SAO アソシエイト・ライン ~ 飛龍が如し ~(※凍結中)   作:具足太師

10 / 31

またしても、だいぶ間が空いてしまいした(汗)
お待ち頂いている皆様には、大変 申し訳なく思います;つД`)

今回から再び桐生視点。
でも、やたらと描写を書き過ぎて長い上に、ほとんど進んでない状態です。

そんな話ですが、どうかご了承下さい。





第2部:《 絶望と希望 》
『 苦悩 』


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桐生は、砂浜の上に立っている。

 

 

 

 

 

 太陽は燦燦と輝き、真っ白な雲が浮かぶ青い空。

 

 

 

 大地を分け隔てなく照らす日光。

 

 

 

 潮の香りと、寄せては消える波の音。

 

 

 

 それら全てが、桐生の あらゆる感覚を刺激し心に穏やかな癒しを感じさせる。

 

 

 

 

 

 そして ―――――― その中で、楽しく戯れる小さな姿がある。

 

 

 それは、彼にとって掛け替えのない大事な子供達と1匹。

 

 

 皆、この上ない純粋な笑みを浮かべ、思うがままに自由を満喫している。遠目で見ているだけでも、どこまでも心が洗われるようだ。

 

 

 一度は仁義の為にと、血と欲の渦巻く世界に骨を埋める覚悟を固めていた。もう一生、人並の幸せなど感じる事はないと悟ろうとした。

 

 

 

 

 

 だが紆余曲折あって、そんな世界とは距離を置いた。今では、ごく有り触れた幸福を満喫できる事が何よりも尊いと実感する毎日である。

 

 

 

 

 

 何より ―――――― 自らの隣で、同じく子供達を見守る、黒髪の少女。

 

 

 

 

 

 心から楽しみ、はしゃぐ子達を慈愛の眼差しで見守る姿は、彼等の姉と言うよりも、まるで母親のような雰囲気を醸し出している。

 

 

 

 数奇な運命の下、6年前に出逢った少女。彼女は時と共に、すくすくと育っていた。

 

 

 

 挫けそうな時もあった。その度、どれだけ彼女の笑顔や言葉で自分が救われたか知れない。

 

 

 

 そんな彼女の笑顔を見る度、桐生は思う ―――――― この幸せは、何があっても、自分が死力を尽くして守っていかねばならないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供達が、呼んでいる。

 

 

 身寄りを亡くした彼等を引き取って早数年。日々、身も心も成長しているが、やはり まだまだ子供。手が掛かるという気持ちが途絶える事はない。

 

 

 だが、そんな呆れにも似た感情すら桐生には幸せの一欠片。苦労はあっても、苦痛になる事は あり得ない。

 

 

 

 

 

 やれやれと溜め息を溢しつつ、軽やかな足取りで自らも和気藹々とした輪に交わろうとした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ピキ………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那 ――――――――――――― 世界は変貌を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桐生は、己が目を疑った。

 

 

 

 

 突如として、世界の時の流れが止まった。そうとしか言い表せない現象が起こったのだ。

 

 

 

 

 波も、鳥も、果てには子供達までも、現実では あり得ない不自然な状態で停止し、物言わぬ風景と化していた。

 

 

 

 

 

 

 桐生ただ一人を除いて ――――――

 

 

 

 

 

 

  バキ………ッ

 

 

 

 

 

 

 混乱する間もなく、更なる変化が訪れる。

 

 

 

 

 制止した その風景に、亀裂(・・)を生じたのだ。

 

 

 

 

 まるで、今までの光景は虚像(作りもの)だったとでも言うように、全てのものが蜘蛛の巣状に(ヒビ)割れていく

 

 

 

 

 

 

  バキ………ビキ…………ッ

 

 

 

 

 

 

そう ――――――――― 子供達さえも。

 

 

 

 

 

 

 桐生は叫ぶ事すら忘れてしまう程に絶句する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして ――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  パキイイイイイィィィィィィィ――――――――ンッ…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けたたましい音と共に、全ての光景は弾け飛び、霧散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後に残ったのは、黒一色で染まった空間。

 

 

 

 

 存在しているのは、桐生1人だけ。

 

 

 

 

 他に存在するものは何もない。完全なる、虚無と言える空間。

 

 

 

 

 

 

「遥ぁ!! 太一ぃ!! 宏次ぃ!!」

 

 

 

 

 桐生は、叫ぶ。

 

 

 

 

「綾子ぉ!! エリぃ!! 理緒奈ぁ!! 三雄ぉ!!」

 

 

 

 

 四方を見渡し険しい形相を浮かべながら、喉が潰れんばかりに声を発する。

 

 

 

 

「志郎ぉ!! 泉ぃ!!」

 

 

 

 

 

 だが ―――――― 返事はない。どれだけ腹や喉に力を込めて叫んでも、ただ空虚に声の残響が響くだけ。

 

 

 

 

 どこを見回して見ても、我が家(アサガオ)も、子供達も、愛犬・マメも ―――――― 遥も、いなかった。

 

 

 

 

 言いようのない不安が心を侵食するのを感じる。

 

 

 

 

 異常なまでの手応えのなさに自我が狂いかねない程だ。

 

 

 

 

 

 

「――――――っ!!」

 

 

 

 

 

 

 ふと、全身の産毛や皮膚細胞が細かく震えるような感覚が走る。

 

 

 

 

 本能的に、何とも形容し難い不気味な気配を桐生が感じ取ったのだ。

 

 

 

 

 その根源は、頭上にあった。桐生は慌てて上を見上げる。

 

 

 

 

 

 

 そして ―――――― その姿(・・・)を見て、桐生は驚愕に目を見開かせた。

 

 

 

 

 

 

 それは、あまりにも奇妙な存在だった。

 

 

 

 

 それは、言うなれば《 魔法使いのような者 》

 

 

 

 

 血のように真っ赤なローブを纏い、白い手袋を填めた それは、まさにファンタジーで見る魔法使い然とした出で立ちだ。そういった知識に疎い桐生でも、それは解る。

 

 

 

 

 だが、決して“ 人である ”とは言えなかった。

 

 

 

 

 何故なら、本来 首があるべき所 ―――――― フードの中が伽藍堂(・・・・・・・・・)であったからだ。

 

 

 

 

 フードの裏地、そこから見える縫い目や皺まで確認できる程、そこには あり得ない空洞が出来上がっていた。

 

 

 

 

 肉体と呼べるものが存在しない。にも まるでかかわらず、はっきりと人型と解るラインを形作って宙に浮かんでいたのだ。

 

 

 

 

 常識では考えられない存在に、しばし呆然としていた桐生だったが、やがて我に返ると同時に臨戦態勢に入る。

 

 

 

 

 顔は確認できないが、謎の赤ローブは自分に視線を向けているように感じていた。何らかの意思があるように思えたからだ。

 

 

 

 

 相手は宙に浮かび、まして どんな行動に出るか、出来るかが全く想像も出来ない。しかし、どんな事が起きようとも対応してみせるという自信があった。

 

 

 

 

 腕に、拳に、足に、全身の筋肉に力を漲らし、緊張を走らせ、神経を研ぎ澄ます。

 

 

 

 

 

 

 睨み合って、10秒近くが経過する。

 

 

 

 

 不意に、赤ローブが動きを見せた。万歳の如く、両の手を広げたのだ。

 

 

 

 

 

 

  ゴオオォ――――――……ッ!!!!

 

 

 

 

 

 

「ぬぅ……っ!?」

 

 

 

 

 

 その直後、凄まじい風圧が桐生の体に叩き付けられる。何もしなければ、90kg近い桐生の巨体でも倒れそうな程だ。

 

 

 

 

 両腕を交差させて顔を防ぎ、後ろに倒れそうになるのを下半身に力を籠めて喰い止める。

 

 

 

 

 風は、およそ数秒もしない内に治まった。

 

 

 

 

 反射的に己の視界を塞いでしまった愚を悟りつつ、桐生は赤フードを見遣る。

 

 

 

 

 フードは未だ最初の位置から動いてはおらず、マントの裾を不気味に靡かせながら宙に浮かび桐生を見下ろしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと ―――――― 桐生は、ある違和感(・・・・・)に気付いた。

 

 

 

 

 変化もなく、ただ浮いているだけと思っていた。しかし、よく見てみると両手で何か(・・)を抱え、胸の辺りで抱いていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 桐生は、己が目を疑った。

 

 

 

 

 

 

 目に映ったものは、風に吹かれたカーテンのように揺らめく黒い糸状のもの。

 

 

 

 

 赤ローブを背景に否でも映える それは、紛れもなく人の、女性の長い毛髪である。

 

 

 

 

 そして、その長く黒一色の空間でも映える程の艶やかな黒髪、その持ち主であろう白い肌(・・・)が目に映った。

 

 

 

 

 

 ある予感(・・・・)が浮かんだ瞬間、桐生の口は気が抜けたように開く。

 

 

 

 

 そんなはずはないと、咄嗟に そう思った。

 

 

 

 

 だが皮肉にも ―――――― 己の感覚 全てが、己の否定を全否定したのだった。

 

 

 

 

 

 

「―――――― 遥……!?」

 

 

 

 

 

 

 それは自分にとって愛娘も同然の ―――――― かつて自分が愛した女性の忘れ形見に相違なかった。

 

 

 

 

 

「テメェ……っ、いつの間に!? 遥を、一体どうするつもりだ!!」

 

 

 

 

 

 桐生が赤フードに向かって、現役時代も()くやという怒声を張り上げる。

 

 

 

 

 得体の知れない存在が、己以上に大切な存在を虜にしようとしているのだから当然の反応だろう。

 

 

 

 

 眉間や口元に深い皺が刻まれ、鋭く ぎらついた眼光を向ける様は獰猛な肉食獣を彷彿とさせる。

 

 

 

 

 だが桐生には、それ以上の事が出来なかった。

 

 

 

 

 理由は単純明快。相手は宙に浮かんでおり、その高さは身体能力に自信がある桐生でも到底 届かない程だ。

 

 

 

 

 利用できる道具も地形も存在しない無の空間では、如何な伝説の龍でも無力に等しかった。

 

 

 

 

 他でもなく、その事を自分自身で理解している桐生の胸中には怒り以上の悔しさが渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 やがて ―――――― 何の前触れもなく、赤フードは動き出した。

 

 

 

 

 遥を抱えたまま、上昇を始めたのだ。

 

 

 

 

 

「っ!! 待てぇッ!!!」

 

 

 

 

 

 黒一色ゆえに、どれ程の広さの空間なのかも解らないでいたが狭い空間ではないのは確かのようだった。

 

 

 

 

 風船が舞い上がるように、見る見る内に赤フードは真っ直ぐと天高くまで舞い上がって行ってしまった。

 

 

 

 

 ―――――― 遥を、その腕に抱えたまま。

 

 

 

 

 

「待ちやがれ! 遥を……遥をっ、どこに連れていく気だっ!!」

 

 

 

 

 

 桐生は、喉が潰れんばかりに叫ぶ。それしか出来なかった。

 

 

 

 

 声だけで相手を止められるなら。

 

 

 

 この手を、足を伸ばす事が出来たなら。

 

 

 

 赤フードのように、自在に空を飛べたなら。

 

 

 

 

 そんな、無理だと解り切っている事を切に願わずにはいられない程に、耐え難い無力感が襲い掛かる。

 

 

 

 

 そうして、そんな桐生の心情を嘲笑うかのように、斬り裂くように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――― やがて、その姿は最初からいなかったかのように消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待てっ――――――――――― 待てえええええぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――――― はる、か……っ………遥ぁ……!!」

 

 

 

 

 

 桐生は、その場に崩れ落ちる。

 

 

 

 

 しばしの間、眼差しは消えた方向に向けたまま呆然とする。

 

 

 

 

 そして、精魂が尽きたように俯いた。ぐしゃぐしゃな表情、止まらぬ体の震えが、彼の抑え切れない激情、絶望感を表していた。

 

 

 

 

 ―――――― 遥は、どこへ連れていかれた………?

