SAO アソシエイト・ライン ~ 飛龍が如し ~(※凍結中)   作:具足太師

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未来を懸けた、戦い。




『 超越者たち 』

 

 

 

 

【 11月21日  9:00 】

 

 

 

 

 

 この時が来た ――――――――― 誰もが そう感じていた。

 

 

 

 

 

「よ~し、集合!!」

 

 

 

 

 トールバーナでの朝。

 この日は青空 広がる、快晴と言える日となった。今後の運命が決まる一戦の日を飾るには、幸先良い天気と言えるものだった。

 

 

 その一角に、多くのプレイヤーが集っていた。

 その中で昨日に引き続き、ディアベルが号令をかける。それを合図に、纏まって立ち並ぶ初心者(ビギナー)達。それに向かい合う形で、最前線組も並ぶ。

 おのおのが得物と装備を整え、強化し、まさに万全の構えで並んでいた。彼等の表情には、緊張は あれど恐れらしい感情は抱いてはいないようだった。みな、既に覚悟は固まっているようである。

 人数を数えても、欠けた様子はない。陣容は万全と言える。

 人員、士気ともに十二分と、満足の笑みを浮かべるディアベル。昨日以上に、今回の戦いへの望みが強くなるのを感じ取っていた。

 

 

 

「みんな、おはよう! 良く眠って、体を休めたかい? 

 

 さぁ……遂に、この日が来た。

 

 

 いよいよ今日、これより! この第1層のボス攻略を開始する! みんな、心の準備は充分か!?」

 

 

 

「「「「「「 おおおぉぉ―――――――――っ!!!!! 」」」」」」

 

 

 

 全員を、同時に自分自身を鼓舞する為に発した叫びは、確実に その心に火を灯した。

 みな自身の利き手を天を破らんばかりに突き上げ、そして町全体に広がらんばかりの鬨の声を上げて、その士気の高さを示した。

 傍目には、まるでテレビの中から飛び出して来た戦士たちの如くだった。何も知らない人間が見れば、彼等が現実(リアル)では社会人であったり、学生であったりだとは思えまい。

 確実に、この世界の住人として、戦士として、一皮剥けようとしている者達であった。

 

 

 毒されている ―――――― とは、たとえ奥底で思っていても、誰も口にはしない。

 

 

 少なくとも今だけは、高まるばかりの熱意と勢いに任せようと思うのだった。

 

 

 

 

 

「さて。出発前に、ちょっとしたサプライズがある」

 

 

 

 不意に、このような事を言い出したディアベル。何事かと、にわかに どよめく面々。

 

 

 

「その前に、みんなに質問だが……片手用直剣を武器にしてる人は どれだけいる? 挙手を願う」

 

 

 

 その問いに、1人、また1人と手を上げていくメンバー。さすが、汎用性が高く、初心者にも扱い易いと評判の武器である。多くの人間が その手を上げていく。

 そして最終的には、全体の4割近い人数が挙手をする結果になった。

 

 

 

「ひー、ふー、みー………18人か。良かった、丁度良い」

 

「なぁ、一体サプライズって何なんだ?」

 

 

 

 勿体ぶるディアベルに、1人の男が尋ねた。わざわざ大一番の前に言い出すとなると、それなりの事であると想像できるが、それが何であるかは解らない様子だ。

 他の面々も疑問の声を上げるのを見て、ディアベルはニヤリと笑みを溢す。

 

 

 

「リンド、シヴァタ」

 

「はい!」

 

「解った」

 

 

 

 後ろで控えていたリンドとシヴァタを呼び、2人は返事と共に前に出る。

 そして2人はウインドウを操作すると、ある物を実体化させた。

 ゴトっという重い音を立て、現れたのは木箱だった。大の大人でも両手で抱えるには重そうな その木箱は、本来ウインドウ内のアイテム欄が限界を超えて溢れた際、オブジェクトとして宿屋などに置く事が出来る保存用アイテムだ。

 何故そんな物を、という疑問が出るのを他所に、2人は木箱の蓋を開け、中のものを出した。

 

 

 

「そっ……それは……!」

 

 

 

 1番前で その様子を見ていた1人が、箱から出されたものを見て、驚きの声を上げる。

 

 

 それは、1振りの剣であった。

 

 だが、ただの剣ではない。

 

 

 

《 アニールブレード 》……!」

 

 

 

 そう。最前線組の剣使いは みな装備し、この第1層の時点では最強クラスと言える剣。

 存在こそ、入手法こそ攻略本に記されていたが、初心者組には今日まで ついぞ手に入れる者が現れなかったレア武器。

 

 それが、彼等の手に握られていたのだ。

 呆気に取られる面々に、ディアベルが説明を加える。

 

 

 

「驚いたかい? 実は、この日の為に密かに集めていたのさ。

 何せ、相手は どんなモンスターよりも強力な敵。数は揃ったと いっても、簡単には差は埋まらない。

 なら、少しでも個々の攻撃力を上げる他ないと、そう考えた。それで、時間を見てはクエストを受け続けていたんだが、何とか数を揃えられて、良かった」

 

 

 

 それは極めて単純にして、合理的な考えであった。

 フロアボスはHPも防御補正も、並のモンスターの比ではない。であれば、勝利への確実性を増すには、人数やレベルもそうだが、装備武器のランクを少しでも上げる。これ程に解り易い手段もないだろう。

 だが、ディアベルの言葉は もっともでも、それを実現できたかどうかは別問題だったはず。

 何しろ、このアニールブレードを得る為のクエストは、単純な手間も そうだが運も大いに左右される。テスト時にも入手できた人数は少なく、初心者組には1人もいなかった事を考えれば、20近い数を揃える事が出来たのは まさに奇跡と言っても良い。

 

 

 興奮する初心者組を見て、ディアベルは満足気な笑みを浮かべる。

 

 そして、後ろで控えている黒髪の少女と視線を合わし、少女も若干 照れくさそうに はにかむ。

 

 

 

(キリト君の言った通りだった。彼女は……ハルカ君は、とんでもない少女だ)

 

 

 

 ディアベルが顧みるのは、他でもない。

 彼が畏敬の念にも似た感情を向けるハルカこそ、今回のアニールブレード分配作戦の立役者だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 初心者組が集結する前。

 

 最前線組内での軍議の中で、現段階で高い性能を持つアニールブレードを揃えてはどうか、と意見が出た。その意見の有用性は認めつつも、ディアベルやキリトを始め、多くは難色を示す。

 普通に、手間が かかり過ぎる事が大いに予想できたからだ。

 集めるだけでも手間である上、レベルもフィールド推奨数値に比べて上がって来た為、そこにいるフレンジーやダイアー・ウルフ、そしてリトルネペントといった敵を倒して得られる経験値も、もはや微々たるものである事も理由に挙げられる。であれば、迷宮区を中心にレベリングをした方が結果的に割に合うだろう ―――――― そう、程々(ベター)な意見で閉められると思われた。

 

 

 

 

 

『あっ……じゃあ、私が やってみて良いかな?』

 

 

 

 

 

 しかし、それでも その考えの有用性 ―――――― 自分以外の生存率が少しでも上がるだろうという可能性を捨て切れなかったハルカが、それを率先して行なう事に名乗りを上げたのだ。

 

 当初は、キリュウを筆頭にキリトもディアベルも了承し難い思いだった。

 確かにハルカは主に回復薬の確保など、後方支援に近い役割にあった為、それを行なう時間はあったと言える。

 だが、だからと言って彼女に そんな本当に有用であるか あやふやな役目を与えて良いものか、判断に困った。その上、当時キリュウとキリトのみは気付いていたが、ハルカは既に その時、バンロットという村で面倒なクエストを連日 行なっていたのだ。それも、理由は自分以外の面々に対する慰労を目的としたもの。それに加えて、更に面倒なクエストをやらせて良いのか、大いに悩んだ。下手をすれば、ハルカだけ自分達から乗り遅れる可能性もあったのだ。

 

 だが、それでもハルカの意思、決意は固かった。

 

 結果として、やれるだけの事、出来る事はやろうという事でキリュウ達も折れた。

 

 

 

 (しか)して結果は ――――――――― 彼等の予想を、大きく裏切った。

 

 

 その日の夜、帰って来たハルカが見せたのは、3つの(・・・)アニールブレードであった。

 

 彼女は何と、下手をすれば1%にも満たないとされる確率を、キリトが手に入れられたのでさえ奇跡に近かったものを、遥かに上回る結果を見せたのだ。

 誇らしげに、自慢げに可愛らしい笑顔を見せるハルカをよそに、キリト達は度肝を抜かれた。

 

 

 彼女(ハルカ)(リアルラック)はバケモノか…!? ―――――― そんな言葉が出そうになるのも無理はあるまい。

 

 

 その後も、その成果を理由に連日 行なった結果、ほぼ毎日のように手に入れて帰ってきた。3日連続で入手報告を聞いた時には、もう誰もが驚きを通り越して呆れの境地であった。キリュウでさえ乾いた笑みを浮かべる中、マジマとシリカが満面の笑みだったのが印象的だった。

 

 

 

 

 

 そんな、今となっては懐かしいとも思える日々を思い出しながら、ディアベルは笑い、こうして初心者(ビギナー)達の驚きと喜ぶ顔を見られた事を純粋に嬉しく思う。

 

 

 

「それじゃあ、今から順に配って行く。あぁ、それと、まだ強化は済ませていないから、そのつもりで頼む」

 

 

 

 アニールブレードを配る際、ディアベルは そう前置きをする。

 武器全般は鍛冶屋にて強化が施せるのだが、武器によってどれだけ強化できるかが変わる。通常、第1層で手に入る武器は4~6回が主流だが、レア武器であるアニールブレードは8回まで強化が可能である。

 ただし、必ずしも強化が成功するとは限らず、場合によっては《 素材アイテム 》も必要となり、更に回数を重ねるごとに成功率は下がって行く為、強化可能回数すべてが成功する確率は、極めて低いと言って良い。そこは、ネットゲームに限らず、そうした要素があるゲームのシステムだと割り切る他ない。

 もっとも今回の場合、アニールブレードは本来 隠し武器的な扱いでもある代物だ。たとえ未強化であっても、この1層ではフロアボスも含め、大きな効果が見込まれる為、そこまで深くは考えなくとも良いが。

 

 

 そうして、アニールブレードは初心者(ビギナー)組に配られていく。貰った当人達は、今 自分達が持っている武器よりも大きく、カッコ良く、そして強い武器の感触に歓喜していた。

 

 

 

「はい」

 

「ありがとよ」

 

 

 

 配る役目には、キリトも混ざっていた。

 さすがに18本もあるので、リンド、シヴァタとの3人で行なう事にしたのだ。個人的にしても、ハルカが折角 集めてくれた武器を、配るだけでも自分がしたい、という思いもあった。

 

 

 

「さて、あと1本。えぇと……」

 

 

 

 手元に残った1本を持ちながら、まだ配られていないプレイヤーを探す。

 少し前なら、こうして積極的に人を探したり衆目に晒されるような役目を引き受けるなど、考えもしなかった。だが、今は違う。

 少しでも、みんなの力になれればという思いが日に日に強くなるのを、キリトは実感していた。

 一見 面倒に思える役目も、決して悪くないと思っている。

 

 

 

 

 

「おっ。いたい ――――――――― た………」

 

 

 

 

 

「あ、あはは………」

 

 

 

 

 

 キリトは、渡すべきプレイヤーを見付ける。

 

 

 だが、視界に入っても、そこへ向かおうという考えは掻き消えた。

 

 

 何故なら、その相手とは、昨日 偶然 知り合った黒髪長髪の少女。

 

 

 

 そして、その後ろ(・・)には ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 

 自分を、まるで親の仇かの如く睨み付ける少女が、そこにいた。

 

 

 

 

 フードを深めに被っているにも かかわらず、その僅かに覗く顔からは、凄まじいまでの“ 睨み ”が発せられ、少年を貫いていた。

 

 

 

 その隣には、呆れの表情を見せるクールな少女。

 

 

 その感情は、少年に向けてか、あるいは少女にか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前言撤回 ―――――― キリトは、この役目を受けた事を心から後悔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 10:46  挑みし者を睨む森然 】

 

 

 

 

 

 迷宮区周辺を包み込む深い森。

 

 

 太陽が昇っているにも かかわらず、高く生い茂った木々が重なるように空を塞ぎ、光が ほとんど差し込まない情景を作り出していた。その おかげで、昼前の時間帯にも かかわらず薄暗く、妙に肌寒い印象を与えている。

 その中に唯一ある道らしい道を、最前線組と初心者組の連合部隊が進行していた。

 

 この連合部隊は現在、複数に分けて進んでいた。

 即ちリンドとシヴァタが中心となって進む第1部隊。ディアベルが中心となる第2部隊。キリュウとマジマが中心となる第3部隊。そしてキリトとハルカ、シリカが中心となる第4部隊である。

 単純に、最前線組が率いる形にしただけの簡素な仕組みである。無論、ボス戦になれば先日の内に決めたパーティで戦う事になる。

 緊張感が漂う中で、50人近い人数が一歩一歩 進む度、金属製の武器や装備が音を立てる。静かな中の金属音は、不思議と心を昂らせる効果を見せていた。

 それは、一種の“ 成り切り効果 ”と言えるものだったのかもしれない。

 

 

 

「しっかし、こうしてると、まるで戦国時代にタイムスリップしたような感じやなぁ」

 

「そうかい? 俺達の装備を考えれば、どちらかと言えば中世ヨーロッパって感じだと思うけど」

 

「細かい事は言いっこナシでっせ、ディアベルはん。ワイらは日本人やねんから、戦国でえぇでっしゃろ」

 

「まぁ、それもそうか」

 

「せやせや。それにしても、ディアベルはんは騎士っちゅう感じが ぷんぷんしまんな! その青い髪といい、甲冑(アーマー)といい。ちゅうか、ホンマに日本人でっか?」

 

「こう見えても、俺は純日本人だよ。まぁ、あんまり違和感がないってのは、俺自身も驚いてるさ」

 

「さぞ、モテたでっしゃろ? そんな甘い面してて、モテん方が おかしいわ」

 

「さて。どうだったかな?」

 

「くぅ~! 二枚目だけの余裕でっか!? 何て羨まけしからん!!」

 

「はははは……」

 

 

 

 並んで歩くディアベルとキバオウが雑談に興じている。

 本命までは まだまだ先。程良く、緊張を解していこうという2人なりの考えであった。それ以上に、やはり関西の血か、キバオウは話好きという側面もあったが。

 

 見た目も性格も差がある2人。漫画風に例えるなら、ディアベルは学年の王子様タイプ、対するキバオウはクラス一の問題児という印象を与える感じであるが、いざ接してみると、中々どうして、相性は悪くない。

 

 とにかく自分が話したいように話し、我が強い印象のキバオウに、一見ただ優しそうなだけの優男に見えるディアベルも、上手い具合に自分の意見も言い、引くべきところは引く柔軟さもある、中々に強かなところを持っている。

 

 何かのバトルものに例えれば、キバオウは“ ただ突っ込む事で能力を発揮するタイプ ”だとすれば、ディアベルは“ 相手の考えや傾向を見て、臨機応変に対応する万能タイプ ”といったところか。個々で見れば力不足に見えるものが、力を合わせれば驚くほどの結果を出す事が出来るだろう相性と言える。

 

 また、キバオウがディアベルに一目置いているのは やり取りで解るが、その“ 逆 ”も実はあった。

 いつの間にやら、キバオウは積極的に最前線組に深く入り込む程に近付いている。そんな彼を見て、他の初心者組は自然と彼が中心のような空気になりつつあった。こうしてディアベルと馴れ馴れしい程に会話をしてみても、やっかみ のような目もない。それを見て、ディアベルも彼の持つ強い個性に注目していた。

 

 2人は まだ自覚はしていないが、経験を積めば中々良いコンビになれるのでは、という印象を既に見せていた。

 

 

 

 

 

「……にしても……」

 

「ん?」

 

 

 

 そんな中、キバオウには気になる事があった。

 

 

 

 

 

アレ(・・)……何なんでっか、一体?」

 

 

 

「さぁ……?」

 

 

 

 

 

 雑談をしていても、背後から ひしひしと伝わってくる、圧力(プレッシャー)

 

 

 距離にして、数十メートル後ろ。

 

 

 

 

 

 姿も碌に見えないというのに、そこからは不気味なほどの緊張感が漂ってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

「アスナ……」

 

 

 

「………………」

 

 

 

「ねぇ、アスナ………はぁ」

 

 

 

 

 

「ちょっと……いい加減にしてくれない? いつまで そうしてるつもりなのよ」

 

「何、シノのん! アナタ、アイツの肩を持つつもり!?」

 

「別に そういう訳じゃ……って、この やり取り もう何度目よ……」

 

 

 

 完全に冷静さを失っている仲間に、正直 辟易しているシノン。

 場の空気が これ以上 悪くなるのを嫌い、何とか宥めようとするユウキも、まるで成す術がない。

 

 

 

 

 

 仲間2人からの非難混じりの視線も まるで意に介さず、怒り心頭の少女 ―――――― アスナは、ただ憎々しいばかりと言わんばかりの眼を、目の前にいる少年に向けていた。

 

 

 

 

 

(うぅっ……腹が、キリキリする………)

 

 

 

 その当事者たるキリトは、町を出発する前から止む事のない視線に、心底 参っている様子だった。

 時間と共に悪化していく腹部の違和感。ナーヴギアが もたらす再限度の高さに、この時ばかりは ありがた迷惑と思うばかりだ。

 

 

 

 

 

 どうして こうなった ――――――――― キリトは およそ半日前の出来事を回想する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトが“ 一生 忘れられないモノ ”を目に焼き付けた瞬間、飛び込んできたのは拳だった。

 

 

 

 あまりの事に呆然としていたとはいえ、最前線組として高いレベルを持っていたキリトでも全く対応できない凄まじいパンチだった。

 そのままリビングまで吹っ飛び、鼻を中心に強い違和感が走るのを仰向けに倒れながら感じていると、間を置かず腹部に衝撃が走る。

 

 そこには、馬乗りになって赤面でキリトを睨む少女が押さえ付けるように跨っていた。髪も体も濡れたまま服を着ている その姿は、彼女が頭に血が上りながらも羞恥心だけは忘れていない証左であったが、当のキリトにとっては それどころではなかった。

 

 待て、とキリトが口にする間もなく、少女は その拳をキリトに向けて振り下ろす。まさしく、グラウンドパンチだ。1,2回は受けてしまうが、キリトも殴られるままという訳にもいかず、咄嗟に手を取って抵抗する。筋力パラメーターではキリトが上のようであった事もあり、何とか拳は防ぐものの、少女の怒りと興奮は冷めるどころかヒートアップし、その全体重をキリトに乗せた。

 もし、ここで重いとでも言おうものなら、完全にキレた少女によりキリトは合掌の憂き目に遭っていただろう。もっとも、そんな事を気にする余裕もなかっただけであるが。

 

 

 結局、そのプロレスじみた押し合いは、彼女の仲間である少女2人が引き剥がすまで続いた。2人も体を拭く間もなく来た為、服は濡れて扇情的ながらも残念な有り様だった。

 仲間に引き剥がされ、宥められるのも聞かず、睨み続ける様は、キリトにして まるで生きた心地がしなかったという。

 

 

 

 間も無く、何も知らないハルカとシリカが部屋に入って来て呆然としたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、事情を飲み込んだハルカにより、彼女らが それぞれアスナ、シノン、ユウキという名前である事、昼間の会議の際に出会った事などを説明された。

 加えてハルカからは、このような状況になった事への謝罪がなされた。確かに彼女の行動は厚意からとはいえ、明らかに説明不足であった点は否めない。キリトにも、アスナ達にも、深く頭を下げて謝った。

 その真摯な謝罪に、アスナは彼女に恩も感じていた事もあり、一旦は怒りは収まった。

 

 だが、キリト本人に関してはその限りではなかった。

 

 曰く、「女性の体を見た事は別問題である」との事。

 

 キリトにしてみれば青天の霹靂である。

 彼自身、見たくて見た訳でもなく、完全に事故であると主張するも、アスナは まるで取り合わない。むしろ、責任から逃れようとする言動に軽蔑の目線を向ける程だ。

 そこまで言われる筋合いはないと、キリトも反論しようとするが、彼女の有無を言わさぬ圧力に何も言えなくなる。なまじ美人であるだけに、その迫力も並ならぬものがあった。

 シノンとユウキも、キリトの行動が決して意図したものでなく、あくまで不可抗力である事は認めるが、結果的に女性として見られたくないものを見られた心の傷は大きいと言った。

 暗に、甘んじて受けよ、と言ったのだ。

 今回、キリトが見てしまったのはアスナのみ。シノンとユウキは位置の関係で見えなかったので、キリトに対する悪感情は ほとんどなかった。それでも、キリトにしてみれば大した慰めにもならないが。

 

 

 その後もハルカの必死の説得も空しく、結局その場は有耶無耶に終わり、そのまま現在に至る。

 

 

 

 

 

「はぁ………」

 

「キリトさん、大丈夫ですか?」

 

「うん……まぁ、何とかね……」

 

 

 

 隣で歩くシリカが心配になって声をかける。

 キリトは無難な返事を返すが、実際の心境は決して楽なものではない事は一目瞭然である。ただでさえ同年代の同性とも さほど接してこなかった彼が、異性との いざこざともなれば余計に苦心するのは仕方のない事であった。

 とはいえ、大事な戦いを前に勘弁してほしいというのも本音である。

 

 

 

「ほんとに、ゴメンね、キリト君。私の不注意のせいで……」

 

「いや、良いんだ、ハルカ。むしろ、これ位で済んで、運が良かった位だよ」

 

 

 

 続いて、ハルカも重ねて謝罪してくる。ある意味 自身が元凶であると自覚している為、その沈痛さも一入(ひとしお)であった。

 それを見て、キリトも申し訳無さで一杯になる。彼女の不手際も この際 認めるとしても、それ以上に自分の行動の結果で ここまで ややこしい状況を作り出してしまった事に対する罪悪感の方が大きかった。

 また、アスナに睨まれ続けるという事が、ある意味 幸運であるのも1つの事実だ。下手をすれば、彼女の意思1つでハラスメントコードを利用し、はじまりの街にある黒鉄宮に送られていたのだから。そうなれば、運営もいない今、物理的にも、そして世間体としてもキリトの生活は閉ざされる事になっていただろう。

 そんな最悪の可能性を考えれば、今の状況は“ 運が悪かった ”と、比較的 軽い感覚で済ます事が出来た。

 

