滅。ならば、最期くらい惨めなまでに往生際の悪さを見せる事だってしてのける。

 

 ふと、自分が拘束している少女に意識が向いた。

 

 何故、今そんな意識が向いたのか自分でも不思議だったが、おそらく(オス)としての本能だと直感した。

 自分の腕の中で固まり、震えている少女。その体からは、男には到底 発する事の出来ない良い匂いが漂って来る。

 

 

 瞬間 ―――――― 自分の体に、今とは別の“ 熱 ”が宿る感覚が走る。

 

 

 コウは密かに、邪な笑みを浮かべる。

 もはや、冷静な判断はおろか、人としての理性すらも完全に傾いていた。脳裏に浮かぶ“ 快楽 ”を思い起こしながら、その場から逃れようとする。

 

 秋山は未だ、自分を説得しようとしている。

 よほど この少女が大事なのだろう。強硬策に出ない事は今の自分にとって都合が良かった。

 

 

 

(もう、どうなったって構いやしねぇ……!! どうやったって終わりなら……っ)

 

 

 

 まずは、この場から離れる事。

 どうせ遠くへは逃げられない。秋山が警察に連絡すれば、容易く見付かってしまうだろう。

 

 

 ならば ―――――― 娑婆の最後に、せいぜい楽しませてもらう(・・・・・・・・)

 

 

 決して固めてはならない決意を固め、コウはチャンピオン街の方へ後ろ歩きで歩く。

 このまま曲がり角に入ったら、そのまま近くの空きビルにでも入って事に及ぼう(・・・・・)。完全に人としての理性を欠いてしまった彼は、その事に些かも疑問を持たなかったのである。

 それこそ、本当の意味で“ 破滅 ”を齎すというのに。

 

 

 絶望と快楽に その思考を溺れさせながら、歩き続けた時だった。

 

 

 

 

 

  ドンッ

 

 

 

 

 

 彼が、“ 何か ”に ぶつかったのは。

 

 

 

「あぁ… ―――――― ッ!!!?」

 

 

 

 何事かと振り向いた刹那だった ―――――― 圧力(・・)と共に、何かが彼の視界を覆い尽したのは。

 

 

 

「ガッ……あぁっ?! ああああアアアアアッ!!!?」

 

 

 

 肉が、神経が圧迫される。ミシミシと、頭蓋骨が軋む。

 唐突に訪れた暗闇と、筆舌に尽し難い激痛に、コウは激しい混乱と共に劈くような悲鳴を上げた。

 

 

 そして、不意に彼の体に浮遊感が走る。

 

 

 突然の事に、直葉の拘束も解いてしまう。彼女の小さな悲鳴が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― 何しとんじゃ………ワレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声が、聞こえた。

 

 低く、重く、ただ響かせるだけで人を委縮させるような感覚を思わせる声色だった。だが、コウには聞き覚えのない声だ。

 そして それが、自分に向けられている事に時間差で気付く。

 同時に、自分が その人物によって頭部を掴み上げられている事にも。

 自分の頭部を圧迫するのは、その謎の人物の手と指なのだと。

 

 

 

「っ!! うあああっ!!!」

 

 

 

 コウの思考は、とうとう正気を失った。

 何も見えず、訳が解らず、ただ ひたすら今の状況を跳ね除けようと左手に持ったスタンガンを振り回そうとする。

 しかし、その手も あっさりと掴まれるのを感じ取る。更なる恐怖の中、振り解こうと もがくがビクともしない。自分を掴み上げる力といい、恐るべき腕力であった。

 

 

 もはや言葉にすらならない悲鳴を上げる中、コウを掴み上げる人物が再び口を開く。

 

 

 

「フン。何や、物騒な(もん) 振り回すやないか。

 

 

 ワレ………こない物騒な(もん) ―――――― 小っこいガキに向けたっちゅうんか!? オォッ!?

 

 

「ぎゃあああああアアアア!!!?」

 

 

 

 スタンガンを握る左手に、今までとは比べ物にならない圧迫感が襲い掛かる。今にも骨が折れ、肉が裂けんばかりの激痛に、コウは喉が潰れそうなまでの悲鳴を上げる。

 

 

 

 

 

 そして ―――――― コウの体に更なる浮遊感が襲い掛かる。

 

 

 

 

 

 地球上にいながら、その楔から解き放たれたかのような感覚。

 

 

 暗闇からも解放される。視線の先には見慣れた青い空や街の風景が縦に、横に流れていく。

 

 

 

 やがて ―――――― 背中を中心に強烈な衝撃を受ける。

 

 

 

 意識が遠のくコウ。

 

 

 

 彼が、最後に視界に入れたのは ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― 少女の隣に立つ、金髪の大男(・・・・・)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 数分後 】

 

 

 

 

 

「直葉ちゃん、無事かい?」

 

「は、はい。あたしは、何とか無事です」

 

「良かった……っ!」

 

「でも、オジサンが……」

 

「そうだ! 大丈夫ですか?」

 

「あ、あぁ……大丈夫だ、大事ない。少し、体が怠いだけだ」

 

 

 

 戦いの後。秋山は直葉と男の状態を確認し、互いに無事である事が解り安堵の溜息を吐く。男の方は、コウのスタンガンを受けた所為で若干の違和感が残っているようだが、それも直に治まるだろう。

 

 

 

「それにしても、先程の若いの……恐るべき強さだったな」

 

「はい……」

 

「………」

 

 

 

 男が言うのは、直葉を救った謎の人物の事だ。

 

 

 突如チャンピオン街の方角から現れ、コウを一蹴し、結果的に直葉を救った その男。

 突然の事に しばし呆然としていた秋山と直葉だったが、すぐに駆け寄って無事を確認した後、2人とも その男に礼を述べたのだ。

 

 

 

 

 

(フッ、礼なんぞ要らんわ。

 

 

 ただ……女、子供を人質にするような下種が、ワシは気に入らんかっただけや)

 

 

 

 

 

 それだけ答えて、そのまま その場を後にして去って行ってしまったのだ。

 秋山と直葉にしてみれば、結局 礼らしい礼も出来ず、少なからず心に引っ掛かるものが残る形にはなったが、今となっては どうしようもない。

 

 

 

「一体、誰なんだろう……この街の人でしょうか?」

 

「あぁ……多分、そうだと思うけど……」

 

 

 

 直葉の問いに、秋山は どこか頼りなさげな声色で答える。それを聞いて、直葉は秋山にも見覚えはないのだと感じ取った。男性の方も、見覚えがないのに加えて、普段は神室町に住んでいないとの事だ。それでは仕方ないと、直葉も諦める他なかった。

 

 

 

「まぁ、仕方がない。随分と時間を喰っちまった。そろそろ、礼の占い師に会いに行こうか」

 

「は、はい!」

 

「解りました。では、ご案内致します」

 

 

 

 きりの良いところで話を切り上げた秋山が、そう告げる。

 思わぬアクシデントに見舞われてしまったが、彼等の目的は別にあるのだ。これ以上 時間を無駄には出来ないと、直葉も気を取り直して頷く。

 

 

 そして、男性の案内の元、秋山と直葉はチャンピオン街の方へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ふと、秋山が立ち止まる。

