SAO アソシエイト・ライン ~ 飛龍が如し ~(※凍結中)   作:具足太師

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どうも、具足太師です。


時間が出来たので、かなり早く続きが書けました。自分でも、正直 驚いてます。
常に、これくらい早く書くべきですねよね。すみません。


今回より、未登場だったSAOの原作キャラも たくさん登場するので、お楽しみに。


では、第16話をどうぞ!




『 決戦前日 』

 

 

 

 

 

【 11月20日 11:18 】

 

 

 

 

 

 土と石を踏み締めながら歩を進める、2人の男達がいた。

 共に粗品ながらも鉄のプレートを胸元に装着し、おのおの長剣と槍を装備している。また、その表情には隠し切れない疲労が見える。装備などに見える劣化の跡が、ここまでの苦労を思わせる。

 

 

 そして、数分後。

 

 彼等は“ あるもの ”を見付けると、早足で そこへ向かい、足を止める。

 

 

 

 

「ここが……《 トールバーナ 》か」

 

「あぁ……やっと、着いたなぁ!」

 

 

 

 町の入り口に掲げられた門と看板を見て、2人の冒険者(プレイヤー)は喜びに近い声を上げた。

 

 

 

 

 

 ここは、第1層にある町の1つ、《トールバーナ》

 

 はじまりの街ほどではないが、規模も比較的 大きい所だ。道も しっかり石畳で舗装されており、それでいて所々に木が生え、芝生も設けられているなど、決して硬過ぎない雰囲気を持っている。無論、武器屋を始めとした店のラインナップも豊富である。

 

 

 そして、一際 目を引くのが、町の どの地点から見ても見る事が出来る“ 塔 ”だ。

 

 距離もあって霞が掛かっているが、極めて巨大な建造物である事が解る。その塔は地面から伸び、そして首を痛めるほど見上げても まだ伸び、そして遥か空の果てまで続いていた。

 

 

 そこに在るのは、真上の空を覆っている巨大な“ 空の地面 ” ―――――― 第2階層の地である。

 

 

 即ち、攻略する上で決して避けられない所という事を意味していた。

 

 

 

 

 

 その場所の名は、階層攻略の最終目標地点 ―――――― 《 迷宮区 》である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 11:58  トールバーナ中央広場 】

 

 

 

 

 

 間も無く正午に入る頃。

 町の中央部に位置する、全てが石で作られたローマの劇場を思わせる所に、大勢の人間が集まっていた。

 全員、色とりどりの服と装備、武器を持った純粋なプレイヤーである。おのおのが劇場に設けられた石の椅子に座るなり、建てられた柱に凭れかかるなりして、何かを待つ かたわら、会話を弾ませていた。

 

 

 

「もうすぐ、正午だな」

 

「本当に、始めるのかな」

 

「流石に、今更ドタキャンするなんて事はないんじゃないか? この町だけじゃなくて、ほぼ全ての街で話題だったんだしよ」

 

「そうだけどさ……正直、まだ実感 湧かないんだよ」

 

 

 

先程、町に入ったばかりの2人のプレイヤーは、会話を交わしながら期待と不安が入り混じった本音を ぶつけている。

 おそらくだが、この場にいる ほぼ全員が、同じ心境なのではなかろうか。

 

 

 

 男は、手に持った“ 1つの本 ”を眺めながら、ここまでの経緯を振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の始まりは、およそ1週間前。

 

 

 彼等は主街区・はじまりの街で、無気力というにも余りに空虚な日々を送っていた。

 突然 訳の解らない主張によりゲームに囚われ、1歩 間違えれば死が待つという理不尽を叩き付けられ、初めこそ怒り狂ったが、1日も経てば それさえ通り過ぎ、ただ絶望と後悔のみが思考を支配していた。

 周りのその他 大勢と同じく、恐怖と不安から街から出る勇気も出せなかったが、その頃には ただ待っているだけの行動に対する苛立ちも隠せなくなっていた。

 ならば いっそ、僅かな光を求めフィールドに繰り出そうか。彼等もデスゲーム宣言前に戦闘を経験していた者、ノウハウが全くない訳ではなかった。

 だが それでも、あと一歩が踏み出せなかった。1度もミスは許されないというルールに対する強迫観念が、それに拍車を掛けていた。

 

 

 そんな時だった。

 

 

 不意に、街が にわかに騒ぎ出すのを察知した。

 気になった2人は導かれるように、その騒ぎの中心へと向かって行った。そして辿り着いた先は、街の中心である時計塔のある広場だった。他に騒ぎを聞き付けたプレイヤー達も大勢おり、大雑把に数えても100単位の人間がいた。

 そして、皆が注目する中心を覗き込むと、2,3人のプレイヤーが何かを大声で叫んでいた。その手には何やら本のような物を持っていた。

 耳を澄まし、話を聞くと、こう言っていた。

 

 

 はじまりの街 周辺から、その先に出現するモンスターを始め、多くの情報が載っている、と。

 

 

 初めは彼等を始め誰も信じようとしていなかったが、彼等が配る本の内容を見て、全員が その内容に釘付けになった。

 

 その本には確かに、彼等も覚えのあるフレンジーボアから、全く身に覚えの無いモンスターの情報が載せられていた。その容姿から始まり、名前、攻撃手段、対処法、果てには倒した時のドロップアイテムまで、事細かに記されていた。

 それだけに留まらず、道中にあるフィールド攻略の方法や、小さな村や町にある店などの情報まで、本当に様々な記載がされていたのだ。

 

 一体 誰が。そう思った2人は、ふと本の表紙を見て気付いた。

 

 

 

 『 大丈夫、アルゴの攻略本だよ。 』

 

 

 

 そこには、そう書かれていた。

 驚く群衆の1人が、この名前は誰なのかと配る人間に尋ねると、その者は言った ――――――

 著者は、ベータテスターであると。

 

 

 そして、本を配る人間の中心であるマスティルという人物も、同じく元テスターであると。

 

 

 彼は言った。

 

 

 既に、一部の者達が皆の為に、危険な最前線への道を進んでいると。

 

 そして、この第1層攻略の目途が、間も無くつくかもしれない事も。

 

 故に、皆にも絶望せず、希望を持って欲しいと。

 

 

 僅かな沈黙の後、広場は一転して色めき立つ。

 ほとんどの人間が攻略など無謀だと断じていた中、そこまで事が好転しようとしていた事に、みな興奮を隠し切れなくなった。

 そして手渡された本も、最初は何が大丈夫なのかと問いたくなる惹句だったが、今や神の信託にも等しい価値になったと言って良い。

 その昂りは中々に冷めやらず、中には すぐにでもフィールドへ繰り出そうと言い出す者が出て、多くが それに便乗しようとさえした程だ。

 流石に そこは、その声と場の雰囲気を察したマスティル以下の面々が制止させた。一時の感情に身を任せて出るなど愚の骨頂だと一喝したのだ。その至極もっともな言葉に、興奮は程無く沈静化した。

 

 

 

 それからは、街の雰囲気が がらりと変わった。

 恐怖と不安に支配され、籠るしかないという思考を変え、前向きに行動しようと言う者達が出始めたのだ。

 まず、本を配っていた者達が中心となり、戦う際のレクチャーを行なった。やる事自体はデスゲーム前と変わらないが、その際に いくつかのルールを設けた。

 

 

 1つは“ 1度たりともHPを全損させてはならない ”という大前提を確実にする為、練習の際の人数を最低でも4,5人のパーティで行なう事。これは万一、練習の際に攻撃を受けてパニックに陥った際に救出する人間を設ける為だ。

 

 2つは、練習用とされるフレンジーボアを余裕で、極力 無傷で倒せる位にならない限り、その先のフィールドへは行かない事。モンスターの行動パターンは多種多様であり、その中でも単純の極みであるフレンジーを苦もなく倒せるレベルでなくては、先で苦戦するのは必至だからだ。

 

 そして3つは、回復アイテムや武器、防具の準備を怠りなくする事だ。

 

 

 どれも落ち着いて考えれば、基本中の基本とも言える内容である。

 しかし、だからこそ遵守しなければならない。

 SAOは極めて現実(リアル)に近い世界だが、(アバター)に痛覚がない事やHPバーが実質的な“ 命 ”である事など、結局は“ ゲームでしかない ”事が最大のネックとも言えるのだ。人間が最も危険を察するであろう“ 痛み ”が鈍いという事は、結果的に危機から脱しようという考えを鈍らせる危険性を孕んでいる。

 極めて現実に近く、けれどもそうでないという ちぐはぐ(・・・・)な部分は、得てしてプレイヤー達を悩ませるのである。これは経験しなければ解らない事であり、そして必ず乗り越えなければならない点だ。

 

 これらは、最初は広場に集まっていたプレイヤーを中心とした約100名が中心となって動き始める。その後、その様子を見ていたり、噂を聞き付けて来た他のプレイヤー達も続々と集まり出し、その数は日増しに膨れ上がっていった。

 

 

 そして僅か3日後には、その数は1000人をも超えるようになっていたのだ。

 

 

 

 

 そして、2日前。

 

 遂に、最前線を行っていたメンバーが、この階層のボス部屋・《 大広間 》を発見したとの報が もたらされた。

 

 即ち ―――――― 第1層 攻略に王手を掛けようとしていたのだ。

 

 これに際し、最前線から攻略に参加するメンバーの募集を求められた。

 ボスは1体だが、その能力は それまでの どの敵に比べても桁違いに高いのだという。聞けば、階層最奥部のボスはプレイヤーが集団で戦う事を前提に設定されている為だとの事。流石に、最後の障害は一筋縄では行かないという事らしい。

 

 

 

 そして攻略の為の会議を開くのが、この日だという訳である。

 

 

 

 

 

「おっ、誰か出て来たぞ」

 

「うん?」

 

 

 

 回想を終えるのと同時に、片割れが もう片方に声を掛けた。

 見れば、にわかに周りの空気も変わっている。こころなしか、ライブや舞台の開始直前の緊張感にも似ていた。

 視界の端の時計を見れば、12:00丁度(ジャスト)

 そこに、劇場の観覧席と舞台の間にある出入り口から、複数のプレイヤーが現れる。

 

 

 

 その瞬間 ―――――― 誰からともなく、息を呑んだ。

 

 

 

 現れたのは、8人の男女だった。

 誰もが、歩く姿を見るだけでも堂々としているのが解った。一目で、自分達以上に実戦経験を積んでいるであろう事が窺えた。

 特に8人の内の2人は、まだ幼さが抜け切っていない少女であった。特に、中高生ほどの少女の隣にいるツインテールの子など、どう見ても小学生であった。あんな幼い子が、自分達以上に実戦を潜り抜けて来たのかと思うと、末恐ろしさを覚える。

 

 そして、何よりも面々を驚かせたのは、中心に立つ2人の男だ。

 他の男性陣よりも頭1つ分 抜きん出た長身を誇り、その体躯は立派過ぎるほど立派なものだ。明らかに、ただ平和の中で のんびりと暮らして来た訳では無い事が解る。そして その表情も異質と言えた。まるで、まだ戦争があった頃の人間がそのまま来たような険しさと厳つさが宿っていたからだ。

 その佇まいだけで、全員の視線を釘付けにしていた。

 

 

 

 パンパンッ、と手を叩く音が響き渡る。

 

 

 

 刹那、半ば呆然としていた人々は正気に戻ったように前を見た。

 

 

 

「は~い! それじゃあ時間になったから、早速 始めさせてもらいます!!」

 

 

 

 その場の全員に向けて声を放ったのは、青い髪が特徴的の青年剣士だった。

 肩部から胸部、そして腕と脛にも防具を身に付け、纏う衣服も周りの面々に比べ、1ランク上の物と解る物だ。

 

 

 

「みんな、今日は俺達の呼び掛けに集まって貰って、ありがとう!

