東方有栖(アリス)伝   作:店頭価格

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82・貴方に伝えたい100の言葉

 その傘は、とある女性の愛用品だった。

 雨の日も、雪の日も、時に日差しの強い日も。彼女は、好んでその藤色の番傘を持ち出した。

 女性の手に収まる度に、傘は引き立て役となれる己を誇った。

 大事にされていると、愛されていると理解出来たから。

 女性は修繕を繰り返しつつ、その傘を使い続けた。

 しかし、唐突に傘の側から女性が消える。

 居なくなって、それっきり。

 

 目のない傘は、その理由を見れない。

 耳のない傘は、その理由を聞けない。

 口のない傘は、その理由を問えない。

 

 残された傘は、恨まなかった。

 忘れられた傘は、憎まなかった。

 女性の近くに居た皆が消え、傘は本当に置き去りにされてしまった。

 廃墟となって誰も居ないその場所に、野ざらし雨ざらしのまま何年が過ぎただろうか。

 どれだけ時間が過ぎたかも定かではない夢と(うつつ)の間で、まどろみに浸っていた傘に再び転機が訪れる。

 

 あはっ、面白そうなのみーつけた。

 ねぇねぇ、貴女はどうしてそんなに悲しんでるの?

 ふぅん、へぇ、うんうん。

 ――()()()()! わたしが協力してあげる!

 貴女を捨てたその女の人に、復讐しましょう!

 貴女を見て驚く顔は、きっととっても面白いはずよ。

 え? 違う? ううん、違わないわ。

 だって、貴女。憎いんでしょう? その女の人じゃないくて、()()()()が。

 だから、これは復讐なの。言い方が嫌なら、サプライズパーティでも良いわ。

 やっぱり、再会は劇的な方が素敵よね。仲間外れも良くないわ。

 さぁ、それじゃあ貴女の「ハッピーエンド」を始めましょうか。

 

 カランッ、と古道具屋の一角で小さく音が鳴る。

 部屋の奥で読書にふけっていた店主が視線を上げ、何事もなかったかのように本へと関心を戻す。

 ガラクタ屋敷の入り口近くに置かれた、筒状の壺。

 杖や刀剣などが無造作に突っ込まれたその棒立てから、先程まであったはずの一本の傘が忽然と消失していた。

 ボロボロで、骨のほとんどすら欠け落ちた、ただの木の棒に近いなんの価値もないゴミ同然の成れの果て。

 無縁塚から気紛れに拾って片手間で修繕したその古道具がなくなっても、店主は一切気にしない。

 理解出来ない事は、気にしない。

 それが、古道具屋の店主が幻想郷で暮らすに辺り身に付けた処世術だから。

 それは、幻想郷の空に宝船が浮かぶ何日も前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の空にて異変の最終決戦が行われている中、人里には別の脅威が迫っていた。

 何せ、朝方から空を飛び続けていた巨大な帆船が自分たちの住処へ向けて墜落して来ているのだ。

 あれほどの質量を持った物体に直撃を許せば、里内の被害は相当なものとなるだろう。

 

「皆、落ち着け! 冷静になれ!」

 

 人里に訪れていた慧音が声を張り上げるが、混乱する住人たちの中では余り意味がない。

 慧音の近くでは、夕食の買出しに来ていた妹紅と鈴仙が横面に大穴の空いた大船を見上げている。

 

「うーん。全部を灰にするには、流石に時間が足りないなぁ。とりあえず、一回死ぬ勢いで突撃するから後は頼むよ」

「なんで私が……私は、人里とは無関係よ」

「巻き込まれたくないんなら、次からは野次馬にならずこっそり帰っておくんだね」

 

 妹紅の願いに難色を示す鈴仙だが、すでに構えた右手の銃口には船を微塵に砕くべく超振動の波長が収束を開始していた。

 墜落しているとはいえ、あの船は莫大な法力によって堅牢な防御が施されている。

 二人が同時に本気の攻撃を行ったとして、それがどれだけ通用するかは完全に未知数だ。

 

