機動戦士ガンダムSEED 永遠に飛翔する螺旋の翼   作:ファルクラム

5 / 104
PHASE-02「親友の素顔」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 群れを成して泳ぐ魚の大群を追い立てるように、黒々とした影が深海を進んで行く。

 

 一見するとクジラのようにも見えるが、明らかに自然物とは違う表面の光沢が、その影が人工物である事を示している。

 

 闇に包まれた深海を音も無く進む姿は、まるで太古の眠りから目を覚まそうとする魔獣を連想させる。

 

「現在、オアフ島の沖合、30キロの地点。海上の波浪は軽微。北東の風、微風。浮上展開に問題は無し」

「機関主力、30パーセントまで下げ、速力10マイナス」

「格納庫より報告。間も無く発艦準備完了との事」

 

 次々ともたらされる報告が、来たる大作戦に対する高揚感を否が応でも高めていく。

 

「定時連絡は?」

「今朝の時点ですでに。合図があり次第、行動を開始するとの事です」

 

 艦長からの質問に、副官は淀み無く答える。

 

 今のところ、オーブ軍の哨戒部隊がこちらに気付いていている様子はない。このままなら、問題なく作戦を発動できるだろう。

 

 艦長は眦を上げると、腕を振って命じた。

 

「浮上開始。カタパルトを展開次第、モビルスーツ隊を出せ」

「了解、メインタンクブロー。浮上を開始します!!」

「カタパルトデッキ、起動準備完了。パイロット各位は発艦に備えて待機してください」

 

 やがてタンクから排水される音が聞こえ、ゆっくりと艦が浮上を始める。

 

 これから始まる作戦によって、多くの犠牲者が出る事だろう。だが、それも全て必要な犠牲なのだ。

 

「全ては、祖国統一の為に」

 

 低い呟きとほぼ同時に、艦は浮上完了した。

 

 潜水艦特有の黒々とした船体が、水面上に姿を現す。

 

 同時に上部甲板が観音開きになり

 

 地球連合のダガー系の流れを組むと思われる機体は、細い四肢とバイザーのような頭部カメラを備えた鋭角的な機体である。背部の装備が違うのは、それぞれ自分達のバトルスタイルに合ったストライカーパックを装備しているせいである。

 

 数は4機

 

 やがて、発進許可が下りると同時に艦載機部隊は次々とカタパルトから打ち出されていく。

 

 その向かう先には世界有数の観光名所が、陽光の下にもたらされる平和な日常を過ごしているのが見えた。

 

 

 

 

 

 突然の事態に、ハワイ基地の管制塔はパニックに近い形になっていた。

 

 5分前に突如、所属不明の機体がオアフ島の北方海上に現れたかと思うと、オーブ軍が敷いた防衛ラインをすり抜ける形で接近を開始したのだ。

 

 そのあまりの速度に、対応が追いつかない。

 

「所属不明機に告げる。こちらはオーブ軍オアフ島基地。貴編隊はオーブの領海を侵犯している。直ちにこちらの誘導に従われたしッ 繰り返す!!」

 

 オペレーターの必死の呼びかけにも、相手は進路を変える気配はない。

 

 断固たる意志を示そうとするかのように、真っ直ぐに向かってくるのがレーダー上でも確認できる。

 

「目標、進路、速度共に変わらず!! このままではあと10分で上陸します!!」

 

 オペレーターが悲鳴じみた声で報告する。

 

 誰もが「まさか」と思う。

 

 この共和連合の一大根拠地であり、オーブ共和国の北部防衛の要として鉄壁の防御を誇るハワイに攻撃を仕掛けて来る者がいようとは、誰もが予想できない事であった。

 

 だが、現実には確かに、ハワイに向けて迫ってくる「敵」の姿がハッキリと捉えられている。

 

「スクランブル機に発進命令を!! それから全島に避難命令を発しろ!!」

 

 矢継ぎ早に命令が下される。

 

 カーディナル戦役の終結から16年。その間、オーブの国土が大きな紛争に巻き込まれる事は殆ど無かった。

 

 しかし今、その神話は脆くも崩れ去ろうとしている。

 

