足掛け十日間に及んだバーミリオン会戦は終了した。
そして、会戦終了と同時に両軍で行われた事は休息を取る事であった。
ヤン艦隊はシェーンコップ以外の将官は会戦終了後に最低限の指示を残して眠りの園の住人となった。
一方、帝国軍はラインハルト麾下の将官達も最低限の指示を残して眠りの園の住人となり救援に駆けつけたハンス、ルッツ、ミュラーも最低限の指示を残して眠りの園の住人となった。
彼らが目覚めた時には各方面に分散していた帝国軍がバーミリオン星系に集結していた。
「ほう。八万隻の艦隊に囲まれて飲む紅茶は絶品だね」
ヒューベリオンでモニターに写し出された帝国軍の艦艇の群れを眺めながらもズレた感想をヤンが口にする。
その場に居たフレデリカやユリアンさえも呆れていた。
「フィッシャー提督に早めに脱出して貰い正解だったな」
キャゼルヌが何時もの事だと言わんばかりにヤンを無視する。
「それで、ローエングラム公の会見の申し込みには応じるのですか?」
シェーンコップは上司のズレた発言を聞かなかった事にして質問した。
「受けるよ。歴史上の人物に会える機会など稀だからね」
「ならば、私が護衛役で同行しましょう」
「駄目だよ。私は敗軍の将だからね。私一人で行くよ」
ヤンとしたらラインハルトが謀殺などをする人間でない事は理解していたが末端の兵士達は分からない。そんな危険な場所に部下を連れて行く事など出来なかった。
ヤンから謀殺などしない人物と信じられていたラインハルトはハンスから小細工をした事について説教を受けていた。
「当初の予定ではヤン・ウェンリーとは正面決戦をしない筈でしたね」
ハンスが本気で怒っているのでラインハルトも何も言えない。
「ましてや、ブレーキ役の人間に一服盛るとは嘆かわしいですな」
「本当に悪かったと思っている。以後は絶対に兵士達に無駄な流血をさせない」
これはラインハルトの本音である。ヤンとの正面決戦でヤンに敗れた事でヤンへの執着も消えたのである。
「ふん、アンネローゼ様の前で誓っていながら、今更に何を言っているんですか!」
ハンスが少尉に昇進した頃にアンネローゼの前で「不必要な流血はさせない」と誓って事があった。
ラインハルトとしたらアンネローゼの名を出されると何も言えない。
「それと別に一服盛ってくれましたね」
「それは、ヤン・ウェンリーとの戦いは激戦になる事が予想が出来たからな。卿は若い上に姉君も居られるからな」
実際にラインハルトの本音の一部である。ヘッダはアンネローゼの数少ない友人でもある。その友人の弟を自分の我が儘で死地に立たせられない。それにハンスは知らないがヘッダは実弟を亡くした時の落ち込み方は帝国人なら誰でも知っている事なのである。
しかし、ラインハルトが当初の予定通りにヤンとの正面決戦をしなければ必要の無い事なのだから言い訳にはならない。
「自分より若い兵士は他にも居ますよ!」
ハンスにして見ればラインハルトはバーミリオン会戦でヤンに敗れた後も「回廊の戦い」を引き起こしているので信用が出来ない。
「分かりました。これが最後の戦いですから何も言いません」
「そうか」
「但し、ヤン・ウェンリーとの会見に自分も参加させて貰います。閣下とヤンで本音で話をして今回の戦いを最後にして貰います!」
ラインハルトにしてもヤンとの戦いの直後で満足していた事も手伝ってハンスの要求を受け入れた。
「分かった。卿が無用の流血を嫌っている事は私も知っている。卿ならば良い案も出せるだろう」
こうしてハンスはヤンとの会見に参加する機会を得たのである。
ブリュンヒルトを訪れたヤンは出迎えの多さに驚いていた。シャトルの扉が開くと帝国の将官の列がヤンを出迎えていた。
その将官達も帝国でも有名人のヤンを好奇の目で見ている。
(想像と違ってガッカリしていないかな)
「小官はコルネリアス・ルッツと申します。小官が案内役を務めさせて頂きます」
「これは、此方こそ宜しく頼みます」
ルッツがヤンの案内役になるには一悶着があった。帝国の提督達の間でヤンの案内役の争奪戦が起きたのである。
結局はラインハルトの危機に最初に駆けつけたルッツが権利を手中にしたのである。
「同盟軍最高の智将の閣下が銀河の此方側に生まれて居ましたら私達も楽が出来た事でしょう」
「いえ、逆に提督が此方側に居ましたら私も楽が出来た事でしょう」
ヤンとルッツの言葉は社交辞令ではなく完全な事実であった。帝国側にヤンが生まれていればラインハルトの麾下に進んで加わったであろう。
ルッツが同盟側に生まれていればヤンの負担も軽減したであろう。
「世の中、上手く行かないものですな」
「本当にそうですね」
ルッツの案内でヤンはラインハルトの居る執務室に案内された。
ラインハルトの執務室はヤンの執務室とは違い豪華の一言に尽きた。
(フカフカの絨毯に高級そうな応接セットだなあ)
ラインハルトが敬礼してヤンを迎えるとヤンも敬礼を返す。