 

 

 

 ―――――― そもそも、あの赤いフードは何者なんだ………?

 

 

 

 

 

 平静さを欠きながらも、様々な疑問が浮かび考える。

 

 

 

 

 だが、どれ1つとして明確な答えは出るはずもなく徒に桐生の心身を疲弊させるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドサッ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、重く鈍い音が響いた。

 

 

 

 

 音は桐生の耳にも届く。幸いと言うべきか、それは沈みかけていた彼の意識を刺激したのだ。

 

 

 

 

 

「―――――― あれは……!」

 

 

 

 

 

 ゆっくりと振り向くと、少し離れた場所に1人の人間が倒れていた。

 

 

 

 

 そして、 それ(・・)の正体を確認すると、桐生は瞠目を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 

「遥っ……!?」

 

 

 

 

 

 それは、たった今、天高く連れ去られたはずの遥であった。

 

 

 

 

 見間違いではない。服装も体型も、普段 自分が目にしている彼女のものであると判断できた。

 

 

 

 

 何故、という疑問は当然 浮かんだ。そもそも先程からの状況は、あまりにも不可解 極まりないだと今更ながら思い知らされる。

 

 

 

 

 しかし、それでも遥が戻って来たという事実と比べれば、彼にとって意味を為さない事だ。桐生は胸の底から歓喜が湧き上がるのを感じる。

 

 

 

 

 すぐに、行って介抱してやらねば。そう思い、立ち上がろうとした時だった

 

 

 

 

 

 

 ―――――― 桐生の目に、ある物(・・・)が映ったのは。

 

 

 

 

 

 

 桐生の位置からは、倒れる遥の頭部(・・)までは確認できなかった。

 

 

 

 

 彼が立ち上がった事で、初めて それ(・・)を目に入れる事が出来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭部を すっぽり覆うように填められた、黒光りする兜のような ―――――― ナーヴギア(・・・・・)を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ―――――― ドクン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桐生の心の臓が、大きく跳ねる。

 

 

 

 

 あらゆる雑念が消失し自我さえ溶けてしまいそうな、不快感にも似た感覚が意識を乗っ取る。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― アレハ  危険ダ

 

 

 

 

 

 

 彼の脳裏に言葉が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― 早ク  何トカシナケレバナラナイ

 

 

 

 

 

 

 それは、まるで“ 流れ込んでくる ”ような悍ましさが宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ―――――― ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸の鼓動が、その速度を増していく。震える音も急速に高まり、大きくなる。

 

 

 

 

 全身の血が心臓に群がり、暴れているかの如き激しさ。

 

 

 

 

 久しく感じた事のない、言い様のない不快感が桐生の全身を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― サモ ナクバ

 

 

 

 

 

 

 その間にも、“ 言葉 ”は容赦なく彼の中に流れ込む。

 

 

 

 

 抗う事も出来ず、彼の呼吸は乱れ額や喉に汗が流れ落ちる。

 

 

 

 

 

 

 そして―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― 彼女ハ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     脳ヲ焼カレテ(・・・・・・)      死ヌ(・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その“ 言葉 ”は、無慈悲にも宣告したのだ ――――――――― 残酷な未来(・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遥あぁぁぁぁぁぁぁあ――――――――――――!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾けるように、桐生は駆けた。

 

 

 

 

 その表情には一刻も早く彼女の元へ行かねばという思い、同時に何か恐ろしいものから必死に逃れるような、そんな強迫的な何かを綯交(ないま)ぜにしたような感情が浮かぶ。

 

 

 

 

 まさしく、鬼気迫るとは それであった。

 

 

 

 

 常人離れした体に今までにない感情の高まりが起爆剤となり、あっという間に目的を達するはずだった。

 

 

 

 

 

 

「――――――っんぐ!?」

 

 

 

 

 

 

 だが、そうはならなかった。

 

 

 

 

 寸での所で、不自然な形で地に伏したのだ。

 

 

 

 

 桐生自身、何故そうなったのか解らないらしく驚きの表情が浮かんでいる。

 

 

 

 

 ふと、自分の背中に違和感(・・・・・・・・・)を覚える。

 

 

 

 

 それを見た瞬間、更なる驚愕に目を見開かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――; #o………o●o_*#oo+;oo$o●………!!! ;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ……これ(・・)は……!?」

 

 

 

 

 

 “ それ ”が何なのか、表現すべき言葉が、すぐには浮かばなかった。

 

 

 

 

 あえて大雑把に(たと)えるなら、それは“ 影 ”だった。

 

 

 

 

 顔もない、体もない、形すらない。

 

 

 

 

 あやふやという言葉が、まるで中途半端に姿を得たような存在。

 

 

 

 

 それが桐生の背中に憑りつき、言語なのかも解らない不協和音を鳴らしながら、その動きを封じていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「ぐぅ……離せぇ……! くそぉ……っ!!」

 

 

 

 

 

 

 必死に抵抗し振り解こうと桐生は藻掻く。

 

 

 

 

 だが、効果は見られない。

 

 

 

 

 力が強いという訳ではない。まるで彼と同化しているかのように纏わり付き、手応えを感じさせないのだ。

 

 

 

 

 抵抗を続けながら、未だ倒れ伏す遥を見る桐生。

 

 

 

 

 あと少し、今まさに手を伸ばせば届きそうな所にいると言うのに、それが叶わない。

 

 

 

 

 口惜しさに、桐生は歯を砕けんばかりに噛み締めるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ピピ ――――――――― ピピ ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、不意に電子音というべき効果音が鳴り響く。

 

 

 

 

 何の音なのか、出所は どこなのか、悩んだのは、ほんの僅かだった。

 

 

 

 

 今 現在の何もない漆黒の空間に、機械の類など1つしか ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 そして ―――――― 最悪の予想が、桐生の脳裏を過った

 

 

 

 

 否。それは確信だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― コノママデハ    彼女ハ………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおぉぉぉぉあああああぁぁ―――――――!!!」

 

 

 

 

 

 

 桐生が、吼える。彼の中で、何かがキレたのだ。

 

 

 

 

 これまでにない位の力も精神力を注ぎ込んで、己が四肢を爆発させんばかりに暴れた。

 

 

 

 

 だが、悲しいかな。

 

 

 

 

 どれほど力を奮っても、実体もない影には沼に杭。何一つ効果がなかった。

 

 

 

 

 

 

  ピピ ―――― ピピ ――― ピピ ――― ピピ ――――――

 

 

 

 

 

 

 電子音の感覚が、徐々に短くなってきていた。

 

 

 

 

 何の変哲もない音のはずが、何故か何かが起こる予兆(・・・・・・・・)を感じさせてならない。

 

 

 

 

 唯一、間近で聞く桐生は言い知れぬ焦燥感を、言葉にし難い恐怖を、その精神に叩き付けられていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――― キィィィィィ……………ン…………ッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、電子音は消え ―――――――――

 

 

 

 

 

 

 代わりに、何かが作動する音(・・・・・・・・)が空間に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ドクン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――― やめろ

 

 

 

 

 

 

――――――――― やめてくれっ

 

 

 

 

 

 

――――――――― 俺なら……俺なら、どうなっても良い……っ

 

 

 

 

 

 

――――――――― だから…………だから、その子()だけはっ

 

 

 

 

 

 

 その拳を振るえば、向かうところ敵なしの男が恥も外聞もなしに懇願する。

 

 

 

 

 代わりに自分を差し出すと、命など惜しくはないと、心の底から そう考えて願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが ―――――― 彼の願いは届かない。

 

 

 

 

 さもありなん。心を持たぬ機械に、人の心など通じるはずもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  キイイイイイイィィィィィ――――――………!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして無慈悲にも ――――――――― 作動音が(ギロチンの紐が)増大を始めた(切り落とされる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――― 止まれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――― 止まれっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止まれぇぇぇぇぇ―――――――――――!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――ぅぁっ!!………………はぁ……はぁ……はぁ………」

 

 

 

 

 

 言葉に出来ない呻き声を上げながら、桐生は体を起こした。

 

 

 その呼吸は大きく乱れ、それが疲れによるものではないと一目で解る有様である。その額、胸、背中といった至る所に大量の汗を掻き、水に濡れたかのように衣服が湿っている。

 

 

 

「………夢……だったのか………?」

 

 

 

 呼吸を整えつつ、どこか呆然とした面持ちで桐生は呟く。

 とても、恐ろしい夢だと感じた。これまでの人生の中でも悪夢を見た事は幾度もあったが、それにも劣らぬどころか遥かに上回ると言っても差し支えない衝撃を覚えていた。今でも時間と共に記憶が薄れるばかりか、逆に鮮明となり更なる恐怖を感じる程である。

 それでも、やはり夢である事には変わりない。現実ではないのだと理解と認識を強め、その恐怖も徐々に収まり気持ちを落ち着けて行く。

 

 

 

(―――――― ここは……どこ、なんだ?)

 

 

 

 充分に冷静さを取り戻したところで、桐生は周囲を見渡す。その第一印象は、心当たりのない場所、だった。

 広さは6畳程度であり、小さな窓や洗面台、そして便器が設置されている。窓からは日光が入り込んでいる事から、今が日中である事が伺える。床は畳であるが、壁も天井も白一色であり、家具も何もない内装から酷く殺風景に思える部屋であった。

 そして何より目に付いたのが ―――――― 扉の代わり設けられた鉄格子(・・・)である。

 

 

 

「ここは………」

 

 

 

 全体的な作りと雰囲気から、桐生は1つ当たりを付けた。

 

 

 まさしく彼のように“ 元 極道 ”だからこそ知る、ある意味特別な場所(・・・・・)である。

 

 

 

 

 

  ガチャッ

 

 

 

 

 

 その時、鉄格子の向こう側から音が聞こえた。それが鍵が開けられた音だと気付いたのは、扉が開かれるのと同時だった。

 

 

 

 

 

「こちらです」

 

「おう、悪いな」

 

「お邪魔しますっと」

 

 

 

 

 

 聞こえたのは、男の声だ。数は3人。比較的 年若いと思われるものが2つと、少なからず年齢を感じる声色が1つだ。

 

 そして、その内の2つ(・・)に関しては、桐生の記憶に強く憶えがある者であった。

 

 2人分の足音が、音を響かせて桐生のいる方へと近付いて来る。

 

 

 そして程なく、2つの人影が鉄格子 越しに姿を現した。

 

 

 

 

 

「よぅ。起きてたか、桐生」

 

 

「大事なさそうで、何よりですよ」

 

 

 

 

 

 1人は、くたびれたトレンチコートとシャツを着た50代 近い男。

 

 もう1人は、シャツに黒いネクタイを軽く巻き、青いジャンパーを羽織った若い男。

 

 

 桐生の想像通り、覗き込む その2人は彼にとって非常に よく知る相手であった。

 

 

 

 

 

伊達(だて)さん……! それに、谷村(たにむら)も……!」

 

 

 

 

 

 今日まで様々な因果を経て、今や桐生の親友とも呼べる男 ―――――― 伊達(だて) (まこと)

 

 

 1年前、神室町を巻き込んだ“ 大きな事件 ”において桐生と出会い、共に拳を振るった男 ―――――― 谷村(たにむら) 正義(まさよし)

 

 

 共に、警視庁 刑事部 捜査 第一課に所属する敏腕刑事である。そして、元 極道の男と警察関係者という似付かわしくない間柄でありながら、3人は事件を通じて深い絆で結ばれ、時に組織の壁を越えて巨悪に立ち向かった戦友でもあった。

 思いもよらぬ形での再会に、桐生は驚きと共に少なくない喜びを感じる。同時に今、自分がいる場所についても検討を付け始めていた。

 