 それがすぐ、間近にまで迫ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 彼方で一瞬、何かの閃光が起こったかと思うと、ついで地響きのような轟音が大気を伝わって士官学校の教室にまで響いてきた。

 

 それが戦闘による破壊の衝撃だと理解できた人間は、教室内ではほぼ皆無である。

 

 ただ全員が、突然の事態にそれまでしていた作業の手を止め周囲を見回す。

 

「な、何だ!?」

 

 突然の事態に、思わずヒカルは、見ていた教科書から顔を上げて叫ぶ。

 

 ヒカル自身、これまで感じた事の無いような衝撃に戸惑っている。

 

 しかも、振動は最初の一回だけではない。尚も断続的に続いているのだ。

 

「これは、いったい・・・・・・」

 

 レミルも戸惑った調子で窓の外を見ている。

 

 「女よりも美人」と称されるその顔も、今は得体の知れない恐怖を前にして青褪めているのが分かった。

 

 目を転じればカノンもまた、突然の事態に何がどうなっているのか判らず戸惑っているのが見て取れる。

 

「ヒカル、これって・・・・・・・・・・・・」

 

 恐怖の為に小さな体を強張らせ、声を震わせるカノン。

 

 無理も無い。いかに飛び級で士官学校に入学するのを許されたとは言え、カノンはこの中では最年少の14歳。突然の事態に怖くない筈が無かった。

 

「俺、ちょっと事情を聞いて来る。レミルはカノンを頼む!!」

 

 そう言って、ヒカルが立ち上がろうとした時だった。

 

 天井に備えられたスピーカーから、非常用の警報と共に声が響いてきた。

 

《校内にいる候補生各位に告げる。ハワイは現在、所属不明の敵対勢力による攻撃を受けている。各位は退避マニュアルに従い、速やかに最寄りのシェルターへ退避せよ。これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない》

 

 その放送を聞いて、誰もが愕然とした表情を浮かべる。

 

 攻撃を受けている? このハワイが?

 

 ハワイはオーブ軍が管理を任されているとは言え、共和連合軍の一大根拠地でもある。そこへ大胆にも攻撃を仕掛けてくる輩がいるとは思いもよらない事だった。

 

 だが、現実に起こっている遠雷のような轟音と、僅かに伝わってくる振動が、警報が真実である事を告げている。

 

 緊張が走る。

 

 カノンは不安そうな顔をしているし、普段は割と冷静な事が多いレミルも、緊張の為に厳しい顔をしている。

 

 だが、逡巡してばかりもいられない。「これは演習ではない」の一文通り、現実に今、すぐ近くで実際の戦闘が起こっているのだ。

 

 ここでグズグズしてたら最悪、戦闘に巻き込まれてしまう

 

「とにかく、今はまず、シェルターへ向かおう。あそこなら安全だッ」

 

 レミルの提案に、一同も異存はない。

 

 そもそも士官学校の規定で、万が一襲撃を受けた場合のマニュアルはしっかりと存在している。それによると、候補生は速やかにシェルターへ退避すると明記されている。

 

 実戦経験の無い候補生を、戦場に放置しておくわけにはいかないと言う事だ。

 

 一同は頷くと、揃って部屋を出て行く。

 

 しかし、

 

 その中で1人だけ、

 

 僅かに目を細め、鋭く眼差しを光らせている者がいる事には、誰も気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それらの機体は、ハワイ基地に侵入すると同時に攻撃を開始。手にした携行火器を存分に振るい、周囲に破壊と炎をまき散らしていく。

 

 明らかに連合系のフォルムを持った機体は、見るからに俊敏そうなフォルムをしており、更に背中には、伝統とも言うべきストライカーパックを装備している。

 

 GAT-09「ジェガン」

 

 ダガー、ウィンダム、グロリアスと続いている、正当な系列機である。

 

 とは言え、かつてこの系列の機体を主力にしていた大西洋連邦は既になく、主装備とした組織もまた、違っている。

 

 北米統一戦線

 

 「北米を北米人の手で統一する」と言う理想を掲げて戦う彼等は、少数ながらも旧大西洋連邦軍の兵士が多数参加している事から、高い士気と戦力を誇り、北米大陸における脅威の一つとなっている。

 