 俺の名前はディアベル、元ベータテスターだ。職業は……気持ち的に、騎士(ナイト)やってます!!」

 

 

 

 そう胸を叩いて爽やかに告げたディアベルに対し、周囲は思わず噴き出した。

 このSAOでは戦士にも職人にもなれるが、厳密には《 職業(クラス) 》と呼べるものはない。テスターである彼が それを知らないはずがないのに、ドヤ顔にも等しい顔で言い放ったので周りは可笑しくなったのだ。

 そんなシステムないだろー、と言った野次に、ディアベルは笑うだけだ。

 どうやら、周りの緊張感を和らげる為の言葉だったようだと、何人かは気付いた。先の事を考えれば否応なく緊張せざるを得ない事を思えば良い判断だと、彼の行動を称賛する。

 周囲の空気は悪くないと判断し、ディアベルは気持ちを切り替え本題に入る。

 

 

 

「さて、早速だが会議を始めさせて貰おう。

 みんなも聞いている通り、俺達は あそこにある迷宮区の最深部まで行き、ボスがいる大広間を発見した」

 

 

 

 そう言ってディアベルは、町からも見える遥か遠くに見える巨大な塔を指差す。

 集まった面子も それを見て、改めて その塔の巨大さを思い知る。あの塔の最奥となると、一体どれだけの敵を倒しながら登り、尚且つ それ以上の強敵を相手にしなければならないのか。

 想像力の高い何人かは、その果てしなさに思わず息を呑む。

 

 

 

「ここに、迷宮区の情報(データ)を まとめた紙がある。配るから必ず目を通してくれ」

 

 

 

 ディアベルは そう言うと、ウインドウを開いて人数分の紙の束を取り出し、後ろで控えていたリンドに手渡す。そしてリンドは手前側にいるプレイヤーに手渡していき、受け取った側も自分の分を取って後ろや横にいる面々に配っていく。

 

 

 

「うわっ…迷宮区って20階層まであるのかよ!?」

 

「しかも、途中で出て来る敵も手強そうだぜ。推奨レベルも、ここまでより明らかに高い」

 

「ボスも、滅茶苦茶 強そうじゃねぇか……っ」

 

 

 

 貰った情報紙を読み、おのおのが思った事を口にしていく。

 ここに来るまでとは明らかに異質と言える敵と場所に、不安は増して行くばかりだ。

 全員が思い思いの反応を示すのを確認すると、タイミングを見計らってディアベルが言う。

 

 

 

「みんな、読んで貰えたかな? そこに書かれている通り、この階層の最後だけあって、迷宮区は堅牢、出て来る敵も強敵揃いだ。不安になるのは無理もない。

 だけど、だからと言って足を止めてはいられない。既に あの(はじまりの)日から半月、ここまでの犠牲者も、決して少なくはない」

 

 

 

 犠牲者、という単語に、全員が表情を硬くする。

 

 彼が言う“ 犠牲者 ”とは、デスゲーム宣告(チュートリアル)で茅場が告げた200名余りの脱落者の事ではない。

 無論、それも含まれているが、彼が言うのは“ その他 ”による犠牲者だ。

 

 様々な運動で事態の安定化に努めて来たプレイヤー達だが、首尾良く落ち着いた者もいれば、あと一歩 間に合わず その命を散らしてしまった者が出てしまったのも事実なのだ。

 いかに安全性を追及して行動しようにも、やはり揺れ動く心を持つ人間、いざ想定外の事態に陥った時に考えていた通りの行動が取れなかったというのが大きな要因だった。

 また中には、果てしない戦いになるだろう未来に光を見出せず、絶望して自殺する者もいた。誰も彼もが、前向きに物事を考えられる訳ではない事を否応なく思い知らされる事案となってしまったと言える。

 

 

 

「全ては、この一戦に懸かってる。そう考えた方が良い。一刻も早く第1層を突破(クリア)し、俺達の手で攻略が可能だという事を、1万の同胞に教えてあげるんだ!!」

 

 

 

 握り拳を作り、そう訴えかけるディアベル。その表情は真剣そのものだ。

 その拳も、これからの戦いに対しての滾りと、この場にいない人間に対する溢れんばかりの情が混ざり合うようにしながら震えている。

 その姿勢に彼の心意気を感じ、心打たれる者も少なからずいた。彼の言葉に頷き、隣同士で戦意を高め合うなどの姿が散見される。

 

 

 

 

 

「……だけどよ………」

 

 

 

 

 

 そんな中で、漏らすように声を上げた者がいた。

 

 

 

「何だい?」

 

「本当に……本当に、俺達でクリア出来るのか? あ、いや、アンタらの事を信用してないとか、そんな事じゃない。けど…俺、聞いたぜ? 階層のボスってのは、半端なく強いんだろ? テスターの中の熟練者でさえ、何度も死ななきゃ勝てなかった、て位に……」

 

 

 

 湧き立っていた劇場に、重い沈黙が流れる。

 

 だが、誰も原因となった男を責めようとはしない。誰もが解っているのだ、彼の不安は至極 当然の事であると。

 

 

 ディアベルらが配った情報には、階層(フロア)ボスとの戦いにおける“ 特記 ”と呼べるものがある。

 SAOでは、1つのパーティは最大6人で構成される。

 そして更に その拡大版として《 レイド 》という枠組みが存在する。それは、そのパーティを複数 合わせて1つの大きなパーティを作るというものだ。SAOに おける機能では、最大で8パーティ、即ち48人の人数で構成する事が可能である。これにより、相互補助、役割分担、お金や経験値の分担などが容易に行なえるのだ。

 

 

 そして男が言う懸念 ―――――― それは、その48人(フルレイド)でさえも、フロアボスには互角にしかならない(・・・・・・・・・)という事実である。

 

 

 ディアベル、そして後ろで聞いていたキリトの元テスターは、過去の出来事(プレイ)を思い出していた。

 その際に戦った9体のフロアボスは、いずれも強大な敵だった。特に、装備もレベルもパラメーターも貧弱である最下層では余計に苦戦したという思いもあった。加えて、今回は決してミスは許されないという精神的な枷がある。そうなると、更に総合的な難易度は上がったと言えるだろう。

 口振りから、彼は きっと初心者(ビギナー)だったプレイヤーだ。なまじ経験を積んだからこそ、過去の成果から考え、そして先程の思いに至ったに違いない。

 

 

 

「確かに……君の言う通り、フロアボスは別格だ。不安は、常に付き纏うのは間違いない」

 

「そ、それで、どうなんだよ。アンタから見て、本当に無事に突破できるのかよ……?」

 

「………」

 

 

 

 縋るような言葉に なっていく男に対し、ディアベルは言葉を瞬時に出せなかった。

 彼とて、共に戦い、調査した仲間と共に幾度も議論を重ねてきた。装備すべき武器から作戦行動の無駄を無くしていくなど、出来る限りの事をした。

 

 けれども、やはり“ 最悪の事態 ”というものを完全に拭い去る事は出来なかった。

 

 通常の戦闘でさえ、リスクは存在する。まして遥か格上のフロアボスとなれば、いくら大人数で攻めるとしても無くせる道理がなかったのだ。

 沈黙が続き、劇場に恐怖の気配が伝播していく。にわかに落ち着きがなくなり、場の空気が悪化して行くのを全員が感じ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― アホくさ」

 

 

 

 

 

 そんな空気に、一言の関西弁が、その場の空気を一瞬で止めた。

 

 

 

「マジマさん?」

 

「アホくさい、言うたんや」

 

 

 

 ディアベルの言葉に、その声の主を理解した他の面々も一斉に視線を揃える。

 そう、誰あろう後ろの方で ずっと聞き役に徹していたマジマだ。

 ディアベルの演説が始まり、そして上手い具合に熱が籠ってきた辺りまでは笑みを浮かべていたが、男が不安を口にした後から、段々と表情が固まり、そして遂に耐え切れなくなったとばかりに今の言葉を言ったのだ。

 そして何を思ったか、マジマは腰に手をやりつつ、こころなしかイライラしてるような面持ちで前へと出る。

 前へ出ると、不安を口にした男に顔を向ける。男は突然その厳つく珍妙な風貌の男に睨まれ、委縮する。

 

 

 

「お前、怖いんか?」

 

「は……は?」

 

「戦うんが怖いんか、言うとんのや」

 

「そ、それは……」

 

「じれったい奴っちゃのぅ……男やったら はっきり言わんかい」

 

「……しょ、正直……」

 

 

 

 マジマに対し委縮しているのもあるが、自分から この話を言い出したとはいえ、大勢の人間がいる中で“ 自分は怖いんです ”と言う事には抵抗があったようだ。言ったら言ったらで、何をされるか解らないという怯えもあった。とはいえ騙す方が怖いので、口籠るように男は正直に答える。

 

 

 

「……はあ~……」

 

 

 

 そして、マジマは大袈裟な位の大きな溜息を吐く。

 その表情は呆れを通り越し、肩も落ちる程の脱力さえ見せていた。

 予測のつかないマジマの反応に、周囲は ただ固唾を飲んで見守る他なかった。

 

 

 

 

 

「この ――――――――― ドアホ!!!

 

 

 

 

 

 数呼吸の後 ―――――― マジマが吠えた。

 

 

 その声量、そして修羅が乗り移ったような表情から来る凄まじい迫力に、直接 当てられた男だけでなく、周りの者達も圧倒された。

 

 

 

「ちょっ、マジマさん!?」

 

 

 

 空気は おろか、劇場そのものを震わさんばかりの怒声を上げたマジマにドン引きしながらも、ディアベルは制止させようとする。

 しかし、現実(リアル)では自分の上司の言葉すら満足に聞かない彼に、若造の言葉が届くはずもない。

 

 

 

「よくお前みたいな根性(タマ)なしが ここに来れたもんやのぅ? この期に及んで何 情けない事ぬかしとんじゃっ!」

 

「なっ……!」

 

「無事にクリア出来るのか、やと?……そないな事、今更こないな所で言う事ちゃうやろ! ここに来るまでに、お前 危険は全くなかったっちゅうんか? えぇ?」

 

「いや……そんな事は……」

 

「せやったら、今回も そうに決まっとるやろが。 1層(ここ)の大将やぞ? 雑魚なんかとは比べ物にならんのが普通じゃ! ここに来とるんやから、それくらい解っとる思ぅとったけどなぁ……」

 

 

 

 マジマの言葉に男は何も言い返す気力も湧かず、ただ項垂れるばかりだ。

 言葉は辛辣だが、言っている事は極めて道理である。一般のモンスター相手でも油断すれば命を落とす危険のある戦い。その一般モンスターよりも遥か格上のフロアボス相手に、“ 絶対安全の戦い ”など求められる訳がないのだ。

 

 男は悔しがる。

 自分は何も おかしな事は言っていない。確かに場の空気を読まない形だったが、この場にいる誰もが心の中で思っている事を代弁しただけだと。それを、これ程までに有無を言わさない形で論破されるのは、理解はしても素直に納得はし難かった。

 だが、何も言えない。

 単純にマジマが怖い事もある。しかし それ以上に、そのマジマは何も間違った事を言ってはいない事も理解しているから。

 

 

 

「マジマの兄さん」

 

「あ?」

 

 

 

 空気が重くなり誰もが言葉を失う中、マジマの肩に手を置く者がいた。

 誰あろう、キリュウである。

 

 

 

「言い過ぎだ。もう少し穏便に進めてくれ」

 

「何 言うとるんやキリュウちゃん。俺は充分 優しくしたつもりやで?」

 

「……とにかく、後は俺が」

 

「そぅか」

 

 

 

 そう言うとマジマは素直に下がり、変わってキリュウが前に出た。

 再び現れた厳つい偉丈夫に、誰もが息を呑む。今度は、何を言うのかと。

 

 

 

「すまない。マジマの兄さんも、悪気がある訳じゃないんだ。解ってくれ」

 

「え、いや……はい…」

 

「改めて、俺の名前はキリュウ。今回のボス討伐戦に参加する1人だ。今度は、俺の話も聞いてくれないか?」

 

 

 

 その頼みに、男は僅かに目を見開き、そして頷く。キリュウの真摯な物言いに反対する必要も感じなかったようだ。

 キリュウも頷いて感謝の意を伝え、視線を周囲の面々に向けて口を開く。

 

 

 

「みんな、聞いてくれ。ディアベルやマジマの兄さんも言った事だが、今回の戦いは非常に厳しいものになる。はっきり言って、ちょっとでも油断すれば、ひとたまりも無い。それは断言できる」

 

 

 

 先程も聞いた内容であるが、キリュウが言うと不思議と“ 重み ”が違うように周りの者は感じた。まるで その光景を直接 感じさせるような言葉に、誰もが固唾を飲む。

 

 

 

「だが……それでも俺達は、やらなければならない。外部(そと)からの救出が絶望的である以上、たとえ危険と解っていても、俺達の手で先に進むしかないんだ。こうしている今でも、街では不安で我を失いそうになっている奴も大勢いるだろう。

 ……そいつらの事を考えるだけでも、俺は不憫でならない。だからこそ、ここにいる。

 お前達も、ここに来たという事は、少なからず俺と同じ気持ちだと思う。違うか?」

 

 

 

 キリュウの、本心からの訴え。

 その沈痛な、真剣な面持ちと言葉に、誰もが彼に同情し理解を示した。そしてキリュウの問いに、大多数の人間が首を縦に振った。

 キリュウのように義侠心と使命感のみであるかは さて置き、この場にいる全員が、囚われのままで良いなどとは露ほども思ってはいない。故に、現状を打破したいという気持ちは この場の総意であった。

 皆の反応を見て不足はないと感じたキリュウは、更に意気を籠めて言った。

 

 

 

「だが それでも、少しでも戦う事に対する恐怖があるなら、辞退してくれても構わない。誰も、それを責める事は出来ない。

 

 その上で、戦ってくれると言うなら ―――――― 頼む。お前達の力、俺達に貸してくれ。

 

 俺達だけでは無理でも、ここに集まった全員の力が集まれば、必ず越えられる。 

 

 命を預けてくれと、驕った事を言う訳じゃあない。それでも……俺達を信じてくれないか?