 

 

「それじゃあ、やっぱり ここは……」

 

神室署(かむろしょ)内にある留置所だ。ったく、もう堅気だってのに、また こんな所に ぶち込まれやがって」

 

「連絡を受けた時は、流石に驚きましたよ。まさか桐生さんがって」

 

「すぐに開けてやる。ちょっと、待ってろ」

 

 

 

 そう言い、伊達は持っていた鍵を使って鉄格子の解錠を行なうと、2人とも留置所内へと入って来る。

 

 

 

「……すまない、2人共。迷惑をかけた……」

 

「な~に、気にすんな。これ位、俺とお前の仲じゃねぇか」

 

 

 

 未だに事情は把握し切れていないものの、自分が2人に対して面倒事を押し付けてしまった事は疑いようもない。桐生はベッドに腰掛けたまま深々と頭を下げて謝罪する。それに対し伊達と谷村は些事に過ぎないとばかりに肩を竦めるだけである。実際には2人が言うほど簡単な話ではなかったはずだが、しつこく話す必要性がない事も桐生は理解し、そこで話を切り上げる。

 

 

 

「あぁ……ありがとう。だが……ところで、どうして俺は こんな所に……?」

 

「あれ? もしかして桐生さん……もしかして、前日の事(・・・・)は覚えてないんですか?」

 

「前日……?」

 

「……ちょっと、記憶が飛んでるみたいですね」

 

「らしいな」

 

 

 

 桐生の言葉と様子から、谷村も伊達も大体の事情を呑み込んだ素振りを見せる。

 

 

 

「おい桐生。今日は何日か解るか?」

 

「え?」

 

 

 

 伊達の問いに桐生は一瞬 呆気に取られた表情を見せるも、すぐに記憶を掘り起こしていく。だが、その時になって初めて後頭部の辺りから鈍痛を感じる事に桐生は気付いた。その為か、中々思うように思い出す事が出来ない。

 

 

 

「今日は2011年の11月7日。時間は、丁度9時を回ったところだ」

 

「7日……」

 

 

 

 つまり、谷村が言った“ 前日 ”とは、6日となる。11月6日 ―――――― この日に何があったか、桐生は精神を落ち着かせて記憶を探っていく。

 

 

 

「6日……日曜日……その日は……………」

 

 

 

 そして、それらのキーワードを基に脳内の検索を行なった結果、遂に桐生は核心へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

「―――――― っ!! そうだ……その日は、確か……!!」

 

 

 

 

 

――――――――― 東城会の本部で、冴島の若頭 襲名式に出席して

 

 

 

――――――――― 真島の兄さんに付き合い、神室町を散策し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――― そして        そして事件(・・)を目撃して ――――――

 

 

 

 

 

 顔を上げ、目を見開き、口を わずかに開く。桐生は、全てを思い出した。

 同時に、言葉では言い表せない激情が彼の全身全霊全神経を駆け巡る。それは、彼の体を弾くように動かした。

 

 

 

「伊達さん! あれから どうなったんだ!? もう事件は解決したのか!? 閉じ込められたっていう人達は、もう解放されたのか!?」

 

 

「おっ、おい…!? お、落ち着け……あたたたた!! 掴むな、掴むな!!」

 

 

「どうなんだ伊達さん! 教えてくれ!!」

 

 

 

 突然の出来事に呆気に取られる暇もなく、必死に宥めようとする伊達。

 しかし肝心の桐生は素人目から見ても、まるで聞く耳を持てるような様子ではなかった。それだけなら まだしも、無意識の内に伊達の肩を掴んでいる。大の大人を容易に投げ飛ばし、殴り飛ばす腕力が無慈悲に襲い掛かり、ミシミシと骨や筋肉に悲鳴を上げさせてしまっている有様である。警官として並の人間よりは鍛えられている伊達でも、これは堪らなかった。

 

 

 

「ちょっ、桐生さん?! 落ち着いて下さいよ、伊達さんの腕 握り潰すつもりですか!!」

 

 

 

 見かねた谷村が引き剥がしに かかる。後ろから羽交い絞めにし、それに合わせて伊達も拘束から逃れようとした。

 だが、桐生の膂力は並の それを遥かに凌ぐもの。有象無象の20や30を苦もなく蹴散らす谷村が動きを拘束しても、伊達は中々振り解く事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛たたたた……! ったく……相変わらずの馬鹿力だな、お前は……」

 

 

 

 結局、事が収まったのは数分が経ってからだった。

 完全に引き剥がすのに相当な労力を必要となってしまい、ようやく痛みから解放された伊達は未だ痛みが残る部分を(さす)りながら愚痴を こぼす。

 

 

 

「す……すまない………」

 

「はぁ……はぁ……ふぅっ。いえ、事情は理解してる(・・・・・・・・)つもりですから」

 

「っ……知ってるのか?」

 

 

 

 その口振りから、桐生が抱える事になってしまった事情(・・)を谷村は知っているらしい。谷村の代わりに、伊達が答える。

 

 

 

「真島の奴から聞いたんだ」

 

「真島の兄さんから?」

 

「あぁ。そもそも、何でお前 留置(こんな)所にいるのか、解ってるか?」

 

「いや………」

 

 

 

 6日の夕方 ―――――― 七福通り西での事件を目撃し、理緒奈から電話を貰ってから、桐生の記憶は途絶えていた。今でも、思い出そうとしても何も思い浮かぶ事がない。

 そんな様子を見た伊達が説明を続ける。

 

 

 

「お前が、世話をしてる女の子……理緒奈ちゃん、だったか? その子から電話を受け取った後、お前とんでもない事になったんだぞ」

 

「とんでもない……?」

 

「話を……“ 遥ちゃんが事件に巻き込まれた ”ってのを聞いたお前は、我を忘れて暴れ出したんだとよ」

 

「っ……!?」

 

 

 

 思いもよらぬ真相に、さすがの桐生も絶句せざるを得なかった。

 

 確かに言われてみれば、理緒奈から話を聞いた途端、まるでブレーカーが落ちたように“ 自分 ”というものが奈落へ落ちていくような感覚に陥ったのを覚えている。

 だが、まさか忘我するばかりか、理性すらも欠落させて暴走してしまっていたとは、すぐには信じたくなかった。だが、伊達が嘘を吐くとも思えないし、吐く理由もないからには、真実なのだろう。

 

 

 

「しかもタイミングの悪い事に、丁度その時に警察が部屋にやって来たんだ」

 

「警察が? でも、どうして」

 

 

 

 あの時は確か、真島に警察に連絡するように求め、彼が そうする前に事件を知り、そして理緒奈から電話を受け取ったはずだ。

 にもかかわらず、そんなタイミングで警察が来たという事には合点が行かなかった。

 その意味は、谷村が答えた。

 

 

 

「そいつらは、巡回パトロール中の奴等だったんですよ」

 

「巡回?」

 

「去年も……いや、その前から神室町って、何かと大きな事件に巻き込まれるじゃないですか。そんな時に限って、俺達 警察は碌な対策が出来てないって、街の人々から苦情が殺到してたんですよ。だから去年の事件 以降、街のパトロールを倍近くに増やしてたんです。で、たまたま事件現場の近くを巡回していた奴が、騒ぎを聞き付けて来たって訳です」

 

 

 

 確かに、その話には納得 出来る。

 過去 数回にわたって起きた いずれの事件でも、警察は後手後手となり、大した成果も挙げられないでいた。

 加えて、1年前に起きた事件の背景には、当時 警視庁の副総監だった男が深く関わってすらいた。

 メディアにも多く取り上げられた事もあり、警察の威信や名誉は大いに傷付いたであろう事は想像に難くない。

 そこまで考えたところで、伊達が説明を続けた。

 

 

 

「それで部屋に入って、中の惨状とお前達を発見する。無論、警察としては第1発見者であるお前と真島に、事情を聞こうとするよな?」

 

「………まさか」

 

 

 

 伊達の何とも言えない物言いに、桐生は嫌な予感がした。

 

 自分の今の状況。

 

 伊達と谷村が述べた自分が“ 暴れた ”という言葉。

 

 そして、そんな時に現れた警察官 ―――――― “ 最悪の図式 ”が出来上がるのには、充分過ぎる要素である。

 

 

 伊達は、溜息を溢しながら言った。

 

 

 

「その“ まさか ”だ……お前は よりにもよって、身柄を押さえようとする警察官に暴力を振るっちまったんだよ」

 

「っ…………」

 

「まぁ、我を失いながらも“ 早く沖縄に帰らなければ ”って思ってたんだろうよ。だから、それを阻もうとする人間を見境無しに力で捻じ伏せようとしたって訳だな」

 

 

 

 聞けば聞く程、聞くに堪えない話であった。

 我を失った事 自体もそうだが、そればかりか何の落ち度もない人間、それも警察の人間に暴力を振るってしまったという事実に、桐生は恥ずかしいやら情けないやら、そんな気持ちで溺れそうになった。

 彼等は単に、職務として自分に事情を聞こうとしていただけのはずだ。にもかかわらず、自分が仕出かした行為は、まさに理不尽そのものだっただろう。

 

 

 

「でだ、そんなお前を沈黙させた(・・・・・)のが、真島だ」

 

「真島の兄さんが……?」

 

 

 

 これまた、思いもよらぬ名前の登場だと思った。伊達は話を続ける。

 

 

 

「あぁ。完全に我を失って暴れるお前の後頭部に、こう…“ ガツーン!! ”って拳を入れて、無理矢理 黙らせたんだとよ」

 

 

 

 握り拳で殴る動作を見せて、起きた状況を伝える伊達。全力ならば、コンクリートさえ砕く真島の腕力である。加減はしただろうが、威力は相当なものだっただろう。頑丈さが自慢の桐生でも、気絶させる位は納得できる事だった。

 

 

 

「真島に感謝するんだな。そうでもしなきゃ、お前は確実に《 公務執行妨害 》で刑務所(ムショ) 行きだった。それからも色々と(・・・)口裏を合わさせて、単なる《 暴行罪 》って事で片が付いたんだからな」

 

 

 

 公務執行妨害の場合、ほぼ確実に実刑か罰金が言い渡されるが、暴行罪であれば実刑の他にも《 拘留 》という軽い刑罰で済む場合がある。今回の場合、それが適用されたのだろう。伊達の言葉から、その背景には真島や東城会の働きがあった事は、容易に想像できた。

 その時の事は覚えていないが、自分が暴力を振るったという事は、相当 強い力で相手に傷を負わせる危険性があった事に他ならない。もし、その力の当たり所が悪ければ、たとえ殺すところまではいかなくとも、《 傷害 》という事で確実に実刑は免れなかっただろう。

 

 

 

(いや……そんな、刑が どうとかの問題じゃないな………)

 

 

 

 桐生は堅気になってから、極道の時のような“ 理不尽な暴力 ”は決して揮うまいと心に誓っていた。

 ましてや、孤児となった子供を育てると同時に決意した時の事である。その誓いは現役の時の“ 鉄の掟 ”にも劣らぬ固さで、自分は持っていたつもりだった。

 だが、実際はどうであろう。電話越しで、遥が事件に巻き込まれた事を知って、それが命にも関わる事だと頭が理解した瞬間、恥も道理も忘れて獣のように暴れ、他人に迷惑をかけてしまった。

 大人として、子供を育てる1人の人間として、こんなにも情けない事はないという思いで一杯だった。まさに、痛恨の極みと言っても過言では無いだろう。

 

 

 

「桐生さん……気持ちは解りますけど、何でもかんでも理性で抑えられるもんじゃありません。結局のところ、桐生さんも一端の人間だったって事ですよ」

 

「谷村……」

 

「罰として、こうして留置所にも入れられて、桐生さん自身 充分に反省してます。それでチャラって事にしときましょう? いつまでもウジウジするなんて、桐生さんらしくもないですしね」

