機動戦士ガンダムSEED 永遠に飛翔する螺旋の翼   作:ファルクラム

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PHASE-17「帰らぬ心」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レミリア・バニッシュは、緊張した面持ちで扉を開いた。

 

 できれば行きたくないのだが、そうも言っていられないのが自分の立場なのだ、と改めて言い聞かせる事で、辛うじて足を前に動かす。

 

 最高議長の執務室は、その立場から想像できる通り趣味の良い調度品が置かれ、適度に落ち着く雰囲気が醸し出されている。

 

 奇妙な事だがレミリアは、この部屋の主が持つ趣味には好感を持てる気がした。

 

 もっとも、当の本人には全くと言って良いほど好感を持てないのだが。

 

「やあ、呼び出してすまないね」

 

 アンブレアス・グルックは、鷹揚に言いながらレミリアを迎え入れる。

 

 視線を巡らせれば、ソファに座ってこっちに手を振っているPⅡの姿も見え、あからさまに顔を顰めて見せる。

 

 かつて、レミリアが所属していた北米統一戦線を壊滅に追いやったPⅡ。そして、それを命じたアンブレアス・グルック。双方ともに、レミリアにとっては憎んでも憎み切れない相手である。

 

 だが、今の彼女には、彼等に逆らう事はできない。

 

 首輪を嵌められ、(イリア)と言う鎖を握られたレミリアは、彼等にとって体の良い飼い犬に過ぎない。逆らえば、次の瞬間にはその何倍もの苦痛がレミリアに与えられる事になる。

 

「それで、何の用?」

 

 ぶっきらぼうな調子で尋ねるレミリア。話を一切韜晦させる事無く、本題へと入るように促す。

 

 友好的な態度は一切示さない。それが、今のレミリアにできる唯一の抵抗であると言える。

 

 もっとも、グルックもPⅡも、レミリアのそうした幼稚めいた心の内はとっくに見通しており、ただ薄笑いを浮かべて見つめているだけだが。

 

 それを見てレミリアはムッと顔を顰めるが、それ以上は何も言わない。腹立たしい事この上無いが、それが彼女の限界だった。

 

 レミリアは勧められるままに椅子に座ると、グルックと対峙した。

 

「君も既に聞いていると思う。コペルニクスで宇宙解放戦線のテロがあった事」

「ああ、ニュースでやってた。それが?」

 

 無駄な事は一切省きたいレミリアとしては、先を促すように言葉を紡ぐ。

 

 この2人と同じ空間にいると思うだけで、レミリアとしては吐き気が催すのを止められなかった。

 

 もっとも、話題自体はレミリアにとって完全に無関係と言う訳ではない。

 

 少し前に、宇宙解放戦線の実働部隊を壊滅に追いやったのは、他ならぬレミリア自身である。それを考えれば、今回の事件の発端はレミリアにあると言う見方ができない事も無かった。

 

 そんなレミリアの心情を慮った訳ではないだろうが、グルックは本題へと入るべく口を開いた。

 

「奴等を鎮圧したのは、自由オーブ軍だよ」

 

 PⅡが無邪気に言った言葉に対し、グルックは苦々しい表情を作って、僅かに視線を逸らす。

 

 対してレミリアは、その言葉で意外そうな面持ちを作った。

 

 ニュースでは、鎮圧したのは保安局とザフト軍の合同部隊と言う事になっており、自由オーブ軍の名前は一行たりとも出てこなかったはずだが。

 

 そこまで考えて、レミリアは嘆息した。

 

 正直、またか、と言う思いがあるが、目の前の男達はまたしても、情報を捻じ曲げて発表したのだ。自分達の都合の良いように。

 

 もっとも、為政者が自分達の都合の良いように情報を管理、統制、改訂するのは彼等の常とう手段である。それはある意味、戦場で虐殺をする事よりも悪辣であり、歴史そのものを歪める危険性すらはらんでいる。

 

 為政者が自分達の都合の良い状況を作り出す為に情報を秘匿、改訂した結果、闇に葬り去られた歴史は、考える事すらバカバカしい量に及ぶだろう。

 