 

 

 ――――――――― 頼む」

 

 

 

 そうして最後にキリュウは深々と頭を下げた。

 180を優に超える長身を半分にするように、頭だけでなく腰も直角に等しい角度で下げる様は、誰もが目を見開く程に誠意の籠ったものだった。

 この場にいる誰もが、恥も外聞もなく頭を下げるキリュウに、強く心を打たれている。

 その姿を見て、キリュウという男は誰よりも強く、階層攻略 ―――――― ひいては全員の解放(ゲームクリア)に対する意識が極めて高いという事を認識する。そして、他の最前線組も同様であると。

 

 皆は、黙考する。

 この会議の場に集まるだけでも、相応の勇気、覚悟が必要だった。であれば、真っ先にフロアの最前線へと進み、こうして他のプレイヤー達に攻略を呼び掛ける事が、更に どれ程の覚悟を要するのか、考えるだけでも末恐ろしい。

 少なくとも、自分には同じ事が出来ると言う断言は、誰も出来ないと思い知った。

 

 

 

 ならば、自分に出来る事とは ――――――――― 己の本心に、真剣に問いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― やろう……やってみよう!」

 

 

 

 

 しばしの沈黙の後、水面に一石を投じるように、声が上がった。

 

 

 話の中で、ほぼ俯き加減だった1人の剣使いが、なけなしの勇気を絞り出すように言ったのだ。

 

 

 

 

 

「っ…そうだ。ここまで来たら、もう後は()るしかない!」

 

「あぁ、そうだ! 正直、一生 無理なんじゃないかと思ってた事に、たった半月で ここまで来られたんだ。だったら、とことん戦るしかない!」

 

「あぁそうだ!!」

 

「俺も戦るぜ!!」

 

「俺も!!」

 

「俺もだ!!」

 

 

 

 

 

 その後は、まるで芋づる式だった。

 自分達も遅れてはならじと、次々と攻略への意欲を主張し始めたのである。その意気は熱気へと昇華し、瞬く間に劇場全体を興奮の坩堝(るつぼ)へと変えていった。

 揺れるような劇場を、キリュウは、そして他の最前線組は驚き混じりの表情で見渡していた。やがて驚きは喜びへと変わり、感化されるように彼等も その心に強い闘志を滾らせていった。

 

 

 

「みんな! ありがとう!! 本当に ありがとう!!!」

 

「やってやろうぜ、なぁ!!」

 

「あぁっ!!」

 

 

 

 ディアベルは感謝の意を述べ、リンドとシヴァタは互いに決意を固め合う。

 

 

 

「ハルカさん……!」

 

「うん……! 本当に、良かった……!」

 

 

 

 シリカは隣に立つハルカを見上げ、想像以上の熱気に心躍る気持ちを共有しようとした。ハルカも、そんな妹分の手を握りながら、湧き上がるプレイヤー達に素直な喜びを抱いていた。

 

 

 

「凄いな……!」

 

 

 

 キリトも、目の前の光景を信じられないような面持ちで見詰めていた。

 テスト時にも、ボス戦前には士気高揚の為に似たような事をした記憶がある。だが、今の状況は そんなものとは比べ物にならないと考えている。

 あくまでも当時は、祭りやスポーツ前の“ 円陣を組む ”といったような意味合い(ニュアンス)であり、今のように命を懸けた者達が、互いに命を預け合う程の“ 重み ”があった訳ではなかった。そうであれば、今がテスト時と比べても遥かに凄まじいものであるのも至極 当然と言えた。

 

 

 

「イヒヒ! えぇで、えぇで! やっぱ戦いの前は、これくらい派手にせんとなぁ!!」

 

 

 

 先程は不機嫌さを隠さなかったマジマも、今は一転して ご機嫌モードである。怖い位に眩しい笑みを浮かべ、年齢を考えれば幼い位に はしゃいでいる。

 そんな余裕に満ちた様子を見たキリトは、この攻略に対する確かな感触を覚えていた。

 

 

 

(やれる……! きっと この面子なら、確実に1層をクリア出来る!!)

 

 

 

 正直キリトも、不安を抱いていた1人だ。

 テスター仲間であるディアベル、アルゴ、そして、初心者ながらも腕の立つハルカやキリュウ、マジマの参戦もあり、戦力の増大は確実だったが、それでも万一の事はずっと脳裏に残っていた。

 だが、今ならば大丈夫だ。不思議と、そんな気持ちになれる自分に驚きつつも、今は素直に受け入れ、ひたすらに戦意を上げるキリトだった。

 

 

 

 

「ほぉれ! キリトも もっとノれや!! ウオォ――――ッ!!!」

 

「うわっ! ちょっ、マジマさん!?」

 

 

 

 そんな中、あまり周りに便乗してないように見えるキリトに不満を覚えたのか、マジマはキリトの頭を脇に抱えながら自身も更に大きく騒ぎ立て始めた。不意に抱えられたキリトは抗議のタップアウトをするも、全く聞いていない様子だった。振り解こうにも、まるでビクともしない。

 突然 脇で首を締められる苦しみ、そして大勢の人間に見られているという羞恥に、キリトは完全にテンパっていた。

 

 

 

「マジマさん」

 

「んあ?」

 

「ハ、ハルカ!!」

 

 

 

 ハルカが、マジマに声を掛ける。首を動かせない為に顔は見れないが、キリトは助かったと思い笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「ほどほどにね♪」

 

 

 

 

 

 とても澄んだ、可愛らしい声だった。表情も、それに見合うような眩しさである。

 

 

 

 だが今ばかりは、その可憐さが小悪魔のようにもキリトは思うのだった。

 

 

 

 

 

「ハルカアァ―――――!!!??」

 

 

 

 

 

「イ――――ヒッヒッヒッヒ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 湧き立つ劇場の中心で、悲鳴と大笑が木魂(こだま)するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ~大成功やったのぅ!!」

 

「そうだな。とりあえず、これ1つの山は越えたといったところか」

 

 

 

 攻略会議も無事に終わり、キリュウとマジマは劇場の一角にいた。互いに、上手く事が進めた事に対し安堵と喜びを交わし合う。

 

 

 

「ん? どうしたキリト」

 

 

 

 ふと、キリュウは柱の影で座り込み、頭を抱えているキリトが目に映った。元々 低めの身長だと思っていたが、今は それに輪を かけて小さく見えている。

 

 

 

「何や、まだ気にしとんのかいな? 身長だけやなくて、意外と気も小さいなぁ」

 

「いやっ、身長 関係ないでしょう!? 誰のせいだと思ってるですか!!」

 

「ん~? さぁ~て、一体 誰やろなぁ~?」

 

「ア、アンタって人は……っ」

 

「気にするな、キリト。マジマの兄さん のやる事に いちいち目くじら立ててたら、キリがない」

 

「むっ、むぅ………」

 

 

 

 キリュウの宥めにも、いまいち釈然としないキリトだったがマジマが まるで堪えていないのも事実である為、それ以上 口にする言葉も出て来ず、仕方なく諦めた。

 元より、同年代の人間とも満足に接して来なかったと自覚しているキリトが、40年以上にわたり様々な修羅場を潜って来たマジマに対して不足なく接せられるはずもなかったというのが理由である。キリュウでさえ、彼の突飛な行動には驚かされる事が多いのだから。

 

 

 

 

 

「――――――ちょっと、良いか??」

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 そんな時、不意に3人に声を掛ける者が現れる。見れば、1人の男性プレイヤーだ。

 その姿を見て、特にキリトは その風貌に目を見開かせた。

 何しろ、その男はキリュウやマジマにも匹敵する体躯を誇る巨漢であり、その頭部は立派に剃り上げられたスキンヘッド、顎には綺麗に整えられた髭を蓄えている。そして何より、その肌の色と顔付きである。どう見ても日焼けではない褐色肌に、キリュウ以上の彫りの深い精悍な顔付き ――――― そう、彼は黒人であった。

 

 

 

「誰や、お前?」

 

「俺はエギル(Agil)ってもんだ。見ての通り、《 両手斧 》使いのプレイヤーさ」

 

 

 

 確かに、その背中には彼の身長の半分ほどの大きな斧を背負っている。元より威力重視の装備だが、筋骨隆々の彼の見た目も相まって、非常に力強い印象を受ける。

 

 

 

「ん? 何だ、黒人がいるのが そんなに不思議か?」

 

「あ、いや、そんなつもりは……」

 

「はっはっは!! 気にすんな、そういう目で見られるのは、もう慣れっこだからよ!!」

 

 

 

 珍しさに無意識の内に見入ってしまっていたが、それが充分に失礼な行為だと気付き、キリトは謝罪しようとするが、その前にエギルは豪快ながらも爽やかな笑いで不必要だと言外に告げた。

 

 

 

「“ 慣れっこ ”っちゅう事は、お前、日本に住んどるんか?」

 

「あぁ。家系こそ純粋なアフリカ系アメリカ人だが、ちゃきちゃきの江戸っ子さ!」

 

「ほぅ。道理で、日本語に全く違和感がない訳か」

 

「まっ、そう事さ。それにしても、おたくら凄ぇな。言ってしまえば即席のメンバーを、こうも見事に纏め上げちまうなんてよ」

 

「いや、俺達は大した事はしてねぇ。ただ、皆が集まり易いよう、きっかけを作っただけだ」

 

「いやいや。それが、普通に凄いって言ってるのさ。言うには易いが、そうそう出来る事じゃねぇと、俺は思うぜ。一時、不安が出た時もそうだ。アンタ達は、上手い具合に論破し、その上で説得力満載の言葉で仕上げて見せた。それが凄いと言わなくて、何て言うんだい?」

 

「ふふ。買いかぶり過ぎだ」

 

「ヒヒッ。褒めたところで、なぁ~んも あげられへんで?」

 

「ははっ! そりゃ残念だ!」

 

 

 

 そう言って、厳つくも屈託のない笑みを浮かべるエギル。既に三者の間には、遠慮らしい空気は流れていない。

 キリトは、そんなエギルの社交スキルの高さに感服していた。自分でさえ、キリュウとマジマと まともに会話するにはハルカやシリカといった仲介役があって、半月近く かかったというのに、このエギルという男は あっさりと それを成し遂げてしまった。本人の性格や、民族性、あるいは現実(リアル)で培ったものなど、色々な要因はあろうが、純粋に羨ましく思った。

 

 

 

「ところで話は変わるが、おたくらは、もうパーティは出来てるのかい?」

 

 

 

 充分に親交を深めた辺りで、エギルは話を切り出した。

 彼が言っているのは、現在 周りの面々も行っているフロアボスに向けてのメンバー作りである。

 今回のボス戦では、レイドを形成しての戦いとなる。その際、それを構成する為のパーティ6人が必要となる訳であり、現在ディアベルを筆頭に それを行なっている訳である。人数を揃えるのも そうであるが、何よりバランスも大事である為、みな慎重に選んでいる最中であった。

