機動戦士ガンダムSEED 永遠に飛翔する螺旋の翼   作:ファルクラム

81 / 104
PHASE-02「幻想の歌姫」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一同に向けられる疑惑の眼差しは、それ全てが鋭い針のように突き刺さってくるのが判る。

 

 もっとも、それで怯まないのは大物なのか、鈍感なのか。

 

 恐らくは、その両方だろう。

 

 キラは一同を先導するようにして、アークエンジェルの廊下を歩いていた。

 

 付き従うのはカガリをはじめとした面々。

 

 皆、キラの「本人」発言を聞いて、胡散臭そうな目を向けてきている。

 

 それに、

 

 キラはチラっと、自身の背後に視線を向ける。

 

 そこには、悄然とした様子の息子、ヒカルの姿もあった。

 

 レミリアの死と言う耐え難い苦痛と絶望が齎す圧倒的な虚無を前に、完全に魂が空虚と化している様子だ。

 

 その傍らには、カノンが心配そうについてくれているが、そうでなければ、そのまま崩れ落ちそうである。

 

 本当なら、今はそっとしておいてやるべきところだろう。

 

 だが、キラはあえてヒカルをここに連れてきた。

 

 全ては、《彼女》に会せるためである。

 

「おい、キラ」

 

 そんなキラの背後から、オーブ暫定政権の首班となったカガリが、苛立ちまぎれに声を掛けてきた。

 

「いい加減説明しろ。なぜ、ラクスは生きているんだ?」

「そうだよ、お父さん。私、お葬式にだって出たんだから、間違いないよ」

 

 娘のリィスも、カガリの意見に同調するようにして詰め寄ってくる。

 

 まあ、彼女達がそう言うのも無理は無い。何しろ、常識的に考えればあり得ない事なんだから。

 

「一つ、間違いかな」

 

 歩む足を止めずに、キラは人差し指を立てながら答える。

 

「ラクスは、間違いなく死んだよ。今から8年前にね。僕自身、臨終に立ち会ったんだから、それは間違いない」

 

 キラのその言葉は、更なる混乱を呼ぶ。

 

 ならば、どうすれば死んだ人間に会わせる事ができると言うのか?

 

 首をかしげる一同を引き連れて、やがてキラは、アークエンジェルの深部にある部屋へとたどり着いた。

 

 居住区の最奥部にあるその部屋の前に来ると、キラは扉を開いて中へと入る。

 

 それに続く一同。

 

 そこで、

 

 絶句した。

 

 なぜなら、

 

《みなさん、こんにちは。あら、お久しぶり、な方もいらっしゃいますわね》

 

 先に部屋の中に来ていたエストの傍らで、

 

 ゆったりとした雰囲気のある少女が、温かさを感じさせる笑顔で一同を迎え入れていたからだ。

 

 まるで人形のように整った顔立ちに、特徴的な桃色の髪。

 

 ただ、その場にいるだけで場が華やぐような存在感のある少女。

 

 記憶にある姿より若干若い印象を受けるが、彼女は間違いなく「ラクス・クライン」だった。少なくとも外見上は。

 

「ラクス、お前・・・・・・・・・・・・」

「本当に、生きて・・・・・・・・・・・・」

 

 生前に知己のあったカガリ、それにマリュー・フラガが、呆然とした調子で呟く。

 

 だが、

 

《いいえ》

 

 当のラクス本人が、2人の言葉を否定した。

 

《今のわたくしは、確かに死んでいます。その事実に一切の偽りはありません》

 

 先程のキラの言葉を、当のラクス本人がもう一度繰り返した。

 

 自らが死人である事を肯定するラクス。しかし、そうなると「目の前に、死んだはずのラクスがいる」と言う矛盾が、どうしても生まれてしまう事になる。

 

《種明かしをすると、ですね。今皆さんが見ている、わたくしの姿は、ホログラム画像です》

 

 ラクスがそう言うと、傍らに控えていたエストが、彼女の胸のあたりに手刀を振り翳した。

 

 すると、

 

 水平に切られたエストの手は、如何なる抵抗も受ける事無くラクスの胸に吸い込まれ、そしてあっさりと背中に突き抜けてしまった。

 

 更に、同じような動作を数度繰り返すが、結果は同じことである。エストの手は、まるで空気を掴むようにラクスの体を透過してしまった。

 

「意志を持った、ホログラム映像・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前にいるのは、確かにラクス・クラインでありながら、その実態は全くの無きにひとしい。

 

 いったいなぜ、このような事態になったと言うのか?

