SAO アソシエイト・ライン ~ 飛龍が如し ~(※凍結中)   作:具足太師

14 / 31

こんにちは、第11話の投稿となります。


今回、作中で初めて1人称に挑戦してみました。上手く出来てるかは解りませんが、どうかご一読ください。





『 贖宥と誓い 』

 

 

 

 

 

【 11月7日  16:49 】

 

 

 

 

 

 《 はじまりの街 》より北西に位置するフィールド。そこは、7メートルはあろうかという立派な木々が生い茂る林道であった。木の枝には色とりどりの果実が実り、道から外れた地面に生える草も、膝が隠れてしまう程である。スタート地点 周辺の草原と比べても、その自然の豊かさは素晴らしいものであった。

 

 

 

 

 

「グルルルルル……ッ」

 

 

 

 そんな、現実にあればハイキングへと洒落込みたいと思える場所で、およそ その雰囲気にそぐわぬ、おぞましいまでの獣の唸り声が響き渡る。

 その声の正体は、巨躯を誇る狼であった。

 

 

 その狼の名は《 ダイアー・ウルフ Lv3 》

 染める者(ダイアー)という名を冠する通り、顔の中心と脚部以外は灰色に染まった豊かな体毛を持つ狼である。

 

 そのダイアー・ウルフが鋭い眼光を向けるのは、対峙する1人の少女(・・)であった。

 利き手である右手に鉄製の棍棒を持ち、左手には木で出来た簡素な盾を装備する彼女こそ、澤村 遥 ―――――― プレイヤーネーム・ハルカである。

 

 

 

「フゥ… ――――――」

 

 

 

 敵の殺意に満ちた視線を受け止めながら、ハルカは静かに息を吐く。手に、足に、そして心に対し大丈夫、落ち着けと暗示・命令し、それが充分に なされたのを確認しつつ、盾で顔を半分 隠すように構えながら、勝負の時を待つ。

 

 

 それから間もなく、ダイアー・ウルフが動き出した。小さく唸り声を上げると、その筋肉質な四肢に違わぬ俊敏さで駆け出し、ハルカに肉薄していく。瞬く間に距離を詰め、少し離れた所から人の頭なら簡単に咥えられる大きな口を開け、その白く鋭い牙を剥き出しにした。勢いそのまま、飛び掛かって攻撃を行なう。涎を飛び散らしながらの それは、狙われた当人は勿論の事、近くに人がいれば悲鳴を上げても不思議ではない程に恐ろしいものがある。

 

 

 

「フッ―ーー!!」

 

 

 

 しかし、それでもハルカは沈着であった。敵の攻撃の種類、範囲を即座に予測し、牙が届く前に時計回りで体を捻り、空振りさせた。

 敵は勢い余って前へと滑り込む。しかし向きを変えても追撃はせず、再び迎撃態勢を取り始める。

 ハルカには解っていた。この狼の牙による攻撃は、躱されると一見 致命的な隙を晒してしまうように見える。しかし、その隙を突こうと思っても、直後に驚く程の速さでプレイヤー側へ向き返り、油断したプレイヤーが それに驚き、その結果、思わぬ反撃を喰らってしまう事を。かく言うハルカも、初めて戦った際にその“ 洗礼 ”を受けた身の上である。

 

 《 洗礼 振り撒く林道 》というここのフィールド名が表す通り、この辺りは初心者殺しとして有名な所らしい。

 故に、ハルカは無理に前へ出ようとせず、決定的な好機が訪れるまで待つ。

 

 

 再び対峙する1人と1匹。今度はそれほど間を置かず、再びダイアー・ウルフが行動を開始した。それを見て、ハルカはダイアー・ウルフが攻撃を行なう距離に来るまでじっと動きを見ながら待ち構える。

 

 

 

 

「グルゥ……ッ!!」

 

 

 

 やがて、その距離に来ると ―――――― 口を開かないまま(・・・・・・・・)、飛び掛かる動作に入った。

 

 

 

(来たっ!!)

 

 

 

 これこそ、ハルカが待っていた好機。即座に両足に力を入れ、姿勢を僅かに低くして待ち構える。

 

 

 

「グルルルオォォォッ!!!」

 

 

 

 ダイアー・ウルフが高く跳び上がり、同時に右前足を横に広げる。その動作からは、その足先に生えた鋭い爪で、ハルカの胴体や首筋を引き裂かんとする意思が垣間見えた。

 

 

 だが、先にも述べた通り ―――――― これはハルカにとって好機でしかなかった。

 

 

 

「ハァッ!!」

 

 

 

 ダイアー・ウルフが跳び上がるのと同時に、ハルカも また両の脚で地を蹴り、飛び掛かるように前転を行なったのだ。その動作によって、ハルカの身長を優に超える程に跳ねていたダイアー・ウルフの真下を、するりと潜り抜ける形となった。

 

 

 

()!……っ、えぇ~い!!」

 

 

 

 ただ、少々 位置取りが甘かったようで、草むらに突撃してしまい、その高く生い茂る草に体を覆われる形となる。そのチクチクした感触に僅かに怯みながらも、それらを堪えて立ち上がり、振り向いて即座に駆け出す。

 既に その時点で、ダイアー・ウルフの背後を突く形が出来上がっていた。そして、敵は未だに振り向いてすらいない。

 これこそ、ハルカが“ 好機 ”と捉えた理由である。牙による噛み付きは体勢を立て直すのが早いが、爪による斬り裂きは逆に、一度 放つと硬直時間が長いのである。故に、攻撃の頻度も噛み付きに比べれば爪の攻撃は若干 低いものの、安全かつ確実に倒す事を考えれば、狙う価値は充分にあったという訳である。

 タイミングを きっちり掴めた事を確信したハルカは、勢いそのまま、棍を構えてソードスキルの充填を行なう。

 

 その時になって、ようやく敵も体勢を整えて振り返るが ―――――― 時 既に遅し、であった。

 

 

 

「ハアアァァアッ!!!」

 

 

 

 一喝と共に、片手 棍用ソードスキル・《 パワー・ストライク 》 ―――――― 横薙ぎの強烈な一撃を、ダイアー・ウルフの弱点である顎へと思い切り めり込ませた。

 

 

 

  ボギョッ……!!!

 

 

 

「ギャウゥ……ッ!――――――  」

 

 

 

 きっちり弱点に決まった事、一撃が重い棍棒が武器だった事、そして応用技であるブーストが働いた事により、比較的ヒットポイントの低いダイアー・ウルフは、1ドットも体力を残さず ―――――― 吹き飛びながら爆散していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ~っ……何とか勝てた……」

 

 

 

 経験値とコル、アイテム手に入った事を示すログと、周囲に敵の姿がない事を確認し、そこでハルカは ようやく一息 吐く事が出来た。肩の力も抜き、戦いによる緊張を(ほぐ)していく。

 

 

 

「あちゃ~……服が汚れちゃったや」

 

 

 

 ふと自分の体を見下ろし、転がった際に付いたであろう土埃に気付いた。すぐにハルカは地面に棍と盾を置き、それらを丁寧に払い落としていく。

 

 ちなみに何気ない行為であるが、武器や盾には《 耐久値 》が設定されており、それらは戦闘で使用する他に“ 使用者の手を離れて地面に置く ”などした時に減少する。

 故に、今のハルカみたいに ただ置くだけでも、時間と共に それらは脆くなっていっているのである。ここがモンスターの闊歩するフィールドである事を考えれば、そういった行為は決して褒められたものではない。そうする位なら、ウィンドウを開いてストレージに入れれば良いのだから。そうすれば、耐久値は減らない。

 もっとも、ハルカとて それは心得ている。それらを弁えた上で、まだ余裕があると踏まえての行為であり、“ 汚れたままでは嫌だ ”という、年頃の女の子ならではの心理があっての事である。何度か注意されたが、こればかりは効率云々の問題でもないので仕方ないと本人は割り切っている。

 

 

 

「よしっ……と」

 

 

 

 そして、気にならない位に汚れが落ちたところで置いておいた棍と盾を拾う。念の為ウィンドウを開き、2つの耐久値が さほど減っていない事も確認する。安全を第一として、回数を重ねて僅か1日で板に付いた癖であった。

 確認を終わると、ふと視線を下ろして表示されている時計を見る。

 

 

 

(もうすぐ夕方、か。……そろそろ、村へ戻ろうかな)

 

 

 

 体力的にも装備的にも まだ余裕はあるが、夜が近付けばモンスターの行動は活発化し、戦闘の危険性がより増す。

 万一の事を考えても、ここいらで帰るのが得策だとハルカは判断し、来た道を引き返して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 第1層  ホルンカ 】

 

 

 

 

 

 およそ数十分後。ハルカは現在、活動拠点としている村・ホルンカに帰還した。

 最下層の、それも村という事もあってか、その規模は主街区である はじまりの街には遠く及ばない所だ。道は大して舗装もされておらず、外壁のような厳かな類の物も存在しない。逆に それ故、ヨーロッパの片田舎のような長閑(のどか)な雰囲気を醸し出してもおり、ただ過ごす分には こっちの方が性に合っていると、ハルカは感じていた。加えて武器屋や道具屋、宿屋など冒険に欠かせない施設は一通り揃っており、最初の拠点とするには打って付けと言える村である。

 ハルカは、まず武器屋の近くにある鍛冶屋へ行き、消耗した武器と盾の修復を行なった。それが完了し店主である男性NPCに対して礼を述べると、次に道具屋へ行き、消耗した回復薬などの補充を行なう。それも終わると、ねぐらとしている宿屋へと歩を進めた。

 

 

 

「お帰りなさいませ、ハルカ様」

 

「ただいま」

 

 

 

 店番の女性NPCと軽く挨拶を交わす。相手は人間ではないと解ってはいるものの、会話は単調ながら、あまりに本物さながらの出で立ちに、もう人間か どうかという考えはしないようになった。

 挨拶の後の笑顔にハルカも同様の笑みを浮かべ、そのまま階段を上って行く。そして、時間帯もあってやや薄暗い2階の通路の突当りに位置する部屋が、彼女ら(・・・)が過ごしている部屋であった。

 扉の前に立つと、間が悪かった時の事を考え、まずノックをする。この世界の扉は総じて音声を遮断する造りになっており、通常は扉越しに音声を聞く事は出来ない。ただし、ノックをしてから30秒は例外で、その間は会話も可能だ。

 しばし待ったが、返事は返ってこない。

 

 

 

(キリト君、まだ帰ってないんだ……)

 

 

 

 そう判断し、そのままノブを捻り部屋へと入った。

 予想通り中には誰もおらず、2つ間を置いて並んでいる簡素なベッドにも彼の姿は見えない。

 窓から覗く空を見ると、もう太陽は落ち始めている。外にいるNPC達も、帰宅や店じまいなど、それぞれの時間帯に合わせた動きを見せている。

 

