ブリュンヒルトの内部ではオーベルシュタインが義眼でシュトライトとキスリングに無言の合図を送っていた。
「閣下。脱出用シャトルの準備が出来ました」
「出過ぎた事をするな。私は逃げも隠れもしないぞ。そんな事をすれば死んだ兵士に会わせる顔が無い」
ラインハルトの反応を予期していたシュトライトがキスリングとオーベルシュタインに無言の合図を送る。
三人掛りでラインハルトを実力行使で脱出させる心算である。
三人に詰め寄られラインハルトが身構えた時にブリュンヒルトのスクリーンにはタイガーストライプ柄の同盟軍の戦艦が迫っていた。
艦橋にオーベルシュタインを始めシュトライトやキスリングも行動を起こすのが遅かったと後悔したものである。
そして、同盟軍の戦艦の主砲が発射される寸前にスクリーンが白い光で満たされた。
次の瞬間にはスクリーンの中で後続の同盟軍の艦艇がビームの流星雨を浴びて次々と火球に変化する。
「ミューゼル大将です。ミューゼル大将が救援に駆け付けてくれました!」
スクリーンの中は次々と帝国軍の艦艇で埋め尽くされていく。
ラインハルトは当番兵から温かい濡れタオルを受け取り顔の汗を拭い取る。
「ハンスはよくやる」
ウルヴァシーに送り返した事と方法が後ろめたいが、今は素直に感謝していた。
「しかし、何時の間にミューゼル大将が?」
リュッケが不思議そうにハンスが率いる部隊を眺めている。
「確かにウルヴァシーを出る時に、この艦にいましたよね?」
リュッケがシュトライトに確認する。確認されたシュトライトもハンスを見掛けないので不思議に思っていたのだ。
「卿らの疑問も当然だな」
オーベルシュタインが副官二人の疑問に応える。
「閣下の指示でミューゼル大将は途中で予備兵力を連れにウルヴァシーに帰還したのだ」
ラインハルトもオーベルシュタインの咄嗟の判断に呆れながらもオーベルシュタインの誤魔化しに乗る事にした。
「そうか。卿ら二人には言っておくべきだったな。許せ」
ラインハルトがセコい保身をブリュンヒルトの艦橋で行っている時にハンスが率いていた兵力は二百隻程度であった。
ルッツの本隊から二千隻を借りて先遣隊として戦場に急行したのだが戦場に入る直前に先遣隊を待機させ二百隻で戦場の様子を自ら偵察に出たのだが予想より早くラインハルトが窮地にいたので待機している先遣隊に連絡しつつ戦場になだれこんだのであった。
「ルッツ艦隊が既に近くまで来ている。あと少しの辛抱だ!」
ハンスは全通信回路を解放して包囲されている味方の士気を鼓舞する。
その一方で壊滅させたグエン・バン・ヒューの部隊に続く後続部隊であるモートンの部隊と対峙する。
この時、モートンは千五百隻を率いているのに対してハンスは二百隻である。
ハンスの逆行前と後の戦歴を合わせてもモートンの戦歴の半分でありハンスに勝ち目は皆無である生き残る事さえ難しかった。
「総力戦だ。ワルキューレを出して敵艦の動力部を狙わせろ!」
ハンスはヤン艦隊の新兵器の存在を知らない。モートンの部隊に向かったワルキューレは新兵器により大打撃を受ける事になる。
「敵軍の新兵器のミサイルにより敵艦にワルキューレが近づけません」
「ワルキューレ部隊は味方艦艇の防御に専念しろ」
(ガイエスブルグ要塞戦が無かった分、余計な事をする余裕が出来たか)
ハンスはガイエスブルグ要塞戦を中断させた事を後悔した。
ハンスが乗り込んだ旗艦の周囲の味方艦が火球に変わる。モートンの部隊が目前まで迫った時に待機させた先遣隊が戦場に現れた。
「まだだ!まだ、終わらんよ!」
ハンスは艦橋で声に出して自らを鼓舞する。ルッツが到着の後にミュラー艦隊も到着する筈である。
そうなればラインハルトを守り抜く事が出来るのである。
到着した先遣隊が横からモートンの部隊に攻撃を掛ける。
ブリュンヒルトとハンスが率いた二百隻しか見ていなかったモートンの部隊は完全に不意打ちを喰らった形になった。
「今だ。敵が怯んだぞ。敵の中央部に一点集中砲火を浴びせろ!」
ハンスの命令でモートンの旗艦に複数のビームの槍が突き刺さる。
旗艦を失ったモートン部隊はハンスの先遣隊の餌食になりブリュンヒルトとの間に先遣隊の盾を作らさせてしまった。
ヒューベリオンの艦橋でフレデリカからグエンとモートンの戦死を知らされヤンも一瞬だけ沈痛な表情になる。
「しかし、情報士官と聞いていたがミューゼル大将は良く判断して良く守る。艦隊指揮官としても優秀だな」
ヤンに称賛されたハンスは最後まで抵抗するモートンの部隊を殲滅が終わった直後にアッテンボローの部隊と対峙する事になっていた。
