本来の歴史ならバーミリオン会戦が行われる作戦の発動であったが出撃直前に天才のラインハルトもカンニングの常習犯のハンスも想定外の報告が飛び込んできた。
帝国軍二千万人の足を止めた報告とは「イゼルローン陥落」の報である。
「ルッツは何をしていたのだ!」
報告を受けたラインハルトは一瞬だけ激昂したが次の瞬間には冷静さを取り戻していた。
「どうせ、あのペテン師が策を弄してルッツをペテンに掛けたのであろう」
詳しい経緯をルッツから聞いたラインハルトはヤンの作戦の発想に呆れるしかなかった。
「あのペテン師め、その様な小細工を要塞のコンピューターにしていたのか。殆ど犯罪者の手口ではないか!」
「まあ、その前の情報戦も十分に詐欺師の手口ですけどね」
ハンスも呆れながらラインハルトの感想を補足する。
「それを見抜けなかった小官にも責任が有ります」
ラインハルトの傍らでルッツの報告を聞いていたロイエンタールの言葉にも悔しさが滲み出ている。
「しかし、イゼルローン要塞が敵の手に渡るとなれば戦略上の条件が変わって来ますな」
皆がイゼルローン陥落のショックで呆然としている中でオーベルシュタインが冷静に状況を分析していた。
「確かに、イゼルローン要塞がヤンの手に渡ったとなるとヤンの戦略の幅も広がります」
キルヒアイスも冷静さを取り戻した様である。
「キルヒアイス、オーベルシュタイン、ロイエンタール、ミッターマイヤー、それにハンスは会議室に集合せよ。他の者は出撃準備とルッツの受け入れの準備をせよ」
会議室までの短い道中でハンスは現状の分析を始める。
(本来より早い段階でイゼルローン要塞を使うのは、ヤン提督も追い詰められているんだな)
本来の歴史を知るハンスとしてはヤンの考えが読めない。
本来の歴史より同盟側というよりヤンは劣勢である事も関係しているとも思える。
(グエン提督は生きているがメルカッツ提督は居ない。同盟本隊の戦力は本来の歴史より少ない。ランテマリオでの黒色槍騎兵隊艦隊の突撃は本来の歴史より苛烈だったからなあ)
ハンスは頭を振り深呼吸をする。
(ラインハルトを同盟領内にまで呼んだ事でヤン提督を誘い出す餌を用意した筈だったのに)
会議室で一番の懸念はヤンがフェザーン回廊への航路を封鎖する事であった。
「実際にヤンが航路封鎖を試みても不可能だと思うが将兵の動揺は抑えられんな」
オーベルシュタインの予想は予想とも言えない現実である。
「ヤンが航路封鎖を試みるとは限らん。イゼルローン要塞に籠城されても負けないが犠牲は甚大になる。それを見越して和平交渉を有利にする目論見かもしれない」
ハンスは参加しなかったが有名な「回廊の戦い」は帝国軍に大きな損害を出させている。
「ヤンを無視してハイネセンを占領した後で、同盟の統治者に降伏命令を出させては如何でしょう」
キルヒアイスらしい穏便な提案だったがミッターマイヤーが疑問を出す。
「確かに良策だと思うが、ヤンが無視したら終わりだぞ」
ミッターマイヤーの見解も間違いではない。帝国軍に勝てないと思えばヤン自身とヤンの部下達の安寧を図る為と共和制度の残す事に繋がるのである。
「私が知る限りヤン・ウェンリーが無視する事は無いと思いますが、例えばイゼルローン要塞に一番近いエル・ファシル辺りが同盟からの独立宣言をしたらヤン・ウェンリーは新しい共和政府に降るでしょう。そして、エル・ファシルが無防備宣言でもしたら、我々は狭い回廊内の戦いを強いられます」
ハンスの意見に全員が大軍の利を活かせない回廊内の戦いを想像すると暗澹たる気分になる。
「そうなれば回廊の両端を封鎖してイゼルローン回廊内に連中を閉じ込めておけば良い。俺達が退役する頃には未開の地になっている」
ミッターマイヤーの意見は真っ当な一般論である。あらゆる情報を遮断されて回廊内に封じ込められたら数十年後には、全ての文化や技術から取り残されるだろう。
「しかし、実際にはヤンの次の行動は当然、フェザーン回廊の封鎖でしょうな。機雷でもバラ撒けば完全な封鎖は無理でも暫くは補給線が絶たれる」
オーベルシュタインの意見も真っ当な一般論である。指向性ゼッフル粒子で機雷を除去するのは容易だが、それなりの時間が掛かる。
「そうなれば、兵士達の士気が下がるぞ。今度はアムリッツァの時の同盟軍の惨劇を我らが演じる事になるぞ」
ロイエンタールの指摘に一同は暗澹たる気持ちになった。
「それこそ、そこのドアからリュッケ副官が今にでも報告に来そうですね」
ハンスの予言は外れた。報告に来たのはシュトライトであった。