 それに、これから今後を大きく左右する大戦が控えているのだ。いつまでも悲観している訳にもいかない。

 それは、向こうとて解っているはず。だから、今は耐えようと誓う。

 

 

 

「………あの……」

 

「……なに」

 

「その………頑張ろうな、お互い」

 

「……そうね。よろしくね、へ・ん・た・いサン♪

 

「………………」

 

 

 

 針の筵は、未だ退けてもらえそうにはない。

 

 

 

 

 

「「「「はあ………」」」」

 

 

 

 

 

 前途多難な2人に、他の4人は溜息を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 

 もっとも、命を懸ける戦いに臨む者達にしては、余裕はあるのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 第1層:迷宮区  竜狗獣が座する王宮2階 】

 

 

 

 

 

 塔に入ると、そこはまさに迷宮と言うに相応しい雰囲気だった。

 全体的に薄暗く、通路の所々に設置されている松明で、何とか視界は確保されているような感じだ。壁や柱も石造りで、かなり年季が入っているのか、あちこちに罅が入り、蔦などが伸びている所も見受けられた。

 

 

 そんな人為的なものが散見されるフィールドにおいて、出現する敵も、今までのような野生動物の延長線上のようなタイプではなくなっていた。

 

 

 

 

 

「グルオオォォォ!!!!」

 

 

「グルアアアァァァ!!!」

 

 

 

 

 

「よしっ、突撃!!」

 

 

「行けぇ!!」

 

 

 

『 おおぉぉぉ――――――!!!! 』

 

 

 

 リンド、シヴァタの号令の下、6人のパーティが現れた敵に突貫する。

 まだパーティ戦が不慣れなメンバーの練習がてら、2人も指揮の取り方の復習をする事にしたのだ。

 

 

 彼等が対する敵は、《 獣人(じゅうじん) 》であった。

 犬に似た頭部を持ち、鋭く生えた牙と、蝙蝠の翼のような形状の耳が特徴的だった。そして、その体は二足歩行で しっかりと立ち、盗賊を思わせる布切れを胸や腰に巻き、自由である前足(うで)には、剣と棍棒が握られていた。

 

 名前は、それぞれ《 コボルド・ソードマンLv12 》《 コボルド・クラブLv11 》である。

 

 コボルド(コボルト) ―――――― それは、ドイツの民間伝承に由来する存在である。

 ドイツ語で“ 邪な妖精 ”を意味し、その名が示す通り、醜い容貌の妖精、あるいは精霊であるとされる。

 一般的には、人の家に住み、時に助け、時には悪戯をしたりするという、日本で言えば座敷童(ざしきわらし)に近い存在だ。

 その昔、世界で初めてのRPGが製作された際、現在の犬の頭を持つモンスターと設定された。そして以後のゲームでも その形は踏襲され、今に至る。

 このSAOでも、その基本的な設定は健在のようである。そういう意味では、割とポピュラーなモンスターと言えよう。

 

 

 

「グオオッ!!」

 

 

「うわっ!!」

 

「だ、大丈夫か!? このぉ!!」

 

「落ち着け!! 焦らずに対応すれば、大した敵じゃない!!」

 

 

 

 しかし、これまでのモンスターに比べ、明らかに手強くなっているのは確実である。

 今までの四足歩行が中心のモンスターと違い、二足歩行型の特性は、その汎用性にある。その強靭な肉体に任せ、力技やスピードに任せた原始的な戦い方だった四足歩行型と違い、このコボルド達は二足歩行ゆえの“ 武器を用いた戦法 ”を使ってくるのだ。

 先程も、ソードマンとクラブが それぞれ剣と棍棒のソードスキルを使い、初心者組を中心としたメンバーに傷を負わせたばかりだ。全体的な動きは鈍いものの、ステップなどで攻撃は避けるし、武器による防御も行なう。

 今までとは違う戦い方の相手に苦戦するのは、何も敵AIだけではない。

 特に、敵ソードスキルの威力は侮れない。クリーンヒットしようものなら、互角のレベルでも4割近くは削られてしまう程だ。

 

 加えて、地形の問題もある。

 今までは比較的 開けた場所での戦闘が多かったが、ここは迷宮区。即ち建物の中であり、動ける範囲は制限されている。それは無論 敵も同じ事だが、向こうはAIにより地形に合った動きをするのに対し、プレイヤー側は それらを考慮した動きをしなければならない。充分な訓練をしたとは言い難い練度では、相手に地の利はあると言って良い。

 

 故に、不慣れな彼等には とにかく数を活かした包囲戦法を取らせている。無理にソードスキルで短期決戦を挑まずとも、少しずつでも全員で削っていく方が、安全に倒せるのだ。

 

 

 

「行けぇ!!」

 

「うりゃあっ!!」

 

 

「グオオオッ!?」

 

 

「よっしゃあっ!!」

 

 

 

 そして、既に迷宮区に入ってからの戦闘は5度目。

 

 

 少しずつではあるが、プレイヤー達の動きには余裕が見え始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スイッチ!!」

 

 

「よし! うおおお!!!!

 

 

 

「グガアッ!!!」

 

 

 

「やったあ!」

 

 

 

 後方組である第4部隊も、戦闘を行なっていた。

 ハルカがコボルド・ソードマンに対し隙を見て《 パワー・ストライク 》を放つ。それは防御されるが、それも計算の内。防御により隙が生じたのを確認し、すかさずスイッチで交替し、キリトは《 ホリゾンタル 》を直撃させ、そのまま屠った。

 消滅を確認し、互いに勝利を笑い合う2人。後ろで見ているように言われたシリカも、2人の完全勝利に歓喜し、飛び跳ねていた。

 

 

 

 

 

 少し離れた所では ――――――

 

 

 

 

 

 

「ふっ!!」

 

 

「グオォッ!?」

 

 

「今だよ、アスナ!!」

 

「ハアアアアッ!!!」

 

 

「グガアアアッ!!!!」

 

 

 

 アスナ、シノン、ユウキの3人が、1体のコボルド・クラブを相手に戦っていた。

 3人で包囲すると、まずユウキが真っ先に進んで、注意を引く。そして隙を見て、シノンが短剣で敵の尻尾を斬り裂いた。コボルドは、喉元や尻尾が急所であり、特に尻尾を斬ると大きくバランスを崩すのだ。

 それを見て、ユウキは すかさず胸元に袈裟斬りを見舞う。そして、未だ隙を晒す敵の背後を、アスナが細剣用ソードスキル・《 リニアー 》で貫いた。

 凄まじいスピードで突き立てられたクラブは ひとたまりもなく、断末魔と共に消滅した。

 

 

 

「ふぅ……」

 

「お疲れさま、みんな」

 

「うんっ。大勝利だね!」

 

 

 

「みんな~」

 

 

 

「あ、ハルカちゃん」

 

 

 

 互いに敵を倒したのを見計らい、合流する。

 雑魚とはいえ、油断すれば それで終わりという恐怖は変わらない。それを越えて、お互いに無事を喜び合う。

 

 

 

「みんな、ケガはない?」

 

「うん、こっちは平気よ。そっちこそ大丈夫?」

 

「大丈夫だよ、キリト君だっているし」

 

「そう、それなら、良いけど」

 

 

 

 キリトの名を聞き、そしてハルカの後ろにいる本人の顔を見て、微妙な表情を浮かべるアスナ。

 それを見て、ハルカは僅かに表情を曇らせる。

 

 

 

「……まだ、気にしてる? 私が言える立場じゃないかもしれないけど、そろそろ許してあげてもらえないかな? キリト君だって、充分に反省してるし……」

 

「あ、いや、そういうワケじゃ……」

 

「ワケじゃない、って事はないでしょ。あからさまな表情ばっかり浮かべて。そうじゃないって言うんなら、態度で示しなさいよ」

 

「うっ………」

 

 

 

 ハルカの言葉を受け、困惑するアスナ。

 これ幸いと、シノンも間に口を挟む。彼女自身、同じ女性として気持ちは解るとはいえ、いつまでも過ぎた事でグチグチしているアスナに、正直うんざりしていた。

 シノンの厳しい言葉を受け、アスナは口を噤んだ。

 

 彼女自身、解っている。正直、そこまで怒りは もうないのだ。制裁であれば既に拳で済ませてあるし、言いたい事も言った。ハルカが言うのなら、向こうも反省しているのだろう。

 

 だが、今1つ きっかけが掴めなかったのだ。それに彼女にとって、一生に1度と言える大事なモノを見られた心の傷は決して小さくはないし、事故と解り切ったとはいっても簡単には許し切る事は出来なかった。

 また、極めて個人的な事だが、キリトの謝罪の言葉にはイマイチ誠意が感じられないという感覚があったのだ。無論、それは完全なる誤解であり、キリト自身は心の底から悪いと思っていた。

 だが、他人と、更に言えば異性との接点が ほとんどない人生だったキリトには、そういった経験もなく、その経験不足が結果として他人に誤解を招きやすい印象を与えていたのだ。

 逆に ――― 誰にも言っていないが ――― アスナも同年代の異性との接点は ほとんどない人生であった。故に、湧き立った怒りを、どの辺りで収めるべきか判断が付かなかったのである。

 

 結論から言えば、互いに不器用であったが故の徒労であった。

 

 

 

「……キリト、君……?」

 

「えっ……あ、はっ、はい!」

 

「その………ごめんなさい。ハルカちゃんの言う通り、いくらなんでも しつこ過ぎたわ」

 

 

 

 これ以上、仲良くなった人物に迷惑は かけられないと、遂にアスナは折れた。

 背筋を伸ばすキリトに対し、深々と頭を下げた。礼儀作法が その身に染み付いているような、しっかりとした所作だった。

 

 

 

「あ、いや……俺の方こそ、ホントに ごめん。いくら謝っても足りない位だけど……」

 

「それは……その……出来れば、忘れてほしいのだけれど……」

 

 

 

 キリトも、ようやく許してくれた事を喜びつつ、未だ脳裏に焼き付いて離れない光景に戸惑ってもいる。アスナも それを見て察し、顔を赤らめつつ言った。

 

 

 

「その………善処します」

 

 

 

 さすがに、記憶ばかりは どうしようもない。

 アスナも、時間と共に風化していくのを ただ祈るばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、戦っている間に他の面々と少しばかり距離が出来ていたので、6人は追いかける形で先へと急いでいた。既に最前線組で迷宮区のマッピングは済ませている為、迷う事はない。上へと続く階段へ向かいながら、雑談をしている。

 

 

 

「それにしても、3人とも凄く強いんだね。私、ビックリしちゃった」

 

「そうかな? 私から見れば、ハルカちゃんの方が ずっと手馴れてるように思えるんだけどね」

 

「そうだよね。盾で防いで、それで隙を見ての攻撃なんか、まるで映画を見てるみたいだったよ」

 

「う~ん。まぁ、私はキリト君と一緒に、最初の日から戦ってきたから、かな?」

 

「なるほど。経験豊富ってわけね」

 

「えへへ。それでも、やっぱり3人も凄いよ。ねぇ?」

 

 

 

 話を振ってくるハルカに、キリトとシリカも うんうんと頷いた。

 

 

 

「あたしも離れて見てましたけど、3人ともスゴく強かったです。連携もピッタリで、思わず声が出ちゃった位ですから」

 

「あぁ。ユウキの敵の注意の引き方も、シノンの敵の弱点を突く正確さも、アスナのトドメのタイミングも、どれを取っても目を見張るものだったよ」

 

「そ、そう……?」

 

「えへへ……何だか、照るな」

 

 

 

 ベタ褒めの言葉に、アスナもユウキも照れくさそうな笑みを浮かべる。シノンも、彼女らほどではないが、褒められる事は嬉しいらしく、満更でもない表情を浮かべていた。

 

 余談だが、当初キリトはユウキ以外には「さん」付けだったが、2人は要らないと言った為、呼び捨てにしていた。ハルカと同じで年上だと言うアスナは まだしも、シノンがキリトよりも1歳下だと知った時には、正直かなり驚いていた。女子は男子よりも成長が早いと言うが、かなり大人びて見えるシノンを見ていると、成程その通りだと納得できた。僅か1歳しか違わないはずのシリカは、彼女の全体を見て、何とも微妙な顔をしていたが。

 もっとも、アスナ達の方もキリトは もう少し年上だと思っていたらしく、お互いに印象と実年齢の差に驚くのだった。

 

 

 閑話休題。

 

 

 キリトから見て、3人は既に最前線組と比べても遜色ない実力を持っているのではと推測していた。

 ここに至るまで、初心者組の面々の様々な戦いぶりを見てきたが、彼女らほどの凄さを見せるプレイヤーはいなかった。唯一、キバオウは大口を叩くだけあって勇猛果敢という言葉が似合う程の戦いを見せていたが、それでも凡ミスも目立つなど、凄さという点では一歩 劣ると分析していた。

 

 攻撃も防御も隙が少ないユウキ。

 

 相手の位置や弱点を念頭に置いた戦いが上手いシノン。

 

 いずれも目を見張るばかりだが、何よりもキリトが注目したのはアスナだった。

 

 

 

(アスナが放ってたリニアー……あれは速い……いや、速過ぎる(・・・・)……)

 

 

 

 アスナがコボルドに放っていた、細剣用のソードスキル。彼女曰く、最も得意とする技との事だが、その速さに、キリトは特に注目し、同時に驚いていた。

 確かに、細剣は攻撃力が比較的 低い代わりに、速さと手数、そして正確さが売りの武器である。ソードスキルともなれば速いのは当然の事と言えるのだが、それらを念頭に置いても、彼女の技は速過ぎたのだ。彼がいくら過去の記憶を掘り下げても、あれ程のスピードを叩き出す相手は全くいない程、彼女の速さは群を抜いていた。

 

 

 

(間違いない……《 ブースト 》……それ以外に考えられない)

 

 

 

 ソードスキルに自身の動きを上乗せする形で威力や速さを上げる技術。それを、彼女も使いこなしているとキリトは踏んでいた。

 聞けば、アスナは完全なるゲーム初心者との事だった。《 スイッチ 》や《 POTローテ 》といったネトゲにおける基本的な用語すらも全くの無知であったと。

 そんな彼女が、経験者ですら満足に習得できない技術を、既に身に付けているという可能性に、キリトはある既視感(デジャブ)を覚えていた。

 

 

 

(そうだ……ハルカも、そうだった……)

 

 

 

 今や、自分の第1のパートナーと言える少女。彼女も また、ゲームとは ほぼ無縁でありながらもキリトも驚く程の上達を見せていた。そんなハルカとアスナが、不思議と重なって見えたのだ。

 

 キリトの直感が、驚く程に声を荒げている ―――――― 彼女もまた、逸材であると。

 

 今の段階でこれなら、更にレベルが上がり、装備もスキルも充実してくれば、一体どれ程の存在と化す ―――――― 否。化ける(・・・)のか、想像も付かない。

 ハルカの時にも覚えた“ 可能性に対する期待感 ”に、キリトは胸が高鳴るのを覚えていた。

 

 

 同時に、経験者に加え、キリュウやマジマ、ハルカにシリカ、そしてアスナ達を加えた、今回のボス戦に対する思いは ―――――― ただ“ 1つ ”。

 

 

 

 

 

(この戦い ―――――― 全く負ける気がしないぞ!)

 

 

 

 

 

 キリトの脳裏には、既に勝利の図式が浮かび上がろうとしていた。

 今日という日の為に、あらゆる手段を講じてきた。そして この日、これ程の可能性に満ちた人員も集結した。こんなにも決戦を前に充実した思いが満ちるのは、テスト時にさえなかった。それだけ、彼が今回の戦いに おいて懸ける想いは別格という事でもあった。

 

 

 

「あ、いたいた。おじさん達だ。お~い!!」

 

「マジマさ~ん、キリュウさ~ん!!」

 

 

 

 階段前で待機していたキリュウ達に対し手を振るハルカ達。

 駆け寄って行くシリカに続くように、ハルカやアスナ達も続いて行く。

 

 そんな彼女達、そして それを待っている面々を見て、キリトの胸中には熱いものが込み上げてくるのを覚える。

 

 

 

 

 

「キリトく~ん! 早く おいでよ~!」

 

 

「んなとこでボ~っとしてたら、置いてくでぇ~?」

 

 

「あぁ! 今 行く!!」

 

 

 

 

 キリトは、ひたすらに高まる感情を抑えながら、笑みを浮かべて合流していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 11:51  迷宮区20階 最奥 】

 

 

 

 

 

 いくつもの階段を上り、数多の敵を倒しながら、一行は奥へと進んだ。

 幸いにも、事前の情報提示などが功を奏し、多少のダメージを受けた者はいるが、それでも攻略戦から外れる程ではなく、みな問題なく進行できた。

 そうして進んで行くと、やがて迷宮内の雰囲気が徐々に変化していくのを、全員が感じ取っていた。

 

 

 

 そして、時刻は正午の少し前 ―――――― “ それ ”は姿を見せた。

 

 

 

 

 

「着いたぞ……ここが、迷宮区の最も奥 ―――――― ボスの部屋だ」

 

 

 

 

 

 そう呟いたディアベルの言葉には、有無を言わさぬ程の圧が籠っていた。

 

 

 そこにあったのは、大きな扉だった。

 高さは、5メートルはあろうかという程。扉には菱形が いくつも連なったような模様の意匠が施され、その扉が今までの途中にあった小部屋とは別物であると感じさせる。未だ全体的に暗い中、扉の左右の壁にある燭台の灯りが、底知れぬ存在感を与えていた。

 

 

 ここからが本番と、言外に告げる それを聞いて、続いていたプレイヤー達は改めて気を引き締め直す。何人かは、緊張からか固唾を飲む者もいる。

 その緊張感を感じ取りつつ、ディアベルは振り向いて全員に告げた。

 

 

 

「それじゃあ、ここで一旦 休憩だ。最後に もう1度、準備を入念に行なってくれ。

 

 ―――――― 正午きっかりに、大広間へ突入する!! 以上!!」

 

 

 

 そう告げると、おのおのが動き出す。

 

 言われた通り、武器や回復アイテムの最終確認をする者。

 

 溜まった疲労を少しでも取ろうと その場で座り込む者。

 

 パーティ同士や仲の良い者 同士で会話をし、緊張を解そうとする者など、様々だ。

 

 

 行為に差はあれど、みなが思う事は同じ ―――――― 後悔しないように。そして勝利だ。

 

 

 

 

 

「いよいよでんな、ディアベルはん!」

 

「ああ。全力を尽くそう」

 

「よっしゃあっ!!」

 

 

 

 

 

 ここに来るまで、更に絆を深めた2人が、戦意を高め合う。

 

 

 

 

 

「俺達もやるぜ、シヴァタ!」

 

「あぁ。やろう、リンド」

 

 

 

 

 

 ディアベルに従って ここまで来た2人も、彼に続かんと意気を上げる。

 

 

 

 

 

「ヒヒヒ!! やぁ~と来たなぁ。さぁ~……暴れるでぇ!!! キリュウちゃんも、気合入れろや!」

 

「アンタは入れ過ぎな位だ。だが、頼りにさせてもらうぜ」

 

 

 

 

 

 今は、いちプレイヤーに過ぎない《 龍 》と《 狂犬 》も、負けられない戦いを前に、現実の時にも劣らぬ闘志を燃やす。

 

 

 

 

 

「ハルカさん……」

 

「うん。シリカちゃんの事は、私が絶対に守るからね!!」

 

「あ、あたしだって! ハルカさんの事、守ってみせます!!」

 

「ハッハッハ!! その意気だ!! だが、俺の事も忘れてもらっちゃ困るぜ」

 

「エギルさん」

 

「道を開けるのは任せな。お前らは、しっかりと役割を果たせよ」

 

「「 はい!! 」」

 

 

 

 

 

 出会って まだ、間もない者同士。けれども、誰にも負けない程の絆を作りつつある3人は、互いにすべき事を視野に、健闘を祈り合う。

 

 

 

 

 

(いよいよだな………)

 

 

 

 キリトも、ベータ時代以降、今回で2度目となるボス戦を前に、思う事は数多だ。

 周りで各自、戦意を高め合う様子に続くように、自然と自分の意気も上がっていくのを感じていた。

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 不意に、アスナ達の方へと視線を向けた。

 見ると、シノンとユウキが何かを話し合っている かたわら、アスナがウインドウを操作しているのが見て取れたのだ。

 ウインドウを可視モードにしない限り、他人には当人が何を見ているのかは解らない。少しばかり気になったキリトは、アスナの方へと寄って行った。

 

 

 

「どうかしたのか?」

 

「え? あぁ、うん。ボスに対して、どんな武器を使おうか悩んでて」

 

「武器?」

 

「うん。私が持ってるのは全部 細剣なんだけど、強化してみたら能力はマチマチになっちゃったし、どうしようかなって。あっ、せっかくだから、キリト君も見てもらえる?」

 

「良いのか?」

 

「良いわよ。キリト君、経験者なんでしょ? だったら、良いアドバイスもくれるかなって」

 

 

 

 少し前に関係が改善されたのは事実だが、まさか武器の相談までしてくるとは予想外だった。

 キリトにしてみれば、あまり他人に自分のステータスやウインドウを見せるのは進んでする行為ではないと考えていたからだ。するとしても、同じギルドの仲間とか、よほど仲の良い者同士での話だと。

 

 

 

「……解った。じゃあ、見せてくれるか?」

 

「うん、お願い。はい」

 

 

 

 だが、経験者としての腕を買われているのは悪い気はしない。何より、絶対 負けられない戦いの前だ。全力で応えようと考えたところで、可視モードにされたウインドウを覗き込む。

 

 そこに表示されているのを見ると、確かに様々な能力の武器が揃っているようだ。

 武器はそれぞれ《 プレーンレイピア 》《 ロング・エペ 》、そして今アスナが使っている《 アイアンレイピア 》だ。

 単純に考えれば、最も良質の武器に位置するアイアンレイピアが良いと思われるが、他の武器も強化能力が速度であったり命中率であったりクリティカル率であったりと、ボス戦を抜きにしても無視し難い能力が揃っている。基本攻撃力に大差はない事もあり、確かに中々に迷うところではある。

 

 キリトも、口元に手をやり、真剣な面持ちで吟味に入る。様々な要素を念頭に入れての思考は、かなり堂に入った雰囲気を醸し出している。経験者としての一面は伊達ではないという事だろう。

 

 

 

(ふ~ん……この子も、こんな表情するんだ……)

 

 

 