 

「……あぁ……そうだな」

 

 

 

 自己嫌悪に陥りかけていた桐生だが、谷村の励ましを受けて何とか持ち直す事が出来た。

 確かに、自分がしてしまった事は決して許されない事だが、何時までも引き摺り続けるのは裏で手助けをしてくれた多くの人間に対して失礼な事だと割り切る事とした。

 

 

 それに、自分には他に気に留めるべき事がある ―――――― そう考え、話の筋を切り替えた。

 

 

 

留置所(ここ)にいた経緯は解った。後は、《 事件 》についてだ。あれから一夜 明けた訳だが……何か、進展はあったのか?」

 

「進展……ですか……」

 

 

 

 そう尋ねられた谷村は、何とも言えない表情を浮かべ、伊達と顔を見合わせた。“ 言うべきか、言わざるべきか ” ―――――― そんな葛藤が見えてきそうな顔である。

 桐生とて、そこまで鈍感ではない。そんな2人の表情を見れば、決して楽観できる現状ではない事は容易に解った。

 

 

 

「やっぱり……何も進展は無いのか……」

 

 

 

 半ば確信をもって呟くと、2人は苦い表情を浮かべ、小さく頷いた。

 正式な手続きも踏まずに捜査情報を一般人 ―――――― それも、極道から足を洗った人間に喋る事は本来 違反行為だが、伊達も谷村も気にせず話を始めた。

 

 

 

「事件 ―――――― 現在では《 SAO事件 》と名付けられた それだが……起きてから半日以上 経ったが今のところ、何1つとして解決に結び付く事には至っていない」

 

「“ 何1つ ”……か」

 

「えぇ……ソードアート・オンラインの経営・開発元であるアーガスを始め、ありとあらゆるサイバー関係の所が救出を試みようとしていますが、まるで手が出せないのが現状です」

 

「首謀者と見られる、アーガスのゲームデザイナー・茅場 晶彦の行方も、警察が総力を挙げて捜索してるが、まるで足取りが掴めねぇ。携帯やパソコン、監視カメラ、あらゆる観点から洗ってるが、全く尻尾を見せやがらねぇんだ……」

 

 

 

 現状は、桐生が想像していたよりもずっと悪いもののようだった。

 茅場 晶彦という人間が何者なのかは桐生は知らないが、おそらく全国の警察関係が捜査の手を広げている中、全く追い付けないのを聞く限り、かなりのやり手である事は容易に想像が付いた。

 

 

 

「更に最悪なのは、発生から今までの間にも、どんどん犠牲者が出続けているって事ですよ」

 

「っ……まだ出続けているのか…!?」

 

 

 

 桐生と真島が見たニュースの中では、200人を超えていると発表されていた。

 あれから半日が経っても、未だに犠牲が手続けているという事実に、驚きを隠し切れなかった。

 

 

 

「あぁ……さっきも携帯や車のラジオで聞いてたが、その時点でもう400人近くが死んだって話だ」

 

「何故だ、ナーヴギアを外そうとしなければ、害はないんじゃないのか!?」

 

「……被害者の脳が殺られる条件は、それだけじゃねぇんだよ」

 

「何……っ…?」

 

「事件が大きく報道される前、アーガスやマスコミ関係に茅場名義のメールが送られてきたそうだ。それによると、ナーヴギアを外そうとする以外にも、複数の条件で脳が焼かれる仕掛けになってるらしいんだ。その中の1つが、『 ゲーム内で体力を失い、“ 死の判定 ”を受ける事 』だそうだ」

 

「じゃあ、その犠牲者達は……」

 

「……十中八九、中で戦って、あえなく返り討ちって事だろうよ……くそっ! 異常にも程があるぜ!!」

 

 

 

 抑え切れない口惜しさと嫌悪感で、伊達は吐き捨てるように言った。谷村も、言葉には出さないが、その悲痛に歪む顔には、言い表せぬものがあった。

 伊達も谷村も、桐生の知る限り、現在の警察には珍しい極めて強い正義感を持つ警官である。そして、2人が所属するのは、主に殺人事件を担当する捜査一課。誰よりも人の死に向き合い、そして理不尽に奪われる事に誰よりも悲しみと憤りを覚える2人が、何百人と命が奪われる現実を突き付けられている。これ以上に、首謀者に対する怒りと、何も出来ない無力感に苛まれる事はないに違いない。

 

 

 

「伊達さん………」

 

「……すまねぇ。お前の方が、何より辛いはずなのにな……」

 

「気にしないでくれ……」

 

 

 

 確かに辛い立場にあるのは事実だが、それでも友が悲しむ姿を見るのは非常に心が痛む事だ。

 自分は被害者家族だからと無関係を決め込む事など、到底できる訳がない。あくまでも気丈に振る舞おうとする桐生を見て、伊達も心を落ち着けた様子だ。

 

 

 

「解っているのは、現時点でただ1つ ――――― 『 ゲームをクリアする 』 ―――――― これが、被害者達を解放する事が出来る、唯一の方法らしいという事だけだ」

 

「……そうか………」

 

 

 

 詳細を知らない桐生には漠然としか解らないが、これだけの大騒ぎに発展している以上、生半可な事では成し得ない事なのは確かだろう。事実、それを成そうとして犠牲者が出続けているのが何よりの証拠である。

 力なく呟く桐生の表情には、何も出来ない自分に対する失望があった。

 

 

 ともあれ、事件が一向に解決に向かわないと解った以上、ここでじっとしている訳にもいかない。そう考えた桐生は、ベッドから立ち上がる。

 

 

 

「……ともかく、俺も いつまでもこんな所にいる訳にはいかない。早く沖縄に帰らないと。伊達さん、出口まで案内を頼む」

 

「あぁ、桐生……その事なんだがな……」

 

「? どうしたんだ」

 

 

 

 てっきり、すぐに帰してくれるのだと思っていたが、何故か伊達は引き留めた。おまけに、何か言い辛そうに口を噤み出した為、桐生も彼の行動の意味が理解できずにいた。

 その意味を答えたのは、谷村だった。

 

 

 

「……残念ですが、桐生さん。今は、沖縄に帰る事は出来ませんよ」

 

「っ!? どうして……!」

 

 

 

 谷村から告げられた言葉は、まさに驚天動地にも等しい衝撃を与えた。話が違うとばかりに、桐生は感情を昂らせながら2人に詰め寄る。

 並の人間なら足が竦むだろう気迫にも2人は動じる事なく、落ち着いてと手で制し冷静な口調で答えた。

 

 

 

「桐生さん。今回の事件は、戦後のどの事件を見ても、古今 例を見ない大事件です」

 

「あぁ、言われなくても解る」

 

「警察のみならず、内閣でも今回の事は、かなり重く受け止めざるを得ない事態へと悪化してきています。そして、これ以上の悪化を少しでも食い止める為に、遂に内閣は2時間前 ―――――― 《 非常事態宣言 》を発令しました」

 

 

 

 桐生も、極道と不動産に身を置いた人間として、法律の事は多少は(かじ)っている。谷村が口にした名前の法律も無論 知っていた。

 

 

 《 非常事態宣言 》 ――――――――― それは、主に国家の運営に危機が訪れた際に発令される、緊急事態用の特別法の事である。

 措置としては、警察や軍隊といった国家公務員の動員、公共財の徴発、最高責任者(日本では主に総理大臣)による政令の発令や検問、令状を必要としない逮捕・家宅捜査など、基本的な法律の枠を超えた行動を許可する事などがある。

 アメリカなどの海外では比較的 よく聞く名だが、日本では余り馴染みのない名である。

 これは、元々《 日本国憲法 》には非常事態宣言を発令を規定する法律がなく、それどころか戦後も戦前も1度たりとも非常事態宣言が発令された事はないからである。

 過去に「地方で発令された」という事例は存在するが、それは あくまでも地元住民に注意喚起を促す程度のものでしかなく、海外のような強制力を伴う特別法とは異なるのだ。

 元々憲法で「二度と戦争はしない」と誓っているだけあり、日本の平和さは ――― 実際はどうあれ ――― 世界でもトップクラスであり、テロさえも全くと言って良い程 に起こらない この国では、そんな法とは無縁と言って良かった。

 

 だからこそ谷村が言った言葉がどれ程の意味を伴っているのか、いやでも解る。

 過去に どれだけの暴動や災害、疫病の蔓延が起こっても日本で発令された事のない宣言が、今回は成されたのである。

 それだけ、この《 SAO事件 》は政府も重く見ている何よりの証左と言えた。

 

 

 

「……まさか……っ」

 

 

 

 桐生は察する。

 非常事態宣言は、平時では成し得ない強制力を発動させるもの。そして、それによって沖縄に帰る事は叶わない ―――――― 導き出される答えは、1つである。

 

 

 

「えぇ……現在、国道、高速、バス、電車 ―――――― ありとあらゆる交通機関に、多数の検問や制限が設けられています」

 

「“ ありとあらゆる ”、と言う事は……」

 

「無論 ―――――― 海路も、空路(・・)も、例外ではありません。特にこの2つは、運航自体が停止している(・・・・・・・・・・・)んです」

 

 

 

 予想は的中した。

 

 谷村は、更に以下のように説明した。

 

 

 

「政府としても、苦肉の策だったでしょう。アーガスやマスコミが事の重大さを知る頃には犠牲者も多数 出た後で、首謀者の茅場も姿を消した後でした。警察上層部や政府が協議をした結果、せめて国外逃亡はさせまいと、思い切った交通規制に乗り出したんでしょうね。」

 

「随分と、大胆な策に出たな」

 

「そうだな。正直、俺もここまでするとは夢にも思わなかったぜ」

 

 

 

 日本という国は、技術も民族性も世界に誇れると言って良いが、こと法律や政治、事件というものに関しては、やや時代遅れで頭が固いという印象を持たれがちだ。桐生や伊達らとて、そこは例外ではない。

 それが、まるで漫画や映画に出てきそうな思い切った方針を打ち出した事に、驚く以上に感心すらしていた。

 

 

 

「ともかくだ。このままじゃ、お前は沖縄には帰れん。しばらく、神室町で様子を見た方が良いぞ」

 

「……それしかないのか……」

 

「航空や海の規制も、警備体制が整いさえすれば程なく解除されるでしょう。さすがに、いつまでも封鎖したままじゃ、色々と支障が生じてきますからね。それまでの辛抱です」

 

「…………」

 

 

 

 正直、桐生は納得し切れていないし、急ぐ気持ちは微塵もなくなくなってはいない。一刻も早くアサガオへ帰り、子供達を落ち着かせ、宥め、そして遥の介護をしなければならないと、焦りばかりが込み上げるのが現状である。

 だが今ここで駄々を捏ねたところで、どうにもならないと理解しているのも事実だ。

 

 

 

 だからこそ桐生は、ただ友の言葉に従う他なかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 神室町 天下一通(てんかいちどお)り  クラブ・ニューセレナ 】

 

 

 

 

 

 神室署から出た桐生は、伊達に車で送られて街へと帰って来た。

 そして、当分の宿として案内されたのは、やはりと言うべきか、桐生も よく知る“ 店 ”だった。

 

 神室町 南西部に位置する、独特の赤と白のネオンの看板が特徴の天下一通り。

 

 多くの飲食店等が軒を連ねる中の一角に《 クラブ・ニューセレナ 》がある。

 

 伊達は、このクラブのママと懇意(・・)にしており、桐生も彼女とは面識があった。過去にも色々あり、その際アジト代わりに一室を利用させて貰っていた事もある。今回も、その(よしみ)を通じてお世話になろうという事であった。

 

 

 

「すまんが、ママ。また、この店を使わせてくれ」

 

「勿論、良いわよ。他でもない、桐生さんの為だもの」

 

 

 

 無論と言うべきか ―――――― ママは悩む事もなく、快く了承してくれた。

 

