12月に入りミッターマイヤー艦隊は同盟領に侵入を果たしていた。
フェザーン航路局と同盟の弁務官事務所のデータに依るとランテマリオ星域までの星域には有人惑星は無く航路の安全保守の為の小規模の軍事基地が有るのみである。
「何とかエントランスまでは辿り着いたな」
航路局と弁務官事務所からデータを手に入れているが未経験の星域にしてミッターマイヤーも緊張が解けないでいた。
同盟に第二のヤンやラインハルトが現れるかもしれないのである。
更にフェザーンでの会議の内容を思い出すミッターマイヤーであった。
「宰相閣下の事は総参謀長の策に従うとして、同盟攻略ですがヤン・ウェンリーは既に要塞の放棄の算段をしているでしょう」
その場に居た人間でハンスの発言の理解が出来ない人間は居なかった。
「問題はヤンの行動速度です。イゼルローン要塞に一番近いエル・ファシルに民間人を避難させたとして同盟本隊との決戦に参戦されると危険でしょう。もしくは我々が同盟本隊と戦っている最中に補給路を絶たれる危険もある」
フェザーン回廊を封鎖されてもイゼルローン回廊からの補給路が有るのだが時間が掛り過ぎる。
「所詮、我々の優勢などは、その程度なのだ」
12月20日にフェザーン経由でロイエンタールがイゼルローン要塞攻略に成功した報がフェザーンに進駐するキルヒアイスに届いた。
「予想より被害は大きいですがヤン・ウェンリーの要塞の放棄も早かったですね」
この報告に前後してハンスがルパートの自供によりサイオキシン麻薬患者にされた地球教の司祭であるデグスビイとの接触に成功していた。
デグスビイは既に教えに対する背信行為から自暴自棄になり酒に逃げる様になっていた。
ハンスはデグスビイに酒を与える対価として情報を得ていた。
ルパートの裏切り行為からルビンスキーと地球教との繋がりまでの証言を得た。
ハンスは全ての事情をキルヒアイス経由でラインハルトに報告をした。
「まあ、宗教団体が麻薬を扱うのは珍しくないですが大半は真面目な信徒ですので御配慮をお願いします」
ハンスの言葉にキルヒアイスも賛同してラインハルトに報告した。報告を受けたラインハルトは社会秩序維持局局長のラングに地球教の内偵を命じた。
「分かっていると思うがラング。一般教徒には犠牲を出さぬ様にするのだぞ」
「承知しております。ご安心して下さい」
「分かっているなら宜しい」
ラインハルトも深く念を押さなかった。ラングは一般的に秘密警察の長官として嫌われているが、職務で知った情報を悪用する事が無かった事とハンスの推薦もあった為に社会秩序維持局を解体せずに人員と予算を削り、ラング自身も処分せずに残していたのである。
実際にラングは麻薬撲滅や貴族階級の犯罪には功績を出しているのであった。
「しかし、最終的には軍の力も必要となります」
「分かった。だが、軍部も同盟との戦いで暫くは余裕がないぞ」
ラインハルトの言葉に嘘は無く事実であった。リップシュタット戦役の犠牲も少なくガイエスブルク要塞を使用した戦いも無く本来の歴史よりは犠牲は少なかったが本来の歴史と違い幼帝誘拐が起きずに「百万隻一億人体制」は確立していなかった。
「はい。此方も内偵には暫しの時間が必要となります。それと、人員と予算についても、お願いします」
「分かっている」
こうして、ラングと社会秩序維持局は復活を果たした。
そして、地球教に帝国当局の目が向けられるのは本来の歴史より半年近く早くなったのである。
ラインハルトがラングに地球教の内偵を命じた頃、ハンスとキルヒアイスはルビンスキーと面談をしていた。
「自治領主閣下、過去は問いませんから帝国の為ではなく新しい宇宙の為に手腕を振るう気になりませんか?」
ハンスの言葉にルビンスキーも珍しく逡巡している。
傍らに居るドミニクも緊張の為に顔が強張る。
「大将閣下に元帥閣下まで、来て頂いて大変に恐縮ですが私も男です。直ぐに諦められる事では有りません。少し考えさせて頂けませんか?」
ルビンスキーにしては珍しく誠実な返答だとドミニクも驚いた。
「分かりました。黙って引退して頂けるなら過去の事は問いません。静かに余生を過ごされて下さい。しかし、地球教の摘発に関してだけは協力をして貰います。治安上、見逃す事は出来ません」