 だがまあ、今のレミリアにとっては歴史のお勉強などはどうでも良い事である。

 

 今はまず、一刻も早く用件を終えて、大好きな姉の元に帰りたかった。

 

 自由オーブ軍の事は、勿論レミリアも知っている。

 

 今はプラントの傀儡になっているオーブだが、一部の軍人達が、祖国と離反し、反プラントの旗を掲げて抗争をしている。

 

 つい先日も、何とかいう大学で軍事戦略を研究していると言う、何某とかいう良く判らない教授がテレビに出ていて、偉そうに演説をぶっていた。何でも彼が言うには、プラント軍の精強さをもってすれば自由オーブ軍如きは烏合の衆に過ぎず、また、彼等の資金源も、そう多くは無い。戦わずとも、遠からず彼等は自滅の道を辿らざるを得ないだろう。

 

 教授とやらの談話は、概ねそのような感じであったが、見ていたレミリアからすれば欠伸が出るくらいに呑気な考えとしか言いようが無かった。

 

 自由オーブ軍は強い。それはこれまで、ザフトや保安局、そして更には、精鋭中の精鋭である筈のディバイン・セイバーズとすら互角に戦ってきた事からも明白である。

 

 レミリアが特に気になっているのは「魔王」と呼ばれる存在だった。

 

 噂ではフリーダム級機動兵器を駆り、これまで多くのプラント軍を退けてきたと言う。決して侮れる相手ではないだろう。

 

「そこで、君には新規に編成された特別部隊に入り、月へ行ってもらう事になった」

「え?」

 

 思考していたレミリアはそこで現実に引き戻され、驚いたように顔を上げた。

 

 今までレミリアは(彼女自身は不本意の極みながら)議長直属の戦力として組み込まれ、何かしらプラント軍では対処が追いつかない問題が起こった場合にのみ、単独で出撃するのが常であった。

 

 レミリア・バニッシュとスパイラルデスティニーという組み合わせが、いわば1個の部隊として機能していたのだ。

 

 だが今、半ば常識と化したその事実を、目の前の議長自らが白紙にしようとしていた。

 

「何を驚いているの?」

 

 クスクスと笑いながら離しかけて来たPⅡを、レミリアは苛立ち交じりに鋭く睨み付ける。

 

 もっとも、睨まれた当の本人はと言えば、優雅に紅茶を飲みながら、少女の視線を受け流しているが。

 

「君の戦力は貴重なんだ。ならば、一番重要な所に送り込むのは当然じゃないか」

 

 正論ではあるが、しかし同時に不快でもあった。彼等の詭弁が、そしてそれに翻弄されるしかない自分が。

 

「でも、ボクは、お姉ちゃんが・・・・・・」

 

 無駄と判っていても、抵抗を試みる。

 

 今やレミリアの中にある唯一のアイデンティティは、姉のイリアであると言っても過言ではない。「姉を守る」と言う事実だけが彼女を支えていた。そのイリアと離ればなれになるような事態は、何があっても避けたかったのだ。

 

 だが無情な声は、少女の儚い想いすら容赦無く踏み躙る。

 

「勘違いしない事だ、レミリア。私は君にお願いしているのではない。命令しているのだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 グルックの言葉に、レミリアは黙るしかなかった。

 

 所詮は飼い犬の性。いくら吠え真似をしたところで、鎖を握る飼い主には敵わないのだ。蹴り付けられようが蔑まれようが、甘んじて受け入れるしかない。そして蹴り付けた相手は当然ながら、自らの行いを戒めようとは、露とも思っていない。

 

 無言のまま敬礼すると、レミリアは足早に執務室を出て行く。もうこれ以上、この男達と同じ空間にいる事は、一秒たりとも耐えられなかった。

 

 その行動がいかに幼稚じみているか、他ならぬレミリア自身が自覚しているが、そんな事に構っている余裕は、彼女には無かった。

 

 その背中を見送ると、PⅡはやれやれとばかりに肩を竦めて、グルックを見やった。

 

