銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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亡命者の苦難 前編

 

 宇宙船による大気圏突入の光景は壮観の一言に尽きた。

 僅か10分間の光景だったが漆黒の宇宙空間から熱圏、中間圏、成層圏、対流圏と降下するに従いスクリーンに写し出される光景は美しく変わり正に絶景であった。

 

 着陸した後も大気圏突入の余韻に浸るハンスにラインハルトが苦笑混じりに肩を叩く。

 

「気持ちは分かるが人を待たせているから早く降りるとしよう」

 

「それは失礼しました」

 

 ハンスはラインハルトとキルヒアイスに連れられて慌てて下船タラップに向かったが兵士達がタラップの前で立ち止まって渋滞している。

 

「何をしている。後が閊えてる。早く降りないか!」

 

 ラインハルトの叱責に兵士の中から最年長と思われる兵士が代表して答える。

 

「その提督、ちょっと見てやって下さい」

 

「何かあったのか?」

 

 ラインハルトが船内から頭だけを出し外を伺う姿は、とても帝国軍の将官の姿に見えない。下町の悪戯っ子といった風情である。

 悪戯っ子の視界に入ったのは、タラップの下にはターミナルビルまで続いている赤い絨毯。その絨毯の上で黒髪の美女が花束を持って待機していて、その後ろを絨毯を挟んで帝国軍楽曲隊が控えている。

 更に視界を上に向けるとターミナルビルの屋上に兵士を出迎えに来た筈の家族達の集団とテレビカメラ数台が見えた。

 

「何事!?」

 

「それは、ハンス君の出迎えでしょうね」

 

 ラインハルトの頭の上からキルヒアイスの声が降ってくる。

 ラインハルトとの身長差を利用して後ろからラインハルト越しに外の様子を見ている。

 

「帝国人って、真面目で堅苦しい印象があったけど、意外とミーハーなんだなぁ」

 

 足元から四つん這いになってキルヒアイス同様に外の様子を見てたハンスが感想を口にする。

 

「ハンスは何処から見てる。それにキルヒアイスまで……」

 

 ラインハルトが二人の行動に呆れた声を出すが端から見てる兵士達にすればラインハルトも同類なのだが。

 

「それで、提督どうされますか?」

 

 先程の兵士がラインハルトに指示を求めた。

 

「それはハンスの出迎えなのだからハンスが一人で行くべきだろう」

 

 慌ててハンスが反論する。

 

「待って下さい。普通は偉い人から先に行くもんでしょう。階級は閣下が一番上じゃないですか。閣下が先に行くべきでしょう」

 

「それは通常ならばの話。今回は特殊な事情で卿が主役だから卿が行くべきだ。それに卿は協力は惜しまないと言ったではないか」

 

「協力は惜しまないと言ってませんよ。僕をプロパガンダにする事には同意しましたけど」

 

「では行くがよい」

 

「これはプロパガンダというより見世物でしょう!」

 

 ハンスが悪あがきをしているとキルヒアイスがハンスの肩を叩いた。

 

「人は時には諦めが肝心です」

 

「少佐の言う通りだ。ハンス、諦めろ!」

 

「そうだ!ハンス、諦めろ!」

 

 キルヒアイスだけではなく、その場にいた兵士達もラインハルトに同調していた。

 孤立無援になったハンスは自分の敗北を悟った。

 

「無念、ここまでか!」

 

 ラインハルトはハンスの態度に苦笑まじりに呆れる。

 

「大袈裟な奴だな。キルヒアイス」

 

 ラインハルトから名を呼ばれたキルヒアイスがハンスの後ろから両脇から手を入れて持ち上げて、ハンスを運び始めた。

 

「裏切ったな!裏切ったな!父さんと同じで僕を裏切ったな!」

 

 ハンスの世迷い言を無視してキルヒアイスがハンスをタラップまで運ぶ。

 ハンスがタラップの上に姿を出した途端に拍手と喝采に軍港が満ち溢れた。

 