 

 

(大丈夫かな……まぁ、私よりもずっとSAO(ここ)の事を知ってるから、心配ないとは思うけど……)

 

 

 

 キリトの事は信用しているが、同時に不安もある。

 ハルカはウィンドウを開き《 フレンドリスト 》からキリトの名前をクリックして現在位置を調べてみる。見ると、どうやら近くの狩場にいるようだが、動きを見るに この村への帰路に着いているようだった。体力にも余裕があるし、これなら問題はないと大人しく待つ事にした。

 

 ハルカは装備防具である《 ベース・クロス 》の鎧部分を外して身を軽くし、ベッドに座り込んで所持品の確認を行なう事にした。今日だけでも新しいアイテムが たくさん手に入ったので、1つ1つ説明文を見て少しでも知識を深めようとした。キリトが帰ってくれば、その時にも色々と質問してみようとも考えている。

 20個ほどのアイテムを調べたところで、疲れからか不意に横になりたい衝動に駆られた。天井に向けて両手を伸ばし、そのまま仰向けに寝転がる。

 安い宿屋とキリトは言っていたが、それでもベッドがあるのとないのとでは大違いである。比較的 柔らかい感触に身を委ねながら、ハルカは窓を見る。

 

 

 もう空模様は、夕焼けで真っ赤に染まろうとしていた ―――――― “ あの時 ”のように。

 

 

 

 

 

(………あれ(・・)から……もう1日が経ったんだ………)

 

 

 

 

 

 眼を閉じれば、今でもはっきりと思い出す。

 

 

 

 

 

 自らの運命を左右した“ あの時 ”を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6日の夕暮れ ―――――― 茅場 晶彦を名乗るアバターが行なった《 デスゲームの宣言(チュートリアル)

 

 

 突如として現実への帰還が叶わなくなり、加えてこの世界でHPを失えば、現実でも死を迎えるという残酷 極まりない宣言。

 誰もが予想だにしなかった理不尽な仕打ちに我を失い、はじまりの街 中央広場は阿鼻叫喚の渦に呑まれた。

 ハルカも、シリカも、クラインも、ただ立ち尽くす他なかった。

 

 

 そんな中、ハルカらの名を叫ぶ者がいた。誰あろう、それまでパーティーを組んでいた少年剣士・キリトだ。彼は半ば呆然としていたクラインの手を引きながら、ハルカにも付いて来るよう言ってきた。行動の意図は飲み込めなかったが、ハルカも慌てて我に返り、座り込んでいたシリカの手を引いて彼の後を付いて行った。

 

 泣き叫び、怒り狂い、ただただ感情を爆発させるプレイヤー達の間をすり抜けながら進んで行くと、運良く街全体に放射線状に広がる街路の1つに出て、そのまま道の端に停まってあった馬車の陰に隠れるように立った。

 そして息を整えながらクラインとハルカが行動の意味を問う。

 キリトは神妙な面持ちとなって、言った。

 

 

 

 俺は今すぐ次の村へ向かう。だから、お前達も付いて来い ―――――― と。

 

 

 

 その言葉の意味を、一瞬 理解する事が出来なかった。

 しかし、すぐにその意味を理解すると、ハルカは慌てて引き留めようとした。だが、そんな彼女の反応も予想してたとばかりに、キリトは言葉を続けた。

 

 

 曰く、茅場の言葉が全て真実なら、生き残る為に自身を強くしていかなければならない。しかしそれは、同じ事を考える他のプレイヤー達との経験値やアイテム等のリソースの奪い合いを意味する。

 それなら、大して間を置かず埋め尽くされるだろう街周辺に留まるよりは、早く次のポイントへと向かい、そこを拠点にレベリングに努めるのが良いとの事。

 

 

 ハルカもシリカもこの手のゲーム(MMORPG)は初めてで、キリトの言う事の半分近くは理解し切れてなかったものの、いつまでも この街にいたのでは、自分が強くなるのに時間が かかり、その分 生存率も下がっていく、という点だけは理解できた。同時に、このキリトの提案は今の彼女らにとって、天祐と言っても過言では無い事も。

 キリトはベータテスターである。故に、レベリングに最適な場所も、通過する上で危険なポイントも、全て頭に入っているだろう。そうでなければ、こんなにも早く危険な行動を取ろうとは提案しないはずだ。

 

 

 だが、そんなキリトの提案に、真っ先に首を横に振る者がいた ―――――― クラインである。

 

 キリトの提案に対して気持ちは嬉しいと告げつつ、申し訳なさそうな面持ちで告げる。どうやら、一度ログアウトして腹ごしらえをした後、この街で他のゲームで知り合った友人達と落ち合う予定だったらしい。おそらく、その友人達も既に街にいて、自分と同じく閉じ込められたであろう事。そんな彼等を置いて、自分だけ出て行くという事は出来ないと。

 

 その時、彼の手は ――――― 震えていた。

 

 無理もない、とハルカは思った。クラインとしては、本当はその友人達も一緒に連れて行きたいと思っているかもしれない。だが、それは彼等を率いる事になるキリトの負担の増大を意味する。いくらプレイ経験で勝るとは言え、クラインよりも ずっと年下なのは間違いないキリトに、そんな重い責任を負わせる事は、見るからにお人好しで、面倒見も良さそうなクラインの本意ではないはずだ。

 キリト本人も、おそらくそれが解ったのだろう。それ以上は、何も言わなかった。

 

 

 そのすぐ後、シリカも同行を拒否する意向を示した。

 これもまた無理からぬ事である。ただでさえ訳の解らない事態に混乱しているのに、その上で間髪入れずにモンスターが闊歩するフィールドへと繰り出そうという提案に、年端も行かず、現実も上手く飲み込めない少女がうなずく方が不思議だと言える。

 これに対しても、キリトは何も言わなかった。

 

 

 残るはハルカだけだったが ―――――― キリトはハルカには問わず、ここに残れと告げた。

 なぜ自分には聞かないのだと言おうとしたが、その意味は すぐに理解できた。

 キリトは、ハルカではなく隣にいるシリカに目を向けていた。そう、彼はもしハルカが付いて行ってしまった時、未だ恐怖に震える彼女がどう思うのか、それを考えていたのだ。シリカは、この中ではハルカに最も心を許している。こんな状況となり、最も心の支えにしているのもハルカのはずだ。現に、この街路に来る時から ずっと繋いでいる手を未だに放していない。そう考えると、戦力 云々を抜きにハルカをここに置いておく方が良いと判断したのだろう。

 

 

 そんなキリトの判断を、ハルカは理解はできた。

 だが納得には至らなかった。なぜならば、キリトは単独(ソロ)になってでも行くと告げたからだ。それには流石に頷く訳には いかなかった。今や死地の最前線と化した世界で たった1人にさせるなど、ハルカには受け入れ難い事だった。

 それでも、キリトの意思は揺るがなかった。否、頑なだったと言っても差し支えなかった。

 彼は言った。外の救助を待つ選択肢だって勿論ある。だが、万一それがなされなかった場合、待っている時間だけ無駄になってしまう。ならば、今の内に出来る事を、出来る人間がしておく方が良い、と。加えて、ベータ時代もソロだった、故に単独でも何ら問題はないとも。

 

 ハルカは、言葉に詰まった。男が ここまで自分の決意が固まったら、もう梃子(テコ)でも動かない事を今までの経験則で解っていた。

 キリトは自分と さほど年も変わらないように見えるが、一方でその年恰好に釣り合わない位の冷静さ、そして一種の説得力、納得させる何かを感じさせていた。

 ハルカには、はっきり言ってこのSAOの世界の事は あまり解らない。だから、この場で誰よりもSAOの事を知っている彼の言う事は、きっと正しい事なのだとも思っていた。

 だからと言って、ここで彼を1人にさせて良いかと問われれば、素直に頷く事は出来ない。

 

 

 そんな悩むハルカを尻目に、キリトはクラインに彼女らを任せる旨を伝えると、急ぐようにその場を後にしようとした。

 

 ハルカはキリトの名を叫ぶ。何を言えば良いのかは解らない。それでも、納得し切れない心をどうにかしたい一心で叫んだ。

 

 キリトは一度 立ち止まるも、戻ろうとはしなかった。

 

 その代わり半身だけ振り向き、表情だけを見せた。

 

 

 

 眉を(ひそ)め、眼も伏せがちな ―――――― 見るからに申し訳なさそうにする表情を。

 

 

 それを見てハルカは、仮初の心臓を、握り締められる感覚が走った。

 

 

 

 

 

「おい、キリトよ! お前ぇ、本物は案外カワイイ顔してやがんな! 結構 好みだぜ俺!!」

 

 

 

「お前も ―――――― その野武士ヅラの方が10倍 似合ってるよ!」

 

 

 

 

 

 クラインも、そんな彼の顔を見たのだろう。

 今となっては何も出来ない。だから、せめてもの励ましのつもりで、軽い冗談を投げかけた。

 キリトも、そんなクラインの気持ちを酌み取って冗談を返した。

 

 

 

 

 

 やがて ――――――― キリトは再び振り返り、そのまま駆け出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――― 行ってしまう……

 

 

 

――――――――― たった1人で、彼が死地へと走って行く

 

 

 

――――――――― 本当に、良いの……? このままで良いの……?

 

 

 

 

 

 小さくなっていく背中を焼き付かせるように凝視しながら、ハルカは葛藤する。

 このまま、キリトを1人にすべきではない。頭では そう思いながら、彼の言った言葉と傍らの妹分の今後を考えると、どうしても一歩が踏み出せない。

 無意識の内に、呼吸が荒くなっていく。心臓も、今の体(アバター)にはないはずだが、彼女の心境をそのまま表すように激しく脈打つ感覚が走る。

 

 

 

(こんな時……おじさんだったら……)

 

 

 

 ふと、ハルカはそんな考えが浮かんだ。

 これまで、出逢った時から幾度と無く自分の為に、そして人の為に自分の全てを捧げてきた、桐生 一馬という男。

 少しでも回想すれば思い出す ―――――― 親しい人のみならず、たとえ道端で出会ったような人にさえ、彼は出来得る限りの手を尽くし、そして それは、図らずも その人々を救ってきた事を。

 人が人なら、ただのお節介でしかないかもしれない。それでも、ハルカはそんな桐生が大好きだった。こんな自分でさえ、自分の娘のように育ててくれた事も、感謝してもし切れないと今でも思っている。

 

 

 

 

 

――――――――― 遥……

 

 

 

 

 

 その時 ―――――― ハルカの脳裏に、いつだったか、彼が言った言葉を思い出した。

 

 

 

 

 

――――――――― この先、どんな人生が待っていようと……“ 後悔する生き方 ”だけはするな

 

 

 

 

 

 瞬間、胸の(つか)えが取れていくのを、ハルカは感じた。

 

 思い出す ―――――― 彼が、ハルカが誰よりも敬愛する桐生 一馬という男は、いつも死と隣り合わせの戦場に身を投じていた。

 だがそれは、決して自己犠牲の類だけではない。彼自身、心を通わせ、彼にとって決して“ 赤の他人 ”ではなくなった人を想い“ ここで見捨てたら、絶対に後悔する ”という自らの心に従っての行動だったはずだ。だから事が望まぬ結果となり、それで自分を責める事はあっても、後悔だけはしてこなかった。

 だから、幾度となく心身が傷付いても、彼は立ち上がり、歩んで来れたのだろう。

 

 

 ちらり、とハルカは視界を端に向ける。

 そこには《 Haruka  Lv3 》と書かれ、体力全快を示す青色のバーが伸びている。この世界に来てから、彼女はモンスターを相手に何度も戦った。たかが“ 1 ”と“ 3 ”の違いでしかないそれも、この世界ではそれだけ戦ってこれた証でもある。

 ハルカは考える。現実世界では、彼女は たとえ気丈であっても、ひ弱な女の子でしかない。人の盾になる事すら満足に出来ず、結局は桐生に頼る事が常であった。

 

 

 

(でも……この世界でなら……!!)