 

 

 

「いや。実を言うと、俺達は まだ5人しか揃ってなくてな。どうしようか、考えていたところだ」

 

「ほぅ。メンバーの武器、装備は?」

 

「俺が、曲刀。マジマの兄さんは短剣。キリトは片手用の剣だ。あと2人は、盾持ちの棍棒が1人、それに短剣がもう1人だ」

 

 

 

 その2人とは、無論ハルカとシリカである。

 

 

 

「ふむ……」

 

 

 

 エギルはメンバー構成を聞き、蓄えられた顎鬚を撫でながら思案に入る。

 

 

 

 

 

「それじゃあよ ―――――― それに、俺も加えてくれないか?」

 

 

 

 

 

 そして数秒の思案の後、エギルは そう願い出た。

 

 

 

「アンタをか?」

 

「おうよ! 実を言うとよ、俺、こんな姿(なり)の所為か敬遠されがちでな。正直、あぶれてたんだ」

 

 

 

 そう言うエギルの言葉に、3人は不思議と説得力を感じていた。

 

 元より日本人と言う民族は、“ 他と違うモノ ”を忌避する傾向にある。生活水準、性格、趣味、性別、国籍 ―――――― 理由を付けては、はみ出し者として扱う。無論、例外もあろうが。

 

 キリトは思い出す。先程の会話の中で、エギルは「そういう目で見られるのは慣れっこ」と言った。その時は単に物珍しいといった意味合いしか考えてなかったが、深く考えてみると、それだけでない事は容易に想像が付く。テレビでも、ドラマでも、漫画やアニメでも取り上げられる事である ―――――― 特に幼い学生時代に、日本人でないという理由だけで、理不尽な扱いを受けるというのは。

 社会の はみ出し者としての過去と現在を持つキリュウとマジマ。それに、そういった目で見られる事を極端に恐れていたキリト。いずれも、胸中に複雑な思いを抱いた。

 

 そんな三者の思いを知ってか知らずか、エギルは明るい口調のまま、言葉を続ける。

 

 

 

「それでよ、今の話を聞く限り、そちらのパーティには盾役(タンク)が1人しかいないだろ? そうなると、いざ前衛の おたくらがスイッチする際、要となる壁役が1人ってのは少々心許ない気がするんだ。

 そこでだ。その中に俺を加えれば、中々にバランスが取れると思うんだが、どうだ?」

 

 

 

 こういったゲームの経験者であるのか、エギルの言う事は理に適うものだった。

 SAOでは、大雑把に見て《 前衛 》と《 後衛 》と呼べる役割がある。

 前衛は積極的に攻撃を仕掛け、敵を倒す事を目的とした役割。

 後衛は、その前衛の動きを見て、いざという時に交代し敵を防ぐなり代わりに倒したりと、といった感じである。

 であれば、盾を持って時間を稼ぐ役割が重要になってくる訳であるが、現在キリュウを筆頭とするパーティにはハルカしか それに該当する者はいない。後は皆、攻撃重視か攪乱を兼ねた攻撃といったところだ。

 そして、エギルの持つ両手斧は、その見た目から来る威力ばかりの武器ではない。その大きさや重量を活かし、防御にも活用できる武器なのだ。代わりに移動力は犠牲となるが、武器の特性として防御力やHPに補正が掛かり、純粋な盾装備には及ばぬものの、かなり丈夫(タフ)にはなるのだ。

 

 

 

「入って貰えるなら、嬉しい限りだが……良いのか?」

 

 

 

 深く考えるまでもなく、彼が入るメリットや彼自身の人柄を見て前向きに考えるキリュウ。

 

 

 

「あぁ。アンタらは、どうだ?」

 

 

 

 キリュウの言葉を聞き、更に駄目押しとばかりにマジマとキリトに尋ねる。

 

 

 

「俺は、別に構わんで」

 

「俺も、同じです。特にデメリットも無いですし」

 

「よっしゃっ! これで決まりだ!!」

 

 

 

 してやったりといった破顔一笑を浮かべ、エギルは力強く左手の拳を、右手で握り締めた。その所作は これからの力働きを象徴するようで、実に頼もしく映った。

 

 

 

「へへっ。何でだろうな、おたくらとは、長い付き合いになる気がしてくるぜ」

 

「ふふ。その時は、よろしく頼むぜ、エギル」

 

「おうよ!!」

 

 

 

 ここに、キリュウを筆頭とするパーティは完成した。

 

 

 

 

 

 そして、(エギル)の予想通り、ここから彼等は2年に及ぶ関わりを持つ事となっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視点は変わり、少し離れた場所では。

 

 

 

 

 

「は~い、どうぞ!」

 

「おぉ、ありがとよ!!」

 

「おぅ、嬢ちゃん。俺達にも くれよ!」

 

「は~い、今 行きま~す!」

 

「ハルカさ~ん! もう在庫が切れそうで~す!!」

 

「うん、解った! ちょっと待ってて!!」

 

 

 

 ガヤガヤという擬音が似合いそうな賑やかさの中、ハルカとシリカは とある活動に勤しんでいた。

 彼女達は木製のトレイを持ち、その上に乗せた“ ある物 ”を集まったプレイヤー達に配っていた。中々に盛況かつ好評らしく、特にシリカは目が回りそうな忙しさを感じていた。まるで深夜の居酒屋などで働く中高生である。

 だが、それでも彼女達の表情には笑顔があった。

 

 

 

「ふぅ……あらかた、渡し終えたかな?」

 

 

 

 

 

「――――― ねぇ、お姉さん」

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 数分後。そろそろ終えたかと思い始めた丁度その時、ハルカに声を掛ける者がいた。

 声の方を見下ろしてみると、そこには女の子がいた。腰まで伸びた豊かな黒髪を持ち、頭には白いカチューシャを付けていた。身長はシリカと同じか少し高い位で、年齢も同じ位と推測できるが、ゆったりとした衣服を着ている事もあり、やや幼くも可愛らしい印象を感じた。腰には、得物であろう片手直剣を佩いている。

 

 

 

「“ それ ”、まだ残ってる?」

 

 

 

 ハルカが持っている物を指し、少女は尋ねた。

 

 

 

「うん、まだあるけど」

 

「あ、1つじゃなくて、3つ欲しいんだ」

 

 

 

 渡そうとすると、少女は察したように そう追加した。どうやら、彼女には仲間がいるらしい。

 

 

 

「うん、丁度3つ残ってるから大丈夫。お友達はどこ?」

 

「あっち」

 

 

 

 そう言うと、少女は劇場の上の方を指す。見れば、それらしい人影が2つ見える。

 

 

 

「解った。じゃあ私が届けるよ」

 

「良いの?」

 

「良いよ。すぐ そこだし」

 

「ありがとう! じゃあ、行こう!!」

 

 

 

 眩しいまでの笑顔を浮かべ、少女は先導するように走り出した。ハルカも そんな少女の元気な姿に不思議と嬉しい気分になりながら、後に続く。

 

 

 

「あっ、そうだ」

 

「? どうしたの?」

 

 

 

 不意に、少女が何かに気付いた様子で立ち止まり、振り向いた。

 

 

 

 

 

「そういえば、まだ名前 言ってなかったって思って。

 

 

 ボクの名前はユウキ(Yuuki)。 よろしくね、お姉さん!」

 

 

 

 

 

 ハルカは一瞬ポカンとしたが、その屈託のない笑顔に自然と笑みを溢していく。

 

 

 

「ふふ。私はハルカ。こちらこそ、よろしく」

 

「ハルカ……良い名前だね!!」

 

「そっちこそ、良い名前だよ」

 

「えへへ……! さ、行こ!!」

 

 

 

 名前を褒められた少女・ユウキは はにかむように笑い、階段を上って行く。こころなしか、先程よりも元気度が上がっているように見えた。

 そんな彼女の姿を微笑ましく思いながら、ハルカも階段を上って行った。

 

 

 

 

 

「2人とも! お待たせ!!」

 

 

 

 程無く、階段を上り終えた最上段に到着した2人。

 ユウキが呼び掛けると、彼女の仲間2人はハルカ達の方に顔を向けた。

 

 

 

「ちょっと、わざわざ来てもらったの? 貰って来るって言ってたのに」

 

 

 

 そう言うのは、中学生くらいの少女だった。腰には短剣を差している。

 彼女も また黒髪で、ショートヘア―に揉み上げ部分が伸び、そこをリボンで両側とも結んでいる特徴のある髪型だった。クールという表現が似合う その表情は実に様になっており、総じて美少女の部類に入ると感じる。

 どうも、口振りからハルカを伴って帰って来た事に不満がある様子だった。相手に余計な迷惑を かけたと思ったのだろうか、やや責めるような目でユウキを見ている。

 

 

 

「ゴ、ゴメン……ボクは……」

 

「あ、良いの。私が言い出した事だから、気にしないで」

 

「ふぅん? まぁ……それなら構わないけど」

 

 

 

 ユウキが謝罪するのを遮るようにハルカは言った。まだ何か言うかと一瞬 思ったが、仲間の少女は特には追及せず、そこで話は終わった。

 

 

 

「ごめんなさい、わざわざ届けてくれて」

 

 

 

 続いて、その少女の隣に座っていた もう1人の仲間が礼を述べた。

 その時、初めてハルカは その人物が女の子である事に気付いた(・・・・)

 なぜ気付かなかったかというと、その少女は全身の ほとんどを覆うフード付きの茶色いマントを羽織っていたからだ。フードを深々と被っている為、表情も ほとんど窺えない。僅かに覗くスラリとした足は薄い灰色のタイツに赤茶色のブーツと、よく見れば女性らしい衣装であるが、それでも声を聞くまで確信は持てなかった。

 

 

 

「ちょっと。謝る位なら、顔ぐらい見せなさいよ」

 

「えっ!? あ、ご、ごめんなさい……!」

 

 

 

 そう言われ、マントを纏う少女は慌てたようにフードに手をやる。

 恥ずかしがりや なんだろうか、とハルカが考える中、少女はフードを後ろに下げる。

 

 

 

「――――――っ」

 

 

 

 思わず、ハルカは息を呑んだ。

 

 

 その顔に、醜い痣や傷があった ―――――― 訳ではない。むしろ、真逆(・・)である。

 

 

 フードから解放されて最初に現れたのは、その栗色の長髪だった。すっと伸びた髪は、おそらく長い時間 押さえ付けられていたであろうにも かかわらず癖もなく、それでいて ふわっと膨らみを見せるような柔らかさを見せた。艶もあり、真上で輝く太陽でキラキラと光を宿している。少女が髪を整える為に左右に首を振る。その際、ただのストレートヘアーでなく、耳の後ろの両側を三つ編みにし、後ろで纏めるハーフアップという髪型であると気付いた。

 顔つきも、大きな目といい、整った鼻筋といい、同じ女性であるハルカから見ても、その少女の可愛さ ―――――― 否。美しさは、目を奪われる程だった。おそらく同年代であろうが、少なくとも、それまでのハルカの記憶の中にも、彼女ほどの美貌を持つ者は1人もいないと断言できた。

 

 

 

「ふぅ……ごめんなさい。周りは知らない男性ばかりだったから、ついフード(これ)が普通に なっちゃって……? どうかした?」

 

「え? あ、ううん。何でもない」

 

 

 

 まさか、同性の相手に見惚れていたとは正直に言うには恥ずかしく、ハルカは それとなく誤魔化した。

 

 

 

「そう……? 自己紹介が遅れたわね。私はアスナ(Asuna)、よろしく」

 

「そう言えば、私も まだだったわ。シノン(Sinon)よ。よろしく」

 

 

 

 アスナに続き、短髪の少女 ―――――― シノンも自身の名前(プレイヤーネーム)を名乗る。

 

 

 

「よろしく。私はハルカです。それじゃあ、これ、どうぞ」

 

 

 

 全員の自己紹介が終わったところで、ハルカは目的であった物を3人に手渡す。これで、トレイの上は綺麗になくなった。

 

 

 

「……ねぇ、これって……」

 