「えらい!よく頑張った!」

 

「帝国には美味しいものが沢山あるわよ!」

 

「もう心配する事ないぞ!帝国で幸せに暮らせ!」

 

 ターミナルビルの上からはハンスを労り励ます声が聞こえる。

 完全な善意の声だがハンスには恥ずかしさが勝る。礼儀としてベレー帽を片手に手を振って応える。

 

(これでは道化だよ)

 

 ハンスがタラップを降り始めると楽曲隊が帝国軍軍楽曲『ワルキューレは汝の勇気を愛せり』の演奏を始める。

 拍手と喝采が止まり、楽曲隊の奏でる荘厳な音色が場を支配する。

 音楽には素人のハンスにも楽曲隊の演奏の技術力の高さと楽器の素晴らしさは理解ができた。

 

(曲は別にして楽曲隊のレベルは同盟より帝国軍の方が桁違いに上だな)

 

 楽曲隊の素晴らしい演奏に群集も耳を傾けている。群集が演奏に気を取られている間にハンスは静かにタラップを降りる事に成功した。

 タラップの下には二十歳前後の黒髪の美女が花束を持って待機していた。

 

「ようこそ帝国へ」

 

 美女はハンスに花束を渡す。

 

「あ、有り難う御座います」

 

 ハンスが反射的に礼を言い花束を受け取る時に美女がハンスの頬に口づけをする。

 ハンスは両頬が熱くなるのを実感した。80年近い人生で美女とは無縁のハンスには免疫がなかった。

 美女はハンスの熱くなった反対側の頬にも口づけしてきた。

 そして、ゆっくりと顔を離す時に小声で美女が囁いた。

 

「この後は私に任せて行動して下さい」

 

 ハンスは無言で頷くしか出来なかった。ハンスは頬だけではなく耳まで赤くして花束を片手に美女に手を引かれ歩き出す。

 

(これは粋な配慮と言うより羞恥プレーでは)

 

 ハンスの真っ赤になった耳には楽曲隊の素晴らしい演奏も耳に入らずに飼い主にリードを持たれて随従する老犬状態である。

 もし同盟末期に名を馳せた色事師2名がいたら、今のハンスの状態を評して異口同音に「情けない!」と言った事だろう。

 

(美女にエスコートされるとは立場が逆だろうに)

 

 ターミナルビルまでの道程が遠く感じられた。ビルに入れば群集の視線と楽曲隊から解放されるとハンスは自分に言い聞かせていたが、ターミナルビルの入り口が見えた時に自分の考えが甘かった事を悟った。

 

(嘘だろ。ビルの中にも絨毯と人が居る!)

 

 ビルの中にも赤い絨毯が敷かれて絨毯の両端にロープが張られている。ロープの内側に警備兵が外側には報道陣が見えた。

 ビル内に入るとハンス達はカメラのフラッシュの雨を浴びる事になった。

 

(眩しい!テレビで逮捕された犯罪者が顔を隠すのはフラッシュが眩しいからか!)

 

 ハンス一人なら立ち止まり、その場で蹲っていただろう。傍らで手を繋いでいる美女が手を挙げ報道陣に応えるふりをしてフラッシュを遮る。ハンスも美女に習い花束を持つ手を挙げ報道陣に応えるふりをしてフラッシュを遮る。

 

(凄い。場慣れしているな。この人)

 

 美女に助けらながらも無事にビル内を通り抜け用意された地上車に乗り込む事が出来た時はシートの上で手と足を投げ出してしまった。

 

「はい、どうぞ」

 

 グラスに満たされ水を差し出された。自分が喉が渇いていることに気付き受け取った途端に一気に飲み干した。

 水を飲み干した後にグラスを差し出した相手を確認すると自分をエスコートしてくれた美女だった。

 

「有り難う御座います」

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

 空になったグラスを返しながら礼を言うと笑顔で美女が受け取る。

 

