ラインハルトの元帥府が本格的に整備されるとハンスがラインハルトの執務室に資料を持って日参する事になり自然とハンスの残業も多くなる。ローエングラム陣営の提督達も波乱の予感を感じ始めていた。
「卿の説明では今年中に同盟軍の大規模な進攻があると言うのだな」
「はい、閣下。昨日も申し上げましたが同盟には選挙という政治的儀式があり、儀式の為に出兵して来ます。近年はイゼルローン要塞失陥以前は負け続けていますので派手な作戦で派手に勝ちたいと思っている筈です」
「しかし、戦略目的も無いままでは無いか?」
「その点は同盟も帝国も同じではないですか。今年の初頭のアスターテ会戦も戦略的な意義の無い戦いではありませんか」
「分かった。卿の進言が間違えていた事は無いからな。実際に軍を動かす事は出来ないが提督達にシミュレーションをさせて不測の事態に備えさせよう。それと事務方にも必要物資の試算と対策も検討させる。卿は引き続き同盟内部の監視を頼む」
「了解しました。それに伴い予算もお願いします。まさか、情報提供者に領収書を切れとは言えませんので」
「分かった。その事は参謀長と話をしてくれ。私より参謀長の方が明るい」
「ご配慮、有り難う御座います」
ハンスが退出すると傍らにいたキルヒアイスが口を開く。
「妙な感じですね。ハンス大佐が勤勉なのは」
「確かにハンスが勤勉なのは違和感があるが、ハンスの進言通りに同盟が大規模な進攻を考えても不思議ではない」
ラインハルトの言葉通りに、同盟ではイゼルローン要塞の無血攻略に酔いしれた国民の間には主戦論が沸き起こっていた。
非公式にアンドリュー・フォークによる帝国領進攻案が最高評議会議長ロイヤル・サンフォードに提出されると主戦論が蔓延する風潮に乗り最高評議会は出兵案を可決したのであった。
途中経過は別にして結果はラインハルトの予測通りであった。
ラインハルトが予測しきれなかったのは投入される兵力である。八個艦隊からなる兵員三千万人、二十万隻体制の同盟史上最大の戦力が投入される事になる。
この当時の国力では先のアスターテ会戦の戦後処理の経費の捻出も苦しい所にヤンが50万人の捕虜を捕らえ、捕虜を収容の為の予算も苦しいのである。
ヤンが独断で民間人を解放したのは賞賛される行為であったが独断で解放をした事が問題視されなかったのは経済的な理由もあった。
イゼルローン要塞を攻略すれば同盟は防衛拠点を得て内政に専念して国力の回復が出来るというヤンの思惑を裏切り帝国領進攻が決定してしまった。
同盟と帝国との戦いは専制政治からの防衛戦であった筈の戦争が何時の間にか専制政治打倒の戦いに変化した事に気づく国民は少なかった。
フェザーン経由で帝国に大規模出兵の報が伝わるとラインハルトに迎撃の勅命が下る事になる。
若いラインハルトより経験豊富なミュッケンベルガーを推す声もあったが、意外な事に日頃からラインハルトを嫌う勢力がラインハルトを推したのである。
「今までにない大規模な戦いに金髪の孺子とて無傷ですむまい。叛徒共を追い払い金髪の孺子の勢力を削る事が出来れば一石二鳥ではないか」
本音が透けて見えたがラインハルトは気にする事もなく迎撃の任を受けたのである。
ハンスの進言により、速やかに迎撃の準備が進むなかでラインハルトとキルヒアイスに参謀長のオーベルシュタインと特別にハンスも参加しての対策会議が開かれる。
「既に卿らも知っている事であるが敵の大規模攻勢に対する迎撃作戦についてであるが既に私に腹案がある」
「焦土戦術を使うのは仕方がありません。しかし、出来るだけ自国民に犠牲が出ない様にして頂きたい!」
ラインハルトの腹案を聞く前からハンスが釘を刺した。
「卿の意見は尤もな意見である。その事もあるから卿も会議に参加させたのだ」
ラインハルトの口調には優しさがあったが厳しいのはオーベルシュタインであった。
「確かに卿の危惧する事が分かる。しかし、卿も軍人である以上は無血で目的が達する事が出来ぬ事も心得よ」
オーベルシュタインの言はハンスには裏付けがあるだけにハンスには重かった。
ハンスはある意味でオーベルシュタインは平等な人間であると思っている。敵味方の区別もなく官民の区別もなく流される血に区別をしない人であると。
「心得てます。しかし、私の場合は軍人は兎も角、民間人の血は軍人より重いと思っています」