《 黒パン 》……よね」

 

「うん。そうだよ」

 

 

 

 手渡された物を見て、アスナとシノンは観察するように見る。今にも首を傾げそうな その表情からは予想してたのと違う、といった言葉でも出てきそうだ。

 ハルカが配っていたのは、このトールバーナや他の村でも変える《 ブラック・ブレッド 》 ―――――― そのままの通り、黒パンである。

 ハルカが彼女達の反応に疑問を覚える中、ユウキが一口(ひとくち)、口にする。

 

 

 

「んぐ……あれ……ハルカ、これって、他のみんなが食べてるのと違うもの?」

 

「ううん。配ってたものは、みんな ここ(トールバーナ)の お店で買った3コルのパンだよ」

 

「そうなの? でも、他の みんなは あんなに美味しそうに食べてるよ?」

 

 

 

 ユウキが指差す先には、確かに他のプレイヤー達が同じパンを見るからに美味しそうに、談笑しながら食べている様子があった。

 彼女らが ここまで疑問に思うのも、ある意味 当然である。

 

 実を言えば、この黒パンは正直あまり ―――――― ぶっちゃけ、全然 美味しくないのだ。

 

 3コルという相場で見ても格安の値段が示す通り、かなり質素な出来であり、柔らかくもなければ味すらも ほとんどしないというものだ。それでも、歯ごたえはあるため腹は膨れるし、現実で言えばロシアで有名な黒パンよりは食べ易いらしいのだが。

 ここにも、このSAOにおける、ある意味 最大の問題点 ―――――― 食の乏しさを、まざまざと見せ付けられている。いかに、現実の日本の食が豊かで贅を尽くしているか、嫌でも解る。

 もっとも、それを否応なく思い知らされたアスナ達3人は、解ったところで嬉しくもなんともないのだが。

 

 ところが、それを他のプレイヤー達は美味しそうに食べているではないか。

 

 その様子を見て、3人は てっきり見た目は同じの、しかし味は違う別物だと思い、自分達も貰おうと考えたのだが、結果は この肩透かしである。

 

 しかし、3人の反応と言葉に、彼女らと言わんとする事を理解したハルカは、おもむろにウインドウを操作する。

 

 

 

「? どうしたの?」

 

「ちょっと待ってて」

 

 

 

 そう言って、ハルカはアイテム欄から あるものをクリックすると、それが実体化し現れた。

 それは、小さな瓶だった。特に特徴もないもので、瓶にはシールが貼られているが何も書かれていない。一体どのような用途で使うのか、3人には解らなかった。

 それを1つずつ、ハルカは3人に手渡す。

 

 

 

「これは?」

 

「蓋の所を、少し意識してタップしてみて」

 

 

 

 アスナが尋ねると、ハルカは使用法らしい方法を伝える。3人は言われた通り、蓋の上を部分に指先を置いた。

 

 

 

「えっ!?」

 

「ちょっ!?」

 

「うわっ!?」

 

 

 

 すると、3人は ほぼ同時に驚きの声を上げた。

 蓋の上に指を置いた途端、その指先が淡い光に包まれ、更に何か“ ぬるり ”とした感触が出現したからだ。

 

 

 

「ね、ねぇ、これ……!」

 

「大丈夫。そのまま、パンを なぞってみて」

 

「な、なぞる?」

 

「うん。ほらほら」

 

 

 

 3人の おっかなびっくりな反応を可笑しく思いつつ、自分もそうだったと思い出す。

 そしてハルカは使用法を教える。光る指先を持て余すように見ながら、3人は意を決して黒パンに指先を置いた。

 

 

 

「「「あ……!」」」

 

 

 

 すると、どうだろう。

 その置いた指先から、何やらクリーム状のものが現れ出したのだ。クリーム色の それからは、鼻が敏感に捉えらえる程の甘い匂いが漂ってくる。

 そう、それは紛う事なき“ ホイップクリーム ”であった。

 驚きながらも なぞるのを続け、黒パン1つに充分な位のクリームが塗りたくられる。

 相変わらず固そうで貧相な見た目のパンに変わりはないが、ちょっと一工夫を加えただけで別物に見えてくる。何故だか喉の奥辺りがムズムズするのを自覚し、固唾を飲む3人。

 食べるのを促すハルカの表情を見て、3人は一斉にクリーム乗せ黒パンに齧り付いた。

 

 

 

 

 

「 ! 」

 

 

 

「 !! 」

 

 

 

「 !!! 」

 

 

 

 

 

 そして咀嚼する事 数度 ―――――― 3人に、まさに“ 衝撃が走った ”。

 

 

 まるで、長年 麻痺状態に陥っていた人間が、不意に感覚を取り戻すような、“ 思い出す ”という感覚が極端に強くなったような、そんな実感だった。

 3人は そのまま、まるで何かに取り憑かれたようにパンを貪るように食べ続けた。

 そうして、普通なら10分は かけて食べるパンを、3人は20秒も かからずに平らげてしまったのだった。

 

 

 

「はぁ…はぁ……何か……あっと言う間に食べちゃった……」

 

「私も……まるで、自分じゃないみたいに食い付いてたわ……」

 

「ボクも……」

 

 

 

 食べたという満腹感、そして舌にも様々な感触が残っているが、まるで他人事のような感覚さえ覚える3人。それだけ、自分でも驚くほどに夢中だったという訳だろう。

 3人の食べっぷりを見て、ハルカも満足そうに見つめていた。

 その時、3人は目の前に彼女がいた事を思い出す。同年代の同性とはいえ他人に、お世辞にも お行儀の良いとは言えない部分を見せてしまった事に羞恥心を覚える。

 

 

 

「どう? 満足できた?」

 

「えぇ……とっても」

 

「うん! 今日まで食べた、どの食事よりも何万倍も美味しかったよ!!」

 

「一体、あのクリームは何なの?」

 

 

 

 3人は揃って、ハルカが くれたクリームの美味さを絶賛した。平時より笑みを見せるユウキは元より、基本的に冷静な表情しか見せないシノンも笑顔を浮かべる辺り、その程が窺える。

 アスナも その美味さに心躍る中、同時に浮かんだ疑問をハルカに尋ねる。中々に真剣な面持ちで聞いているのだが、その口元にクリームが残っている様に、思わずハルカは噴き出しそうになるが、堪えて答える。

 

 

 

「このトールバーナの1つ前の村にね、とあるクエストがあるの。クリームは、それの報酬だよ」

 

「クエスト?」

 

「そう。《 逆襲の雌牛 》っていう名前のクエスト」

 

「ぎゃ、逆襲……? 随分と物騒な名称ね……」

 

「なんか、危なそうな感じがするんだけど……」

 

「うん。何しろ、クリアするまでが凄く手間だったしね」

 

 

 

 穏やかな雰囲気を感じさせない名称に頬を引き攣らせる3人。

 

 

 更にハルカは、そのクエストの詳細を語った。

 

 

 

 

 

 手順その①:クエストの受注。

 

 

 

 トールバーナの1つ前 ―――――― 《 バンロット 》という村にいる農婦に話を聞く。

 

 

 

 曰く……

 

「娘が誕生日を迎える為、何か美味しいものを作ってあげたいが、材料が足りない。

 村から少し離れた所にある《 獰牛の闊歩せし原野 》《 トラキュレンス・カウ 》がいる。

 その牛の乳は、極上の素材となる」

 

 との事。

 

 これで、フラグ成立。

 

 

 

 手順その②:トラキュレンス・カウの発見。

 

 

 

 例の原っぱに行っても、すんなりと来てくれる訳ではない。

 そこに多くいる《 ミスチフカーフ 》という小型の牛モンスターを、一定数 狩らねばならない。

 設定的には、そのミスチフカーフはトラキュレンス・カウの子供らしい。故に、クエスト名に逆襲という熟語が入っているのだろう。

 

 これが、2つ目のフラグ。

 

 

 

 手順その③:トラキュレンス・カウとの戦闘。

 

 

 

 そして、現れたトラキュレンス・カウとの戦闘になるのだが、ここで問題点がある。

 

 それは、その敵を倒してはならない(・・・・・・・・)事。

 

 クエストに必要なTC(トラキュエンス・カウ)ミルク 》は倒して手に入るのではなく、直接トラキュレンス・カウの乳を搾って入手しなくてはならないのである。

 では、どうするのかと言えば、それは“ 気絶させる事 ”だ。

 HPを全壊させず、危険域(レッドゾーン)を一定時間 維持させると、それがフラグとなって倒れるのである。そして その隙に、乳を搾って手に入れる、という訳だ。

 とは言え、そこまでが大変なのである。体力を赤くしてから、軽く5分近くは逃げ回らなければならないのだ。トラキュレンス・カウ自体、そこまで強いモンスターではないが、体も大きく、パワーもスピードもフレンジーボア以上はあるので、苦労する事は間違い無い。

 

 

 そうして、件の農婦にTCミルクを渡して貰える報酬が《 TCクリーム 》でなのである。

 

 

 

 

 

「……何て言うか、大変だったのね」

 

「えぇ……聞いてる こっちも、その苦労が浮かんでくるようだったわ……」

 

「現実の牧場の人だって、そんな苦労はないと思う……」

 

「あはは……」

 

 

 

 実際の乳搾りでも、慣れない牛が相手だと暴れたりして危険があるのは同じなのだが、さすがに そのクエスト程ではないと断言できるだろう。ハルカも、乾いた笑いを見せる。

 教えてくれたキリト曰く「あまりにも手間が かかるから1度やったら誰もやらない」との事なので、彼女達の反応も納得である。

 

 

 

「でもね、これには“ 続き ”があるんだ」

 

 

 

 そこで終わりかと思いきや、ハルカは不意に そう言い出した。

 思わぬ言葉に3人は驚く。

 

 

 

「続き?」

 

「それって、どういう事?」

 

「うん。実はね、そのクエストには“ ある秘密 ”があったの」

 

「秘密?」

 

「そう。今日までの間に、私達は迷宮区の攻略だったり、色々やってたんだけど、私は主に回復薬の調達だったり、いわゆる後方支援? みたいな役回りだったの。

 それでね、みんなに比べれば時間も出来やすかったから、暇を見付けて例のクエストを何度も受けたの」

 

「えっ……そんな、手間のかかるクエストを、何度も!?」

 

 

 

 驚くユウキに、アスナもシノンも同調する。何故、そんな一見 無駄の多そうな事をしたのか、疑問に思った。

 

 

 

「うん。だって、毎日毎日 大変な攻略を続けて、帰って来たらクタクタになってる みんなを見てたら、何とかしてあげたくて。それで、せめて食事だけでも美味しくしてあげようと思って、クリームを手に入れる為にクエストを受けたの」

 

 

 

 その理由となる事には、ハルカなりの思い遣りが秘められていた。

 それを聞いた3人は、彼女が醸し出す優しい雰囲気に、思わず見惚れてしまいそうになった。

 

 

 

「それでね、何度もクエストを受けたんだけど、そこで予想外の出来事が起こったの」

 

「一体、何が?」

 

 

 

「それがね ―――――― トラキュレンス・カウが、私に懐いちゃった(・・・・・・)の」

 

 

 

「「「は……?」」」

 

 

 

 言ってる意味が一瞬 理解できず、3人は開いた口が塞がらない状態となった。

 真っ先にアスナが疑問を問い掛ける。

 

 

 

「懐いたって……どういう事?」

 

「うん。クエストを、20回くらい受けた後だったかな。

 

 いつもならミルクを搾った後は目を覚まして逃げ出すはずが、その時だけは どこにも行かないで、じぃっとしてたの。しばらく警戒してたけど襲って来ないし、まぁ良いかって 帰ろうとしたら、私の後を付いて来ちゃったの。

 引き剥がす事も出来ないし、結局そのまま村に帰ったら、今まで見た事のないNPCが出てきて、そのまま村で飼う、って形になっちゃった。

 それからは、1日に限りはあるけど好きな時にミルクが取れて、クリームが貰えるようになったってわけ。キリト君、私のパーティにいる元テスターの男の子なんだけどね、彼も驚いてたよ」

 

 

 

(それ、懐いたって言うより“ 服従 ”したんじゃ………)

 

 

 