「バカを言うな! 不老不死だったとしても、そんなに簡単に死を受け入れるなど絶対に許さないぞ、妹紅!」

「慧音は真面目だなぁ」

 

 正しい怒りをぶつけて来る半獣教師に顔をほころばせながら、その願いを聞き入れずに全身から紅の火を立ち昇らせ始める蓬莱の忌み子。

 絶対絶命の場面にあって、何処かのんきにも思えるやり取りをしている間にも、船は人里へと迫り続けている。

 

「その必要はないよ」

 

 そんな中、不死鳥の羽を展開した不老不死の少女と紅色の銃弾を装填し終えた兎の少女へ向けて、喧騒を掻き分けた誰かからの制止が掛けられた。

 それは、ネズミの耳を付けた小柄な妖獣だった。

 

「必要ないって、どういう事? 貴女、あの船の関係者?」

「あぁ、私はあの船――聖輦船の搭乗員だ。この度は人里に無用な混乱を招いてしまい、誠に悔恨の極みだ」

 

 警戒を示す鈴仙の質問に、何処か疲れたような態度で頭を下げるネズミの少女。

 

「驚かせた手前、偉そうにこんな事を言うのは申し訳ないが、あれは我々の問題だ。これ以上壊されても困るので、手出しは無用だよ」

「だが、あれほどの大きさの物体をどうやって――っ!?」

 

 続く慧音の質問が終わるよりも早く、少女の答えが示される。

 それは、地上近くに立ち昇る入道雲だった。

 船と人里の間に出現した広く巨大な雲が、視界の全てを埋め尽くす。

 

「あれは、妖怪か?」

 

 まるで生物のように動く雲を見て、眉をひそめる慧音。

 

「あぁ、人殺しを廃業した入道だ。鬼の体重は無理だったが、船の重さくらいは受け止めてみせると息巻いていたよ」

 

 悲鳴と絶望の声たちが、何時まで経っても訪れない船の墜落を知り、次第に戸惑いと驚きの声へと変化していく。

 

「さて。私を除いた仲間たちは、博麗の巫女を含むこの土地の面々から手痛い洗礼を受けてしまってね。現在、あの船で身動きが取れない状態なんだ」

「それは……ご愁傷様だね」

「まったくだ」

 

 博麗の巫女。博麗霊夢の名は、人間にとっても人外たちにとっても秩序という名の暴力を振り回す、恐怖の代名詞だ。

 過去の異変にて直接ぶつかった経験のある妹紅から向けられる同情に、ネズミの少女は肩をすくめて適当な相槌を打つ。

 

「下っ端の私が折衝役で申し訳ないが、とりあえず早めに人里の有力者へこれまでの経緯を説明したい」

 

 双方に争いが発生した場合、決着を付けるのが大将の役割であり、着地点を模索するのが参謀の役割になる。

 

「取り次いで貰いたいんだが、誰に頼めば良いか教えてくれないかい?」

 

 生き残った者は、残された者としての役目を果たさねばならない。

 過去、とある時代において小さな賢将とささやかれた話術の匠が、新たな戦いへ身を投じようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 ピシッ――ピキッ――

 

 全身から断続的に発せられるその音は、私にとってまるで破滅の序曲に感じられる。

 

「「復活(リザレクション)」――」

 

 明らかに許容量を超える「力」を取り込み続けたのだ。霧の湖での海蛇妖怪の一件などで試運転を行い、細かな調整を繰り返して実用可能な段階には仕上げたものの、魔剣の効果は確実に私の魂を削り取っていた。

 魔力を使い外部からの治癒の波動を送り続け、全身に亀裂の走った肉体を修復していく。

 破壊と爆裂が撒き散らされ、散々な風景となった草原の中で一人倒れるでもなく傷が癒えるのを待ち続ける。

 

「無様ね、クソ女」

 

 ナッちゃんは、その可愛さを活かして萌え袖パーカーであざとく攻めてみるのはどうだろうか。

 いや、尻尾を考慮してTシャツとローライズのジーンズで露骨な半ケツ露出を演出してみるのも一考の価値が――ぬ、何奴。

 

