ハンスはドミニクの決断を聞いたが夜も遅くなるので、その日は解散として、翌日に打ち合わせをする事になった。
ヘッダをホテルに送り届けると明日の準備があると言ってヘッダから逃げた。
「姉君が寂しそうでしたよ。閣下」
「そりゃ、気持ちは分かるけどね。実際に明日の準備があるからなあ。それに予定がズレたのも誰かさんの責任だから自業自得だよ」
「本当に仕事だったんですか!」
「そりゃ、ハニートラップを仕掛けて来てくれたら駆け引きが楽だからね」
「すいません。小官達が誤解してました」
「そりゃ、敵を騙すには味方からと言うからね」
他人の過大評価を最大限に活用するハンスであった。
翌朝、朝からドミニクとルビンスキーの強制入院の打ち合わせをする。
自治領主府にドミニクが説得に行き拒絶ないし引き延ばしに出たらハンスが実力行使で入院させる事にする。
そして、二人で早めの昼食を摂るとハンスはドミニクと一緒に自治領主府に行く。
「では、手筈通りに」
「任せて頂戴!」
ドミニクが自治領主府のルビンスキーの執務室に入るのを見届けるとハンスは通信端末を手に取る。
「各班は配置に着いたか?」
「既に各班は配置に着いております」
「宜しい。では合図を待て!」
今朝、ドミニクから連絡を受けた後にハンスは不測の事態に備えてシューマッハの部下達に連絡して呼び寄せていたのである。
(しかし、ルビンスキーも本当に親父だな。病院に行くのを嫌がるとは、自分の健康管理も出来んのに宇宙の支配者になるつもりかね)
ハンスも本来の歴史で病に倒れて後世から竜頭蛇尾の見本と失笑される事を知っているのでルビンスキーには同情的である。
(野心を捨てラインハルトの下で宰相として才能を発揮させれば歴史に残る名宰相になれるのに)
ハンスが思惑の海を泳ぎ回っていると携帯端末にドミニクからの合図があった。
「全班、作戦決行せよ!」
ハンスの指示で白衣を着た男達が担架を持って自治領主府に入って来た。
自治領主府の職員達が何事かと驚いていると一人の若者が手招きしている。
「待ってました。こっちです!こっちです!」
白衣の男達が若者に誘導されてエレベーターに乗り込む。
「誰か急病人でも出たのか?」
職員達が白衣の男達を見送ると新たに白衣の男達が自治領主府に入って来た。
「先に来た人達は何処に?」
「あ、エレベーターで上に行きましたよ」
「そうですか。なら、担架が通りますので道を空けて下さい!」
一階に居た人達が緊急事態と思い担架の通り道を作る。
「何かあったのですか?」
「詳しくは分かりませんが人が急に倒れたらしいですよ」
「そりゃ、大変ですね」
急に倒れた人にされたルビンスキーは実際に急に倒れる事になる。
白衣の男達と一緒にルビンスキーの執務室に押し入ったハンスは問題無用でルビンスキーに暴徒鎮圧用のスタンガンを発射する。
ハンスが引き金を引くと先端から電極が飛び出してルビンスキーに命中すると高圧の電流が流れてルビンスキーが気絶する。
気絶したルビンスキーを担架に乗せると来た道を戻る。途中で騒ぎを聞きつけたルパートが来たがドミニクに相手をさせてルビンスキーを病院まで運んだのである。
こうしてハンスはルビンスキー誘拐に成功したのである。
ルビンスキーが目覚めると視界には白い天井が入ってきた。
「知らない天井だな」
横で男女の声が聞こえる。ルビンスキーが声の方向を見るとドミニクと作業服姿のハンスが立っていた。
「これは、どういう事か説明を願いましょうか?」
「説明の必要があるとは思えませんが、強制入院ですな」
「強制入院と言うよりは誘拐だと思いますが!」
「誘拐より軟禁だと思う」
ハンスの応えにルビンスキーが改めて室内を観察すると窓には鉄格子が嵌まって、ドアも金属製で監視カメラまで取り付けられている。
「この様な部屋が病院に有るとは知りませんでしたな」
「有る筈が無いでしょう。無いから急造したんですよ」
ハンスが作業服姿なので予想はしていたが堂々と言ってのけられるとはルビンスキーも予想していなかった。
「閣下は本当に軍人ですか?」
ルビンスキーの質問に笑って応えないハンスであった。逆行前の世界では義手が壊れる度に仕事を辞める事になったが溶接の仕事も飲食店の仕事も経験したハンスである。
「しかし、私も自治領主としての仕事があります」
「そこは大丈夫です。モニターも準備してますから部屋に居ても報告も指示も問題が有りません。サインの必要な書類は此方まで持って来させます」
「分かりました。完全に私の負けの様です。それで私は何時まで軟禁されていたら宜しいので?」