 

 

 

 グッっと拳に力が入る。

 

 それを感じ取ったシリカが、何事かと見上げる。

 

 

 

 

 

 そこには、不安気な表情はなく、強い“ 決意 ”を浮かべるハルカの顔があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(………今更ながら、随分と思い切った事しちゃったなぁ……)

 

 

 

 当時の事を思いながら、思わず自嘲にも似た笑みを溢す。

 

 

 決意してからは、あっと言う間だった。

 当然の如く、クラインとシリカはハルカの話を聞くや、揃って反対した。シリカに至っては、本気で泣き出してしまった程だ。

 眼から零れる大粒の涙に若干 決意が揺らぎつつも、ハルカはキリトを1人には やっぱり出来ないと告げた。

 

 それでも納得し切れないでいるシリカを、ハルカは力一杯 抱きしめた。背中をさすりながら、守ってあげられない事、そばに いてやれない事を謝った。

 そして、放してウィンドウを操作すると、持っている所持金の半分をシリカに手渡した。ここで一時 別れる事になり、しばらくは街で過ごす事になるだろう2人に対しての、せめてもの手向けだった。当然、受け取れないと言われたが、どうせ自分はモンスターと戦い、その際に入手できるからと半ば強引に受け取らせた。

 

 クラインも、それらの行動でハルカの決意が固い事を悟り、もう引き留める事は出来なくなっていった。元々、彼とて付いて行きたい、付いて行ってやりたいと思っていたのだ。都合もあって それが叶わず、結果キリトを1人にさせる事になってしまった事に、負い目を感じていた。そんなキリトに、ハルカだけでもそばにいれば、きっと心の支えになると感じたらしい。

 同時に、女の子にそんな重い役目を負わせてしまう事にも責任を感じていたものの、ハルカは全て承知の上だと言って宥めた。

 

 そして、早く行かないと見失うと言われ、後ろ髪を引かれる思いはありつつも、ハルカはキリトの後を追いかけて行ったのだ。

 

 

 

(もっとも、1番 説得に苦労したのは、キリト君の方だけど……)

 

 

 

 フィールドに出て しばらく走ると、モンスターと戦っているキリトに追い付く事が出来た。

 丁度、敵を全滅させた瞬間であった。離れた所から声を掛けると、それは もうお化けでも見たような目で吃驚していた。

 それから彼に事情を話し“ 付いて行く or 帰れ ”の押し問答が始まった。フィールドのど真ん中で、である。時間にして数分は やっていたかもしれない。

 

 それの決着を付けたのは、その際に出現した2体のモンスターだった。出現した それを、ハルカは単独で、それも無傷で撃破して見せたのだ。

 丁度、経験値が一定値 溜まったようで、ハルカのレベルが4になり、ファファーレと共に光のエフェクトに包まれた。

 

 そこで見せた この上ないドヤ顔を見て、キリトは どう足掻いてもハルカを引き離す事は出来ないのだと悟ったのだった。

 

 

 

 

 

 そして、現在に至る ――――――

 

 

 

 

 

 ガチャ、と扉が開く音が鳴った。

 

 

 その音に、回想に浸っていたハルカは意識を戻し、入口の方へ向いた。この世界の構造上、部屋に自由に出入りできるのはそのように設定した人物だけである。

 つまり、おのずと入ってきた人物は誰なのかは解る。

 

 

 

「あっ、おかえりキリト君」

 

「………ただいま」

 

 

 

 想像に違わず、それは今や相棒となったキリトだった。

 その顔に、いかにも疲れたと言いたげな表情を浮かべて そこにいた。

 扉を閉めると、装備を解除し、溜息と共にベッドに座り込んだ。比較的 大きな音が響き、その緩慢な動きから、彼の疲労が相当なものだという事が解る。

 

 

 

「凄く疲れてるみたいだね、キリト君」

 

「そう……かな……そういうハルカは、まだまだ元気そうだな」

 

「ちゃんと、休憩を挟みながらやってたからね。そういうキリト君は、ちゃんと休んでたの?」

 

「どう、だったかな……? そう言えば、あんまり休んだ記憶は無い、な……」

 

「え?」

 

 

 

 気怠げに言うキリト。どこか適当で投げやりっぽい感じの物言いに、ハルカは怪訝な表情を浮かべる。

 しばし考え、ある事を尋ねる。

 

 

 

「キリト君……レベル、どれ位になった?」

 

「レベル…? あぁ……それなら、帰る間際に10になったよ」

 

「10……? それ、本当?」

 

「本当だよ。何なら、パラメーター見せようか?」

 

 

 

 ハルカには よく解らないが、たとえ仲間同士であってもそう容易く人のパラメーターを見るというのはゲーム内でのルールに抵触するらしい。ゲーマーであるキリトがそこまで言うという事は、本当なのだろうと結論付ける。

 

 しかし同時に、腑に落ちない事が見付かった。

 

 

 

(確か、昨日の時点で6になるかならないか、だったはず……それなのに……)

 

 

 

 ハルカでも、休憩を挟んだとはいえ相応の数を倒し、ようやく6になったところである。

 レベルアップに必要な経験値は数字が上がれば上がる程に増えていく為、その分 次のレベルになるには相当な数を倒さねばならない計算になる。たった2レベル上げるだけでも大変だったのだ。

 その倍以上となれば ―――――― 考えるまでもない事だった。自然と、ハルカの表情は厳しいものとなっていく。

 

 

 

「キリト君、出掛ける前に私に言ったよね? “ 無茶はするな ”って」

 

「……あぁ」

 

「それなのに、君自身はこんな急ぎ足でやってるの? それって矛盾してるよね?」

 

「俺はベータテスターだからな。これ位、どうって事ないさ」

 

「どうって事ない人が、そんなに疲れ切った顔しないと思うけど?」

 

「………」

 

 

 

 何も言い返さず、今にも病的な溜息を吐きそうな顔を、キリトは更に俯かせる。

そ んな尋常ならざる様子を見て、ハルカはますます神妙な面持ちとなる。

 その脳裏には、嫌な予感がチラついて離れないでいる。

 

 

 

(まさか…………)

 

 

 

 

 

 そして ――――――――― ハルカは問うた。

 

 

 

 

 

 

「ひょっとして ――――――――― 昨日の事(・・・・)、まだ気にしてるの?」

 

 

 

 

 

 

 キリトの重たげだった瞼が、限界近くまで見開かれた。

 

 同時に、口元を中心に震えているように見えた。見るからに挙動不審となる様子を見て、ハルカは自分の予感が外れてなかった事を確信する。

 

 

 

「………やっぱり。まだ、あの事(・・・)を気にしてるんだね」

 

「………」

 

「確かに……あれ(・・)からまだ何日も経ってない。忘れろ、割り切れって言う方が無理があるのだって解るよ。でも、だからってキリト君が無理したって、何かがどうにかなるって訳でもないでしょ?」

 

「………俺は……」

 

 

 

 ハルカの言葉を否定するでも無い、言い訳をするでも無い。

 ただ、何かを吐き出したいように言葉を漏らすが、言葉になり切らない様子だった。見るからに苦しげなキリトを見て、ハルカもいても立ってもいられない気持ちになる。

 自然と、捲し立てるように言葉を続けた。

 

 

 

「キリト君、街から出る時 言ったじゃない“ 今の内に、出来る人が出来る限りをした方が良い ”って。辛い気持ちは解るよ? でも、だからって自分を蔑ろにするような真似は絶対にして良いはずがないよ。そんなの何の解決になんてならない。

 

 

                “ コペル君 ”だって、きっと ―――――――――」

 

 

 

「 違う ! ! ! 」

 

 

 

 唐突に放たれた、キリトの凄まじいまでの怒声。

 部屋の中にも残響が続く程のそれは、ハルカの意識を一瞬 停止させるのに充分なものだった。

 よもや、大人しそうなキリトがこれ程までに叫び出すとは、想定外だった。

 

 

 

「えっ……と………」

 

「っ!……あ………」

 

 

 

 声を荒げた当のキリトも、自分がした行動が理解し切れなかった様子で、一瞬 呆然としていた。

 

 

 

「…………ごめん。急に怒鳴って」

 

 

 

 キリトは、今にも消え入りそうなか細い声で謝罪した。慌ててハルカも、首を振って気にしていない旨を伝える。

 

 

 

「だ、大丈夫だよ。ちょっと、ビックリしちゃったけど」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 互いに謝意を示して事は済んだはずだが、今度は嫌な沈黙が部屋を支配し始める。

 キリトは相変わらず申し訳無さそうな、気まずそうな俯き加減な様子のままであるし、ハルカの方も彼のそんな様子に戸惑いを隠せず、何も話せないでいる。

 

 

 

(さすがに、昨日の今日であの話(・・・)をするのは性急過ぎたのかな……? 失敗しちゃったかも。

 それにしても、さっきのあのキリト君の反応……あれは……)

 

 

 

 あれこれ考えるも、一向に考えはまとまらなかった。

 

 

 

 

 

 結局、その後は何とか空気は緩和したものの、気まずさは拭い切れぬままであった。

 

 

 

 

 

 キリトの表情も、晴れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  †     †     †

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時(・・・) ――――――――― 本当なら、何事も無く終わるはずだった。

 

 

 

 

 

《 森の秘薬 》クエスト?」

 

「あぁ」

 

 

 