 これまでも、少数勢力であるが故の隠密性と機動性を駆使して、共和連合に対してゲリラ的なテロ活動を続けて来ていた。

 

「各機、散開しつつ攻撃を続行!! とにかく派手に暴れて敵の目を引き付けろ!!」

 

 部隊を率いるクルト・カーマインは、自身もジェガンを駆って前線に立ちながら鋭く指示を飛ばす。

 

 30代も半ばを過ぎたこの男だが、かつては軍に所属していた経歴があり、その作戦指揮能力には定評がある。少数戦力での戦いを常に余儀なくされている北米統一戦線にとっては、要とも言うべき人物である。

 

 クルトのジェガンは、手にしたビームカービンライフルを振り翳し、手近な格納庫に銃口を向けてビームを撃ち放つ。

 

 銃身を短くして取り回しやすさを追求したビームライフルは、しかし同時に他のタイプのライフルよりも、中距離以上での威力に欠ける。

 

 しかし今回の任務は敵との交戦ではなく、あくまで敵の攪乱。故に武器の低威力は問題にはならなかった。

 

 炎を上げた破壊される格納庫。

 

 完全破壊には至っていないが、それでも入口を潰して中に格納されている機体が出られないようにすれば、一撃で10機前後の機体を撃墜したのと同じような効果が得られる。

 

 元々、少数での奇襲を行うのが今回の作戦の骨子である。故に攻撃は手際よく、効率重視で行かなくてはならない。その為には、敵機は格納庫にいるうちに潰すのが最も有効である。どんな強力な機体も、パイロットが乗り組む前に潰しておけば無害である。

 

「とは言え、相手は共和連合の主力部隊だ。この戦いもいつまで続けられるか」

 

 滑走路に向けてライフルを放ちながら、クルトはぼやくように呟く。

 

 ビームの着弾によって滑走路には大穴があき、更に周辺に置かれていた器材も吹き飛ばされて炎上する。

 

 クルトとしては、敵が体勢を整える前に少しでも損害を与えておきたいところである。

 

 ジェガンの性能は高く、並みの量産型モビルスーツが相手なら複数と同時に対峙しても勝てる自信がある。

 

 しかし、ここは共和連合軍主力が駐留する場所だ。そいつらに大挙して出てこられたなら、防ぐ事は難しい。

 

「・・・・・・頼むぞ、急いでくれ」

 

 燃料タンクに攻撃を仕掛けるクルトのジェガン。

 

 そのコックピットの中で、ここにはいない人物へと語りかけた。

 

 

 

 

 

 女性士官は、臍を噛みたい心境だった。

 

 ロールアウトを間近に控えた新型機動兵器の護衛として派遣されてきた自分。

 

 間もなくその任務も終わろうと言う時に、この襲撃騒ぎだった。

 

 フリューゲル・ヴィントから一個小隊を護衛に回せば、敵は恐れをなして襲撃を諦めると言うのは上層部の判断であったのだが、結果の程はごらんのとおりと言う訳だ。

 

 既に敵の奇襲によって、ハワイ基地の被害は拡大しつつある。いかに精鋭部隊とは言え、一個小隊で敵の攻撃を防ぐなど不可能だ。ましてか奇襲と来れば、事前情報が無いとほぼ無力に近い。

 

 現場を知らない人間が、机上で計画を立てるからこんな事になる。

 

 上層部の判断の甘さには皮肉の一つもぶつけたくなるが、それでも今の女性にはそんな余裕すら無い。

 

 先のレトロモビルズの襲撃の件もあった為、警戒しておいたのは間違いではなかったが、しかしそれでも、自分達がいて尚、敵の襲撃を受けたと言う事実には忸怩たる物を感じずにはいられなかった。

 

 手早く、待機させておいた自分の機体に乗り込んで、OSを立ち上げていく。

 

 切り替えは素早く。軍人としての鉄則である。

 

 愚痴っていても状況が好転するわけではなく、保守に走れる状況でもない。

 

 ならば打って出て、自ら勝機を引き寄せるしかない。少なくとも自分はそうやって生き残ってきたのだ。昔も、そして今も。

 

《大尉》

 

 バッテリーが各部位にエネルギー供給をし始めたところで、艦長から通信が入った。

 