 他に出来る事もないので、脳内で一人「第一回 ナズーリン着せ替え会議」を開催していると、瞳を閉じていた私へと唐突に声が掛けられた。

 目を開けて見上げれば、そこには陽炎のような刀身が伸びる幻想的な長剣を地面へと突き立てた、天空のラスボスがこちらを睨み付けているではないか。

 

「――天子?」

「気安く呼ぶんじゃないわよ、がらくた人形」

 

 見下し、(さげす)み、小バカにした、不快感を隠そうともしない端的な罵倒。

 白色の半袖に、空を溶かし込んだ紺青のロングスカート。

 青髪のロングヘアに、真紅の瞳。そして、頭に乗った丸い帽子には、天界の桃である仙果の実が装着されている。

 退治されたいから異変を起こしたという理由から、とんでもないドMな変態だと熱い風評被害が根付いた鋼鉄のかまってちゃん、比那名居天子。

 何処かお嬢様然とした雰囲気は、決して勘違いなどではない。何故なら、彼女は天界という雲の上にあるラ●ュタ的な浮き島に住む、天人という高貴な種族なのだ。

 彼女とは過去の異変で一度戦って以来、お互いの事情からほとんど顔を合わせる機会がなかった。

 天子は、軽々しく下界へ下りられない天人という種族故に。

 私は、()()として彼女を半死半生にした罪悪感や後ろめたさから。

 それが何故、まったく接点のない異変の最中にこうして地上で私と対峙しているのか。

 

「それじゃあ、私は貴女の事をなんて呼べば良いのかしら?」

「ふんっ。どうしてもって言うんなら、「偉大なる総領娘様」って呼ぶ事だけは許してあげるわ」

「解ったわ、偉大なる総領娘様」

「……」

 

 本当に呼ばれるとは思っていなかったのか、ふんぞり返った天子の動きが止まる。

 

「それで、どうして偉大なる総領娘様がここに? 申し訳ないのだけれど、見ての通り今の私は偉大なる総領娘様のお話相手ぐらいにしかなれないわ」

「……」

「天人である偉大なる総領娘様が下りて来たのだから、それなりの理由があるのでしょう?」

「……っ」

「偉大なる総領娘様は、さっき私が発動させた魔剣が気になったのかしら。確かにあれは、大地の力を汲み上げる剣だもの。地震を司る偉大なる総領娘様の一族が警戒するのも――」

「だー! うっさいわ! もう天子で良いわよ、天子で!」

 

 ふっ、勝った。

 未熟者め、お茶目さで私に敵うと思うてか。

 

 次第に青筋を浮かべ始め、最後には私の言葉を遮って爆発する偉大なる総領娘様(笑)。

 呼ぶなと言ったり呼べと言ったり、中々忙しい娘である。

 しかし、どうやら殺したいほど恨まれていたり口も聞きたくないほど嫌われている訳ではないようで、私は内心でほっと安堵の溜息を吐いた。

 

 星みたいに、自己嫌悪から来る相性の不一致とかどうしようもない理由ならともかく、出来るだけ皆とは仲良くしたいからね。

 

 とはいえ、「東方Project」の大ファンである私が原作キャラから毛嫌いされるなど、軽く自殺ものの案件である。星から嫌われているという事実も、頭では理解しつつ出来れば受け入れたくないというのが本音だ。

 過去の異変にて全力で叩きのめしたとはいえ、私の方から大天使天子ちゃんを嫌うなど天地が引っくり返ってもあり得ない。

 

「アンタが発動させた魔剣を口実に下りて来たって推測は正解よ。ただ、別に調査や事実確認なんて子供でも出来るお使いが目的じゃないわ」

 

 言いながら、天子は天界の至宝である緋想の剣を身動きの取れない私の喉元へと突き付ける。

 彼女の持つ天の剣は、実体のない刀身からも解るように肉体ではなく対象の「気質」を切る剣だ。

 肉体よりも精神に比重を置いている者たちにとって、鋼で出来た刀よりもよほど性質の悪い代物だと言えるだろう。

 

「アンタ、私との勝負で手を抜いたわね」

「――え?」

 

 「私、怒ってます」と言いたげな雰囲気を全身で表しながら、天子の顔には抑えられない喜びが溢れ出したようなにんまりとした笑みが張り付いている。

 

 ごめん、ちょっと何言ってるかわけわかめ。

 

 しかし、私が何も理解出来なくとも話は勝手に進んでいく。

 

「騙されたわ。卑怯で姑息なクソもやしだと思っていたら、アンタはまだまだ私の知らない手札を幾らでも隠していた。まともなチャンバラだって、普通に出来るんじゃない」

 

 あー、つまりは再戦のお申し込みとかそういうあれ?