 アスナは そんなキリトの様子を横目で覗き込みながら、意外なものを見たような感覚を覚えていた。

 彼が、自身より1歳下と聞いた時は少なからず驚いたのを覚えている。それは今のように、醸し出す雰囲気が年齢に不相応だと思える事が多いからだ。

 そして今も、初めて見る真剣な面持ちを前に新鮮な気分を味わっていた。

 

 

 

「う~ん………あっ、そうだ」

 

 

 

 そして悩む事1分近く。ふとキリトは、思い出したようにウインドウを操作し始める。

 突然の事に首を傾げるアスナ。

 そしてキリトは、“ あるもの ”を実体化させ、その手に握り締めた。

 

 

 

「“ これ ”、どうかな?」

 

「それって……」

 

 

 

 それは、一振りの細剣だった。

 だが、アスナは見た事のないものである。長さは他のものに比べても普通なものだが、レイピア独特の曲線状の鍔には花か雪の結晶を思わせるような衣装が施されている。それは、アスナが持っている他の細剣にはない特徴だった。

 

 

 

「名前は《 ウインドフルーレ 》。何日か前に偶然ドロップしたものなんだけど、俺は細剣は使わないし、知ってる人にも使う人はいないから、とりあえず仕舞っておいたんだ」

 

 

 

 そう入手経緯などを説明し、アスナに手渡す。

 何故か目を引かれる武器に、不思議と胸が高鳴りながら おずおずと受け取る。

 

 

 

「!? 軽い……!!」

 

 

 

 そして、受け取ってみると、アスナは その軽さに驚いた。

 短剣ほどでないにせよ、軽い部類に入る武器である細剣でも、若干の重さは勿論ある。

 だが、このウインドフルーレは今まで使ってきた どの武器よりも軽かったのだ。あまり筋力パラメーターを鍛えてないアスナでさえ そう感じるのだから、余程の軽さなのだろう。

 

 

 

「アスナの戦い方を見てると、とくかく手数と早さを武器にっていう細剣の特性を最大限 活かすような感じに見えたからな。だから、いっそ それくらい軽い武器の方が良いかなって、そう思ったんだ。どうだ?」

 

 

 

 そう言われ、アスナは鞘から剣を抜く。

 そして、その輝きなどを取り憑かれたかのような面持ちで見る。実際には大差はないのだろうが、自分の どの武器に比べても、より輝いているように感じていた。

 そして何より、いざ柄を握って持ってみると、改めて その軽さに驚いた。手に吸い付くような、という表情もあるが、まさにそれと思える程だ。

 2,3度、その場で振ってみる。風を切る音が その場に響く。そして同時に、その振る感触が今までとは全く違う事に気付いた。まるで“ 剣を振る ”というより、自身の“ 手そのものを振る ”かのようだった。

 そばで見ていたキリトも、今までと違う太刀筋に気付く。アスナの表情を見て、自身の選択に間違いはなかったと手応えを感じていた。

 

 

 

「気に入ってもらえたかな?」

 

「凄い……凄いよ、キリト君!! ホントに、これ貰っちゃって良いの!?」

 

「あぁ。言ったろ? 俺は使わないし、あげるような人も他にいなかったって。アスナさえ良ければ、是非」

 

「っ……ありがとう! 私、大事にするね!!」

 

「えっ……いや、武器なんだから、大事ってのは どうかと……」

 

 

 

 予想以上に喜ぶアスナに、キリトは嬉しいような、ほっとしたような気持ちになるが、同時に どこかズレたようなツッコミも入れる。

 しかしアスナは それにツッコミ返す事もなく、ただ笑顔を浮かべながらウインドフルーレを抱いていた。

 

 キリトは後頭部を掻きながら、まぁ良いか、と思うのだった。

 

 

 

 

 

 それらを見て、シノンやユウキらに茶々を入れられるのは、それから程無くである。

 

 

 

 キリトは時間が来るまで、慌て顔で言葉を返し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして ――――――――― その時は、遂にやってきた。

 

 

 

 

 

 正午きっかりを確認し、ディアベルが再集合をかけた。

 全員、既に準備は整えられており、それぞれが思い思いの表情を浮かべ、次なる号令を待つ。

 

 もはや後には退けない空気の中、何人かは奥底で興奮と恐怖の背反する思いに揺れる者もいた。戦闘狂でもない人間が、そう簡単に生死を分けた戦いで割り切れるはずもない事を示していると言えるだろう。

 だが、ボス戦にも、このデスゲームにも負けたくはないという思いは誰もが同じ。故に、決して退こうなどとする者はいない。今ここで退いてしまえば、それは負けを意味すると、理解していたからだ。

 

 扉の前で立ち、全員の様子を確認する最前線組。

 

 

 

「キリュウさん。最後に一言、お願い出来ますか?」

 

 

 

 今まで号令の役目を果たしていたディアベルが、キリュウに乞う。

 

 

 

「俺で、良いのか?」

 

 

 

 今まででも、ディアベルは十二分に役目を果たしていた。なら、今回も すべきではと考えていたキリュウは、今更 自分が すべきなのか即答しかねた。

 

 

 

「キリュウさん だからこそ、お願いしたいんです。この役目は、貴方が相応しいと思います」

 

 

 

 ディアベルの強い勧めに、リンドやシヴァタ、それにマジマといった面々も頷く。皆、若干の差異はあれど、キリュウが その役目を行なう事に不服はない事を示していた。

 そこまで言われては、キリュウも無碍には出来ない。

 僅かな逡巡の末、覚悟を決めたキリュウはディアベルに代わり、皆の前へと立つ。

 全員が、キリュウへと視線を集中させる。それらを1つ1つ確認し、既に皆が覚悟を決めている事を改めて確認する。

 

 思えば、キリュウは現役の時でさえ、これほどの人数を相手に先頭に立った事は ほとんどなかった。殴り込み(カチコミ)の時でさえ、基本的にキリュウは単独であり、子分も持った事がない為だ。

 むしろ、堅気になった後で今のような立場になる事に、キリュウは齢40を超えて尚、先の読めない現実というものを改めて実感していた。

 

 様々な思いが巡る中、キリュウは掛けるべき言葉を思案し、決定する。

 

 

 

 難しい事は言わない。

 

 

 無責任な事も言えない。

 

 

 

 だから ―――――― キリュウも含め、全員が成し得るべき事を解り易く、告げる。

 

 

 

 

 

「この戦い……必ず勝つぞ!! そして ――――――――― 必ず生き残れ!!!」

 

 

 

 

 

『 おおおぉぉ―――――――――!!!!! 』

 

 

 

 

 

 勝つ。そして、生き残る ―――――― これが、この戦いの最低条件である。

 

 キリュウの言葉の下、全員が それを再確認し、返答の鬨の声を上げた。それは間違いなく鼓舞と化し、今まさに全員の士気は最高潮へと達する。

 

 それを見届け、キリュウは踵を返し、扉の前へと立つ。そして その隣に、マジマも立った。これは、事前に決めていた役割である。

 互いに頷き合い、扉へと手を付ける。

 

 

 

「行くぞ」

 

 

「行くでぇ~!!」

 

 

 

 そして2人は、阿吽の呼吸で腕に力を籠め、扉を押す。

 何十キロは あろうかという石の扉であるが、程無くして動き始める。隙間が見え始める辺りから、扉は押さずとも独りでに開き出した。ゆっくりと、重い、軋むような音と共に。

 その音が、否応なく全員の緊張感を増していく。

 

 

 

 

 やがて ―――――― その扉は完全に開かれた。

 

 

 

 

 中は、真っ暗であった。

 

 扉の横の灯りで1メートル程度 先しか見えず、後は完全なる闇だ。まるで、冥府へと通ずるようだと思う者もいた。

 

 キリュウ、マジマ、ディアベルを先頭に、部屋の中へと入っていく。足音と武器や鎧の金属音が、いやに大きく響くのを感じながら。

 

 

 ゆっくりと歩きながら、先頭が10メートルほど進み、後方も部屋へと入った時であった。

 

 

 不意に、暗闇だった部屋に光が灯った。

 

 どこかに火が灯った訳でもなく、音もない唐突の変化だった。黒一色だった部屋は、先程とは打って変わって、目が眩むばかりの無数の色が支配する部屋に様変わりする。

 紫の柱が いくつも立ち並び、床も壁も天井も虹色に輝く その光景は、いっそ悪趣味で、不気味ですらあった。

 下を見れば、理解不能な模様が大きく描かれ、それが無数に描かれた部分は、レッドカーペットの如く奥へと真っ直ぐ続いていた。

 

 

 

 そして、その先 ―――――― 途中で左右に階段が広がる その上に、彼等は見た。

 

 

 

 それは、部屋と同じく虹色に輝く巨大な玉座であった。

 

 

 そして、そこに座する“ 大きな影 ”が1つ。

 

 

 

 その影の双眸が、紅く光る。

 

 

 

 僅かに動いた ―――――― そう感じた刹那、その影は跳躍を行なった。

 

 

 

 大半は僅かに反応が遅れ、何度か経験のある最前線組は少しも見落とす事なく、空中に舞うその大きな影を追っていた。

 

 

 程無く、影は玉座から優に10メートル以上は跳んだ先に着地する。

 

 その際、軽い地震が部屋中に起こった。相手の誇る大質量の為だ。

 逆に、そんな質量があり得ない程に跳んだのだから、演出だとしても末恐ろしいものがある。

 ふら付きそうになる体勢を、全員が危なげなく耐え、改めて その姿を見る。

 

 

 第一に思ったのは、“ デカい ”という事だ。

 

 

 見た目は、これまでのコボルドを巨大化させたような容姿。だが、その違いが半端ない。

 

 その全高は、優に4メートルにもなろうかという程。その腕と足に盛り上がる筋肉は、まるで隆起した岩の如くで、その力強さと頑強さを如実に物語っている。

 

 そして胴体は横に大きく、腹も中華鍋の底のように丸まっているが、決して愚鈍なデブといった印象は与えない。むしろ、関取の如き剛力を彷彿とさせる佇まいを醸し出していた。

 

 腹には大小の菱形を2つ描いたような青い模様が描かれ、腰には古の時代に高貴を表す紫の布が巻かれ、腕には手甲、脚には甲掛を、そして頭には棘の付いた兜を装着していた。

 

 そして極め付けが、その手に持つ装備だ。

 左手には巨体に相応しい程の巨大な円盾(バックラー)を、そして右手には もはや塊と呼ぶのがお似合いな程に巨大で分厚い斧を握っている。いずれも、現実で換算すれば数十kgから100kgは下らないだろう。

 

 人では到底 扱えない装備を、まるで衣服かの如く持つ その化物は、その紅い眼を光らせ、侵入者(プレイヤー)を睨む。

 

 

 

 広大な玉座を背景に、ボス戦らしい派手で壮大なBGMが流れ出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グルルル…グルオオオォォォォォォォォォォッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、荒ぶる己が力を解放するように、敵に誇示するように、天に向けて吼える。

 

 

 

 

  Illfang the Kobold Lord(イルファング・ザ・コボルド・ロード)

 

 

 

 

 刹那 ―――――― 頭上に、紅いカーソルと共に、その(邪悪なる牙のコボルド王)が表れる。

 

 

 同時に表れるHPバーは4本。言うまでもなく、これまでのモンスターとは何もかもが桁違いである。

 

 

 更に続けて、コボルド王は短く吼える。

 

 それが終わると、彼の者の前に青い光が立ち上る。

 それは、号令であった。その声に応じて現れたのは、全身に金属の鎧を身に纏ったコボルドであった。

 

 

 

 《 ルインコボルド・センチネル 》 ―――――― 王と共に、破滅(ruin)を齎す番兵(sentinel)だ。

 

 

 

 皆の闘気が、玉座の主らが漂わせる殺気が、みるみる内に高まっていく。

 

 

 テンポよく流れるBGMが、陣太鼓や戦場トランペットの如く士気を向上させていく。

 

 

 そして空気そのものが張り裂けんばかりに、緊張が走る。

 

 

 

 

 

 程無く、その両者の殺気と闘気が ――――――――― ぶつかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「 攻撃開始ぃぃぃ――――――――――――っ!!!!! 」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、キリュウとディアベルの号令の下、両陣営は一斉に攻め立て始める。

 

 

 

 

 

「行くで行くで行くでえぇぇぇぇ――――――!!!!」

 

 

 

 

 

 真っ先に先陣を切ったのは、キバオウだ。

 

 後ろに続く5人のパーティメンバーを追い越すように突貫し、相対す形となったセンチネルの1体に狙いを定める。

 そして、挨拶代わりとばかりに《 バーチカル 》の充填に入った。ディアベルらに貰った黒光りの刃に、光が宿る。

 

 だが、センチネルは そんな真正面からの馬鹿正直な攻撃を容易く迎撃した。キバオウが充填を始めた瞬間に、《 パワー・ストライク 》を繰り出したのだ。

 縦斬りと横薙ぎが ぶつかり、激しい閃光と火花が散る。ソードスキル同士の相殺の結果、僅かにセンチネルの膂力が優っているが、キバオウは負けん気を これでもかと発揮し、見事に踏ん張って互角の様相を呈す。

 

 その隙に、他のメンバーもセンチネルを囲うように配置に着く。得物と盾を構えつつ、牽制を交えながら対処していく。

 他の2体のセンチネルも、それぞれパーティ1組ずつが囲いつつある。それぞれが足止めをしている内に、他のメンバー達は それらを通り過ぎ、真っ直ぐコボルド王へと駆け寄っていく。

 

 やがて、巨大な敵に対する包囲も出来上がる。

 

 即ち、キリュウのパーティが正面側、右手側にディアベル、左手側にはリンド、そして背後にはシヴァタらが、それぞれ陣取る。

 そして、その後ろにも待機する形で更にアスナら3人が立つ。

 

 

 

 全8パーティ ―――――― 計45人からなる、初めてのレイドパーティが そこにあった。

 

 

 

 

 

「行くぞ!!」

 

 

 

 先手を取ったのは、ディアベルだ。

 囲まれた事を察知し、ターゲットを定める前を見計らって一気に駆け出した。

 コボルド王も すぐに その動きに気付き、その小さな挑戦者を叩き潰さんと その巨大な斧を振り下ろす。

 

 

 

「っ! ふっ!!!

 

 

 

 ディアベルも、その迎撃を確認する。それがソードスキルでもない普通の攻撃と解ると、盾ではなく武器を構える。彼のアニールブレードと巨塊の斧が ぶつかると、そのまま受け流すように敵の攻撃の軌道を変えさせた。

 

 これは《 武器防御(パリング) 》と呼ばれる(スキル)だ。敵の攻撃に合わせて武器を当てると、相手の攻撃を受け流し、敵の隙を作り易くするのである。無論、相応のタイミングと角度の調整が求められる技術であるが、ディアベルは ほとんど危なげなく こなして見せる。元テスターの面目躍如である。 

 

 そしてコボルド王が空を切った斧を戻す前に、その大きな丸い腹を斬る。2度、3度と肉を斬るような効果音が響くと、コボルド王も黙ってはおらず、すぐさま反撃に入ろうとしていた。

 それを見たディアベルは、攻撃を中断し、相手の出方を見る。そして自分 目掛けて斧を振り下ろす動作を確認すると、横へステップする。

 

 凄まじい轟音が響く。

 

 人の大きさほどもある斧が、数瞬前までディアベルが立っていた場所に叩き付けられていた。破壊不能オブジェクトである故に床は壊れないが、代わりに強い風圧がディアベルの体に当たる。

 そして目の前の巨大斧に対し、《 ホリゾンタル 》を放つ。それによりコボルド王の右手は弾かれ、少なからぬ隙が生じる。現実でなら難しい体格差であるが、システムが存在する世界であるが故の実現である。

 

 

 

「スイッチ!!」

 

 

 

 その隙を逃さず、ディアベルが声を上げる。

 すぐさま、後方で待機していたパーティメンバーの中が前へと進み、そしてリーダーを守るような態勢を取る。

 程無く、コボルド王の硬直が抜ける。それに僅かに遅れる形でディアベルの硬直も抜ける。相手が攻撃に入る前に、全速力で後方に下がる。

 

 

 

「グルルルオォォォ!!!!」

 

 

 

 自身に傷を付けたディアベルを睨むも、彼のパーティが させじと立ち塞がる。

 それを見て、コボルド王は小賢しいとばかりに斧を叩き付ける。盾持ちのメンバーが、必死に腕や下半身に力を籠め、その攻撃を防ぐ。《 盾防御(シールドディフェンス) 》のスキル恩恵により、圧倒的 体格差、筋力差があっても吹き飛ばされるような事はない。

 

 

 

「グルルアアア!!!」

 

 

「ぐっ!!」

 

「このっ……馬鹿力め……!!!」

 

 

 

 だが、それでもフロアボスとしてのステータスは圧倒的だった。

 

 

 かつて、ベータテスト時の戦闘データを基に独自に調査したプレイヤーがいたそうだが、その者の調べによると、フロアボスのレベルは その階層の数字に15~20ほどの数字を加算した計算になるらしい。即ち、コボルド王のレベルは単純に考えて16~21ほどであると推測される。

 これは、今 戦っている大半のプレイヤーを上回る数値だ。真っ先にレベリングに励んだキリトでさえ、17だ。それより遅れた面々となれば、それ以下であるのは当然の帰結である。初心者組の中には、やっと10になった者さえいる程なのだから。

 

 レベルは、全てを決定付け、依存する ―――――― それが、レベル制のMMOの現実である。

 

 

 

 

 

「ぐあああっ!!?」

 

 

「うわあっ!!」

 

 

 

 3度の攻撃を受け止め、遂に盾役(タンク)のメンバーが体勢を崩した。

 雑魚なら まだまだ耐えられる程に鍛えてきた精鋭であっても、フロアボスたるコボルド王の前には力不足であったのだ。

 

 だが、そんな事は最初(ハナ)から承知の上であった。

 

 

 

「リンド、シヴァタ!!」

 

 

「「おおっ!!!」」

 

 

 

 盾役の限界を既に察していたディアベルが、完全に綻ぶ瞬間、左右で待機している2人に合図を送る。

 そしてコボルド王が盾役を全力で吹き飛ばした刹那を見計らい、リンドとシヴァタらのパーティが行動を開始する。

 

 

 

「ふんっ!!!」

 

 

 

 まずシヴァタが、コボルド王の斧 目掛けて《 バーチカル 》を放つ。

 相手の出鼻を挫いたところで、後ろから飛び出した面々が、おのおの剣や槍、棍棒などで攻撃を数回 行なう。微々たるものであるが、それでも確実に削れていくHP。

 

 

 

「行くぞ!! でやあっ!!!

 

 

 

 そして、順調にダメージとヘイト値がシヴァタ隊に溜まり始めた頃合いに、リンド隊が その背後を突く。がら空きの背中や尻を目掛け、ソードスキルや通常攻撃を見舞っていく。デカい図体ゆえに攻撃を受ける箇所も非常に広いので、面白い位に背後への攻撃が入っていく。決して少なくないダメージが入り、コボルド王の体も揺れ、短い悲鳴も上げる。

 遂に完全に鶏冠(トサカ)に来たのか、憤怒の表情で牙を剥き出しにし、背中を傷付けた不届き者を亡き者にせんと斧に力を籠める。巨大な斧の刃に、紅い光が充填されていく。

 

 

 

「防げぇ!!!」

 

 

 

 誰よりも早く、キリトが叫ぶ。

 言われるまでもなく、黙って喰らってやる道理はない。返答代わりに、盾持ちは防御を、武器のみの面々は全速力で後退する。

 

 

 

「グルルルオオオオンッ!!!!」

 

 

 

 そして放たれる横薙ぎの一閃 ―――――― 片手斧用ソードスキル・《 カーズ・ウィンド 》

 ボス特有の規格外の筋力により放たれる それは、現在のプレイヤー達が放てる威力の比ではない。威力重視の両手武器と同等、否。それ以上の速さと威力を持って、プレイヤーを薙ぎ払う。

 盾で防御した面々は、クリーンヒットこそ防ぐものの、殺し切れなかった威力にHPを削られ、後方に躱した面々も、その威力ゆえの音と風を見て、戦慄を覚えた。

 直撃を受ければ“ 死 ”という、作戦で散々頭に叩き込んだはずの常識を、改めて本能も否応なく実感した瞬間だ。

 

 

 

 だが、彼等が感じたのは恐怖だけではない ―――――― 好機も、同時にである。

 

 

 

「今だ、行くぞ!!」

 

 

「待ってたでぇ!!!」

 

 

 

 ソードスキルを放った後には隙が出来る ―――――― 無論、これはボスにも当て嵌まる事だ。

 コボルド王は、その巨体と攻撃力の高さの割に俊敏性も高めである。ゆえに、攻撃する際も反撃を考慮し、簡単にはソードスキルで行なわないようにと決めていた。

 だが、ソードスキルを放った直後は別である。

 誰もが等しく、平等に課せられる硬直時間を、逃す道理も また存在しないのだ。

 キリュウ率いるパーティが、素早く行動を開始する。

 

 

 

「くらえっ!!!」

 

 

 

 先手を切ったのはキリト。

 この中でも最も高いであろうレベルとステータスを活かし、誰よりも早く攻撃を放つ。

 《 レイジスパイク 》の刃が、コボルド王の脇腹に直撃する。刃が半分以上 突き刺さる様が、何よりも手応えを感じさせていた。

 それに間髪入れず動くのは、ハルカとシリカだ。

 

 

 

「えやぁっ!!」

 

 

 

 素早く動いたシリカが反対側まで回り込み、キリトとは真逆の脇腹に《 クロス・エッジ 》を放った。十字の赤いエフェクトが、彼の紅い体色に上塗りされていく。

 

 

 

「はあっ!!!」

 

 

 

 更に間髪入れず、ハルカが正面から突っ込み、技の充填に入る。下に構えた棍棒を握りながら射程に入ると、すぐさま振り上げる ―――――― 《 アッパー・スウィング 》と言われる片手棍のソードスキルだ。

 

 

 その攻撃をハルカは敵の ――――――

 

 

 

 

 

  キィ―――――――――ンッ

 

 

 

 

 

―――――――――ッ!!?!!???

 

 

 

 

 

 ―――――― 股間に命中させた。

 

 

 

 “ そういった点 ”も再現されているのか、コボルド王は今までの どの攻撃よりも顕著な反応を示した。大きくを口を開きながら、声にならない悲鳴を上げているように見えた。

 こころなしか、見ていた他の男性プレイヤー全員が、縮こまるように下半身を震わせていたように見受けられる。不倶戴天の敵とはいえ、そこは本能も同情する、という事だろうか。

 

 

 

「オイオイ! えげつねぇな、ハルカ!!」

 

「えっ? でも敵の急所を狙えって」

 

「そうだけどよ! 全く、末恐ろしい嬢ちゃんだぜ!!」

 

 

 

 彼女らを援護する為に出て来たエギルも、ハルカの想像以上の“ 苛烈 ”さに驚く。

 誰よりも優しいと思える少女が、今は少しも躊躇していない姿に、頼もしさと恐ろしさが混ざった感情を抱いた。

 

 

 

「グ……グルルルルルゥ…!!!!