 

《キラ》

 

 合成音声まで、生前のラクスと同じである。それ故に、居合わせたラクスの知己全員が、本物と見紛うのも無理のない話である。

 

《お話をする前に、一つだけ、お願いがあります》

 

 そう言うとラクスは、ひどく真剣な眼差しをキラへと向けて来た。

 

 

 

 

 

 特別遺体安置所。

 

 部屋全体が肌寒さを感じる程の冷気によって満たされた個室は、一面白色で塗られ、空疎な感は否が応でも増していく。

 

 この場に、「彼女」は永遠の眠りの元、静かに横たわっていた。

 

 レミリア・バニッシュ。

 

 否、

 

 既に、その名は少女の名乗りとして相応しくない。

 

 先刻、プラントにてイリア・バニッシュの救出に成功したアスランから、緊急のレーザー通信によってもたらされた内容。

 

 聊か以上に遅きに失した感のあるその内容は、少女の正体が如何なるものであるかを告げていた。

 

 彼女の本当の名は、レミリア・クライン。

 

 ラクス・クラインの遺伝子情報を受け継いだ、唯一の「実子」となる。

 

 この事は当のレミリア自身すら知らなかったらしい。その事は、彼女のかつての仲間であるアステル・フェルサーにも確認済みである。

 

 知っているのは、彼女の誕生にかかわったアンブレアス・グルックとその一部の側近。そして実際に誕生させたバニッシュ夫妻の娘、イリア、後は夫妻の友人である、元北米統一戦線リーダーのクルト・カーマインのみであったらしい。

 

《この子が・・・・・・・・・・・・》

 

 ラクスはそっと、自らの手を「我が子」へと差し伸べる。

 

 が、すぐに、躊躇うように動きを止めて引き戻した。

 

 所詮はホログラム映像に過ぎない今の自分の体では、愛しい娘の亡骸に触れる事も叶わない。その事が、ラクスを歯がゆく傷つける。

 

《アンブレアス・グルックが、密かにわたくしの遺伝子情報を入手した、と言う噂は生前から耳にしていました。しかし、それをまさか、このような形で用いるとは・・・・・・》

 

 かつての政敵を思い浮かべ、ラクスは苦い物を噛みしめるような表情となった。

 

 自身が万全の状態で健在であったのなら、決してアンブレアス・グルックに隙を見せるような真似はしなかっただろう。

 

 しかし、グルックが権力を持ち始めた時、既にラクスの体には限界が来ており、彼の動きを掣肘する事は叶わなかった。結果としてラクスは、彼女自身の天命に負けた形となった訳である。

 

《皆さん》

 

 眠るように目を閉じているレミリアから目を離したラクスは、一同に向き直る。

 

《今のわたくしは、確かのこの通り、皆さんと向かい合い、会話もする事が出来ます。しかし、本来のわたくしは確かに死んでおり、本来であるなら表に出るべき存在でもありません》

 

 その後を引き継ぐように、キラが前へと出た。

 

「生前のラクスの遺言の一つでね。ターミナルを戦闘組織として改変すると同時に、彼女自身を延命させる方法を見つけ出す、と言う物があったんだ」

 

 キラの言葉に、皆が驚きの表情を見せる。

 

 まさか、ラクスがそのような遺言を残しているとは、夢にも思わなかったのである。

 

 とは言っても、CEの医療技術を持ってしても、死に瀕した人間を延命させるのは難しい。

 

 キラとエストは、ターミナル再組織の傍らで、ラクスの遺体をすり替えて冷凍保管すると、彼女の延命方法を探して世界中を奔走した。

 

 そして、キラの振るい知己を頼りに、ある方法に至った。

 