 そして、とある方向を見やる。そこは、直葉を助けた謎の男が去って行った方角だ。

 

 

 

(あの男………)

 

 

 

 彼の脳裏に浮かんでいるのは、その男の事だ。

 

 

 

(やっぱり、どう考えても あいつ(・・・)は………)

 

 

 

 秋山は、1つ“ 嘘 ”を吐いた。

 

 直葉には、彼の者の事は知らないと答えた。身に覚えがないとも。

 

 

 

 しかし ―――――― それは嘘だ。

 

 

 

 秋山は、“ 彼 ”の事を知っている。

 

 

 

 それは、今から5年も前の事。

 

 

 

 “ その男 ”は ――――――――― 神室町中を、恐怖の どん底に陥れた男だったからだ。

 

 

 

 金髪に、口元に僅かに見える傷痕。関西弁を話し、180を優に超す長身。

 

 そして、平均的な体格とはいえ、男1人を片手で軽々と持ち上げ、投げ飛ばす恐るべき膂力。

 

 それら全てが、秋山の記憶と合致する。

 

 

 だが ―――――― だからこそ、秋山は解せなかった。

 

 

 その男の風貌が、あまりにも記憶の中と比べて差異があったからだ。

 

 

 当時は見る者全てを威圧するような存在だった男が、先程では見る影もない程に冴えない格好をしていた。

 

 それも、紺色の上着にベージュのスボン、それにエプロンと鉢巻という、街中を歩くには些か不釣り合いなもので。

 

 

 

《 たこ三昧 》……か……)

 

 

 

 彼が着ているエプロンに書かれていた文字だ。タコの絵も描かれていた事から考えて、おそらく、たこ焼き屋だと推測できる。

 その事が、余計に秋山の首を捻らせる。記憶の中では、彼は そんな仕事をするような人間ではなかったからだ。

 

 

 

「秋山さ~ん!! どうしたんですか~?」

 

 

「おっと、やべ! あぁ、今 行くよぉ!!」

 

 

 

 思考に入り過ぎ、直葉を待たせてしまった。

 すぐに秋山は考えるのを中止し、彼女の方へと走る。

 

 

 

 

 

 帰ったら、少しばかり情報を揃えよう ―――――― そう考えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 15:12  チャンピオン街 】

 

 

 

 

 

 そこは神室町東部に位置し、千両通り、七福通り、泰平通りの3つの通りに挟まれた小さな区画だ。50坪ほどの広さに20近くの店が所狭しと立ち並び、その趣は他の区画とは一線を画している。

 その古き良き時代を思わせる雰囲気は通な酒飲みの心を くすぐり、バブル崩壊前から変わらぬ賑わいを見せる場所なのである。

 

 手紙を送った男は、その区画の中心付近に位置する所に、秋山と直葉を案内した。

 

 ピンクの看板に、白地で書かれた店名 ―――――― そこは、秋山も よく知る所であった。

 

 

 

「あら、お帰りなさい……って、あら? 秋山さんじゃない?」

 

「あれ、ママ……?」

 

「ママ?」

 

「あぁ、あの店の店長だよ」

 

 

 

 そこは、チャンピオン街の中でも名物と言われるニューハーフパブ・《 亜天使 》

 そして秋山達を出迎えたのは、その店のママである『 アコ 』だった。恰幅の良い体にサンタクロースを思わせる赤と白の服がトレードマークである。ちなみに、ニューハーフパブのママであるので、無論 彼女(彼)もニューハーフである。

 

 

 

「あら、可愛らしいお嬢ちゃんだ事。こんにちは!」

 

「こ、こんにちは……っ」

 

「あらあら、緊張しちゃって! ホント、若いって良いわねぇ!」

 

「あ、あはは……」

 

 

 

 秋山の隣にいる直葉に気付いたアコが、愛嬌一杯の笑顔と声色で挨拶する。直葉も礼儀正しく挨拶を返すものの、やはり初めて見るニューハーフという特殊な人種が緊張を誘い、表情も言葉も ぎこちなくなってしまった。

 しかし、それを見てもアコは微塵も気を悪くする事はなく、むしろ そんな直葉の反応も新鮮だとばかりに上機嫌になる。大人な対応を見て ほっとする一方、アコのテンションの高さに若干 置いてけぼりを喰らう直葉だった。

 

 

 

「ところで、何でママが ここに? 店は どうしたの?」

 

 

 

 タイミングを見て、秋山が尋ねる。

 今の時間なら、亜天使は営業しているはずである。にも かかわらず、店主のアコは店の前で立っている。

 顔馴染みとして彼女(彼)の人となりと店の盛況ぶりを知っている秋山には、なぜ彼女(彼)が そうしているのかが解らなかったのだ。

 

 

 

「ウフフ♡ 今はね、貸し切り状態なの」

 

 

 

 秋山の問いに、アコは そう答えた。

 

 

 

「貸し切り? 一体 誰が……?」

 

 

「あら? 秋山さんにしては察しが悪いんじゃな~い?

 

 

 じゃあヒントを あげましょ ―――――― 貴方達は、何の為に(・・・・) ここに来たのかしら(・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 アコの意味深な物言いに、秋山、続いて直葉も ハッとした表情を見せた。

 

 

 

 

 

「そうだ……“ あの人 ”は、この店の中で待ってる」

 

 

 

 

 

 2人の反応に応えるように、彼等を導いた男が言った。

 彼が言う“ あの人 ”とは、1人しか いない。

 

 それを聞いて、直葉が男を一瞥した後、改めて亜天使を見やる。その表情には、待ちに待った人間が見せる感慨深さを垣間見える。

 一方の秋山も、まさかの展開に驚きの連続だった。

 

 

 

「いやはや………それにしても、ママと占い師に、何の関係が?」

 

 

 

 どんな事情があるにせよ、大事な店を一時的にも貸し与えるなど通常では考えられない。

 一体いかなる関連があるのかと、興味が湧いた秋山がアコに尋ねる。

 

 

 

「厳密にはね、アタシじゃなくて先代のママの知り合いなのよ」

 

「先代? それって、以前に聞いた事のある?」

 

「えぇ、そう」

 

 

 

 秋山とアコは、時間にすれば1年来でしかない間柄だが、それでも何度も飲みに来たり楽しく会話したりと、極めて良好な関係を築いている。

 その中で、1度だけ亜天使に関する昔話を聞いた事があった。

 

 かい摘んで説明すると、亜天使という店は2006年に新しく出来たニューハーフパブだと思っている者が多いが、正確には異なる。

 それよりも遥か以前、バブル絶頂期の80年代後半には、既に亜天使という店は存在していたのだ。

 そして当時の店を立ち上げ、切り盛りしていたのが、アコの言う《 先代・亜天使のママ 》である。彼女(彼)は金と利権、そして暴力が渦巻く神室町において、逞しく店を維持する程の やり手であったらしい。

 しかし、彼女(彼)は生まれつき体が丈夫ではなく、常々誰かに店を任せたいと思っていたらしい。

 そして2000年に入った頃、偶然アコと運命的な出逢いを果たし、彼女(彼)を後継者にしたという。

 

 

 

「ママからね、久々に連絡があったの。『 古い知り合いが用事の為に落ち着ける場所を求めてるから、店を貸してあげて 』って。詳しくは聞かなかったけど、他でもないママの頼みだったし、快くOKしたってワケ」