「それにしても意外だったね。君が、彼女を手放す事に同意するなんて」

「別に手放した訳じゃないさ。その為に、監視役も付けたのだろう?」

 

 PⅡの言葉に、グルックは苦笑で返す。

 

 レミリアの前線送りはPⅡが発案して、グルックが承認した物である。

 

 度重なるプラント軍の敗北と、先日の欧州戦線後退に伴い、大規模なてこ入れが必要と考えたグルックは、本国に留まっている戦力の中で、もっとも強力な戦力であるレミリアに目を付けたのだ。

 

「思い切った事をするよね。ま、考えたのは僕だけど」

 

 楽しそうにPⅡは、自らの「主」を見る。

 

「何しろ、レミリア・バニッシュは、彼女自身が未だに把握していない程の力を持っている。それを使えば、今の世界が一気にひっくり返るほどの力を、ね」

「そこまでにしておけ」

 

 鋭い口調で、グルックはPⅡを制した。

 

 いつに無く強い口調で発せられたグルック言葉に、流石のPⅡも口を閉ざした。

 

「それは最重要の機密事項だ。みだりに口にすれば、如何に君でも処分せざるを得なくなるぞ」

「ごめんごめん、迂闊だったよ」

 

 低い声で発せられるグルックの言葉に対し、PⅡは軽い調子で言葉を返す。どうやら本当に「ちょっと口が滑った」程度の認識でしかないらしい。

 

 PⅡは残っていた紅茶を飲み干すと、ソファから立ち上がる。

 

「そう言えば例の計画、そろそろなんじゃない?」

「・・・・・・ああ、そうだな」

 

 PⅡが言わんとしている事を悟り、グルックは頷きを返す。

 

 それは、グルックが長く構想を続けてきた地球圏統一計画の根幹を成す作戦であり、成功すれば長きに渡った戦乱に終止符を打つ事も可能となる。

 

 まさに、乾坤一擲とも言える大作戦である。

 

 それに比べたら、月戦線における苦戦など、ほんの瑣末事に過ぎない。自由オーブ軍如き、自分達が本気になればいつでも叩き潰す事が可能だった。

 

「成程ね」

 

 そんなグルックを見ながら、PⅡは薄い笑みを浮かべた。

 

「なら、そろそろ僕も直接動こうかな。ここで惰眠をむさぼるのも、いい加減飽きて来た所だし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙解放戦線のアシュレイ・グローブとの戦いを制し、ヒカルが帰還の途に着こうとした時だった。

 

 突然の攻撃に、とっさにヒカルは機体を振り返らせると、飛来した閃光をビームシールドで防御。同時に、攻撃した相手をカメラ越しに睨み付ける。

 

「あいつは・・・・・・・・・・・・」

 

 赤いボディに、白い8枚の翼を広げた機体。

 

 ディバイン・セイバーズのリバティだ。

 

 舌打ちするヒカル。

 

 厄介な奴らが出て来たものだ。

 

 リバティは腰のビームキャノンを連射して、エターナルフリーダムの動きを牽制しようとしてくる。

 

 対してヒカルは、後退を掛けながら、バラエーナ・プラズマ砲とレールガンを展開、牽制の砲撃を仕掛ける。

 

 甘い照準の元で放たれた攻撃を、クーヤは難なく回避すると、ビームサーベルを抜いてヒカルの懐に斬り込んだ。

 

「魔王が、余計な事を!!」

 

 怒りにまかせて、叫ぶクーヤ。

 

 振るわれる剣閃を、ヒカルは後退する事で回避する。

 

 だが、クーヤの動きはそこで止まらない。

 

 更に切り返して、光刃を振るう。

 

「アンタの出る幕なんか、ある物か!!」

 

 許せなかった。

 

 本来なら、宇宙解放戦線を止めるのは、クーヤの役割の筈だった。手柄を立てるのはクーヤの筈だった。テロリストを撃ち倒し、議長に称賛されるべきはクーヤの筈だった。

 

 それを、卑怯にも横からかっさらわれたのだ。

 

 目の前の、薄汚いテロリスト風情に。

 