 それは、正確には「延命」手段ではなく、どちらかと言えば「蘇生」に近いかもしれない。

 

 だが、同時に悪魔の手段である事も間違いなかった。

 

 その方法とは、対象者(この場合、ラクス)の脳をコンピューターにつなげ、更にデータ化する事で、機械の一部として対象者を生きながらえさせることだった。

 

 一応、前例はあるらしく、その成功した人物は、今もって「存命中」らしい。

 

 元々、人の脳とは莫大な情報の宝庫であり、それは死した後も、海馬と呼ばれる記憶の蔵に押し込められて健在であるらしい。

 

 その技術は、鍵の掛けられた蔵をこじ開け、取り出した情報を基に、その人物を再構成する物だった。

 

 こうして、ラクスは蘇った。

 

 彼女の本体は、今はアークエンジェルの最深部で保管されて、脳には電極を張り付けられている。

 

 しかし、実体こそない物の、今のラクスは紛れもない本物であった。

 

 彼女の記憶、行動パターン、言動、趣味、そして容姿に至るまで忠実に再現し、ホログラフ映像として実体化させる事に成功した。

 

 移動に関しては、基本的にはアークエンジェルの艦内に限定されてはいるが、専用の端末に一時的に情報を移し、誰かに運搬してもらう事で、ある程度限定された条件下ではあるが、艦外に出る事も可能となっている。

 

 こうしてラクスは初めて、自らの「娘」と対面を果たす事が出来たのである。

 

 もっとも、ようやく出会えた時には、母も娘もこの世のものではなかったと言う事は、悲しい皮肉であるが。

 

「だが、ラクス」

 

 事情を了解したカガリが、蘇った親友に語りかける。

 

 ラクスは、カガリの記憶にある10代の頃の姿をしている。既に40に達しているカガリとは、見た目には親子ほども歳の差が感じられた。

 

 だが、2人ともそのような事を一切気にせずに口を開いた。

 

「なぜ、そこまでして生き残りたいと思ったんだ? お前が単純に生き残りたいためだけに、こんな事をしたとは思えないんだが・・・・・・」

 

 生前のラクスを知るカガリとしては、そこが疑問だった。

 

 無論、人間として「死にたくない」と思う気持ちは、ラクスにもあっただろう。だが、それだけで、こんな外道の手段を用いるとは、カガリにはどうしても思えなかった。

 

 対して、その質問を予期していたように、ラクスは頷いて口を開いた。

 

《アンブレアス・グルック。あの男を放置する事で、いずれ世界中が災禍に包まれる事になる。いえ、現に今、既にそうなっています。しかし、それを止めるには、当時のわたくしには、どうしても時間が足りなかった。無論、ターミナルの運営方法等に関しては、キラやエストに任せる事はできます。しかし、アンブレアス・グルックを打倒し、世界を守ると言う仕事だけは、他の方に押し付けるわけにはいきませんでした》

 

 だからこそ、ラクスは外法にその身を染める事を了承した。

 

《この体でできる事は限られています。ただ、いくつか限定的ながら、普通ではできない事ができます。たとえば・・・・・・》

 

 言いながらラクスは、壁際に立っている少年に目をやった。

 

《ヒカルは覚えていますか? わたくしは過去に二度ほど、あなたを支援した事があるのですよ》

「え?」

 

 言われてから、ヒカルはふと思い出す。

 

 あれは確か、第一次フロリダ会戦でレミリアと戦っていた時、そして、つい先日のスカンジナビア攻防戦で聖女(ルーチェ)と戦っていた時。

 

 いずれも、突如として機体の性能が不自然に跳ね上がり、危機を潜り抜けている。

 

 二度目の時には、ちょっとしたメッセージまで送られている。

 

「・・・・・・あれは、おばさんが?」

《流石に、この体で戦場に行く事はできませんが、あの時は情報ネットワークを介してヒカルの機体にアクセスし、性能を一時的にオーバーブーストさせました》

 

 成程、とヒカルは納得した。

 

 それで、いきなり機体の性能が向上した訳か。もっとも、セレスティの方ではオーバーブーストの負荷に耐え切れず、その後、システムがダウンしてしまったのを覚えている。

 