「その事については、私より医師に尋ねるべきでしょう」
ハンスが枕元のナースコールを押すと医師が説明の為に入室して来た。
医師が入室する時にドアの外が見えたが銃を持った兵士が見えたのでハンスが軟禁と言った意味が理解できた。
「それで、病状の説明をしてもらいましょうか?」
「まず、此方の写真を見て下さい。この脳の中心部分の影が腫瘍です。場所が場所だけに外科手術は難しいので放射線治療と音波治療を併用します。最終的には外科手術で腫瘍を取り除きますが、まずは安心して貰っても大丈夫です」
「病状は分かりました。何時頃に退院が出来ますか?」
「どんなに遅くとも年末には退院が出来ますから安心して下さい。但し退院後も定期的に検査に来て下さい」
(年末までなら金髪の孺子が事を起こすまでには間に合うだろう)
「結構な事です。では、宜しく頼みます」
ルビンスキーにすれば自分が退院してラインハルトが事を起こすまでには十分な時間があると読んだが、後日、ルビンスキーはラインハルトを過小評価していた事に舌打ちする事になる。
そして、ルビンスキーがラインハルト以上に舌打ちをさせたのは毎日の食事である。
「しかし、酒は分かるがパンが駄目で毎日が脂肪の多い内臓系の肉料理と野菜ばかりなのは、どうにかならんのか?」
傍らに居るドミニクに言ってみるがドミニクは冷たく突き放す。
「私に言っても意味が無いでしょう。コーヒーを認めて貰っただけ良しとしなさい!」
毎日が牛の内臓やら脳ミソばかりなのはルビンスキーに取っては苦行であった。
ルビンスキーはラインハルトの同盟進攻と無関係に退院の日を待ちわびるのであった。
そして、もう一人の男がルビンスキーの退院を待ちわびていた。
ルビンスキーの首席補佐官のルパート・ケッセルリンクであった。
「何で俺の所に仕事が来るのか!」
ルビンスキーの不在の間に自治領主代行の命を受けたルパートであったが毎日の様に押し寄せる仕事の山に辟易していた。
ルビンスキーが決裁していた仕事と自分の本来の仕事の両方をこなす事になったのである。
更にルパートの悩ませたのが地球教であった。毎日の様に資金提供の催促が来るのだが、必要な予算ならルパートの権限で決裁が出来るのだが不要不急な予算となるとルパートの権限では決裁が出来ないのである。
「老人共め、少しは自分達で稼げ!」
宗教団体である地球教もメインの資金源であるサイオキシン麻薬の密売が暗礁に乗り上げているのだ。
これは、ハンス作曲、故リヒテンラーデ侯編曲の帝国麻薬撲滅局の仕事である。局長を筆頭に末端の局員までもがサイオキシン麻薬の被害者遺族であり取り締まりには容赦がなかった。
販売網の中枢は無事であったが末端の販売網を摘発されては製造した麻薬を捌けずに在庫を抱える状況である。
帝国で駄目ならフェザーンでの販売となればルビンスキーが許す筈が無く、頼みの綱であるルビンスキーは入院中で連絡が取れずにいる。
自然とフェザーンに残されたルパートへの催促も高圧的になっていく。
「ですから、何度も御説明した通り、私の権限では予算を動かす事は出来ないのです。ルビンスキーが退院するまでの辛抱です」
「しかし、ルビンスキーが今年中に退院するという保証があるのか?」
「医師が保証しています」
何十回目の会話であろうか。ルパートの忍耐力も限界に来ていた。
(老人共め、何回も同じ事を言わすな!)
正直、ルパートは地球教に割く時間も惜しいのである。彼には仕事が山の様に残っているのである。早晩、倒産するであろう同盟の企業から資金を引き上げないといけないのである。
その為にも担当者と打ち合わせをする必要があるのだ。
その後にもリップシュタット戦役で没落した貴族の売りに出されている鉱山の入札の打ち合わせもあるのだ。実利の無い事に付き合う暇は無いのである。
ルパートから突き放された格好の地球教も資金難に苦慮していた。帝国側の販売網は活動停止状態でありフェザーンでは当然の如くルビンスキーが許さない。同盟は市場としては未開発であるが販売網が無いのである。アムリッツァ会戦で地球教の息の掛かった者は殆どが戦死した為である。更に言えば不況の同盟でサイオキシン麻薬に手を出す者がいるかも怪しい。
人間は貧しくなると麻薬よりパンに手が伸びるものである。
こうして、一人の男の入院が少なからず影響を周囲に与えているのである。
そして、ルパートも地球教も忘れているが帝国に侵入させたランズベルク伯とシューマッハがひっそりと逮捕されたのである。
帝国駐在の高等弁務官のボルテックが交渉する前であった。