ハンスがフェザーンに人材引き抜きの為にオーディンを離れてから帰還するまで一年近くなる。
ハンスは着陸前に艦長に席を譲ってもらい艦長席でヘッダのブロマイドを片手に惑星オーディンを眺めていた。
「オーディンか。何もかも皆、懐かしい」
ハンスは呟く様に言うと静かに目を閉じてシートにゆっくりと体を預けた。
「閣下。着陸準備を始めますから、そろそろ席を返して頂けますか」
艦長から催促されて席を返しながら、ハンスは艦長の頭部を見る。年齢の割には豊かな髪が目に入る。
「うーん、軍医殿もあったからなあ。それにあの人は下戸だからなあ」
ハンスは艦長には意味不明な事を言っていた。
「まあ、閣下にしたら懐かしいでしょうな」
「うん。出張手当てが凄い事になっていたよ」
「それは、そうでしょう。普通は長くても半年ですから」
「最初はフェザーンに出張の筈だったけどね」
独身とは言え、姉と同居している身に一年近い長旅は堪えた。
(まさかね。オーディンに帰る事が、こんなに嬉しいとは!)
亡命してからオーディンが自分の居場所になっていた。海も川も少ないオーディンに懐かしさを覚えると同時に姉に会いたい自分がいるのに驚きもあった。
「ハイネセンに居る時は釣りをして糊口を凌いだもんだったから、最初はオーディンに海が少ない事に落胆したもんだがね」
場所だけの問題ではなく、義姉のヘッダの影響も大きいだろう。成人後に正式に結婚するつもりだが、周囲の説得も大変な労苦になると覚悟をしている。
(いかんなあ。オーディンを見て郷愁に浸っている場合じゃない)
ハンスはオーディンに帰還しても忙しいのである。
宙港に着くと、そのまま新無憂宮に行きラインハルトに帰還の報告する。
「残る敵は地球教となりました。予定通りに明日に会議をして頂けますか?」
「問題無い。内務省と財務省からも報告を受けている」
「それから、会議の後は暇になりますので、休暇をお願いします」
「分かっている。但し休暇から帰って来たら卿は上級大将に昇進だ。例により、研修を受けて貰うぞ」
ハンスの表情は一転して嫌な顔になる。
「普通は昇進すると喜ぶものだがな」
ラインハルトの皮肉ならない皮肉にハンスも黙っていない。
「研修無しで昇進だけなら喜びますよ」
「昇進無しで研修だけ受けても構わんぞ」
「陛下。私に何か恨みでも有るんですか?」
この言葉にラインハルトも呆れながら驚いた。
「その何だ。卿は自覚が無かったのか!」
二人の会話を横で聞いていたヒルダは腹筋を酷使する事になる。
(この二人、本当に仲が良いわね)
ハンスはその場でヒルダに翌日の会議の確認してから軍務省に行き軍務尚書のオーベルシュタインに帰還の報告と翌日の会議の事前説明をする。
その後にロイエンタールの所に赴きオーベルシュタインと同様に会議の事前説明をする。
「ふむ。卿が以前からコソコソと何かをしていたのは、この件だったのか」
「まあ、これだけでは有りませんけど」
その後、ミッターマイヤーにケスラー、司法尚書のブルックドルフに内務尚書オスマイヤーの順序に事前説明に回る。
最後に内務省の次官にまで出世したラングと一緒に財務尚書に就任したルビンスキーの所に赴き、翌日の会議の打ち合わせをする。
「しかし、財務尚書閣下が味方になった事は大きいですな」
ラングも地球教の捜査に忙しく以前よりは痩せた体で言う。
「私も酒も飲めない宗教国家は嫌ですからな」
応えるルビンスキーは手術後の経過も順調だったらしく体重も戻り健康そうである。
そして、自治領領主時代と変わった事は黒髪の鬘をしている事である。
(何があったのだ?)
