機動戦士ガンダムSEED 永遠に飛翔する螺旋の翼 作:ファルクラム
1
後に「第1次フロリダ会戦」の名前で呼ばれる事になる、共和連合軍による北米南部侵攻に端を発した一連の戦いは、北米解放軍、及び北米統一戦線連合軍の勝利で終わった。
作戦に参加した共和連合軍は、全軍の実に4割にも上る損害を出し、残った戦力も2割が廃棄処分せざるを得ない程の損傷を負っている有様である。
作戦参加したザフト軍、並びにモントリオール政府軍は壊滅状態に陥いった。
これに伴い、全軍を統括するザフト軍ハウエル司令部は、作戦の中止を決定。残存戦力を集結させ、北米北部へと撤退していった。
因みにこの時、南方に展開した南アメリカ合衆国軍は比較的無傷であった事もあり、当初は南米軍を主軸に作戦を組み直し、再侵攻を行う案も出された。しかし結局のところ、二線級の戦力しか持たない南米軍のみではザフトの主力部隊を破った解放軍の精鋭には敵わないと判断され、再侵攻案は却下された。
却下したのは、ディアッカ・エルスマンである。
予期せぬ敗北によって思考停止状態に陥ったハウエル司令部の中にあって、ただ1人正気を保ち続けたディアッカは、これ以上、グルック派軍人の虚栄心に付き合う事への意義は見いだせず、無益な事で貴重な兵を損なうより、速やかな撤収による損害の極限を選んだのだ。
共和連合軍は一敗地にまみれた。
それは、カーディナル戦役以来、数多くの戦いにおいて勝利を収めてきた共和連合の「無敵神話」が崩壊した瞬間でもあった。
この一大不祥事を受け、プラントは綱紀粛正を名目にしたザフト軍の人事刷新を断行。作戦に関わった駐留軍司令部の人員は勿論、本国参謀本部上層部も軒並み更迭され、大幅な改革が断行された。
それと同時に、北米へ新た戦力の派兵が検討されている。
ともかく、当面必要な事は、北米解放軍、および北米統一戦線の抑え込みである。
今回の戦いにおける敗北により、北米における反共和連合勢力が活性化する事は目に見えている。当面、攻勢に出る事は不可能になった共和連合だが、せめて体勢を立て直すまでの間、北米の敵対勢力を抑え込んでおく必要があった。
とは言え、それはまだ先の話になる。
今はただ、傷ついた身を引きずって、敗走の道をたどるしかなかった。
「・・・・・・・・・・・・以上です」
全ての報告を終え、リィスは消沈した様子でシュウジに一礼した。
北米南部の戦場を辛くも脱出する事に成功した大和は、現在、ジュノー基地へ帰還する針路を取っている。
しかし、言うまでも無く足取りは重かった。
艦載機の内、イザヨイ3機が撃墜され、更にセレスティも行方不明と言う状況は、大和艦内の空気を重くするのに十分すぎた。
イザヨイのパイロットの死は確認された。
本来なら遺体を回収して遺族の元へ届けたいところではあったが、混戦の状況ではそれも敵わず、仕方なく、彼等の認識番号を表示したタグと遺品のみが箱に詰められて、後日、後送される予定である。
しかし、もう1人、リィスの弟でありセレスティのパイロットでもあるヒカル・ヒビキの行方は杳として知れなかった。
「それでは、失礼します」
そう言って、シュウジの前から退出して踵を返すリィス。
と、
「ヒビキ一尉」
そんなリィスを、シュウジが背中越しに呼び止めた。
足を止めて振り返るリィスに対して、シュウジは振り返る事無く、固い口調で言った。
「諦めなければ希望はある。気を落とすなよ」
「・・・・・・はい、ありがとうございます」
そう言うと、リィスは今度こそ艦橋を出て行った。
どうにも、現実離れしているように思えてならない。
ヒカルがいなくなった。そう思うだけでリィスは、自分の心が肉体から乖離してしまいそうな感覚に陥る。
「ッ!!」
苛立ちと共に、壁に拳を思いっきり叩き付ける。
痛みが電流のように全身に伝播するが、そんな物は苦にもならないくらい、今のリィスは感覚がマヒしていた。
ヒカル
今やリィスにとって、たった1人の家族となってしまった弟。
「あの子まで失ってしまったら、私は・・・・・・・・・・・・」
そう考えただけで、リィスは絶望の淵に突き落とされたような気分になった。
こんな事なら、ヒカルをセレスティに乗せるのではなかった。
シュウジが何と言おうと、強硬に反対するべきだった。
いや、もっとそれ以前に、ヒカルが士官学校に入学すると言ってきた時点で反対しておけばよかったのか?