 うん、丁重にお断りします。

 魔剣発動が前提の勝負とか、ホイホイやってたら死んじゃう死んじゃう。

 

「天子」

「良いの、解っているわ。アンタの魔剣は、まだ完全に完成していない。だから、時間が必要だって言うんでしょ?」

 

 ちげーよ。

 そもそも、再戦する気がゼロなのよ。私は。

 ヘッポコ魔法使い舐めんなし。

 

「天子」

「大丈夫、野暮はしないわ。だけど、なるべく早くね」

 

 ねぇ、聞いてよ。

 

 一方的に捲くし立てた天人は、私の話を一切聞く事なく右手で出現させた注連縄の巻かれた一抱えはある要石(かなめいし)に飛び乗り、空の彼方へと飛び去って行った。

 もしかして、わざわざあんな約束にもならない伝言を私へ伝える為に下界へ下りて来たのだろうか。

 過去の異変で戦った時、天人の中でも飛び抜けた戦闘能力を持つ天子は、しかし、その実力を一割すら発揮する事なく私に敗れた。

 そんな訳で、私ともう一度まともな勝負をしたいという天子の思いは、解らないでもないのだ。

 だからといって、幻想郷最強の一角と再戦をしようとは微塵も思わないが。

 

 つれーわー。ほんとつれーわー。

 お茶会とか女子会とか、そんな方面でもてたかったわー。

 ……ぐすん。

 

 絶望しか見えない未来に、本気で泣きそうである。

 連綿とした戦いにまつわる系譜は、恐らく吸血鬼異変にて「あの呪文」を発動させた時から続いているのだ。

 力を示した者が力ある者から狙われるのは、ある意味必然の流れなのかもしれない。

 

「もてる女は辛いわね」

「――えぇ、本当に。心中お察しします」

 

 止まらぬ負の連鎖に絶望し、心の底から吐き出した虚しい独り言へと横合いから来るはずのなかった返事が返って来る。

 

 ……幻想郷ってさぁ、ゆかりんを筆頭に神出鬼没なキャラ多過ぎだよね。

 なんで居るし。何時から居たし。

 

 天界繋がりで一緒に下りて来ている可能性はあったが、本当に居るとは驚きだ。

 そして、貴女の登場ならばコレを言わねば始まるまい。

 

 キャーイクサーン!

 良し、ノルマ達成。

 

「久し振りね、衣玖」

 

 円つばの付いた黒帽子を頭に乗せ、沢山の緋色のフリルの付いた白の羽衣と黒のロングスカートを身に付けた美女。

 私の隣に音もなく立っていたのは、幻想郷の土地神である龍神に仕えるOL妖怪。サタデーナイトリュウグウ、永江衣玖だ。

 天子の起こした異変で知り合った彼女とは、実は何かと馬が合いミスティアの屋台などで何度も食事を共にする間柄だったりする。

 

「はい、お久し振りです。アリスさん」

「貴女はどんなご用事なの?」

「どうせ、口下手な総領娘様はああいった言い訳しか出来ないでしょうから、()()()()()()んですよ」

 

 顔を動かす事すら辛いので視線だけ向けて彼女へ問えば、お役所仕事の天女は露骨に溜息を吐き肩をすくめて見せた。

 

「総領娘様が地上に下りた本当の理由は、「貴女が心配だったから」です。他の全ては後付けなんですよ」

「え?」

 

 彼女の口から出た予想外の台詞に、思わず私は間の抜けた声を出してしまう。

 