 

「なるほど」

 

 

 曰く、当時 何度か占ってもらって経営を助けてもらった事があるらしく、その関係で友人となったとの事だった。

 

 しかしながら、ほんの少しの間でも商売を止めてしまえば、売り上げに大きな影響を及ぼしてしまう。事この神室町においては、店の維持そのものにも関係すると考えると、中々に思い切った願いと行動だったと言えよう。

 だがアコは少しも不満を言う事なく、先代の頼みを聞き届けた。その訳も、秋山は知っている。

 

 一部の者しか知り得ない事だが ―――――― アコは、亜天使のママをする前は暴走族だった。

 

 神室町付近で活動していた《 ブラックサンダー 》というチームのメンバーであり、次期ヘッドを任せられる程の人物だったが、それと同時期に自分の一般とは異なる性質に気付き、苦悩の末に無断でチームを抜けてしまう。

 その後、本当の自分というものに気付いたものの、どうすれば良いのか途方に暮れていた時、手を差し伸べてくれたのが先代のママだった。

 彼女(彼)はアコ ――― 当時は岡野(おかの) ――― を快く亜天使に招き入れ、そして彼女(彼)の素質を見抜き、自分の店の後継者に決めたのだ。

 一時 店を畳み、マンツーマンで経営学から酒の知識、ファッションの手解きなど、自分が持ち得る全ての技術(スキル)を与えた結果、見事アコは亜天使の店長へと花開いたのである。

 

 そんな経緯から、アコの先代に対する敬愛の念は相当なものとなっている。故に、店長となった今でもママと呼んで敬意を表し、今回のような自分には関係のないであろう事案にも、何ら疑問にも思わず手を貸したのだ。

 

 改めて考え、秋山はアコという人間に対し更なる尊敬の念を重ねる。これからも、時間があれば酒を御馳走になろうと密かに心に決めた。

 

 

 

「それじゃあ……行こうか、直葉ちゃん」

 

「はい!」

 

 

 

 ひとしきり会話を終えた秋山が、直葉に声を掛ける。

 直葉の方も、話している間に既に覚悟を固めた様子である。その表情には、全てを受け入れるような力強さが見て取れた。

 

 

 

 

 

 そして、2人は男の先導を受けながら、遂に待ちに待った所へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 亜天使・店内 】

 

 

 

 

 

 店の中は、足音が はっきり聞こえる程に静かだった。

 いつもは流れている音楽レコーダーも起動しておらず、室内を快適に保つ為の空調の音だけが僅かに響くだけである。黄色調の照明といい、観葉植物を各所に置いたりと、落ち着いた雰囲気を与える造りに出来ているが、やはり人が誰もいないと不思議と不気味に思える。

 秋山も普段 訪れる事のある店だが、店として機能してるのと いないとでは違いが大きいと、肌で実感した。

 

 

 

 

 

「―――――― ようやく来たかい……待ちくたびれたよ」

 

 

 

 

 

 静かな店内に意識が向いていた2人に、そんな声が掛けられた。

 (しゃが)れた声だった。歳の頃合いは、70か80を超えるものだろう。しかし、しっかりと耳に届く声でもあった。

 

 半ば驚きながら、2人は声の方向へ顔を向ける。その方向には、客用のテーブルと柔らかい生地で出来た椅子が複数 置かれている。

 

 

 その中の、最も奥のスペースに ―――――― その人物は座っていた。

 

 

 

(……この人が……まるで気配を感じなかった……っ)

 

 

 

 一目見ただけで、秋山は その人物の特異性に気付いた。

 真っ黒なローブを身に纏い、室内だというのに顔も ほとんど見えない程に深く被ったフードなど、服装だけでも怪しさ満開の出で立ちだ。

 だが、秋山が気になったのは そこではない。その人物が醸し出す“ 気配 ”そのものだ。

 視界には確かに映っているはずなのに、どういう訳か本当に存在するのか解らなくなる錯覚を覚えるのだ。儚げとも少し異なる。言葉では言い表し難いが、とにかく“ 異質な存在感 ”である。

 

 それらを考えた末、秋山は確信する ―――――― 彼女こそが、件の占い師だと。

 

 

 

「何を ぼさっと突っ立ってるんだい? 時間は無限じゃないんだ、早く お座りな」

 

 

 

 占い師に そう言われ、秋山と直葉は顔を見合わせて頷き合った後、彼女に対面するように椅子に座った。

 

 

 

(この人が、噂の占い師………何だか、不思議な人……)

 

 

 

 直接 用があるのは直葉である為、占い師の正面には彼女が座った。改めて占い師の姿を眺めて思いを馳せると同時に、妙な緊張感も覚える。

 目的があって探し出した訳だが、いざ面と向かうと言葉が上手く出て来ない。視線も落ち着かず、太ももに置いた手を弄ぶなどして時間ばかりが過ぎていく。

 隣に座った秋山も そんな直葉の様子に気付くも、急かすのも どうかと思い口には出さない。

 

 

 しばし ―――――― 実際には1分 経ったか どうかだが、占い師の方から話を切り出した。

 

 

 

「……直葉ちゃん、だったかい?」

 

「!! は、はい!」

 

「フフフ、そんなに緊張する事はないよ。今のアタシは、ただの老いぼれだからねぇ」

 

「そんな……だって、貴女は凄い人なんですよね? 昔は、その力で多くの人を助けたって……」

 

「……色々調べて来たって感じだね。アタシが本格的に活動してたのは、お嬢ちゃんが生まれる前だってのに、よく調べたもんだ」

 

「まぁ、今はインターネットとかが ありますから。それで何とか」

 

「そうかい、そうかい。いやはや、コンピューターって奴が急激に発達するってのは解ってたけど、ここまでとはねぇ」

 

解ってた(・・・・)……それって、つまり……」

 

 

 

 秋山の言葉に、占い師は にやりと笑う。

 

 

 

「そう ―――――― “ 特定の人間の未来を覗き視る ” ――― それが、アタシの能力だった」

 

 

 

 事前に知っていた事。しかし、本人の口から改めて聞く その能力。

 ネットに乗っているだけの文面とは異なる、本人の口から放たれた言葉には、途轍もない説得力が宿っていた。

 

 

 

「視えるっていうのは、どの位までなんです?」

 

 

 

 2人の間を少しでも潤滑に受け持とうと、そして純粋に興味が増した秋山も、会話に加わる。

 

 

 

「その気になれば、どこまでも。次の日から1年後、10年後や20年後だって視えていたさ」

 

「そんな先まで……!?」

 

「未来と言ったろう? その人の寿命がある限りが未来って事だよ」

 

 

 

 つまり、占った人物の寿命さえも結果的に知り得る能力だという事だ。

 もはや、占いという枠など遥かに超えていると言える能力だ。むしろ、超能力や異能と言った方が しっくり来る。

 

 ここに至り、直葉には疑いは なくなった。占い師に、己の望みを告げる。

 

 

 

「……お婆さん。今日あたしは、お願いがあって お婆さんに会いに来たんです」

 

「知ってるよ。その為に、こうして神室町まで出向いた訳だからねぇ」

 