 故にクーヤは、怒りの剣でもって斬り掛かる。

 

 迫る光刃。

 

 刃の一閃を、ヒカルはビームシールドで防御する。

 

 接触した互いの剣と盾が火花を散らす。

 

 次の瞬間、ヒカルはスラスターを全開まで吹かして、クーヤのリバティを押し返しにかかった。

 

「クッ!?」

 

 その圧力を前に呻き声を漏らすクーヤ。

 

 ヒカルはそのまま、盾のビーム面を押し付けるようにしてリバティを弾き飛ばす。

 

 バランスを崩して後方に流れるクーヤ機。

 

 しかしすぐに体勢を立て直して、エターナルフリーダムを追おうとする。

 

「逃がすか!!」

 

 背中を向ける相手に対し、ビームライフルを放って追撃する。

 

 対してヒカルは、それの相手をするのにも面倒を感じていた。

 

 そろそろ、長居は無用である。退けるうちに退かないと、敵の増援が雪だるま式に増える事になりかねない。

 

 とは言え、背後から迫るリバティは、簡単にはそれを許してくれそうにない。今も執拗に追いかけてくるのが見える。

 

 味方が来るまでヒカルを足止めするのが目的であると仮定してみたが、すぐにその考えを打ち消した。

 

 味方が来るまでも無く、自分が仕留める。

 

 クーヤの気迫からは、その意志がまざまざと見て取れた。

 

 そこへ更に、接近してくる反応があった。

 

 数は複数。恐らく保安局の機体であろう。

 

 舌打ちするヒカル。

 

 保安局の機体だけなら切り抜けるのにわけないが、そこにクーヤのリバティが加わっているから厄介である。加えてこちらは宇宙解放戦線とやり合った直後で消耗もしている。長期戦は明らかに不利だし、戦術を構築している暇も無い。

 

 何とか、包囲網を形成される前に、最大出力で脱出を。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 突如、飛来した赤い翼が、次々とビームを吐き出して保安局の機体を狙撃していく。

 

 たちまち、陣形を乱す保安局。

 

 そこへ、両手のビームサーベルと、両脚部のビームブレードを構えたギルティジャスティスが斬り込んだ。

 

 機体を回転させるような動きで刃を繰り出し、2機のハウンドドーガを撃墜。更に、その遠心力を殺さずに回し蹴りを繰り出し、別の1機をビームブレードで斬り倒した。

 

 放たれる砲撃は、深紅の甲冑を纏った機体を直撃する事は無い。

 

 逆に、照準を合わせられないでいるうちに、距離を詰められて斬り飛ばされる。

 

 全ての敵機を沈黙に追い込んだ後、アステルはエターナルフリーダムに通信を入れて来た。

 

《いつまで遊んでいるつもりだ?》

 

 アステルの素っ気ない言葉が投げかけられたのは、その時だった。

 

《乱痴気騒ぎをやっている余裕はない。さっさと帰るぞ》

「判ってるよ」

 

 癇に障る言い方ではあるが、この2年間でそれにも慣れていた。

 

 それ故に、ヒカルも素直に従う。

 

 一方のクーヤはと言えば、尚もしつこく追い縋ろうとする。

 

「逃がすか!!」

 

 放たれるビームライフルは、しかし本格的に離脱行動を始めた2機を捉える事は無い。

 

 ヒカル達はそのまま2機を振り切ると、一目散に逃げて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、突然の事だった。

 

 人ごみを抜け、監視を避けるように移動していたカノン達が間もなく、合流ポイントに入ろうとした時の事だった。

 

 突如、激しい銃撃に晒されたのだ。

 

 とっさに、ヘルガを庇うリザ。その間にカノンは、銃を抜いて応戦する。

 

 とは言え、カノンの手持ちの武器は、彼女の手には聊か大きい外見の拳銃一丁のみ。

 

 おまけに、物陰から一瞬見た相手の外見に、カノンは舌打ちを漏らした。

 

「保安局、か・・・・・・まずいなぁ・・・・・・」

 