 

 

 

 ようやく悶絶から立ち直ったコボルド王が、ハルカを睨み付ける。その眼には憎々しいまでの恨み辛みが宿っているのが解る。よほど衝撃(ショック)だったのだろう。

 ハルカも、そんな相手の感情に惑う事はない。冷静な面持ちで、盾を構えて待ち受ける。エギルも、その大きな両手斧を構え、あらゆる対処が出来るようにしている。

 

 

 

 だが、それで背後(・・)を がら空きにしたのが運の尽きである。

 

 

 

 完全に視界も注意にハルカに向いた瞬間、2つの影がコボルド王の足元に接近する。

 

 その影とは、キリュウとマジマだ。

 

 姿勢を低くしながら駆け出し、その巨体の足元まで忍び寄る。コボルド王が それに気付く前に、2人は素早く行動を開始した。

 

 

 

「どぉりゃあっ!!!」

 

 

「でいぃやあぁっ!!!」

 

 

 

 2人が狙った部位 ―――――― それは甲掛が隠し切れていない足背だ。そこに、2人の曲刀と短剣が深々と刺さった。

 

 甲冑部分は攻撃こそ入るが、防御補正が大きく掛かる為に大した効果は見込めない。ほぼ全身を甲冑で埋めているセンチネルも同様である。故に、センチネルと対する際は唯一 鎧で埋めていない喉元を狙うのが効果的であるとして、相手をしているキバオウ達も そこを上手く狙うようにして対処していた。

 

 しかし、ソードスキルなどで隙を作れば比較的 狙い易いセンチネルの喉元(弱点)に引き換え、コボルド王の足元は一見 やり易いように見えるが、見た目以上に俊敏性や反応速度が高い為に簡単にはいかない。

 何より巨大な胴体と比べて、それを支える足は小さめであり、更に大きな腹が邪魔になって余計に狙い辛いのだ。故に、テスト時にも、わざわざ大きなリスクを背負ってまで そこを狙おうとする者はいなかった。

 

 だが、キリュウとマジマは あえて そこを狙った。

 そして、喰い込ませた刃を抜き、更に何度も何度も足背や指の付け根部分を執拗なまでに斬り付けた。

 

 

 

 

 

「「 そりゃあぁぁぁっ!!! 」」

 

 

 

 

 

 結果 ―――――― その攻撃は、予想以上の効果を齎した。

 

 

 硝子が砕ける効果音と共に、コボルド王の足に亀裂のような赤いエフェクトが走ったのだ。

 

 これは《 部位破壊 》と呼ばれる、弱体効果(デバフ)要素の1つである。

 主にボスのような巨大な敵に設置され、特定の部位にダメージが蓄積されると、そこの耐久値が無くなり、破壊されるのである。そうなると、攻撃力の低下や特定の攻撃を無力化させるなど、プレイヤー側にとって有利な様々な効果が出るのだ。

 

 

 

「グオオオオォッ!!?」

 

 

 

 そして今回の場合、コボルド王は《 転倒 》という事態になった。悲鳴と共に前のめりに倒れ、腹や胸、そして顎を固い床に強かに打ち付けた。重々しい轟音が響き渡る。

 4メートル近い巨体と、両手に持つ巨大な武器と防具といった様々な“ 重さ ”を支えていた足が破壊されたのである、無理もない事であった。

 

 だが、こと戦いに おいて“ 転倒 ”は致命的なまでの隙であるのは、言うまでもない。

 

 そして、それを見逃す道理は、プレイヤー達には皆無であった。

 

 

 

「よしっ!! 今だ、集中攻撃!!!」

 

 

 

「うおおおぉぉっ!!!」

 

 

「やってやれぇ!!!」

 

 

「死に晒せぇっ!!!」

 

 

 

 喜色混じりのディアベルの号令と共に、周りにいた他のパーティ達も一斉に突撃を開始する。

 今や情けない程の姿を晒すコボルド王に対し、おのおのソードスキルを主に、そうでなくとも剣や槍に棍棒、短剣、曲刀、斧などの、ありとあらゆる通常攻撃がコボルド王の全身に叩き込まれる。その巨体ゆえに、攻撃を受ける範囲も広い事が更なる追い討ちとなっていた。

 悲鳴を上げながら、コボルド王は それを受け続けるしかない。みるみる内に、HPバーはその色を失っていく。これまでよりも遥かに速い減少速度から、現在 防御補正にも影響を及ぼしている事が窺えた。

 テスト時ですら知り得なかった思わぬ効果に、キリトやディアベルも驚きつつ、数少ない好機を逃してなるものかと、ひたすらに攻撃を行なった。

 

 

 

「おっ!! 向こうは派手にやっとるな? ワイも負けてられへんでぇ!!!」

 

 

『おおぉ――――――!!!』

 

 

 

 背後で聞こえた大音量に振り向いたキバオウが、ボス担当が善戦しているのを確認する。

 その勢いに遅れてはならじと、未だ残っているセンチネルの1体を可及的速やかに倒さんと、再び暴れ始める。

 

 

 

 

 

 そして再び、コボルド王に袋叩きを行なっている面々。

 

 

 もはや、誰のかも解らぬ攻撃により、4段あるHPバーの最上段が尽きた瞬間 ――――――

 

 

 

「グウウウウウウゥッ……!!!!!」

 

 

 

「!? みんな、離れろ!!

 

 

「!! 総員、退避ぃ!!!

 

 

 

 コボルド王の体が震え、それを察したキリュウとディアベルが離れるよう促す。一方的な攻撃に半ば酔っていたメンバーも、有無を言わさぬ言葉の強さに我に返り、慌てて その場から離れていく。

 

 

 

「グルルルルアアアアアアアアァッ!!!!」

 

 

 

 刹那、コボルド王は前方180度に斧を振るいながら、素早く立ち上がった。

 その勢いは思いのほか強く、もう少し反応が遅ければ多くが吹き飛ばされていたであろう。

 立ち上がった事が示す通り、既に破壊された足は完全に元通りになっている。再び しっかりと地面を踏み締め、眼下のプレイヤー達を睨み付ける。その瞳には、紛れもなく憤怒が宿っていた。

 

 

 

「ちっ……また立ちやがった!」

 

「当たり前だ。ずっと倒れてるなんて、そんな都合の良い話がある訳ないだろう」

 

「はっ。そりゃそうだ!」

 

 

 

 リンドとシヴァタが雑談じみた言葉を交わす。

 その言葉の軽さとは裏腹に、未だ油断ならぬ状況である現実を再認識していた。

 

 

 

「総員、再び展開!! 慌てるな、落ち着けば勝利は確実だ!!」

 

 

 

 再び その威容を見せ付けるコボルド王を前に、ディアベルが戦意を萎えさせてはならぬと声を張り上げる。皆も それに倣い、再び先程と同じく包囲陣を組む。

 

 

 

「グオオオオオッ!!!」

 

 

 

 その最中、コビルド王が大きく咆哮する。

 すると、キバオウ達の方から効果音と驚きの声が 複数 聞こえる。

 見れば、どうやらセンチネルの増援が来たらしい。テスト時にはセンチネルが全滅した後、一定時間 経ってから再出現していたが、現在は少しばかり仕様が変わった様子である。

 

 ディアベルやキリュウらが、センチネル担当の方を見る。

 

 そこには、再び出現した3体のセンチネルと、それに対するキバオウ達の姿。そして、後ろからの視線に気づいたキバオウが、不敵なまでの笑みを見せた。

 

 

 ここは任せろ ―――――― それは、そう告げていた。

 

 その決意を見て、キリュウとディアベルも頷く。今は、彼等を信じるだけだ。

 

 

 

 

 

「「いくぞぉ!!!」」

 

 

『 おおぉぉ――――――っ!!! 』

 

 

 

 

 

 再び、包囲戦が幕を上げた。

 

 

 次なる狙いは、2段目のバーの喪失である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスナ、シノン、ユウキの3人は、予想外の手持無沙汰に戸惑いさえ感じていた。

 

 

 彼女達も攻略組として加わったものの、前日の時点で思わぬ事態に直面していた。

 それは、レイドを組む際に彼女達だけが中途半端なパーティになってしまった事だ。他のメンバーが6人(フル)パーティを組み立てた中、彼女達だけが3人のままとなってしまった。決して、彼女達を除け者にした訳ではないのだが、人数の関係もあり唯一の半数パーティとなった。

 今更 他のメンバーを招集する時間もなく、仕方なく そのままレイドに組み込む事となった。

 とはいえ、作戦の中で必要とされるパーティは数が揃っていた為、彼女達3人は有事の際の補助メンバーという形で落ち着いた。一応、折を見てはセンチネルにもコボルド王にも対応できる遊撃隊としての役割に等しいものだが、実際は どのチームも予想以上に善戦している為、彼女達が入る隙間は全くと言って良いほどなかった。

 

 

 

「良い調子だね」

 

「そうね。順調過ぎて、なんだか怖い位だわ」

 

 

 

 武器は しっかりと握りつつ、それでも振るう事もない中、ユウキとシノンは現在の様子に それぞれの感想を言い合った。

 純粋に自軍の優勢を喜ぶユウキに対し、シノンは あくまでも万一を考え、冷静そのものだ。

 2人が話し合う中、マントを深く被り、細剣を握るアスナは、じっと戦いの様子を見ていた。

 

 

 

(みんな、凄い……これが、“ 戦い ”……)

 

 

 

 本や、授業などで習った事のある“ 戦い ”という行為。

 そこにある絵や資料などから、おおよその流れは知識として入っていた。

 だが、実際に自分が一員として体験して、その あまりの凄まじさに驚くばかりだった。それまでの、少人数でのレベリングなどの戦いとは まるで違う空気が、そこにあった。

 

 皆、命を懸けて戦っている ―――――― 今更とさえ言える、当たり前の事だが、こうして皆の ありとあらゆる一面を目の当たりにして、それが どういう事なのか、その多感な感性は深い位に感じ取っていた。

 言葉にするのは難しいが、ただ見ているだけでも心が奥底から突き動かされるようなものがあった。少し物騒な物言いなら、衝動とさえ言えるものだ。

 

 ぎゅっと、右手に握る細剣 ―――――― ウインドフルーレを見る。

 そして、目の前で戦っているハルカ、そしてキリトへと視線を向ける。2人とも、周りと必死に息を合わせ、互いに守り合い、全力を揮っているのが見て取れる。その表情は、必死さの中に強い信頼を窺わせるものがあった。

 

 

 

(っ……私も……!)

 

 

 

 不意に、アスナは強く ―――――― 戦いたい、という気持ちを抱く。

 同時に、驚きもした。自分が、そんな感情を抱く事に。それまで、そんなものとは無縁の生活を送っていた自分が、そんな野蛮と言われても不思議ではない感情を抱いた事に。

 だが更に、そんな自分に納得できるものがあるのも事実だった。

 自分が武器を取ったのは、気まぐれでもなんでもない。

 

 ただ、負けたくなかった。

 

 いつまで経っても救助は来ず、時間と共に感じる“ 自分 ”というものが削り取られる感覚。何日も感じた恐怖を経て、周りの決起を聞き、自分を殺す流れに身を任せる事を善しとしない、自分に残った意地を貫くべく、一歩を踏み出した。その覚悟を、ただの一時の気持ちの流れと断ずるのは誇りが許さない。

 

 だからこそ、アスナは戦いたいと願った。

 

 そして ―――――― ハルカとキリト。

 

 自身に、この上ない喜びを与えてくれた2人に報いる為にも、と。

 

 

 

 だが ―――――― 今は まだ、だ。

 

 

 今は、まだ その時ではない。

 

 

 流れは、ゆっくりと、しかし確実にプレイヤー側に傾きつつある。

 取り巻き(センチネル)との分断も、コボルド王に対する包囲作戦も、順調に働いている。今、自分の我儘で その流れを変える危険のある行為は、決してしてはならない事だ。

 

 だから、その時を待つ。

 別に、今回の戦いである必要もない。今後も、同じような事は何度も続くのだ。その際に、自分も積極的に働きかければ良い。

 

 

 

(出来るなら……2人とも……)

 

 

 

 そんな想いも馳せながら、アスナは ただ、目の前の戦いに集中する。

 

 

 

 

 

 そして、その願いは程無く果たされる事となる ―――――― “ 思わぬ展開 ”によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 対コボルド王の戦いは、ほとんど一方的な展開を呈そうとしていた。

 

 中には、良い意味で予想外の流れに戸惑いすら覚えている者もいるだろう。最悪、阿鼻叫喚の地獄絵図さえ想像していた者からすれば、何とも生温い戦いに感じていたに違いない。

 

 これも ひとえに、フロアボス戦に向けて臆病なまでに入念な準備を行なった末の結果に他ならない。

 

 

 有名な孫子(そんし)の兵法に、こんな言葉がある。

 

 

 

『 勝兵は先ず勝ちて(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む 』

 

 

 

 即ち、勝者は勝ってから戦い、敗者は戦ってから勝つ方法を探す、という意味だ。

 

 戦いとは、単に人や軍勢が ぶつかり合う中で勝敗を決めるだけではない。入念に準備し、相手の出方などの情報を整え、人員も充分に確保する。しかる後に、守備を固め、相手の隙を逃さず突けば、まず負けはしないのだ。

 

 つまり今回の場合、フルレイドに近い面子を揃え、テスト時の情報と軽い手合わせによって相手の攻撃パターンも ある程度 把握し、更にキリュウやマジマ、キリトにディアベルといった手練れがいた時点で、コボルド王の勝ちなど無きに等しいものになっていたのだ。

 

 ならば、何故 戦う前に他の面々を不安にさせるような事を言ったのか。

 

 これも、理由は至極単純 ―――――― 皆の気持ちを1つにする為だ。

 

 もし、最初から今の戦力でも充分に戦えると余裕を見せたと仮定する。

 すると、中には「だったら、自分は そこまで死に物狂いになる必要はないかな」、「せっかく元テスターとかがいるんだし、彼等に頑張ってもらおうか」などといった、他力本願な思考になったり最低限の集中力さえ維持できなくなる可能性が あった。

 そうなっては、いかに勝つ可能性が高い陣容を整えても、万一の事が起こった際に そこが綻びとなり、瞬く間に瓦解してしまうだろう。

 

 有名な例として、《 桶狭間(おけはざま)の戦い 》というものがある。

 戦国大名・今川(いまがわ) 義元(よしもと)が、隣国の織田(おだ) 信長(のぶなが)を攻めた有名な戦いだ。

 この戦いで、義元は実に信長軍の10倍近い戦力を誇っていたにも かかわらず、勝ち戦と兵の末端までもが油断し、僅かな隙を突かれて大敗、義元自身も討ち死にしたという顛末だ。

 戦いについては諸説あるが、この際 割愛するとして、とどのつまり どれだけの戦力を揃えようと、戦う者すみずみまで全力で勝つ気でいなければ、勝てるものも勝てなくなるのだ。

 

 そうならない為にも“ 手練れ揃いの最前線組だけでは到底 戦い切れない ”という大前提を作り、全員が一丸となる土台作りをする必要があったのだ。

 

 結果として、その試みは見事な成果を上げた。

 皆、基本を忠実に守り、数の利を活かして攻撃と防御を円滑に行ない、HPが削られるなどの不測の事態には すぐに他の面々がフォロー出来るよう、冷静な行動が行なえたのだ。 

 

 

 

 

 

「そりゃあああっ!!!」

 

 

「グガアアアッ!!?」

 

 

 

 

 

 そして今、これまでの努力が実ろうかというところまで来る事が出来た。

 

 キリュウがコボルド王の見せた隙に目掛けて突貫。相手の迎撃もパリングで受け流し、そのまま曲刀の刃を腹の中央に深々と突き刺す。そして、抉り込むようにして刃を動かし、腹を掻っ捌くように斬り払ったのだ。

 その瞬間、既に度重なる攻撃により半分以下(イエロー)になっていたコボルド王のHPは、遂に危険域(レッドゾーン) ―――――― 即ち、最後の1本にまで削られたのだ。

 

 

 

 怯むコボルド王 ―――――― その様子に、変化の兆候が見え始めた。 

 

 

 吼えるでもなく、構えるでもなく、ただ その場で唸り声を上げ、怒りに震えるように肩を震わせていたのだ。

 

 

 

「!! 来た(・・)……!!」

 

「キリュウさん、一旦 離れて下さい!!」

 

「おう!!」

 

 

 

 その動きに見覚えのあるキリトとディアベル。彼らの言葉を聞き、残心していたキリュウは 素早く後方に下がる。

 

 そして そのまま、プレイヤー側は相手の出方を窺う。

 

 次の瞬間、コボルド王は盾、そして得物である斧を投げ捨てた。

 凄まじい轟音が鳴り、そしてポリゴンと化して消える。

 無手になったコボルド王は、右手を後ろの方へと伸ばす。そして、腰に下げていた“ 何か ”を握り締める。

 

 それは、戦闘開始時から装備していたものだ。

 武器と おぼしき物だが、柄の部分以外は鞘で包まれており、全容を見る事が出来ていなかった。

 そして それこそ、キリトやディアベルが特に注意を向けていた事柄だ。

 彼等曰く、テスト時にはラスト1本になった時、そこから湾刀(タルワール)という、インドや中東などで見られる曲刀に分類される武器を抜いたのだという。

 盾持ちの斧に比べ、相応に攻撃速度が速くなるのだが、その攻撃自体は単調であり、慣れれば対処は簡単だったらしい。

 

 だが、それはあくまでテスト時の話だ。

 

 これまでワイルドヒートの例の如く、既にテスト時には見られない変化が随所に見られていた。そして今回、コボルド王に関しては現在のところ、それらしい変化は見受けられていない。

 であれば、最後の最後である今が、最も変化があってしかるべきと2人は考えていた。より正確に言えば、キリュウやマジマ、ハルカを始めとする先入観なしの面々の意見も考慮に入れた上での予想だった。

 

 

 そして、コボルド王は それを鞘から抜き、プレイヤーに見せ付けるように横に伸ばした。

 

 

 姿を見せた“ それ ”は ―――――――――

 

 

 鍔もなく、よく見ると柄さえなく、ただ布で巻いただけの簡素な造り。刃だけが剥き出しになったそれは、ともすれば長い出刃包丁のようにも見受けられた。

 

 そう ―――――― 包丁、あるいは日本刀を思わせる“ 刃紋(はもん) ”がギラリと白く輝いていたのだ。

 そして、僅かに見える反り。更に伸びる刃先は、人喰い鮫を思わせる形状を施されていた。

 

 

 

 それは、現在プレイヤー達が持つ、西洋的な刀剣とは一線を画す形状(・・・・・・・・・・・・・・・)であったのだ。

 

 

 

 キリトは ―――――― ディアベルは ―――――― 見覚えのある2人は、同時に叫んだ。

 

 

 

 

 

「タルワールじゃない……っ! 野太刀(ノダチ)だ!!」

 

 

「みんな、気を付けろ!! あれは曲刀の上位互換、《 刀 》の武器だ!!」

 

 

 

 

 

 本来、今のような最下層では、敵が出す事も、あるいはプレイヤーですら持つ事は叶わないはずの武器だったのだ。

 予想外の言葉に、多くが どよめきの声を上げる。2人の声色からも、その刀が どれだけ厄介なものであるのか はっきりと伝わってきたからだ。

 キリュウが、振り向かないまま2人に尋ねる。

 

 

 

「厄介なのか?」

 

「えぇ、かなり。単調な曲刀と違い、かなり縦横無尽に繰り出してくる武器です」

 

「おまけに、威力も高い上にデバフを併発させるソードスキルも多いですから、1発でも喰らったらアウトです」

 

「そうか……」

 

 

 

 2人から注意点を聞き、キリュウも より一層 気を引き締め直す。

 コボルド王の持つ野太刀の刃が、怪しいまでに光るのを感じる。刀が放つ光には、人の心を震わせ、狂わせる何かがあるという。だからこそ、妖刀伝説の類も多く生まれたのであろうが、今回はプレイヤー達に強いプレッシャーを与えていた。

 

 

 やがて、コボルド王に動きがあった ――――― 刀を、左腰の方へ向け、姿勢を低くしたのだ。

 

 

 まさしく、居合いの構え ―――――― 覚えのあるキリト、ディアベルが叫ぶ。

 

 

 

辻風(つじかぜ)…! みんな、来るぞ!!」

 

「遠距離攻撃だ! 奴の斜線上から離れろ!!」

 

 

 

 その言葉に皆が動き出すが、どう見ても届きそうにない距離で遠距離と言われてもピンと来ない為か、その動きは ぎこちないものだった。

 そうしている間にも、コボルド王の充填は終わる。

 

 

 

 そして ――――――

 

 

 

 

 

「グウゥオオォォッ!!!!」

 

 

 

 

 

 唸り声と共に、刃は振り払われた。

 刃が地面すれすれを通り過ぎ、その辺りから目に見える衝撃が矢となり、礫となり、プレイヤーに襲い掛かった。その速度は、驚くほど速い。

 

 

 

「「「「うわあああっ!!!」」」」

 

 

 

 事前の注意により、何とか全員 直撃は避けられた。しかし、その衝撃はプレイヤー達の中心付近で掻き消え、その際に強い風圧が弾けた事で、近くにいた何人かが弾き飛ばされた。消える寸前の衝撃で これなら、直撃したら どうなるのか ―――――― 想像するだけで、皆の体に冷や汗が流れる。

 

 態勢が崩れた方に気が向くが、相手の動きは まだ終わらない。その技の硬直が終わると、今度は その場から跳躍したのだ。自身の何倍もの高さを跳ねるコボルド王。上空で体を捻りながら、落下位置を睨む。

 

 

 その先は ―――――― プレイヤー達の ど真ん中だ。

 

 

 

「!! 散れ!!」

 

 

 

 その意図に真っ先に気付いたキリトが叫びながら、その場から離れる。他の面々も それを見て離れるが、続け様の予想外の行動に、何人かは遅れる者が出てしまっている。

 そんな彼等の事など知った事かとばかりに、コボルド王は轟音と共に着地した。その場が揺れるような感覚が走り、何人かが転びそうになる。着地したコボルド王は そんな彼等を中心に狙いを定める。