 

 

 

 

 それから、しばらく経った正午前。

 

 

 店の中には、桐生1人だけがいた。

 伊達と谷村は桐生を送り終えた後すぐに仕事に戻り、ママは用事があるなどで現在 店を出ており、桐生は店番を買って出て1人 留守番である。

 

 

 1人になった後、桐生は携帯を取り出し電話をかけた。かけた先は、無論アサガオである。

 出たのは子供達では無く、《 琉道一家 》の若衆・新垣 幹夫であった。

 桐生は先に今まで連絡できなかった事情を話し、詫びると、向こう側(沖縄)の現状を尋ねた。

 幹夫は、アサガオの様子を出来る限り事細かに話してくれた。

 

 

 

 やはりと言うべきか ―――――― 子供達は皆、酷く落ち込んでいるとの事だった。

 

 無理もない。家族であり、最も頼れる姉、誰もが愛する遥が、何の前触れもなく理不尽に意識を攫われてしまったのだから。誰もが、受け入れ難い現実に心を苛まれ、悲しみに包まれているらしい。

 

 特に、理緒奈の落ち込み様は目に見えて酷いものとの事だった。

 さもありなん。遥がSAOをプレイする事になった背景には、彼女の事情と行動が密接に関わっているのだ。自責の念に囚われ、狂いそうになったとしても無理からぬ事だった。

 今も、幹夫や名嘉原、名嘉原の義娘の(さき)らが常に傍にいて、落ち着かせているとの事だった。

 

 その後、子供達にも代わって貰い、各々の悲痛な叫びを桐生は刻み込むように聞いた。同時に、止むを得ない事情があるとはいえ、肝心な時に傍にいてやれない事を心から詫びた。

 みな涙を流しながらも、気丈に振る舞い、「気にしないで」と、桐生を元気付けた。

 

 

 

 だが ―――――― 理緒奈だけは結局 出る事はなく、その電話は切られる事となった。

 

 

 

 

 

 桐生は今、カウンターで酒を口にしている。まだ昼前であるが、事情が事情だけにまるで落ち着けないのだ。普段は疲れた人の心を癒してくれる落ち着いた店の雰囲気も、今回ばかりは今までのように効果を発揮してくれそうになかった。

 現在 口にしている酒は、ママが出掛ける前に桐生の気持ちを察してご馳走してくれた一品である。さすが、街の人間に愛される店の品だけあり、その風味も一級品であった。

 

 だが、やはりそれだけだった。

 桐生とて酒を嗜む一端の大人である。普段 溜め込んでいる疲れやストレスならば、こうして酒を少量 飲めば大方は晴らす事が出来る。

 

 それでも ―――――― 桐生の心の(もや)を晴らすには至らないのだ。

 

 桐生は溜息を漏らす。精神的な疲れもあるが、知り合いに気を遣わせてしまった上に、厚意を受けても それで気持ちを晴らせない自分が不甲斐なく感じ、それで軽い自己嫌悪に陥ったが故でもあった。

 

 少しでも気分を変えようと、傍にあったテレビのリモコンを取り、壁に設置されているテレビの電源を入れた。点くと、丁度ニュースが始まろうという時だった。

 

 

 

『  ただいま入ったニュースです。

 

 世間を震撼させている《 SAO事件 》。先程、新たに2名の死亡が確認された模様です。被害者は、東京都と静岡県の共に10代の学生で、やはりナーヴギアによって脳を焼かれ、命を落としたとの事です。

 これにより、今回の事件の犠牲者は、415名となりました。世界的に見ても類を見ない残忍なこの事件は、警察関係 及び、対テロチームが現在も懸命な捜査を行っているものの、未だに解決の糸口は見付からない模様です  』

 

 

 

 臨時ニュースのようだった。

 生中継だろう。画面の左端に『 LIVE 』と表記され、若い女性アナウンサーが現場らしいマンションの前で放送を行なっていた。

 他にも様々なチャンネルに換えるも、どこの局もSAO事件に関するニュースばかりで構成されていた。日本を脅かしている事件が起きている最中なのだから、当然と言えば当然と言えた。

 

 そんな中、桐生は とあるチャンネルのニュースに目を留めた。

 そのニュースも、他局と同様に被害の状況や首謀者・茅場 晶彦に関する内容のものだった。他にも、既にアーガスが全てのナーヴギアの回収を行なっているといった話もあった。

 だが、桐生が気になったのはとある“ (ひょう) ”であった。

 それはSAO事件の被害に遭った約1万人という数の内訳を、都道府県 別に表記したものだった。首都である東京が約半数の4000人超であったり、被害者が関東に集中していると書かれている中、とある県(・・・・)の所に目が行った。

 

 

 

 

 

  / 沖縄県 / / 1 /

 

 

 

 

 

 それを見た瞬間 ―――――― 桐生は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 

 これが表しているのは、他でもない。

 

 地元でも有名だったのだ ―――――― アサガオは沖縄で唯一(・・)ナーヴギアを持っていると。

 

 

 

(遥………っ)

 

 

 

 無意識に拳に力が入る。手に持ったリモコンを今にも握り潰しかねない程だ。酷く動揺し心が乱れている様を、ありありと表していた。

 この数字はあくまで、囚われの身になった“ 被害者 ”であり、決して“ 犠牲者 ”では無い。それは解っていても、桐生にとっては何よりも苦痛である事に変わりはなかった。

 しばし その数字を見詰め、大きな溜息を吐くと、静かにテレビの電源を切った。

 

 

 

(……ここで じっとしていても、逆に疲れるだけだな。ちょっと、外の空気でも吸うか………)

 

 

 

 店番を頼まれはしたが、同時に出掛けても良いとも言われていた。この時間は開店時間外であるし、戸締りさえすれば問題はない。

 

 

 そう考えた桐生は、残っていた酒も一気に飲み乾して準備を整えた後、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニューセレナを出た桐生は、特に意味もなく空を見上げる。

 

 この日は やや曇り空で、昼間であるが昨日に比べて やや風が冷たく感じる天気だった。やや物寂しく感じる空の色合いが、昼の歓楽街の印象に影響を与えているようにも思えてくる。

 人の通りも、やけに少なく感じられる。考えてみれば、今日は月曜日であり、平日である。

 いくら全国でテロに近い事件が起こったと言っても、直接的に影響を受けない者は通常通りの日常を過ごしていても何ら不思議ではない。もっとも、それでも人通りはそれなりの多さではあったが。

 

 

 

(……適当に、ぶらつくか)

 

 

 

 出てみたものの、特に当てなどは考えていない。

 とりあえず、もう少し北の方へ行ってみようかと足を進める事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 程なく、コンビニ・《 ポッポ 天下一通り店 》の前まで来た。

 

 ここは神室町に来た際には、いつも桐生も利用している。お菓子から酒、栄養ドリンクに雑貨類まで、幅広く扱っており、便利だからだ。

 外から見ていると、中から1人の若い男性客が出て来た。その手には、店で買った肉まんが握られていた。白くフワフワしたような質感が何とも美味しそうに思えた。

 

 

 

 

 

――――――――― おじさん、あれ買って欲しい!

 

 

 

 

 

 不意に、桐生の脳裏に遥の言葉が浮かんできた。

 

 桐生は思い出す。細かい時期は覚えていないが、まだ遥が幼かった頃、店を通り掛かった際に、おねだりされた記憶があった。そして、悩む間もなく買ってあげた記憶も。

 

 

 

(思えば……昔から俺は、遥には甘かったような気がするな……)

 

 

 

 桐生にとって、遥は自分の“ 命の一部 ”と言っても過言ではない存在だ。

 

 

 6年前の《 100億の事件 》で彼は、自分の“ 家族 ”とも言うべき存在を立て続けに失った。

 回避しようと思えば、もしかしたら叶えられたかもしれなかった。そう考えただけで、桐生の心は中から裂かれるような痛みに襲われる事も未だにある。子供を育てる手前、決してそんな弱さは見せてこなかったが、後悔の念は消そうにも消せるものではなかった。

 遥は、そんな家族の中でも、桐生が子供の頃から愛した女性 ――――――澤村(さわむら) 由美(ゆみ)が残した娘である。

 彼女に重ね合わせてる訳ではないが、多く子供達を育てる中、やはり誰よりも愛情を注ぎ、甘さが目立ってしまうのは、人として仕方のない事であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから桐生は、北の劇場前通(げきじょうまえどお)り 》の方へと足を進めた。

 そこには、牛丼店やアイスクリーム屋、ゲームセンターなどが目に入る。そういった店舗もまた、遥と共に入り、共に時間を過ごした場所であった。

 

 

 そんな中、桐生はふと気付いた

 

 

―――――― この神室町には、遥と行かなかった店はほとんど存在しないと。

 

 

 初めて出逢った時から、いつも桐生と遥は大きな事件に遭遇してきた。そして そんな中でも、遥は常に桐生の傍にいて、時に叱り、時に泣き付き、時に励まし、彼の心の支えとなり続けてきた。

 

 

 

(だが、その遥は今……ゲームの中に……)

 

 

 

 これまでも、遥 自身を狙ったり、桐生を殺す目的で攫われる事は何度も遭った。そして その都度、桐生はその類 稀な喧嘩の腕をもって敵を捻じ伏せ、遥を救出してきた。

 

 だが、今回ばかりは勝手が違う。

 遥の体 自体は、我が家(アサガオ)にある。だが、肝心の精神(こころ)と呼ぶべきものが、ゲームの世界に閉じ込められてしまっている。今までのような、拳を振るうだけの力技では、どうにもならないのだ。こうなると、完全にコンピューターの分野の領域になる。

 だが生憎と それは、桐生には まるで手が出せない分野であった。

 

 

 

(……ん? まてよ……“ コンピューター ”?)

 

 

 

 その時 不意に、桐生は何かを手応えを感じるような、何か引っかかるような感覚を覚えた。

 

 

 

(“ ゲーム ”……“ バーチャル ”…………っ!)

 

 

 

 熟考を重ね、そして今 自分が経っている場所を見て、遂に核心へと迫った。

 ふと桐生は、東側にある《 神室劇場 》の、とある一角に視線を向けた。そこには、地下へと続く道がある。

 

 そして、そこには桐生も知る“ とある人物 ”がいた事を思い出した。

 

 

 

(“ あいつ ”なら、もしかしたら何か良い情報が得られるかもしれない……!)