 漆黒の制服を着た人間が数名。間違いなく、保安局の捜索隊だ。

 

 モビルスーツに乗っていれば何ほどの連中でもないが、こと対人戦闘においては、これ程厄介な存在はいないだろう。

 

 カノンも勿論、対人戦闘の訓練は充分に積んでいるが、それでも多勢に無勢の感は否めなかった。

 

 と、

 

「ノンちゃん、それッ」

 

 慌てた調子でリザがさしたカノンの腕からは、一筋の血が流れている。恐らく、流れ弾が霞めたのだろう。

 

「大丈夫、ちょっとかすっただけだよ」

 

 強気に言ってから、血を拭う。

 

 実際、痛みはほとんど感じていない。恐らく、脳内麻薬の分泌によって、痛みを忘れている状態なのだろう。多少動きに使用はあるが、気にするほどの事でもなかった。

 

 それよりも今は、この状況の方が重要だった。

 

 相手は保安局。数も、恐らく10人以上。対してこちらは、ヘルガを頭数に入れる事はできないから、カノンとリザの2人だけ。しかもカノンは手負いだ。

 

 カノンは飛んでくる銃弾の音を壁越しに聞きながら、チラッとヘルガに目をやる。

 

 彼女だけは、何としても守り通す必要がある。絶対に。

 

 決断は素早かった。

 

 グズグズしていたら包囲網が完成してしまう。だが今なら、「2人」だけならば、ここを抜け出す事も不可能とは思えなかった。

 

「ザッち、ヘルガ連れて逃げて。ここはアタシが抑えるから!!」

「馬鹿言わないで、ノンちゃん!!」

 

 当然のように抗議するリザ。

 

 だが、現実は彼女達が考えるよりも、最悪の方向へ転がろうとしている。

 

 躊躇している暇は無かった。

 

「早く行ってッ!!」

 

 背中を押すように叫ぶカノン。

 

 目的はあくまで、ヘルガを逃がす事。そこへ逡巡を挟む余地も、余裕も無かった。

 

「カノン・・・・・・・・・・・・」

 

 ヘルガが、瞳を涙で潤ませながら、小柄な友人に声を掛ける。

 

 当初、彼女達に対して良い感情を抱いていなかったヘルガだが、ここ数日の付き合いを経て、その態度は随分と軟化されている。

 

 これまで、その立場故に対等の友人を作りにくかったヘルガだが、ここに来て「生涯の友」とも言える者達に出会えたのだ。

 

 その友が、自分を逃がす為に犠牲になろうとしている。

 

 その事が、ヘルガには耐えがたい物であった。

 

 対してカノンは、腕の傷を押さえながら、ニッコリと笑ってみせる。

 

「大丈夫だって。アタシもすぐ追いかけるから。先に艦に行って待っててよ」

 

 カノンがそう言うと、リザがヘルガの腕を引っ張る。

 

 本当にもう、時間が無い。ここで時を食いつぶして、3人とも倒れる事態になっては元も子も無かった。

 

 尚も後ろ髪を引かれる思いはある。

 

 しかし、それを振り切って、リザとヘルガは駆け出した。

 

 その後ろ姿を見送り、カノンは再び銃を構える。

 

「さて・・・・・・これは本格的にやばいかな・・・・・・」

 

 冷や汗交じりに呟く。

 

 だが、同時にこの時、カノンはまだ、冷静さを保てていた。

 

 その脳裏で考えていた事は、こうなった事への経緯。

 

 自分達の逃走経路は、厳密に設定していた筈。にも拘らず、保安局は自分達の行動を完全に読み切って待ち伏せしていた。

 

 この戦闘が偶発的な物だとは、カノンは考えていない。明らかに保安局は意図してカノン達を待ち伏せていた感がある。

 

 地形的に特殊だった為に包囲網に綻びが生じ、おかげでヘルガ達を逃がす余裕ができた事だけは幸いだったが。

 

 しかし、そうなるとなぜ、自分達の情報が敵に漏れていたのかが、気になる所である。

 

「・・・・・・まあ、今は考えても仕方ないか」

 