「あの魔剣を抜くのが後三秒遅ければ、虎の妖怪と殺し合っていたのは貴女ではなくあの突撃娘様になっていたでしょうね」

 

 その言葉に、きっと嘘はない。

 尊大な癖に口下手な少女の代弁者となる為に、衣玖はこの場に立っているのだ。

 

「実の両親すら匙を投げて見ぬ振りをしていた不良娘が、天人となって初めて本気で叱って貰えたのです。ああして子犬のように懐くのは、当然の流れだと思いますよ」

「酷いマッチポンプもあったものね。私はあの時、そんなつもりであの娘を殺し掛けた訳ではないわ」

「承知していますよ。貴女に、そんな器用さを求めるだけ無駄でしょう」

 

 わーい、辛辣ぅ。

 

 解っているのなら、衣玖は何故天子の誤解を解こうとしないのだろう。

 こうして天子の後を追ってフォローを入れに来る程度の情があるのであれば、勘違いで向けられた好意をそのままにしておくとは考え辛い。

 

「誤解だから、勘違いだから。だから、自分が好かれて良い訳がない、とでも?」

「えぇ」

「貴女という人は……なんで、幻想郷ってこんな面倒臭い方しか居ないんでしょうか」

 

 さっきから、言葉の刃がグサグサ刺さってるんですが。滅茶苦茶痛いんですが。

 

 眉間に寄せた皺を揉み、つくづく理解出来ないと苛立ちにも似た愚痴を落とす衣玖。

 

「まぁ、良いでしょう。目的の一つ目は果たしましたし、次は私の用事を済ませる事にします」

 

 切り替えの早さも、彼女ならではだ。

 姿勢を正し、私の前へと移動した天の使いはにっこりと笑って右手の人差し指を高々と天へと向ける。

 

「誰かを愛しておいて愛されるのは嫌だなんて、そんなのは傲慢だとは思いませんか?」

 

 チリッ、チリッ、と彼女の周囲の空気から小さく弾けるような音が断続的に発生し、次第にそれは数と音量を増加させていく。

 「空気を読む程度の能力」によって操作され発生した静電気が、バチバチと発光と雷鳴を奏で始める。

 

 え、あの、衣玖さん?

 怒ってる? もしかしなくても、実はめっちゃ怒ってる?

 

「私たちは、貴女にとって都合が良いだけの女ではありませんよ、アリスさん。ですので、これは友人からのささやかな意趣返しです」

 

 騒音を好まない衣玖がわざわざこんな攻撃的な手段で訴えようとしているのは、私への不満や怒りによる当て付けなのだろう。

 衣玖もそうだが、美鈴や小町など能力や性格から相手の機微に聡い者たちは、さとりほどではないが私の事情や苦悩をおぼろげに察している節が見受けられる。

 その上で、こうして本心から私を心配してくれるのだ。

 ありがたい事だ。嬉しくもある。

 

「何処かへ行ってボロボロで帰って来たと思ったら、更にはそんなになるまで戦って――すっごく心配したんですからね!? この、お馬鹿ー!」

「……っ!?」

 

 飲み友達であり、恋バナ友達でもある電撃娘から文字通りの雷が私へと落ちる。

 

 あばばばばばばばばばっ!

 

 全身を貫く強烈な一撃を食らい、ぎりぎりの地点で保っていた私の意識があっさりと闇に引き摺られる。

 

「あ、あれ? アリスさん? ちょっと!」

 

 手加減したはずの雷撃で気絶するとは思っていなかったのか、途端に相貌を崩し私へと駆け寄る優しい天女の姿が最後に映る。

 魔界への渡航は、永遠に幻想郷へ戻れない可能性すら視野に入れての行動だった。

 結局、私の過去について何一つ手掛かりを得る事は出来なかったが、こうして知り合いの顔を見て帰って来れたのだとようやく実感する。

 

 ありがとう、愛してくれて。

 ありがとう、大切に思ってくれて。

 私も、皆の事が大好きだよ。

 ただいま、幻想郷。

 

 そんな顔をさせてしまった事に喜びと申し訳なさを感じながら、私は深いまどろみの中へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 こいしと魔理沙の勝負には、時間の経過と共に乱入者が現れていた。