 俺がこれから行なうクエスト名を告げると、ハルカが鸚鵡(オウム)返しのように同じ言葉を言い、首を傾けた。

 漫画でしか見た事ないような愛嬌ある仕草に、思わず胸が変に反応したのは俺だけの秘密である。現実において異性はおろか、同性の友人すらまともにいない俺にとって、同じ年頃の少女と行動を共にするのは思いの外 精神にくる事なのだと思い知った。

 そんな内心の葛藤など微塵も見せぬよう、平静を務めて説明を続けた。

 

 

 

 ここは《 はじまりの街 》から北西に行った所にある最初の村・《 ホルンカ 》

 茅場が行なったチュートリアルの直後、真っ先に飛び出した俺と、それからすぐに追いかけて来たハルカと共に走り続け、どうにか日没前に辿り着く事が出来た。

 そして村に着いてまず道具を揃え、武器の手入れをした後、村の奥の方にある一軒の家へと歩を進めた。その場所こそ、ベータテスト時代にも経験したとあるクエストの発生地点だ。

 

 

 

「このクエストをクリアすると《 アニールブレード 》っていう、レアな剣が手に入るんだ」

 

「アニールブレード……レアって事は、強いの?」

 

「少なくとも1層のどの武器屋の武器よりも優秀だし、鍛えていけば3層 辺りまでは保つ奴だよ」

 

「手に入れる価値は、大いにあるって事だね」

 

「そういう事」

 

 

 

 一通り説明も終えたところで、早速 家の扉を開けた。

 本当なら、クエスト報酬は片手用 直剣である為、棍使いのハルカまで付き合わせる必要性は無かったのだが、フラグ立てにやや時間がかかる為、無為に時間を過ごさせるのもどうかと思った為に同行して貰った。ついでに言えば、ハルカにとってクエストは初見である為、後学の為にという意図もあった。

 

 

 その後、やや長いフラグ立てにも成功した。

 

 クエスト内容を要約すると、以下の通りになる。

 

 

 

・ 家主の女性NPC(依頼主)には娘がおり、ある日 重い病を患ってしまう。

 

・ 市販の薬を煎じて飲ませるものの、一向に効果が表れる気配は無い。

 

・ もはや娘の病を癒す為には、ここから《 西の森 》に生息する《 捕食植物モンスター 》から採れる胚珠を素材として作る秘薬でなければならない。

 

・ ただし、モンスターは手強く、加えてその胚珠が取れる《 花付き 》のモンスターは滅多に出現せず、採取は困難を極めるだろうとの事。

 

 

 

 そして、戦う力を持たない母親に代わり、プレイヤーである俺達がその依頼をクリアする、という訳だ。そうしてクリアした際の報酬こそ、母親曰く《 先祖伝来の長剣 》 ―――――― すなわちアニールブレードを入手できるのである。

 

 俺はベータ時代から何ら内容が変化していない事に安堵しつつ、早速 件の森へと向かう事にした。

 その前に、俺はハルカに街で待っててもらうよう頼んだ。案の定、話が違うとばかりに詰め寄ってきた為、説明をした。

 

 

 このクエストで倒す捕食植物モンスターの名は《 リトルネペント 》という。

 その名が示す通り、ウツボカズラ(ネペンテス)の姿を模したモンスターである。

 主な攻撃方法は腕のような2本のツタによる打撃や刺突、そして頭部から発せられる腐食液だ。攻撃の種類が多いという意味ではやや手強い部類に入るが、まだ動きは緩慢で耐久力も低い部類の為、そこまで恐ろしい敵ではない。

 

 しかし、この敵は基本的に2体同時に出現する事と、植物というカテゴリーに分類される為か、ハルカの武器である棍棒では相性が悪いのだ。

 

 加えて、ある条件(・・・・)でおびただしい数が一気に出現する事もあり、まだ不慣れな点も多いハルカでは苦戦するのは必至だ。ベータの時でも、それなりに手慣れたプレイヤーですら悪条件が重なればやられてしまう程の難易度である。さすがに、自分の武器を手に入れる為だけにそんな危ない所へ連れて行くのは躊躇されたのだ。

 

 

 そこまで言ってもまだ渋るハルカだったが、何度も重ねて頼み込み、ようやく折れてくれた。

 ただのゲームであったならまだ、物は試しとばかりに連れて行ったかもしれないが、確証は無いにせよデスゲームと化したと宣告された今となっては、危険な要素は出来る限り除外するに越した事は無い。

 

 

 

 そうして、それから例の森へ向かおうとした、その時だった ―――――――――

 

 

 

 あいつ(・・・)が、俺達の目の前に現れたのは。

 

 

 

 

 

 

「君も、例のクエストを受けるんだね。もし良かったら、僕も一緒に受けて良いかな…?」

 

 

 

 

 

 

 そう言ったのは、俺から見てもやや気弱そうな1人の少年だった。

 年恰好は俺と同じ位。装備は俺と同じ片手用 直剣に、腕には円形盾(バックラー)が付けられていた。

 俺達と大差なくこの村まで来た事、加えてクエストの事を知っている口振りから、間違い無くそいつ ―――――― プレイヤーネーム・コペル(Copper)は、俺と同じベータテスターであると確信した。

 そして同じベータテスターであるが故に、コペルの提案には利がある事を理解していた。

 《 花付きネペント 》の出現率は、1パーセントにも満たない。よっぽど(リアルラック)が良くないと簡単には出現しない、NPCが言葉で言う以上に超レアなモンスターなのだ。だからこそ、報酬が長く使えるレアな武器であるのだが。

 そして、その出現率を少しでも上げるには、同じフィールドで出現する通常のネペントをひたすら狩りまくるのが最も確実で堅実な方法であった。

 パートナーであるハルカが欠ける以上、自分1人で乱獲地獄を享受せざるを得ないと考えていた俺にとって、ここで同じベータテスター、しかも武器も同じであるコペルの登場は、渡りに船であると言って過言では無かった。

 しばし悩んだものの、そこでハルカが間に入って「丁度良いし、一緒に行ってもらったら?」という言葉が決め手となり、ここで即席パーティーである《 ネペント乱獲隊 》が結成されるに至った。

 それからはハルカに見送られ、俺とコペルは村を後にして行った。

 

 

 正直、この時の俺の頭にはほとんど危機感というものが無かった。

 むしろ、初心者ながらハルカという優秀なパートナーを得た事、そしてクエストを円滑に進められるであろうテスター仲間と出会えた事が重なり、幸先が良いと浮かれていた。

 

 

 

 

 だから、その時の俺は失念し、見逃してしまった ―――――――――

 

 

 

 

 

 ―――――― こういったゲームにおいて、よく知らない相手と即席で組む事の“ 危険性 ”を

 

 

 

 

 

 ―――――― そして、コペルがハルカに向けていた“ 眼 ”を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《 西の森 》でのネペント狩りは、日が落ちる寸前まで続いた。

 

 モンスターが強化されてしまう夜になる前に、さっさと花付きを倒そうと意気込んだのがその1時間前。

 覚悟はしていたが、2人でもこれ程までにドロップ率が低いとは予想外ではあった。あまりの出難さに“ ベータ版よりも難易度 上げたか? ”と勘繰った程だ。

 何度も何度も同じ敵と、同じ戦いを繰り返し、あまりの変わり映えの無さに頭痛さえ覚え始めていた ―――――― その時だった。

 

 新たなドロップ音を耳にし即座にそこへ目を向けると、その位置には今までのネペントとは明らかに“ 違う特徴 ”を持つ個体が、そこにいた。

 

 

 間違い無く、クエスト達成目的である《 花付き 》の個体であった。

 

 

 確認した瞬間、思わず俺は歓喜の声を上げた。コペルも同様だった。

 1時間以上も粘りに粘った甲斐があったと、地道な積み重ねが本当に功を奏するのだと認識した瞬間でもあった。

 

 だが、事はそう単純にはいかなかった。

 何故なら、その花付きの傍らには通常のネペントとも花付きとも異なる特徴(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)を持つ個体がいたからだ。

 

 

 それは、リトルネペントの《 実付き 》個体だった。

 実付きは花付きとは異なり、一種の《 (トラップ)モンスター 》に分類される。花付きと一緒で、通常とは異なるからといって手を出し、万一その実を砕いてしまったが最期 ―――――― 巨大な炸裂音と共に異臭を伴う煙を撒き散らし、途端に通常のネペントが一気に数十単位で出現してしまうのだ。

 ベータ時代、そうとは知らずに罠に飛び込んでしまった腕自慢のパーティーが、瞬く間に全滅してしまったというのは未だ記憶に新しい。

 俺もコペルもそれは熟知していた為、花付きの撃破は慎重に行なう事となった。

 話し合いの結果、最初にクエストを受けたのは俺だという事で、花付きは俺が、コペルが実付きの注意を逸らす囮役という事になった。

 すぐに行動を開始し、互いに敵の攻撃を躱しつつ、上手い具合に花付きと実付きを引き離す事に成功した。

 

 そして、その隙を逃さず、俺は見事 花付きを倒し、撃破 報酬である《 リトルネペントの胚珠 》を入手する事が出来た。

 

 地面に光りながら落ちた それを拾いながら、俺はクエスト達成の歓喜に打ち震えた。こういったクエストの報酬は、すぐにストレージに収まる通常仕様と異なり、達成感がより引き立つよう落ちたアイテムを拾う形式が取られている。俺はそんな効果に見事 はまるように、ただ喜ぶばかりだった。

 その瞬間だけ、自分は今ゲームに閉じ込められているという現実を忘れられたのだ。

 ひとしきり歓喜に酔った後、俺はすぐに気を引き締め直した。

 俺のクエストはこれで達成できた訳だが、まだコペルの分が残っている。人が人なら後は知らないと、帰る奴もいるだろうが、さすがにそれは今まで手伝ってくれた彼に失礼すぎる行為だ。まだ時間はかかろうとも、彼の分まで戦わなければならないと、妙に義理堅い事を考えていた。

 

 

 

「おめでとう、キリト」

 

 

 

 コペルから賞賛の言葉を頂戴した。

 何となく こそばゆい気持ちになりながら、ふと振り返ってみると、そこにはまだコペルの近くに、実付きがツタをうねらせながら立っていた。

 一瞬、まだ倒してなかったのかと思ったが、すぐに俺が花付きを倒すまで粘ってくれたのだと解釈した。実際、そいつのヒットポイントはレッド域にまで達している。それなら、弱点を無理に狙わずとも簡単に倒せるだろうと踏んだ。

 

 

 そして、コペルが長剣(ロングソード)振り上げる(・・・・・)

 

 

 ―――――― 刹那、俺はおかしい(・・・・)と思った。

 

 