ラインハルトが自然な動作でヤンにソファーへと促す。
ソファーに座ると従卒がラインハルトにはコーヒーをヤンには紅茶を差し出した。
「卿には以前から話をしてみたいと思っていた」
「私こそ閣下にお会い出来て光栄です」
二人の会話を隣接した給湯室でスツールに座り聞いているハンスが居た。
(しかし、ヤン提督も迂闊な人だなあ。紅茶を出した時に気付くかと思えば全く気付かないからなあ)
ハンスは自身の淹れた紅茶を飲みながらヤンだけではなく薔薇の騎士達もスカウトする事を考えていた。
(戦争が無くなれば次はテロの時代となる陸戦部隊と対テロとは畑が違うが他の畑から持って来るよりはマシだろう)
ハンスは本来の歴史で薔薇の騎士達が同盟政府に拘束されたヤンを救出したのは同盟に居場所が無かった為だと思っている。
(まあ、同盟に居場所が無かったのは自分と同じか)
色々と考え事をしている間に会見が終了したらしいのでハンスは二人の前にワゴンを押しながら出て行く。
「お久しぶりです。ヤン提督!」
「貴官は確か……」
「……」
「……」
「ハンス・フォン・ミューゼルです」
「……久しぶりです。身長が伸びたので分かりませんでしたよ」
ヤンが真偽の怪しい言い訳をする。
「まあ、ヤン提督には失礼しますが、腹を割って話をしていただきたい。無駄な流血をしない為にも」
ハンスの言葉でヤンの顔つきも変わる。
「まず、フィッシャー提督を呼び戻して下さい。要らぬ火種です」
ヤンは惚ける事もせずに両手を挙げる。
「ミューゼル大将が情報士官だった事を忘れていましたよ」
「それから、同盟については諦めて下さい。同盟の命脈は尽きました」
ハンスの言葉にヤンも一抹の寂寥を顔に浮かせるがヤン自身も同盟の命運について理解していた。
「代わりとは言っては何ですがフェザーンの様な共和制の自治領を認めますよ」
「おい、ハンス。勝手な事を言うな!」
ラインハルトがハンスの発言に慌てるがハンスは平然としている。
「閣下。閣下が存命の間は帝国も大丈夫ですが、閣下が亡くなった後に閣下の子孫が第二のゴールデンバウムになるかも知れません。しかし、共和政府という他者の目が有れば腐敗の進行も少しは遅くなるでしょう」
ハンスの言にはラインハルトも思うところがあった。
「もし、閣下の子孫がフリードリヒの様な事をしたら逃げる場所が必要ですよ」
更にハンスは言葉を重ねた。再びアンネローゼの様な犠牲者が出るとも限らないのだ。
「閣下。私からも自治領政府については一考をお願いします。一度、民主共和制が無くなると再び芽を出すのに時間が掛かります。ルドルフが銀河帝国を作り民主共和制を根絶してからハイネセンの誕生まで百五十年の年月が必要でした」
ラインハルトはゴールデンバウム王朝を打倒して自由惑星同盟も征服したが別に専制政治を信奉している訳でなく共和政治を卑下している訳でない。
自由惑星同盟は戦争の相手であったが共和政治に興味も持った事も考えた事も無い。
「卿らの主張に応えるには私には知識不足である。他の者の意見を聞きたい」
「それは当然だと思います。ハイネセンの占領に関して行政官も同行してますので彼らからも意見も聞くべきでしょう」
ハンスもヤンもラインハルトに即答を求めなかった。即答が出来る事でも無いが、ラインハルト以外の人間にもラインハルト亡き後の事を真剣に考えて欲しかったである。
それに、ハンスにはラインハルトが考える時間がある事を知っていたからでもある。
「それとは別に、ヤン提督にはハイネセンから移住して貰いますよ。ヤン提督の身の安全と不必要な争いを避ける為です」
これには流石のヤンも抗議したがハンスに一刀両断で却下された。
「ヤン提督を利用して反帝国活動する人間や帝国に媚びを売る為にヤン提督を犠牲にする人間が出て来ますよ。敗戦国の有力武将が粛清されるのはヤン提督ならご存知でしょう」
「だからと言って、私が退役すればハイネセンから出て行く必要も無いでしょう」
「提督は甘いですよ。逆に同盟の政治家は提督を抹殺に出ますよ。提督が選挙に出れば当選が確実です。自分のライバルは早めに消したいでしょうよ」
元同盟人のハンスの未来予想図は現実味が有りすぎてヤンも納得せざる得なかった。
「それに、提督が喜ぶ話も用意しました。ゴールデンバウム王朝が国家機密としていた秘匿歴史資料の調査をする事になりますが出来れば同盟人のスタッフも募集したいと思いますけど、ヤン提督は確か歴史学志望でしたよね」
ハンス自身は幼い時に諦めていた事だが歴史学に未練のあるヤンには致命的な誘惑であった。
「貴方の情熱に負けました。お引き受けします!」
ハンスが最後まで言い切る前に承諾するヤンを見てラインハルトも呆気にとられる。
(先程、俺が元帥の地位で勧誘した時は断った癖に)
ハンスがヤンとラインハルトの会見に参加した事により、未来は本来の歴史から大きく離れ始めていた。