シュトライトの解説付で議事録の内容を把握したハンスにシュトライトから驚きの発言をされる。
「続きましては上級大将研修を始めます」
「ちょっと待て、もう夕方だよ!」
以前にも入院中に研修を受けた事があったが昼間の研修であった。
シュトライトはハンスの抗議を無視して教官達を病室に招き入れる。
「卿達、ここは病院だぞ。他の病人に迷惑だろ!」
「安心して下さい。ここは対テロの為に他の病室とは離れた場所です」
そう言い残すとシュトライトは病室を去って行った。
「閣下。男は諦めが肝心です」
注意して見ると教官達は全員が初老の者達ばかりである。研修後にハンスに睨まれない様に退官間近の士官を教官にしたのではと、ハンスは勘繰り教官達に探りをいれる。
「陛下は卿達に何を吹き込んだ?」
「別に何も。閣下は、これからの帝国を支える大事な人材なので研修には手を抜く事が無い様にとしか言われてません」
「あのシスコン野郎め!」
ハンスも不敬罪に為らない様に個人名は出さない。しかし、その場に居た者は誰の事は分かった。
誰の事か分かったが口にすれば不敬罪になるので教官達は無視する事にした。
結局、ハンスの研修は朝方まで続くのであった。
翌日、ラインハルトは朝礼も終わり執務室で首席秘書官のヒルダから今日の予定を聞いていた。
「この後は工部尚書からのフェザーン遷都の試算の報告と説明が有ります。その後はメックリンガー大将とケンプ大将と地球教討伐の準備と計画の報告です。その後は昼食を挟んで各省庁からの報告が有ります。今晩は夕食を摂って頂いた後は学芸省主宰のコンクールに出席となっています」
「フロイライン、夕食の後のコンクールには余が出席せねばならぬのか?」
芸術には無関心のラインハルトらしい確認であるが帝国の芸術家の卵達には皇帝臨御のコンクールに出る事は一生の誉れなのである。
「門閥貴族が居なくなり芸術家達は庇護を失った事を不安に思っています。彼等の不安を取り除く為にも陛下には出席をして頂きとう御座います」
「そうか」
ラインハルトの遠回しの欠席の要望はヒルダの正論の前に玉砕した。その時、執務室の扉の向こうから声がした。
「ええい。皇帝陛下の直訴は邪魔してはならん決まりだろ!」
「それはそうですが!」
ラインハルトとヒルダには声の主に聞き覚えがあった。
ヒルダが目でハンスに何かしたのかと無言の詰問してくるのをラインハルトは気付かない事にする。
ラインハルトとヒルダの無言の攻防も一瞬で終わった。ハンスが執務室に入って来たからである。
「ハンス。何事か?」
「はい。皇帝陛下に直訴で御座います。明日より私は二週間の有給休暇を取得させて頂きとう御座います」
「それは、軍務尚書の管轄だろ!」
「入院初日に勅命により、徹夜で上級大将研修を受けさせられましたので、陛下から有給取得の許可を頂かないと安心して療養も出来ません!」
ハンスの言葉を聞いてヒルダの目が刺を超えて針だらけの視線をラインハルトに送る。
「うっ!」
流石にラインハルトもヒルダからの針だらけの視線は堪えたようである。
「陛下は私に恨みでもあるのですか?」
ハンスが自覚の無い言葉にラインハルトも思わず反論する。
「人には無理矢理に姉離れさせおいて、自分は姉君とイチャつきおって、どの口が言っているのだ!」
「何ですと、私は姉とは陛下の半分以下の年月しか暮らしてません。それに姉とは一年ぶりの再会でした!」
「それが、どうした!」
「呆れた。陛下は皇帝の癖に、そんな事を言うのですか!」
「何だ!不敬だろうが!」
「不敬と言うなら、尊敬される事をしろ!」
「何だと!」
ラインハルトがハンスの口に両手の指を引っ掛けて反対方向に引っ張る。
「悪い事を言う口は、この口か!」
「ひたい!ひたい!」
ハンスも負けじとラインハルトの口に指を引っ掛けて応戦する。
「ふりゃ!ふへいであふほう!」
銀河帝国の皇帝と上級大将の会話とは思えない低レベルの争いにヒルダは頭を抱えたい衝動を我慢した。
「二人とも止めなさい!」
流石にヒルダも語気を荒くラインハルトとハンスの幼稚園児並みの争いを止める。
「フロイライン。この不忠者を成敗するのを何故、止める!」
ラインハルトは両手で頬を擦りながら、逆にヒルダに詰問する。ラインハルトには今の事態が第三者の目に、どの様に写っているか分からない様である。
「今回は陛下に非が有ります!」
「何だ、フロイラインは不忠者のハンスの肩を持つのか!」
「入院初日に徹夜を強制されたら、誰でも怒って当然です!」
当たり前の事だがヒルダの言は正論である。正論だけにラインハルトも反論が出来ない。