 とは言え、ラクスがやった事は相当な荒業である事は間違いない。

 

《この身体でも、できる事があります。そのうちの一つが、広域の情報収集です》

 

 ラクスは自身の情報媒体をネットワークにつなげる事で、世界中の情報を閲覧する事ができるのだ。もっとも、国家や組織における機密情報を閲覧する事は不可能だが、ある程度のレベルまでならアクセスする事も可能である。

 

 これが「延命」に当たって、ラクスが持つ事が出来た「武器」だった。

 

《皆さん。決戦の時は近いです。勿論、それはアンブレアス・グルック。そして、彼の背後にいる何らかの勢力にとっても予定している自体でしょう。恐らく、万全の状態で攻め寄せてくるはずです》

 

 涼やかな声の中に、戦場へと向かう凛とした響きが混じる。

 

 今やラクスは、生前と変わらぬ威厳と存在感でもっと、確かにその場に存在していた。

 

《皆さん、どうか、皆さんの力を貸してください》

 

 そう言うと、立体映像のラクスは、皆に向かって深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 と言うようなやり取りが、半年前に成された。

 

 そして今、ラクスはアリスの店の客として、店内にその姿を映し出していた。

 

 移動に関してはアリスたっての願いで、店内にラクス専用の端末を一台置く事で、移動が可能なようになっていた。

 

 彼女の手には、紅茶を満たしたカップがある。

 

 勿論、ホログラフ映像に過ぎないラクスには紅茶はおろか、一切の飲食は不可能なのだが、そこはそれ、キラが苦心の末に味覚データを再現し、更にアリスのレシピをインストールする事で、ある程度の味はラクスにも伝わるようにして射た。

 

《そっとしておく、と言うのも一つの手段だとは思いますが?》

 

 ラクスは微笑みかけるようにして、自身の対面に座ったカノンに語りかけた。

 

 話題はカノンの幼馴染にして、思いを寄せる少年、ヒカルについてである。

 

 レミリアが死んで移行、ヒカルはまるで取り付かれたかのように、淡々とした調子で戦場に立ち続けていた。

 

 見た目には、問題があるようには思えない。

 

 しかし、以前に比べると明らかに口数が減り、常にどこか思いつめたような顔をしている事が多くなっている。

 

 精神的な異常かどうかはともかく、何かしら自身を追い詰めているのは間違いなかった。

 

《レミリアを救えなかった事を悔やみ、そして、あの娘の想いを実現しようとして焦っているのかもしれませんね》

「ラクス様・・・・・・・・・・・・」

 

 思いつめたような表情をするラクスを、アリスが気遣うように声を掛ける。

 

 ラクス自身、若くして他界した娘の事を思えば、今でも平静ではいられないのである。

 

 生前のラクスのファンだったアリスにとって、ラクスがこのような悲しい表情をするのは、見ているだけでも辛かった。

 

 そんなアリスに微笑みかけつつ、ラクスは続ける。

 

《もしかしたら、鍵はカノン、あなたかもしれません》

「えっ あたし、ですか!?」

 

 いきなり話を振られ、カノンは素っ頓狂な声を上げた。

 

 確かにカノンはヒカルをどうにかしたいと思ってラクスに相談を持ちかけたが、その答えが自分に返されようとは思っても見なかった。

 

《人は辛い時ほど、誰か支えになってあげられる人が必要なのです。わたくしが思うにカノン、あなた以外にヒカルの支えになれる方がいるとは思えません》

「いや、でもラクス様・・・・・・・・・・・・」

 

 言い淀むカノン。

 

 確かに、自分がヒカルの支えになってやれれば、それはカノンにとっても嬉しい事である。

 

 しかし、ヒカルとレミリアが想いを通じ合わせていた事を知っているカノンとしては、どうしてもそこに躊躇いを覚えてしまうのだった。

 

「がんばって、カノン」

 

 そんなカノンに、アリスは優しく声を掛ける。

 

「ママも、ラクス様の言うとおりだと思うよ。人ってさ、辛い時は誰かに縋りたいって思う物だもん。誰か、大切な人を失った時は特に、ね」

 

