銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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狂信者の苦悩

 

 地球教首脳部が帝国軍に逮捕と同時に各惑星の地球教支部にも官憲の立ち入り調査が行われた。

 ド・ヴィリエの様に従順で協力的な支部も有れば武力抵抗して血が流れる支部もあった。更に官憲との戦いを避けて地下へと逃れる者達も少なくなかった。

 そして、地下へと逃れた者達を糾合する者が居たのである。

 

「司教様。総大主教猊下が帝国に捕らわれました」

 

「ルビンスキーの裏切り者め!」

 

「司教様。我らは如何するべきでしょう?」

 

「知れた事。金髪の孺子を倒せば良いだけの話であろう」

 

 言うだけなら簡単であるが相手は宇宙で最大最強の権力者である。質問した者も司教と呼ばれた者の発言には戸惑ってしまう。

 

「それ程に困難な事ではない。我らはカーレ・パルムグレンさえ倒しておる。ラグラン・グループの二の舞を踏ませれば良いだけだろう」

 

 シリウス戦役の勝者であり病死したカーレ・パルムグレンも自分達による暗殺と主張する。

 

「おおっ!」

 

「確かに!」

 

 複数の感嘆の声した。第三者が居れば失笑した事であろう。カーレ・パルムグレンの死因は病死である事は歴史上の事実である。地球教も存在していたかも怪しい時期に敵対者の病死を自分達の仕業と功を誇るとは厚顔の極みである。

 人は自分が信じたい事を信じる生き物である。特に狂信者になると顕著である。

 その場しのぎの詭弁で信徒を安心させて帰して一人となると、司教と呼ばれた男は傍らに用意された水を一気に飲み干した。

 

「総大主教猊下よ。この不肖者のデグスビイに力を与えたまえ」

 

 司教と呼ばれていた男はルパート・ケッセルリンクにサイオキシン麻薬患者にされたデグスビイ司教であった。

 彼はハンスに酒と交換で地球教の秘密を漏らして見逃してもらい。本部から派遣された同僚に自分は既に殉教したと嘘の報告してもらっていたのである。

 ハンスも同僚もデグスビイの境遇に同情的であったがデグスビイが生き延びるとは思わなかったのである。両者とも余命幾何も無いデグスビイを見逃しても大過ないと判断したのである。 

 しかし、サイオキシン麻薬の禁断症状とアルコール中毒の魔の手から髪を全て白髪にする代償を払ってデグスビイは生還したのである。

 そして、デグスビイは背信者となってしまったが信仰を捨てはしなかった。

 地球教による銀河統一を夢見て地下に潜り、教団内部の派閥闘争で敗れた者や上役に濡れ衣を着せられ教団を追われた者など教団のはみ出し物を地道に集めて一大勢力を築き教団への復帰を目論んでいた。

 

「たとえ総大主教猊下が居られなくとも地球がある限りは望みはある」

 

 デグスビイは己に言い聞かせるとルパートが残した計画書を取り出した。

 デグスビイには組織を作り維持する能力はあったが策を弄して行動を起こす能力には恵まれてはいなかった。

 嘗て、ルパートが自身がルビンスキーに取って代わりデグスビイが総大主教に取って代わるシナリオを提供して唆したが、今になりルパートが残したシナリオの出番になるとは皮肉な事であった。

 

 デグスビイがフェザーンの地下で暗い情念を燃やしていた頃、オーディンの保養地から生気に満ち溢れてハンスが職場復帰をしていた。

 

「しかし、五百万人のサイオキシン麻薬患者の世話となると大変だな」

 

 ハンスの愚痴を咎める者は居なかった。オーディンの全てのベッドは満員御礼状態で病院からは非常時に空ベッドがないと困るとの訴えがあり、臨時に宇宙港に駐留している病院船も使用する事になった。

 

「これって、長官のミッターマイヤー元帥か軍務尚書の仕事じゃないのか?」

 

 病院船と人員の手配をラインハルトから命ぜられたハンスが資料をフェルナーから受け取りながら疑問の形で遠回りに抗議をする。

 

「ミッターマイヤー元帥は退院した一般教徒を帰郷させる為の計画で忙しく、軍務尚書は各惑星の憲兵隊の人員補充の計画で忙しいのです」

 

 真面目な口調で正論で反論するフェルナーにハンスも何も言えずに黙って病院船の手配を始める。

 

(上司に似てきたなあ。以前は自分と同類だったのに)

 

 フェルナーが知れば気を悪くする様な失礼な事を考えたハンスである。

 ラインハルトがハンスに命じた理由は他の提督達は多忙を極めていたからである。

 ラインハルトはフェザーンへの遷都を考えていて、手始めに大本営をフェザーンに移動させる為の準備を諸提督達に伝達していたのである。

 オーディンに残るのはメックリンガー上級大将にケスラー上級大将とワーレン上級大将のみである。

 その為に諸提督達はオーディンを離れられない事情のある将兵をワーレンやメックリンガーの艦隊に配属する為に忙しいのである。

 