 

 そして、その場で回転するように、野太刀を勢いよく振り回した。

 

 全方位をターゲットとした その攻撃 ―――――― 刀用ソードスキル・《 旋風(つむじかぜ) 》は、恐ろしいまでの範囲をもって、プレイヤー達を薙ぎ払う。

 

 多くは その場から避け、あるいは盾で防ぐものの、何人かは避け切れずに直撃、あるいは軽傷を負ってしまった。特に直撃したものは、安全域(グリーン)から危険域(レッド)ぎりぎりの半分以下(イエロー)にまで一気に落ち込んでしまった。それに気付いたパーティメンバーが、大急ぎで倒れている仲間を担ぎ、その場から離れる。

 

 気が付けば、もう10人近い人数が一時離脱してしまう事態になっていた。

 武器が変わった瞬間に これである。これまで出来過ぎる位に順調だった分、士気の落ち込みようは ひしひしと感じる位に感じられた。

 

 

 

「くっ……さすがに、易々とは勝たせてくれないか……」

 

「イッヒヒヒヒ!! えぇやないかぁ、これ位やってもらわな、物足りんっちゅうもんやで!!」

 

「ふっ……アンタには敵わねぇな」

 

 

 

 短時間での情勢の変化に苦々しい表情を浮かべるキリュウだが、一方でマジマは むしろ楽しみが増えたとばかりに笑みを浮かべていた。彼にしてみれば、相手が しぶとい位が丁度良いと考えているからだ。どこまでいっても変わらない、兄貴分の末恐ろしい逞しさに、キリュウは一瞬でも弱音を吐いた自分を恥じた。

 とにもかくにも、倒さない事には終わらない。時間も かけられないと感じ、キリュウは元テスター組に助言を求める。

 

 

 

「どうする、キリト、ディアベル」

 

「……動きこそ最初とは全く違いますけど、やる事に大した変化はありません。とにかく防御を固め、相手の隙を見て少しずつ攻撃を加える。それしかないでしょう」

 

「俺も、キリト君と同意見です。幸いと言うべきか、距離を一旦 詰めてしまえば、やる攻撃は限られてきます。ここは思い切って、奴と正面から斬り合うべきです」

 

「よし……!!」

 

 

 

 2人の助言を受け、キリュウを始め攻略隊は部隊を取り纏める。半数近くが減ったものの、それでも盾持ちはハルカやディアベルをはじめ、充分に揃っている。

 これなら、相手の注意を向ける役目は充分だと判断し、再び襲い掛かるコボルド王を迎え撃つ形で突き進む。

 

 

 

「盾隊、コボルドロードの攻撃を誘え!! 良いか、囲む際は前と左右までだ! 後ろまで行ったら、また範囲攻撃が来るぞ!!」

 

 

 

 ディアベルの的確な指示の下、ハルカを始めとする盾持ちメンバーがコボルド王の正面に立ち、その攻撃を誘う。

 道を塞ぐように立つ それらを、コボルド王は草でも刈り取るような態で野太刀を振るう。斧に比べ、遥かに素早い攻撃だが、質量の違いか、一撃ごとの重さは それほどでもなかった。それでも圧倒的体格差による威力に崩れそうになる隊列を、皆は歯を食い縛って耐える。

 

 そして攻撃が止んだ僅かな隙を狙い、他の面々が攻撃を加えていく。それを受けて、コボルド王は攻撃をいた方へと振り向く。その反応は、斧を持っていた時よりも ずっと素早い。身軽になっただけに、反応速度も上がったらしい。ソードスキルを使わなかったのは正解だっただろう。コボルド王の反撃を必死に避け、防御しながら、更なる好機を待つ。

 

 ここまで来れば、彼等の連携も中々に型に填まったものになってきていた。正面が防げば左右が、右に向けば左が、左に向けば正面が、といった具合に、上手く敵が一方に集中攻撃が出来ないように注意を逸らしていった。

 ソードスキルを満足に使えない為に攻撃は微々たるものだが、それでも確実に最後の1本は その色を失いつつあった。

 

 

 

(いける!! この戦い、勝てるぞ!!!)

 

 

 

 自身も盾で防ぎ、剣を振るいながら、ディアベルは見えてきた勝利を感じ取る。

 疲れが溜まった体と精神に、言い表せぬ程の高揚が出ていた。まだまだ自分はやれると、攻撃を終えて隙を見せたコボルド王に、ありったけの力を籠めながら突進していく。

 

 

 それは、彼にすればソードスキルにも負けない攻撃を放つ ―――――― はずだった。

 

 

 

 

 

 

「っ……!?」

 

 

 

 

 

 

 刹那 ――――――――― ディアベルの意識は一瞬、停止した。

 

 

 

 

 コボルド王の動きに、変化が生じた。

 

 

 

 

 僅かに刀を持つ手を広げ、ソードスキルの充填に入った(・・・・・・・・・・・・・)からだ。

 

 

 

 

 そう思った瞬間 ―――――― ディアベルは宙に舞った。

 

 

 

 

 何故 ――――――――― 浮遊感に思考が揺れながら、ディアベルは疑問を浮かべた。

 

 

 

 

 コボルド王が放ったのは《 旋風 》

 それまで、その厄介な技を放たせない為に、完全包囲しないよう細心の注意を払って行動していたはずだ。

 だが、実際に こうして、自分は その技を喰らい、宙に浮いていた。

 

 

 

 

 

 何故 ―――――― どうして ――――――

 

 

 

 

 

 いくら考えても出ぬ自問を繰り返しながら、ディアベルは見た(・・) ――――――

 

 

 

 

 

 ――――――――― 自身に迫り来る“ 死 ”を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハアアアアアッ!!!!」

 

 

 

 

 

 その行動を起こしたのは、ほとんど反射的であった。

 

 突如としてコボルド王が繰り出したソードスキル。それにより、攻撃の為に前に出たディアベルが宙に浮き、更に無防備な彼に向けて、追撃を行なおうとしたのだ。

 

 

 

 いけない ―――――― そう思った時には、もうアスナは行動に移っていた。

 

 

 

 無我夢中で駆け、そして光を込めた相手の刀に全神経を集中させ、そこに自身が最も得意であると感じている技・《 リニアー 》を、思い切り放った。

 結果として、試みは大成功だった。コボルド王が刀を振り上げる直前に、ウインドフルーレの切っ先が その攻撃を ずらして中断させたのだ。

 

 放ってから、凄まじい速度だと、自分自身で驚いた。

 

 それまでも充分に速いと思えるものだったが、今 放ったのは それまでとは明らかに違うと解る位に速かった。

 同時に、アスナは直感した。ウインドフルーレでなければ、きっとディアベルの救助は間に合わなかったと。

 

 

 

「ディアベルさん!!!」

 

 

 

 そして、追撃を免れ、そのまま落下するディアベルを、ハルカが駆け寄り、受け止めた。

 その場で棍棒も盾も投げ捨て、彼を守る事だけを考え、地面に叩き付けられる直前に、その両手で しっかりと抱き締める。勢い余ってゴロゴロと転がる2人。やがて、回転も止まる。

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……っ…ディアベルさん、しっかり!!」

 

「うっ……うぅっ……ハルカ、ちゃん……?」

 

「はい、私です!! 大丈夫ですか!?」

 

「何とか……ね……HPは、ギリギリだったみたいだが……」

 

 

 

 見れば、ディアベルのHPは既に危険域(レッド)に到達していた。

 しかも、それだけではない。今も、徐々にその色は縮み出していたのだ。疑念を抱いたハルカがよく確認すると、ディアベルが受けた傷痕(エフェクト)が、消えずにそのまま残っているのだ。刀傷を如き そこから、まるで噴き出す血の如く赤い霧が舞い上がっていた。

 

 

 

「これは……!?」

 

「しゅ……《 出血ダメージ 》だ……刀のソードスキルには、ほぼ全てに、その効果がある……」

 

 

 

 これまた、初めて聞くデバフ名だ。

 名前と見た目が示す通り、出血という形でプレイヤーのHPを時間経過で奪っていくものなのだろう。瞬時に それを理解したハルカが、体力を回復させる為にポーションを取り出そうとした。

 

 

 

「ハルカぁ!!!」

 

 

「!?」

 

 

 

 だが、その瞬間、キリトの叫び声でハルカが慌てて 振り返る。

 

 

 そこには、いつの間にか距離を詰めていたコボルド王の姿があった。しかも、既に攻撃体勢を整え、今まさにハルカを両断しようとしていた。

 

 

 

「しまっ……」

 

 

 

 ハルカは、ディアベルを助ける際に咄嗟に装備を投げ捨てた為、今は完全に無防備だ。

 加えて、今ディアベルは攻撃を受けた衝撃で満足に動けない。今ハルカが避ければ、彼に被害が及んでしまう。

 死の恐怖に慄きながら、ハルカは咄嗟にディアベルを庇う体勢を取る。そんな事に意味はないと解りつつ、だからといって彼を見捨てる選択も出来ない上は、こうするしかないと その場から動かない。

 

 

 

 そして、一切の慈悲無く、その大太刀は振り下ろされた。

 

 

 

 

 

  ガキイィンッ!!!!

 

 

 

 

 

「ぬぐぅっ!!!」

 

 

 

「っ!! おじさん!!!」

 

「早く!! ディアベルと そこから離れろ!!」

 

 

 

 そこに割り込んで来たのは、キリュウだった。

 勢い良く振り下ろされた野太刀を受け止めるように、両手で しっかりと抑えていた。

 曲刀と野太刀が競り合う部分に火花が散る。通常攻撃とはいえ、単純な膂力なら圧倒的に優るコボルド王の攻撃を、受け流しもせず真正面から受け止めたのだ。キリュウの必死そのものの表情にも、その苦しさが伝わってくる。むしろ、耐え切った事が不思議な位なのだ。

 キリュウといえど、長くは保たない事を察したハルカは、すぐにディアベルを抱え その場から離れようと動く。その間にも、キリュウは未だ攻撃を諦めていないコボルド王と睨み合いながら、決死の鍔迫り合いを行なっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――― ; ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那 ――――――――― キリュウは、底知れない“ 殺気 ”を感じた。

 

 

 

 

 そして、反射的に首を捻った。

 

 

 

 

 避けながら、キリュウは見た ―――――― そこに、“ 1振りの短剣 ”が通り過ぎたのを。

 

 

 

 

 

「キリュウちゃん!!! ()よけるんやぁっ!!!!」

 

 

 

 

 

 滅多に聞かない、マジマの必死そのものの叫びが耳に入る。

 

 

 

 そうだ ―――――― 咄嗟の事に一瞬 失念したが、今は気を抜いてはいけない最中だったのだ。

 

 コボルド王は、そんなキリュウの一瞬の隙を逃すほど、甘い存在ではなかった。

 

 僅かに体勢を崩したキリュウをそのまま押し斬らんと、更に力を籠める。

 

 

 

(っ!! 耐え切れねぇ……!!!)

 

 

 

 もはや防御は無意味と瞬時に悟り、キリュウは防御を維持したまま軸を ずらし、その攻撃を何とか受け流した。

 だが、その時点でキリュウの体勢は あまりにも崩れていた。追撃は不可能と断じ、キリュウは その場から離れようとする。

 

 だが、コボルド王の追撃は緩まない。

 すぐに体勢を戻したコボルド王は、更なる攻撃にソードスキルの充填に入ったのだ。

 それを確認し、キリュウの脳内には危険を知らせる本能が けたたましく警鐘を鳴らした。

 

 しかも、問題は それだけではない。キリュウの異常を察知したハルカが、ディアベルを抱えたまま立ち往生してしまっていたのだ。

 すぐに それも察したキリュウは、全速力でハルカの方へ走る。体も神経も、機械なら焼き切れんばかりの酷使であった。

 

 全てが ゆっくりに見える程の集中。

 

 ただ、ひたすらに彼女を守らんとする意思の元に駆ける。

 

 

 コボルド王の刃が、真横に振り下ろされた。

 

 衝撃で倒れそうになるのを、必死で耐える。

 

 

 自然と、咆哮に近い声が上がる。

 

 

 そして、その勢いのまま、彼女とディアベルを その腕に包み、跳んだ。

 

 

 

 

 刹那 ―――――― 背中に、“ 死 ”が掠ったのを感じ取る。

 

 

 

 

 だが、それが直撃でないと安堵する間もないまま、キリュウらは前方へ大きく倒れ込む。

 

 

 

 

 

「っ!! 奴を止めろ! 足止めするんだ!!」

 

 

 

 

 

 目の前の あっと言う間の出来事に呆然としていたエギルが、正気に戻ったように周りに声を掛ける。数人が彼に続き、コボルド王を引き離そうと攻撃を仕掛けた。

 

 

 

「っ……ハルカ、無事か……? おい!!」

 

「うっ……だ、大丈夫だよ…おじさん……!…ディアベルさんは……っ」

 

「お、俺も無事だ……」

 

 

 

 倒れたキリュウが2人の無事を確認すると、双方から返事が返ってくる。弱ったような口調だが、ほとんどが倒れた衝撃によるもので、大事には至っていない様子だった。それを見たキリュウは安堵の溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 少し離れた所にいたマジマを始めとする面々も、九死に一生を得た事に安心していた。

 

 

 

 だが、すぐにマジマは表情を一変させる。

 

 

 

 

 

お前(・・)……一体どういうつもりや……あぁっ!?」

 

 

 

 

 

 普段の おちゃらけた雰囲気は鳴りを潜め、“ 本職 ”としての本性を表に出し、1人の人間(プレイヤー)を睨む。

 

 キリトやシリカ、アスナといった他のプレイヤー達も、その“ 人物 ”を見た。

 

 

 

 

 マジマを始め、多くの人間から非難の目で見られている1人の男。

 

 

 キリトは、その姿に見覚えがあった。

 

 

 

「あいつは……昨日の……?」

 

 

 

 そう。昨夜、突如としてキリトの前に現れ、その陽気な声で不可解なまでの応援の声を残していった謎の男だ。相変わらず顔も見えない位にマントとフードを深く被っているが、その体格といい、その雰囲気といい、見間違えようがなかった。

 

 

 

「おい ――――――――― PoH(プー)……お前、一体 何を……!?」

 

 

 

 その男のパーティメンバーだろう。そのマントの男の事らしい名前を口にした。プレイヤーネームだと はっきりと解る名前だと、キリトは感じた。

 

 

 

「プー、やと……? けったいな名前つけとるやないか。

 ……もっかい聞くで……さっきのは どういうつもりや。さっさと答えんかい、ボケがぁ!!!」

 

 

 

 マジマと一部は、“ その ”一部始終を見ていたのだ。

 

 

 

 

 男 ―――――― PoHが、ディアベルが突っ込むと同時に、1人コボルド王の背後へ回った(・・・・・・)のを。

 

 

 

 

 そして――――――ハルカとディアベルを守ろうとしたキリュウに、短剣を投擲した(・・・・・・・)のを。

 

 

 

 

 いずれも、不可解な行動だった。

 

 

 まして、キリュウに行なった行為など、異常を通り越した純粋な悪意だ。

 

 

 そんな事をすれば、どうなるかなど考えるまでもなく解るはずの事だった。

 

 

 

 だからこそ、誰にも解らない。

 

 その、常軌を逸した行為の“ 意味 ”が。

 

 

 

「Ah……」

 

 

 

 PoHが、ようやく口を開いた。

 一度は会話をしたキリトは、そしてアメリカ人であるエギルは、それが英語の言葉であると瞬時に解った。そして、今までとは異質な緊張感の中にいて、そのニュアンスは場違いなまでの暢気さを孕んでいた。

 

 

 

 

 

「Ahaha!! ちょ~と手元が狂っちまった(・・・・・・・・・)のさ ―――――― Sorry?」

 

 

 

 

 

 そして、PoHは ―――――― 何という事もないと言いたげに、そう答えたのだ。

 

 

 あくまでも、陽気に ―――――― “ 見え見えの悪意 ”を、そう、軽々しく。

 

 

 

 マジマの眉間が、一際 大きな皺で割れる。

 彼の言葉からは、一切の誠意がないと はっきり解ったからだ。子供でも解る悪意を見せながら、隠しているようで、その実、これっぽっちも隠す気もないような口調で。

 

 

 

「……名前だけやのぅて、頭までイカれた奴みたいやな」

 

「アナタ……自分が何をしたか、解ってるの!?」

 

 

 

 アスナが抑え切れないとばかりに声を荒げる。彼女の眼にも、その男は異常としか映らなかった。

 攻略の流れを妨害し、あまつさえ人1人の命を明確に消そうとまでした。その上で、一切の罪悪感も感じていないような振る舞いに、彼女の人としての倫理観が強い義憤を抱かせていた。

 

 

 

「Of course。俺は至って正常(・・)だぜ? こうなっちまって、残念に思ってる。

 

 

 せっかく、上手くいけば(・・・・・・)3人は消えたのに、これだからな……ホント、残念だ(・・・)

 

 

 

「………は……?」

 

 

 

 アスナは一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。

 

 彼女だけではない。PoHの言葉を聞いた ほぼ全員が、その言葉の意味が解らなかった。

 

 否。

 

 解ろうとする事を、心が無意識に拒否したのだ。

 

 

 

 

 (PoH)は、明確に告げたのだ ―――――― 殺せなくて(・・・・・)、残念だ、と

 

 

 

 

 ようやく意味を理解し、アスナも、キリトも、シリカも、シノンも、ユウキも、他の面々も震えた。

 

 それは、明確な拒否反応。

 

 規範や倫理から逸脱した人間を見たら、人は自然と拒絶するように、自分とは明らかに違う存在だと、自身の ありとあらゆる感覚が理解したのだ。

 

 

 今この瞬間、目の前の男は完全に“ 異物 ”だと認識された。

 

 

 

 ありていに言えば、コボルド王(モンスター)よりも、“ 化物(モンスター) ”に思えた位に。

 

 

 

 

 

「ちっ! まぁ何にせよ、ウチの身内に手ぇかけたんや……覚悟は出来とんのやろなぁっ!!?

 

 

 

 

 

 もはや、会話など意味がないと、マジマは理解した。

 事情や理由などは はっきりとしないが、この男を野放しにする事は出来ない事は解った。

 故に、少しばかり(・・・・・)痛い目に遭ってから拘束しようと、行動を起こした。

 

 

 

「―――――― Hehe!」

 

 

「!?」

 

 

 

 だが、マジマの行動よりも、PoHの“ 逃げ ”の行動が一瞬 速かった。

 取り押さえようとするマジマの腕を ―――――― 体を飛び越え(・・・・・・)、あっさりと背後を取ったのだ。

 

 そして そのまま、姿勢を低くして今だ呆然としていたプレイヤーの列へ突っ込んでいく。

 曲芸染みた動きに更に驚きつつ、何人かは取り押さえようと待ち構える。人数もいる事で、そこは突破不可能と思われた。

 

 

 

「えっ!?」

 

「うわっ!!」

 

 

 

 だが、そんな大多数の予想を、PoHは上回った。

 一瞬 肉壁の手前で急停止し、皆が僅かに呆気に取られた瞬間を見計らい、ほんの少しの隙間を押し広げるように突貫してきたのだ。その動きは恐ろしい程に素早く、誰も その影に追い付く事すら叶わない。

 そして あっさりと壁を突破し、駆けていく。一瞬 振り向き、憎たらしいまでの笑みを見せながら。

 

 そうして未だセンチネルとも戦っていた組の中をも通り過ぎる。それも、センチネルとプレイヤーの間を縫うように、確実にプレイヤー側にとって邪魔な進路を取りながら。

 ソードスキルを放とうとしたキバオウも、思わぬ乱入者に驚いて尻餅を付き、相手取っていたセンチネルも、何事かと通り過ぎた影を一瞥した。

 

 

 そうして、プレイヤーは おろか、モンスターさえも掻き乱しながら、PoHはあっと言う間に入口の扉へと辿り着いてしまった。

 

 

 扉を開き、人が通れる位の隙間が出来た頃、PoHは おもむろに振り向き、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「To be continued ――――――――― heroes」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たった それだけを、言い残し ―――――― PoH(異常者)は扉の奥へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……何なんだよ……アイツ……!?」

 

 

 

 その場に奇妙なまでの沈黙が流れる。完全に、先程までの空気は遮断されていた。

 場の空気に耐え切れなくなった1人が、得体の知れない感覚に戸惑いながら叫ぶ。それは、その場の全員の声を代弁していた。

 

 だが、答える者はいない。

 

 答えられるはずもない。もう、当事者はいない。そして、直接的な被害を受けた者も、全く身に覚えがないのだから。

 誰もが、納得のいく答えなど、何1つ用意は出来なかった。

 

 

 

 

「グルルルル……!!」

 

 

『 !!! 』

 

 

 

 そんな混乱の極致にいたプレイヤーの思考を、新たに引き付ける声が上がる。

 他でもない。未だ健在であるコボルド王が、刀を手に唸り声を上げ、プレイヤー達を見下ろしていたのだ。

 慌てて、プレイヤー達は武器を構える。完全に、意識を飛ばしてしまっていた。思い返せば完全な自殺行為である。むしろ、コボルド王が騒ぎの中で手を出してこなかったのが不思議な位だった。

 

 

 

「ちっ……さっぱりワケ解らんが、とりあえずコイツ倒さなアカンな」

 

 

 

 PoHを取り逃がした事に腹を立てつつも、目の前の敵を無視する訳にもいかない。

 そう考えたマジマは、改めて短剣を構え、臨戦態勢に入る。

 

 

 だが、横から思わぬ声が上がった。

 

 

 

「マジマさん! ここは一旦 撤退しましょう!!」

 

 

 

 マジマにとって、聞き入れ難い提案をしたのはキリトだった。

 

 

 

「あぁっ!? 逃げるっちゅうんかっ!?」

 

「状況が悪過ぎます!! ディアベルも負傷した上に、みんなも混乱しています。このままの続行は危険です!!」

 

 

 

 キリトの言葉には強い説得力があった。

 この戦いで誰よりも優れた戦闘指揮を行なってきたディアベルの負傷。HPこそ回復しつつあるが、傷を受けたという疲労は残ったままだ。再び戦線に復帰するのは難しいだろう。

 

 そして何より、謎のプレイヤー・PoHの、突然の、あまりにも不可解な背信行為。

 これにより、これまで一丸と言えたプレイヤーの指揮系統に大きな傷痕を残してしまった。その証拠に、未だ現状を理解し切れず、武器こそ持っているが視線も右往左往している者が大多数を占めていた。これでは、動きが機敏になったコボルド王を相手取るには不足なのは言うまでもない。

 

 よしんば数を押して攻めれば、コボルド王は討ち取れるかもしれない。

 だが今のままでは、ほぼ確実に“ 万一の事 ”が起こる事が想定された。しっかりと意識を固めてないまま戦いに出ても、簡単に打ち崩されるのは自明の理だからだ。

 それは、現実で多くの修羅場を経験してきたマジマなら、より強く想像できる事だった。

 

 忌々し気に、舌打ちをするマジマ。言い返したいのは山々だが、彼にはキリトの言葉を翻す言葉が出なかった。さすがに、戦意を喪失しつつある者を戦いに出す行為は、マジマも望むものではなかったからだ。

 

 

 

 

 

「―――――― 待て」

 

 

 

 

 

 解った ―――――― マジマが そう言おうとした時、不意に制止の声が上がった。

 

 

 誰あろう、キリュウだった。

 

 その手で守っていたハルカから手を放し、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

「キリュウ……さん?」

 

「このまま、おめおめと逃げ帰るだと……? 冗談じゃねぇ」

 

「っ……!? で、でも、このまま戦っても……」

 

 

 

「 うるせぇ!!! 」

 

 

 

「!!?」

 

 

 

 まさか戦いを続行するとは言い出すと思わなかったキリトは、怯みつつも説得しようとするが、それをキリュウは怒声をもって遮った。

 キリトは目を丸くした。出会ってから、1度として自分は聞いた事のない、キリュウの怒声。それが、まさか自分に向けられるとは、という思いが頭を巡る。

 

 

 そして、同時に気付く――――――キリュウの“ 立ち姿 ”が、普段とは まるで違う事に。

 

 

 

(怒っている……?)