 実付きネペントの実は捕食器 ―――――― 人間で言うなら頭部に位置する場所にある。

 つまり

“ 誤って実を割る ”には、実の危険性を知らずに“ 縦斬り ”を行なってしまう事を意味している。

 だから、実付きを相手取るには縦斬りは極力 使わず、横斬りを主に行なうのが妥当なのだ。

 なのに、その危険性を知っているはずのコペルは、今まさにその縦斬りを行なわんとしていたのだ。位置取りから見ても、そのままではどうなるのか(・・・・・・・・・・・・)、語らずとも解る。

 

 

 

 

 

「コペ ――――――」

 

 

 

 

 

 そして

 

 

 

 

 

「ごめん」

 

 

 

 

 

 その剣は ――――――――― 振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

  ガッ ―――――――――   ボシュウウゥ――――――ッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 コペルが振り下ろした片手用 直剣ソードスキル・《 バーチカル 》によって実は砕け、その瞬間 凄まじい勢いで煙が噴出し、鼻に突く異臭と共に辺りに撒き散らされていく。

 同時に、不協和音と言えるような、けたたましい効果音が鳴り響く。モンスター出現の音が、信じられないような速さで連続して出ている事によるものだ。

 半ば呆然としていた俺の四方に、リトルネペントの大群が一気に20以上も出現したのだ。

 

 クエスト達成を確信したのも束の間 ―――――― 俺はあっと言う間に袋の鼠となってしまった。

 

 未だ茫然とする中、俺はゆらりとコペルの方を見た。

 大量のリトルネペントの間に奴の顔が垣間見えていた。その表情には、助けようとかそういった類の感情は窺えなかった。

 

 その時になって、ようやく俺は全てを悟ったのだ。

 

 

 

(“ MPK ”……か……)

 

 

 

 MPK ―――――― 正式には《 Monster Player Killer(モンスター・プレイヤーキラー) 》とは、SAOのようなMMORPGなどで度々取り沙汰される行為だ。

 その言葉通り、自ら手を下すPK(プレイヤーキル)とは違い、モンスターのAIを利用して他のプレイヤーをPKするもの。そのゲームがPKを推奨していようがいまいが、マナーとしては完全に違反行為と言える行為なのは間違いない。

 

 

 そう、コペルは今まさにそのMPKの引き金を引いたのだ ―――――― この俺に対して。

 

 理由は、考えるまでもない。

 PK行為は、総じて何らかの“ 利益 ”を得んが為に行われるのが常だ。今この時において、その“ 利 ”とは1つしかない。

 十中八九、俺が左手に握り締められている《 胚珠 》だ。

 もし俺がネペントの大群に抗し切れずに消えて(・・・)しまえば、コペルは後で隙を見て労せずそれを手にしてしまえるという寸法だろう。

 

 

 

(そうか………コペル、お前はそれを“ 選んだ ”のか)

 

 

 

 俺は理解した。

 コペルもまた、戦って生き延びる事を選択したのだ。

 

 たとえ、いかなる手段を用いて相手を蹴落としてでも(・・・・・・・)

 

 だが、そうだと理解して尚、不思議と怒りは湧き立たなかった。

 言葉巧みにまんまと騙され、デスゲームであると宣言されたばかりのSAO内で“ 死 ”を迎えようかという時になっても、俺はコペルに対して自分でも驚くほど冷ややかな思いで見るだけだった。

 いつから、コペルがMPKを目論んだのかは解らない。途中からかもしれないし、もしかしたら村で出会った時からかもしれない。

 だが、そんな事はもはやどうでも良いと考えていた。

 何故、自分がそんな風に思っているのかはよく解らない。元々他人に対して無神経というか、手前勝手な苦手意識を持っていると自覚していたが、まさかこんな感情を持っているとは自分でも意外だった。

 今の状況でMPKを仕掛けてくれたコペルも おかしいだろうが ―――――― 俺自身も、おかしいのかもしれない。

 

 刹那の間に様々な事を考えながら、背後に迫って来たネペントを迎え撃つ為、俺はすぐに振り向いて迎撃態勢を取った。

 今の自分の思考回路とか、コペルの本心とか、解らない事は抜きに、ただ「死んでたまるか」という意思の元、俺は剣を構える。

 

 

 

 

 

(簡単に死んでやる気はない。そんなのは俺の趣味じゃないし、それに―――――――――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルカちゃん、だったっけ? 彼女の事なら、心配しなくても良いよ(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 ――――――――― 何………だと………?

 

 

 

 

 

 その言葉を聞いて、今度は俺の頭は凍り付いた。

 

 

 

 

 

  あいつは今、何と言った?

 

 

 

  俺の心配はせず、誰の(・・)心配をしていた?

 

 

 

  その言葉の意味(・・・・・)は、一体 何だ?

 

 

 

 凍ったような感覚は急速に覚醒していく。同時に、コペルが口にした言葉の意味を頭をフル稼働させて考える。

 

 

 

「コペル!? 今のはどういう…!!」

 

 

 

 叫びながら、再びコペルの方を向く。振り向いた直後は、先程と同じ場所にいた。

 

 だが、その瞬間コペルの姿に“ 変化 ”が起きた。

 

 プレイヤー、NPC、モンスターには例外無く、その頭上にはクリスタル状の《 カーソル 》が浮かび上がっている。注視すれば誰でも確認できるはずの、プレイヤーを表す緑色(グリーン)のカーソルが、消えた(・・・)のだ。同時に、コペルの姿自体もどこか ぼやけて見える。

 これは、プレイヤーが初期から自身に設定できる戦闘(バトル)スキルの1つ《 隠蔽 》スキルの効果だ。文字通り、他のプレイヤーやモンスターから発見、標的にされにくくなるといった効果が得られる。

 そして、今この状況でそれを使用したのを見て、コペルが“ 本気 ”なのだと駄目押しとばかりに理解するに至った。

 

 同時に、先程の言葉の意味(・・・・・)も。

 

 

 

(俺から胚珠を奪うだけじゃなくて、ハルカにまで手を出すつもりか…!?)

 

 

 

 どう解釈しても、先程の言葉は そうだとしか取れなかった。

 

 

 瞬時に浮かんだ筋書きはこうだ。

 

 この場で俺をMPKし、手に入れた胚珠でこの時点で最強クラスの剣を手に入れる。

 そして、俺というパートナーを失い、悲嘆に暮れているであろうハルカを言葉巧みに、あるいはその悲しみに付け込んで、まんまと手中に収めてしまう、というものだ。

 中々に良く出来た話だと、他人事のように思った。

 クエスト報酬は言わずもがな、ハルカに関しても“ 罠の事は知らなかった、助けようとしたが叶わなかった、許してほしい ”とでも言えば、あの優しいハルカの事、きっと涙を流し、少しは救えなかった事に対して罵倒する事はあっても、すぐ許してしまうだろう。

 そして、同じベータテスターである事を理由に、俺に成り代わってハルカの手を引いて行くつもりなのだ。ハルカはこの世界では右も左も解らない身、戸惑う事はあっても最後はその案に頷いてしまうだろう。

 

 

 

(ふざけるな……っ!)

 

 

 

 そんな生々しい未来の光景を浮かべるにつれ、俺の胸中に沸々と湧き上がってくる感情があった。

 

 それは ―――――― “ 怒り ”だ。

 

 自分が殺されると思った時でさえ湧き上がる事の無かった感情が、今この時になって堰を切ったように流れ、俺の(アバター)中に流れ込んで行った。剣を握る右手が、握るのを通り越して震えるのを覚える。

 

 

 俺を ―――――― 同じベータテスターだった俺を嵌めたのはまだ良い。

 お互いにゲーマーだ。このデスゲームでさえ、ゲームの“ 延長線上 ”でしかないと考えているのだろうとは理解できる。

 

 だが、彼女を ―――――― ハルカまでをも、それに巻き込もうというのだけは受け入れられなかった。

 彼女は初心者だ。腕こそ立つが、それ以外はほとんど普通のゲームすらしないという、根本から俺らとは違う種類の普通の少女だ。そんな彼女に、到底 理解できるとは思えないような行為をした挙句、その身も心も我が物にしようという考えは、断じて許されるものではないと断言できた。

 

 彼女は優しい。

 街に残って助けを待つという選択肢があったのに、こんな俺なんかを心配して共に戦うと言ってくれた。その場では厳しい事しか言えなかったが、1人が当たり前だと思っていた俺にとって、本当はどれだけありがたい事だったか、言葉にも出来ない。

 そんな彼女を、まるでイベント用のキャラクターの如く扱うコペルに、俺は憤怒の感情を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

(思い通りになると思うなよ、コペル!)

 

 

 

 もはや姿が見えなくなった男に対し、ネペントへの警戒も行いながら、徹底抗戦と同義の言葉を心中で放つ。

 幸いと言うべきか、場を打開する決定的な手は持たないが、コペルの目論見を破る算段ならある ―――――― 他でも無い、コペル自身(・・・・・)に。

 

 

 奴は、この時すでに決定的なミス(・・・・・・)を犯していたのだ。

 

 

 

 

 

「――――――――― えっ……? うっ、うわああぁぁぁぁ!!?

 

 

 

 

 程無く、後方からコペルの叫び声が俺の耳に届いた。

 

 

 

「な、何でっ!? スキルは、ちゃんと……わあぁぁぁ!!!

 

 

 

 振り向かずとも、今コペルがどのような状況に置かれているのかありありと解る。きっと近くの草むらに隠れて俺がやられる様を見ようとしていた所を、ネペントの集団が襲い掛かって来たのだろう。

 

 

 

(残念だったな、コペル。リトルネペント(そいつら)には、隠蔽スキルは意味が無いんだよ)

 

 

 

 隠蔽スキルは確かに自身の姿を察知されにくくするスキルだが、必ずしも万能ではない。

 索敵スキルのレベルさえ上げれば察知は出来るし、何より“ 隠蔽スキルそのものが利かない敵 ”も存在しているのだ。かく言うリトルネペントも、その類だ。

 ネペントに限らず、植物系の敵は視覚による察知を行なわない特徴を持つ。その代わり、プレイヤーの気配を敏感に感じ取って行動するのだ。

 そして、隠蔽スキルはそういったモンスターには全くと言って良いほど効果が発揮されない。

 つまり、コペルの行動ははっきり言って前提から間違っていたのだ。

 ベータ時代、隠蔽スキルを取らなかったのか、あるいは取ったがそういった細かい特徴まで把握し切れていなかったのかは定かではないが、いずれにせよMPKをしようと言うにはあまりにお粗末な展開には違い無い。俺からすれば、自分が設定したスキルの詳細くらい把握しないでどうすると呆れるばかりだ。

 

 

 

「く、来るな! 来るなぁ!! ―――――― ぎゃっ!! た、助けてくれぇ!!!