「アタシには、1つ離れた兄がいるんです。でも……その兄が、大きな事件に巻き込まれて目覚めなくなったんです。

 だからアタシは、お兄ちゃんを助ける為に犯人を見付けたい。お願いです、その能力(ちから)を貸してもらえませんか?」

 

 

 

 その言葉には誠意と懇願、そして悲痛さなどが混じり合い、強く心に訴え掛けるものだった。浮かべる表情にも、必死さ以上に沈痛さが見え、いかに彼女の想いが強いかが窺い知れる。

 改めて直葉の訴えを聞く秋山も、その心を察すると同時に、彼女の願いの成就を強く願う。

 

 直葉の訴えの後、占い師は沈黙を保った。

 考えているのか、はたまた聞いていないのか。深く被るローブのフードの所為で、表情は相変わらず窺えない。

 これまで聞いた話や面と向かった末の印象から、彼女が薄情な人間ではないと考えているが、その沈黙の為に直葉には少なからず動揺や不安が出て来る。もし、金額的な問題があれば何とかしてあげようと密かに考えていた秋山も、その奇妙な沈黙には首を傾げたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ごめんよ。その願いには、応えられそうにないねぇ」

 

 

 

 

 

 やがて、占い師は お道化た口調でありながら、心苦しそうに応えた。

 

 

 

 直葉は、その表情を凍り付かせた。

 

 秋山も、彼女ほどでないにせよ、強い衝撃を受けている。

 

 まさか ―――――― ここまで来て、否定の言葉を貰ってしまうとは。ある意味、この件に全てを託していたに等しい直葉のショックは並大抵ではなかった。

 

 

 

「どうして………ですか……っ?」

 

 

 

 ぐるぐると混乱する頭を無理矢理 落ち着かせ、どうにか疑問だけは口に出来た。しかし、その焦点すらも合っていないような眼は、見ていて痛々しいものだ。

 秋山は気の毒に思うのと同時に、占い師に対して責めたくなる気持ちを持つ。

 だが 更に同じく、彼女にも事情があるのではという推測も浮かんでいる。そうであって欲しいという願いとも言える。

 

 穏やかならぬ空気が漂う中、占い師が問いに答える。

 

 

 

「確かに、アタシは人の未来が はっきりと視えていた。もっとも、“ 見ている本人の未来 ”しか視えなかったけどね」

 

「……“ それ以外の人間の未来は視えない ”って事ですか?」

 

「そうなるね」

 

「そんな………」

 

 

 

 見る本人しか見えないと言うなら、今どこにいるかも知れない茅場 晶彦の事は解らないという事だ。万能に思える能力にも、限界はあるようだ。

 だが、それは想定していた秋山には更なる疑問がある。

 

 

 

「だけど、それなら直葉ちゃんの未来さえ覗けば、解る可能性はあるんじゃないですか?」

 

 

 

 確かに、見る本人しか覗けないという制約があるにせよ、いつか“ 茅場が発見された未来 ”というものが直葉の未来から見える可能性は皆無ではないはずである。まさか、一生 逮捕される事はないなどと、秋山は考えたくはない。可能性が捨て切れないのも否定できないが。

 秋山の考えを聞いて落ち着きを取り戻した直葉が、更に占い師に縋るように視線を送る。

 

 

 

「………視えれば(・・・・)、ね………」

 

 

「「え………?」」

 

 

 

 俯き、溢すように呟いた言葉。

 

 直葉と秋山にとって、明らかに聞き捨てならないものであると確信できた。

 

 

 

「視えれば、って………どういう、意味ですか……?」

 

 

「それはね……“ こういう事 ”さ」

 

 

 

 そう言って、占い師は深く被っていたフードを少しばかり持ち上げた。それによって、あまり見えていなかった表情も露わになる。やはり、かなりの高齢らしく、顔には大小多くの皺が広がり、肌の潤いも失ったものになっている。それでもシミの類は ほとんどなく、肉付きも しっかりとしており、見る限りでは元気な老人という印象を受けるものだ。

 

 だが、ただ一点 ―――――― 眼を見て、違和感を覚えた。

 

 

 

「っ! その眼……」

 

「もしかして、アンタ………」

 

 

 

 色を失い、白一色になった眉の下にある、2つの眼。その虹彩の形状や色合いが、普通とは異なっていたのだ。

 

 それが表す事は、1つだった。

 

 

 

 

 

「あぁ……《 緑内障(りょくないしょう) 》。それが、この眼を侵した病さ」

 

 

 

 

 

 現在の日本で、最も失明する原因とされる目の病気。それが、彼女に襲い掛かったのだ。

 思わぬ現実を知り、言葉を失う直葉と秋山。

 息を呑む声が聞こえたのか、はたまた空気で感じ取ったのか、占い師は自嘲するように笑う。

 

 

 

「フフフ、可笑しな話だろう? 未来を占うはずの占い師が、自分の病には気付けず、結果 視力を失うなんて。

 

 それだけなら……良かないけど、それ以上にショックだったのが、能力も同時に失った事さ。」

 

 

「能力も?」

 

「そう。慢性的な症状だった事もあって、気付いた時には もう手遅れだった。進行も、並の人間に比べて異様に早かったみたいでね。10年も経たない内に、完全に見えなくなっちまったのさ。

 

 で、病の進行と並行するように、未来が視える能力も徐々に弱くなって、今じゃ さっぱりさ」

 

 

 

 視力を失うという、人間にとっては絶望しても おかしくない状態に陥りながら、彼女の言葉には これといった“ 重さ ”を感じさせなかった。

 きっと生きる為に、割り切るか受け入れて今に至るのだ。いかに彼女が強く逞しいかが窺える。

 直葉は、目的が果たせなくなった落ち込みも忘れ、占い師に対する同情や尊敬の念を向ける。

 

 

 

「………いや、ちょっと待ってくれ」

 

 

 

 その時だった。

 

 不意に、秋山が口を開いたのは。

 

 

 

「どうしたんですか、秋山さん?」

 

「婆さん。アンタの話じゃ、もう未来は視えないんだよな?」

 

「あぁ、そうだね」

 

 

「だったら……何で、俺達が来る事が解った(・・・・・・・・・・)んだ?」

 

 

「!?」

 

 

 

 秋山の指摘に、直葉は目を見開く。

 すっかり失念していたが、2人がここに来る事が出来たのは、占い師から手紙を言付かった為だ。その内容も渡すタイミングも、出来過ぎな程にバッチリであり、それこそ“ 未来が視えて ”いなければ、中々出来ない事だった。

 考えれば浮かんでくる疑問に、直葉も腑に落ちないものを感じて占い師を見る。彼女が嘘を吐いているとは考えたくないが、いずれにせよ辻褄が合わない。理由は、聞かねばならなかった。

 

 

 2人の疑問さえ合わさった視線に、占い師は にこりと笑みを浮かべ、言った。

 

 

 

「未来を視る能力は失った……それは本当さ。

 

 

 だけどね、ある時に不意に視えた(・・・・・・) ―――――― 脳裏に、突然 浮かび上がって来たんだよ」

 

 

 

「不意に、視えた……?」

 

「それって、どういう……?」

 

 

 

 思わぬ言葉に、直葉と秋山は どういう事かと追究の目を向ける。

 