先に立たない後悔だけは、とめどなくあふれ出てくる。
「・・・・・・・・・・・・」
一通り浮かんだ考えに対して、リィスはその全てに首を振った。
そんな事は偽善であり、リィスの独りよがりに過ぎない。
リィスにとってヒカルは大切な弟だが、たったそれだけの理由で、あの子の意志をないがしろにするわけにはいかない。
結果は結果だ。
今こうした事態に陥ったのは、全てなるべくして起こった結果の産物なのだ。
ならば、受け入れなくてはならなかった。たとえそれが、最愛の弟の死であったとしても。
その時だった。
「・・・・・・・・・・・・あ」
不意に、目の前から声が聞こえ、リィスは足を止める。
顔を上げるとそこには、心配そうな顔で見詰めてくるアラン・グラディスの姿があった。
「あ、ヒビキ一尉・・・・・・その・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・何ですか?」
アランの躊躇うような態度に苛立ちを覚え、リィスはつい強い口調で言葉を返してしまう。
たぶん、もうヒカルの事はアランの耳にも入っているのだろう。もしかしたらアランは、リィスを慰めようとしてここに来たのかもしれない。
しかし今のリィスには、そんな慰めすら負担でしかなかった。
「失礼します」
そう言って、アランの脇をすり抜けようとするリィス。
だが、
「待って!!」
そんなリィスを、アランは呼び止めた。
億劫そうに、振り返るリィス。
対して、アランは意を決したように口を開いた。
「そのッ ・・・・・・気を落とさないでくださいッ」
やはり、予想した通りの言葉がアランの口から放たれ、リィスは人知れず嘆息する。
弟を失って、気を落とさない姉がどこにいると言うのか? よくもまあ、そんな無責任な事が言える物だ。
これ以上、この場にいたらアランに殴り掛かってしまいそうな気がしたリィスは、強引に会話を打ち切って離れようとした。
しかし、次にアランが口にした言葉は、どうにも看過のしようが無かった。
「ヒカル君の事は、大変でしょうけど・・・・・・・・・・・・」
アランがそう言った瞬間、
リィスの瞳に、不可視のスパークが走った。
殆ど挙動を見せずに振り返ると、アランの襟首を掴んで壁へと叩き付けた。
「グッ!?」
息を詰まらせるアラン。
そんなアランを、リィスは怒りに満ちた眼差しで睨みつける。
「・・・・・・・・・・・・あなたに、いったい何が分かるって言うんですか?」
絞り出すような低い声は、そのまま焔となってアランを焼き尽くさんとしているかのようだった。
今のリィスならば、視線だけでアランを殺してしまう事も可能なように思えた。
不意に、力を緩めるリィス。
床に崩れ落ちたアランは、痛む喉を押さえて咳き込む。
そんなアランを放っておいて、リィスはそのまま足早に去って行く。とにかく、一刻も早く、アランの元から去りたかった。
「・・・・・・・・・・・・最低だ、私・・・・・・」
アランの姿が見えなくなったところで立ち止まり、リィスはポツリと、自責の呟きを漏らす。
アランはただ、傷ついて消沈している自分を励まそうとしてくれただけだ。
それなのにリィスは、そんな彼に暴力まで振るってしまった。
弟を守れず、
その苛立ちを他人にぶつけてしまった。
リィスは今の自分が、堪らなく惨めに思えてならなかった。
2
目を開くと天井は無く、満天の星空が広がっていたとしたら、それはひどくロマンチックな状況なのではないだろうか?