 

 

 

 楽観的な考えかもしれない ―――――― そう思いつつも、自分1人ではどうにもならない現状の中、桐生は藁にも縋る思いで、その場所(・・・・)へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 カム劇 地下街  地下1階 】

 

 

 

 

 

 ここは、かつて様々な飲食店などが軒を連ね、地上にも劣らない賑わいを見せていた場所だった。

 だが、時代と共に地上の劇場の経営が低下してくると、それに伴って地下街の業績も悪化。それにより、数年前に ここは閉鎖されるに至ってしまった。

 現在、店は一軒も残っていないが取り壊しも ほとんど行われておらず、住もうと思えば住めるような環境ではある。その為、一時期はギャングや小規模なヤクザのアジトだったりもした。

 そして今となっては、神室町の1つの“ 顔 ”ともなっているホームレス達の寝床となっていた。

 

 

 そして、そんな地下街の一角に、桐生も よく知る“ 科学者 ”が拠点を作っていた。

 

 

 

「やっぱり、ここにいたか ―――――― 『 南田 』」

 

「おや……? 随分と懐かしい顔が見えたな。久しぶりだな、桐生くん」

 

「あぁ、あんたも元気そうだな」

 

 

 

 桐生が入った その部屋には、白衣を着た白髪の老人がいた。

 頭にゴーグルを掛けたその風貌は、一目で“ 機械を弄るのを趣味とする人間 ”と解るようなものだった。その子供っぽくもある目は、出会った2年前から全く変わっていない。

 そして部屋の奥にある、人が1人すっぽり入る位の“ マシン ”もそのままである。

 

 

 

「また、この街に来ていたんだな。クックックック……今回は、一体どんな事件に巻き込まれたんだい? 私が知る限り、東城会には何も事件を感じる事は無いはずだが」

 

 

 

 人を揶揄うような口調で彼 ―――――― 《 ドクター南田(みなみだ)は尋ねた。

 

 2年前に2人が初めて出会った時、桐生は奇しくも東城会の跡目を巡る抗争の只中にいた。そして、1年前の“ 大事件 ”の際にも、桐生や共に戦った仲間達も南田と関わりを持っていた。故に、桐生が神室町に来るという事は、東城会の方で何か また起こったのだと考えたのだ。

 その言葉を聞いて、自分が半ば“ 天災 扱い ”されている事に苦笑しつつも首を横に振る。

 

 

 

「いや、今回は東城会の事でいる訳じゃない」

 

「ふむ? 君の古巣では無いとすれば、一体 何かね?」

 

「……SAO事件。あんたも知っているだろう?」

 

「っ!!……無論、知っているとも。むしろ、これ程の大事件、知らない人間の方が少ないだろう……」

 

 

 

 事件の通称を聞き、南田の表情に“ 忌々しい ”とも言えるものが浮かび上がる。彼を知る人間からすれば、珍しい表情と言える。だが、彼も科学の事となると少しばかり常識外れな言動を取る事もあるが、根は れっきとした真人間である。そんな彼が、機械で大量殺人を犯しているという事件に嫌悪感を抱かないはずがなかった。

 

 そして、その優れた頭脳で南田は察する。

 単に交通規制で足止めを喰らっているだけと言うなら、わざわざ自分の所に足を運ぶ理由がない。

 

 それでも、桐生が来た意味は ――――――

 

 

 

「……知り合いに、事件に巻き込まれた者がいるのか?」

 

「………あぁ。俺の、大切な家族だ」

 

「やはりな……それで、私なら何か活路が見出せるのではないかと考え、足を運んだ。そんなところだろう?」

 

「そこまで解ってるんなら、話は早い。どうだ、あんたの力で どうにか出来ないか?」

 

 

 

 助力を懇願された南田は、しばし沈黙する。

 

 

 

 

 

「……すまん。私では、手に負えん」

 

 

 

 そして、僅かに俯き、小さく呟くように言った。

 

 

 その返答を聞いて、桐生は少なからず消沈した。

 しかし冷静に考えれば、全国の有識者たちが死力を尽くしても、全く解決の糸口が掴めないと言われている中で、南田1人で どうにかなると思う方が甘い考えだと誰もが言うだろう。

 それでも、桐生が知る限り最も科学に対し造詣が深いだろう彼が、唯一の望みと言って良かったのだ。だから納得はしつつも、項垂れる事は禁じ得なかった。

 

 

 

「あんたでも、無理なのか……」

 

「私の力を買ってくれるのは有り難いがね……正直、まるで手に負えないのが現状だよ」

 

「試したのか……?」

 

「あぁ。もっとも……私としては、そうなる前にどうにかしたかったがね(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「? どういう意味だ?」

 

 

 

 南田が口にした言葉を、桐生はすぐには理解できなかった。意味を問うても、南田はバツの悪そうな眼をして、そして逸らすばかり。

 その代わりと言わんばかりに、南田は話を始めた。

 

 

 

「……桐生くん。私が、VR(バーチャルリアリティ)のゲームを世に出そうと、研究を続けていたのは知っているな?」

 

「あぁ。俺も、《 IF7 》には随分と世話になったからな」

 

 

 

 IF7 ―――――― 正式名称を《 インナーファイター7 》は、南田が開発したバーチャルリアリティ・ゲームの事である。

 ナーヴギアが世に出る前から存在していた物だが、ゲームとしては“ 脳に強い印象を残す位、激しい戦いを繰り広げた者にしか満足に機能しない ”という致命的な欠陥がある事から、一般大衆には全く向かず、南田は長らく研究と改良を続けていた代物でもある。

 

 

 

「私も1年前までは、どうにかIFを世に出そうと躍起になっていた。せっかく君や谷村君といったご贔屓様も出来たのだ、最後までやり遂げようと思ってな。

 ……だが、1年前の事件から およそ半年後。アーガスから1つのゲーム機が世に出た」

 

「《 ポテンシャルケース 》か」

 

「流石に知っていたか」

 

「一時期、ニュースでも引っ張りだこだったからな」

 

 

 

 《 ポテンシャルケース 》 ―――――― ナーヴギアの1世代前のNERDLES(ニードレス)ハードである。

 

 ニードレスとは、正式に呼称すると《 NERve Direct Linkage Environment System 》 ―――――― 直接 神経 結合 環境システムの略であり、世に出ているバーチャルリアリティ技術の根幹を成す技術である。

 そしてポテンシャルケースとは、その技術の先駆けとして世に出た史上では初となる機械である。

 現在のナーヴギアとは異なり、映画に出て来るような冷凍カプセルのような形状をしていた。その中にプレイヤーは入り、中の装置が脳に働きかけるという仕様である。

 潜在性を秘めた箱(ポテンシャルケース)の名の通り、遠くない将来ゲームの歴史を根底から覆してしまう程の可能性を秘めているとして命名されたものだ。

 その期待に応えるように、都内や極一部の地域にのみ設置され、1回のプレイ料金も2~3000円という高額ゲームだったにもかかわらず、連日 熱狂的なゲーマーの長蛇の列を作るに至り、凄まじい結果を残した。

 家庭用のナーヴギアが発売されてからも、ゲーマーの強い こだわりにより、その人気ぶりは衰えていない。

 

 

 

「あれが世に出て、瞬く間にゲーム業界を席巻した時……正直 私は、強い敗北感に見舞われたよ。聞けばあの技術は、東都工業大学(とうとこうぎょうだいがく)という大学にいる、とある研究チームの1人(・・・・・・・・)が開発したそうだ。当時、若干20そこそこの若者がだよ?」

 

「それが……茅場 晶彦か?」

 

「あぁ。それを知り合いの伝手(つて)で聞いた時、私は何とも言えない気持ちになった。私も、一度は世を熱狂させたゲームを世に出した1人のゲームクリエイターだ。何年もかけて何とか形にしようと努力してきたが、結局は若さにも、才能にも負けてしまった……」

 

「南田……」

 

 

 

 1年の間に感じてきた心情を吐露する南田の表情は、普段の不敵なものとはまるで違った。

 自分の持てる“ 自信 ”というものをことごとく打ち負かされたような、そんな影を纏う表情。桐生も、数ある人生経験の中で数え切れないほど見てきた顔であった。

 

 南田はかつて、ゲームセンターにおける対戦ゲームの看板と言える《 YF6 》というゲームを作った人物だ。彼が普段から見せる自信に溢れた言動も、一度はゲーム業界を席巻した身であったからこそのものである。

 それ故に、自分の夢が半ばにして挫折の憂き目に遭った事に、これ以上ない位に落ち込んでいるのだ。

 

 また、桐生は知っている。

 南田が心血を注いで大衆化を目指していたIFは、元々はゲーム目的で作られたものではないと。

 IFは元々、桐生に強い恨みを持つ暗殺者・亜門(あもん)という輩が南田を利用して作り出させたもの。その真の利用法は“ これまで自分が命を懸けて戦ってきた相手と脳内で戦い、それを破る事で相手の能力を我が物とする ”という恐ろしいものだった。

 その際は、桐生は首尾良く亜門を返り討ちにし、南田も命を救われた。

 

 だからこそ、南田は決心していた。人の命を脅かすような機械を作ってしまった贖罪として、必ずIFを純粋なゲームとして昇華させてみせると。

 

 だが、それは結局 叶えられる事は無く、初のVRゲームという誉は自分の半分も生きていない若者に取られる事となってしまったのだ。

 

 桐生も、彼に対し何を言えば良いのか言葉が見付からない。

 

 

 南田の語りは続く。

 

 

 

「敗北感の余り憂鬱になった私は、しばらく研究もほったらかして海外に行っていた。開発費の為にと置いておいた金も崩して、ハワイでブルーなバカンスと洒落込んだよ。まぁ、私も現金なものでな、現地の美人達に慰められて割とすぐに元気を取り戻したよ。一番乗りこそ果たせなかったが、ならば それを上回るゲームを作って見せよう、とな。そして私は日本へ帰った後、しばらく古い付き合いの元を転々とし、資金集めに勤しんだ。

 そして、ようやく開発も始められようかという時の、今年の2月の事だ……“ あの事 ”を知ったのは」

 

「あの事……?」

 

「ナーヴギアだよ。丁度その頃 開かれたゲーム関連のイベントで、ナーヴギアの発表がなされた。それを聞いた時、私は驚きを通り越して呆れてしまったよ。私ですら、2年 以上かけても商品化もままならなかったのに、茅場は第1世代(ポテンシャルケース)を発表して半年も経たない内に、もう家庭用の第2世代(ナーヴギア)を完成させようとしていたんだ。今度という今度は、“ 生まれ持った才能の差 ”というものを自覚した……」

 

 

 

 南田の表情は、果てなき山や海を見て黄昏るかのようだった。自分では どうしようもない対象を目の当たりにして、ただ圧倒しかない状況のようである。

 

 

 

「だが、私も根っからの科学者でね。悔しい反面、彼が作った物が どういったものか、とても興味を そそられたのだよ。偶然にも、アーガス社内に かつて私と同僚だった奴がいてな。その者を頼りに、茅場と会う事が出来た」

 

「っ! 会ったのか、茅場に」

 

「あぁ。彼はメディアを毛嫌いしていると聞いたから、正直 面会が叶うとは思わなかったよ。……今でも、初めて会った時の事は はっきりと覚えている」

 

 

 

 南田は、その時の事を回想した。

 

 

 東京にあるアーガス本社の研究室 ―――――― その一室で、南田とその友人、そして研究室のトップである茅場 晶彦が対面した。

 

 南田は、写真でしか見た事の無い若き天才を前にして、思わず目を見張った。

 

 一見すると、年相応にも見える若く、線の細い体格と顔立ち。

 

 だが、そんな優しそうな線の中で一際 存在感を放っていたのが、その“ 眼 ”だった。

 

 南田とて、長年 生きてきた年の功というものがある。だが、そんなものなどまるで役に立ちそうにないと思う程、怜悧で冷たく ―――――― とても“ 鋭そうな ”眼をしていた。

 

 

 

「……奴の目を見た時、まるで“ (つるぎ)のようだ ”と思ったよ」

 

「剣?」

 

「そう……およそ人のものとは思えない、澄んだ瞳。だが、その輝きに引き込まれ過ぎたら、まるで自分は斬り裂かれてしまうような、そんな錯覚を覚えるような鋭さを秘めた眼だった……正直、冷や汗が流れても おかしくない感覚だったよ」

 

「………」

 

「話を戻そうか。初めて会った時そんな第一印象を抱いたものの、いざ話をしてみれば、極めて優秀な科学者である事が はっきりと解る男だった。少し話せば、私も最初の恐れは どこへやら、時間も友人も忘れて科学の話に没頭したよ。その時の時間は、純粋に楽しく思えたさ。

 そして話も(たけなわ)、私は思い切ってある“ お願い ”をしてみた」

 

「お願い?」

 

「ナーヴギアの設計図を、見せてくれないか…とな」

 

「ナーヴギアの設計図……」

 

 

 

 桐生は、少なからず驚いた。その時はナーヴギアは発表されたばかりで、アーガスでも企業秘密 対象だったはずだ。それを少しばかり仲良くなったとはいえ、いきなり見せてくれと頼むとは、と。

 南田が少々常識外れのところがあるのは知っていたが、それを再認識した形である。

 南田は不敵な笑みを浮かべ、桐生の内心を解っているように言った。

 