 そう言うと、アリスは店の奥の棚に大切に飾られた1枚の写真に目をやる。

 

 そこには若い頃のアリスと、夫であるラキヤ。

 

 そして、そんな2人に挟まれながら2人と腕を絡めている1人の金髪の少女が、楽しそうな笑顔で映っていた。

 

「・・・・・・判った。できるかどうかは判らないけど、頑張ってみるよ」

《ええ、頑張ってください。及ばずながら、何かあれば、わたくしもお手伝いしてあげますから》

 

 そう言うと両拳を握るカノンを、ラクスとアリスは優しく見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここが本当に、時代の最先端を行くプラントの都市だろうか?

 

 外から訪れた者の殆どが、そのように思うのではなかろうか?

 

 無理も無い。かつては近未来的な風景を持ち、華やかな雰囲気を出していた美しい街並みが、今ではかつての活気を完全に失い、ふとすれば、廃墟の群れと見紛ってもおかしくは無い様相を呈しているのだから。

 

 かつて、文明の最先端、その象徴であるかのように謳われた立ち並ぶ巨大ビル群は、しかしその殆どがテナントの入っていない廃ビルである。

 

 大通りに人や車の通りは殆ど無く、まるでゴーストタウンだ。

 

 一歩でも路地裏に入れば、職の無い浮浪者達が溢れかえり、希望を失った虚ろな目を覗かせている。

 

 治安も悪化しており、保安局の取り締まりにも力が入って入るが、それが功を奏しているようには思えない。

 

 そこには希望も無く、そして未来も無い。たで朽ちていく現実があるだけだった。

 

 そして、

 

 今日もまた、不穏分子が保安局によって連行されていく風景が、プラントの都市で見る事が出来た。

 

 誰もがその様子を、無感情な瞳で見送る事しかできない。

 

 実際に、その人物が本当に不穏分子であるかどうかは判らない。恐らく、逮捕した側も大した問題には思っていないだろう。

 

 ようは、自分達が仕事している事を、アンブレアス・グルックが見て、満足してくれればそれでいい。真実は自分達が作るのであって、自分達が真実に従う必要は無いのだから。

 

 やせ細った手に手錠をかけ、不穏分子と思われる民間人を連行していく保安局員たちの多くは、そうした杜撰の捜査の元で不穏分子の狩り出しを行っていた。

 

 だが、そうした行動は得てして、本命であるターミナル構成員を見逃してしまう事が多く、実態としての成果は、殆ど上がっていないのが実情だった。

 

 保安局がおざなりな捜査を行い、ターミナルはその隙を縫って活動を続け、その間に治安は悪化する。

 

 まさに悪循環。負の連鎖と言って良かった。

 

 全ては、アンブレアス・グルックが敷いた軍事拡張路線の悪影響であった。

 

 もともと、プラントは決して裕福な国ではない。宇宙空間を含む地球圏全体に戦線を展開して、それを維持できるだけの余裕は、本来なら無いのだ。

 

 それを可能にしてきたのが、グルック派の強硬路線である訳だが、元より、無より有を産み出せるわけではなく、一方を優遇すれば、他方にしわ寄せが行くのは必然である。プラントではそれが、このような形で表れていた。

 

 民間企業は助成金の減額によって経営が立ち行かなくなる会社が相次ぎ、中小企業は軒並み倒産に追い込まれる例が相次いでいる。

 

 民間への食糧供給も先細りになり、配給も滞る事が多かった。

 

 民衆の多くは朝から配給を行う店先に長蛇の列を作るが、その店内にも商品は何も無い状態である為、彼等の労力は無駄でしかなかった。

 

 国内で生産される物資の大半は外貨獲得用の輸出へと回されるか、あるいは軍需用として最前線に送られてしまう。

 

 しかし、最前線までの道にはオーブ軍の通商破壊部隊が待ち構えて居る為、折角の物資も前線の兵士にすら届く事無く、無為に失われる事もしばしばだった。

 

 そして、不足する物資を補う為に、更に民間用物資が削られる。

 