 

 

 

 その、“ あまりにも ”静かな立ち姿を見て、キリトは そう思い至った。

 

 

 

「……俺達は これまで、今日の為に必死に頑張ってきた。何度も何度もフィールドへ繰り出し、情報を集め、力を蓄えてきた。それも みんな、今日という この日に、勝利を掴む為だ!!

 

 それを……あんな訳の解らねぇ奴1人の為に……無駄(ふい)にされてたまるか!!!」

 

 

 

 それは、キリュウのみならず、最前線組、ひいては初心者組の気持ちを そのまま表していた。

 皆、脳裏に今日までの事を回顧する。

 辛く、明日さえ億劫になる程の気持ちになる事もあったが、それでも それが自分の、全員の解放の為に繋がればという思いが少なからずあったからこそ、ここまで戦ってこれたのだ。

 それが、たった1人の異常者の為に、全てが灰燼に帰そうとしている。

 そんな事、誰も納得など出来るはずもない。今すぐにでも、PoHという男を引き摺り出し、八つ裂きにしたって飽き足らない程の憤怒を、誰もが抱えていた。

 

 

 

「……だ…だけど……!!」

 

 

 

 それは、理解できる。

 キリトとて、皆と同じ気持ちであった。であるが ―――――― だからこそ、今は無理をすべきでないと考えたのだ。

 悔しいが、無意識の内に爪が掌に喰い込むほどに忌々しさを孕みつつも、想定し得る誰かの犠牲の可能性を考慮すれば、無理は出来ないというのが本音でもあった。

 

 

 

「………安心しろ」

 

 

 

 キリトの言葉を待たず、言いたい事は解っていると、キリュウは1歩、歩み出す。

 

 

 

 

 

「―――――― 俺が、何とかして見せる」

 

 

 

 

 

 その言葉を、誰もが一瞬 理解できず、呆然とキリュウの背中を見る。

 

 

 そして、その中の誰もが気付いた ―――――― 彼の“ 背中の異常 ”を。

 

 

 

「キリュウさん……その背中は……!!」

 

 

 

 キリュウの衣服の背中が、大きく損傷していたのだ。

 おそらく、ハルカとディアベルを庇った際に放たれたコボルド王の技・緋扇(ひおうぎ)を避けた際に掠ったのだ。

 

 

 だが、彼等が見て驚いたのは、それではない ―――――― そこから覗く、彼の背中自体(・・・・)にだ。

 

 

 その言葉と視線を受けて、キリュウは自身の背中の異変に気付いた。頭に血が上り、完全に意識の外だったのだ。

 

 そして、“ それ ”を皆に見られてしまった事を察する。

 

 

 ふと、ハルカの方を見た。

 

 

 

「おじさん……」

 

 

 

 ハルカは、見た ―――――― キリュウの、諦めのような、申し訳ないような、悲しみに似た、それでも尚 強い意志の宿った表情を。

 

 

 それに、彼女は見覚えがあった。

 

 

 かつて何度も彼が赴いた ―――――― “ 死地 ”へ向かう際に見せる、その表情を。

 

 

 

 やがて、キリュウは再び前を向く。

 

 

 

「キリト。いつだったか、俺に尋ねたな。どうして、俺は そんなに戦えるのか、と」

 

 

 

 不意の問いに、キリトは戸惑いつつも思い出す。確かに、いつか迷宮区へマッピングを兼ねたレベリングで同行した際、相も変わらず素晴らしい技量を見せるキリュウに、キリトが尋ねた事があった。

 その際、格闘技を習ったからだとか、それなりの理由は聞いたが、どこか言葉を濁しており、今1つ納得し切れないものがあったのを覚えている。

 

 それが、一体 ―――――― そう聞こうとした時、キリュウは言った。

 

 

 

 自分の上着に、手を掛けながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“ これ ”が ――――――――― 残りの答えだ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きく、右手が振るわれ、何かが宙に舞った ―――――― それは、キリュウの上着だ。

 

 

 それは ひらひらと、空気の抵抗を受けながら、ゆっくりと地面に落ちた。

 

 

 

 そして、改めてキリュウの背中を見て ―――――― 誰もが息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 そこには、《 龍 》がいた。

 

 

 

 黒き鱗で彩られ、立派な角、鋭そうな牙を生やし、恐ろしくも力強い眼差しの龍。

 

 長い3本指の右手には宝玉が握られ、そこには梵字で《 バン(大日如来) 》 と書かれている。

 

 そんな龍が うねりを上げながら、赤い龍気を纏い、天に昇る昇龍として描かれていた。

 

 

 

 

 

刺青(いれずみ)……!?」

 

 

 

 そう、それは紛う事なき刺青。

 針を突き刺し、皮下に色を入れ込む日本伝統技巧の1つが、そこにあった。

 ナーヴギアの誇る、骨格や体格は元より、髪や肌の細かな色まで再現するキャリブレーションの技術によって、現実と遜色ないまでの色彩をもって、キリュウの背中に顕然していたのだ。

 

 

 

「ほぅ? 何や、キリュウちゃん、いつになく本気(マジ)やないか」

 

 

 

 キリュウの思わぬ行動に、マジマは一瞬 目を丸くするも、すぐに満面の笑みに変わった。

 背中に宿す者が刺青(それ)を晒すのは、相手を威圧する時、あるいは自分の全てを懸けてでも押し通るという、強い意志を示す時に限られる。いずれも、基本は“ 同業 ”が相手であるのが前提であり、今のような堅気ばかりの前で晒すようなものではない。

 であるにも かかわらず、誰よりも自制心が強いと認めるキリュウが応龍(それ)を晒すのは、ひとえに全てを背負う覚悟を、改めて固めたからに他ならない。

 

 

 

 

 

「イッヒ……イッヒッヒッヒ………イアァッハッハッハァ!!!!

 

 

 

 

 

 マジマは、笑う。全くもって面白いと、笑いが止まらない。

 

 こんなにも、面白いと思えたのは久々であった。コボルド王という強敵と戦っていても、これ程の高揚は感じなかったのだから。

 それもこれも、自分が誰よりも認めるキリュウの覚悟を見たからに他ならない。自分と戦う時でさえ、きっと本気を出し切っていないキリュウが、今ここで全てを懸ける覚悟を見せたのだ。

 マジマにとって、これほど心が躍る事はない。

 

 

 

「俺も……負けてられへんなぁ」

 

 

 

 顔には笑みを浮かべながら、その双眸は今までとは全く異なる気質を宿していた。

 そしてウインドウを操作し、おもむろに胸に装着していた鎧を解除した。

 

 

 

「マジマさん……?」

 

「おぅ。シリカ、よぅ~く見とけや」

 

 

 

 不安気な声を上げる愛弟子(シリカ)に、マジマは一言そう言い、キリュウの隣に立った。

 

 

 

 

 

「この俺の ―――――― 滅多に見られへん“ 覚悟 ”っちゅう奴をなぁ!!!」

 

 

 

 

 

 そして、彼もキリュウと同じく、服に手を掛け、腕を振るう。

 

 彼も同じく、一瞬で衣服を脱ぎ捨て、それを宙に放り投げていた。

 

 

 

 

 

 再び呆気に取られる皆が見たのは ――――――――― 《 鬼 》だった。

 

 

 

 

 

 厳密に言えば、それは《 般若 》だ。

 

 能楽で使用される、嫉妬や恨みの籠る鬼女(きじょ)。その中でも、最も深い業を背負うと言われている

真蛇(しんじゃ) 》になりかけている、あまりにも悍ましい顔が、そこにあった。

 

 腕を見れば、そこには腕の上を這うように白蛇が描かれている。

 

 他にも黒で彩られた五分袖(ごぶそで)といわれる額彫りに、至る所に赤い椿の花が散りばめられていた。

 

 

 こと派手さという意味では、マジマの般若(それ)はキリュウの応龍を上回る程だった。

 

 

 

 

 

  並び立つ、龍と般若。

 

 

 

 

 

 突然 現れた その存在は、混乱の最中にあった者達の思考を釘付けにするには充分過ぎる対象であった。

 誰もが、その隆々たる肉体、そして現実(リアル)でさえ見る事は まずない刺青(それ)に、言葉を失うばかりだ。

 

 そんな、キリュウやマジマに とって懐かしい、あるいは慣れ切った視線を受けながら、目の前に立つコボルド王を見る。

 

 

 

「すまない……マジマの兄さん」

 

「水臭い話はナシや。今更やで、キリュウちゃん」

 

「フッ……」

 

 

 

 そんな視線に晒されるのは、自分だけで良かった。

 にも かかわらず、マジマは自らも奇異な目で見られるのを承知で、こうして隣に立ってくれた。どうしようもない程に申し訳なく思い、同時に これ以上なく嬉しく思えた。

 相手は強大。自分1人では手に余るだろうが、彼と一緒なら話は別。

 

 まるで、負ける気がしなかった。

 

 

 

 コボルド王が、歩を進める。

 

 

 相も変らぬ殺気。その力と共に、自分達が相手取るには充分だと、全身に闘気を(みなぎ)らせる。

 

 

 

 

 

「 行くぞぉぉぉぉ!!!!! 」

 

 

 

「 行くでええぇぇぇ!!!!! 」

 

 

 

 

 

 そして、2人は同時に駆け出す。

 

 

 

 先手を打ったのは、彼等と同時に駆け出したコボルド王。狙いを付けたのはキリュウ、そして隣のマジマに上手く巻き込む形となるように、斜めに斬りかかった。

 

 

 

「ふんっ!!」

 

 

 

 だが、それはキリュウのパリングにより明後日の方向へ逸らされた。力を籠める度、その はち切れんばかりの筋肉が躍る。

 同時に、マジマも姿勢を低くしつつ、更に速度を上げる事により、あっさりと攻撃を躱しつつ、その懐へと飛び込んだ。

 そして、逆手に持った短剣で、すれ違いざまに腹を斬り裂く。

 

 

 

「でや! イヤッ! デリャリャリャリャッ!!!!!」

 

 

 

 それだけに終わらない。今度は瞬時に順手に持ち替え、素早く左右に振り乱す。ただ ひたすらに“ 振る ”という行為を極めた その動きは、他の者では到底 真似の出来ない程のスピードと鋭さを もって、コボルド王の体に無数の傷を付けていった。

 

 それは まさに、血に飢えた狂犬の如くだった。

 

 

 

「グアアアアアアアッ!!!!」

 

 

 

 ただでさえ赤い自身の体が、より紅くなる程に傷を付けられ頭に血が上ったコボルド王は、怒号と共に刀を振り下ろす。

 

 

 

「よっ!」

 

 

 

 だが、そんな感情丸出しの狙いが解りやす過ぎる攻撃は、マジマにとって脅威ではない。

 軽い掛け声と共に、側転によって あっさりと躱される。180以上の長身が、風車の如く軽々と浮き、転がる。その身軽さは、およそ50近い男のものとは思えない程だ。

 

 

 

「うおおおおっ!!!」

 

 

 

 そして、その僅かな隙を狙ってキリュウが仕掛ける。

 がら空きの側面を狙い、1度、2度、3度と大振りの斬撃を加える。マジマのような手数でなく、一撃一撃に重きを置いた攻撃は、通常攻撃といえど少なからぬ威力を見せていた。これも ひとえに、キリュウが これまで習得してきた古牧流などの古武術の基礎が その身に染み付いているが故である。

 その他のような、ただ剣を振り、槍を突き出すような単純な動きとは比べるまでもない違いがあった。

 

 

 それは まるで、剣舞のように華麗であり

 

 

 あるいは、和太鼓を叩くかのように力強く

 

 

 それでいて、獣同士の闘争の如く、暴力的であった。

 

 

 

「っ!? 駄目だ! 前後に挟んだら!!!」

 

 

 

 2人の凄まじい動きに目を奪われていたキリトが、思い出したように声を張り上げた。

 今のままの配置では、ディアベルの体力を奪った厄介な技が発動する条件が揃ってしまうからだ。

 

 キリトの懸念を嘲笑うように、コボルド王は右手の刀に光を充填させる。この場で既に2度も見せている技を、誰もが思い起こした。

 

 

 

「グオオオオオッ!!!」

 

 

 

 そして目障りな羽虫を打ち払わんと、コボルド王は《 旋風 》を繰り出した。

 その技は速さや範囲も そうだが、その軌道には ちょっとしたランダム性があり、その為に手慣れた者であっても軌道を読み切れない者が ほとんどだった。故に、避けるには盾で防ぐか、発動する事を見越して大袈裟な位に逃げに徹するのがベターとされていた。

 

 

 だが、相対する2人は、そんな考えを あっさりと上回った。

 

 

 

「!! ふっ!!!」

 

 

「でえぇいやっ!!!」

 

 

 

 キリュウは、その腰を折り曲げるような形で後ろに下がり、すれすれの所を あっさりと躱した。

 そしてマジマは、その場で僅かに しゃがみ、そしてタイミングを見て垂直にジャンプしたのだ。優に彼の身長の2倍の高さを跳ねた事で、その刃は空しいまでに空を切る形で通り過ぎた。

 その回避劇に、一同は驚愕する他なかった。

 

 勢いとは裏腹に、ものの見事に空振ったコボルド王には、明確な隙が生まれてしまった。

 

 

 そして それを、キリュウとマジマが逃がすはずもない。

 

 

 

 

 

「うおおおおおっ!!!!!」

 

 

「でええええぇいやぁっ!!!!!」

 

 

 

 

 

 共に、大声を張り上げながら、その巨体へと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おじさん……マジマさん……」

 

 

 

 キリュウの、2人の戦いを見ながら、ハルカは呟いた。

 

 思いがけぬ背信行為で、攻略の流れは見事なまでに破壊された。そして それを、彼等は その身を衆目に晒す事で押し留めようとした。

 

 だが それは、ハルカにとっては望むものではなかった。

 

 実際、未だに違う意味で現状を飲み込めず、呆然と立ち尽くす者が ほとんどだ。

 その眼には、畏怖にも似たものが宿っているのを、ハルカは見逃さなかった。

 

 

 

「―――――― 結局は……こうなって……しまった」

 

 

 

 不意に、ディアベルが口を開いた。

 その表情には、紛れもない後悔に近いものが浮かんでいた。

 

 

 

「どういう、意味ですか?」

 

「……あの人達の、素性には勘付いていたって事さ。今日までの半月間、ずっと一緒に戦ってきたんだからね……そして、彼等の力は、初心者とか元テスターだとかの枠なんかには収まらないって事も……」

 

 

 

 それは、ディアベルに限らず、いち早く彼等と合流し、交流を深めた者達なら、誰もが察していた事だった。

 その顔付き、体格、醸し出す雰囲気、どれを取っても普通に生きる人間とは違う事は明らかだった。

 だがハルカには、そして共に聞いていたキリトには解せなかった。

 一体、彼は何を後悔しているというのか。

 

 

 

「だから、俺は……彼等の力に蓋をするような真似(・・・・・・・・・・・)をしてしまった……っ」

 

「? それは、どういう……?」

 

「初めて、この部屋に彼等とやって来た時……俺は見た ―――――― 彼等の、圧倒的な戦いを」

 

 

 

 その時の事を、ディアベルは回想する。

 

 

 

 その日は、キリュウ、マジマとの3人で迷宮区に潜っていた時の事だった。

 そしてその日、20階まで やってきて大広間を見付けた3人は、ボスと手合わせする事を決めた。テスト時だけの情報では不足と考えた為だ。

 慎重派のディアベルも、せめて容姿の違いやHPの違いなどが解ればと考え、深入りはしないだろうと半ば気軽に扉を潜った。

 実際、程無く3人は撤退した。

 

 

 だが、そんな彼の予想は斜め上を通る形で裏切られた。

 

 自身とキリュウがセンチネルを相手取る中、マジマが一直線にコボルド王へと突貫したのだ。制止の声も聞かず、マジマは嬉々とした声を張り上げ短剣を振るった。

 

 そしてディアベルが驚いたのは、そんなマジマが1体1で善戦していた(・・・・・・)事だった。

 

 敵の攻撃は一切 当たらず、縦横無尽に駆けるマジマの動きを、コボルド王は まるで追い切れていなかったのだ。圧倒的な力や射程距離も、当たらなければ どうという事はないとばかりに、マジマの前には何の意味も宿していなかった。

 

 そして、キリュウも それは同様だった。

 

 自分がセンチネル1体に全力を向ける中、彼は2体のセンチネルを相手に、全く引けを取っていなかったのだ。囲まれないよう器用に立ち回り、時には斬撃のみならず その体格を生かした蹴りやタックルを決めるなど、自身の持ち得る力を最大限 利用して戦っていた。

 自分が ようやく1体倒す頃には、キリュウは1体を屠り、1体も瀕死に負い込んでいた。

 そして、彼自身は無傷であったのだ。

 

 

 

 

 

「……震えたよ……ワイルドヒートとの戦いで、その片鱗は見せていたが、まさかフロアボス相手にも、あそこまで戦えるなんて、ってね」

 

 

 

 唖然とするキリトとは対照的に、ハルカは呆れさえ含んでいるような笑みだった。

 これまで、キリュウの超人的な戦いぶりを見てきた彼女にしてみれば、あぁ、そうだろうな、と感想しか抱けないのが本音だった。そして、そんなキリュウが認める人物なら、その人も同様であると。

 

 

 

「だが、それを見て……俺は、彼等を極力 前線に押し出さないようにしようと、そう考えた」

 

「どうして……?」

 

「今、こうして第1歩を踏み出す事は、それ相応の覚悟と一緒に、責任が伴う。今後とも、戦えない者の代わりを代表して、進んで死地へ赴かなければならない、重い責任が」

 

「でも、あの2人は……」

 

「解ってる。彼等なら、そんな覚悟、とっくに固まってたんだろうって事は。

 けれども、こうも考えた……そうした彼等の覚悟と、隔絶した力を良い事に、都合の悪い事を全部 押し付けようって人間が出るんじゃないかって……」

 

 

 

 ディアベルが語る懸念。それを、キリトもハルカも否定し切る事は出来ない。

 戦いは、常に不安が付き纏う。その不安を解消し、払拭する為に勝利を重ねなければならないが、その重責は筆舌に尽くし難いだろう。そんな中で、いつ仲間の間でも不満が噴出するか解らない。

 そうなった時、責任ある者、そして力ある者は真っ先に その矢面に立たされるだろう。実際の社会の仕組みなどが そうであるように、誰かが憎まれ役を買わなければ、集団というものは維持すら困難なのだ。

 情報として、そういったものを理解しているキリト、そして血の繋がらない家族との接し方の中で、そういった事も経験してきたハルカも、ディアベルの語る事は理解できた。

 

 

 

「だからこそ、それらを少しでも分散する為に、今日まで手を尽くしてきた。誰か1人に集中させる事なく、誰もが責任を感じ、全力を尽くす為の組織作りを想定して、攻略組を作ったんだ」

 

 

 

 今回の攻略組の構成に おいて、初心者組との合流を強く推したのはディアベルだった。

 その時は、単純に数の利を作る為の戦略とだけ考えていたが、そこまで考えての行動だと知り、キリトもハルカも驚きを隠せなかった。

 

 

 

「だけど……あのプーとかいう奴の所為で、全部 台無しだ!!