近代化が進み、自然の中で生きる事はある種の贅沢となりつつある現状、満天の星空を生で見られる事自体が少なくなってきている。
その贅沢をヒカルは今、ほぼ独り占めに近い状態で満喫していた。
無論、本人が望んでそうなったのか? と言う事については別問題であるが。
「・・・・・・・・・・・・あれ・・・・・・俺、どうしたんだっけ?」
ようやく絞り出した声に反応するように、意識が覚醒していくのが分かる。
何やら、長い夢を見ていた気がする。
体を起こす。
節々に痛みを感じるが、動けない程ではなかった。
立ち上がると、パサッと言う軽い音と共に、体に掛けられていた毛布が地面へと落ちた。
ふと、誰が掛けてくれたのだろう? と言う疑問が沸き起こった。
ヒカルは砂地に横たえられていた事から見ても、誰かに運ばれたのだと思うのだが。
首を巡らせて、周囲を見回す。
どうやら、どこか戦場近くの森の中だったらしい。周囲には鬱蒼とした森林地帯が広がっているのが見える。そのせいで、奥の方まで見通す事ができなかった。
耳を澄ますと、遠くで何かの獣の声のような物が聞こえてくる。
しかし、砲撃や爆撃の音が聞こえる事は無い。どうやら戦場からは距離が離れているらしかった。
「・・・・・・参ったな」
舌打ち交じりの呟きを漏らす。
ここはどこなのか? そもそも自分は、いったいどうやってここまで来たのか?
不意に、どうしようも無い不安に襲われる。
見知らぬ土地に一人投げ出され、帰る道も判らない。
まるで幼い子供が迷子になったような気分に、ヒカルは襲われていた。
その時だった。
ふと、自分が寝ていた場所とは少し離れた場所に、巨大な影が佇んでいるのが見えた。
明らかに人工物と思われるその陰に近付いて見て、ヒカルは驚いた。
「・・・・・・・・・・・・デスティニー」
膝を突いて羽を休めている機体は、間違いなく戦場で相まみえたスパイラルデスティニーだった。
そのデスティニーの傍らには、ヒカルの乗機であるセレスティの姿もあった。こちらは、力尽きたように地面に横たわっている。
それにしてもデスティニーがここにある、と言う事は、自分をここに運んできたのは、あえて消去法を使わずとも、
慌てて周囲を見回すが、それらしい人影は見られない。
しかし、デスティニーがここにあるなら、そう遠くに入っていないはずなのだが。
と、その時、ヒカルの耳に何かが聞こえてきた。
切れ切れに聞こえてくるその音は、風や獣の音とは違う、もっと耳に心地いいものであるように思えた。
その音に誘われるように、ヒカルは足を進めてみる。
しばらく進んで行くと、水が流れる音も聞こえてきた。
近くに水場があるのなら、ありがたい事である。何しろ、出撃してから何も口にしていないのだ。いい加減、喉が渇いて仕方が無かった。
そう考えた時、不意に視界が開けた。
そこは、岩場にできた小さな滝で、ちょうど学校のプールくらいの広さがある水たまりができている。ヒカルが聞いた水の音は、これだったらしい。
月明かりに照らされる滝の情景は幻想的で、まるで御伽の国にでも着たような錯覚が、一瞬、ヒカルの脳裏によぎった。
だが、次いで目に飛び込んで来た物を見て、ヒカルは更に驚いた。
水の中に、1人の少女がいる。
月明かりでも判るくらい白く輝く肌は美しく映え、解かれた髪を指で掬い上げる様に梳いているのが見える。
綺麗だ。
ヒカルは何のためらいも無くそう思った。
目の前で沐浴をする人物は、恐らくヒカルと同じくらいの年齢で、10代中盤くらいと思われる少女だ。
その口元からは、気持ち良さそうに歌声が紡がれている。ヒカルが聞いた音は、彼女の歌声だったのだ。
「・・・・・・これって」
聞き覚えのあるメロディに、ヒカルは思わず足を止めて聞き入る。
あれは確か、ずっと小さい頃に聞かせてもらった曲だ。
ヒカルも聞き覚えのある歌を、水の中の少女は静かに口ずさんでいる。
確か古代の伝説に、水辺に澄む魔物の言い伝えがあったはず。美しい歌声で旅人を誘い、そして殺してしまうと言う恐ろしい魔物。
もしかしたら彼女は、その魔物なのだろうか? 自分もここで死んでしまうのだろうか?