 物資の横領や闇市も横行し、それらを取り締まる保安局は杜撰な捜査しか行わない。

 

 ここでもまた、負の悪循環が存在していた。

 

 そして、

 

 その事実を真の意味で知っていなくてはいけない人物の目は、常に別の方向へと向けられているのだった。

 

 

 

 

 

 アンブレアス・グルックは、不機嫌な表情を張り付けたまま、報告を聞き入っていた。

 

 今、議題に上っているのは、カーペンタリア戦線の戦況だった。

 

 オーブ陥落の直後、プラントの大半の人間は、それほど事を重大視していなかった。

 

 確かにオーブを「奪取」されたのは痛かったが、それでも敵の主力にも大損害を与える事に成功している。オーブ軍が再攻勢を行う余力は無いだろうし、こちらが戦力を整える方が早い、と。

 

 その為、当初プラント軍は、大軍を組織してオーブ「奪回」の為の軍を派遣しようと画策していた。

 

 しかし、その計画は発動前に頓挫する事となった。

 

 誰もが予想しなかったほど、オーブ軍は迅速に行動を起こし、翌月の初めにはアシハラを奪われ、プラントはオーブ侵攻に必要な最適の拠点を失ったのである。

 

 更にオーブ軍は自軍の回復を図りつつ、徹底的なゲリラ戦を展開してカーペンタリアを包囲、物資を満載したシャトルや輸送船を狙い撃ちにして物資輸送を阻んでいる。

 

 その為、今やカーペンタリアは陥落寸前の状況にまで追い込まれていた。

 

「何度も言うが・・・・・・・・・・・・」

 

 グルックは、殊更に低い声で口を開く。

 

「私はカーペンタリアから退く気は無い」

 

 断固たる口調は、答が初めから決まっている事を如実に語っていた。

 

 その言葉が、会議の場に沈黙を齎す。誰もが、グルックの断固たる意志に再確認して口を閉ざしているのだ。

 

 既に再三にわたり、カーペンタリア基地から降伏、ないし撤退の許可を求める通信がプラント本国にもたらされている。

 

 曰く、すでに物資は限界に達しつつあり、兵の士気は下がる一方である。稼働可能な機体も残り少なく、このままではオーブ軍の本格的な侵攻を支えきれる見通しは立たない。敵の攻撃で壊滅する前に降伏し、兵の命だけでも何とか救いたい、との事だった。

 

 だが、その要求に応じる気は、グルックには無かった。

 

 そもそも、カーペンタリア基地は、建造から今日に至るまで敵の手によって陥落した事の無い、地上の唯一の拠点であり、地上におけるプラント最大の拠点である。

 

 それは実質的な基地機能の大きさの他にも、象徴的な意味合いがある。

 

 いわばカーペンタリアの存在そのものがプラントにとって、地上における勝利と不屈の象徴なのである。それを簡単に手放す事など、できるはずも無かった。

 

「議長の意見に賛成です」

 

 1人の議員が、我が意を得たりとばかりに、張りのある口調で言った。

 

「カーペンタリアは、いわば地上におけるプラントの代表です。そのカーペンタリアを失う事は、我がプラントの名に傷がつき、ひいては議長の威信にも傷がつく事になる。どうも、地上の連中には、その事が判っていない様子ですな」

「然り。たるんでいるようですな、カーペンタリア基地の者達は。一度、こちらから督戦するのも良いかもしれません」

「督戦も良いですが、事によっては人事の刷新も必要でしょう。簡単に敵に屈するような輩に、最重要拠点を任せる事などできませんからな」

 

 口々に賛同の意を表す閣僚達。

 

 その様子を見ながら、グルックは満足そうに頷く。

 

 この困難な状況に際して、閣僚達の意志を統一できている。目の前の光景が、自身の政権が強固である事を如実に示していた。

 

「しかし・・・・・・・・・・・・」

 

 皆の興奮が収まり始めたのを見計らい、1人の閣僚が口を開いた。

 

 その人物は、もともとザフトの軍人だった人物であり、多少ながら軍事方面に明るい。その観点から、主に軍事上のアドバイスが必要と感じられたときに発言を求められる事が多かった。