 

 

「……今朝の事さ。朝早くに目が覚めた時、突然 頭痛が襲い掛かったんだ。失明前すら感じた事のない、強い痛みだった。あまりの痛さに布団の上で蹲っていたら、突然 見た事もない光景が浮かんだんだ。

 

 見覚えのある街、知らない少女に男、そして その場にいる自分 ―――――― およそ10年ぶりに、外の光景が 目に映ったようだったよ。

 

 そして……間違いなく、あれはアタシが かつて持っていた能力に酷似していた」

 

 

「突然、能力が甦ったって事ですか?」

 

「いや、浮かんだのは その1回きりだ。甦ったって言うより、偶発的に発生したって言った方が良いね」

 

 

 

 それは、彼女にしてみれば本当に偶然だったのだろう。しかし直葉にとっては、どこか運命めいたものを感じさせてならなかった。

 能力が完全に消えた訳ではないとは言え、本人でも偶発的でしか出せないとなると、確かに それは“ 失った ”も同然なのだろう。少なくとも、直葉の望む事は叶えられそうになかった。

 

 

 

「それじゃあ、お婆さんは それで神室町に?」

 

「……能力を失ったとはいえ、もう世の中から消えるばかりだったアタシを求める子が現れるって解ったんだ。さすがに、無視するのは忍びなくてねぇ」

 

「お婆さん………」

 

 

 

 突然 現れた現象にも冷静に対応し、その上 盲目のハンデを負った状態で わざわざ駆け付けてくれた。それも、会った事もない人間に対してである。

 直葉と秋山の胸に、強く感じるものが去来する。

 もはや、目的が果たせないとかなど、直葉には関係ない。自分の為に、苦労も顧みずに来てくれた占い師に対し、強い感謝の念しか浮かばなかった。

 

 

 

「……ありがとうございます。本当に、あたし なんかの為に……っ」

 

「そんな事 言うもんじゃないよ、人生これからっていう若者が。こっちこそ、こんな老いぼれに価値を見出してくれて、感謝してる位さ」

 

 

 

 今にも泣き出しそうな直葉に困っている一方、心からの喜びを伝える。口には出さないが、やはり加齢と共に視力の喪失なども合わさり、内心 鬱屈した気持ちを抱えていたのだ。直葉の出現で それが僅かでも和らいだ事は、占い師にとって最上の喜びと言って良かった。

 

 

 

「お嬢ちゃん」

 

「はい?」

 

 

 

 ふと、占い師は声を掛けたと思ったら、右手を差し出した。

 

 

 

「?」

 

「手を、出してごらん。せっかくの出逢いだ、久々に占わせておくれ」

 

「えっ、でも……」

 

「ヒッヒッヒ……何も、未来を見るだけがアタシの占いじゃないさ。一応、視えてた頃から一通りの占い方法は習得してるんだ。手相くらいなら、今でも占えるよ」

 

 

 

 どうやら、占い師は いたく機嫌を良くしているらしい。2人は知る由もない、昔から使っている笑い方を無意識に出した位だ。彼女にしてみれば、ぬか喜びさせてしまった事への、せめてもの罪滅ぼしなのだろう。

 直葉は どうしたものかと悩み、ちらりと秋山を見る。彼は占い師の気の済むようさせる方が良いと考え、笑みを浮かべながら頷く。

 

 

 

「……解りました。それじゃあ、お願いします」

 

 

 

 直葉も、それで異存はない。

 本来の目的を果たせなかったのは残念であるが、秋山やナオミといった良い人間と出逢い、こうして知る人ぞ知る生きた伝説とも対面できた。決して、悪い事ばかりではない。ポジティブに、そう考える事にした。

 

 精一杯の感謝を示すように、占い師へ右手を差し出した。

 

 

 

「それじゃあ………ほうほう……お嬢ちゃん、良い手をしてるねぇ」

 

「そ、そうですか?」

 

「あぁ。アタシは、手には少しばかり うるさくてね。大きさといい、形といい、肌触りといい、中々のもんさ。若いってのは良いねぇ」

 

 

 

 占い師は眼が見えない為か、単に手相を見るだけでも指で線を なぞるようにしたりと、直葉にしてみれば少々すぐったい手付きである。

 しかし、念入りに触られているとはいえ決して粘着質で不快な思いは起きず、むしろ孫を慈しむ老人の如しで、直葉も どこか懐かしい想いに駆られていく。

 

 

 

 

 

「………ん………?」

 

 

 

 

 

 そんな中、ふとした時だった。

 

 

 直葉の手に触れていた占い師の動きが止まり、様子が変わったのは。

 

 

 

「? お婆さん……?」

 

 

「こ……これは………そんな……ッ!!?」

 

 

「お婆さん!?」

 

 

 

 そして ―――――― 突然、直葉の目の前で苦悶の表情を浮かべたのだ。

 

 

 唐突の出来事に、直葉が悲鳴に近い声を上げる。秋山も、占い師の突然の変異に驚くと同時に原因を探ろうとする。

 だが、特に おかしな点は見受けられない。未だ、直葉の手を握る位だ。

 

 

 

「アンタ、まだ何か持病が!?」

 

「ち、違う……大丈夫さ……っ!!」

 

「いや、大丈夫ったって!?」

 

 

 

 秋山は高齢ゆえの持病か何かだと推測したが、本人は否定し、何ともないと言い張る。

 しかし、未だ占い師は苦しみ続け、今や息も荒くなり、その顔や手からは脂汗まで浮かび、頬と首を伝っていく始末である。どう見ても、大丈夫そうには見えない。

 このままでは拙いと、秋山は携帯を取り出し救急車を呼ぼうとする。だが、当の占い師本人が強く待ったを掛ける。

 

 

 

「た、頼む……もう、少し、待っとくれ……っ……もう少しで、良いんだ……ッ」

 

 

 

 息を荒くし、見えない眼も更に焦点が合ってないかのように震えている。

 だが、その眼に宿る力は生半可なものではなかった。有無も言わさぬという言葉も生温く思う程、まさに鬼気迫るものだった。

 

 結局その迫力に気圧された形で、秋山は救急車への通報を諦める。

 直葉も、握られる手から感じる苦しみに心が痛くなるものの、秋山の根負けも手伝い、何も言わずにいた。

 

 

 

 

 

 そして そのまま時は過ぎ ―――――― 占い師が手を放したのは3分は経過してからだった。

 

 

 

 

 

「ふぅ………済まないね、お嬢ちゃん。汗で気持ち悪かっただろう……」

 

「ううん。気にしないで下さい」

 

 

 

 手を放して すぐ、占い師は机に蹲るように倒れた。

 すぐに秋山は店内にある水を手渡し、その間に直葉も おしぼりで顔や手の汗を拭いて介抱した。幸い、疲労こそ まだ見えるものの、脱水症状の類も見られない。今は椅子の背もたれに (もた)れながら休んでいる。元々80近い高齢との事だが、今の弱弱しい状態は実年齢以上に老けて見える。

 

 だが、その表情には笑みすら浮かんでいた。

 

 

 

「……それにしても、アンタ急に どうしたんだ? 突然 苦しみ出して」

 

「そうですよ。しかも、何か自分から苦しむような事を……」

 