「分かりました。私も地球教とは手を切るつもりでしたから、地球教に関しては協力させて頂きます」
ルビンスキーにしても地球教に命を狙われる危険があるのだから、帝国に協力せざるを得ない事情もある。更に言えばルビンスキーは権力志向であるが統治者の義務を心得ている。狂信者に統治権を渡す気は無いのである。
それに、ルビンスキーは酒に女に賭博にと人生を楽しみたいタイプの人間である。酒も飲めない政治体制は悪い冗談だと思っている。
「元帥閣下がフェザーンを出発する前に返答させて頂きます」
ハンスとキルヒアイスが帰りドミニクと二人だけになるとルビンスキーはドミニク自身の去就について問うてきた。
「私はフェザーンが気に入っているから離れる気は無いわよ」
「そうか。これからも長い付き合いになるな」
予想外の返答にドミニクもルビンスキーの顔を見直す。
ルビンスキーが引退して静かな余生を送るとは思っていなかったのだ。
「なんだ。意外そうな顔をしているが私は引退する気は無いぞ」
ルビンスキーは楽しそうな笑みを浮かべてドミニクを見ている。
「あら、貴方も意外と往生際が悪いのね」
「お前は何か勘違いをしているみたいだが、私は帝国に帰順するつもりだぞ」
帝国に帰順するつもりならオーディンに居を移す必要があるのに何を言っているのかとドミニクはルビンスキーの正気を疑った。
「ローエングラム公は遠からずフェザーンに遷都する。銀河系を統治するには位置的にオーディンよりフェザーンのほうが都合が良いからな」
ドミニクも聡明な女性である。瞬時にルビンスキーの言葉に納得した。
入院してから日を重ねる毎に覇気が無くなっていくルビンスキーを心配したドミニクだったがルビンスキーの鋭敏さは健在の様であった。
フェザーン遷都の事はラインハルトに相談されたキルヒアイスとカンニングで知っているハンスだけであったがルビンスキーは自身の能力のみでラインハルトのフェザーン遷都の構想を察知したのである。
本来の歴史では病の為に竜頭蛇尾の見本とされたルビンスキーであったが病を克服したルビンスキーは脳腫瘍と一緒に蛇尾も切り捨てた様である。
「最初からローエングラム公に帰順するつもりじゃないの」
「折角、ボルテックが面倒な事を引き受けてくれてるのだ。元上司として部下の成長を見守りたいのだ」
長い付き合いのドミニクにはルビンスキーの本音が見え透いていた。
「あら、私は帝国が地球教を始末するまで、此処でサボりながら避難するつもりに見えるけど」
どうやら図星だったらしくルビンスキーは声を出さずに笑うだけである。
ドミニクは口に出さなかったがルビンスキーの体調も回復していない事も理由の一つだと知っていた。
(しかし、私ぐらいには素直に言えば良いものを男という生き物は……)
内心はルビンスキーというよりは、男の見栄に呆れながらも、ドミニクは久々に食事の準備を始めるのである。
手術も終わり食事制限も緩和されたので数年ぶりのリベンジをする好機である。
(今回は、あの時みたいに味見もせずにソースを掛けるなんて出来ないからね)
そして、ルビンスキーに仕事を押し付けられたボルテックは意外な事に自治領政府職員から歓迎されていたのである。
「過労で倒れた人の悪口は言いたく有りませんが、忙しいのは理解しますが、八つ当たりが酷く大変でしたよ」
職員の声にボルテックもルパートと部下達の両方に同情した。
ルパートは自治領主代行の仕事に本来の補佐官としての仕事に地球教の相手もしていたのだ。若いルパートが癇癪を起こすのも当然であり八つ当たりされた職員も災難であったと思う。
裏でハンスがオーバーワークになる様に燃料を投下していた事を知ったとしてもボルテックの感想は変わらないであろう。
そして、ボルテックは当面の間は自治領主代行として代行の二文字が取れる様に頑張るのである。
ラインハルトのフェザーン遷都により代行の二文字が取れる日は永遠に来ないのである。
尤も、この時の働きに感心したラインハルトからマリーンドルフ伯の引退後に第二代国務尚書に任命されるのである。
こうしてフェザーン占領の後処理が終わりキルヒアイスは年明けを待たずに同盟と雌雄を決する為にフェザーンを出発する事になる。