 

「それはそれとして、カーペンタリアの救出は急務でしょうな。事情がどうあれ、彼等が包囲されて苦境に陥っているのは事実。ならば、多少のテコ入れは必要となります」

「具体的には?」

 

 尋ねるグルックに対し、閣僚は居住まいを正して振り返る。

 

「増援部隊の派遣です。それも、これまでのように小規模な部隊では無く、可能な限りの大兵力で敵の包囲網を破り、物資と戦力をカーペンタリアへ送り込むのです」

 

 これまでプラントが敗れてきた原因は、戦力を小出しにし過ぎ、それを、精鋭を繰り出してきているオーブ軍に突かれていたからに他ならない。

 

 ならば、話は簡単だ。

 

 こちらも精鋭を含む大軍を繰り出して、敵の包囲網を打ち破れば良い。戦力の質が同等であるなら、数に勝るプラント軍の主力がオーブ軍に負ける道理は無かった。

 

 グルックはしばし考えた後、顔を上げた。

 

「魅力的な意見だ。うまくすれば、敵の戦力を撃滅する事も不可能ではないかもしれん」

 

 グルックの言葉に、発言した閣僚は黙って頭を下げる。

 

 カーペンタリアを救うと同時に、オーブ軍の掃討も行えば、戦況は一気に片が付く。

 

 今現在、世界中で起こっている紛争の大半は、オーブの奮戦に引きずられている所が大きいと、グルックは考えている。つまり、オーブさえ潰す事ができれば、後は烏合の衆ばかりという事だ。

 

 そこまで言った時、壁に掛けられた時計が、予定の時刻が来た事を告げる。

 

 どうやら、議論が白熱したせいで、時間が経つのも忘れてしまっていたらしい。

 

 グルックは相好を崩すと、一同を見回して行った。

 

「さて、取りあえず、閣議は一旦ここまでとしよう。あまり根を詰め過ぎても良くないからね。別室に食事を用意させてもらったから、歓談しつつ英気を養ってくれ」

 

 そう言うと、グルックは思い出したように付け加える。

 

「間も無く、この世界は我らの手によって統一され、平和と繁栄がもたらされようとしている。にも拘らず、それに抗い続ける愚か者たちがいるのも事実だ。故に諸君、我々は悪と戦い続けなくてはならないのだ。どうか、その為に力を貸してほしい」

 

 そう告げるグルックに対し、一同も居住まいを正して頭を下げる。

 

 世界の統一。

 

 それは、就任以来掲げ続けるグルックの目標であり、至上の命題でもある。

 

 そう、たとえ何を犠牲にしたとしても。

 

 だが、彼等は自分達が、何を犠牲にして立っているかという事を、気にも留めようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 会食の場は華やかで、テーブルには豪華な料理の数々がこれでもかと並べられている。

 

 ふたを開けられた酒の数は、どれも旧世紀以来の年代物ばかりである。

 

 グルックをはじめとした閣僚達の楽しそうな談笑は、モニター越しにも伝わってくる。

 

 まったく、呑気な物だ。

 

 この光景を、今のプラント市民が見れば、軽く100回は反乱が起きる事は間違いないだろう。

 

「なあ、この茶番劇はまだ続ける気かよ?」

 

 クライブ・ラオスは、共に映像を見ているPⅡへ、苦笑交じりの声を掛ける。

 

「いい加減、次に行っても良いんじゃないのか?」

 

 対して、PⅡは微笑を浮かべて答えた。

 

「うーん、面白いから、もう少しこのままで行こうよ。むしろ、これからって気もするし」

 

 モニターの中で歓談するグルック達。

 

 前線で戦う兵士達、

 

 そして、戦線を支え続ける英雄達。

 

 それらは全て、PⅡにとっては全て、激情を作り出す要素に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻ると、ヒカルは着替えるのもおっくうになり、そのままベッドへと倒れ込んだ。

 

 途端に、熱病時にも似た強烈な脱力感に襲われ、思わず意識を手放しそうになった。

 

 最近はいつもこうだ。

 