 挙句の果てに、キリュウさんとマジマさんには、あんな真似までさせてしまった……!!」

 

 

 

 自身の構想を瓦解させ、間接的に被害を齎した正体不明の男に、ディアベルは憎んでも憎み切れない感情を発露させていた。

 彼には解っていた。これから先、プレイヤー同士の連携の為に、想定以上の労苦を必要としてしまう事を。

 今この場で、キリュウとマジマという人間が、常人とは違う力を持つ事、そして一般の人間とは違う立場にいる事が露見してしまった。それは先程 述べた、万一の際に真っ先に難事の矢面に立たされる可能性が高いという事だ。

 それは、これまでの半月間で彼等の人となりを知っていたディアベルに とって、受け入れられる事ではなかった。

 そこまで言って、ディアベルの表情には再び後悔の念が浮かび上がる。

 

 

 

「……これも、ある意味では自業自得かもしれない……俺の中にある、“ 英雄願望 ”……それの為に、彼等の働きを必要以上に抑えた感は否めないのだから……」

 

 

 

 キリュウとマジマが最前線に立てば、それによって続く者達の苦労は減るだろう。

 しかし それは同時に、勝利を重ねる上で得られる、一種の栄光が、彼等に集中するであろう事を意味していた。

 ディアベルは不毛だと知りつつも、男として生まれた以上は必ずは抱く、そんな願望を捨て切れず、自身も活躍の場を得られる条件を作り出した。

 聞こえの良い事を言ってきたが、結局は自分の欲を優先させていたと、自身の判断を悔やんでいた。

 

 そんな、彼の罪の親告にも等しい言葉を聞き、ハルカもキリトも黙っていた。

 

 

 

 

 

 そして、ハルカは おもむろに立ち上がった。

 

 

 

 

 

「ハルカ……?」

 

「ハルカちゃん……?」

 

 

 

 2人の訝し気な表情に、ハルカは笑みをもって答える。

 

 

 

「ありがとう、ディアベルさん。おじさんや、マジマさんの事、そこまで考えててくれたんだね」

 

「いや……でも、俺は……っ」

 

「気にしないで良いと思うよ」

 

「えっ………」

 

「きっと、おじさん もマジマさんも、そんな事で いちいち問い詰めないと思う。ただ一言、気にするな、ってね。今回の事だって、きっと運が悪かったって事で済ませるよ。きっと」

 

 

 

 もう6年に及ぶ長い年月を共に過ごしてきたからこそ、2人の事を理解しているハルカの言葉には不思議な説得力が宿っていた。

 そして、彼女はウインドウを操作し、予備の棍棒と盾を装備した。それを見て、2人は彼女が何をしようとしているのかを察する。

 

 

 

「ハルカ……!」

 

「解ってる。きっと、私が出たって、大した事は出来ないって。むしろ、足手纏いにだってなると思う。

 でも……おじさん達は、覚悟を決めたの。だったら私も……覚悟を決めるべきなんだと思う」

 

 

 

 そう言い、戦う2人の元へと進もうとした。

 そこに、2つの影がハルカの元へと やって来る。

 

 それは、シリカと、エギルであった。

 

 

 

「シリカちゃん、エギルさん」

 

「あたしも……行きます、ハルカさん!」

 

「良いの?」

 

「はい……怖いけど……何が何だか、まだ解らない事が多いですけど……それでも、みなさんと一緒に、戦いたいです!!」

 

「シリカが行くってんなら、俺も行く。俺らはパーティだ。仲間外れは、なしだぜ」

 

「……ありがとう、2人とも」

 

 

 

 2人とも、決意は固い様子であった。

 もはや、引き留める言葉も持たないハルカは、ただ礼を述べるだけだった。

 

 

 

「みんな………」

 

 

 

 キリトは、目の前の仲間の行動に、言葉を失いつつあった。

 もはや、彼女らの行動は作戦でもなんでもない。ただ、自分達の意思を押し通そうとする、意地に等しいものだ。

 以前までのキリトなら、そんな行動に意味は ほとんど見出さなかっただろう。

 

 

 そう ―――――― 以前ならば。

 

 

 ぐっと、右手のアニールブレードを強く握る。

 もう初日から使っている、相棒に等しい武器だ。忘れ難い悪夢を超え、そして、ハルカに助けられ、手に入れた武器だ。

 そんな彼女が、進もうとしている。

 

 

 足手纏い……?

 

 

 周囲の目……?

 

 

 

 ――――――――― 知った事か!!

 

 

 

「キリト君……」

 

 

 

 気が付けば、キリトは足を進めていた。

 意外にも、皆は彼が来た事に驚いてはいない様子だ。信じていた、と考えるのは自惚れかなと、キリトは心中で笑う。

 

 

 

「行こう。俺達の仲間を、助けないと……!!」

 

 

 

 キリトの覚悟を決めた言葉に、3人も大きく頷き、決意を固めた表情を見せる。

 

 

 

「待って」

 

 

 

 そこに、更なる声が かかった。

 

 

 

「アスナちゃん。シノンちゃん、ユウキちゃんも」

 

 

 

 それはアスナ達3人グループだった。

 

 

 

「私達にも、手伝わせて」

 

「今まで、何にも出来てないからね。最後くらい、戦うわ」

 

「ボクも、絶対 役に立ってみせるから!!」

 

 

 

 3人は、攻略組に組み込まれながら数の関係で働きの場がなかった分を、ここで取り戻すと意気込んでいた。

 

 

 

「でも……」

 

「お願い、ハルカちゃん……」

 

 

 

 戸惑いの声を上げるハルカを遮るように、アスナは強く頼み込む。

 正直な事を言えば、PoHなる男の事とか、キリュウとマジマの背中の事など、聞きたい事や言いたい事は山ほどある。

 だが、今は それどころではない。

 せっかく、あと1歩でボスを倒せるところまで来ているのだ。その流れを、今ここで断ち切ってしまうのは余りにも惜しいという気持ちは、この場で最も高いという自負が、彼女には あった。

 彼女には、一刻も早く帰らなかければならない理由が あるのだから。

 だからこそ、今ここで自分も力を揮わねばならない。恩あるハルカ、そしてキリトの為にも。

 

 しばし、ハルカは悩む。

 そして、仲間たちの顔を見やり、いずれも否定の意思がない事を確認すると、彼女も覚悟を決め、強く頷いた。

 

 

 

 

 

「みんな、行こう!!」

 

 

 

「あぁ!!」

 

「はい!!」

 

「おぅ!!」

 

「うん!!」

 

「えぇ!!」

 

「解った!!」

 

 

 

 

 おのおの、返事と共に武器を構え、駆け出した。

 

 

 

 目指すは、戦場に舞う龍と般若の下 ―――――― そして、勝利だ。

 

 

 

 

 

「はああああっ!!!」

 

 

 

 先陣を切ったのは、最も俊敏性が高いアスナだった。

 

 叫び声を上げながら、ソードスキルの充填に入る。そして、コボルド王が目の前の2人に刀を振り上げた瞬間を狙い、技を発動させる。

 その《 シューティングスター 》は、名の如き流れる星の如き勢いで、コボルド王をノックバックさせた。

 

 

 

「アスナ!!」

 

「私も、加勢します!!」

 

「何や、お前も来るんかいな」

 

「何か、文句でも?」

 

「イッヒッヒ、怖い顔すんなや。そんな野暮な事 言うつもりはないで。油断すんなや!!」

 

「言われなくても!!」

 

 

 

 その意気込みは充分と、マジマも認めた。ならばと、キリュウも何も言わず、ただ敵に対する意気を継続させた。

 ノックバックから体勢を立て直したコボルド王は、新たな敵も視野に入れ、大振りなまでに刀を振るった。

 

 

 

「のおおおおっ!!!」

 

 

 

 その攻撃を、後ろから来たエギルが迎え撃つ。両手斧の《 ワールウィンド 》を勢いよく振るって相殺、相手の攻撃を僅かに逸らし、浮かせた。

 

 

 

「はあっ!!!」

 

 

 

 そこを、エギルに続いたハルカが突貫。《 サイレント・ブロウ 》を叩き込み、僅かにノックバックさせた。

 

 

 

「やあああっ!!!」

 

 

「はあああっ!!!」

 

 

 

 その隙を狙い、共に短剣を持つシリカとシノンが駆け足でコボルド王の側面に回り込む。

 そして、ほぼ同時に そこを短剣で斬り裂いた。共に1撃を入れると、様子を見る為に防御の構えを見せる。

 コボルド王は、真っ先に視線に入ったシリカに目を付けた。そして、刀を上に上げ、刀に光を集め始めた。それを見たシリカは、自身もソードスキルを もって相殺しようと、《 サイド・バイト 》の充填に入った。

 

 

 

「グルル………ッ」

 

 

「えっ…!?」

 

 

 

 だが、その刀は振られない ―――――― 意表を突かれた瞬間、その隙を巧みに狙い、コボルド王は刀を勢いよく振り下ろした。

 避けられない ―――――― シリカの思考は固まり、動かない。

 

 

 

「うおおおおっ!!!」

 

 

 

 そこに、キリトが叫び声と共に《 ホリゾンタル 》を放ち、その攻撃を弾く。

 相手の動きを見て、キリトは瞬時に それが相手のフェイント技・幻月(げんげつ)であると見抜き、急いでフォローに回ったのだ。まさに、間一髪であった。

 

 

 

「シリカ、一旦 下がれ!!」

 

「はっ、はい……!!」

 

 

 

 九死に一生を得た気分の中、シリカは慌てて後ろに下がり、キリュウ達と合流する。

 コボルド王と対峙するキリト。優に自身の倍以上の怪物と間近で相対し、改めて その巨大さに震えそうになる。まるで、桃太郎か孫悟空になった気分だと、キリトは暢気な事を考え、気を紛らわそうとした。

 

 

 

「キリト!」

 

「! ユウキ」

 

 

 

 そこに、ユウキが合流する。

 彼女の手にも、キリトと同じくアニールブレードが握られている。キリトよりも ずっと体の小さい彼女が持つと、その剣も異様に大きく見える。その姿を見て、不意に現実に残る妹の事を思い出した。

 そんな彼女と並び、自分も負けていられないという気持ちが大きくなる。

 そして、どちらかが声をかけるまでもなく、同時に駆け出す。

 

 その気になれば握り潰せそうな位に小さな相手を見て、コボルド王は鬱陶しいとばかりに攻撃を加える。

 それを、僅かに先に出るキリトは危なげなくパリングで逸らし、無効化する。そして道が出来たところを、ユウキが先行して斬りかかる。

 

 

 

「やあっ!!」

 

 

 

 《 バーチカル 》の一撃が、コボルド王の体に深く喰い込む。

 その威力を見て、キリトは初めて彼女もブーストを用いている事に気付いた。驚きつつも、自身も遅れじと《 ホリゾンタル 》を放ち、追撃を加える。

 続け様に喰らったコボルド王は、目の前を飛び交う蚊を払うかの如き手で、ユウキに振り下ろす。

 ユウキは それを、先程キリトがやったのと同じように、パリングで無効化させた。経験者と比べても遜色ない程の技量に、キリトは またしても舌を巻いた。

 そして、隙を見せたコボルド王に どうしようか、一瞬 思考に入った時だった。

 

 

 

「グギャアアアアアッ!!?」

 

 

 

 突然、コボルド王は大きな悲鳴を上げたのだ。

 見れば、自身の顔に手を当て、大きく怯んでいる。その指の間には、短剣のものと思しき柄が見えていた。

 後ろを見れば、半ば呆然としているシノンの姿が あった。

 

 

 

「あ、当たったわ……」

 

 

 

 無意識に こぼれたであろう言葉から察するに、彼女が投剣スキルでもってコボルド王の眼に突き刺したのだろう。

 まだレベルが低く、命中補正なども充分でないはずなのに、小さな部分を正確に命中させた技量に、またしてもキリトは驚愕する。

 偶然 出会ったと聞く女性3人組は、揃いも揃って人並み以上の何かを持っている事に、もはや驚きを通り越して呆れすら抱きそうになる程だ。

 

 

 

「やるやないかぁ、シノンちゃん!!」

 

「ぐ、偶然よ!! というか、ちゃん付けで呼ばないで、何かムズ痒いわ!」

 

「イヒヒ」

 

 

 

 マジマからの賞賛の声に、どこか恥ずかし気にシノンが答える。

 普段クールな分、年上の異性に普通の女の子のような呼ばれ方をするのは慣れていないのかもしれない。

 

 

 

「ほな、俺も行くでぇ!!」

 

 

 

 若い者の活躍に刺激を受けたのか、俄然やる気になったマジマが、一目散に駆け出す。

 相も変わらず その素早い動きで、あっという間に距離を詰めてしまう。ようやく短剣を抜いたコボルド王が相手に気付き、追い払おうと刀を横に振るった。

 それに対応するように、マジマは手に持つ短剣を“ 口で咥えた ”。

 

 

 そして、自身に向かって来る刀を潜り ―――――― 姿を消した。

 

 

 誰もが驚きの声を上げる。

 一体、どこに消えたのかと。

 

 

 そして、誰かがコボルド王の“ 異変 ”に気付いた。

 

 

 見れば、振り終えた腕に、何かが ぶら下がっていたのだ。

 

 そして、それをよく見ると ――――――

 

 

 

「あっ、あんな所に!?」

 

 

 

 他でもない。ぶら下がっているものの正体こそ、マジマその人であった。

 

 刀の攻撃を躱す最中、すれ違うコボルド王の指に手を掛け、そのまま ぶら下がったのである。誰もが思い付きもしなかった行動に、近くで見ていたキリト達も目を丸くし、キリュウも ただ笑みを浮かべるだけだった。

 

 そして、マジマは咥えていた短剣を握り、ぶら下がるコボルド王の手に突き刺した。

 更に、突き刺した短剣の柄を両手で強く握り、勢いを付けて体重を乗せた。

 付け根に深々と刺さった短剣は、マジマの体重も加算された事で勢いよくコボルド王の手を切断。

 

 

 そして、マジマが着地した直後、大きな音と共に落ちたものがある ――――――

 

 

 それは、コボルド王の“ 指 ”だった。

 

 

 

 

「ガアアアアッ!!!!?」

 

 

 

 

 手の指、それも小指と薬指を斬り落とされた事で、コボルド王は それまでにない大きな悲鳴を上げた。

 しかも、事態は それだけに留まらなかった。

 物を握る上で最も重要と言える小指と薬指の2本を失った事で、あろう事か、コボルド王は得物である野太刀を落としてしまったのだ。

 巨大な金属の武器が落下し、指以上の轟音が響き渡る。

 さながら“ (エンコ)詰め ”の如き攻撃に、誰もが衝撃をもってマジマと悶えるコボルド王を見た。

 

 

 

「今だ!!」

 

 

 

 武器 落とし(ディスアーム)という、ソードスキルを使っても滅多に起こる事のない状態を作り出した事に驚きつつ、それが最大のチャンスを逃すものかと、キリトが真っ先に突貫する。

 見れば、もうコボルド王の残りHPは、ごく僅かになっていた。あれだけ長く、多く、中々減らずにいた4本の緑色も、残りは僅かな朱色のみ。加えて、武器も落とし、相手は完全な無防備。

 

 これで決める ―――――― そう意気込み、キリトは その模様が走る腹 目掛け《 バーチカル・アーク 》を放とうと、力を籠める。

 

 未だ指を失ったコボルド王が睨む。だが、武器も持たないままでは、成す術なく その技を受ける他ない。

 

 

 

 

 

「グルゥ……!」

 

 

 

 

 

 ――――――――― はずだった。

 

 

 

 

 

 キリトは、目を見張った。

 

 

 相手が嗤った ―――――― そう思った刹那、それは左の手を引き、拳を握り始めたのだ。

 

 そして その握り締めた拳に、青い光が充填されていく(・・・・・・・・・・・)のを、彼は見た。

 

 

 

 拙い ―――――― そう思った時には、もう手遅れだった。

 

 

 

 既に《 バーチカル・アーク 》は発動態勢に入っている。今のキリトの持ち技の中では最も威力のある2連撃の技ゆえに、発動後、そして中断後の隙は単発技よりも大きかったからだ。

 

 

 中断 ―――――― 手遅れだ。

 

 

 突っ切る ―――――― 間に合わない。

 

 

 進退窮まる中を、必死に決めようと逡巡した。

 

 

 

 だが、それは ――――――――― 決定的に、遅かった。

 

 

 

 

 

 体術スキル・昇龍(しょうりゅう) ―――――― 振り上げられた拳を、キリトは受ける他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― しくじった………まさか、ここで体術スキルだなんて……

 

 

 

 

 

 その身に感じる浮遊感の中、キリトは自分の先走った行動を呪った。

 

 完全に武器の変更だけに気を取られ、その他の注意を疎かにしてしまった。

 

 今や このSAOが、テスト時よりも遥かに実戦的に なっている事を、もっとよく考えるべきだったのだ。

 

 

 

 

 だけど ――――――――― もう手遅れだ

 

 

 

 

 それまでに感じた事のない感覚の中、キリトは自身の視界に映るもの全てが、いやに ゆっくりと、そして はっきりとしている事に気付く。

 

 聞いた事がある ―――――― 瀕死に陥った人間は、生存本能が強く働き、あらゆる感覚が冴え渡る事があるのだと。

 

 

 

 

 なら ――――――――― 俺は、死ぬのか……?

 

 

 

 

 視界に映るHPバーが、赤くなっているのが見える。ボスの攻撃を まともに受けた上、自身の装備は防御重視でもないんでもない。

 

 現実なら、確実に内蔵が全滅する程の衝撃を受けたのだ。痛みを感じないとはいえ、そのダメージは計り知れなかった。

 

 

 全身から、力が抜けていくのを感じる。

 

 あまりにも唐突だった為か、死に対する恐怖は驚くほど少ない。

 

 ただ、眠る時とは違う、意識が遠ざかっていく感覚が、急速に増していった。

 

 

 その中で、様々な光景が浮かび、消えていく。

 

 

 

 

 黄昏の中の街   数多の人   この世界を作った存在   そして ―――――― 両親と妹

 

 

 

 

 ―――――― 父さん……母さん……スグ……ごめん…

 

 

 

 

 帰ったら、謝ろうと考えていた。あの日までの4年間、家族との時間を蔑ろにした事を、必死に詫びようと心に決めていた。

 

 

 

 

 だが、それも もはや、叶わない。

 

 

 

 

 

 やがて、その意識は ――――――――― 絶望と共に、漆黒に染まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キリトくぅ――――――んっ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声が、閉じかけた意識を覚醒させた。

 

 

 未だ続く浮遊感の中、キリトは見た。

 

 

 必死な表情で、悲痛な面持ちで、そして自身に何かを訴えかけようとしている少女の姿を。

 

 

 

 ――――――――― ハル……カ……!!

 

 

 

 不思議だった。

 

 彼女の姿を その眼に収めた途端、力も魂魄も失ったかのようだった体に、再び血潮が流れ始めたように感じたのだ。

 

 

 

 ――――――――― そうだ……俺は……まだ、死ねない……!!

 

 

 

 ふつふつと、絶望に屈しようとしていた自分に怒りが籠る。

 

 死ぬ事に意義を見出す位なら、生きて、家族に告げる言葉を考えろと、死にかけていた“ 自分 ”が叱咤する

 

 

 

 

 

「キリトオオオオ!!!! 諦めるなああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 ハルカが、そして自分も敬愛する男が、叫んだ。

 

 彼は、自分を見ていた。そして その眼は、絶望など微塵も宿してはいなかった。

 

 

 

 あるのは ただ1つ ―――――― 信じる ―――――― それのみだった。

 

 

 

 考える前に、離しかけていたアニールブレードを、強く握り直す。

 

 キリトは最早、見えもしない死を見ようとはしていない。

 

 

 

 見るのは ただ1つ ―――――― 仲間達が向かう敵 ―――――― それだけだ。

 

 

 

 そうだ ―――――― これは危機であっても、終わりではない。

 

 

 自分は まだ、諦めていない。

 

 

 彼には ―――――― 1度は死を跳ね退けたキリトには解った。

 

 

 

 

 

 今こそ

 

 

 

 

 

 他でもない、この状況こそが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   『   勝 機 !!  』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正面がコボルド王と向き合った時、キリトの体は動き出した。

 

 右手を、アニールブレードを握る腕を後ろに伸ばした。回転の力も加わり、そのまま背中に着きそうな勢いだった。

 その体勢を維持すべく、自身の(アバター)の隅々に至るまで全精力を傾けるつもりで意識を強く保った。

 顎が砕ける程に噛み締め、揺れる視界を必死に定めようとする。

 

 アニールブレードの、黒光りする刃に、青い光が宿り始める。

 

 経験で それを察し、更に全神経、全力を体に込める。それは自分の体を操るようで、その実 別の体を操るような感覚だった。

 

 それでも、手探るような思いで体勢を維持し、狙いを定める。

 

 

 自分を見上げて笑っている、その憎たらしい程の顔の真ん中だ。

 

 

 だが、1人の男を空に追いやった事で、王は慢心していた。

 

 

 上を見て笑うだけで、自身に迫り来る“ 複数の影 ”に気付いていなかったのだから。

 

 

 

「うらああっ!!!」

 

 

 

 エギルが、床に転がっていた野太刀を、ソードスキル・《 グランド・ディストラクト 》で弾き飛ばす。打ち上げるような攻撃で、野太刀は遠くへ飛んでいく。

 

 自身の得物が弾き飛ばされた事に驚き、気を取られたところを、ハルカが左手側から突っ込む。

 

 

 

「やああああっ!!!!」

 

 

 

 そして《 パワー・ストライク 》を放ち、キリトを殴り飛ばした左の拳を仇敵だと言わんばかりに打ち付けた。強かに叩き付けられた左腕は、関節が砕けんばかりに大きく弾かれる。

 

 そこを、キリュウとマジマが同時に駆けて背後を取り、曲刀、そして短剣を、怯んでいる体の膝裏へと突き刺す。

 

 

 

「ぬううううあああっ!!!!!」

 

 

「でえええいやああっ!!!!!」

 

 

 

 更に怯み、膝が曲がった瞬間を逃さず、全体重を刃に乗せるように膝を押し出す。体勢を崩したコボルド王は、更なる隙を晒す結果となった。

 

 

 

 そして、そこで僅かに前に出てしまった事が ―――――― 致命的(ドンピシャ)であった。

 

 

 

 

 

 

 

「うああああああああああああっ!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 落下しながら、己の魂すらも糧とするような絶叫と共に、キリトは剣を振るう。

 

 程なく、その刃はコボルド王の左目を捉えた。そして一切の間もなく、刃は頬、口、首、胴体へと深々と喰い込んでいく。

 

 放たれた技・《 スラント 》は、バーチカルなどと同じく片手剣の基本技。本来なら、大したダメージは見込めないはずだった。

 

 だが、キリトが落下しながら放った事、そして そこにブーストに加え、更なる重さが剣に加算された事、弱点の1つでもある目からダメージが入ったことなど、多くの要素が加えられた事で、技のシステムの限界を超えた、尋常ならざる威力を実現させたのだ。

 

 

 

 ひとえに ―――――― 仲間達による援護、そしてキリトが己の限界を超えた事による、奇跡であった。

 

 

 

 

 

 ガキンと、アニールブレードの切っ先が床に叩き付けられる。

 

 

 

 遂に、その刃は完全に、コボルド王の巨体を斬り裂いたのだ。

 

 

 

 コボルド王の体に、左目から右脇腹に至るまでの、大きな裂傷(エフェクト)が走っている。

 

 

 

 

 

 そのHPバーには ――――――――― 最早、一切の色を宿してはいなかった。

 

 

 

 

 

「グアッ……ガッ……ガアアアアアアアAaaaaaaaaa!!!!??!?