 そんな疑問は さて置き、3人は そんな事もあるのかと感心していた。

 同時に、その おかげで久々に美味しい食事に ありつけたと、改めて感謝の念が湧き上がってくる。

 

 

 

「そっか。こんなにも美味しい思いが出来たんだから、ハルカには感謝しないとね」

 

「ほんとね。今日まで本当に不味い食事ばっかりだったから、ボス戦を前に良い気分転換になったわ」

 

「うん! ごちそうさま、ハルカ!!」

 

「ふふ。どういたしまして」

 

 

 

 ハルカとしても、これだけ感謝されれば苦労した甲斐もあると、素直に嬉しく思った。

 出会って間も無い4人であるが、既に その空気は和気藹々としたものであった。女の子らしく、甘いものの話を挟んだ事が、ある意味 大きな要因の1つであろうか。

 ハルカは ともかく、他の3人は周りが ほとんど年上の男ばかりだったので、同年代の女の子と楽しく会話できた事は良い気分転換となったであろう。

 

 

 この時だけは、誰もが武器を持つ事も忘れ、本来の学生としての自分になれていたのかもしれない。

 

 

 

「ところで、3人は この後どうするの?」

 

 

 

 話も たけなわ なところで、ハルカが話題を変えようと3人に尋ねた。

 時間は まだ13時を回ったばかりであり、休むにしても少々早い時間であった。

 

 

 

「そうね……まだ14()時も回ってないし、もう少しレベリングしとく?」

 

「良いんじゃない? 明日は どっちにしても大変でしょうし、少しでも差は埋めた方が良いわ」

 

「じゃあさ、肩慣らしって事で迷宮区に行ってみようよ。入口周辺なら、良い練習になるんじゃないかな?」

 

「うん、そうだね」

 

「それじゃあ、そうしましょうか」

 

 

 

 3人で話し合った結果、おおよその予定は定まったようだ。

 ハルカは少し心配になったが、ここまで来れた以上、腕に覚えはあるのだろう。

 3人とも、慢心するような雰囲気は感じない為、万一はないだろうと信じる事にした。

 

 

 

 同時に、ハルカは“ ある事 ”を思い付き、3人に尋ねた。

 

 

 

「ねぇ、3人は もう この町で宿は見付けたの?」

 

「ううん。そう言えば、まだ決めてなかったわ」

 

「ここに着いたのが、会議が始まる20分くらい前だったものね。探す時間がなかったわ」

 

「まだ、空いてるかな?」

 

「昨日、地図で調べたら宿屋は3つあったし、まだあるとは思うけど……」

 

「とは言っても、宿屋って言う割には あまり休める場所じゃないけど」

 

「そうだね。どこも薄暗いし、ベッドは硬いし、お世辞にも良い宿屋って どこにもないよね」

 

「その割には、50コルは するしね」

 

 

 

 宿屋の確保の話から、次第に今日まで抱いてきた愚痴へと様変わりしていく。3人とも、かなり思うところがあったようだ。

 現実での比較的 豊かな生活に慣れている現代人としては、時代がかった古臭い寝具は体に馴染まないのだろう。特に そういった事に敏感であろう女性なら、尚更だった。

 ちなみに一般的な回復薬・《 ポーション 》なら40コルであり、初期のパラメーターなら1つで全快する効果がある。もっとも、効果は一気にではなく、徐々にではあるが。

 更にユウキの言った値段も、あくまで食事抜きの値段である。食事付きなら その倍は払わねばならない。とはいえ、味も美味しくはないので、そこまで払って食べる価値はないと言える。だからこそ、これまでの宿屋は どこも ぼったくりという印象が強かった。

 

 

 

「それに、何より(・・・)……ねぇ?」

 

「そうね……」

 

「そうだよね……」

 

 

 

 更に、食事の味や寝床の粗悪さ以外にも、3人は強い不満を抱くものがある様子だ。

 

 それは、おそらく“ 女性であれば ”誰もが強く感じる事であった。

 

 

 

 アスナ、シノン、ユウキ、それぞれの反応を見て、ハルカは にこっと、笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ ――――――――― “ 良い話 ”があるんだけど……どうかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 20:54  トールバーナ・料亭 】

 

 

 

 

 

「いくでえぇ~!! せぇ~の!!」

 

 

『 イッキ!! イッキ!! イッキ!! イッキ!!! 』

 

 

 

 

 

 宿屋の近くに ある料亭は、20人近いプレイヤー達で ごった返していた。

 見れば、マジマを筆頭に他愛の無い事で馬鹿騒ぎを起こしている。何人かは彼の底無しの勢いに呑まれているが、多くは そんな様子を見て大いに笑っている。

 

 

 

「相変わらずだな、兄さんは……」

 

「元気過ぎて、怖い位ですね……」

 

 

 

 キリュウとキリトは、少し離れた所で その様子を見ていた。

 最初は2人も加わって飲み、食べ、少しでも英気を養おうとする皆の輪に加わっていたが、例の如く、こういった時に落ち着けるはずもないマジマがヒートアップし出したのを機に、静かに離れた。こういった場に慣れていない様子のキリトに気遣った、という意味合いもある。

 朝から今に至るまで少しも疲れるといった様子を見せないマジマに辟易しながら、同時に その底無しの明るさが羨ましくも思うキリト。あれ位、訳無く人の輪に入るスキルがあれば、現実でも もう少しは友達が出来ただろうかと、そんな事を考える。もっとも、自分がマジマのようになるなど、これっぽっちも想像できないのだが。

 

 

 

「……さて。先に戻るか」

 

「え? マジマさんは、放っておいても良いんですか?」

 

 

 

 不意に立ち上がり、宿泊先に戻ろうと言うキリュウ。予想外の話に、キリトが疑問を上げる。

 

 

 

「あの分じゃ、当分 終わりそうにねぇ。明日も早いし、戻って準備をした方が良いだろう。

 兄さんも子供じゃねぇんだ、先に帰ったからって、拗ねはするだろうが怒りはしねぇさ。

 何より、お前しょっちゅう夜更かししてるらしいじゃねぇか。今日ぐらいは、早めに寝ろ」

 

「うっ……」

 

 

 

 確かにキリュウの言う通り、キリトはスキルや装備の確認をするなり何なりで、夜更かしをする事が多かった。これは、ネトゲに傾倒していた現実(リアル)の時からの悪癖だった。実際に何度か寝坊して、ハルカに注意された事もあった位である。

 その事を言われると弱い事もあり、若干 後ろ髪を引かれる思いはありながら、席を立つ。

 

 

 

 

 

「―――――― ちょお、待ってんか」

 

 

 

 

 

 その2人を、不意に呼び止める声が上がった。

 突然の声、そして関西弁に驚きつつ、2人が振り向くと、そこには背中に剣を背負った1人の男性プレイヤーがいた。

 

 

 

「おたくら、最前線組のヤツらやろ?」

 

 

 

 その言葉に肯定する前に、2人は一瞬 唖然とした。

 

 原因は、その男の“ 容姿 ”だ。

 

 

 特段、ブ男という訳ではない。かといって美形という訳でもないが、顎にチョビ髭を生やし、少々 厳ついだけの普通の男に見える。

 

 だが、その“ 髪型 ”は明らかに普通ではなかった。

 

 

 

(“ パンク ”……?)

 

 

(“ も〇っとボール ”……?)

 

 

 

 短い茶髪に、頭頂部や側頭部、後頭部に至る数か所を まるでトゲが生えたように立たせるという、極めて奇抜なヘアスタイルだった。

 それに対しキリュウは一部で有名なサブカルチャーを、キリトは何年か前にテレビで やっていたクイズ番組に出てくる、緑色のボールを連想していた。

 見た目のインパクトに一瞬 呆気に取られるが、即座に気を取り直したキリュウは返答を行なう。

 

 

 

「あぁ、そうだが」

 

「おぉ、さすがに見間違いやなかったか。あんさん みたいな厳つい顔、そうそう おらんしのぅ」

 

「……それで、お前は誰だ?」

 

 

 

 出会って早々、下手をすれば喧嘩腰とも受け取られかねない事を言う男に、キリュウは若干 呆れつつ、名前を尋ねる。

 

 

 

「おぉ! せやったせやった。ワイはキバオウ(Kibaou)言います、よろしゅう!」

 

「ほぅ。随分と仰々しい名前だな」

 

「格好えぇでっしゃろ? ワイにピッタリな名前 思ぅてます!」

 

「ふっ、そうか。知ってるかもしれないが、俺はキリュウ。こっちはキリトだ」

 

「ど、どうも」

 

「おう! あんじょう よろしゅう!!」

 

 

 

 名前(プレイヤーネーム)に“ 王 ”を冠し、そんな自分に誇りのようなものを抱いている物言い。人によっては白けさせる言葉も、キリュウは嫌いではなかった。

 元々、彼は極道である。極道は“ 見栄 ”を重んじる一面もあり、その為に組の名前を締まりの良いものにしたり、着るスーツを派手かつ相手を威圧させるものにしたりする。かつての古巣の心を彷彿させるキバオウに、キリュウは不思議と懐かしさのようなものを感じていた。

 

 

 

「それで、わざわざ呼び止めて、どうした?」

 

「いや、大した用や おまへん。ただ、一言“ 礼 ”言いたい思いましてな」

 

「礼だと?」

 

 

 

 そう言われて記憶の糸を たぐるが、今日まで1度も会った記憶はない。

 キリュウとて時に物忘れはあるが、それでもキバオウほどの強い特徴を持つ者は絶対に忘れないという自信はあった。

 

 

 

「……すまないが、お前とは初対面だと思うんだが。俺がお前に、何かしたか?」

 

「いや、ワイに、いう訳や おまへん。ただ、初心者(ビギナー)を代表して言いたい思いましたんや」

 

「? どういう意味だ」

 

 

 

 彼が初心者(ビギナー)である事は解ったが、それでも彼の意図までは解らない。

 ますます首を捻るキリュウに、キバオウは説明を加える。

 

 

 

「……正直ワイら初心者(ビギナー)は、つい最近まで不安で堪らんかった。

 茅場っちゅうアホも訳解らんが、これから どうすれば良ぇんかも、まるで解らんかった。

 そんな時や。あんさんら最前線組が、誰よりも早く、先に進んでるっちゅうのを聞いたんはな。

 それだけやない。何人かのベーターは、ワイら初心者(ビギナー)の為にレクチャーまでしてくれた。

 そのベーターが言うてましたで、ディアベルはんも そうやけど、キリュウっちゅう人が積極的に言うた、てな」

 

「マスティル達か」

 

 

 

 キリュウとマジマが突入初日に出会い、救い、後に知識をくれたマスティル。

 クラインと共に出来るだけ教えてあげてくれと頼んでいたが、その通りにキバオウら初心者を導いてくれたようだ。自分達の名前まで口にしていたのは少し予想外ではあったが。

 

 

 

「せや。それで、今日の会議 見てて、ビビッときたんや。

 このキリュウはんとマジマはんが、中心になってたんやってな。聞けば、2人ともワイらと同じ初心者(ビギナー)や言うやないですか。ホンマ、ワイそれ聞いた時、シビれましたで!」

 

「いや、別に そんな大層な事は……」

 

「ご謙遜はあきまへん。あれだけの大人数に あんな啖呵切るん、ワイでも ようしませんわ。

 いやぁ~! あれが、大人の風格っちゅうヤツですわ。経験も知識も足らんかったはずの人間が、誰よりも強く人を導こうとする、ホンマ大した お人や!! ありがとうございます!!」

 

 

 

 かなり上機嫌な様子のキバオウに、聞いていただけのキリトも圧され気味だった。

 自分と同じ立場だったはずの人間が、経験者さえ追い越すほどの働きを見せ、多くの人間を引き込む姿を見せるという、一種の物語じみたものを目の当たりにして、相当 興奮しているようだ。ある意味、“ 男ってそういうところあるよね ”と言える部分を解り易く見せている感じだった。

 少々熱くなり過ぎな面はあるが、悪い人間ではなさそうだと、2人は考えていた。

 

 

 

「それにや……」

 

「ん?」

 

 

 

「あんさん ――――――――― 事が起こった後に来た(・・・・・・・・・・)んやてな?」

 

 

 

 不意にキバオウが言い出した話に、キリュウは僅かに、キリトは大きく瞠目した。

 

 

 

「……誰から聞いた?」

 

「? 可笑しな事 言いますな? あんさんが大声で そない叫んだんやないですか」

 

「………あっ……」

 

 

 

 言われて、キリュウは思い出した。

 確かに、ダイブ直後、自殺騒ぎを起こしたマスティルをマジマと救う際、大声で叫んだのだった。それも、大勢の目の前で。その際に頭に血が上り、その後も基本的にハルカの事に集中していたので、すっかり失念してしまっていた。

 

 時折 発してしまう自身の“ うっかり ”に呆れながら、キリュウは嫌な予感を覚えていた。

 あの時、周りには30人近いプレイヤーがいた。無論 彼等だけでなく、彼等が話したであろう人数を考えれば、その何十倍もの人間が その事を知っているはずだ。

 

 

 ――――――――― もし、その事を深く問い詰めてくる人間が出たら……?