 

 

 頃合いを見て、秋山と直葉が事情を尋ねる。正直、彼女の行動は意味不明だった。特に手を握られていた直葉にしてみれば、心臓に悪い事この上ない行動だったのだ。

 占い師は呼吸を整えながら佇まいを ゆっくりと正すと、それに答える。

 

 

 

「いや、本当に済まなかった。……だけど、どうしても そこで放す訳にはいかなかったんだ」

 

「? それって、どういう………」

 

 

 

 その言葉の意味が解らず、直葉も秋山も首を捻るばかりだ。

 

 

 

「……お嬢ちゃん」

 

 

「は、はい!」

 

 

 

 

 

「安心しな ―――――― アンタの(・・・・) お兄さんは(・・・・・)きっと無事だ(・・・・・・)

 

 

 

 

 

 そして直葉に、唐突に そう告げたのだ。

 

 

 

「…………えっ……? お婆さん、一体、何を……?」

 

 

 

 直葉は軽く混乱していた。

 占い師は、先程 確かに能力の大半を失ったと言ったはずだ。自分も、事情が事情だと受け入れははずである。

 

 

 それなのに ―――――― 今 彼女が述べたのは、それを覆すような言葉ではなかったか。

 

 

 秋山も、同じ事を考えた。同時に、その言葉は解せないと結論付けて。

 

 

 

視えた(・・・)んだ……お嬢ちゃんの、未来(・・)が」

 

 

 

「「 !!? 」」

 

 

 

 そして、更に占い師が告げた言葉は、あまりにも驚愕すべき事だった。

 

 

 

「視えたって……まさか、能力が?」

 

「あぁ……極めて不安定で、まばら でしかなかったけれど……あれは間違いなく、お嬢ちゃんが辿る未来さ。それに、それだけじゃない………お嬢ちゃんの、過去(・・)もね」

 

「過去?」

 

 

 

 占い師が持っていた能力は、“ 未来 ”を視るものだったはず。

 それなのに、全く逆の“ 過去 ”が見えたというのは、どういう事なのか。

 

 

 

「どういう……」

 

 

「お嬢ちゃん。アンタ ―――――― 幼い頃に水に溺れたかい?」

 

 

「っ!!」

 

 

「剣道 ―――――― その事で、兄との間に距離が出来た……」

 

 

「…………どう、して………?」

 

 

 

 次々と、ある事柄を語る占い師。

 その度に、直葉の表情には この上ない程の驚愕・動揺が走り、遂には固まってしまった。

 そして、その反応は占い師の言う事が全て事実である事の裏返しであった。

 

 

 

「……すまない、見るべきものじゃない事は解ってるんだ。

 だけど、お嬢ちゃんに触れてる間、お嬢ちゃんに関する色んな光景が浮かんできたんだよ。こっちとしても勝手に浮かんで来るもんだから、選別も出来やしなかった。本当に、済まなかった」

 

 

 

 占い師の心からの謝罪に、直葉は ただ首を横に振るばかりだ。正直、予想外の展開に脳が付いていけていないのである。

 

 

 

 その後、秋山の冷静な思考も加わり、先の事態の詳細などが明らかになっていく。

 

 曰く、直葉の手に触れて しばらくすると、突然 占い師の脳内に様々な光景が浮かんできたのだという。

 本人の過去の経験から、それが失われたはずの自分の能力によるものだと判断できた。ちなみに過去までも視えた理由は、さっぱり解らない。おそらくは突然変異の類だと考えた。

 しかし、それらが見えている間は占い師の体、厳密にいえば頭部に凄まじい激痛が走ったらしい。視えなくなったものが、偶発的とはいえ視えた事に対する副作用だと、秋山と占い師は結論付けた。

 

 

 

「そうか……だから、あんな無理をしてまで、手を離さなかったのか」

 

「あぁ……もう自分じゃ制御も出来ないんじゃ、今後いつ現れるか解んないからね。せめても、と思ったのさ」

 

「アタシの、為に……?」

 

「気に病む必要はないよ。長いこと引っ込んじまってたけど、アタシは占い師だったんだ。

 

 これは……アタシなりの“ 意地 ”って奴さね」

 

「…………」

 

 

 

 正直、直葉は未だ軽い混乱の中にある。

 彼女が味わった苦痛も、彼女の言う意地というものも、解っているようで解っていないと自覚できる。

 自分は、どうすれば良いのだろう。謝罪すべきか、あるいは礼を述べるべきか。

 状況が あまりにも特殊過ぎるという事もあるが、まだ中学生でしかない直葉には難しいものであった。

 

 

 

「……直葉ちゃん。婆さんの話を聞いてあげたら どうかな?」

 

「! でも……」

 

 

 

 そんな直葉の心の内を察して、秋山が助け舟を出す。

 

 

 

「気持ちは解るさ。だけど、婆さんは自分の意地を通したんだ。他ならぬ、君の為にね。

 だったらさ、半端な謝罪とかよりも、そうしてあげる方が本人も喜ぶと俺は思うよ。」

 

 

 

 それは、ともすれば気持ちの押し付けと言う者もいるかもしれない。

 だが、少なくとも直葉は そうは思わなかった。むしろ、自分の為に身を削るような思いをした事に、敬意を表したいとすら思っている。

 

 秋山の言葉もあって、直葉の迷いは なくなった。

 

 

 

「……お婆さん」

 

「うん」

 

 

「お婆さんが、何を視たのか……教えて下さい。お願いします」

 

 

 

 敬意もある。義務感のようなものもある。

 

 ただ、これは純粋に ―――――― “ 知りたい ”という欲求の表れだ。

 

 

 

 占い師も また、この上なく純粋な笑みを浮かべ、頷く。

 

 

 

 大したものはないだろうと、前もって断りを入れながら

 

 

 

 

 

 

 

「さて ――――――――― 何から話そうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 16:54  天下一通り入り口 】

 

 

 

 

 

 日も落ち始め、空の青の中に黄色が混じった色調になってきていた。

 街を行き交う人々に、帰途に就くだろう慌ただしい人々が合わさって更なる騒がしさが混じり始めている。これから、夜の街としての顔も徐々に表れてくる頃合いであろう。

 

 そんな天下一通りの門の下に、秋山と直葉がいた。

 

 

 

「秋山さん、今日は本当に お世話になりました」

 

「気にしなくて良いよ。こっちも、色々珍しい体験させてもらったしね」

 

「フフフ」

 

「ふふふ」

 

 

 

 全ての用事を終え、時間も差し迫っていた直葉が帰宅の途に就く事になり、秋山が街の入り口まで送り届けたのだ。

 聞けば、彼女の自宅は埼玉との事。なので、距離も考えれば今が丁度良い時間だという。

 

 

 

「何だか、今日は色んな事があり過ぎて、たった5時間くらいしか経ってないなんて信じられないです」

 

「そうかい? まぁ俺は、いつも似たようなもんだけどさ。この歳になると、時間の流れも大して変わらなくなくてね」

 

「やだ、おじさん臭いですよ秋山さん」

 

「実際、今年で33の おじさん だけどね」

 

 

 