そんな事を考えていた時だった。
「・・・・・・・・・・・・ヒカル?」
不意に、魔物の方から声を掛けられ、意識が戻る。
水の中の少女と、目が合った。
「・・・・・・・・・・・・え?」
呆けたような表情を作るヒカル。
なぜ、目の前の少女は自分の名前を知っているのか?
そこで、
記憶にある「とある人物」と、目の前の少女の姿が重なり合うように一致した。
「れ・・・・・・・・・・・・レミル!?」
一体何がどうなっているのか?
とにかくにもヒカルとレミリアは、あのハワイでの最悪の別れ以来、久方ぶりの再会となった訳である。
ヒカルとレミリアは、呆然としたまま見つめ合う。
特に驚いたのはヒカルだろう。未だに、目の前の光景が現実の物とは思えない程だった。
目の前にいるのは確かに、親友のレミルで間違いない。流石に、短い期間で親友の顔を忘れる程ボケたつもりはない。
しかし今の今まで、と言うよりも現在進行形で男だと思っていた親友の胸には、本来ならあるはずの無い膨らみが存在している。
女性の象徴とも言うべき胸の双丘は、取り立てて大きいと言う訳ではないのだが、それでも適度な張りと形を保ち、先端の突起と相まって初々しい膨らみを形成していた。
と、
「~~~~~~~~~~~ッ!?」
声にならない悲鳴を噛み殺し、レミリアは両手で胸を押さえ、水の中にしゃがみ込んだ。遅ればせながら、自分があられもない格好をしている事を思い出したのだ。
その動きに、ヒカルの意識もようやく現実へと復帰を果たした。
「あ、そのッ ごめ、じゃなくて、えっと、あの・・・・・・」
ここは素直に、女の子の裸を見れた事を喜ぶべきか?
はたまた、親友の正体が女だった事を驚くべきか?
それとも、目の前の人物をテロリストとして、今すぐ拘束すべきか?
あまりに理解不能な事が一時に起こりすぎて、ヒカルの頭の中は大混乱に陥っていた。
そんなヒカルに対し、レミリアは水の中にしゃがみ込みながら、見上げるようにして告げた。
「その・・・・・・上がりたいから、後ろ、向いててくれないかな?」
「あ、ああ・・・・・・ごめん」
そう言うと、ヒカルは慌てて後ろを向く。
ややあって、控えめな水音と共に、レミリアは水から上がって着替えを置いてある場所へと歩いて行った。
暫くすると、衣擦れの音がヒカルの耳に聞こえてくる。
その間にもヒカルの脳裏では、先程見た光景が焼き付いて離れようとしなかった。
淡い月明かりの下、一糸まとわぬ姿となった
前々から女のような顔つきをしているとは思っていたが、まさか本当に性別を偽っているとは思っても見なかった。
それにしても・・・・・・・・・・・・
ヒカルは、自分の頬が赤くなるのを認識する。
同年代の女の子の裸なんて、子供の頃にルーチェと一緒に風呂に入った時くらいしか見た事が無い。
一度だけ、リィスが着替え中に部屋に突入してしまった事があったが、その時の事は良く覚えていない。なぜなら、その直後に記憶が無くなるまで、しこたまぶん殴られたから。
だから先程見た
そうしている内に、背後からレミリアが声を掛けてきた。
「・・・・・・・・・・・・終わったよ」
「あ、ああ、判・・・・・・ブッ!?」
振り返り、
そこで思わず、ヒカルは吹きだしてしまった。
目の前にいたレミリアは、上は水色のTシャツを着こんでいるが、下は純白のパンツ1枚しか穿いていなかったのだ。