 

 

 

 不測の事態にまともに対処できなくなったのか、遂には助けまで叫び始めた。

 この場にいるのは、まさにMPKしようとしていた俺しかいないと言うのに。あるいは、俺が助けれてくれると思っての行動だろうか。

 

 

 

「シュウゥゥゥゥゥ――――――ッ!!!!」

 

 

「!! くっ…!」

 

 

 

 だが、生憎と誰かさんのおかげ(・・・・・・・・)で俺も全然 余裕がない。とてもじゃないが、助けに向かうなど不可能に近い。

 悪いが、自分で撒いた種は自分で払ってもらう他はない。

 冷徹とも言える思いを吐露した後、回避から体勢を立て直し、すぐさま目の前のネペントに斬りかかる。

 

 

 

「ハアァァァァァアッ!!!」

 

 

 

 片手用 直剣の水平斬りソードスキル・《 ホリゾンタル 》を放ち、ネペントの弱点である捕食器と茎の接合部を的確に斬り裂き、まず1体を撃退した。

 余韻に浸る事無くすぐに別の個体に視線をやると、右手側にいたネペントの捕食器が膨らみ始めていた。まずいと直感した俺は、すぐに回避行動に移った。

 ブシュウゥゥ ―――――― という噴射音と共に腐食液が発射される。地を蹴るようにしてどうにか回避に成功し、すぐさま剣を構えた時 ―――――― 俺は気付いた(・・・・)

 

 

 

(!! 剣が…っ!)

 

 

 

 見ると、剣刃が あちこち欠けてしまっていた。

 これは、武器の耐久値が限界に近付いている事を意味していた。この時になって、俺は基本である武器耐久値の確認を怠っていた事を悟った。

 冷静に考えれば、1時間以上も戦い続けていれば、初期の武器である《 ショートソード 》など、すぐガタが来ても不思議では無い。花付きが中々出ずに意固地になっていた事、そして、想定外のコペルの裏切りなどが重なり、このような事態になってしまったのだ。

 武器が こうなってしまっては、もう無駄遣いなど出来ない。通常斬りする余裕すらも無いに等しく、確実に敵の弱点を突き、この場を脱する他なくなってしまった。

 

 

 

(出来るか………? いや、やるんだ……さもないと ―――――― )

 

 

 

 かなりの悪条件の中、厳しい戦いを強いられる圧迫感で、心の中は不安で溢れそうになる。

 だが、弱音を吐いている場合でも無い。

 ここで生き延びねば、こんな所まで来た意味が無くなってしまう ―――――― そう、俺にとってこの世界で、初めての友人(フレンド)となってくれた(クライン)や、共に狩りを楽しんだ少女(シリカ)を置いて行ってまで、自身の強化に走り出した意味が。

 

 

 

「フシュウゥゥ――――――ッ!!!」

 

 

「!!」

 

 

 

 考える間も与えられず、背後からネペントが接近して来る。2本のツタが、俺の体を貫き、砕かんと蠢いている。

 俺は、もはや余計な事は頭に浮かばなくなった。ただ、ひたすらにネペントの体の動き、ツタの動きを見定めんと意識を極限まで集中させた。

 

 視界が、スローモーションに かかったようにゆっくりとなる。

 

 ソードスキルも何も使っていないのに、アシストが働いたとでも言うのだろうか。

 ベータ時代にすら感じた事の無い感覚に戸惑いつつも、深くは考えずむしろ好機だと捉えた。ネペントの動きも、極めて遅く見える。弱点である、接続部分もはっきりと見える。

 これなら いけると、俺は剣を構える。

 

 

 

 

 

 

 そして ――――――――― リトルネペントは、横方向へと吹き飛んで行った(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

「―――――――――――― え?」

 

 

 

 一瞬、何が起こったのか全く理解できず、間の抜けた声を上げた。その時は、きっと埴輪みたいに目を点にしてしまっていただろう。

 俺は何もしていない。武器は振るっていないし、そもそも今の動きは、斬り裂いた事によるものではなく、斧や棍棒のような、回転や打撃による攻撃で起こるものだ。

 

 

 そして“ 棍棒 ”という可能性を浮かべた刹那、俺の眼に映った ――――――

 

 

 

 ―――――― 未だ残るソードスキルの発光エフェクト

 

 

 ―――――― そしてそれを振るう、赤と白と黒(・・・・・)の色合いの存在を

 

 

 

 

 

「キリト君!!!」

 

 

 

(ハ……ハルカッ!!?)

 

 

 

 一瞬 我が目を疑ったが、装備も風貌も、それは紛れも無くハルカに相違無かった。

 様々な疑問が脳内を駆け巡る中も、ハルカは俺や自分に近寄ってくるネペントに対し次々とソードスキルを繰り出していく。

 流石に相性が悪い事もあり、レベルが上がり筋力値が上昇したハルカの攻撃でも1撃で倒す事は出来ないが、それでも吹き飛ばす事は容易だった。加えて、無駄に密集している為、吹き飛ばしの巻き添えを喰らって体勢を崩すネペントも多くおり、瞬く間に包囲網は崩れ出した。

 そして攻撃の手が緩んだ隙に、急いで俺の方へと駆け寄って来た。

 

 

 

「大丈夫、キリト君!?」

 

「ハルカ……どうしてここに…っ?」

 

「あんまり遅いから、フレンド画面を見たの。そしたら、このマップから全然 動いてなかったから。何だか胸騒ぎがして……」

 

 

 

 俺自身、心配されるほどフィールドに籠っていたとは思ってなかったが、ハルカにとってはそうでもなかったらしい。まして、もう夜と言って良い時間だ。不安がより積もるのも無理も無い事かも知れない。

 

 

 

「っ……キリト君、コペル君は?」

 

 

 

 その問いを聞くや、俺の胸は殴られたように跳ねた。

 

 そうだ、彼女はここまでの経緯を何も知らない。

 ただ純粋に、俺やコペルを案じて危険なここまでやって来たのだ。その片割れの姿が見えないとあっては、ただただ不安に違い無い。

 しかしながら、俺はすぐに答える事が出来なかった。言い知れぬ“ 恐れ ”を抱き、口が思うように動かなかったからだ。

 

 

 

 

 その時だった ―――――――――

 

 

 

 

 

    パキイィィ ―――――――― ンッ………

 

 

 

 

 硝子が砕けるような音(・・・・・・・・・・)が響いたのは。

 

 

 

 俺もハルカも、同時にその方向へと向いた。

 

 

 そして、見た ―――――― 未だ残る青白い発行を ―――――― 地に落ちる、1振りの剣と盾を。

 

 

 俺は息を呑んだ。

 

 

 それを見て、俺は何が起こったのかを全て悟ってしまった。

 

 

 頭が、真っ白になるのを感じた。

 

 

 

「あっ……………」

 

 

 

 小さな声が上がった。

 否、声とすら判別し辛い程の、小さく零れた息だった。

 見れば、ハルカが呆然としながらも、剣と盾が転がる方を凝視していた。その口元も、手足も震えていた。

 

 

 次第に、その震えは大きくなり、そして ―――――― ハルカの顔が、大きく変貌した(・・・・)

 

 

 

 

 

「ああぁぁ………アァァァァァ ――――――――― ッッ!!!!!!!

 

 

 

 

 

 それは、今まで可愛らしい人形のようと形容できた彼女が、一瞬で阿修羅像に変わったかのような変わりようだった。

 眼を見開かせ、口も大きく開け、猛々しい声を上げながらネペントの群れに突っ込んで行った。そして、立ち塞がるように出て来た1体を、ソードスキルで瞬く間に吹き飛ばした。

 

 

 あまりの変貌ぶりに、一瞬 我を忘れた俺は彼女を追いかけるのに出遅れ、慌てて後を追った。

 

 

 

 多くの感情が胸中で渦巻きながらも、それを忘れるかのように、ただ剣を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、どのくらい経っただろう。

 

 

 辺りは再び、静寂に包まれている。

 このフィールドにいるのは、俺とハルカのみ。どちらも、息も絶え絶えに、地に座って荒く息を吐き続けている。

 双方のHPは半数以下(イエロー)に達し、俺の手には何も握られていない。最後のネペントを斬った直後、遂に耐久値の限界を迎え、折れて消えてしまったのだ。ハルカの助力があったとは言え、ここで生き残ったのは奇跡に近かった。

 胚珠も手に入れ、MPKも掻い潜り、生き残った事は喜ぶべき事のはずだが、俺の心は全く晴れない。

 

 

 ―――――― ハルカが、泣いていた(・・・・・)からだ。

 

 

 とうに持ち主のいなくなった剣と盾を見、その瞳から大粒の涙を流し、(むせ)び泣いていた。

 泣き喘ぎながら、時折「ごめんね」、「もっと早く来ていれば」など、まるでコペルが死んだのは自分のせいだと言わんばかりだった。

 すっかり日が落ちた夜空の下、蹲るように泣くハルカの姿が、今にも消え入ってしまいそうな錯覚を覚えた。

 

 

 

 俺は、ここにきて ――――――――― 自分が取り返しのつかない事をしてしまったのだと思い知った。

 

 

 確かにコペルは俺をMPKしようとし、ハルカを手籠めにしようとした。これは間違いないだろう。

 そして俺はそれに怒り、コペルが気付いていないスキル設定のミスを見過ごし、結果的に見殺しにした。

 

 それが、MPKしようとした人間の“ 自己責任 ”だと考えて。

 

 

 

(でも、それは ――――――――― ハルカの事を考えての事か……?)

 

 

 

 否、そうではない。

 それはあくまで、自分の考え ―――――― 極端な言い方をすれば私怨と言って良い。いじめられっ子が、道端でいじめっ子が性質の悪い連中に絡まれているのを見ながら知らんぷりをしたような、そんな程度の低い行為だ。

 そんな事に、一体 何の意味があると言うのか。

 極限状態から抜けた影響からか、いやに冷静になった俺の頭は、次々と自分に対する薄気味悪い考えばかりがよぎって来る。

 

 

 コペルの思惑を察した直後、俺は怒りを抱かなかった。

 そして、奴がハルカに邪な考えを抱いていると悟った直後、自分でも驚くほど怒りを覚えた。

 それは、自分を抜きにしても、親しい者を案じる“ 義憤 ”だと、どこかで勝手に納得していた。

 

 

 

――――――――― 義憤………? そんな(てい)の良いものか……?

 

 

 

 怒りを抱いた事 自体は、自分でもよく解らない。

 だが、だからと言って、コペルを見殺しにした事は、本当に正しい事(・・・・)だったのか。

 

 

 ふと、ハルカを見やる。

 出会ってからまだ数時間も経ってはいない間柄だったにもかかわらず、まるで親族や友人が亡くなったかのように、ひたすら悲哀の感情を吐露させていた。

 

 

 

――――――――― そうだ………人が死んだ(・・・・・)、これは当たり前の反応(・・・・・・・)だ。

 

 

 

 たとえ見ず知らずの人だろうが、目の前で命を落とせば、悲しむのが人としての感情というものだ。ハルカは、人として何らおかしい反応は見せていない。

 

 

 

――――――――― なら、俺はどうだった(・・・・・)………?

