帝国軍が征服者としての仕事に励んでいる頃に敗軍の将は退職までの間の有給を消化しながら結婚式の段取りをしていた。
「ここなら、それほど広くもなく立地も目立つ場所ではありませんから帝国軍の目を引く事もありませんわ」
「うん。そうだね」
「パーティー会場ですけど、やはり帝国軍の目を引く屋外は止めた方がいいでしょうね」
「うん。そうだね」
「ここのレストランなら広さも式場からの距離も遠くありませんわ」
「うん。そうだね」
「では、直ぐに申込みますわね」
「うん。そうだね」
段取りをしていたのはフレデリカだけでヤンは首肯するだけであった。
申込みをしているとディスプレイが切り替わりキャゼルヌが画面に表れた。
「よお、お二人さん、式場探しかい?」
「そうですね。時期が時期なので派手には出来ませんから」
「色々と忙しいそうだな。ところで二人の辞表は受理されたが俺やムライにパトリチェフの辞表は却下された。受理されたのはシェーンコップとアッテンボローくらいだ」
「事務仕事が増えるから先輩達に辞められると困るんでしょう」
「まあ、和約の条項作りに人が足りないのもあるんだがな」
「それと、帝国軍が接収したホテルのオーナーが逮捕されたとか」
「ああ、あれね。何でもミューゼル大将が逮捕したらしい。同盟の治安維持に協力するという大義名分だがね」
「しかし、オーナーもホテルを接収された上に逮捕とは……」
「そうか。お前さんは子供の頃は宇宙船暮らしだったんだな。あそこのオーナーは昔は有名な乗っ取り屋だったんだが、それ以上に奴さんを有名にしたのは、昔、奴さんの欠陥だらけのホテルで大規模な火事があったんだが色々と手を回して執行猶予だけ済ませんだ」
キャゼルヌの話にヤンも記憶の引き出しを探すが見当たらない。
記憶力に定評のあるフレデリカが当時の記録を引き出しから出してきた。
「キャゼルヌ中将。もしかして「ホテルニュージパング」の事でしょうか?」
「そうだ。そんな名だった」
「それなら、私も覚えています。確か数年後に社長が襲われたんですよ。犯人は捕まらないままですけどね」
「ミューゼル大将の事だから、人気取りで逮捕したかもしれん」
「確かに効果的な方法ですが、ミューゼル大将の場合は単に個人的な感情かもしれません」
「まあ、同盟では散々に苦労した人だからなあ」
キャゼルヌから苦労人と評されたハンスは完全な別件逮捕で自宅から会社、愛人宅も礼状無しで強行捜査をして脱税や闇カルテルに贈収賄の証拠を捜し出してマスコミに公表して同盟の検察に渡していた。
帝国軍部内でも眉を顰める人間も居たがハンスは堂々と「卿らには互角の敵かも知れんが私には復讐の対象だ!」と公言するので誰も何も言えないままだった。
検査入院中のラインハルトも「同盟市民が清潔に暮らせるなら私が言う事は無い」と公認する始末である。
そして、検査入院が終わったラインハルトが退院した翌日にバーラトの和約の調印式が行われる予定であったがハンスが騒ぎを起こした。
後世、有名な「ゼッフル粒子遺棄事件」である。
ハンスがビッテンフェルトを誘い「都市伝説」にあるゼッフル粒子を探したら偶然に発見したのである。
当然の事ながらハンスは歴史のカンニングにより遺棄されたゼッフル粒子発生装置の存在を知っていたが当時の帝国と同盟の人々を震撼させる出来事であった。
至急に大規模な捜索に代わり次々と発見される事になった。
数の多さに同盟政府も恥も外聞もなく帝国軍に協力を要請したのである。
この騒ぎによりヤンとフレデリカの結婚式が1日だが延期されたのである。
「ヤン提督には申し訳ありませんがハイネセンポリスの彼方此方で発見されまして、今、我が軍も同盟政府に協力して撤去作業をしています」
市民からの苦情や相談が帝国軍と同盟政府には寄せられたのである。
その中にヤンとフレデリカが式を挙げる結婚式場の名を見つけたハンスがヤンに連絡したのである。
「いえ、逆にハイネセン市民の一人として此方が礼を言うべき事ですよ」
「今回の件で我々も帝都に凱旋する予定が延びましたのでヤン提督にはハイネセンでの新婚旅行になってしまいますが……」
「構いませんよ。向こうに行けば時間は沢山ありますからね」
ヤンが鷹揚な人物だからだけではなかった。前日に同盟政府の予想被害図が発表されるとハイネセン市民も驚くべき規模であったのである。
剛胆で知られるキャゼルヌも家族を妻の実家に帰郷させるか考えた程である。
「ところでヤン提督。私は結婚式の招待状を貰ってはいませんけど」
「こりゃ、失礼」
「招待してくれないと押し掛けて式の間中、ずうっと泣きますよ!」
「どういう脅迫なんですか?」