 

 

「クック、無論 断られたさ。さすがに企業秘密だ、流れ学者とはいえ、部外者である人間に見せられる訳がないからな。だが私の大胆さに、どうも彼は興味を そそられたらしい。設計図は無理だが、実物を見せてくれる運びになった」

 

「実物をか?」

 

「あぁ。我ながら、言ってみるもんだと思ったね。それから別室へ案内され、そこに保管されていたナーヴギアの試作機を拝見させて貰った。じっくりと見てみると、その素晴らしい出来栄えに私は感動すら覚えた。その性能も形状も、ゲーマーがプレイし易いように どこまでも最適化され尽くした代物だった。まさしく、世紀の大発明だと、太鼓判を押さずにはいられなかった。

 だが、今にして思えば………その時に気付くべきだった」

 

「気付く? 何を……」

 

「今し方、最適化され尽くしたと述べたが、本当は ただ1つだけ、どうにも腑に落ちない点があったんだ」

 

「腑に落ちない?」

 

「バッテリーだよ。ナーヴギアに内蔵されているバッテリーセルは、ただのゲーム機にしては大き過ぎると思ったんだ。ナーヴギアの重さはおよそ1,5kg、それの約3割がバッテリーで占められている。これは満タンまで充電すれば、優に数日は()つ容量だ。さすがに、家庭用の1ゲーム機にしては、少々 大容量 過ぎるのではないか、とね。

だが、茅場は言った……「より多く、より長い時間バーチャルを楽しんで欲しいが故だ」……と。

 その時は、私も さほど おかしいとは思わなかった。これまでになかったゲームだ、より熱狂的なゲーマーなら、逐一 充電する時間も惜しいのだな、とあっさり納得したものだ。

 だが……それが、私にとって致命的なミスだった……」

 

「まさか……っ」

 

 

 

 桐生は察した。

 今まで、ナーヴギアによって“ 脳が焼かれる ”とだけ聞いてきた。

 だが、どういった仕組みによってそうなるのか、まるで解らなかった。

 

 それが、今までの話の中で、そのヒントが隠されているとしたら。

 

 

 

「そうだ……そのバッテリーに蓄積される大量の電気 ―――――― それこそ、これまで400名 以上のプレイヤーを死に至らしめた“ 猛毒 ”に他ならん。たとえ電源を抜いたとしても、それまでにバッテリーに溜め込まれた電気が、高い出力でマイクロウェーブを発生させ、使用者の脳を瞬間的に焼いてしまうのだよ。

 ……もっと早く……あの時に気付いていれば…っ」

 

 

 

 口惜しさとも、憤怒とも取れる感情を、南田は露わにした。

 桐生も今まで、これ程までに彼が感情を高ぶらせ、揺らがせる場面を見た事が無い。

 

 同時に、少し前に南田が口にした そうなる前に、という言葉の意味をようやく理解できた。

 彼は起こってしまった悲劇を見て、どうしようもない自責の念に苛まれているのだ。桐生も いつか感じた事のある、底なし沼に嵌るかの如き、拭い難いドロドロした感情。

 その余りに悲痛な顔に、桐生は いても立ってもいられなくなった。

 

 

 

「……南田、確かにお前にとって思うところはあったかもしれない。だが、その時 気付いた時点で、どうにか出来たか?」

 

「……それは……」

 

 

 

 無理だろう。それだけは、はっきり言えた。

 一体どこの誰が、構造が少し腑に落ちない程度で、命を脅かす可能性まで考えるだろうか。専門家の南田でさえ、結局は事が起きて初めて理解できた位なのだ。

 ましてや、ナーヴギアはゲームの未来を担う物として、期待を一身に受けてきた代物である。よしんば、南田が その危険性に気付き、それをアーガスや その他 企業等に語り掛けたとしても、“ 老人の妄想 ”として相手にもされなかったに違いなかった。

 

 

 

「気に病むなと言う方が無理な話だろうとは思う。だがな、どうする事も出来なかった事で思い詰めても、何の解決にも なりはしないんだ。だから、あえて言わせて貰う ―――――― あんたは悪くない」

 

「桐生くん……」

 

 

 

 慰めるにしては、いささか ぶっきら棒な物言いである。

 だが、今の南田には、これ位が丁度良い感じだった。下手にやんわりと言われても、逆に気を遣わせてるようで嫌だからだ。

 桐生の真っ直ぐな言葉が効いたか、自然と南田から笑みが零れた。

 

 

 

「クックック……やはり君は変わらんな、桐生くん」

 

「ふっ……そうか?」

 

「………ありがとう」

 

 

 

 どうやら、本調子に戻れたようだった。珍しい心からの感謝を聞いて、桐生は安堵した。

 そして、そこで話に区切りをつけ、桐生は聞きたかった事を尋ねた。

 

 

 

「ところで南田。あんたさっき、救出を試みた、というような事を言ったが……」

 

「うむ。どこから話そうかな……そう、昨日の夕方 ―――――― 日本各地で多数の犠牲者が出始めたと、私はニュースやツイッターで知った。それを見て、私は茅場の仕業だと確信した。事実、アーガスの友人に連絡を取ったところ、既に奴は消えた後だったしね。その後、私はすぐに行動に移った」

 

 

 

 そう言うと、南田は移動を始める。桐生も、それに続く。

 足を止めた先は、桐生も よく知るIFの試作機と、研究に使うのだろうパソコンが置かれた、南田のデスクだった。

 そして、桐生はその机の上に置かれている“ ある物 ”に気付いた。

 

 

 

「! それは……」

 

「そう、ナーヴギアだ。ここに、SAOのソフトもあるぞ」

 

 

 

 そう言い、桐生もアサガオや昨日の事件現場で見たパッケージを手に取って見せた。

 

 

 

「あんたも、SAOを?」

 

「あぁ。アーガスの友人が気を利かせてくれてね、是非 体験して欲しいとプレゼントしてくれたんだ。

 ……もし、私用でプレイを先延ばしにしなかったら、私も今頃ゲーム世界の囚人だったろうな。実に、間一髪だった」

 

「………」

 

「また話が逸れそうだな。ともかく茅場 捜索は警察に任せるとして、私は どうにかサーバーにハッキング出来ないか色々と手を尽くした。だが、どれを試してもまるで効果がなかった。と言うのも、SAOにはかなり高度なセキュリティに守られているらしくてね」

 

「セキュリティ?」

 

「あぁ。友人にも聞いてみたが、どうやらそれは《 カーディナル 》というシステムらしい」

 

「カーディナル……」

 

「英語で、“ 最重要な・主要な ”、或いは“ 深紅色の ”、カトリック用語で言うなら“ 枢機卿(すうききょう) ”を表す言葉だよ。詳しくは向こうもよく解らないらしい(・・・・・・・・・・・・・)が、とにかく既存のシステム群とは比較にならない程の性能を有しているそうだ」

 

「向こうも解らない? どういう事なんだ、自分の会社のシステムだろう?」

 

「開発・整備のほぼ全てを、ディレクターである茅場に一任していたそうだ。元々彼が作り出した物で、他には碌に理解も出来ない代物だったらしいからな、逐一 代わりの人間を育てる位なら、茅場1人に任せた方が効率的だと上層部(うえ)が判断したそうだ」

 

 

 

 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、南田は呆れる首を振った。桐生も同感である。それが どれだけの時間と手間がかかるのかは完全には理解できないが、結果的に茅場1人に丸投げした為に、最悪の事態となった後に満足に対処できる人間がいなくなってしまったのは、怠慢を通り越しているだろう。

 だが、結局は結果論。今となっては、何を言っても仕方がない事なのかもしれない。

 

 

 

「そして、ハッキングが無理だと判断した私は、強硬手段に打って出ようと考えた」

 

「それは、一体……?」

 

「簡単な話だ」

 

 

 

 南田はそう言い、机に置かれているナーヴギアを手に取り、桐生に見せるようにして言った。

 

 

 

ナーヴギアを被り(・・・・・・・・)SAOの中へ行こう(・・・・・・・・・)と言うのだ」

 

「…………は……っ?」

 

 

 

 一瞬、桐生は彼が何を言ったのか理解できなかった。

 だが、多くの修羅場を潜り抜けてきた桐生の脳は すぐに冷静さを取り戻し、すぐに言葉を咀嚼して、その意味を理解した。

 同時に、大きな怒りにも似た感情を噴火させるようにして南田に詰め寄った。

 

 

 

「あんた……っ単身 (SAO)へ入ろうとしたのか!? 何を考えてるんだ! 中がどういった状況に陥っているのか、知らないはずがないだろう!?」

 

「落ち着き給え、桐生くん。いくら何でも、私がそんな無謀 極まりない事をする訳がないだろう? 君じゃあるまいし」

 

「むぅ……」

 

 

 

 いささか引っ掛かる言われ方だが、あまり否定も出来ず桐生は押し黙る。

 

 

 

「無論、色々と対策を練った上での事だ」

 

「と、言うと?」

 

「特段、難しい話じゃない。そのままで無理なら、大丈夫なように改造(・・)を施せば良いのだ」

 

「改造……」

 

「そうだ。まず、内部のバッテリーを人が死なない程度の物と交換する。これだけで、自分が死ぬという最大の懸念を払拭できる。ログアウト不能も、プログラムを弄って可能にしてやった。更に極め付けは! 自身のパラメーターを自在に変更 出来るというものだ! GM(ゲームマスター)も真っ青な、鬼畜(ヌルゲー) 仕様の出来上がり!……という訳だ」

 

 

 

 改造 ―――――― 至ってシンプルだが、盲点でもあった。

 正攻法や奇策も駄目なら、ある種の外道の法を使ってやれば良い、という結論だった。

 

 だが、熱くなって語った南田だが、結果は ―――――――――

 

 

 

「……だが、そうは上手くはいかなかった」

 

 

 

 それが上手く行ったなら、ここで じっとしていたはずがない。今頃、対策本部や国会議事堂にでも飛び込んで行っていただろう。

 結果を察した桐生が一言 呟くと、南田は無念そうに答える。

 

 

 

「………その通りだ。改造を終え、いざログイン!……としようとしたら、《 システムエラー 》が発生してしまったのだ。よくよく考えてみれば、そんな奇妙奇天烈な者がログインしようとすれば、カーディナルが異物と見なすのは自明の理だった」

 

「………」

 

「……解っただろう? 私がお手上げだと言った訳が。出来得る手を、考え付く限り尽くしたのだ。だが、そのことごとくが強大な(カーディナル)システムの前には無力だった。今となっては、はっきりと言える ―――――― (リアル)にいる我々では、どうする事も出来ないと………」

 

 

 

 そう言い、南田は深く俯いた。もう、語る言葉もないと言わんばかりに、口も堅く閉ざされた。

 桐生も何も言えず、小さな研究室内は沈黙で包まれた。

 

 

 

(やっぱり、どうする事も出来ないのか………)

 

 

 

 解っていた。何度も考えた事だ。

 

 今回の事件は、自分が経験してきたものとは まるで異なる。

 今までなら、たとえ極道の大組織や強大な国家権力と対峙する事となっても、仲間達の救いの手もあり、己の拳1つで乗り越えてこられた。

 

 だが今回ばかりは、桐生の類稀な力も、全くの無力だと言わざるを得ない。ゲームの中にいる遥を、そんな拳などが どのようにして救うと言うのか。

 

 無力 ―――――― 今までの経験の中で、それを今以上に感じた事は無かった。

 

 皆が言うように、ただ ひたすらクリアされる日を待っているしかないというのだろうか。

 だが、桐生に とってそれが何よりも苦痛と なり得るだろう。愛する娘がゲーム内で生と死の狭間で弄ばれている中、自分は のうのうと暮らしていけと言うのだろうか。

 

 

 

 

 

(……………ゲーム内で(・・・・・)……? なら ―――――――――)