 引き締まって細められた瞳と、この状況下でも一切取り乱した様子が無い落ち着いた声音が、歴戦の雰囲気を作り出している。

 

《ラボから連絡が入った。アルファとベータの運び出しには、まだしばらく時間がかかる見通しだそうだが、それまで何とか時間を稼げるか?》

「敵が誰で、どの程度来ているのか判らない現状、味方部隊の援護が無いのは少しきついです」

 

 戦場において敵の正体が見えないのは致命傷に近い。それによって、敵がどの程度の戦力を投入し、何を狙っているのかがハッキリしない為、多くの事柄に注意を注がなくてはならなくなる。必然的に、本命への警戒も薄くなると言う訳である。

 

 とは言え、

 

「時間は稼ぎます。その間に何とか、艦の方に積み込んでしまってください」

《判った、頼むぞ》

 

 通信を叩き付けるようにして切ると、既に暖気が完了している機体に向き直る。

 

 オーブ軍が開発した型機は、特に精鋭部隊であるフリューゲル・ヴィントを中心に配備が始まっている。

 

 エターナル計画(プロジェクト)と呼ばれる、次期新型機動兵器開発計画の一環として建造された機体は、本来なら三機一組での運用を想定しているのだが、今は1機のみ稼働可能な状態である。

 

 そのコックピットの中で、発進準備は着々と進められていく。

 

「お父さんとお母さん、みんなが力を合わせる事で築いてきた平和。それを壊そうって言うなら、絶対に許さない!!」

 

 リフトアップと同時に、スラスターにエネルギーを供給。推進剤に点火する。

 

 発進のゴーサインが下る。

 

 同時に、スロットルを全開まで開いた。

 

「リィス・ヒビキ、行きます!!」

 

 

 

 

 

 駆ける足は自然と速くなる。

 

 騒音に急き立てられるように、子供達は必死に走り続けている。

 

 初めて経験する戦争と言う現実を前にして、恐怖を感じない者などいない。それが、やがて軍人となる事を約束された士官候補生であっても同じ事である。

 

 いや、なまじ知識があるからこそ、却って恐怖心は無限に膨らむものである。

 

 とにかく、一刻も早くシェルターへ。

 

 そう思う足がもつれそうになるのを必死に抑えて走り続ける。

 

 周囲には、やはりシェルターエリアに駆け込もうとする候補生たちの姿が見える。どうやら朝の登校前だった事が幸いし、それほど数は多くない様子だ。

 

 これなら、シェルターの上限人員からあぶれる事は無いだろう。

 

 シェルターは完全地下方式で作られており、硬い岩盤を利用した強固な物である。モビルスーツどころか戦艦の砲撃を喰らってもビクともしない。

 

 そこまで逃げれば安全だろう。

 

 そう思って、ヒカルは背後を振り返る。

 

「もうすぐだぞッ がんばれ!!」

 

 そう言った時だった。

 

 思わずヒカルは、動きを止めて周囲を見回すような仕草をした

 

「ヒカル? どうし・・・・・・」

「おい、レミルはどうした?」

 

 訝るカノンの声を遮るように、ヒカルは尋ねる。

 

 振り返れば、今の今まで後ろからついてきていると思っていた少年の姿が、どこにも無かった。

 

「あ、あれ? レミル、たしか、あたしの後ろに・・・・・・」

 

 カノンも戸惑った様子で周囲を見回すが、見慣れた少女顔の少年の姿は無かった。

 

 どこかではぐれたか?

 

 一瞬、嫌な予感が走る。

 

 この状況ではぐれる事は致命傷に近い。攻撃が迫っている今、最悪の場合、二度と会う事ができなくなるかもしれない。

 

 逡巡している暇はない。こうしている間にも、騒音と振動は大きくなっている。徐々に戦場が近付いているのだ。このままここで立ち尽くしていたら、いずれ攻撃に巻き込まれてしまう事だろう。

 

 ヒカルの決断は早かった。

 

「俺はレミルを探してくるッ カノンは先にシェルターに入ってろ!!」

「あ、ヒカル、待って!! あたしも行くよ!!」

 

 ヒカルは今来た道を戻り出すと、それに続くようにカノンも走り出す。

 