 自己紹介もそこそこに、ぬえが二人の戦いに割り込んで来たのだ。

 彼女の目的は、魔理沙と同じく大将たちの弾幕ごっこに横槍を入れそうな邪魔者の排除。

 そんな、変則的な三つ巴となった戦場にて最も優位に立っているのは、この異変の元凶の一つとも言えるこいしだった。

 何故なら――

 

「くそっ」

 

 恋符 『マスタースパーク』――

 

 魔理沙の代名詞である八卦炉を構え、火砲を射出しようとした瞬間()()()に照準が僅かにずれる。

 

「どぅわ!?」

 

 それは、横合いからこいしへと襲い掛かろうとしていたぬえの前髪を掠めて通り過ぎていく。

 

「さっきから、なんでコイツを攻撃するの邪魔するんだよ! お前にとっても敵だろうが!」

「知るかよ! お前だって同じようなもんだろうが!」

 

 白黒魔法使いと自称大妖怪の醜い言い争いからも解るとおり、二人の弾幕は何故かこいしを逸れてお互いへと向き合っていた。

 どれだけ無意識の少女に狙いを定めても、いざその弾を放とうとするとまるで見当違いの場所へと攻撃が行われているのだ。

 

「あはっ、ケンカはだめだめー」

「づっ!?」

 

 意識を逸らしたその一瞬で、魔理沙の右腕に浅い裂傷が走る。

 まるで気配のないこいしがあっさりと接近し、手に持つ包丁で相手の腕を裂く。

 

「こ、のぉっ!」

「ほいほいほーい」

 

 苦し紛れの弾幕も、やはりさとり妖怪の妹には当たらない。

 冗談めかした声でひょいひょいと軽やかに回避し、再び魔理沙から距離を取る。

 先程から、この繰り返しだ。

 当たらない攻撃に苛立ち、別の相手や弾幕に意識を向けた間隙を縫って無意識の少女の一撃が届いている。

 実質二対一に近い状況にも関わらず、追い込まれているのは魔理沙たちの方だった。

 

「おい、魔法使い! 何か手はないのか!?」

「あったらとっくにやってるよ! 人にばっか頼ってないで、自分でも考えろバカ!」

 

 完全に遊ばれているぬえの焦れた声に、魔理沙も負けじと大声で怒鳴り返す。

 始める前は時間稼ぎが前提であったが、相手が優勢の戦況でそんな事を考えている余裕はない。

 だからといって、無意識を操るなどという意味不明な能力への対抗策も咄嗟には浮かんで来ない。

 地霊殿に住むさとり曰く、覚り妖怪は純粋な肉体的な強度という点において、他の魑魅魍魎より遥かに劣っているらしい。

 彼女の言葉に嘘がなければ、魔理沙の攻撃であってもこいしを一時的に再起不能にする事は難しくないだろう。

 しかし、その一撃を命中させる事が困難を極めていた。

 

「ご先祖様がー見ているぞー」

 

 表象 『夢枕にご先祖総立ち』――

 

 開かれたスペルに気を気を取られた瞬間、二人は再び古明地こいしという少女の存在を忘れてしまう。

 

「くっ」

 

 広範囲の下段から立ち昇る亡霊に見立てられた長細く青白い大量の弾幕たちが、魔理沙とぬえに向かって一斉に落下を開始する。

 

「隙ありー」

「ぐぎっ!」

 

 無意識の少女にとって、回避の為に弾幕へと意識を向けた妖怪など無防備な棒立ちの状態と変わらない。

 先程の魔理沙よりも更に深く、こいしの包丁が三叉槍を持ったぬえの右腕を抉る。

 

「いえーい。私の勝ちー」

「くそっ、くそぉ……っ」

 

 強い弱いといった概念から完全に外れた、反則とさえ言えるほどの認識阻害。

 ほがらかに喜ぶこいしを睨みながら、流血する傷を押さえたぬえが心の底から悔しそうに奥歯を噛み締める。

 残るは、こいしと魔理沙の一騎打ち。

 そして、何時でも勝負を終わりに出来たこいしがぬえを脱落させたという事は、魔理沙が落とされるのも時間の問題だ。

 