 あっけらかんと呟いて、意識を現実に向け直す。

 

 攻撃はいよいよ激しさを増し、カノンの運命は旦夕に迫っている事が伺える。

 

「・・・・・・いよしっ」

 

 覚悟を決めるカノン。

 

 軍人になると決めた時点で、こうなる事は自分の中で織り込んでいた。

 

 頭の中で、大切な人達を一人ずつ思い浮かべる。

 

「・・・・・・パパ・・・・・・ママ・・・・・・リィちゃん・・・・・・」

 

 そして、

 

「ヒカル・・・・・・・・・・・・」

 

 幼馴染の少年。

 

 大好きな男の子。

 

 この想いを彼に伝えられなかったのは、残念でならない。

 

 けど、それも最早、叶わぬ願いでしかない。

 

 溢れる涙を、袖でグイッと拭う。

 

 怖くない筈が無い。

 

 けどそれでも、自分にだって軍人としてのプライドがあった。

 

「行くよ!!」

 

 一声吠えると、カノンは物陰から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒカルが帰還した時、大和の艦内は御通夜のように消沈しきっていた。

 

 何事かと訝ったが、すぐに事情を聞き出して駆け出した。

 

 飛び込んだ食堂で見た者は、険しい顔つきのリィスとアラン、ナナミ、どうにか追撃の手を振り切って戻ってきたレオス。

 

 そして、彼等に囲まれる形で消沈しているリザとヘルガだった。

 

「ヒカル君・・・・・・・・・・・・」

 

 虚ろな声でリザが呼びかける。

 

 それに対してヒカルは、よろけるようにして一歩踏み出す。

 

「・・・・・・・・・・・・カノンは?」

 

 尋ねる声に沈黙が帰る。

 

 それが、この場にいない少女の運命を、如実に物語っていた。

 

 カノンが、

 

 ヒカルにとって幼馴染の少女、

 

 守るべき大切な親友が

 

 戻ってこなかったのである。

 

 信じられなかった。つい数時間前、笑顔で別れたばかりである。それがまさか、このようなことになるとは。

 

「保安局に囲まれて・・・・・・ノンちゃん怪我して・・・・・・それで、あたし達だけ逃がすって・・・・・・」

 

 ヘルガの手を握りながら、リザが途切れ途切れに状況を知らせる。

 

 友達が身を挺している時に、何もできなかったのが悔しくて仕方が無かった。

 

 そして、それはヘルガも同様である。

 

 カノンは自分を守る為に犠牲になった。それを考えれば、悔悟の念で身を斬り裂かれそうになる。

 

「せめて、俺達がついていたら・・・・・・」

「いや、それでも結果は変わらなかったと思う」

 

 悔しそうに呟くレオスを、アランがやんわりと宥める。

 

 状況を聞く限り、仮にヒカルとレオスが直接護衛についていたとしても、保安局の奇襲には対応できなかっただろう。下手をすれば、全滅していた可能性すらある。

 

「クソッ」

 

 皆の話を聞いていたヒカルは、苛立ったように踵を返す。

 

 そのまま食堂を出て行こうと、足を速める。

 

「待ちなさいヒカル、どこに行く気よ!?」

「決まってるだろッ カノンを探しに行くんだよ!!」

 

 叩き付けるように返事を返す。

 

 控えめに言って、今のヒカルは冷静さを欠いている。

 

 カノンと言う大切な存在を失い、暴走しかけていると言っても過言ではなかった。

 

「馬鹿な事言わないでッ アンタが行ったって、できる事なんて何も無い!!」

 

 リィスは殊更厳格に言い放つ。

 

 既に情報収集に関しては、レジスタンスに依頼して動いて貰っている。土地勘皆無なヒカルがやるよりも、ずっと確実性が高い。むしろヒカルなど、彼等の足を引っ張るだけだろう。

 

 それに、実に言いにくい事だが、

 

 リィスの情とは別にある、兵士としての理性の部分は告げていた。

 

 カノンはもう、生きていないかもしれない。

 

 と、

 

 口にしたくも無い仮定だが、その可能性を視野に入れない訳にはいかなかった。

 