結局、ハンスを招待したヤンであったが招待しても式の間中、泣き放しのハンスであった。
ハンスが普通のスーツで参加していた為に知らない人はハンスをフレデリカの弟と勘違いしていた。
「貴官も何も泣く事はないだろう」
レストランで隣の席になったシェーンコップがハンスのグラスにワインを注ぎながら呆れた口調で言う。
「そりゃ、子供時代に可愛がってくれた女性が結婚したら泣きたくもなるさ」
実際は中身は八十過ぎの老人である。単純に涙脆くなっているだけである。
「それより、卿はヤン提督のボディーガードとして帝国の司法当局で採用となったが帝国に移住に際して必要な物は言ってくれ」
この発言に驚いたのはアッテンボローとキャゼルヌであった。
「「そんな事は聞いて無いぞ!」」
キャゼルヌとアッテンボローがタイミングまで合わせて異口同音に声を出した。
「なんだ。二人には言って無かったのか?」
「まあ、二人を驚かせてやろうと思いましてね」
シェーンコップにしたら帝国軍の全員がハンスではない。中には肉親の仇としてヤンを狙う可能性を考えての志願だった。
その事を瞬時に悟ったキャゼルヌとアッテンボローは驚きはしたが責めはしなかった。
ヤンは過激なシェーンコップが同盟政府と衝突する可能性を考えて自分の目の届く範囲に置くべきと考えた結果である。
そして、ヤンの考えは正鵠を射ていて彼はヤンが同盟政府に暗殺されかけた時には市街戦を起こしているのである。
ハンスは両者の考えを理解していたから帝国の司法当局に特別に依頼してシェーンコップを職員として採用させたのである。
ヤンは結婚式の後にハイネセンの別荘地に新婚旅行に出掛けたがシェーンコップやアッテンボローなどは政府の要請で一時的に軍に復帰して撤去作業の指揮を取る事になった。
「しかし、世の中は不公平なもんだ。ヤン先輩は美女と新婚旅行なのに……」
「まあ、卿らの気持ちが分かるが頑張ってくれ」
アッテンボローの愚痴に苦笑しながらもビッテンフェルトが声を掛ける。
この二人は本来の歴史なら回廊の戦いでマイクを使い、互いの上司の罵り合いをした仲であるが今は協力して撤去作業に従事している。
「しかし、この事を考えたら帝国に征服されて良かったかもな。今回の事がなかったら多くの市民が犠牲になっていた」
「そんな風に征服を肯定されても嬉しくないぞ」
「まあ、事実だからなあ」
この二人、意外と良いコンビかも知れないと横で会話を聞いていた、副官のラオなどは思うのだが口にはしなかった。
後輩から羨ましがられたヤンは新婚旅行中にも関わらずに監視している同盟軍の情報部に呆れていた。
朝、散歩がてらにフレデリカと一緒に山荘の近くにある売店に牛乳を買いに行った時に朝の別荘地帯に不似合いな地上車が視界に入った。
「退役したアッテンボローやシェーンコップまで駆り出して撤去作業をさせてるのに私なんぞを監視する暇と人手が勿体ないと思うけどねえ」
「昨日も湖で釣りをしていた時も夕食のバーベキューの時も監視してましたわ」
「どちらの情報部なんだろうね」
「使用している車の偽造ナンバーが同盟の情報部が使用するパターンと同じですわ」
「君の記憶力が健在なのは喜ばしい事だがね。余り感激の出来る事じゃないね」
「でも、考え方を変えれば無料で身辺警護をしてくれると思えば有難い事ですわ」
ヤンはフレデリカの発言に軽く驚いた。自分は妻のメンタリティーの強さを過小評価していたのか。それとも結婚して強くなったのか判断に苦しんだ。恐らくは両方なのだろう。
ヤンは監視されている事に被害者意識があるが監視している方も被害者意識があった。
「何が悲しくて新婚夫婦の新婚旅行を監視せねばならんのだ!」
二人を監視していた同盟軍情報部情報部員のウィリアム・クラーク大尉(28)独身は愚痴が口から出ていた。
士官学校に進学した時に先輩から無事に卒業が出来れば専科学校出身の女性士官等から士官学校卒業生は人気があり、デート相手程度なら贅沢を言わなければ不自由はしないと言われたが彼は一度もデート等した事がなかった。
先輩が嘘を言ったわけではない。事実、彼の同期はデート程度の相手に不自由していない。
彼は職務上、士官学校卒業した士官である事を公表する事を職務規定で禁止されているのである。
彼からしたら参謀部や後方勤務に配属されたヤンやキャゼルヌは恵まれた存在なのである。
その恵まれた存在の幸せな新婚旅行を監視させられるのは苦痛としか表現が出来ないのである。
「はあ、こんな仕事を何で寄りにも寄って独身の俺に回すかなあ」
不幸なクラーク大尉の不幸な仕事はヤン夫妻が帝国に旅立つ日まで続く。