 

 

 充分に あり得る話。

 無論、聞いてくれば出来る範囲で答える。しかし、それは今は勘弁してほしいのが本音だった。

 今はとにかく、目の前の大戦に集中しなければならない。その噂が広まる事が原因で、士気に影響が及ぼす事があれば不利に働く可能性もある。何より、死ぬかもしれない、出られないと解っていて後から入って来る人間と関わっているとして、ハルカやシリカ、キリト達にまで奇異な視線を向けられる事になれば、目も当てられない。

 つくづく、自分やマジマが特異な立ち位置であると思い知る。

 

 

 

「いやホンマ、それ聞いた時は驚いたやなんていうもんやなかったですわ」

 

「……そうか」

 

「………」

 

「たった1人の少女を助ける為に、自分の身も顧みず、この地獄(SAO)にやってくる……」

 

 

 

 さて、キバオウは どういう反応を示すのか ―――――― 2人は固唾を飲んで続きを待った。

 

 2人の勝手な想像だが、関西の人間は噂好きで話好きだというイメージがある。何でも面白おかしく、大袈裟に喋るので、変な噂が立ったり、話が次第に曲解されていくという印象が強い。無論、それは極端な例であり、全てが その限りではないと解ってはいるが、それでも不安はある。

 

 

 

 

 

「―――――― ……そないな設定(・・)、良ぅ考えましたな!!」

 

 

 

 

 

 だが2人は、想像とは斜め上の言葉に呆気に取られた。

 

 

 

「…………設定…だと…?」

 

「アンタ、何を言って……?」

 

「あん? せやから、他のプレイヤーに冷静さを取り戻させる為に言うた“ 嘘 ”なんでっしゃろ?

 あれは中々に効果ありましたで。あれ聞いて早まった事やらかすアホは、ガクンと減ったいう話ですさかい!」

 

 

 

 どうやら、キリュウが はじまりの街で言った自身の経緯は虚構だと思われているようだ。単に、早まった人間を落ち着かせる為の“ 優しい嘘 ”だと。

 

 

 

「「……………」」

 

「? 2人とも、どないしたんでっか?」

 

「い、いや……そうだな、効果が あったんなら、それで良かった」

 

「そ、そうですね。結果オーライですよね。ハハ、ハハハハ……」

 

「? ハッハッハッハッハ!!!」

 

 

 

 間違ってはいる ―――――― いるが、もはや訂正する意味はないだろうとキリュウは それを是とする事にした。今更 本当の事を言ったところで信じてもらえるかは微妙であるし、むしろ変に拗れる可能性の方が高いだろう。

 であれば、それよりは まだ一般的に信憑性の高そうな嘘を真実とする方が、丸く収まるだろうと考えた。キリトも、そんなキリュウの判断を理解し、乗じる事にしたのだった。

 キバオウは2人の反応に僅かに違和感を感じたが、特に気にする事もなく豪快に笑った。

 

 

 単純な人間で良かった ―――――― 2人は密かに思った思いを、静かに胸中に仕舞い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ………」

 

 

 

 トールバーナの夜道を1人、キリトは宿泊先に向けて歩いていた。

 既に年末まで あと10日というところまで来て、夜の気温も すっかり冷えてきていた。溜まった疲労を吐き出す為の息が、白く浮かんで消える。

 

 あの後、是非 戦いの前に奢らせてほしいというキバオウの懇願に、キリュウは応える事にした。

 キリトも誘われたが、既に疲労が眠気が出る程に溜まっていた事、あの料亭の料理も大して美味くない事、加えて本音を言えば、付き合っていると疲れそうな性格をしているキバオウと飲むのは気が進まず、適当な理由を付けて先に暇を貰ったのだ。今頃、もしかしたらマジマも加えて料亭は一層 騒いでいるのかもしれない。

 そんな目に浮かぶ想像をしながら、キリトは宿泊先が見える所まで来た。

 

 

 

 

 

「―――――― Hey」

 

 

 

 

 

 不意に、声が上がった。

 キリトが不審に思って周りを見ると、近くの民家の壁に、1人の男が 凭れかかって立っていた。

 いきなり英語で、それも驚くほど流暢(ネイティブ)な発音で呼び掛けられ、一瞬NPCかとも思ったが、カーソルは緑色だった為、すぐにプレイヤーだと気付いた。

 

 

 

「……俺に、言ってるのか?」

 

「Exactly。他に、誰もいないだろう?」

 

「まぁ、そうだな。それで、俺に何か?」

 

 

 

 そう言って、その男はキリトに近寄って来た。

 改めて見ると、奇妙な男に思えた。

 身長は、180に近いだろう。服越しからでも、その体躯は、キリュウやマジマに近いものを感じさせる程だ。

 だが、それ以外が よく解らない ―――――― その男は、上半身の大半を覆うマントを纏っていたからだ。加えて それに付けられたフードも深く被り、口元くらいしか表情が窺えない。

 暗い印象を与える姿なのに、その言葉や声質は陽気さ、そして一種の美しさを宿しているというギャップが、キリトには非常に不思議なものに思えた。

 もしかしたら、外国人か、ハーフか何かかもしれないという想像も浮かんでくるが、確かめる術はなかった。

 キリトの疑問や若干の警戒を よそに、フードの男は あくまで陽気に、明るく話しかける。

 

 

 

「いや、大した用はねぇさ。ただ、一言 言いたい事があってな」

 

 

 

 そう言って、男は 更にキリトに近付く。

 一瞬 驚くが、何かをするでもなく、そのままキリトの横を すり抜けていく。呆気に取られた瞬間、男はポン ―――――― と肩に手を置いた。

 

 

 

 

 

「Good luck ――――――――― “ little hero ”」

 

 

 

 

 

 そう言って、男は そのまま離れていく。

 それだけか、という疑問などを胸にキリトが振り向くと、男は見えているかのように背を向けながら手を振り、言った。

 

 

 

「“ 大きな英雄さん ”にも、よろしく伝えてくれ。Sleep tight」

 

 

 

 そのまま、男は去って行った。

 キリトは唐突に現れ、そして嵐のように、とは言えないが、かなりの印象を与えた名の知らないプレイヤーに思いを馳せていた。

 

 

 

(“ little hero ”……小さな英雄……か。大きなって、キリュウさんかマジマさんの事か?

 

 ……それにしても、good nightじゃなくてSleep tightって……まぁ、子供だけどさ……)

 

 

 

 ともに「おやすみ」という意味だが、特に後者は親が子供に向けて言う意味合いが強い。それなら、まだ形式的な前者の方が良かったと、キリトは少なからず膨れる。小さな英雄というのも、一言多いという感じだ。

 

 

 

(でも、まぁ……あいつなりの、激励みたいなもの……かな)

 

 

 

 顔も名前も解らなかったが、陽気な感じから日本人という感覚ではなかった。であれば、あの馴れ馴れしいまでの言い回しも納得がいく。

 

 前向きに、彼なりの励ましだと思う事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま~」

 

 

 

 キリトが挨拶をして入ったのは、町の一角にある民家の1つ。

 2階建てで、1階には優しい雰囲気の老婆のNPCが1人だけいる。住んでいるのは彼女だけで、1人だけの家にしては かなり大きな家である。

 実を言えば、この民家には秘密があった。

 

 ここは、いわゆる《 隠し宿 》である。この家の2階に、キリト達は寝泊りしていたのだ。先程の挨拶も、それが理由だ。

 

 本来、プレイヤーが休むには《 INN 》と表記された宿を用いるのが普通であるが、この最下層の宿は どこも似たり寄ったりの、ただ“ 寝られるだけ ”の場所というのが現実だ。

 だが、この民家を用いた隠し宿は一味違う。実際、使うには宿屋よりも若干 高い金額が必要だが、それさえ払えば、宿屋よりも僅かに広い部屋を使え、おまけに老婆に話しかければ甘いミルクも無料(タダ)で、無限に飲める。

 これだけでも優良と言えるが、更に“ 驚くべき点 ”があった。

 

 

 

「ハルカ達は……まだ、帰ってないか。それじゃ、寝る前に “ひとっ風呂 ”浴びるか!」

 

 

 

 そう、なんと この民宿では《 風呂 》を使う事まで出来るのである。

 

 仮想世界に、風呂? ―――――― などと侮る(なか)れ。

 確かに、このSAOでは水や泥で濡れたり、汚れたりするという状態を体感する事は出来る。だが、それも時間が経てば消えるし、現実と違って 乾いた事による違和感などもない。あくまで、どれも“ そうなっている ”事を体感していると“ 感じる ”事が出来るレベルに留まる。

 細かい事を気にしない人間、あくまでゲームと割り切れる人間は そのままでも充分だろう。

 

 だが、この《 SAO(ソードアート・オンライン) 》は、元を正せば老若男女、大衆向けに作られたVRMMORPGである。

 無論、中には女性を中心に汚れを気にする者もいるし、汚れや違和感は消えても、心の不快感は消えないだろうという予想は当然ある。

 おそらくは、そういった人間向けに作られたのが、この入浴システムだ。

 これも あくまで、風呂に入っているという感覚を体感するだけであり、時間経過で消える汗や汚れを洗い流し、水やお湯に浸かるだけの、攻略にも何にも関係のないシステムだ。

 

 だが、それが良いのだ。

 

 攻略には関係のないシステム? 大いに結構。

 

 元々、発売時の謳い文句にも“ 生活が出来るVRMMORPG ”とあっただけあり、現実世界にも引けを取らないレベルの生活が出来るようにと作られた。

 一見 無駄に見える中に、開発陣の どれだけの弛まぬ努力があったのか。VR自体、極めて高レベルの技術である事を考えても、その発展性の高さは目を見張るばかりだと、キリトは初めて知った時、心躍ったものだ。

 その開発の中心に、茅場(テロリスト)がいたであろう事を考えると、少し複雑ではあるが。

 

 何は ともあれ、キリトも純粋な日本人。女性ほどでなくとも、風呂は大好きな人間だった。

 最初は そこまで深く考えてなかったが、ハルカやシリカに教えて嬉しがられた際、自分も必ず毎日 入る事を言われ、そのまま そうしてきたのだ。流石に、年齢の近い少女、それも1人は大恩ある人間の言葉を無視するほど、キリトは無神経ではなかった。彼女らに、ばっちいと思われる事だけは避けたかったのだ。

 

 

 フレンドリストを調べてみると、その2人は どこかに出掛けて帰路に着いている最中らしい。

 それなら丁度良いと、キリトはウインドウを操作して装備を外し、2階へと上がって行く。

 鼻歌を歌いながら、部屋を進んで行くキリト。自分でも驚くほど、気分が上がっているのを感じていた。

 その要因には、間違いなく“ 彼ら ”、そして“ 彼女ら ”があると確信していた。

 ほんの少し前まで、密かに憧れつつも、叶わないだろうと諦観していた“ 仲間との繋がり ”という温かさ ―――――― キリトは それを、確かに感じていた。

 

 生と死、そして未来を懸けた大勝負を前に、不思議と落ち着いていく感覚。

 

 当初 考えていた通り、1人で進んでいたら、確実に感じなかったろうものだった。

 

 

 

(つくづく、ハルカには感謝しなきゃならないな)

 

 

 