 

 

 

 

 

 そして、コボルド王に変化が訪れる。

 

 

 裂傷が閉じることなく その大きさ、輝きを増し、それと同時に全身に痙攣と、苦痛を思わせる絶叫が鳴り響く。

 

 得体の知れない何かが、内側から喰らい尽すかの如き挙動に、キリトも、周りの人間も唖然とする他ない。

 

 やがて、体形にさえ変化が起こる。

 

 その巨体が、腹から更に膨らむように大きくなり、その体が歪になっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― a………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   バキイイイィィィ―――――――――ンッ………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、僅かに声を漏らし ――――――――― 爆散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この座に君臨していた邪悪なる牙の王(イルファング・ザ・コボルドロード)は、欠片となって、完全に消え去ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や………った………?」

 

 

 

 

 

 長い沈黙が、大広間を包み込んでいた。

 

 

 皆、鬨の声も、忙しない足音も、剣戟の音も、何も響かない。

 

 

 息をする音も聞こえない程、ほんの少し前とは打って変わった静寂が場を支配していた。

 

 

 

 長い沈黙 ――― 実際には、1分にも満たない ――― の後、1人のプレイヤーが ぽつりと、漏らすように声を発した。

 

 続くように、幾人かの体に光が包み込まれ、ファンファーレが流れる。経験値が積まれた事で、レベルが上がったのだ。

 

 そして その音が切っ掛けとなり、全員の感情に火が灯り始める。

 

 それは時間を置かずに勢いを増し、胸全体、そして体全体へと伝播していく。

 

 

 皆の体が震える。

 

 失望を、悲観を、絶望を振り落とすように、それは徐々に大きくなっていく。

 

 震えながら、それぞれの顔に笑みが、涙が浮かび上がる。

 

 

 

 

 

「やった ―――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『   やったぞおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!   』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その感情が ――――――――― 大爆発を起こす。

 

 

 狂喜乱舞。まさしく、その言葉が相応しい光景が、敵の消えた大広間を新たに支配した。

 

 

 その場でガッツポーズを決める者。

 

 天井を見上げ、感無量という表情を浮かべる者。

 

 修羅場を越え、完全に力が抜けて、その場に へたり込む者。

 

 共に戦った者同士、抱き合い、健闘を称え合う者。

 

 

 見せる動きは様々。しかしながら、総じて皆の目には、大粒の涙が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

「アスナ!!」

 

「ユウキ………私達、勝ったの……?」

 

「そうだよ! ボク達、勝ったんだ!!」

 

「しっかりしてよ、アスナ。せっかく勝ったのに、ただ ぼうっと、するなんて、勿体ないわよ」

 

「シノのん………そっか……そうだよね……っ!!」

 

 

 

 中々現実を認識できずにいたアスナだが、ユウキ、シノンの言葉を受け、ようやく受け止める。

 その刹那、押し留めていた、そして新たに溢れ出す感情が、アスナを包み込み、彼女は大粒の涙を一気に流し始める。

 止めようと思っても止まってくれない涙に戸惑い、仲間に宥められながら、共に喜び合い、涙し合った。

 

 

 

 

 

 

 

「ハルカさん!!」

 

「シリカちゃん!!」

 

「あたし達、勝ったんですよね? これ、夢なんかじゃないですよね!?」

 

「うん……そうだよ。私達は、勝ったんだよ。夢なんかじゃ、ないよ!」

 

「っ……ふぇっ………えぇぇ~~ん……!!

 

 

 

 シリカは、無事を喜んでハルカに抱き着いた。

 それをハルカは優しく、そして力強く抱き締め、未だ不安が宿る彼女に、優しく現実を告げる。

 そして とうとう、完全に緊張の糸が切れたシリカは、恥も外聞もなしに号泣する。自身も両目に涙を浮かべながら、ハルカは腕の中で泣く妹分の背中を、頭を撫で続けた。

 

 

 

「キリト」

 

「っ……エギル……キリュウさん、マジマさん……」

 

「congratulationだ!!! やってくれたなぁ、キリトよぅ!!!」

 

「おわっ!? エ、エギル、やめっ……!」

 

「イッヒッヒ!! 最後の最後で決めてくれたなぁ、キリトちゃんよぅ。最後の攻撃、モノごっつかったでぇ!!!」

 

「ど、どうも……わっぶ!? マ、マジマさんまで、や、やめて下さいって……!!」

 

 

 

 攻撃を終えた体勢のまま、固まるように座っていたキリトに、男達が集う。

 昂る感情のままに、おのおのが言いたい事を言い、呆然とするキリトを揉みくちゃにしていく。抵抗しようにも、自分よりも遥かに体格の優る男2人の 拘束に、キリトは甘んじて受ける他ない。

 

 

 

「キリト」

 

「!! キリュウさん……」

 

「よくやってくれたな。大した奴だぜ、お前は」

 

「っ……はい!!」

 

 

 

 キリュウも、キリトの健闘を大いに称え、キリトの頭を やや乱暴に撫でる。

 揉みくちゃにされながら、キリトは その手の大きさ、温かみを知る。この大きな手で、自分を遥かに超える力を揮い、ハルカを始めとする多くの命を守ってきたのだと感じ取った。

 

 そして これが、自分が目指すべき大きさなのだと、はっきりと自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、アンタ」

 

 

 

 

 そんな中、場の雰囲気に そぐわない声色の声が響いた。

 

 比較的 大きな声に、その場の全員が歓声を止め、声の方を見た。

 

 

 その声の主は、口元に革製のマスクをつけた1人の男性プレイヤーだった。

 

 

 そして、声色と同じく、非難する(・・・・)ような目で、1人の男を ―――――― キリュウを見ていた。

 

 

 

「……俺か?」

 

「あぁ、そうだよ。なぁ、説明してくれよ。あのマントを被った男は何者だったんだよ、何で俺達の攻略を邪魔するような真似をしたんだよ。アンタ、何か知ってるんだろ? 答えてくれよ」

 

 

 

 そして男は、捲し立てるようにキリュウに詰問する。

 その言は単に聞くというよりも、まるでキリュウが犯人の一派だと言わんばかりの色を宿していた。

 

 

 

「おいおい、何やねん、お前は。今、そんな事 聞くかぁ?」

 

「戦いが終わった、今だから聞くんだろうが! アイツ(PoH)の所為で、攻略が お釈迦になるばかりか、下手をすればディアベルさんだって死んでたかもしれないんだぞ!!」

 

「せやから、何でキリュウちゃんに聞くんや、言うとるんや。そないな事、あのアホ(PoH)に直接 聞かなしゃあないやろが。キリュウちゃんに聞くんは、筋違いも甚だしいで」

 

「いない奴に、どう聞けって言うんだよ!! もう良い、アンタは黙ってろ!!」

 

「あぁ!?」

 

 

 

 良い雰囲気を台無しにした男にマジマは露骨に不機嫌な顔をしつつ、男の言動を非難する。

 だが、男は何を興奮しているのか、場を乱した男の事を口にしながらマジマの言葉には聞く耳を持たない。

 マジマの制止も空しく、男は更にキリュウに詰め寄る。

 

 

 

「なぁ、どうなんだよ。ホントに、アンタ何も知らねぇのか?」

 

「……あぁ。あのPoHとかいう奴の事は、知りもしないし、聞いたのも初めてだ。ましてや、何で あんな馬鹿気た事をしたのか、俺が聞きたい位だ」

 

「だけどよ……俺の見間違いじゃなけりゃ、アイツ、アンタの事を確実に狙ってたろ?」

 

「それは……」

 

 

 

 男の指摘は、的を射ていた。

 ディアベルを陥れた範囲ソードスキルの誘発の際は、これといった悪意の類は何も感じなかったが、身動きが取れないキリュウを狙った際には、明確な殺意が宿っていた。これは、これまで幾度も そういった感情を向けられたキリュウだからこそ解る感覚だった。

 それを、なぜ本来は一般人に過ぎない男が察しているかは疑問だったが、外れてもいない指摘に、キリュウは返答の言葉が見付からない。

 

 そして、その僅かな沈黙を どう捉えたのか、男は疑いの眼差しを強める。

 

 

 

「まさか……アンタの その背中(・・・・)と、関係があるんじゃねぇだろうな?」

 

 

 

 思わぬ指摘に、キリュウも、そして聞いていた他の面々も目を見開いた。

 

 

 

「どういう意味だ?」

 

「アンタ……もしかしなくても、“ その筋 ”の人間だろ? だったら……それに関係する人間だって事じゃねぇのか、あのマントの男は?」

 

「何?」

 

「アンタに恨みを持つ人間が、ここで行動を起こして、それで俺らが巻き込まれたんじゃないかって、そう言ってんだよ!!」

 

 

 

 男が語った推理は、衝撃的なものだった。

 僅かな手掛かりで決定付けるには、あまりにも杜撰な ――――― しかし、だからこそ“ 否定し切れない ”可能性を秘めた言葉だった。

 

 ざわざわと、にわかに場の空気が騒がしくなる。

 フロアボス撃破の余韻で忘れていたが、皆とてPoHなる男の正体と その目的は解らず、燻っていたのだ。

 そこに、今のような憶測が飛び交った事で、更なる様々な憶測が迷走し始めた。

 

 ハルカも、キリトも、シリカも、不穏な空気に右往左往するばかりだ。

 違うと声を上げるのは簡単だ。だが、それで納得してくれるかは別問題だ。むしろ、言い出しっぺの男が更に詰め寄り、悪化する可能性の方が高かった。

 

 大広間の空気は今や一転し、重苦しい空気が支配しようとしていた。

 

 

 これは いかんと、キリュウもマジマも必死に場を変える言葉を探すが、出てこない。

 

 

 

 キリュウの額に、一筋の汗が流れる。

 

 

 

 切羽詰まった表情を浮かべるキリュウを見て、問い詰める男の表情に、笑みが浮かんだ気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間 ――――――――― 男の頭は、勢いよく前へ弾かれた。

 

 

 

 

 

 突然の事に、キリュウらは目を丸くした。

 

 

 目の前で起こった出来事。それは ―――――――――

 

 

 

 

 

「キ、キバオウ……?」

 

 

 

 

 

 そう、男の後ろで聞いていたキバオウが、不意に前へ出たと思いきや、近付いた瞬間に、男の後頭部を思い切り殴ったのだ。

 

 殴られた男は突然の感覚に頭を押さえて驚き、振り向いた。そこには、これまでになく険しい表情を浮かべるキバオウの顔があった。

 

 

 

「キ、キバオウさん、いきなり何を ――――――」

 

それは こっちのセリフじゃアホンダラ!! ジョー、おどれ、よくも今の状況で そない空気の読めん話題 降ってくれたのぅ!! 見てみぃ、この空気を!!」

 

 

 

 (ジョー)の非難も聞く耳持たず、キバオウは先程の男以上の勢いで詰め寄り、非難の声を上げた。

 

 

 

「そ、それは……」

 

「せっかく気持ち良ぅ勝利の余韻に浸ってたっちゅうのに、おどれの所為で台無しじゃ!! この落とし前、どう着けてくれんねや、おう!?」

 

「お、俺は ただ、今後の為に不安な要素を少しでも除こうと……」

 

「せやから何でや、今ここで言う事か!? 今ここでいう事やないし、キリュウさんに詰め寄るんも筋が違うっちゅうヤツやろうが!! 余計な考えは回る癖しよって、そないな事も解らんのか、このボケ!!」

 

 

 

 その関西弁の持つ破壊力に、ジョーは言い訳すらも満足に出来なくなっていた。

 皆、2人の織り成す会話とすら言って良いのか解らない会話に、呆然とするばかりだ。

 ジョーは自分の解らない事を手前勝手な推理で捲し立て、キバオウは今ここで感じるべき勝利の喜びを ぶち壊したジョーに怒りを ぶつけている。

 どちらが正しいのか、多くの人間は判断がつかない。つける要素があるのかさえ疑問だった。

 奇異なものを見る視線の中、キバオウはキリュウの方へと顔を向けた。

 

 

 

「キリュウはん。あのPoHとはいう奴の事を知らん言うのは、ホンマですな?」

 

「あぁ。その言葉に、嘘偽りはねぇ」

 

 

 

 改めての質問に、キリュウは真摯な態度で答える。

 嘘偽りは一切ないと、余計な考えは持たず、ただ己の信じる事を真っすぐに伝える。

 その言葉と、目を受け、キバオウは 目を閉じる。

 

 

 

「ほな、ワイは それを信じますわ」

 

 

 

 そして、朗らかな笑みを浮かべ、そう答えた。

 

 

 

「キバオウさん!?」

 

()あっとれや、ジョー!!」

 

 

 

 その返答に驚いたジョーが責めるよな口を開くが、キバオウは一喝して黙らせた。

 

 

 

「キリュウはん、それにマジマはんの素性なんて、ワイは どうでもえぇ。

 肝心なんは、そのキリュウはん達が、ワイらよりもボス撃破に全力を尽くしてくれたっちゅう事実だけや!!

 お前らも考えてみぃ!! 勝利できたんは誰のおかげや? 諦めんと、最後まで戦う姿 見せてくれたんは、どこの誰や!?」

 

 

 

 キバオウの叫びを受け、プレイヤー達は回顧する。

 

 そこには、誰もが諦めかけた時、真っ先に先陣を切り、道を築いた龍と般若の姿が、はっきりと目に焼き付いていた。

 そして今こうして思い出し、改めて忘れていた勝利の余韻を思い出す。そうする事が出来るのは、勝利できたからこそだと、誰もが気付く。

 

 

 皆、勝利の立役者(キリュウ、マジマ)の顔を見る。

 

 その目には、芽生えかけていた疑心暗鬼の類は一切 宿っていない。

 

 

 あるのはただ、純粋な“ 感謝 ”。それだけだ。

 

 

 

 

 

「そうだ……俺達が勝てたのは、キリュウさんとマジマさんの おかげだ……!」

 

 

「あぁ! 2人が戦ってくれなきゃ、きっと今日 勝つ事は出来なかった!!」

 

 

「そうだ、2人は俺達の救世主だ!!」

 

 

 

 次々と、キリュウ、マジマを称える声が響き渡る。

 

 その熱は、勝利を実感した直後よりも燃え盛っているようにも感じられる程だ。

 

 

 キリュウ、マジマ本人は、その変化に呆然として、やがて笑みを浮かび始める。

 

 

 

 場の空気は、今度こそ不変のものへとなろうとしていた。

 

 

 事の発端であるジョーは、すっかり変わり果てた空気の流れに耐え切れないように、しばらく右往左往しながら、項垂れて いずこかへと去って行った。

 

 

 

 

 

「おじさん……」

 

「ハルカ……!」

 

 

 

 ハルカが、シリカを伴ってキリュウに寄る。

 

 

 

「良かった……本当に、良かった……!!」

 

「あぁ……」

 

「キバオウさん。本当に、ありがとうございます!!」

 

「何 言うとるんや、ハルカちゃん! ワイは、ただ自分が思うとる事を言うたまでや!!」

 

 

 

 キリュウの無事を喜び、そしてキバオウに持ち得るだけの感謝を伝える。

 彼女の脳裏には、最悪の事態さえ想定されていた。たとえ何が起ころうとキリュウから離れるつもりは毛頭なかったが、それでも不安は大きかった。それを、キバオウは見事に防いでくれたのだ。いくら感謝しても足りない位だった。

 

 

 

「キバオウさん……ありとう」

 

「ディアベルはん! 動いて、平気なんでっか?」

 

「あぁ……本当に、ありがとう。君は、もう1人の英雄だ!」

 

「ワ、ワイが英雄やて!? な、何や……いざ言われると、照れるなぁ、しかし……」

 

 

 

 そこに更に、ディアベルが やって来る。

 リンドの肩を借りながら、負傷を押して感謝の意を述べる。自身がすべきでもあった尻拭いを、心ならずも果たしてくれた。その恩義は大きく、彼にして、英雄の器があると言わしめた。

 キバオウは満更でもない表情を浮かべながら、見るからに照れくさそうな、締まりのない顔を浮かべた。

 彼との会話も程ほどに、今度はキリュウとマジマに顔を向ける。

 

 

 

「キリュウさん、マジマさん。本当に、お疲れ様でした」

 

「お前こそ、無事で何よりだ」

 

「首の皮1枚、何とか繋がったのぅ」

 

「はい、おかげさまで。本当に、あなた方は底知れない人達だ。世が世なら、歴史にさえ名が残せる程の英雄にだってなれるでしょう。いや……きっと、これからなれる人達だ!」

 

 

 

 ディアベルの言葉に、誰もが頷く。

 

 

 

「ふっ……悪い気はしないが、1人、忘れてないか?」

 

「え?」

 

「俺達が、みんなを導いた英雄だと言うなら……ここに、立ち塞がる強敵に引導を渡した男がいるだろう?」

 

 

 

 そう言い、キリュウは首を下に向ける。

 そこに立つのは、皆に一斉に見られてキョトンとしている黒髪の少年だ。

 

 

 

「お、俺……?」

 

「あぁ~、せやったせやった! お前、よう あの状態でボスにトドメ刺せたなぁ? 見てて、ホンマぽか~んとしてたで」

 

「あぁ。まるで、漫画やゲームの中の登場人物みたいだった。凄腕だとは思っていたけど、まさか あれ程だったとはね」

 

「い、いやっ……あの時は、本当に無我夢中で、ほとんど何も覚えて……」

 

「それでも、行動に出れたのは本当に凄い事だと思うよ、キリト君!」

 

「ア、アスナまで……」

 

「情けないわね。せっかく男らしいところ見せたんだから、もっと堂々としなさいよ」

 

「そうだよ、キリト」

 

 

 

 キバオウ、ディアベル、そしてアスナにシノン、ユウキと、次々と飛び交う自身への称賛の声に、キリトは恥ずかしい気持ちで堪らなくなった。

 ふと、助けを求める目でハルカを見る。目が合うと、彼女も褒め称えるような眩しい笑みを見せるばかりで、キリトは思わず脱力した。

 

 

 

「よっしゃっ!! ほな、この歴史的な勝利を祝って胴上げや!!!」

 

「おぉ!! よぉ~し、力自慢、集まれぇ!!!」

 

 

 

 

 

『 おおぉ―――――――――っ!!! 』

 

 

 

 

 

 キバオウ、エギルの言葉に、応答の叫びと共に20人余りが殺到する。

 

 

 

「行くぞぉ! せぇ~のっ!!」

 

 

 

 

 

『 ワッショイ!! ワッショイ!! ワッショイ!! ワッショイ!! ワッショイ!! 』

 

 

 

 

 

 そしてキリュウ、マジマ、逃げようとしたキリトを捕まえ、筋力パラメーターを総動員し、3人を打ち上げた。

 最初は ぎこちなく、次第に慣れてきたところで、徐々に その高さは増していった。

 キリトは、これまで1度も経験したことのない感覚に、次第に酔いそうになり、助けを求める声を上げる。

 だが、多くの歓声に掻き消され、その声は一切 届かない。ハルカもシリカも、彼等の晴れの舞台を目に焼き付けようと笑って手を叩いているだけだった。

 

 

 その歓声は、その後も軽く数分以上 続く。

 

 

 皆、その身に沁み付いた恐怖と疲れを取ろうと、ひたすらに歓喜の声を上げ続けた。

 

 

 

 

 

 龍を

 

 

 

 

 

 般若を

 

 

 

 

 

 そして“ 黒 ”を ―――――― 天高く飛ばし、声を張り上げる。

 

 

 

 

 

 

 いつの日か ――――――――― その声が、この城(アインクラッド)の頂上にまで届く事を願って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2011年11月21日。昼過ぎ

 

 

 

 

 

 主街区・《 はじまりの街 》にて、第1層 突破が、大々的に報じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちっ……あいつら、上手い事 進みやがったか

 

 

 

 

 ジョーの奴も、案外 使い物にならねぇな

 

 

 

 

 まぁ良いさ……今回は、ほんの小手調べ

 

 

 

 

 しっかりと、“ 種 ”は蒔いた事だしな

 

 

 

 

 今のところは、勝利に酔い痴れると良いさ

 

 

 

 

 せいぜい、頑張んな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぁ ――――――――― 堂島の龍(ミスター・ドラゴン)さんよぉ……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 ??? 】

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― 良かった……おめでとうございます、みなさん……!

 

 

 

 

 

 たった1人“ そこ ”に()る少女は、目の前に映る光景を見て、喜びの感情を覚えていた。

 

 

 

 周囲には、この城(アインクラッド)の中にいる ありとあらゆるプレイヤーの姿が映り、消えてが繰り返されている。

 

 

 

 彼女には、本来“ 使命 ”があった。

 

 

 

 だが、彼女の上位に あたる“ 存在 ”が、それを許さなくなったのだ。

 

 

 

 それにより、自らの存在に疑問さえ抱きながら、少女は ただ目の前で起こる事に対し、何も言えず、ただ見ているだけしか出来なかった。

 

 

 

 そんな中、彼女の目に留まった存在がいた。

 

 

 

 それらは、他の者達とは何かが違っていると、そう感じ取っていた。

 

 

 

 自分が知る脳波パターンとは、何かが違うと。

 

 

 

 いつしか、少女は それらにばかり目が行くようになっていた。

 

 

 

 そして見続けている内、少女の胸の中に、今まで感じた事のない“ 何か ”が蓄積されるのを自覚していった

 

 

 

 それが何なのか ―――――― 少女には、判断がつかずにいた。

 

 

 

 

 

 今の少女には、何も出来ない。

 

 

 

 本来 定められた、彼らに話しかける事も、ましてや姿を見せる事さえも。

 

 

 

 

 

 だから、せめてもと ―――――― 少女は、祈る。

 

 

 

 

 

 誰よりも人を助け

 

 

 

 誰よりも強い素質を持ち

 

 

 

 誰よりも強いパーティとしての強さを感じさせる、“ 彼等 ”の事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― 私は、見ています………どうか、ご武運を………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は目を閉じ、祈り続けた。

 

 

 

 

 

 その手を、額を、彼等の姿に密着させて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで、もっと近くにいたい ―――――― そう思わせる行動を、無意識に取りながら。

 

 

 

 

 





という訳で、遂に第1層を攻略できました!

いやはや、ここに来るまで3年。本当に、時間をかけてしまいました。

加えて、書きたい事を書いていったら今までの中で最長の60000文字以上!
本来なら分けるところを、前話で『 決着 』とカッコつけたばかりに、異常に長い話になってしまいました。はい、完全に無計画です。

とはいえ ここは、初めてのフロア攻略という長い1日を表現したという事で、どうか御容赦下さいませ。

話の展開なども、若干 無理矢理かなと思いつつ、今の私の頭では これが限界でした。
小説家や脚本家が、どれだけ凄いか、しみじみ思います。



次からの展開も、色々と考えております。

時間が出来しだい、随時 書いていきますので、どうか気長にお待ち下さい。



最後に余談ですが、『 龍が如く6 命の詩。 』

そして、『 劇場版:ソードアート・オンライン  オーディナル・スケール 』

共に、楽しみですね!

是非プレイして、そして劇場で見に行きたいものです。


それででは、またの機会に。


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