ハンスはバカンスから帰るとフーバーと打ち合わせをしてフェザーンへの出張をラインハルトに申請した。
「閣下、休み明けにしては忙しいですね」
フーバーとしては事前に出張と言って欲しいものである。
「事情が変わりましたから、留守の間を頼みます。准将」
「私は大佐ですよ」
「既にキルヒアイス元帥には言ってますから、正式な辞令は明日になりますが准将です」
「えっ!?」
「当然でしょう。メルカッツ、ファーレンハイトの両提督を引き抜き、ヴェスターラントの異変の報を敵より先に掴んでるんですから」
驚くフーバー准将に構わずにハンスが説明する。
「それに准将になれば自分のサインじゃなく准将のサインで大丈夫な案件もありますから」
「閣下……」
フーバー准将にしてみれば佐官になれた事も僥倖なのに将官にまで昇進するとは思ってなかったのだ。
「では、留守の間に例の事を頼みます!」
「はい、了解しました」
バカンスから帰って来てからのハンスは忙しい。ラインハルトにフェザーンの行政官の引き抜きを進言したのである。
フェザーンは辺境惑星の開発事業にも出資しており、開発事業の行政官も多いので引き抜く相手には困らないのである。
引き抜きが表向きの理由だが本当の目的はフェザーンを通じて遺伝子治療の視察である。
帝国の遺伝子治療は同盟に比べて二、三十年程度の遅れがある。
これは、劣悪遺伝子排除法による影響なのだがラインハルトが死去した後に遺伝子治療による治療法が旧同盟領で発見されている。
(今の段階で完治は無理でも対処療法で生き延びる事は可能かもしれん)
逆行前の世界で治療法は発見されたが、流石に何時ものカンニングでもハンスには治療する事が出来ない。
(まあ、本人の医者嫌いが原因で末期になって病気に気付いたからなあ)
素人のハンスとしては早期発見、早期治療しか手段は無い。
フェザーンの医療技術も把握していないので膠原病と遺伝子治療の権威を探す事から始める事になる。
表向きには行政業務の専門家を引き抜きながら医師を探す事になる。
昼間はフェザーンの高等弁務官事務所で職員から情報を集めて、夜は酒場等で情報集めをする。
目ぼしい人物を見つけると交渉を開始する。
「ルビンスキー閣下も所詮は人の親で、今の秘書官はルビンスキー閣下の隠し子らしいじゃないですか。しかも、フェザーンでは貴方の様な行政業務のプロが活躍する場も少ない。逆に帝国は行政業務のプロが足りない状況でローエングラム公は縁故等が嫌いな方です。実力さえ有れば出世は思いのままです。帝国に来ませんか?」
隠し子とはルパート・ケッセルリンクの事で、本当は親と子で殺し合いをする荒んだ関係なのだが、知らない人間から見れば、若いルパートの出世は縁故によるものに見えただろう。
(まさか、危険人物を監視する為に側に置いているとは、普通は思わんよなあ)
「分かりました。詳しい条件を聞かせて下さい!」
ハンス自身が驚く程に簡単に引き抜けた。自身の才能に自信を持ち不遇な状況にいる者が新天地を求めるのは当然の話である。
ハンスはコツコツと引き抜きをしながら膠原病の勉強と医師を探しをするのであった。
そして、八人目のジャン・ジャックを引き抜きに成功した時にハンスが求めていた情報を得られた。
「遺伝子療法の専門家なら私の兄が同盟では専門家です。閣下の家族に病人がいるなら私が口を聞きましょう」
「有り難う御座います。自分の身内ではありませんけど、重病人がいるのです!」
「分かりました。一度、フェザーンの病院に入院してから転院の形になります」
「分かりました。すぐに本国に連絡します」
(取り敢えずは、ヒルダさんの親戚のキュンメル男爵で試してみるか。座して死を迎えるよりはマシだろ)
何気に酷い事を考えているハンスであったが、ハンスにはハンスの言い分がある。貧困の為に従軍して片腕と片足を無くしたハンスには生活の心配も無くヒルダに愛情を受けていたハインリッヒは羨ましい身分なのである。
ハインリッヒが聞けば怒って反論したであろう。
「一応はカルテのコピーもお願いします。先に兄にみせてからの方が糠喜びをさせる事が無いでしょう」
「分かりました!」
ハンスはヒルダに直ぐに連絡を取り、カルテのコピーとマリーンドルフ伯の許可を得た。
ハインリッヒの入院の手筈を整えると引き抜いたジャン・ジャック達をフェザーンから送り出して自分はフェザーンに残留する。
周囲には引き抜き工作を続行する為と説明したが、それは事実でもあったが他にも目的があった。
ハンスはジャン・ジャック達を送り出した翌日にシューマッハ達が経営しているアッシニボイヤ渓谷の農場に行き亡命したシューマッハの部下と面会した。
「そうか。シューマッハ大佐は居ないのか。ところで卿達はどうする?」
「どうするとは?」
「このまま農場で暮らすのも良いがオーディンに家族が居る者も居るだろう。一緒に帰るか?」
「自分達は帰れる事が出来るのですか?」
「そりゃ。帰れるさ。卿達は帝国人だろ」
「しかし、自分達はローエングラム公を敵に回していたんですよ」