「自己紹介が遅れたけど、私はヘッダ・フォン・ヘームストラ」

 

「有り難う御座います。フロイライン・ヘームストラにエスコートされて本当に助かりました。情けない事に自分一人では大変な事になっていました」

 

「情けない事はないわ。普通の人なら当然の事よ。私も一応は女優の端くれだから、大勢の人の前で行動する事には慣れてるの」

 

「女優さんでしたか。道理で美人だし場慣れしているし動きの一つ一つが美しいのも腑に落ちました」

 

「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

 

「お世辞ではないですよ。だから、軍も貴女を僕のエスコート役に抜擢したんですよ」

 

 ハンスは自分で言葉にしてみて改めて帝国軍の意図に気付いた。

 

(そこまで予想して彼女を用意したとなれば帝国軍首脳部も侮れんな。後世の本では皇帝ラインハルトが優秀過ぎて過少評価されてるけど)

 

 そこまで思考を進めた時に一つの可能性が閃いた。

 

(待てよ。迂闊な言動で逆行者と判明しなくても未来を知る者もしくは予知能力者として疑われる可能性もあるかも)

 

 急に深刻な顔になったハンスの様子にヘッダは不安を感じた。

 

「ハンス君、気分でも悪い?」

 

 ヘッダが心配顔で顔を見ている。

 

「いえ、大丈夫です。これからの事を考えて、ちょっと不安になっただけです」

 

 咄嗟に以前にキルヒアイスにも使った返答をした。

 ヘッダもハンスの返答を聞いて安心したらしく流暢な同盟語で意外な告白してきた。

 

「安心しても大丈夫よ。ここだけの話だけど、実は私も同盟からの亡命者なのよ」

 

「ええーーっ!?」

 

「嬉しいわ。そんなに驚いてくれて秘密を話したかいがあるわ」

 

「い、何時の話です?」

 

「まだ貴方が産まれる前の話よ」

 

「15年以上前に亡命って、若く見えるけど何歳なんですか?」

 

「失礼ね。私は貴方みたいに一人で亡命したわけじゃないわ。親に連れられて亡命したのよ」

 

「あ、普通はそうか」

 

「父が麻薬捜査官だったの。そこまで言えば分かるでしょ」

 

「了解しました」

 

 ハンスは短い言葉で返答した。同盟と帝国で秘密裏に手を結びサイオキシン麻薬の摘発をした事もある程に麻薬組織は巨大化していた時期が存在していた。

 その関連で麻薬捜査官が逆に命を狙われて帝国に亡命しても不思議な話ではない。

 

「帝国は表沙汰に出来ない私達が亡命した時も大事にしてくれたわ。貴方は派手に宣伝したから私達よりも大事にしてくれるわ。安心して大丈夫よ」

 

「はい、有り難う御座います。安心しました」

 

 ハンスの言葉には嘘は無い。政治宣伝に利用され飼殺しの人生でも冬の寒さ夏の暑さに苦しみよりはマシである。

 

 ハンスの返答を聞いてヘッダが急にハンスを抱きしめた。

 

「不安になるのは無理ないか。でも、困った時や不安になった時は連絡してちょうだい。必ず力になるわ」

 

 ハンスはヘッダに抱きしめられるままになっていた。ハンスにしてみれば女性に抱きしめられるのは半世紀以上前の事である。

 ハンスの母は息子に愛情が無かったわけではない。ただ、女の細腕で子供を抱えての生活に愛情を示す余裕が無かっただけである。

 ハンスも理解はしていたが理解する事と満足する事は別である。

 

(この歳になっても女性に抱きしめられて安らぎを感じるとは)

 

 ハンスもヘッダの背中に手を回して抱きつく。

 

「もう少しだけ、このままでいいですか?」

 

「いいわよ。まだ少し時間があるから」

 

 ハンスはヘッダに抱きしめられて、人生で初めて幸福を感じていた。

  


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