「ヤン・ウェンリーがフェザーン回廊に機雷原を敷設して回廊を封鎖しました」
ヤンの行動の早さに一同は驚いたがラインハルトの決断も早かった。
「ロイエンタールは麾下の艦隊を率いて回廊内の機雷を除去せよ!」
「了解しました」
「ミッターマイヤーはハイネセン攻略の先陣を務めよ。キルヒアイスは中陣を務めよ。その他の提督達は同盟国内の補給基地の攻略せよ。私はハイネセン攻略の後陣を務めてヤン・ウェンリーとの雌雄を決する」
「そうか!ヤンの本当の狙いは閣下の周りからキルヒアイス提督とロイエンタール提督にミッターマイヤー提督を離す事が狙いだったのか!」
ハンスの言葉にラインハルトが一瞬だけ笑みを浮かべる。
その表情を見てハンスは一つの正解に辿り着く。
「さては、閣下はイゼルローン要塞の失陥から次のフェザーン回廊の封鎖もヤンの狙いも看破していましたね」
「ら、埒も無い事を言うな」
どうやら図星だったらしくラインハルトの声と表情がハンスの指摘を肯定している。
「何度も言いますが閣下とヤンの用兵家としての相性は最悪です。ヤンと戦うのは諦めて下さい」
ハンスの諫言を認めながらもラインハルトは意思を変える気はない。
「まあ、閣下もヤンと対峙しても本気で戦うつもりは無いと明言されてる。安心しろ」
ミッターマイヤーがハンスを宥める様に肩を叩く。
「しかし、閣下が大人しくお茶を濁す戦いが出来る人だと思いますか?」
「大丈夫だ。閣下とヤンがぶつかる前に俺がハイネセン攻略してしまえば良いだけの話だ」
ミッターマイヤーに言われてハンスも引き下がるしかない。
「分かりました。では、私はブリュンヒルトに同乗して閣下のブレーキ役を務めます」
ラインハルトはハンスの申し出を受け入れざるを得なかった。拒否でもしたらキルヒアイスを筆頭に他の三人から反対意見に名を借りた説教が待ち構えている事を知っていたからである。
翌日には傷付いたルッツ艦隊だけを残して全艦隊が、それぞれの目標に向かって出撃した。
ブリュンヒルトの自室でコーヒーを片手にハンスはヤンの作り出した状況を分析していた。
「さて、ヤン・ウェンリーがブリュンヒルトを仕止めるのが先かハイネセンが陥落するのが先か勝負だな」
ハンスは自身がラインハルトのブレーキ役を務められるとは思っていなかった。更にブレーキ役を務める事が出来てもヤンが自分達の思惑を超えた策を弄してくる事も有り得ると思っていた。
(しかし、流石はヤン・ウェンリーだな。ラインハルトの分身であるキルヒアイス提督が居てはラインハルトを討ち取れないと踏んでイゼルローン要塞を攻略するとは)
本来の歴史にキルヒアイスが加わればミュラーより早く戦場に駆けつける事は容易に想像がつく。
イゼルローン要塞を攻略する事でハイネセンを餌としての価値を作り、キルヒアイスをラインハルトから引き離す事に成功している。
ハイネセン攻略は人事のバランスを考えればキルヒアイスを指名しなければならない。
(そして、時間制限は本来の歴史よりタイトだが互角の艦隊戦に持ち込んだか)
本来の歴史よりヤンが苛烈な戦術で攻めて来る事が容易に想像が出来る。
(しかし、ヤン提督の知謀というよりペテンだけは常人には想像も出来んからなあ)
ラインハルトが負けない戦いで戦場を逃げ回ってもヤンなら罠を用意してラインハルトを嵌めるかもしれない不安がある。
(食事の時にもラインハルトに言ったほうが良いな。ペテン師と同じリングで戦うなと)
「しかし、あの人、嫌々ながら軍人になったけど、軍人にならなかったら詐欺師として同盟の犯罪史に名を残していたんじゃないのか?」
ハンスの失礼な感想は帝国軍の提督達は当たり前の如く肯定して、ヤン艦隊の幹部達も肯定はしないが否定もしない事であった。
その事を食事の時にラインハルトに話すとラインハルトも妙に納得していた。
「確かにイゼルローン要塞を陥落させた手口から言えば詐欺師だな」
部下の敵とは言え失礼な感想に同意する上司を見て失礼な部下は上司に対しても失礼な感想を持っていた。
(まあ、この人も性格と才能だけで言えば暗黒街のマフィアのボスにでもなっていたかもな。それもバリバリの武闘派!)
部下の失礼な感想を知らない上司は機嫌が良く、デザートのラムレーズンアイスも譲ってくれたのである。
ハンスはラインハルトの性格を全部とは言わないが把握していたが同時にラインハルトもハンスの性格を全部とは言わないが把握していた。
後日になって、ハンスは悔しがる事になるとは知らずにラムレーズンアイスを堪能するのであった。