「そんな事を言っていたら帝国軍の半分は処分する事になるよ。それに、私なんか帝国を敵に回していた人間だぞ!」
「それでは、帰れるのですか?」
「問題無い。帰って軍隊を続けるも辞めるのも卿らの自由だ。約束してもいいよ」
ハンスが約束した途端に歓喜の叫びが沸き起こった。
「家族と会える!」
「生きてオーディンの土が踏める!」
皆がオーディンに帰れる事を喜び叫び泣いている者までいた。
ハンスには頭で理解が出来ても心情としては理解が出来ない反応であった。
ハンスにはハイネセンに未練は全くなかった。ハイネセンには嫌な思い出ばかりしかない。彼らにはオーディンに帰りたくなる程の良い思い出があるのだろう。
(羨ましい話だ)
「喜んでるけど、すぐには無理だからな。オーディン行きの便は出たばかりだからな。民間船で卿らを帰す予算は無いからな」
「大丈夫です。私達も帝国軍人の端くれです。軍の都合も理解してます」
ハンスは次の便で全員が帰れる様に帝国本土と交渉する事を約束した。
(シューマッハが居ないとなると計画は既に始まっているな。シューマッハが居なくなった日から逆算するとオーディンに向かう道中だな)
ハンスは弁務官事務所に帰るとキルヒアイスに連絡を取り、シューマッハと部下達の事を報告した。
「連中がオーディンに職業軍人を送り込む目的はアンネローゼ様の誘拐か陛下の誘拐でしょうね」
モニター越しとはいえキルヒアイスが怒気を発している事が分かる。
「ま、まあ、現実的にはアンネローゼ様の誘拐は不可能ですから安心して下さい」
「では、中将の予測では皇帝陛下が狙われると」
ハンスの言葉で安心したのかキルヒアイスが怒気を消してハンスに確認をした。
「はい。フェザーンは対立する勢力が無いと商売になりませんからね。それなら帝国に宇宙を征服させて新帝国の下で経済面の権益を任せて貰う方が利口と判断したと思います。その呼び水が皇帝誘拐でしょう」
「分かりました。此方で対処しますから安心して下さい。それと、中将も身辺に注意して下さい」
「了解しました」
ハンスは通信を切るとソファーに座り込む。
(アンネローゼ様の事になると目の色を変えるんだから、シューマッハ達も間違えてもアンネローゼ様に手を出さんでくれよ)
幼帝誘拐計画が何処まで進んでいるか分からないが対策は既にオーディンを出発する前にしている。それでも念には念を入れる必要がある。
(子供を大人の玩具にさせられんし、モルト中将を死なせる事も許さんよ)
モルトもメルカッツ同様に生真面目な人柄である。自身の孫と変わらぬ幼帝にハンスの意見もあり厳しい躾をしている人物でもある。
幼帝は本来の歴史より遥かに改善された環境である。将来はラインハルトに禅譲して平穏な人生を送る事が出来そうである。
それに、もし誘拐された時のベーネミュンデ侯爵夫人の反応を想像すると哀れである。
(普通に幼児誘拐は許せんよな)
幼児の誘拐を目論むランズベルクとシューマッハ組にモルトを犠牲にして黙認するラインハルトとオーベルシュタイン組とハンスとキルヒアイス組の三つ巴の戦いの様相を呈してきた。
(まあ、ラインハルトにはラインハルトストッパーの1号と2号のダブルキックを味わってもらうか)
ハンスからラインハルトストッパー2号と呼ばれたキルヒアイスは赤い髪が逆立つのではと思われる勢いで執務室でラインハルトに説教をしていた。
ハンスの報告を受けてキルヒアイスが調査してみると既にシューマッハとランズベルク伯がオーディンに侵入した後であった。
「分かった。勘弁してくれ。キルヒアイス」
「何が分かったですか!ヴェスターラントの時はミューゼル中将が釘を刺すから黙ってましたが今回は言わせてもらいます!」
(あの時も、思い切り説教した癖に)
流石のラインハルトも口には出せずにいる。
「以前に私の前で誓った事は嘘なんですか!」
「いや、嘘じゃないぞ。キルヒアイスは誤解しているが、今は様子を見ているだけだ。黙認するつもりは無いぞ!」
キルヒアイスとは長い付き合いである。誤魔化し方は心得ているつもりであったがキルヒアイスも長い付き合いでラインハルトの誤魔化しは熟知していた。
「ほう、ならば何故に私には一言も無いんですか?」
「えっ!」
「事は後宮の警備に関わる事なのに私に一言も無いとは不思議な話ですね」
キルヒアイスの瞳には危険な光が宿っている。
結局は二時間ほどキルヒアイスから説教をされたラインハルトであった。
避難していたヒルダが執務室に戻った時には灰の様に真っ白になったラインハルトが椅子に佇んでいた。
(キルヒアイス元帥にも困ったわね。これじゃ、今日は仕事にならないわ)
「閣下、お疲れの様なので今日はお帰りになられた方が宜しいのではないでしょうか」
「そうだな。フロイラインの言葉に甘えさせて貰うか」
ゆっくりと立ち上がるラインハルトを見送ったヒルダであったが自宅にはラインハルトストッパー1号が待ち構えている事をヒルダもラインハルトも知らなかった。