 

 

 

 

 

 その時、不意に桐生の脳裏に、ある仮定(・・)が浮かび上がってくる。

 

 

 

 それは朧気な形から、徐々に明確な形へと変わっていく。

 

 

 

 

 

 だが、それは ―――――――――

 

 

 

 

 

(もし ――――――――― 俺が、向こう側へ行ける(・・・・・・・・)としたら………)

 

 

 

 

 

 

――――――――― 常人からすれば、“ 常軌を逸している ”とも取れるものだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桐生くんっ!」

 

「っ……?!」

 

 

 

 南田の呼び掛けに、桐生は初めて自分が思考の渦に呑まれていた事に気付いた。

 見れば、南田は神妙な面持ちで桐生を睨むように見詰めている。猛獣の雄たけびにすら臆する事のない桐生だが、その眼は何故か それを上回る威圧感を感じさせた。

 

 

 

「な……何だ、南田…?」

 

 

 

 しばしの沈黙の後、返事をする桐生。だが、南田は答えない。ただ、桐生の顔をじっと見ているだけだ。

 更に続く妙な沈黙が、何とも居心地の悪さを醸し出す。

 

 

 

 

 

「桐生くん………まさかとは思うが ――――――――― 妙な事(・・・)を考えているんじゃ、なかろうね…?」

 

 

 

 

 

 およそ、数秒の後に、不意にそんな言葉を投げかけた。

 

 

 桐生は咄嗟に、言葉が出てこなかった。立ったまま気絶でもしたかのように、直立不動を保った。

 

 

 

「っ……いきなり何を言い出すんだ? 妙な事って……一体 何の話だ?」

 

 

 

 間を置いて答える桐生だが、その様子は彼を知る者から見れば余りにも不自然なものだった。動揺しているのが ありありと見えたのだ。

 南田は そんな桐生を見て、深呼吸のような溜息のような息を吐く。

 

 

 

「桐生くん……君との付き合いは決して長い方ではないが、桐生 一馬()という人間がどういった人物なのか、客観的にでも判断できているつもりだ」

 

「…………」

 

「回りくどいのは無しにしよう。もし、SAOの中へ行こうと考えている(・・・・・・・・・・・・・・・)のなら、やめておくんだ」

 

「っ ――――――!!」

 

 

 

 桐生は絶句した。

 

 南田が口にした言葉は、“ もし ”と言うには余りにも確信を得たものだった。

 

 否 ―――――― それは“ 確信 ”に他ならなかった。

 

 南田にとっても ――――― 桐生にとっても(・・・・・・・)

 

 

 

「……最初に断っておこう」

 

「え?」

 

「君の身の回りで何が起きたのか……実を言えば、今朝の時点で既に私は知っていたんだ。

 ……“ 遥ちゃん ”、だったかな?」

 

「っ!? 何故その名前をっ」

 

 

 

 自分が養護施設を営んでいる事は話した事があるが、遥や他の子供達について話した事はない。まして、名前を出した事もないはずだった。

 

 

 

「谷村君だよ」

 

 

 

 その理由を、南田は答えた。

 

 

 

「谷村が?」

 

「そうだ。今朝の10時頃、谷村君から私の携帯に電話があった。桐生さんの家族が事件に巻き込まれてしまった、どうにか出来ないか ―――――― とね」

 

 

 

 10時といえば、桐生が神室町に到着して伊達、谷村と別れて程無くである。

 おそらくその後、谷村が桐生と同じく専門知識を頼りに電話をした、という事だろう。遥の名も、その際に聞いたに違いない。確かに、谷村になら何度か話をした事があった。

 

 

 

「おそらく、谷村君には解ったんだろう……君が、このままじっとしていられる訳がないと」

 

「………」

 

「聞けば、君が誰よりも大切にしている子だそうじゃないか。それこそ、彼女の命を守る為ならば命だって惜しくは無い、と言い切れる程に」

 

 

 

 この時、桐生は悟った。おそらく、谷村が電話した背景には伊達の影もある、と。桐生と遥の関係を誰よりも知っているのは、6年前の事件を共にした彼くらいのものだからだ。

 

 

 

「成程、素晴らしい親子愛だと私は素直に思ったよ。だが……だからこそ私は、もしも君が危ない橋を渡ろうと考えているのなら、人として……1人の科学者として、君を止める義務がある」

 

「…………」

 

「……1つだけ、答えて欲しい。君は、“ もしも彼女を自らの手で守れるとするならば、君は全てを捨てる覚悟で そこへ赴くかね? ” ―――――― 《 YES 》か、《 NO 》か、答えて欲しい。」

 

 

 

 その質問に、桐生は すぐには答えを出す事が出来なかった。

 忙しなく動く視線や歪む口元が、如何に彼が脳内で葛藤しているのか、如実に表していた。

 南田は急かす訳でもなく、ただ答えが出てくるのを、ひたすら待った。

 

 

 

 

 

「――――――――――――――― 俺は………」

 

 

 

 

 

 長い葛藤の末、遂に桐生は絞り出すように言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 

 そして、出した答えは ――――――――――――

 

 

 

 

 

「――――――――― 俺には……大切な家族が、他にも8人いる………みんな、親が必要な程に小さな子ばかりだ……そんな子供達をほったらかして良い訳が無い……俺には……みんなを守らなければならない義務があるんだ……っ!」

 

 

 

 

 

 あくまでも、多くの小さな命を預かる大人としての、“ 責任 ”を重んずるものであった。

 

 決して、自分の感情に流されるだけの軽はずみな行動は取るべきではないと。

 

 

 

 それを聞いて、南田は大きく溜息を吐いた。表情も、緊張が解けて解れたようにも見える。

 

 

 

「そうか……安心したよ、どうやら理性までは失ってはいなかったようだ。もし行くなどと言い出したら、私1人では どうにもならないところだったからね」

 

「………………」

 

「……気に病む必要はない。彼女の事は、本当に不幸な事だったと言わざるを得んのだ。もし君が行ったところで、彼女が喜んだか? 周囲が納得したか?」

 

「…………」

 

「言うまで無いだろう? つまりは、そういう事だ。むざむざ死地に赴くような判断をしてくれなくて、本当に良かったと思うよ」

 

「……………」

 

 

 

 桐生からの返答はない。それでも、南田は無理にでも話を通さんばかりに言葉を押し通していった。沈黙は肯定というように、何も答えないという事は、南田が言う事に異など無いのだと。

 

 だが、この場に第三者がいれば違和感を覚えただろう。

 その様は、まるで言葉を繋げる南田の方が何かに追い立てられるような、奇妙なものでもあったからだ。

 

 

 

「…………すまない………邪魔をした」

 

 

 

 そして、最後に桐生はそれだけ言い残し、早足に研究室を後にしていった。

 

 

 

 

 

 残された南田は、別れの挨拶をかける間もなく、ただ憂いの眼差しで去り行く背中を見届ける他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、桐生はニューセレナへと足早に帰った。

 

 

 その間の記憶は ほとんどない。最短距離を歩いたのは確かだろうが、風景や通り掛かった人の姿など、喧騒に至るまで何1つ覚えていなかった。

 

 桐生はカウンターの席に着くと、明らかに乱暴な手付きで置かれた酒のボトルを開けた。そしてそれを、グラスにも注がずラッパ飲みを始める。

 中々にアルコール度数が高く、本来なら喉が焼けるような感覚に襲われてもおかしくない。それでも桐生は、まるでお構いなしに飲み込んでいく。

 むせ返るまでに飲むと、ボトルを口から外して荒い息を吐いた。注ぎ口や口から、酒が零れる。

 

 だが、それでも気持ちの落ち着きは取り戻せなかった。むしろ、無理に飲んだ事によって胸が余計にムカムカしてきたようにすら思えてくる。

 

 ぼんやりとした目で、何もないカウンター席を眺める桐生。その脱力し切った様子は、誰が見ても正気を著しく欠いていると見えただろう。

 

 

 

(俺は………何をしてるんだ……?)

 

 

 

 未だ ざわつく胸中を自覚しながら、桐生は自問する。

 

 

 

(俺は、アサガオの管理人として……みんなの親代わりとして……当然の結論を出したはずだ………なのに…っ……なのに、どうしてこうも胸が痛むんだ…! どうして………)

 

 

 

 

 

――――――――― おじさん、起きて。朝だよ

 

 

 

 

 

――――――――― おじさん。釣りに行くんなら、今日の晩のおかず、釣ってきて!

 

 

 

 

 

――――――――― おじさん。留守は任せて、安心して東京に行ってきて。お土産、宜しくね!

 

 

 

 

 

(どうしてもこうも………遥の言葉ばかりチラつくんだ………っ!)

 

 

 

 

 

 遂に揺れ動く感情が抑え切れなくなり、右手でカウンターを力任せに殴る。けたたましい音が、店内に響いた。

 さすがに丈夫な造り故に、カウンターはビクともしない。逆に、桐生の右手が痛むだけだ。

 だが そんな痛みですら、今の桐生には何の感慨も抱かせるには至らない。

 

 

 

 本当は、桐生自身、気付いている事だった。

 

 遥は、桐生にとって掛け替えのない存在だ。そんな彼女が危険 極まりない場所へ囚われたというのに、自分は変わらず毎日を過ごすという事に、例えようのない絶望感が押し寄せるのだ。

 

 南田に行った言葉とて、半分は本音だが、半分は方便だ。

 他の子供達を守るのは当然の事だ。だが、だからといって遥の事を割り切れるのかと言われれば、それは否だと結論付けるしかない。

 

 

 結局のところ、桐生は自身の“ 責任 ”と、“ 本音 ”の間で右往左往しているに過ぎないのだ。

 

 どちらも、人が生きる上で欠かしてはいけないもの。

 

 

 まして、そのどちらにも“ 愛する家族 ”が天秤に掛けられているのでは、優劣で答えなどつけられるはずもなかったのだ。

 

 

 

 

 

(俺は………どうすれば………誰でも良い ――――――――― 教えてくれ……)

 

 

 

 

 

 出口の見えない思考ループ。

 

 

 昨夜から続く心労。

 

 

 そして脳が揺れる程に浴びた酒。

 

 

 

 それらが重なった桐生は、徐々に その意識を薄れさせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





以上、『 桐生、大いに悩む 』の巻でした。

実際、多くの命を預かる身の責任というのは、途方も無く重いものだと思います。だからこそ、感情に身を任せる事が、どれだけ恐ろしいか ―――――― 力不足ながらも書いてみた次第です。

いやはや、やっぱり小説は難しいです、はい(´Д⊂ヽ



次回!!


遂に、物語にとって運命的な分かれ道が訪れます。
そして、そんな桐生に、思いもよらぬ展開が……!?

続きも、どうかお楽しみに!





※ ポテンシャルケース ※


原作において、名称不明な第1世代機を独自に設定。


東京・名古屋・大阪など、主要都市を中心に少数 展開されていた。
ゲームの内容としては『エージェントとなり、マフィアと全面戦争』『IQ自慢も真っ青な、立体パズルアクション』『ロボットの操縦席に乗り込み、敵ロボットを迎え撃つ』など。

神室町でも《 クラブセガ 劇場前店 》で稼働。世間が そうであったように、一時は爆発的なまでの凄まじい人気を誇ったものの、ゲームの待ち時間を巡るチンピラ同士のトラブルが多発。挙句それが暴動にまで発展し、その結果「ゲームがあるのがいけない」と街が匙を投げ、撤去されたという裏設定がある。


更に余談だが、ゲームでも御馴染みの武器屋である上山(かみやま) 練次(れんじ)も、その煽りを受けてプレイ出来なかった被害者の1人。
以後しばらく、腹いせに街で迷惑行為を働くチンピラを見掛けては成敗して回り、仕事人ばりの異名が飛び交ったとか、いないとか。





▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。