 他愛のない話をする2人。

 出逢って半日も経っていないが、既に2人の間には絆のようなものが築かれている。直葉は特に、ずっかり世話になった秋山に対し別れを惜しんでいた。

 兄という身内の不幸で心が落ち込んでいた直葉にとって、今回の神室町探索は それだけ大きな意義を見出せたのだ。

 

 

 

「……だけど、本来の目的だけは果たせなくて、残念だったね」

 

「……仕方がないです。代わりに、“ 色んな事 ”が聞けましたし」

 

 

 

 秋山が、労うように言う。

 

 

 

 結局、占い師が事前に述べた通り、直葉が神室町に来た最大の目的 ――――――

 

 即ち、茅場 晶彦の行方は解らないままだった。

 

 直葉も残念と思う一方、占い師の事情などを考えれば是非もないと割り切る事が出来た。

 

 

 その代わり、彼女にとって価値のある情報が入手できた。

 

 

 第一に ―――――― 直葉の兄の生存は、ほぼ間違いないとの事。

 

 曰く、直葉の記憶から読み取った少年が、見た事のない世界 ――― おそらくSAOの世界 ――― において活躍しているのが見えた。更に彼が学生服を着た、それよりも未来と思しき風景も視えたという。

 ただし、それが どれだけ未来なのかは解らないらしい。加えて、脳裏に映った未来の映像も、無理をした影響か酷く不鮮明で、肝心な事は ほとんど見えなかったとも。

 しかし何にせよ、直葉にとって、兄が死ぬという最悪の未来が視えなかったというのは、不幸中の幸いだった。それを聞けただけでも心が落ち着いたものだ。

 

 

 

「まぁ、とりあえず犯人(茅場)の事は警察に任せるしかないな。俺も、知り合いの情報屋とかが いるから、それらを頼って探ってみるよ」

 

「……お願いします、秋山さん」

 

「良いんだ。俺の方も、知り合いが関わってるからね。決して、他人事じゃないんだ」

 

 

 

 秋山の言葉に、深く頷く直葉。共に大事な人間が被害に遭ってしまった者同士、考える事も一入(ひとしお)である。

 

 

 そして頃合いを見計らって、直葉が街を後にしようと決める。

 

 

 

「それじゃあ、アタシは これで……」

 

「あぁ、待って直葉ちゃん。最後に……」

 

「?」

 

 

 

 踵を返そうとした直葉を秋山が止めると、懐を探り始める。そして、ジャケットの内ポケットから1枚の白い紙を取り出し、直葉に手渡した。

 それは、名刺であった。《 スカイファイナンス 代表取締役:秋山(あきやま) 駿(しゅん) 》と、そして電話番号が そこには書かれてある。

 

 

 

「これは……」

 

「俺の連絡先さ。お兄さんの看病とか、多分 色々と負担が大きいだろうからさ。もしもの時は、迷わず連絡して」

 

「でも、そんな……」

 

「まぁ、あくまでも“ もしも ”の場合だから。そんなに深く考える必要はないさ。ただ、話し相手くらいにはなれるよ?」

 

 

 

 今日だけでも散々世話になって、更に金銭の事まで頼る事に直葉は躊躇を見せる。

 しかし実際は単なる連絡先の交換、ひいては相談相手としての名乗りと言われ、それならと直葉は拒むつもりはなかった。

 

 

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて受け取りますね」

 

「あぁ。それじゃあ……夜道には充分 気を付けて」

 

「はい。本当に、今日は ありがとうございました」

 

 

 

 直葉は改めて感謝の意を伝え、深々と頭を下げる。

 

 

 

 そして充分に誠意を示したところで、その踵を返し、神室町を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(行っちゃったか……それにしても、今日は変わった1日だったな)

 

 

 

 直葉の姿が見えなくなり、改めて今日1日の出来事を振り返って、秋山は そう思った。

 神室町は何が起きても おかしくないと言える街だが、それでも今日のような出来事は中々起きないと断言できる。

 懐からタバコを取り出し、火を着ける。直葉がいる間は気を遣って喫煙を遠慮していた為、その煙を喉や肺に吸い込ませると、何とも言えない味わいを感じる。仕事の後の一服のように、堪らない喜びが全身を巡っているようだ。

 

 

 

(……“ 兄 ”、か……)

 

 

 

 桐ヶ谷 直葉。SAO事件に巻き込まれた兄の為に、単身 危険な街に乗り込んで来た健気な少女。

 

 秋山から見ても、その小柄で可憐な風貌からは想像も付かない強い心の持ち主だと感じ取る事が出来た。

 

 

 

 また、同時に ―――――― それ故の“ 危うさ ”さえも。

 

 

 

(………『 リリ 』ちゃん……)

 

 

 

 秋山の脳裏には、1人の女性の姿が浮かんでいた。

 

 

 1年前、秋山の元にやって来た女性。

 

 その本名は冴島(さえじま) 靖子(やすこ)。そう、東城会若頭で秋山の戦友である冴島 大河の妹だ。

 

 靖子は、兄の死刑を覆す事が出来ると騙った上野誠和会(うえのせいわかい)若頭・葛城(かつらぎ) (いさお)に言われるがまま、何人もの人間を殺すという暴挙に及んでしまう。しかし それら全ては、葛城が自らの過去の陰謀を闇に葬る為のものだった。

 

 その後、1億という大金があれば殺さなくても良いという条件から、リリという偽名を用いて、秋山のスカイファイナンスの門を叩いた。そして見事、秋山の課したテストに合格し、大金を手にした。

 そして その際に、秋山との間で淡い愛情を交し合った。かつて秋山が銀行員時代の恋人だった絵里(えり)と、その風貌が酷似していた事も理由の1つだった。

 

 だが、やがて東城会や上野誠和会、果てには警察組織まで複雑に入り組んだ事態に入ると、その騒乱の中で靖子は兄の大河を庇って銃弾を受け、そして兄の仇である葛城を撃った後に、命を落としてしまったのだ。

 冴島が妹を失って悲嘆に暮れたように、秋山も1度は愛した女性を失って、酷く落ち込んだのを覚えている。

 

 兄を想う妹 ―――――― そんな共通点から、直葉と接する中で靖子の事を思い出したのだ。

 

 

 そして、それと同時に秋山の胸中に“ 嫌な予感 ”が過ぎった。

 それは上手く言葉では説明できない何かだが、ひたむきに兄を想って行動する直葉を見て、どこか靖子に似た危うさを感じ取ったのである。

 勘違いだとは思う。同時に、そうであって欲しくないとも。

 

 

 だが、直葉と占い師が兄について語り合っていた時の事。

 どうしても秋山は、その時の彼女の姿に靖子の事が重なって見えて仕方なかったのだ。

 

 

 

(直葉ちゃんは、何だかんだで中学生の子供だ。さすがに、危なっかしい真似なんて……)

 

 

 

 煙草を吸いながら そう考える秋山。

 

 だが、納得しようとする思いとは裏腹に、浮かび上がる“ 嫌な予感 ”は接着剤のように、こびり付いて離れない。それが、まるで直葉を信じていないようで自己嫌悪すら覚える。

 

 

 やがて、煙草の味も感じなくなって来た。

 

 

 秋山は携帯灰皿に煙草を仕舞い込むと、その場を後にする。

 

 

 事件の犯人捜索に、前以上に力を入れようと決意して。

 