「なぁ、こいし。そもそもお前は、なんで地上へ出て来たんだ?」

 

 逆転の糸口を掴む為、魔理沙はこいしとの会話を試みる。

 

「うん? なんとなくだよ。お姉ちゃんは引きこもりだから、わたしがお外に出て見て来た事をお話ししてあげるの!」

 

 無垢な言葉に、純粋な笑顔。

 その表情は、何処かの紅い館の地下に住む令嬢を彷彿とさせる。

 もしかすると、こいしとフランの本質は近いのかもしれない。

 

「今日のお話は、きっとお姉ちゃんも凄く楽しんでくれるはずよ。大変だったけど、苦労したかいがあったわね」

「そういや、お燐が色々言ってたな。つまりお前が、この異変を裏で操ってたって訳か」

「あはは、そんな大袈裟な事は何もしてないわ。わたしはただ、会いたがってる相手と会わせたい相手の袖を引いてあげただけだよ」

 

 こいしは、本当にただ遊んでいるだけなのだ。

 そこに、大層な思惑もなければ遠大な謀略もない。

 幻想郷の住人を用いた、孤独な少女の人形劇。

 望み通りに動けば良し、気に入らなければ表に出る事の出来ない自分に変わる誰かを呼び込み介入させる。

 そうして生まれた状況が今であり、異変と呼ばれるこの騒動が始まった切っ掛け。

 

「弾幕ごっこも楽しんだし、後は特等席で見物ね」

 

 会話の途中で、こいしの姿が突如として掻き消える。会話と勝負に飽きた彼女が、魔理沙から意識を外したのだ。

 たったそれだけで、普通の魔法使いはこいしを捉える(すべ)を失ってしまう。

 

「こいし! おい、こいし!」

 

 慌てて相手の名を呼ぶ魔理沙だったが、無意識の少女が応えてくれる事はなかった。

 摂理に縛られる妖怪とはいえ、同じ手が二度通じるものではない。

 だが、糸口は見えた。

 心を閉ざし、無意識を操るあの妖怪には、一つ致命的な弱点が存在している。

 魔理沙にとって、その手段は最も使いたくない手札だったに違いない。

 何故ならそれは、自分が切り捨てたと思い込んでいる家族の絆を利用した罠だから。

 

「おい、こいし! ()()()()()()()()()()()!」

「え!?」

 

 魔法使いの少女の呼び掛けに、消えていた少女が姿を現す。

 瞳を閉じ、心を閉ざし、意識を手放してさえ残り続ける、姉への愛情。

 さとりという存在へ意識を向けた事で、こいしは今無意識から最もほど遠い状態となった。

 

 彗星 『ブレイジングスター』――

 

 その一瞬を逃さず、箒の穂先に取り付けた八卦炉が魔理沙の背後へ向けて最高の火力を放出する。

 

「おぉぉぉらぁぁぁぁぁぁっ!」

「っ!?」

 

 魔道具の推進力によって一身星となって突撃した魔理沙が、遂に隙だらけとなったこいしを捉える。

 箒の先端を相手の腹へと叩き込み、そのまま勢いに任せて地上へと一気に墜落していく。

 かなりの高度から指を三つ数える間もなく地面へと激突し、衝撃によって完膚なきまでに破壊された箒の破片が辺りへと盛大にぶち撒けられた。

 

「あ……が……っ」

 

 受身も取れずに大地に叩き付けられたこいしは、一度大きくバウンドして草原へと倒れ込んだ。

 そこへ、同じく地面を転がった魔理沙が打ち付けられた身体を無理やり引き摺り、馬乗りの体勢で無意識の少女を押さえ込む。

 

「よう、ようやく掴まえたぜ。こいし」

 

 痛みを紛らわせるようにやせ我慢の笑顔を浮かべ、飛んで来た木片で切れた額から血を流しながら、魔理沙は破れたこいしの上着を自分の左の手の平へと巻き付けた。

 こうしておけば、仮に意識を逸らされたとしてもそう簡単には逃げられない。

 