 

 

 

 俺がコペルに抱いた怒りは、俺を謀り殺し、ハルカを手中にしようという、まるで彼女を人として扱わないような行ないに対するものだ。

 

 なら、俺が行なった行為は? ―――――― 俺は、コペルをちゃんと“ 人として扱った ”のか?

 

 

 違う。

 

 

 それどころか、俺は誰の事も考えていない。

 

 ただ、自分に降り掛かった火の粉を払い、それを行なった人間が自滅する様を、ただ見て見ぬ振りをしただけだ。

 

 

 

 

 それこそ ―――――― ただの“ ゲームの延長線上 ”の如く。

 

 

 

 

 ズブズブと、自分の足元が沈むような感覚が襲い掛かる。

 自分が、自分でも予想だにしなかったような“ 恐ろしい存在 ”になってしまったかのような、言葉にし難い恐怖が全身に伝播していく。

 目の前で咽び泣くハルカを宥めてあげたいのに、慰めねばならないはずなのに、手を伸ばしても、決して届かない距離にいるような錯覚に陥る。

 

 まるで、自分だけが別世界に孤立しているような疎外感が去来して来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  気は済んだ? ―――――――――

 

 

 

 

 

 突如、そんな言葉が俺に向けられた。

 

 ばっ、と慌てて振り返る。

 

 

 

 そこには、1体のリトルネペントが立っていた。

 

 

 

(いつの間に……!?)

 

 

 

 あれだけの数を狩ったから、ポップ率など すっかり枯渇したものだと思っていたが、誤りだったのか。

 そもそも、ポップする音すら感じ取れなかった。呆然としていたと思っていたが、それ程だったと言うのか。

 迎え撃とうと思ったが、武器は先程ポリゴンの欠片と化して消えた事を失念していた。

 

 

 

(いや、待て……それよりも、さっきの“ 声 ”は誰が………?)

 

 

 

 同時に、疑問も生まれた。

 俺は確か声がした方を向いたはずだ。だが、いるのは目の前のネペントのみ。他には誰もいない。

 ならば、あの声の主は一体どこにいると言うのか。

 

 

 

 

  君も………随分と酷い人だよね ―――――――――

 

 

 

 

 俺は、目を見張った。

 間違いない ―――――― 先程からの“ 声 ”は、目の前のネペントから発せられたものだ。

 信じられないという気持ちが、俺の脳内を侵食していく。

 

 

 

 何故なら、その“ 声 ”は ―――――――――

 

 

 

 

  君は良いよね……生き残って、これからも可愛い子と一緒にいられてさ

 

 

 

  “ 僕 ”なんか ―――――――――

 

 

 

 

 

 グパァ、と捕食器が捲り上がるように開いて行った。

 

 

 

 

 そして、その中には ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  こうなっちゃったって言うのに(・・・・・・・・・・・・・・) ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コ……コペル(・・・)………ッ?」

 

 

 

 ネペントに囲まれ、そして死んだはずのコペルの顔が、まるでネペントの捕食器から這い出たような形で現れたのだ。

 顔や髪に粘着質な液体をべったりと纏わり付かせ、このSAOにおいては異常な程に生物的で、おぞましい程にリアルな状態だった。

 名を漏らしただけで、悲鳴を漏らさなかったのが不思議な位だった。

 

 

 

 

  確かに、僕も悪いかったかも、だけどね……見殺しにする事はなかったんじゃない?

 

 

 

 

「お、俺は……っ」

 

 

 

 

  言ったのに………僕は助けてくれって……叫んだのに ―――――――――

 

 

 

 

 悲しみや、恨みの感情が混ざったような、見るからに背筋が凍る眼を向けられ、俺の体は痺れたように動かない。

 こちらにも言い分はあるはずだと頭では浮かぶのに、金縛りにでもあったかのように言葉にする事は叶わない。

 ガタガタと、手や足を震わせるのが精々だった。

 

 

 

 

  痛かったよ ―――――――――

 

 

 

 

 今度は、右側から(・・・・)声がした ―――――― 正面のコペルと全く同じ声(・・・・・)が。

 

 首が動かない為、視線のみをそちらへ向ける。そこにもネペントが出現しており、やはり、いつ現れたのか全く解らなかった。

 そして、それも捕食器を捲ると ―――――― 正面のコペルと全く同じ顔が現れた(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 叫びこそしなかったが、今度こそ俺は悲鳴を漏らした。

 

 

 だが、それだけでは終わらなかった。

 

 

 

 

  解る? この痛み―――――――――

 

     焼かれちゃったんだ、僕の脳は ―――――――――

 

    君に解る? この辛さが ―――――――――――

 

           これが、君の“ 罰 ”なのかい? ―――――――――

 

             君は助かって、僕はこんな終わりを迎えるの? ―――――――――

 

          あんまりだよ……こんなのって無いよ ―――――――――

 

 

 

   酷いよ……酷イヨ……ヒドいヨ………ヒドイヨ………… ―――――――――

 

 

 

 

 

 

「あっ………っ!! あぁっ!!!」

 

 

 

 気が付けば、この場にいるのは俺と異形のコペルだけ。

 ハルカの姿は無くなっていた。

 

 左からも、後ろからも、いつの間にか其処彼処にいたネペントから、コペルの顔が現れては、次々と自らの苦しみや俺に対する恨みつらみを、俺に縫い付けるようにぶつけていく。

 信じ難い光景と聞き入れ難い言葉の数々に、それでも俺は何も出来ず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 

 コペルの言葉は紛れも無い真実 ―――――― 俺は、あいつを見殺しにした。

 

 

 人として扱われない事に怒りながら、俺自身も同様の扱いをした。

 

 

 死ねば、脳を焼かれると理解しながら、それでも助けようとはしなかった ―――――― 全て、コペルの言う通りなのだ。

 

 

 とうとう、心身ともに限界を迎え、体重すら支えられなくなった膝は折れ、俺はその場にへたり込んでしまった。

 そんな俺に追い討ちをかけるように、既に数十近くになっていたコペル首のネペントの群れは、俺にじりじりと包囲の輪を狭めるように寄って来た。

 

 

 

「やめろ……っ………やめてくれっ!!!!」

 

 

 

 完全に恐怖に支配された俺は、懇願するように叫び、勢いで動いた手で耳を塞いだ。

 それでも、肌で感じる程に近くいるに多くの声の前では、それすらも意味を成さない。俺は震え、ひたすらに目を閉じた。

 しかし、その暗闇さえも恐ろしく感じるようになっていき、すぐに閉じる事すら出来なくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  君ガこんナ人だッタナンて………ハルカちゃンモ、キット幻滅しちゃウね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おぞましい声で放ったその言葉は ――――――――― 間違い無く俺の胸を抉った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあああ……わあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「キリト君!? 落ち着いて、キリト君!!」

 

 

 

 喉が張り裂けんばかりに叫び、狂うように取り乱した俺を、澄んだ声が正気に引き戻した。

 はっとして、俺は、俺の肩を優しく掴む感触の元を辿って行く。

 

 

 

「っ!!?……………ハル……カ………?」

 

「大丈夫!? 酷く(うな)されてたみたいだけど……」

 

 

 

 体が震え、渇きが喉を襲う。

 未だ収まり切らない感情を荒い呼吸をしながら抑えつつ、俺は目線で周囲を見渡す。

 ここは、俺とハルカがチャックインした宿屋の一室だ。

 すでに窓の外は真っ暗で、ハルカが起きる際に点けたのだろう、部屋の証明であるキャンドルランタンが、薄暗く室内を照らしている。

 その中で、ハルカは未だ返答をしない俺を見て、いかにも不安で、心配であるといった表情を浮かべていた。

 

 

 その時ようやく、俺は夢を見ていたのだと認識する事が出来た。

 

 

 

「っ! キリト君……泣いてるの…っ?」

 

 

 

 けれども、あの おぞましい光景が夢でしかなかったと解った今となっても、俺の心はこれっぽっちも晴れる事は無かった。

 夢の内容を思い出す度、目の前のハルカの表情を見る度、俺の胸は罪悪感で引き裂かれそうになっていく。

 泣いてはならない、心配させてはならないという意思とは裏腹に、あまりに正直過ぎる俺のアバターは、感情に忠実なままに両目から涙のポリゴンを垂れ流していく。

 

 再び、脳内が渦巻いてくる。

 

 ハルカも、何度も何度も俺を気にかけ、声をかけてくる。

 

 

 

 

 

――――――――― もう…………限界……か……

 

 

 

 

 

 俺は、覚悟を決めた ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息苦しいまでの静寂が、部屋中に漂っている。

 俺とハルカは、互いのベッドの上で座りながら向かい合っている。俺は俯き、見ているのは自分の手と足だけだ。ハルカの表情は窺えない。

 

 

 

 あれから俺は、ハルカに昨夜の出来事を、つぶさに語った。

 あれだけ我を失うほど取り乱した手前、ハルカには絶対に何かあっただろうと感付かれただろうし、これ以上 隠し立てしても意味が無いと思ったからだ。

 

 コペルの裏切り、その動機、そして俺がした行ない ―――――― その全てを聞かされたハルカは、見るからに瞠目し、そして沈黙した。

 

 それから、一言も発していない。時間にして数分だったか、それとも1時間は経ったか。いずれにせよ、俺にとっては恐ろしい程に長い感覚だと覚えた。

 

 

 

(これでもう……ハルカともお別れだな………)

 

 

 

 言葉を待つ間、俺はそんな事ばかり考えていた。

 俺は1人の人間に裏切られたとは言え、その人間を見殺しにした。

 しかも その動機に、ハルカが関わっているとなれば、もう俺は彼女といるべきではない。ハルカとて、そんな人間といたいとなんて思わないだろう。

 

 

 俺は、また1人になってしまう。

 

 いや、違う。元々、前提から間違っていたのかもしれない。

 ハルカやクライン、シリカに色々と高説を授けるように偉そうな事を言っていたが、結局は各々の理由があったとは言え、彼等を見捨てて来てしまった。例外のハルカとて、自ら連れて来た訳ではない。

 今 思い出しても、自分の考えには“ 他人の為に ”という立派なものは無かった。心の奥底には、必ず“ 自分自身の為に ”という思いがあった事は否めない。

 俺は、元々 人と関わり合うのは苦手な部類の人間だ。軽いコミ障と言っても良い位の。だからこそ、俺は現実では家族とも碌な会話もせず、SAOのようなネットゲームに没頭して来たのだ。

 そんな俺が、今になって他人を求め、そして失う事を恐れるなど、手前勝手も甚だしいのかもしれない。

 

 

 

(けど、もう良い……全部が元のままに、戻るだけだ………)

 

 

 

 ハルカも、明日の朝にはじまりの街へ帰すのが良いだろう。

 そこで、クライン達に事情を話し、互いに助け合っていけば問題無い。そうなればきっと、ここで何が起こったのか尋ねるだろう。

 そうなったら、クライン達とも終わりだ。

 その後、俺に黒い噂が流れたとしても、それは自業自得と捉えるべきだろう。

 

 

 

――――――――― さぁ、ハルカ………一思いに………

 

 

 

 さながら、断頭台でギロチンが落ちてくるのを待つ死刑囚の如く、俺はハルカの言葉を待つ。

 

 

 

 

 

「………キリト君 ―――――――――」

 

 

 

 ドクン、と血も通ってないはずの心臓が跳ねるのを感じる。

 

 

 耳を塞ぐな

 

 

 意識を飛ばすな。

 

 

 無意識に両手を強く握り締めながら、俺は更にその先を待った。

 

 

 

 

 

「――――――――― 辛かったね」

 

 

 

 

 

――――――――― え………?