 

 

 

 

 

 一刻も早く解決させなければならない ―――――― そんな、“ 妙な確信 ”を覚えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 埼玉行の電車に揺られながら、直葉は この日の出来事を回想していた。

 

 

 兄のパソコンを使って調べ、そして見付けた情報を頼って敢行した神室町探索。

 出だし早々、街で屯していたチンピラに絡まれる不幸に見舞われるも、直後に秋山という人物に出逢う事が出来た。しかも、彼の知り合いの伝手によって、噂の占い師に辿り着く事が出来たのである。

 “ 災い転じて福と為す ”とは この事か、と思ったものだ。

 そして、紆余曲折の末に占い師と面会し、様々な話を聞けた。結果としては、茅場の居場所の特定という本来の目的は果たせないというものだったが、決して不満ばかりではなかった。

 病で能力を失ったはずが、突然それを断片的に取り戻すという、まるで御伽噺のような展開に驚きながらも、占い師の能力によって、兄の生存は ほぼ確実という事が解った。それは、直葉にとって何よりの朗報となった。

 

 

 

(……けど……“ あれ ”はないよね……)

 

 

 

 しかし、直葉には不満に思う事があった。それも、兄に関する事である。

 

 占い師によると、直葉の兄の周りに、女の子の姿が ちょくちょく見受けられると言うのだ。

 

 聞いた瞬間、直葉は まさか、とも、やはり、とも思った。

 

 身内贔屓かもしれないが、彼女の兄は決して男らしいと言える感じではないものの、だからと言ってブ男という訳でもない。むしろ、女の子が寄って来たとしても不思議ではない素質を持っているのだ。

 兄も年頃。特に極限状態に置かれているのであれば、“ そういった事 ”になっても何ら不思議ではない。

 妹として、家族として、非常に遺憾ではあるが、そうなったとしても兄を責めるつもりはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そ、そうですかぁ……まぁ、お兄ちゃんだって女の子の1人や2人……)

 

 

 

(いや、それがね……どうも、それどころじゃないみたいだよ。 軽く“ 10人 ”は視えた)

 

 

 

( じゅ ―――――― 10人んん~~~~ッ!!!!? )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありえない。 断じて有り得ない!!

 

 いくら なり易い状況があったにせよ、突然10人もの女の子と仲良くなれるなど、普通に考えてありえない。かつて、密かに兄の部屋で隠し読みしたラノベの如きだ。

 

 

 

(いくら お兄ちゃんの基が良くて、ちょっと活躍してるからって、ないよね。うん、ないない)

 

 

 

 何度も頷き、直葉は言い聞かせるように自分を納得させた。それでも やはり、という不安は消えないのだが。

 

 

 

 

 

(良いかい、お嬢ちゃん。よく聞くんだ)

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ふと、店での別れ際に占い師に言われた事を思い出した。

 

 秋山は店の外でアコと話をしてる最中での、1対1での会話だった。

 

 

 

 

 

 

 

(これはアタシの経験からの推測だけどね……お嬢ちゃんの周りには、強い“ 運命 ”が巡ってる)

 

 

(運命……?)

 

 

(そう……本人は言うに及ばず、その周りにいる人間にすら影響を与える程の、強いものだ。

 アタシの勘だけど……その源は、お嬢ちゃんの兄だと思うよ)

 

 

(お兄ちゃんが!? でも、そんな……)

 

 

(そりゃ、驚くだろうね。でもね、アタシの能力が突然 出てきた事といい、視えた事象といい、どうにも お嬢ちゃんの兄に関わってる気がしてならないんだ)

 

 

(………)

 

 

(もし、そうだとしたら……今回の未来視、どこまで当てになるか解らない)

 

 

(!!?)

 

 

(気を悪くしないでおくれ。でもね、昔から強い運命を秘める人間は、その未来すらも とてもあやふやな物なんだよ。今回アタシが視えた未来も、あくまで可能性でしかない。それが本当に彼の未来となるのか、正直 解らないんだ)

 

 

(そんな………)

 

 

(……およそ30年前、アタシは“ 1人の男 ”の未来を視た事がある)

 

 

(え……?)

 

 

(その時は、はっきりと その男が辿る未来が視えた。当時は、それが真実だと疑ってなかった。

 

 だけどね……お嬢ちゃんの“ 兄の近くで、その男が視えた ”んだ。そんな未来、アタシは視えてなかった)

 

 

(それって………)

 

 

(その男も、類稀な運命を背負う男だった。だけど、どういう因果か、アタシの視た未来を変えちまったみたいだね)

 

 

(………)

 

 

(……解ったろう? 結局、アタシが視えてた未来は1つの可能性でしかなかったんだ。おそらく、“ そうなる確率が高い ”だろう、ね)

 

 

 

 

 

 秋山には黙っていた、占い師の占いの真実。

 とても、伝える気にはならなかった。これ以上、余計な心配を掛ける事は忍びなかったのだ。

 

 

 最後に、占い師は「それでも、やっぱり心配は要らないよ」と励ましを残した。

 可能性は、あくまで可能性。それも、本来の強い未来を変える事は極めて稀な事だとも。それこそ、世界を変える程の何かがなければ、まず起きないとも。

 

 それを聞いて、ひとまず直葉は安堵した。

 占い師が視た未来は、“ 兄が無事に生きている未来 ”だ。それが視えたという事は、それが最も高い確率の世界。彼女の言葉を信じるなら、直葉が心配する事は起きないのだろう。

 

 

 

「お兄ちゃん………」

 

 

 

 だが、そうだとしても ―――――― 直葉の胸には、不安が去来する。

 

 未来だとか運命だとか、あまりにも抽象的かつ、非現実的過ぎて直葉には全く理解できない。それ故に、いくら言葉や理屈で大丈夫だと納得させようとしても、完全には不可能だった。

 占い師を恨むつもりはない。彼女は彼女なりに、起こり得る事を話したに過ぎないのだ。そして、それを受け入れたのは自分だ。すべては自分の責任である。秋山が聞いても、きっと そう言うだろう。

 

 

 

「ふぅ………」

 

 

 

 大きく、溜息を吐く。

 色々と考え過ぎた所為か、どっと疲れが押し寄せて来た。脳や目頭が異様に熱く感じて来る。

 

 

 

 ふと見ると、電車は既に埼玉県内に入った所であった。

 

 

 

 

 

(お兄ちゃん……もうすぐ、帰るね)

 

 

 

 

 

 駅に着いたら、寄り道などせずに帰ろうと心に決める。

 

 

 

 

 

 家に帰ったら、今日の出来事を母に、そして兄に、うんと話してあげようと、そう心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 






という訳で、秋山と直葉の現実サイドは終了です。


色々と、今後の為の伏線も用意してみました。ちゃんと活かせればと思います。
それにしても、やはり戦闘シーンは くそ面倒くさい。何度も書いて全然 納得がいかず、結局3回目くらいで落ち着いた塩梅で。
書くのも遅いし、まだまだ だなと、自らの未熟を恥じるばかりです。


今後は、再びアインクラッド内の話に入ろうと思います。

だけど その前に、ちょっとした人物まとめのような物も出そうかなと考えてます。そこそこキリも良いので。


では、またの機会に。


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