 だが、

 

 ヒカルはそんなリィスを無視して、食堂を出て行こうとする。

 

「ヒカルッ!!」

 

 制止しようとするリィス。

 

 だが次の瞬間、

 

 ドスッ

 

「・・・・・・か、はっ」

「馬鹿が。少し頭を冷やせ」

 

 口から唾液と呼吸を吐き出しながら、その場に崩れ落ちるヒカル。

 

 その陰から現れたアステルは、ヒカルの鳩尾に叩き込んだ拳を握ったまま、倒れた少年を冷ややかに見下ろしていた。

 

「ヒカル!!」

 

 床に倒れたヒカルを、リィスとアランが駆け寄って助け起こす。

 

 よほど強く殴られたのだろう。ヒカルの意識は完全に途切れ、瞳は固く閉ざされていた。

 

「暫く閉じ込めておいた方が良い。今のこいつは何をしでかすか判らんからな」

 

 素っ気なく言い捨てるアステルを、リィスは厳しい眼差しで睨み付ける。

 

 しかし、それ以上何も言う事はしなかった。

 

 この中で、もっとも冷静さを保ち得ているのがアステルであり、そして彼の言葉が全く正しい物であると認めざるを得なかったのだ。

 

 そんな中で、ナナミは一人黙り込んで、一同のやり取りを見守っていた。

 

 彼女の脳裏にあったのはただ一つ、艦長室でのシュウジとのやり取りだった。

 

 内通者。

 

 その存在を示唆したシュウジだったが、今となっては、その可能性も捨てきれなくなりつつある。

 

 そして、現在のところ最も怪しいのは、

 

 ナナミの視線が、ヒカルを殴り倒した青年に向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先の自由オーブ軍による攻撃によって壊滅的被害を蒙ったアルザッヘルは、拠点としての機能をほぼ喪失し、今は廃墟の山と化している。

 

 無論、最重要の戦略拠点である為、復旧は急ピッチで進められてはいるが、優秀なプラントの技術力を持ってしても、その全ての機能を取り戻すには数カ月単位で時間が必要とされていた。

 

 代わって、プラント軍が拠点を置いたのは、アルザッヘルと同規模で、大軍の展開が容易なプトレマイオス基地だった。

 

 ここはかつて、ヤキン・ドゥーエ戦役時には地球連合軍の最重要拠点であり、プラント侵攻作戦「エルビス」の際には、宇宙艦隊の発進、後方支援基地としても使用された。

 

 もっとも、同作戦においてザフト軍が使用した大量破壊兵器ジェネシスの直撃を受け、基地は文字通り消滅。以後、長きに渡って放棄されてきた。

 

 それをプラント軍が再建し、現在使用している訳である。

 

 もっとも、プラント軍は、月周辺の指揮中枢を全てアルザッヘルに集中し、物資、戦力の集中もそちらが優先だった。その為、プトレマイオスの拠点機能は、規模こそ大きいものの、アルザッヘルのそれには遠く及ばない物だった。

 

 そのプトレマイオスに、今、1機の大型シャトルが入港してきた。

 

 港の桟橋に固定されたシャトル。

 

 その降り口で、基地司令がやや緊張気味の面持ちで、出て来る相手を待ちわびている。

 

 そんな彼の視界の中でハッチが開き、中から数人の次女に付き添われる形で、1人の少女が下りてきた。

 

 短く切った金髪に、服の上からも判るほっそりした体。

 

 顔の上半分を仮面で覆っていても、その少女の美しさと気品は溢れる程に伝わってくる。

 

「お待ちしておりました。ようこそ、我がプトレマイオス基地へ」

 

 やや上ずった声で、挨拶する基地司令。

 

 対して少女は、仮面から除く口元に、柔らかい微笑みを浮かべて会釈する。

 

「お世話になります」

 

 ユニウス教団の象徴。

 

 聖女と呼ばれる少女は、そう言うと、ゆったりした足取りで月に降り立った。

 

 

 

 

 

PHASE-17「帰らぬ心」      終わり

 


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