ハンスは民主国家で育った人間である。民主国家の軍人の建前は民間人を守る事である。更にハンスの個人的な考えでは軍人が血を流すのは給料を貰うのと引き換えだと思っているので自然と官民では民に重きを置くのである。
「卿ら、いい加減にせぬか!」
ラインハルトがハンスとオーベルシュタインの仲裁に入る。
二人は異口同音に謝罪して話を本題に戻した。
「分かれば良い」
その後は同盟軍の具体的な進撃ルートと撤退後の事について話し合いがなされた。
ほぼ逆行前と変わらないが大きく変わったのは撤退後の民間人救援の救援部隊が出来た事である。
ハンスは救援部隊に参加したかったが同盟軍を知る者としてラインハルトの傍らに居る事を命じられた。
「しかし、各個撃破する際に自分をヤン・ウェンリーに対抗する提督の側に配置する事が望ましいと思います」
「ほう。卿ならヤン・ウェンリーと戦えると言うか」
ラインハルトの口調には僅かながらに苛立ちが混じっていた。
「自分などでは無理ですよ。五分の条件で勝てるとしたらキルヒアイス提督ぐらいしか居ないでしょう」
「ほう。私でも勝てぬか?」
ラインハルトが意地の悪い笑みを浮かべてハンスに質問する。
「閣下でも無理ですね。ヤン・ウェンリーに勝つには勝つ事よりも負けない事を考える人間じゃないと無理です」
ラインハルトも怒る以前に元帥である自分に勝てないと言い切ったハンスに驚いた。
「卿の率直さは認めるが、少しは言葉を選ぶ事を学ぶべきだ」
「言葉を選ぶも何も閣下とヤン・ウェンリーの相性は最悪ですからね。絶対に五分の条件で戦ったら駄目です。互いに数百隻になる死闘になるでしょう」
ハンスの執拗さと強い口調に流石のラインハルトも折れる。
「卿は、よほど私とヤン・ウェンリーを戦わせたくないらしいな」
「それでも戦わないと言わない閣下の頑固さも……」
キルヒアイスは二人の頑固さに呆れて言葉も出ないでいたがオーベルシュタインは違った。
「閣下。ミューゼル大佐は元は同盟人でヤン・ウェンリーの為人も承知して根拠のある発言でしょう。ヤン・ウェンリーは単なる軍人ですが閣下は違います。万が一の事を考えてミューゼル大佐の諫言に従って下さい」
オーベルシュタインがハンスに同調した事にラインハルトも驚きながらも自分の不利を悟った。
「分かった。今回はヤン・ウェンリーとは五分の条件では戦わぬ」
「今回だけですか。宜しいでしょう。次もその次も何度でもお諌めしますから」
「卿も本当に頑固だな」
「お互い様だと思います」
この後は本題に戻り話を詰めていく。
「以前にも申しましたが、敵の総司令官のロボスは出世欲の強い男です。各艦隊が各個撃破されても戦力を糾合して決戦を挑んで来るでしょう」
「なるほど。卿には策がありそうだな」
「策とは言いません。数の差で袋叩きにするだけです」
「敵も数の差に配慮して挑んでくるのでは?」
「はい。恐らく敵は数の差を活かせないアムリッツァで機雷を後背に撒いて挑んで来るでしょう。彼処なら最悪の場合はイゼルローン回廊に逃げ込む事も出来ますから」
ハンスの予測は例の如くカンニングであるが知らない者には脅威の洞察力と構想力に見えるだろう。
しかし、事実を知る人間にも実は脅威的な事がある。
ハンスが逆行前に面識のある提督は数える程であるが軍隊時代の知人からの噂や晩末に読んだ歴史書等から面識のない提督の性格や判断基準などを正解に割り出していたのである。
故にハンスはローエングラム陣営に参加して日の浅いオーベルシュタインの事も正確に理解していたから、オーベルシュタインに過度の警戒もしていなかった。
だから、オーベルシュタインにも大胆な発言も出来た。
「問題は今回の焦土戦術で元帥閣下が民衆から恨まれないか心配なのですが、人心操作に関して参謀長に何か案があるのではないでしょうか?」
「それに関しては焦土戦術を使わなかった場合の経費の試算と焦土戦術を使った場合の差額を民衆の補償金として使う。戦死者が減れば一時金や後の遺族年金の事を考えたら安いものだ」
オーベルシュタインの考えは政治の基本であり王道でもあった。戦死者が減れば出費も減り、生きて税金を納めてくれるし平和になれば軍から各分野に人材を供給が出来るのだから。
(このオーベルシュタインという人物もラインハルトの影に隠れているが数世紀に一人の傑物だな)
「参謀長のご配慮に感謝します!」
この後、予てからのシミュレーション通りに補給物資の生産に備蓄が急ピッチで進められた。
帝国では万全の体制で同盟軍を迎え討つ準備が整い始めていた。