流石にハンスも口には出せずに打ち合わせを進めて行く。
打ち合わせが終わると既に夕刻になっていた。
「食事でも一緒に如何ですか?」
ルビンスキーの申し出にラングは家族を優先して断り、ハンスも仕事があるので断った。
ハンスは財務省を出ると学芸省に向かいヤンとシェーンコップに翌日の会議の事前説明をする。
「しかし、学芸員の私や護衛役のシェーンコップが参加しても宜しいのですか?」
ヤンの疑問は当然の疑問である。シェーンコップも自分達にも話がくるのか不思議そうにしている。
「ヤン提督には歴史家として地球の説明して頂きたい。それに宗教結社の行動パターンを一同に説明をお願いしたい。シェーンコップ中将には陸戦の専門家として地球攻略に関して意見を出して欲しいのです」
ハンスの説明で二人は納得したのだが、シェーンコップは迷惑そうな表情を隠そうともしていない。ヤンは歴史書にも乗らない歴史が知れると頬が緩むのを止められないでいた。
シェーンコップにしたら断りたいのだが、ハンスは子供達の恩人なので断れないのである。
「まあ、私の子供達も世話になりましたから協力はしますが、現場復帰はお断りします」
「大丈夫です。帝国軍にも陸戦隊は有りますから」
「なら、何故、私に?」
「地球教の信者は帝国軍内部にも居ますからね。貴方なら能力共に信用が出来る」
「ふん!」
ハンスに面と向かって言われて照れるシェーンコップであった。
その後、軍務省に戻り自分の執務室にて明日の会議の準備をする。
普通の会議なら部下に任せても問題が無いのであるが地球教は将官にも洗脳の触手を伸ばしていたので部下に任せる訳にはいかない。
(もう、こんな時間か)
準備が終わると既に日付が変わっていた。
(明日の会議次第だが、休暇を取るか)
ヘッダは今年の年末からフェザーン公演が控えている。その準備でヘッダが忙しくなる前に二人で旅行に行きたいと思った。
「まあ、今は明日の会議だな」
ハンスは会議資料を執務室の金庫に入れてから軍務省の外に夜食を食べに行く事にした。
軍務省も当直の士官や夜勤者の為に深夜まで食堂が開いているが将官の自分が行くと迷惑になる事を知っていた。
資料を金庫に入れる時にスキットルが目に入った。
「どうせ、食って寝るだけだからなあ」
テイクアウトした食べ物を肴に飲めば良い。眠くなれば執務室で寝れば、次の日には誰かが起こしてくれるだろう。
スキットルを懐に入れるとハンスは軍務省を抜け出した。流石に軍務省内部での飲酒は罪悪感があったが、酔って軍務省に戻る訳に行かない。
軍務省の敷地を出た所で後ろから声を掛けられた。
「閣下!落とし物ですよ」
ハンスは慌てて振り向いた瞬間、胸をハンマーで殴られた様な衝撃があった。
次の瞬間、満天の夜空が視界を占領して後頭部と背中への衝撃が続いた。
地面に倒れたハンスの額に銃口が突き付けられる。
「悪く思うなよ。孺子」
襲撃者が引き金を引くよりも早く光の矢が襲撃者の側頭部を貫いた。
(悪く思わないでね)
アンスバッハが使用した指輪を護身用にと指に嵌めていた事が幸いした。
襲撃者が倒れる事にも気付かずにハンスは心の中で一言だけ呟くと意識をゆっくりと手離した。
翌朝、ラインハルトは早朝からケスラーから謁見を求められた。
「前置きは良い。卿が早朝から来るなら急ぎの事なのだろう。早く本題を話せ」
「はい。昨晩、ミューゼル大将が襲撃されました。襲撃者はミューゼル大将に射殺されましたがミューゼル大将も負傷して治療中です」
「なんと!それで襲撃者の背後関係は?」
「それですが、襲撃者は現役の衛兵でした。襲撃者の家宅捜索と身辺調査をしてますが襲撃したタイミングと襲撃者の立場が立場だけに陛下の政治判断を仰ぐべきだと判断しました」
「うむ。恐らくは背後の黒幕は地球教で間違いないだろう。他の衛兵達は?」
「全員を一ヶ所に集めて監視と身辺調査をしています。業務の方は私の部下が代行しています」
「それで、ハンスの負傷具合は?」
ラインハルトの質問にケスラーも重い口調で応える。
「はい。使用された銃はブラスターではなく小口径の火薬式の銃でした。撃たれた傷は偶然にも懐に入れていた水筒に当たり軽症でしたが、撃たれた時に転倒して頭を強打して昏睡状態です」
「危険なのか?」
「医師の話だと、まだ何とも言えないそうです」
「そうか」
ラインハルトの言葉は短いが口調にはハンスを心配する気配が溢れていた。
「今日の会議は予定通りに行う」
ラインハルトはハンス一人を暗殺しても事態が変わらぬ事で地球教の焦りを誘うつもりである。
「それから、ケスラー。卿は余の朝食に付き合え」
流石にケスラーもラインハルトの想定外の言葉に驚いた。
「そんな、畏れ多い事です」
ラインハルトはケスラーの反応を楽しむ様な様子である。
「卿は無理矢理にでも食事を摂らさせないと平気で食事を抜くからな」
ラインハルトの言葉は図星であった。ケスラーは忙しいと平気で食事を摂る時間も勿体ないと考える男なのだ。
「もしかしたら、部下が陛下のお耳に何か入れましたか?」
「卿は良い部下を持ったな」
ラインハルトは言外にケスラーの予想を肯定した。実はケスラーの部下だけではなくハンスからも言われていたのだ。
「はい。自慢の部下達です」
この日の会議はハンスが欠席なまま予定通りに行われる事になった。
後日、ハンスは残業までして作った資料が無駄になったと残念がるのであった。
こうして銀河帝国と地球教の間の攻防戦にて地球教の宣戦布告とも言える一撃がハンスに当たる事になった。
それは、銀河帝国の反撃の呼び水となるのであった。