 学校が戦火に見舞われるのも、時間に問題と思われる。もしそれに親友が巻き込まれるかもしれないと思うと気が気ではなかった。

 

「あのバカ、無事でいろよな!!」

 

 人の波に逆らうように、ヒカルは全速力で走りだす。

 

 とにかく、一刻も早くレミルを連れ戻さなくてはならない。

 

 走るヒカル達の足は、自然と早くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ラボではアルファ、ベータと言うコードネームで呼ばれている新型機動兵器の搬出作業で大わらわになっていた。

 

 この2機は共和連合軍が、混沌とした現状を打破する事を目的に建造した切り札でもある。こんな所で破壊されるわけにはいかなかった。

 

 幸い、この機体の母艦となる船が既に入港している。そこまで運んでしまえばあとは安全だった。

 

 とは言え、

 

「搬出には13番通路を使えッ そこが一番早く港に着ける!!」

「アルファの方は装備の持ち出しも忘れるんじゃないぞ!!」

「馬鹿野郎ッ それはそっちじゃねえッ ベータと一緒に運ぶんだよ!!」

 

 殺気立った整備員達の怒号や、足音がけたたましく交錯する様は、さながら、地上とは別の意味で戦場と化している感すらある。

 

 皆の脳裏には、以前起こったレトロモビルズのテロ事件の事があった。あの事件により、ロールアウト寸前だったアルファは大破し、開発は後退する事になった。

 

 もしまた、同様の事が起これば、戦局及ぼす影響は計り知れない物となる。

 

 誰もがその事を分かっているからこそ、必死になって作業に取り組んでいた。

 

 しかし、突然の事態に翻弄されながらも、どうにか作業を滞りなく進めている辺り、この場のスタッフ達がいかに優秀であるかを伺う事ができる。

 

 部下達の作業風景を見ながら、整備班長は苦い顔のまま頷く。

 

 敵の攻撃がますます苛烈さを増していると言う状況の中、作業は混乱を来しながらも、取りあえず順調に進んでいる。この分で行けば、こっちはどうにかなるだろう。聞けば、オーブ軍の精鋭も出撃していると言うし。

 

 後は搬出後に敵に捕捉されなければ上出来だった。

 

 そう思った時だった。

 

「ちょっと、すいません。宜しいでしょうか?」

 

 この喧騒の中にあって、いっそ場違いなほど、涼やかな声が響いた。

 

 振り返る視線の先。

 

 そこには、男性用士官候補生制服を着た「少女」が立っていた。

 

 なぜ、こんな所に候補生がいるのか?

 

 そう思って、整備長が誰何しようとした。

 

 次の瞬間、

 

「ごめんなさい」

 

 短い言葉と共に、少女の手が跳ねあげられる。

 

 その手に黒い物が握られている事を認識した瞬間、オレンジ色の光が瞬き、鈍い銃声が響き渡った。

 

 一瞬の静寂の中、誰もが動きを止めて視線を向ける。

 

 それまでの喧騒がうそのように静まり返る中、

 

 胸の中央を銃弾に撃ち抜かれた整備班長は、そのまま力が抜けて床に前のめりに倒れ伏した。

 

「班長!!」

 

 他の整備員達が異常に気付いて声を上げた瞬間には、

 

 レミルは既に動いていた。

 

 もう1丁の拳銃を抜いて2丁構えると、突然の出来事に立ち尽くす事しかできない整備員達を次々と撃ち殺していく。

 

 整備員達は、レミルのあまりに俊敏な動きを前に、対応が全く追いつかない様子だ。無理も無い。彼等の仕事は機体の整備であって、戦闘に関しては素人なのだから。

 

 その間にもレミルは、正確な射撃を繰り出し、整備兵達を1人ずつ無力化していく。

 

 その射撃の腕も手際の良さも、とても士官学校に入りたての少年とは思えない、熟達した物である。

 

 殆どの整備員達が血溜の中に倒れ伏して動けなくなるまでに、そう長い時間はかからなかった。

 

 周囲は、まるで地獄のような光景である。

 

 いや地獄なら、今こうしている間にも地上で繰り広げられている。北米統一戦線のモビルスーツ部隊が、ハワイ基地に対する破壊活動を絶賛継続中である。

 

 しかし、レミルが作り出した地獄は、地上のそれとはまた次元の異なる代物であった。

 

 そこら中に散らばった死体と、吐き気を催すような血の匂い。

 

 モビルスーツによる破壊によってもたらされる地獄もまた地獄には違いないだろうが、視覚や嗅覚と言った五感に直接訴える地獄は、人間にとって原初の恐怖を想起させるものがある。

 

 では、その地獄に1人立つレミルは、さしずめ醜悪な悪魔と言うべきだろうか?