パンツから延びるほっそりと白い足が、眩しくヒカルの目を射る。
正直、思春期真っ盛りの少年には、ある意味、真っ裸よりも刺激が強すぎる光景である。
「お、おまッ ・・・・・・何て恰好ッ」
「だって、しょうがないでしょ、着替えなんて何も持ってないしッ てか、あんまり見ないでよ。ボクだって恥ずかしいんだから!!」
顔を真っ赤にしたレミリアは、Tシャツの裾を必死に引っ張ってパンツを隠そうとしているが、残念ながらTシャツの長さでは全く隠す事はできず、月夜にもはっきりと、少女の艶姿が浮かび上がっていた。
そんなわけで正規軍の少年とテロリストの少女は、何とも間の抜けた羞恥心を抱えたまま、互いの顔もまともに見る事ができずにいるのだった。
とにかく、いつまでもコントじみた掛け合いをやっている訳にもいかない、と言う事は2人の一致した見解である。
ヒカルとレミリアは共同作業で火を起こすと、その火を挟んで向かい合う格好をしていた。
比較的南部にいるとは言え、北米の夜は寒い。野宿するのに、日は絶やせなかった。
とは言え、正面に座っているせいで、レミリアの姿は否が応でもヒカルの視界に飛び込んでくる。その度に、ヒカルは炎以外の要素で顔を赤くしてしまうのだった。
「・・・・・・・・・・・・どこ見てるの?」
「・・・・・・別に」
咎めるようなレミリアの言葉に、ヒカルはそう言ってそっぽを向く。
そこで、話題を変えるようにして口を開いた。
「て言うか、女だったのかよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
今度はレミリアの方が沈黙する番だった。
テロリストだった事に加え、女である事も隠していたレミリア。これでは、二重の意味でヒカル達を騙していた事になる。
その事について、申し訳ない気分になっていた。
「・・・・・・その、ごめん」
謝罪は、自然とレミリアの口から出て来た。
自分がした事に対する後悔は、レミリアの中では無い。
しかしそれでも、結果的にとは言えヒカルを騙してしまった事の罪悪感は消せなかった。
「何で女なのに男の格好して、男の振りなんかしてるんだよ? 意味判んねえよ」
「それは・・・・・・・・・・・・お姉ちゃんが、こうしないと、ボクの身が危ないからって・・・・・・」
言いかけて、レミリアは言葉を止めた。
確かに、レミリアが男装をしているのは、イリアの発案によるものだ。その理由と言うのが、レミリアが女であると判った場合、周りの男達がレミリアに対して暴行を加える可能性があるから、との事だった。
しかし、考えてみれば、これは奇妙な話である。なぜなら、北米統一戦線の仲間達は皆気さくな性格であり、女性に暴行するような者達はいない。
これは小規模なゲリラ組織である事による利点と言うべきだが、北米統一戦線は結束力が硬く、いわば構成員一人一人が家族みたいなものなのだ。逆を言えば、家族に暴行するような者は仲間ではありえなかった。
更に言えば、イリアを始め、多くの女性構成員も存在しているが、当然ながら、彼女達は男装をしておらず、男達から暴行を受ける事無く生活している。
正直、今まで深く考えた事は無かったが、イリアがレミリアに男装を理由は根拠が薄いと言わざるを得なかった。