 キリトの中では、自分を心配して追いかけ、自分の闇を受け止め、そしてキリュウ達との懸け橋になった少女に、強い感謝の念を抱く。今後も、彼女には様々な面で助け、喜んでもらいたいという思いで一杯だった。

 

 

 それには、まずは明日に備え、体の疲れを洗い流そう。

 

 

 そう思い、キリトは脱衣所の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― えっ………」

 

 

 

 

「――――――――― へっ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数秒後 ――――――――― 民宿の2階で、大絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ~………生き返るわぁ……」

 

 

「ふぅ……ほんとね……」

 

 

「うん……ブクブクブク……

 

 

「ちょっと、ユウキ。行儀が悪いわよ」

 

 

「うん~……ブクブクブク……

 

 

「んもぅ……しょうがないわねぇ」

 

 

 

 周囲に木目が広がる、簡素な部屋の中。

 そこに置かれた大きな浴槽に、アスナ、シノン、ユウキの3人の少女は浸かっていた。

 最初は1人1人 入ろうとしたが、ユウキが親睦を より深める為に一緒に入る事を提案し、アスナもそれに同意。シノンは最初 渋ったが、2人に押し切られる形で共に入浴と相成ったのである。3人でも入れる大きな浴槽だが、それでも少しは体は触れる。だが それも、慣れてくれば楽しい感覚だと思い始めていた。

 肩まで浸かりながら、その全身を包む温かい感触に酔いしれる。

 

 

 

「ん~!……ホントに、ハルカちゃんには感謝しなきゃね」

 

「そうね……まさか、出会ったばかりの私達に、お風呂を提供してくれるなんて思わなかったわ」

 

「ハルカ様様だねぇ」

 

 

 

 筋肉も存在しない、アバターの体を洗い流し、それでも その温かさで不思議と疲れが取れる感覚に浸りながら、3人は この場を提供してくれた少女に感謝していた。

 

 

 

 あの時 ――――――

 

 

 まだ宿も決まっていなかった少女達に、ハルカは この提案をした。

 かくいうハルカ自身、キリトに教えてもらうまで、その事を知らず、そして教えてもらった時、彼の手を握り潰さんばかりに握り締め、感謝したのだ。故に、彼女らが抱いているだろう不満を察するのは容易いものだった。

 もっとも、実際に風呂の存在を教えたのは、彼女らが予行演習から帰って来てからだった。出掛ける前に「出来るだけ一杯、汗を掻いてきて」と言われただけだったのだ。

 まさか、疲れて汗を掻いたという不快感を一挙に吹き飛ばすものがあるとは、3人は露ほども思いはしなかった。

 彼女らは まだ知らないが、ハルカにしては妙に勿体ぶる言い回しをしたのも、その際の彼女達の反応を想像できたからだろう。人間、嫌な事の後に良い事があれば、それだけ良い事を強く印象付けられるものだ。

 

 

 

「ホント、良い子だね、ハルカちゃんは」

 

「そうね」

 

「うん」

 

 

 

 3人は、思い思いにハルカという少女の人柄、そして、これまでについて考えていた。

 

 

 

 

 

 3人は、はじまりの街で偶然 出会った面々だ。

 

 いずれも当初は宿屋を中心に籠りがちの日々だったが、次第に街の方で最前線組の台頭の噂の広がり、そして元テスターによるレクチャーが始まると、ただ閉じ籠っているだけを善しとしなかった彼女らは扉を開け、そして出逢った。

 周りは年上の男が ほとんどで、その中で彼女らは いずれも平均を大きく超えると言える美少女だ。特にアスナは次第に大きくなる異性からの視線に耐えかね、フードを深く被るようになった。

 やがて3人は相談し合った結果、最前線へ繰り出す事を決めた。

 

 順調に敵を倒し、レベルも上げ、装備を整えて臨んだ攻略会議。

 その中で、彼女らは最前線組を初めて見た。なるほど、誰よりも先に進んでいただけあって、その中心であるキリュウやマジマ、ディアベルは中々の人物だと感じた。

 特にキリュウとマジマは、おそらく周りに比べて明らかに年上であろう。それ故か、強いリーダーシップを持つであろうディアベルに比べても、尚 高い指導力のようなものを垣間見せていた。顔が怖いのは玉に瑕だが。

 

 そして、その中で見たハルカという少女。

 一目見て、アイドルと言っても不思議ではない可愛らしさだと思った。同時に、近くにあれだけ年上の異性がいても、全く動じる事なく、そして隣にいる小さな少女もしっかり支える姿に、3人は その強かさを感じ取っていた。

 

 

 そして、あの黒パンを通じて話し合った時間。とても、有意義であったと思えた。

 

 

 SAOに閉じ込められてから感じていた閉塞感。

 あの甘いクリームをパンと共に頬張った際、完全ではないものの、それらが綺麗に吹き飛んだ。

 そして彼女が語った、それに関する思い遣り。戦士としてだけでなく、人としても、彼女が素晴らしい素養を持っている事を強く印象付けられる事となった。

 それに加えて、この風呂場の提供。まだ出会って半日も経っていないのに、もう返し切れない恩を受けた気分であった。

 

 

 

「……絶対、明日は勝とう」

 

「えぇ、当然よ」

 

「うん!」

 

 

 

 アスナ、シノン、ユウキは、明日への勝利を強く意識する。

 恩を返すのであれば、まずは勝利以外に道はない。ボスを倒し、第2層への道を拓き、その後へ続くだろう人々への道標を築くのだ。

 きっと彼女も、彼等と共にそれからも先へと進んで行くだろう。その際、自分達も出来るだけの事をして、少しずつでも報いていけば良い。

 

 

 その為にも ――――――――― まずは勝たねば。

 

 

 

「よし! じゃあ、先に上がるね」

 

「えぇ」

 

「うん」

 

 

 

 気分を入れ替えたアスナは、明日に向けて何かをしようと、浴槽から上がる。

 

 そして湯気が立つ中を進み、脱衣所への扉を開けた。

 

 

 

 

 

「――――――――― えっ………」

 

 

 

 

「――――――――― へっ………」

 

 

 

 

 

 アスナは、絶句する。

 

 

 

 目の前には、少年がいた。記憶が確かなら、キリトとかいう、ハルカの仲間。

 

 

 

 その彼が、リビングと脱衣所を繋ぐ扉のノブを掴んだまま、固まっていた。

 

 

 

 そして、表情を固めながら、彼の視線が動くのに気付く。

 

 

 

 やがて その表情に、過剰なまでの赤色が含まれていく。

 

 

 

 彼の視線の先には ――――――――― 言うまでもない。

 

 

 

 湯で濡れ、僅かに湯気が立ち、それによって仄かに赤らんだ体。

 

 

 

 シノンやユウキにも、“ 綺麗 ”だの“ スベスベ ”だのと言われた、密かに自慢の四肢。

 

 

 

 

 

 そう ――――――――― “ 一糸纏わぬ ”、自分の肉体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イヤアアアアアア―――――――ッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

「ギャアアアアアアァ――――――ッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、シリカちゃん。付いて来てもらっちゃって」

 

「良いんです、ハルカさんの為ですから」

 

 

 

 ハルカとシリカは、先程トールバーナの門を潜って帰って来た。

 アスナ、シノン、ユウキという同年代の知り合いが出来、嬉しく思ったハルカは、寝る前にみんなで親睦を深めようと、彼女達が喜んでくれたクリームのパンを調達してきたのだ。丁度、攻略会議に参加した面々に配った際に在庫が切れた為、彼女達に民宿を紹介した後、急ぎ足でバンロット村へと向かったのである。

 

 

 

「みんな、喜んでくれるかな?」

 

「喜びますよ! だって、こんなにも美味しいもの、他にないですもん」

 

「ふふ、そうだね」

 

 

 

 きっと喜ぶであろう3人の表情を浮かべながら、ハルカとシリカは帰路に着く。

 

 

 

 

 

 ここで ―――――― “ もしも ”を考えていたら。

 

 

 

 

 

 ハルカはキリュウを。シリカはマジマの現在地を確認していた。

 

 

 

 であれば、彼等と共にいるはずの少年も、そこにいるはず。

 

 

 

 そんな思い込みもなく、彼自身の現在地も確認していたら。

 

 

 

 きっと他の面々と飲んで騒いで、当分 帰って来ないだろうという、キリュウとマジマを基準にした考えが、まだまだ人付き合いが苦手な少年には当てはまらないと気付いていたら。

 

 

 

 

 

 もしかしたら ――――――――― 少年の“ おいしい悲劇 ”は回避できた……かもしれない。

 

 

 

 

 

 彼女らが民宿に着くまで、あと約20メートル。

 

 

 

 

 

 現実なら聞こえたであろう少年の悲鳴は、システム故の防音に、彼女達には届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トールバーナから、少し離れた林。

 

 

 豊かな木々が生い茂、どこからか虫の鳴き声も聞こえてくる、静かな夜。

 怪しげな雰囲気もなく、もし ここが日本なら、ホタルでも飛んでいそうな林も、少し歩けば夜ゆえに凶暴化したモンスターが闊歩するフィールドである。

 

 先に進んで行くと、そこは崖であった。

 それも、ただの崖ではない。下には何も大地はなく、ただ暗闇の中に雲が浮いているのが解る、永久の大空があった。そう、そこは正真正銘の“ 底無し ”である。

 

 

 

 そんな崖に、1人の男が座っていた。

 

 それも、ただ地べたに座るのではない。崖先から足を出し、まるで椅子に座るような形であった。

 無論、危険 極まりないのは間違いない。ちょっとでもバランスを崩せば、彼は何1つない大空へと転落し、プレイヤーとしても、そして人間としても、その生を終えるだろう。

 

 

 だが彼は、そんな事に少しも恐怖を抱いていないように、ただ口笛を奏でていた。

 足も適当にブラブラさせ、常人であれば恐怖で固まるはずの場所で、まるで自分の部屋の床の如く悠然と座り込んでいた。

 

 彼が奏でる口笛は、とても綺麗なメロディーだった。高温と低音を器用に使い分け、違和感も全く感じさせない。テレビ番組などにも出演できると思えるほど、並の人間の暇潰しを超えた技量を見せていた。

 もし、この場に彼以外に人がいれば、きっと その旋律に聞き惚れた事であろう。

 

 

 

 だが、もし曲に詳しい人間がいたならば、あるいは難しい顔をしたかもしれない。

 

 

 

 

 その口笛の曲が、ベートーベンのピアノソナタ12番 ―――――― 《 葬送(そうそう) 》と解れば。

 

 

 

 

 やがて、男は口笛を止める。

 

 そして、ウインドウを操作し、あるものを実体化させる。

 それは、黒いパンと、クリーム入りの白い瓶。会議の中で、自分を見付けた黒髪の少女が、笑顔と共にくれたものだ。

 

 男は少女の眩しい笑みを思い出しながら、クリームをパンに塗っていく。塗っていく度に、そこからは鼻を刺激する甘い匂いが漂ってくる。

 男は それを、まるでソムリエか何かが嗅ぐように上品に嗅ぎ、匂いを堪能する。

 

 

 

 

 そして、それを ――――――――― 放り投げた(・・・・・)

 

 

 

 

 持ち手を失ったパンは、クルクルと回りながら、重力に従い落ちていく。

 

 

 

 それを、まるでスローモーションのように男は見ると、即座に懐に手を伸ばす。

 

 

 

 

 刹那 ――――――――― 空中のパンに、1振りの短剣が突き刺さる。

 

 

 

 

 寸分の狂いもなく短剣はパンの中心に刺さり、見るも無残な姿となる。

 

 

 程無く、それは本来のパンとしての機能を失ったと判断したシステムにより、光と共に弾けた。

 

 

 

 

 光が、パンだった欠片が、何もない、闇で染め上がった大空に落ち、やがて消えていった。

 

 

 

 

 

 男は、少女の無垢な想いに唾を吐きかける行為を平然と行なった男は、ただ(わら)う。

 

 

 

 

 どこまでも上機嫌だという、その狂気的なまでに歪めた口元を浮かべ、嗤うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――― It's ―――――― Show ―――――― Time(イッツ・ショウ・タイム)

 

 

 

 

 

 

 

 

 






不安と決意、善意と悪意。



次回 ―――――― 《 第1層編 》、決着。



お楽しみに。

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