 

 

 

 

 

 あまりに予想外の言葉に、俺はこれまでになく呆けてしまった。

 

 耳に入って来たのは、俺を罵倒するでも、軽蔑するでもない。

 むしろ今まで以上に穏やかで、かつ人を慰め、支えてやりたいと言うような色が含まれていた。

 

 

 

「ハル……カ………?」

 

「ずっと、そんな辛い気持ちで今までいたんだね。ごめんね、気付いてあげられなくて」

 

「なっ……何でハルカが謝るんだ!?」

 

 

 

 予想外の事に、俺は軽く混乱し始めていた。

 俺が疑問を噴き出す中、ハルカは続ける。

 

 

 

「だって…その話が本当なら、コペル君が死んだのも、キリト君のした事も、私が関わっていたっていう事でしょ? だったら、私にも責任はあるよ」

 

「責任って……あいつは、ハルカを利用しようと(・・・・・・)していた奴だぞ!? それに、死んだ理由だって、俺が……何で、ハルカの責任だなんて言うんだ…っ?」

 

「……確かに、直接は関係してないかもしれない。でも事の発端に、ほんの ひと欠片でも関わっていたのなら、私に“ 全く責任は無い ”なんて、都合の良い事は考えられないよ。よくよく考えれば、私がコペル君の案をキリト君に勧めたんだし」

 

「っ……」

 

「何より ―――――― キリト君1人に罪の意識を被せるなんて、したくない」

 

 

 

 無茶苦茶だ、と俺は絶句した。

 ハルカの顔を見ても、その言葉は決して上辺だけの、中身の籠ってないものとは違う事が解る。

 解る分、余計に始末が悪く感じ取れてしまう。

 

 

 

「したくないも何も……コペルを見殺したのは、他ならない俺の罪だ。何でハルカまで…」

 

「じゃあ聞くけど…あの時のあの状態で、キリト君が助けようとして、必ず斬り抜けられた?」

 

 

 

 そう聞かれ、俺は戸惑いつつもその“ もしも(If) ”をシミュレートしてみる。

 何度も何度も、色々な仮説を立てて考えるが、どう立ち振る舞ってもあのトラップの中を犠牲無しで潜り抜ける事は、限り無くOパーセントに等しいだろうと結論付けられた。

 

 

 

「あの時、私は何も知らなかったけど、キリト君はコペル君に騙されていた。キリト君は自分で“ 殺した ”って言うけど、そもそも その状態を作ったのはコペル君なのに、そのコペル君を助けて共闘するって……正直、かなり虫の良い話だと思う。あの時に、そうしろって言うのは……キリト君にはあまりに酷だよ」

 

「………」

 

 

 

 今の俺の表情、そして当時の俺の心境を踏まえた上で、ハルカは語った。

 その言葉は、ただ己の中の罪悪感で潰れそうになっていた俺にとって、まさに天使の救いに等しいものだった。

 けれども、それでも納得し切れない。

 結局のところ、コペルは死んでしまった。自分が生き残る術を必死に考える中、他人の命を軽視してしまった事は、弁明のしようが無い。

 

 

 そんな俺が、そんな都合の悪い事に目を背けるような真似をして良いはずがない ――――――

 

 

 再び思考の渦に飲み込まれようとしていた時だった。

 

 

 

 ハルカが、俺の手を握ったのは。

 

 

 

 行動とその温もりに驚いたまま、俺はハルカと目が合う。

 今まで出会った中で誰よりも澄んでいて、それでいて揺ぎ無い力強さを兼ね備えたその瞳は、俺の意識を放さなかった。

 

 

 

「キリト君が考えてる事は、何となく解る」

 

「ハルカ………」

 

「きっとキリト君は、自分がしでかした事の責任は、何が何でも自分が全部 背負うべきだと思ってる。それで、それに関わろうとする人間は、たとえ親しい人でも近寄らせないようにする人だと、私は思う」

 

 

 

 決して、外れているとは言えなかった。今 自分が考えている事が、まさにハルカの言う事と合致しているのだから。

 

 

 

「それは確かに、立派な事だと思う。私とそう変わらないはずなのに、凄いなって思う。でも……こればっかりは ―――――― “ 人の死 ”を、1人で背負い込む事は、私は見過ごせない。」

 

「……今更だけど、俺が嘘を吐いてるって可能性は、考えないのか?」

 

「自慢じゃないけど、私はこれまでの人生で、色んな人に出会ってきた。だから、何となくでも少し話せば、その人の人となりが解る。キリト君は、少なくとも人の生き死にが関わる事で、そんな嘘が吐ける人間とは、どうしても思えないよ」

 

 

 

 ハルカの言葉を聞く度、ドロドロに塗りたくられた心が洗われていくような感覚が走る。

 駄目なのに、彼女に甘えるなど許されないと思っているのに、それでも俺の心に残る“ 他者に縋りたい気持ち ”が、むくむくと膨れ上がって制御が利かなくなってくる。

 

 

 

「……俺は……俺は………っ」

 

 

 

 早く、彼女の元から離れなければと考えながら、体は意思から反するように震えるばかりだ。

 

 こんなにも、俺は弱い男だったのか。

 

 こんな自分が、ただただ情けなくて、もう何も考える事すらままならなくなってくる。

 

 

 

「キリト君 ―――――――――」

 

 

 

 不意に、ハルカが立ち上がった。

 そして、おもむろに両手を伸ばし、俺の頬に触れた。俺はあらゆる緊張が解けたように、言葉は出てこなかった。

 

 

 

「あんまり、自分を痛めつけないで。どんなに強い人だって、1人じゃどうにもならない事は、いくらでもある。ましてや、キリト君は精々、私と1、2歳しか変わらないような年齢でしょ? そんな、言ってしまえば子供が、そんな重いものを1人で背負い込もうなんて無理があるよ」

 

「………それでも、俺は許されない人間だよ」

 

「許す、許さないかは、私1人がどうこう言える問題じゃないかもしれない。今回の場合、それの鍵を握るのはコペル君だったけど、彼は逝ってしまった……正直、どうすれば完璧な答えを出せるのか、私には解らない」

 

「…………」

 

「それでも……私 個人の意見で、今のキリト君をどうにかしろって言うなら……私は、許すよ(・・・)

 

 

 

 その、文字数にすればたった3文字の言葉は、俺の心にしっかりと入り込んで来た。

 

 ハルカは、俺にその瞳を照らし合わせるように顔を近付け、続けた。

 

 

 

「君が、人の死を何とも思わない極悪人だったら、躊躇無く見捨てた。けれど、君はそうじゃない。不器用ながら、自分を殺そうとした人間でも、その死について真剣に考えてる。それなら、私が断罪する意味は無いよ」

 

「良いん……だろうか…? こんな俺が、許してもらっても……っ?」

 

 

 

 再び、俺の心に敏感にアバターが反応し、涙が俺の瞳から溢れ出してくる。ハルカは、そんな傍目から見れば痛々しい俺の頭を慰めるように撫でる。

 

 

 

「今は、そういう事にしておこう? もしこの先 ――――――現実世界(リアル)へ帰った時とかに、その問題に直面した時は、きっと助けるって、約束するよ」

 

「っ………」

 

「キリト君は、自分自身が思ってるよりも、優しい人間だよ。クラインさんやシリカちゃんを置いて来てしまった事も、本当は気にしてるでしょ? 言わなくても、顔を見てれば解るんだから。そんな人が、実は悪い人だった何て、そんな事は無いよ。今回の事は、本当に色々と“ 運が無かった ”んだと思う。だから、間違っても“ 自分はどうなっても良い ”とか、そんな事は考えないで。そんな道に進んでしまったら……クラインさんも、シリカちゃんだって、絶対 悲しむから」

 

 

 

 その言葉に、昨日 別れた2人の顔が浮かび上がる。

 どちらも、あるいはとびきりの笑顔を浮かべ、あるいは悲しみに満ちた表情を浮かべている。

 2人も、ハルカのように俺の事で喜んだり、悲しんだりしてくれると、そういう事なのだろうか。

 俺のした事を知っても尚、昨日のように接してくれるのだろうか。

 俺には解らないが、ハルカがそう言うと、本当にそうなのだと、不思議と思えてしまう。

 

 

 

「だからお願い。本当に、私の事を想うのなら……私を後悔させるような事は、絶対にしないで」

 

「ぅ……っ…あっ……ああぁぁぁぁ………!!」

 

 

 

 もう、涙どころでは止まらない。

 

 

 今まで押し留めていたあらゆる感情が、堰を切ったように溢れ、号泣という形で表れた。

 

 

 そんな見苦しいとさえ思えるそれさえも、ハルカは優しく包み、慰めてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 ハルカの腕と胸の温もりに身を委ね、身も心も(ほぐ)されながら、俺は誓った ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 この先、何が起ころうとも ――――――――― 自分の全てを懸け、ハルカを守ってみせると。

 

 

 

 

 

 

 

 恐ろしい夢を見る事は、もうなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 





今回の話を書いていて、人が人の“ 罪 ”をどうこうするという事が、いかに難しいのか解りました。実際、私がキリトやハルカの立場になったら、どうなるかは予想もつきません。


今作では、コペルを随分と下種で雑な扱いのキャラにしてしまいました。私としては、自分が生き残る為とはいえ、他人を犠牲にするという人として越えてはならない一線をあっさりと越えた彼には、理解は出来つつも同情や納得は出来ません故。彼のファンにとっては、痛ましい話だったと存じます。


次回は、再びキリュウ・マジマ視点から話を始めます。
またの投稿も、お楽しみ下さいませ。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。