だが、レミリアがそれ以上何かを考える前に、ヒカルの方から口を開いた。
「それにお前が、テロリストだったって事も・・・・・・正直、今でも信じられねえよ」
吐き捨てるように、ヒカルは言った。
実際に対峙した今でも、ヒカルは心のどこかで信じられない気持ちがあった。
親友がテロリストだと言う事実を受け入れられないのだ。
だが、そんなヒカルの弱い心を見透かしたように、レミリアは冷たく言った。
「ヒカルがどう思おうと勝手だけど、事実は事実だよ」
可憐なその瞳は、親友の少年を真っ直ぐ見据える。
「ボクは北米統一戦線に所属する戦士、ヒカル達の立場から言えば、立派なテロリストだよ」
揶揄するような口調は、殊更にヒカルの神経を刺激する。
少年はスッと目を細めると、睨みつけるような視線を投げ掛ける。
「判ってんのかよ? お前の・・・・・・お前等のせいで、いったい何人の人間が死んだと思ってるんだ?」
レミリアがハワイでスパイラルデスティニーを奪ってから、
否、それ以前から、彼女が北米統一戦線の一員として、奪ってきた人命の数は、計り知れない量に上る。それは、決して無視して良い物ではない。
だが、次にレミリアの口から出た言葉は、ヒカルの予想を完全に裏切る物だった。
「知らないよ」
「ッ!?」
「ボク達は、ボク達の戦いで犠牲になった人の事は考えない事にしている。それを考えてしまったら、ボク達はもう戦えなくなってしまうから」
自分達のしている行為が、如何に反社会的な事であるかは充分に理解している。しかしだからこそ、自分達の理想を目指して戦う上で、それを「敢えて考えない」事も必要だった。
道義や倫理を考えた時点で、テロリストとしては死んでいるのだ。
次の瞬間、
「お前ッ!!」
激昂したヒカルが、炎を飛び越える形でレミリアに襲い掛かった。
その突然の行動に、レミリアはとっさの対応が追いつかなかった。
ヒカルはレミリアを地面に押し倒すと、馬乗りになって肩を押さえつける。
「グッ!?」
倒れた拍子に背中を打ち付け、呻き声を上げるレミリア。
しかし、そんな彼女に構わず、ヒカルは冷めぬ怒りをぶつけるようにして言葉を紡ぐ。
「ふざけんなよッ 人間なんだぞッ みんな生きてたんだぞッ 笑ったり、泣いたりしてたんだぞ!!」
「あっ グッ ひ、ヒカル・・・・・・!?」
「それなのにッ それなのに!!」
「放してッ」
隙を見て、レミリアはヒカルの腹に膝蹴りを叩きこんだ。
途端に強烈にむせ込み、ヒカルの体から力が抜け、その間にレミリアは彼の腕から抜け出した。
双方とも無言のまま、荒い呼吸を繰り返している。
どれくらいそうしていただろうか?
やがて、ようやく呼吸も整ったヒカルの方から声を掛けた。
「・・・・・・俺には、双子の妹がいた」
「・・・・・・・・・・・・」
突然話し始めたヒカルの言葉を聞きながら、レミリアはふと思い出していた。
そう言えば士官学校時代、ヒカルの部屋に何度も足を運んだ事がある。そこに飾られていた一枚の写真には幼い頃のヒカルと、彼の両親、それに姉の女性に加えてもう1人、ヒカルと同い年くらいの女の子が映っていた。恐らく、あの女の子がヒカルの妹なのだろう。
ヒカルはキッと、レミリアを睨みつける。
「けど、もういない。子供の頃、一緒に遊びに行った遊園地で、テロに巻き込まれて死んだ」