「厄介な奴が出て来たなあ」
アッテンボローはヤンよりも若いうちに将官に昇進した人物である。その有能さは折り紙つきの人物であり。
「陰険な奴だわ!」
ハンスが艦橋で罵った。アッテンボローはハンスと直接に戦う気が無い様で五百隻単位の小集団を疑似突出させては対応に追われるハンスの部隊の疲労を蓄積させていく。
「此方がウルヴァシーからの強行軍なのを知って過労死させる気か!」
ハンスがアッテンボローと対峙して不眠不休で指揮を取り続けているなかでルッツの本隊が戦場に到着した。
ルッツは帝国軍を包囲している同盟軍の一ヶ所に集中砲火を浴びせる。
包囲されている帝国軍もルッツと呼応して防御を捨て一ヶ所に集中砲火を浴びせる。
前後から挟撃された形の同盟軍は醜態と言える形でルッツ艦隊の突破を許したかの様にルッツには見えた。
彼は知らない。本来の歴史でムライが「うちの艦隊は逃げる演技ばかりが上手くなって」と皮肉った事を。
包囲網に突入する帝国軍と脱出する帝国軍が交錯した瞬間にヤン艦隊の特長でもある一点集中砲火が炸裂した。
救援に来た帝国軍と包囲された帝国軍の両方が混乱した隙を狙ってヤンの本隊がブリュンヒルトに目掛けて突進する。
「ラインハルト逃げろ!」
ハンスが艦橋で絶叫する。ハンスの前にはアッテンボローが虎視眈々とハンスが動く隙を狙ってハンスは動くに動けない。
ヤンの本隊がブリュンヒルトを射程に捉える寸前にヤンの本隊にビームの雨が降り注ぐ。
「ローエングラム公をお守りしろ!」
ミュラー艦隊八千隻が戦場に到着したのである。
これで何度目かの形勢逆転かと両軍の将兵が思ったのも無理からぬ事であった。
しかし、ヤンの指揮は両軍の予想を凌駕していた。
ヤンの本隊の後方半分がミュラー艦隊に艦首を向けてビームとミサイルの火力の壁を作りミュラー艦隊を足止めしている間に、残りの前方半分がブリュンヒルトを射程に捉える。
第一射でブリュンヒルトの護衛艦が盾となり火球となる。
そして、第二射目が発射されないままであった。
「……」
「……」
ハンスもラインハルトもルッツもミュラーも第二射目が発射されないままの状態に疑問が持つ。
「敵の総旗艦からヤン・ウェンリーの名で通信が入りました。敵は無条件降伏を申し込んで来ました!」
敵味方の旗艦にヒューベリオンからの通信が入って来た。
「もしかして、我々は勝ったのですか?」
リュッケが戸惑いながらシュトライトに質問した。
「敵が無条件降伏を申し込んで来たのだから、世間一般では我々が勝った事になるのだろう」
帝国軍の通信回線が歓喜の声で満たされる事になる。帝国軍の艦艇のあらゆる場所で泣き出す者が続出した。
彼らの涙の理由は生きて故郷に帰る事が出来るからか帝国軍の勝利の為かラインハルトが生き残った事か不明ではあるが歓喜の涙に間違いはなかった。
一方、同盟軍側は複雑である。
ヤンは不利な状況から不敗の名将の名に相応しい戦いで勝利する寸前であったのだ。
「今からでも遅くない。ヤン提督に攻撃許可を貰うんだ!」
「そうだ。まだ遅くない!」
「しかし、ハイネセンには既に帝国軍が居るんだろ。ここでローエングラム公を殺したら報復でハイネセンの一般市民が虐殺されないか?」
「だから、ヤン提督も我慢しているんだろう」
実際にヤンが停戦命令を無視したら確かに報復の為に一般市民が虐殺された可能性があるだろう。
後世に数十年後のミッターマイヤーの証言が残っている。
「あの時は部下の手前、平然としていたがヤン・ウェンリーが停戦する事を祈っていたよ。もし、命令を無視されたら暴走する部下を止める自信は無いからな」
後世の歴史家の賛否が別れる行動であったがヤンが停戦命令に従った事で多くの人命が救われた事は事実だった。
そして、二人の男がそれぞれの艦橋で脱力していた。
「終わった。これで平和な時代が来る。無駄な血を流さない時代になる」
ハンスは誰も居ない艦橋で呟いていた。
「そうか。無駄な血を流した挙げ句に私は本来は自分の物ではない勝利を譲られたのか。乞食の様に……」
オーベルシュタインに事の経緯を報告されたラインハルトに自嘲の笑みが浮かんでいた。
ラインハルトには自分の我が儘で多くの将兵の血を流した事を承知していた。
そして、血を流して得られた物が皆無だった事も承知していた。
両軍の生還率が二割を切ったバーミリオン会戦は終了した。大都市の人口の四倍に匹敵する人命を永遠に喪う事を代償にして。
だが、ハンスを始め多くの人が望む平和な時代が来るのかは未だに不明なままである。