 

 どのみち、この場に平然と立っていられる時点で、普通の精神の持ち主でない事だけは自覚できた。

 

 暫くの間、その場で立ち尽くすレミル。

 

 だが、すぐに気を取り直して、メンテナンスベッドに横たわっている機体を見上げた。

 

 整備兵達が「ベータ」と呼んでいたこの機体こそが、レミルの本来の目的でもある。

 

 その為だけに、レミルはこの地獄の演出を行ったのだ。

 

「全ては、僕達の目的の為に・・・・・・・・・・・・」

 

 低い声で、宣誓にも似た呟きを洩らす。

 

 その為に全ての犠牲が許されるとは思わない。全てが終わった後、自分自身が地獄に落ちても構わない。

 

「でも、今は・・・・・・戦い続けるだけ」

 

 決意の呟きと共に、コックピットへ上がるタラップに手を掛けるレミル。

 

 その時だった。

 

 生き残っていた整備兵の1人が、突如、レミルに襲い掛かってくる。

 

 手にしているのは作業用と思われる大ぶりなナイフである。

 

 その銀色の光がレミルの目を射た瞬間、

 

 少年は大きく体をひねり込ませ、旋回によって得た力をそのまま蹴りに変換して繰り出す。

 

 振り向きざまに、銃口が向けられる。

 

 交錯する両者。

 

 次の瞬間、放たれた弾丸は整備兵の眉間を真っ直ぐに貫いた。

 

 今度こそ、整備兵が完全に絶命したのを確認して、銃口を降ろすレミル。

 

 改めてベータに向き直り、タラップに足を掛けようとした。

 

 その時

 

 パラッ

 

 布が捲れるような音と共に、レミルは自分の胸元が妙に涼しくなっている事に気付いた。

 

「ッ!?」

 

 息を呑むレミル。

 

 そこには、鋭く斜めに切り裂かれた制服の胸元があった。

 

 しかし、痛みは無い。どうやらナイフは服だけを切り裂くにとどまり、紙一重でレミルの体には傷を付けなかったらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・危なかった」

 

 冷や汗交じりに呟きを漏らす。

 

 そのレミルの胸元は、制服だけでなく、その下に着ているTシャツまでもが切られている。あとちょっとずれていたら、レミルの命も相打ちで失われていたかもしれない。

 

 しかし

 

 ある意味、今驚くべきはそこではないかもしれない。

 

 手で押さえたレミルの胸元。

 

 そこには、「少年」であるはずのレミルには、本来ならあるはずの無い二つの膨らみが、僅かに見て取れた。

 

 無言のまま、胸元を合わせるレミル。

 

 その時だった。

 

「レミル!!」

 

 よく聞きなれた声による突然の叫びに、レミルは思わず手を止めた。

 

 ある意味、この場では最も聞きたくない相手の声だ。

 

 胸を押さえながら振り返るレミル。

 

 その視線の先には予想通り、レミルにとって相棒とも言える親友の少年が立っていた。

 

「お前・・・・・・何やってんだよ? これは、どういう事だよ・・・・・・」

 

 カノンと共にレミルの捜索に来たヒカルだったが、途中ではぐれてしまい、1人でこの場所に辿り着いたのだ。

 

 しかし、そこで見たのは地獄の光景のように、無数に転がる死体と、この状況を作り出したであろう、殺戮者の姿だった。

 

 周囲に転がる死体。

 

 そして、今まさに開発中と思われる機体に乗り込もうとしている親友。

 

 その様子から、ヒカルは瞬時に理解していた。

 

 この地獄を現出したのが誰なのか・・・・・・

 