「ッ!?」
思わず、レミリアは息を呑んだ。
今まで考えた事も無かったのだ。自分の周りにいる人間が、テロ被害者であるかどうかなど。
だが、考えてみれば当たり前の事だった。自分達が戦えば犠牲が出て、それによって身近な人間を失う者も増えて行く事になる。
そうした被害者の家族たちが、いつか自分達の前に現れて恨みをぶつける事は、ある意味で必然であった。
勿論、ヒカルの妹が死んだテロ行為に、レミリアは加担していない。しかし、そう言う問題ではない。
「俺は妹を・・・・・・ルーチェを守ってやる事ができなかった。兄貴なのに・・・・・・ずっと仲良かったのに・・・・・・」
そう言って、ヒカルは自分の手を見詰める。
もう何年も前の話だと言うのに、今も握っていたルーチェの手の感触を覚えている。それはある意味、ヒカルにとっては自分に課せられた呪いと言っても良かった。
ヒカルは生きている限り、妹を守れなかったと言う事実に苦しみ続ける事になる。
だからこそ、テロと言う行為を許す事はできなかった。
「・・・・・・じゃあ、ボク達はどうすればよかったって言うの?」
やがて、ポツリとレミリアは尋ねてきた。
「テロが許されないことくらい、ボク達にだって判っている。けど、ボク達には、他に方法が無かったんだ」
告げるレミリアの顔を、ヒカルはそっと見つめてみる。
少女の顔は苦しそうに歪められ、決して現在の自分達の在り方を肯定している訳ではない、と言う事を主張しているかのようだった。
「ボクが生まれた頃、北米は戦争で壊滅してしまった。それでも初めの内はどうにかなっていたんだけど、やがて食べる物とかの配給も無くなり、少なくなった物資を巡って争いが起こるようになったんだ」
その頃の事を、レミリアは良く覚えている。
世間ではカーディナル戦役における核攻撃は地獄のようだった、と言われているが、戦後の北米を生きてきたレミリアにとっては、自分の子供時代こそが、紛れも無く地獄だった。
人々は日々の糧を得る事にも困難を重ね、大量の餓死者が大地を埋めた。
ほんの一握りの米や、コップ一杯の水を巡って争いが起こる事も珍しくは無かった。
「ヒカルはさっき、遊園地でテロに巻き込まれたって言ったけど、この北米で戦後に生まれた子は、殆どが遊園地に行った事すらない。勿論、ボクもね」
レミリアの両親は、それでもレミリアやイリアを食べさせるために、自ら体を張って地獄に耐え抜こうとした。
しかし、そんな両親も、食料を求めて家に押し入った強盗に殺されてしまったのだ。
やがて、プラント政府がモントリオールに総督府を設立した事をきっかけに、内戦が勃発し、幼いレミリアも否応なく巻き込まれて行く事となる。
「ボク達には、テロ以外に戦う方法は無かった。他に方法なんて、何も無かったんだ」
「レミル・・・・・・・・・・・・」
テロを憎む少年と、テロしか知らない少女。
ある意味、この時代の対極と言って良い位置に2人は立っている。
互いの道は、ある意味で交錯している。
しかし、それは思いでは無く、炎と刃によってである。
それ以外の道は、2人の間には用意されていなかった。
それから暫くの間、2人は互いに無言のまま、一言もしゃべらず、ただ火が燃えるのに任せて過ごしていた。
どれくらい、そうしていただろう?