 気を張っている時は大丈夫なのだが、こうして少しでも気が緩めば、そのまま意識を失ってしまいそうな時がある。

 

 本来なら、医者にでも見てもらうべきところだろう。それが無くても、少しの間休息を取った方が良い。

 

 しかし、それはできなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・レミリア」

 

 そっと、失われた少女の名を呟く。

 

 目を閉じれば今でも、あの時の光景が思い出される。

 

 自分の腕の中に崩れ落ちるレミリア。

 

 零れ落ちていく命を掬い上げる事もできず、ヒカルはただ見ている事しかできなかった。

 

 後悔は千載にある。

 

 なぜ、あの時もっと慎重に動かなかったのか?

 

 なぜ、あの時、自分が盾にならなかったのか?

 

 声なき声が心の中で反響し、渦を巻いている。

 

 それが意味無き事と判っていながらも、ヒカルは止める事ができなかった。

 

 レミリアは最後に願った。

 

 ヒカルはヒカルらしく、最後まで戦ってくれ、と。

 

 ならば、その願いを背負い、戦い続ける事だけが、今のヒカルにとって唯一の存在意義であると言えた。

 

 やがて、急速に訪れる虚無に身を委ねると、ヒカルはゆっくりと、安らぎに満ちた眠りへ落ちて行った。

 

 

 

 

 

 仮面の少女は、その下に無表情を張り付かせて報告を聞き入っていた。

 

 ユニウス教団の聖女アルマは、信徒達からの定例報告を受けた後、本日の特別議題へと入った。

 

「参戦要請、ですか?」

「はい」

 

 聖女の問いに、教主アーガスは恭しく頷きを返した。

 

 曰く、プラント軍が近日中に大規模な軍事行動を起こす事になる。それに合わせてユニウス教団も戦列に加わってほしいとの事だった。

 

 現在、プラント軍とオーブ軍がカーペンタリアを巡って激しい攻防戦を繰り広げている事は教団の方でも把握している。そして、プラント軍が苦戦中である事も。

 

 どうやら、消耗した戦力の穴埋めとして、教団の力を欲しているらしい。

 

 困った時の神頼み、と言う訳ではないだろうが、教団としても、こうして便利使いされるのは業腹と思える面がある。

 

 しかし、

 

「承りました。プラントからの使者には、そのようにお伝えください」

 

 聖女は鈴が鳴るような声と共に、そのように下命した。

 

「よろしいので?」

「構いません」

 

 探るようにして尋ねるアーガスに対し、聖女はあくまでも無表情で答える。

 

 プラントは教団にとって大切な同盟者。その彼等が困っているなら、教団として手を貸す事もやぶさかではない。

 

 そして、

 

「勿論、出撃の際には、わたくしも同行したします」

「はッ」

 

 聖女の言葉が判っていたように、アーガスは頭を下げる。

 

「工廠の方で、聖女様の新しい機体が完成した旨、報告がありました。今度は、あの魔王とぶつかっても敗れる事は無いでしょう」

「魔王・・・・・・・・・・・・」

 

 聖女は、憎しみを込めた声で、その名を呼んだ。

 

 かつて、スカンジナビアで聖女を打ち倒した魔王。

 

 そして、

 

 彼女にとって唯一の友人だった「レミリア・バニッシュ」を殺した存在。

 

 その魔王を討ち取るのは、他の誰でもない。自分であるべきだった。

 

「その首・・・・・・必ずや貰い受けます」

 

 低い声で呟く聖女。

 

 その仮面の奥の瞳には、暗い炎が燃えている。

 

 自分が首級を狙う魔王が、血を分けた双子の兄である事も知らないまま。

 

 

 

 

 

 数日後、

 

 プラント軍はカーペンタリア救援の為の、大規模な軍事行動を起こした。

 

 参加戦力、宇宙艦艇40隻隻、水上艦艇30隻、参加機動兵器800機。

 

 プラント軍は予備兵力まで含めた全戦力を投入し、一気に戦況を決するべく飛び立っていった。

 

 

 

 

 

PHASE-02「幻想の歌姫」      終わり

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。