 8月8日、正式にフェザーン遷都の意向が公布されたのである。そして、8月30日にミッターマイヤー艦隊が先遣隊として軍務尚書と工部尚書と共に出立する。

 ラインハルト自身は9月17日に諸提督を率いてオーディンを出立する。大本営の完全移行は年内を目標として遷都自体は一年後を目処に完遂予定である。

 

 フェザーン遷都の報に狂喜したのはデグスビイであった。

 忌々しい憲兵隊や社会秩序維持局はオーディンに留まったまま皇帝がフェザーンに来るのである。

 

「金髪の孺子め。地球教本部を壊滅させた事で油断したか!」

 

「司教様。この際です。信徒を安心させる為にも司教様が総大主教に就任されるべきです」

 

 部下から思いがけない提案をされた。部下にしたらデグスビイの歓心を買うのと同時に一面の事実でもあった。

 

「ならぬ!」

 

 しかし、デグスビイは一言で却下したのである。

 

「何故にですか?」

 

「私が総大主教を継げば地位欲しさにと勘ぐる者も出る。先ずは総大主教代行で大願成就した暁には相応しい者が継ぐべきである」

 

 一応は謙虚に遠慮をした体裁を取っているが、どの様な基準で誰が判断するのか肝心な部分は語らないままである。

 迂闊に総大主教の地位に就けば事が露見した時に帝国軍からの逃亡が困難になる。

 信仰心はあるが自身の保身も大事である。

 

「全ては金髪の孺子を倒した後の事である。それに事を起こすには資金調達が肝心である」

 

 既に地球教本部は壊滅してサイオキシン麻薬は資金源となり得ない。新しい資金源が必要なのである。

 

「例の事業は順調であるか?」

 

「既に量産体制に入っています。しかし、フェザーンに遷都されてしまうと当初の売り上げ予想を下回る可能性が高くなります」

 

「稼げるうちに稼ぐしかない。全てを加工したら商品は分割して保存しろ。工場は整理して処分しろ」

 

「はい。すぐに手配します」

 

 デグスビイが新規の資金源として目をつけたのはポルノ映像ソフトであった。

 同盟なら合法なソフトも帝国では御法度である。

 同盟から合法非合法のソフトを手に入れてフェザーンで大量コピーをして帝国で密売するのである。

 今までは小規模の事業であったが需要も多く設備投資をする事で大量生産が可能になりコストダウンに成功したのである。

 幸いにもサイオキシン麻薬の密売ルートの多くは休眠状態でありサイオキシン麻薬に代わる新しい商品の密売を約束してくれた。

 サイオキシン麻薬と違い司法当局の取り締まりも甘くサイオキシン麻薬に代わる資金源として期待が出来る事。

 聖職者がポルノソフトを売る事に躊躇いがあったがサイオキシン麻薬とアルコール中毒の後遺症により、デグスビイも自身の健康に不安があり、体裁を気にする余裕が無いのであった。

 デグスビイが率いる信徒達も元は教団からの弾き出された者達の集団である。

 今はデグスビイという存在が接着剤となり統率が取れているがデグスビイ亡き後は空中分解するであろう。

 金髪の孺子に正義の鉄槌を与えるにも失敗して再び地下に潜るにも制限時間があった。

 

「早めに資金調達をしなくては」

 

 デグスビイは焦っていた。自身が成功するにも失敗するにも後継者が必要である。自分の命が尽きる前に後継者も探さないといけない。

 金髪の孺子を嵌める罠を作る為に新たな資金源の開発と勢力拡大が急務であった。

 幸いの事に宇宙の全ての勢力が自分達の存在を知る筈がなかった。

 そして、それは金髪の孺子を倒す最大の武器を所有している事なのだ。

 油断した人間ほど脆い存在はない。自身も青二才と油断したルパートの奸計に嵌まったではないか。

 デグスビイの存在を知らないが地球教の残党が蠢動する事を予測していた人物が宇宙に一人だけいた。

 サイオキシン麻薬を撲滅して資金源を枯渇させ地球教本部討伐の策を巡らせたハンスはド・ヴィリエの名もデグスビイの名も記憶から削除していたが故に、ド・ヴィリエがハイネセンで改心して額面通りの宗教家になってもデグスビイが密かに生き延びていても油断する事なく地球教の残党に対して警戒をしていた。

 デグスビイに同情して見逃したハンスだけが油断せずに地球教を警戒するのは両者にとって皮肉としか言えないだろう。

 

 この年の地球教討伐とフェザーン遷都が、良くも悪くも多くの人の人生を変える結果となっていた。

 その全てを把握するのは神ならぬ身のハンスには不可能であった。

 


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