「どうして、貴女はこんな酷い事をするの? わたしはただ、皆が幸せになれば良いと思っただけだよ?」

 

 落下の衝撃で内臓を傷めたのか、口から血を吐きながら心の底から不思議そうに見上げる少女が首を傾げる。

 ぬえや小傘を平然と刺しておきながら、随分なもの言いだ。

 しかし、それも仕方がないのだろう。

 この世界の住人はこいしという存在から目を逸らし、こいしはこいしで彼ら彼女らの心から目を逸らす。そして、最初に世界を拒絶したのはこいし自身に他ならない。

 路傍の小石を蹴飛ばして、罪悪感に苛まれる者は居ない。つまりはそういう事だ。

 

「こいし。私は人間で、お前は妖怪だ。だけどな、それでも私はこう言わなきゃならない」

 

 生き方が違う、価値観が違う、そもそもの種族すら違う。

 だが、それでも、この異変に巻き込まれた全員の代弁者として普通の人間はこいしへ罰を下さねばならない。

 

「お前は間違ったんだ。お前は、やっちゃいけない事をやったんだよ」

 

 服を巻いた左手でこいしの胸ぐらを掴んで引き寄せ、右手を握って大きく振り被る。

 

「良かれと思えばなんでも許されるなんて、ある訳ないだろ。私じゃなくても、お前に誘導された奴らは口を揃えてこう言うさ。「余計なお世話だ、ほっとけ」ってな」

 

 誰も、こいしに手を貸せと願ってはいない。

 誰も、こいしに助けろと乞うてはいない。

 例え、その根底に善意があったとしても、それは善行になりはしないのだ。

 

「お前は、悪い事をしたんだ。だから、私はお前を殴る」

 

 悪い事をすれば、誰かに叱られるのは当たり前だ。

 単純にして、明快な論理。

 ぽかんと口を開けるこいしへ向けて、魔理沙の人間として全力の拳骨が振り下ろされた。

 頬に刺さったその一撃は、こいしの顔に赤い痣を残す。

 

「これで、小傘の分はチャラだ。後はもう、好きにしろよ」

 

 ひ弱な人間の拳など、妖怪にとっては蚊に刺されたようなものだろう。

 如何に読心妖怪が他の妖怪より肉体面で劣っていたとしても、流石に人間より脆弱ではないはずだ。

 十分に時間を稼いだとは言えないが、それでもやれるだけの事はやった。

 手の平へと結んでいた服を外し、立ち上がった魔理沙は数歩後ずさってから力尽きるように地面へと仰向けに倒れた。

 

「ねぇ、どうしてかな?」

「……何がだよ」

「どうしてわたし、涙が止まらないのかな……」

 

 それはきっと、殴られた痛みからではないのだろう。

 悪戯を叱られた少女の両目から、大粒の雫が幾つも溢れ零れ落ちていく。

 怒られた事への反省、自分の善意を否定された事への悲哀、自分という存在を強く認識された事への歓喜。

 

「どうして、どうしてなの……お姉ちゃん……」

 

 心を閉ざす過程で捨て去り、忘れた振りをしていた様々な感情。

 太陽の炉心を持つ人間によって再び火を灯された黄金の輝きに、少女は戸惑い涙を流す。

 訳も解らず泣き続けるこいしは、両手で顔をおおい最愛の姉へと救いを求める。

 

「はぁっ……やってらんないぜ」

 

 風に流れる少女のすすり泣きを聞きながら、らしくない事をしたと魔法使いは汚れた帽子をずらし顔を隠す。

 異変が終わりに近づく中で、一つの勝負が決着となった。

 空は茜色に染まり、何処かでカラスが鳴いている。

 遊び疲れた子供も、仕事に疲れた大人も、誰も彼もが自分の家へと帰る時間だ。

 やがて次の朝日となる為に、黄昏へと沈む夕日が何時までも二人を照らし続けていた。

 




無粋かとも思いましたが、以下はサブタイのネタ回収
100⇒三桁⇒ミツケタ⇒見つけた

風呂敷を畳む(別の異変の風呂敷を広げないとは言っていない)

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