 そして、自分の相棒が何のためにここにいるのか、を。

 

 だが、頭でわかっていても、心のどこかでは事実を否定してほしいと言う気持ちでいっぱいである。

 

 何かの冗談であってくれ。

 

 あるいは、全部夢であってほしい。

 

 そう強く願う思いは、レミルの発した言葉によって遮られる。

 

「・・・・・・・・・・・・ごめんね、ヒカル」

 

 低い声で囁くレミル。

 

 次の瞬間、レミルは左手で胸元を押さえたまま、右手に持った銃を跳ね上げた。

 

 鋭い轟音と共に、放たれる銃弾。

 

 放たれた銃弾はヒカルの顔のすぐ脇を通り抜けて行った。

 

「レミル・・・・・・・・・・・・」

 

 信じられない面持ちで、親友を見るヒカル。

 

 自分を撃った?

 

 レミルが?

 

 まさか、と思う。

 

 目を見開いたまま、動けなくなる。

 

 あまりにも想像外の事態が連続して起こりすぎている為、ヒカルの中で何がどうなっているのか全く分からなくなっていた。

 

 対してレミルも、苦しそうに表情を歪めながら、ヒカルへと銃口を向け続けている。

 

「僕はね・・・・・・テロリスト、なんだよ」

 

 囁くように言った瞬間、

 

 レミルはタラップを素早く駆けあがる。

 

「レミル、待てよ!!」

 

 ヒカルが制止する声が聞こえたが、もはやレミルは立ち止まらなかった。

 

 滑るようにコックピットに飛び込むとハッチを閉鎖。慣れた手つきで機体を立ち上げて行く。

 

 この一年間で、内偵はほぼ完ぺきに行っている。この機体についても、自分で解体整備ができるくらいに調査を終えていた。

 

 OSが起動、エンジンに火が入り次々と各部位が立ち上がっていく。

 

 さすが、共和連合軍が期待を掛けるだけの事はあり、想像を絶するほどの出力だ。今までレミルが乗って来たどんな機体よりも強力なのは間違いないだろう。

 

 モニターに灯が入る。

 

 その視界の端では、見慣れた親友が尚も信じられないと言った顔つきで、こちらを見上げているのが見えた。

 

「ヒカル・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、その名を呼ぶ。

 

 しかし、もう後戻りはできなかった。

 

 メンテナンスベッドから機体を起こす。

 

 その操縦桿を操るレミルの目には、もはや迷いの色は全く存在しなかった。

 

 一方、出口に向かって歩き出した機体を見て、ヒカルは尚も信じられない面持ちを隠せなかった。

 

 レミルがテロリスト?

 

 この状況もあいつが作り出した?

 

 全てが悪い冗談だと思いたいくらいである。

 

 だが現実に、ヒカルの親友は多くの整備員を殺害し、そして新型機を奪って行ってしまった。

 

「どうする・・・・・・・・・・・・どうしたら良いんだ・・・・・・・・・・・・」

 

 頭をフル回転させる。

 

 レミルは確かに親友だ。

 

 しかしだからこそ、何としても、あいつを止めなくてはならない。

 

 だが、モビルスーツで出て行ったあいつを、どうやって止める?

 

 思考するヒカル。

 

 その視界の先には、メンテナンスベッドに鎮座するもう1機の機体が存在していた。

 

「仕方がない!!」

 

 ヒカルの決断は素早かった。

 

 機体に駆け寄ると、飛び上がるようにしてタラップを上がり、そしてコックピットに滑り込む。

 

 幸い、操縦システムは共和連合軍で統一された物と酷似している。これなら授業で何度も使っているので問題は無かった。

 

 機体を立ち上げ、発進準備を整える。

 

 その時、ラボの天井の一部が崩れ、炎が吹き込んでくる。

 

 どうやら、戦闘はすでにラボの間近にまで迫っているらしかった。

 

 しかし、それにも構わず、ヒカルは起動作業を続ける。

 

「待ってろよ、レミル!!」

 

 吹きあがる炎。

 

 その炎を押し割るように、

 

 巨大な鉄騎が、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

PHASE-02「親友の素顔」      終わり

 




主人公機の登場は、次回に持ち越しです(爆

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。