「では、有給休暇は頂けますね?」
ハンスが勝ち誇った様にラインハルトに有給休暇を無心する。
「卿は余が忙しい時に休暇を要求するのか!」
「だから、休暇と言っても療養するだけです!」
「別に骨折している訳では無いだろうが!」
「骨折はしてませんが肋骨に罅が入っています!」
一触即発の状態で再び睨み合う二人にヒルダも今度は我慢が出来ずに頭を抱えた。
ヒルダの従弟のキュンメル男爵はヒルダを実の姉の様に慕っていたがハイネセンでの入院生活で看護婦と恋仲になり姉離れをした。ヒルダには従弟を取られた様な心情だったが姉離れが出来ない眼前の二人を見て従弟が姉離れをした事を祝福する気分である。
(ハインリッヒが、この二人みたいに成らなくて本当に良かったわ)
内心の思いとは別にヒルダは二人の仲裁に入るのである。
結局はハンスの味方をした形になるのだがハンスには三週間の有給休暇が与えられたのである。
「陛下。姉君が結婚して寂しいなら、ご自身も結婚されたら如何ですか?」
ハンスとしては将来の結婚相手が目の前にいるのである。早く結婚しろと思うのである。
「卿も軍務尚書や国務尚書と同じ事を言うのだな」
「そりゃ、陛下は女性に関心が有りませんから、皆が心配するでしょう」
オーベルシュタインでも言わない事を言うのがハンスである。
「人を朴念仁みたいに」
ラインハルトも怒りより呆れが先に来ている様子であった。
「まあ。今すぐとは言いませんが事は跡目相続に関わる事ですから真剣に考えて下さい」
流石に真剣にハンスが進言するのでラインハルトも大人しく聞いている。
(どうやら、フロイラインの事は、まだ意識して居ない様だな)
ハンスはヒルダの表情も観察したが、ヒルダも表面上は意識をしていない様である。
(この二人、大丈夫かね。本当に結婚するのか?)
余計なお節介な事を考えてるがハンスは知らない事だがラインハルトとヒルダが結ばれたのは偶然の産物である。
「真面目な陛下ですから杞憂だと思いますが、市井な若者みたいに出来ちゃった結婚とかしないで下さい」
「安心しろ。その様な、ふしだらな事はせぬ!」
ハンスが逆行前の世界では婚前交渉の上に次の日の朝には花束を持ってプロポーズにマリーンドルフ邸に訪問したのだが知らない事は幸せな事である。
「卿も唐突に何を言い出すのか?」
「私も年頃の姉を持つ身ですので陛下と結婚する方に同情してましてね」
ラインハルトもハンスが言いたい事が理解が出来る。政治の道具にされてしまう事を懸念しているのだ。
「ハンスよ。卿は優しいな」
唐突にラインハルトの口から出た言葉に常人なら慌てるなり照れるなりするが生憎とハンスは常人ではなかった。
「えっ!今頃、気付いたのですか!」
これには、二人の会話を聞いていたヒルダも吹き出してしまった。
ヒルダに釣られてラインハルトも吹き出してしまう。更にラインハルトに釣られてハンスも吹き出してしまった。
「卿まで笑っては駄目だろ」
「まあ。啀み合うよりは良いでしょう」
ハンスは笑いを終わるとヒルダに向き直り改めて礼を言う。
「陛下は癇癪持ちだからな。フロイラインは臣下との間に入り大変でしょうが頑張って下さい。それで、これは感謝の印です」
ハンスは懐からスキットルを出してヒルダに手渡した。
「これは?」
ヒルダもハンスが酒飲みの道具を渡すとは思ってはいない。
「これは、縁起物ですよ。これに暗殺者の銃弾が当たり、こちら側には穴が空いてるけど反対側は膨らんでるだけでしょう」
ハンスに言われてスキットルを改めて見ると片方にはボールペンの直径程の穴が空いている。軽く振ると小さな音がする。
「中で銃弾が変形しているんですよ」
ヒルダも物珍しく感心している。
「これは縁起の良い珍品ですね」
ヒルダが感心しているとラインハルトが口を挟んできた。
「水筒と言えば水筒だが、そんな物を何故、卿は持っていたのか?」
「あっ!」
「えっ!」
気不味い空気が執務室に流れた。
「まさか、軍務省内部で飲酒する気でいたのか?」
「いえ、あのう、携帯に便利なので水筒代わりに使っていたのです」
ハンスも罪悪感が有る為か言い訳も怪しさ満載である。
「ほう。もう少し気の利いた言い訳をするかと思っていたぞ」
「べ、別に勤務時間外ですから問題無いでしょう」
「そういう問題では無い!」
また、幼稚園児なみの口喧嘩を始める二人にヒルダは頭を抱える事になる。
(確かに陛下がキルヒアイス元帥以外で素になれる貴重な存在かもしれないけど、これからも口喧嘩の仲裁を私がするの?)
大人気無い二人を見て頭痛がするヒルダであった。