銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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死闘の前夜

 

 ハンスは暗闇の中で頭痛に悩まされていた。

 

(痛い!二度と酒は飲まんぞ!)

 

 暗闇の中で二人の男女が揉めている声がするが色っぽい話では無い様だ。

 

「こういうのは殿方の仕事と思います」

 

「閣下は宰相で文官ですから、秘書官殿の仕事でしょう。それにハンスもフロイライン相手だと大人しいですから」

 

(何か、人の事を女好きみたいに言ってくれてるなあ。誰だ?)

 

 文句の一つでも言ってやろうと思うが喉から声が出ない。

 

「ううん……」

 

 その間も頭の中でハンマー小突かれる様な痛みが続く。

 ハンスは自分がベッドの上で寝ている事と声の主がルッツとヒルダである事に気付いた。

 

(ありゃ、飲み過ぎてルッツ提督とヒルダさんの屋敷に泊めてもらったのか)

 

 ハンスは逆行してから二日酔いする程、酒を呑んだ事はなかった。記憶を無くしたのはイゼルローン要塞の時が最後である。

 

(何で二日酔いするまで呑んだんだろう?)

 

 改めて考えると昨日の事が思い出せない。

 

(あれ、昨日の記憶が無い。待て、昨日は酒を呑んで無いぞ。昨日は確かブリュンヒルトに乗ってラインハルトと一緒に食事をして、それからの記憶が無い!)

 

 そこまで考えて全ての記憶のピースが埋まり、頭痛の原因にも見当がついた。

 

「あの野郎め!」

 

 ハンスは叫んだつもりだったが幸か不幸か低血圧のハンスには呟き程度の音量しか出なかった。

 

「お、起きた様だな」

 

 ルッツが大人しいハンスを見て安心した様に話し掛けて来た。

 

「グートンモルケン」

 

 朝の挨拶も低血圧の為に発音も怪しい。

 

「もう、昼過ぎだがな。睡眠薬は既に切れてる筈なんだが……」

 

 ルッツがハンスから視線を移すと壁際に居た軍医に無言で問いかける。

 

「睡眠薬は既に切れてます。閣下の場合は単に体質的な低血圧なだけです」

 

「閣下、大丈夫ですか?」

 

 ヒルダが安心した様に声を掛けてきた。

 

「フロイライン、水とホットチョコレートを一杯を貰えますか」

 

「分かりました。直ぐにお持ちしますわ」

 

 ハンスはヒルダが部屋を出るのを確認してからルッツに質問責めにした。

 ルッツの話で昨日の夕方にウルヴァシーに到着して今まで寝ていたらしい。

 ハンスがウルヴァシーを出て三日目の事であったらしい。

 

「その、卿の気持ちは分かるがローエングラム公も若い卿の事を考えてだな……」

 

 ルッツもハンスの表情を見てラインハルトの弁護を諦めたらしい。

 

「若いと言うなら他にも居るでしょうよ。何がヤンとは戦う気が無いだ!」

 

 ラインハルトがハンスを眠らせてウルヴァシーに送り返したのはヤンとの正面決戦を邪魔されたく無いからである。

 

「まあ、雄敵との戦いは武人の本懐だからな」

 

 ルッツも武人であるだけにラインハルトの心情も理解が出来るが無駄な流血を嫌うハンスの気持ちも理解が出来るだけに両者の板挟みで苦しいのである。

 

「その武人が部下に一服盛るかね!」

 

 ルッツの弁護をハンスは一刀両断にするとルッツも想定外の要求をしてきた。

 

「ルッツ提督には麾下の艦隊の指揮権をお貸し下さい」

 

「待て、卿の気持ちは分かるが卿は情報士官で艦隊指揮は畑違いだろ」

 

「なら、ルッツ提督も込みで艦隊を出動させて下さい」

 

「しかし、俺はウルヴァシーの警備の任務が……」

 

 ルッツは最後まで言えなかった。ハンスの顔には最悪の事態を予見した焦慮の表情を見てしまったからである。

 

「ルッツ提督の立場も分かりますが、ローエングラム公がヤンに討たれたら新しく生まれ変わる最中の銀河帝国は内乱に突入しますぞ」

 ルッツにもハンスが言う事などは百も承知なのだが、専制政治での権力者の怒りは死に等しいのである。

 ハンスも長い人生で小規模ながら権力者の怒りを買い地獄を見た経験があるから、ルッツが躊躇う事も理解していた。

 

(まあ、いざとなればヒルダさんを人質にしてルッツ提督を脅迫するしかないか)

 

 ハンスが危険な事を考えていると、ルッツが両手を挙げてハンスに従う事を示した。

 

「卿の行動力を忘れていたわ。俺も十歳も若い者に脅迫されたくないからな」

 

 ルッツはハンスの危険な決意を看破した様である。

 

「帝国の人は品行方正で善良な私の事を誤解しているみたいですね」

 

 ほぼ犯罪行為を行う算段をした癖にハンスは図々しくも被害者面をする。

 

「誤解じゃない。理解だ!」

 

 ハンスがルッツから見事に一刀両断されて渋い表情になった時にヒルダがトレーを持って戻って来た。

 

「あら、閣下。やはり痛みが酷いのですか?」

 

 ハンスの渋い表情を見て勘違いをしたヒルダが優しく気遣い手をハンスの額に当てる。

 

(風邪でも、あるまいし)

 