沈黙に耐えられなくなったヒカルの方から声を掛けた。
「そう言えば、さっきお前が歌ってた歌・・・・・・」
顔を上げるレミリアに、ヒカルは続ける。
「ラクス・クラインの『静かな夜に』、だったか?」
「う、うん、そうだけど・・・・・・良く知っているね」
レミリアは、素直に驚いていた。
「静かな夜に」はラクス・クラインが歌姫時代に出した名曲であり、もう20年以上前の古い曲だ。ヒカルやレミリアが生まれる前の曲である。
それをヒカルが知っていた事が意外だったのだ。
「ラクス・クライン、好きなのか?」
「好き、とは違うかな。ただ、興味があるんだ」
歌姫、軍人、政治家と、多彩な顔を持つラクス・クラインは、その実像を語る者によっては捉えどころがない人物であると言う印象を持たれる事が多い。
だが、そんなラクス・クラインと言う個性の強いキャラクターだからこそ、レミリアは心知れず興味をひかれているのだった。
「俺には単に、いっつもポワンポワンしている、おばさんに思えたんだけどな」
「・・・・・・・・・・・・え?」
一瞬、ヒカルが何を言っているのか判らなかったレミリアは、ポカンとした顔つきでヒカルを見る。
「ヒカル、ラクス・クライン知ってるの?」
「ああ、おばさん・・・・・・ラクス・クラインとうちの両親って、何か古い友人とかでさ、うちにもちょくちょく遊びに来てたんだ。歌は、その時に聞かせてもらった」
次の瞬間、
レミリアは殆ど炎を飛び越える勢いで、ヒカルに迫ってきた。
「ど、どんな人だった? 性格は? 好きな食べ物は? 趣味は? ロボットのペット、たくさん飼ってたって本当?」
「え、え~と・・・・・・・・・・・・」
ものすごい食いつきだった。
正直、ちょっと怖い。
その後ヒカルは、根掘り葉掘り聞いて来るレミリアに付き合わされ、結局一睡もしないまま、夜が明ける羽目となった。
一夜明けた森の中に、スラスターの駆動音が木霊する。
スパイラルデスティニーを起動したレミリアは、機体の具合を確かめる。
駆動系に若干の損傷があるが、動きには何の問題も無い。万が一戦闘になった場合でも、充分に切り抜ける事が可能だった。
その様子を、ヒカルはデスティニーの足元に立って見上げていた。
本来のヒカルの立場からすれば、今すぐにでもレミリアを逮捕してスパイラルデスティニーを奪還しなくてはならない。
しかし、セレスティがバッテリー切れで起動不能な現状では、戦っても勝ち目がない事は明白だった。
それに何より、昨日のレミリアとのやり取りがヒカルの心に制動を掛けていた。
レミリアにはレミリアの立場があり、譲れない思いがある。その事が分かってしまった今、ヒカルはどうしても彼女と争う事ができなかった。
勿論、ヒカルにも判っている。ここでレミリアを見逃せば、彼女は必ず再び災禍を振り撒く事になる。
しかし、それが分かっていても彼女を止める事ができなかった。
「ヒカル!!」
そんな事を考えていると、コックピットから顔を出したレミリアが声を掛けてきた。
「東の方から何か接近してくるみたいッ うちのビーコンじゃないみたいだから、もしかしたらヒカルの仲間かもよ!!」
セレスティの救難信号は、昨夜の内に出してある。もしかしたら、それを拾って救助に来てくれたのかもしれなかった。
だが、そうなると当然、レミリアとはここで別れなくてはならない。
一瞬、互いに名残惜しい視線が交錯する。
ハワイで別れて以来、ようやく話ができる機会ができたと言うのに、共にいられた時間はあまりにも短かった。
もっと話がしたい。もっと相手の事を知りたい。そう思い始めていたのだ。
「・・・・・・・・・・・・名前」
「え?」
ヒカルが不意に、何かを思いついたように言った。
「名前、教えろよ。レミル・ニーシュってのは、偽名なんだろ? お前の本当の名前をさ」
その言葉に得心が言ったように、レミリアは笑顔を浮かべた。
正体を知られてしまったから、と言うもあるが、何となくヒカルには、話しても良いと思ったのだ。
「レミリア・・・・・・レミリア・バニッシュ。それが、ボクの本当の名前だよ」
そう言うと、レミリアはコックピットハッチを閉じて、機体を立ち上がらせる。
名残は惜しいが、ここにいつまでもいてヒカルの仲間と克ち合いになるのだけは避けなくてはならなかった。
スラスターを吹かして、上空へと舞い上がって行くスパイラルデスティニー。
その背中を、ヒカルはいつまでも見つめていた。
「レミリア、か・・・・・・・・・・・・」
初めて聞いた、彼女の本当の名前。
それは、何とも新鮮な響きとなって、ヒカルの中を満たしていくかのようだった。
やがて、スパイラルデスティニーが飛び去った空に、別の機影が姿を現す。
それが、リィスの駆るリアディス・アインだと判った時、ヒカルは大きく手を振って姉に合図を送った。
PHASE-17「セイレーンの誘い」 終わり