 ルッツがヒルダの優しさに感心しながらも心の中で呆れているとハンスはチャンスとばかりに甘える様にヒルダに抱き付こうとする。

 

「痛たたた!」

 

 ハンスがヒルダに抱き付く寸前にルッツがハンスの耳を抓んで引っ張り上げた。

 

「本当に油断も隙もあったもんじゃない。フロイラインもミューゼルに優しくする必要は有りませんぞ!」

 

 ルッツから抓み上げられた耳を擦りながらハンスは思った。

 

(恩知らずめ!今からラインハルトを助ける武勲を立てさせてやるのに)

 

 ヤンがイゼルローン要塞に罠を仕掛けた事を知っていながら、黙っていた事を棚に上げて恩着せがましい事を考えるハンスであった。

 

「それより、出動するにしても艦隊の再編は大丈夫ですか?」

 

 ヒルダから差し出された水を一気に飲み干してハンスはルッツに尋ねる。

 

 

「明日の朝には出動が出来るが動かせる数は最大で八千隻程度しか動かせん」

 

「それだけ有れば十分です」

 

 ハンスは空になったグラスをヒルダに返してホットチョコレートのカップを受け取るとヒルダに声を掛ける。

 

「では、フロイラインも明日の朝に例の事を頼みます」

 

「分かりました」

 

 二人の会話を聞いてルッツが怪訝な表情になる。

 

「ルッツ提督は関わらない方が幸せですよ」

 

 ルッツもハンスが情報士官である事を考慮して二人の会話は聞かなかった事にした。

 ハンスはホットチョコレートを飲むと軍医の指示で点滴をしたまま医務室で寝る事になった。

 

(二日酔いみたいな頭痛は睡眠薬の副作用か。明日には解消するだろうけど、問題はバーミリオンだな。ラインハルトは恐らくヤンには勝てないだろう)

 

 軍医が食事を持ってきた。トレーの上にはミルク粥と豆のスープとパンが二個だけである。

 

「これだけですか?」

 

「三日間も点滴だけで寝ていたら、胃が縮小してます。明日になれば普通に食事をしても大丈夫ですから」

 

「はあ、仕方ないですね。無事に全てが終わったらレストランでステーキを奢らせてやる」

 

 軍医も名を出さなくても誰か分かるので苦笑するしかなかった。

 

(しかし、ラインハルトも口煩い部下に一服盛る程に内心はヤン提督に執着していたんだなあ。キルヒアイス提督もアンネローゼ様も居るのに)

 

 ハンスはミルク粥をゆっくりと食べながら思考に耽る。考え事をしないと病人用のミルク粥は喉を通らない味なのである。

 

(それに、ヤン提督も相変わらずに恐ろしい人だわ。ラインハルトの心情を正解に把握してイゼルローン要塞を使うとは)

 

 ミルク粥を完食して豆のスープを一口だけ啜ってみる。予想通りの味に再びハンスは思考の海にダイブした。

 

(今回の出征で戦いは最後だと思っていたからイゼルローン要塞の事を黙っていたら、こんなに早く使うとは思ってなかったわ)

 

 ハンスが歴史のカンニングで先手を打ってもヤンやラインハルトは簡単に自分の予想を超えてしまう。

 特にヤンの為人をラインハルト程に把握しているわけではない。ユリアンやアッテンボロー等の著作を読んでるだけである。

 

(確か、最初の十二日間の戦いの内で、最初の三日間は互いに策を用いずに殴り合いだったよなあ。何とか殴り合いをしている間に到着すれば良いが……)

 

 豆のスープも完食した様である。皿に付いたスープを二つに割ったパンで拭き取る様にして食事を終わる。

 食後の薄いコーヒーを飲むと三日間も眠り込んでいたのに睡魔がハンスの全身を包み込む。

 ハンスが天然の眠りに着いた頃、ラインハルトはブリュンヒルトの艦橋でオーベルシュタインからヤン艦隊捕捉の報告を受けていた。

 

「先行した偵察部隊から閣下の予測通りにルドミラの補給基地周辺で一個艦隊相当の航跡を発見したと報告が有りました」

 

「やはり、バーミリオンか!」

 

 各艦隊が引き返すにのに一番の遠距離となる場所がバーミリオン星系である。ヤンが戦う場所として選ぶならバーミリオン星系しかないのである。

 

「シュトライト。敵の居場所が分かったのだ。直ぐに戦闘が始まる心配もない。全軍に半日だけだが休息を取らす。飲酒も許可する」

 

(お前の望み通りに用意された舞台に立ってやったぞ。ヤン・ウェンリー)

 

「閣下。どうしてもヤン・ウェンリーと戦いますか?」

 

 オーベルシュタインが珍しく疑問を投げ掛けていた。

 オーベルシュタインにはラインハルトが短時間でヤン・ウェンリーに討たれるとは思えなかったのである。

 そして、帝国軍の提督達に一目置かれたヤンをラインハルトが倒す事でラインハルトと提督達の実力差を帝国内外に見せつける事で同盟征服後の同盟市民の抵抗を諦めさせる事が出来ると考えていたがハンスの反対とラインハルトの対処の方法を見てヤンの実力を自分は過小評価しているのではと疑念を持ったのである

 

「オーベルシュタイン。私は聖者の徳を持って将兵からの支持を受けている訳ではない。常勝の名将だから支持を受けているのだ」

 

(そうだ。俺は戦いに勝つ事で前進したのだ。キルヒアイスが到着するまで守りに徹するだけだ)

 

 


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