パストーレは艦橋でパニックになっていた。
(何故、敵は此方に向かって来る?)
パストーレは本音では戦う気がなかったのだ。二倍の戦力で三方向から包囲すれば敵は戦わずに撤退していく。
友人のパエッタの名誉も回復して味方の血が流れない安全な出征の筈だった。
(何故、敵は撤退しない?)
パストーレは無能な人間では無いが油断が混乱を招き、混乱が指示の遅れに繋がり致命傷となった。
「正面、エネルギー波、多数!」
「迎撃しろ。総力戦だ!スパルタニアンを出撃させろ!」
「駄目です。敵、戦闘艇が味方の空母を急襲!」
パストーレの指示の遅さが第四艦隊の傷口を拡大させていくのを見て、怒りに体を震わせていたのは同盟軍だけではなかった。
「遅い!後背から攻撃された訳でもないのに、対処が遅すぎる。油断するにも程がある!」
ハンスはブリュンヒルトの艦橋で第四艦隊の醜態を観戦していた。
「敵の兵士達には気の毒だが、これも戦いだ」
ラインハルトがハンスの肩に手を置き諭す。
「悲しい事ですが、これも戦争です」
キルヒアイスもハンスを諭す。
「理解はしてますが、司令官の戦死は自業自得です。でも、巻き添えになる兵士が哀れです」
逆行前の人生では無能な上官の指揮で片手片足を失ったハンスには第四艦隊の兵士達に同情してしまう。
それと同時に無能な上官には怒りを覚えてしまう。
「敵、旗艦の撃沈を確認!」
オペレーターからの報告が艦橋だけではなく敵と味方の全部隊に駆け抜ける。
司令部が壊滅した第四艦隊は正に醜態であった。その場に踏み止まり反撃する部隊もあれば敵前回頭して逃亡する部隊もある。
開戦から二時間後には第四艦隊は組織的抵抗は無くなり壊滅した。
「掃討戦をする暇は無い。次の戦場に移動する」
メルカッツの報告を受け掃討戦の有無を聞かれたラインハルトは手短に告げる。
横でキルヒアイスが移動時間を使い兵士達の休憩を無言で提案する。
「そうだな。兵士達には休憩が必要だな」
「敵の第六艦隊まで四時間の時間がありますので一時間半ずつ二交代で」
二人の間では打ち合わせもせずに既に目標が決まっていた。
上司と部下の連携が取れている軍隊が存在すれば、逆に連携が取れてない軍隊も存在する。
「何度も申し上げましたが、既に第四艦隊は壊滅したと推測されます。今は至急に第六艦隊と合流して戦力の統合をするべきです」
第四艦隊と通信が途絶してから三度目の諫言する。
「第四艦隊も簡単に、やられるとは思えん。パストーレは百戦錬磨の提督だ。それにパストーレは私の友人でもある」
「私も第六艦隊に友人がいます。ですが……」
ヤンは最後まで言い切れなかった。パエッタにはパエッタなりの葛藤がある事が分かったからだ。
ヤンもパエッタの立場でラップを見捨てる自信がない。それに上司に諫言するのは三度までとヤンは父に教えられていた。
(ラップなら上司の説得に成功するかもしれない)
ヤンの淡い期待は最悪の形で裏切られる事になる。
「四時半の方向から敵襲!」
第六艦隊艦橋でオペレーターの報告と表現するより叫びが艦橋内に充満する。
「応戦せよ!」
ムーアの指示にラップが異議を唱える。
「駄目です。今は前進して少しでも戦力を残して第二艦隊と合流するべきです」
「俺は卑怯者になれん!」
ラップが更に何か言い募ろうとした時に艦橋内が爆発した。主砲が直撃したのだ。
燃え盛る艦橋内で血達磨になりながらラップは最後の力を振り絞りポケットからポートレイトを取り出す。
ポートレイトを開くと婚約者のジェシカの笑顔が映し出される。
「ジェシカ、ここで消える俺を許してくれ」
ラップが息を引き取った三十秒後に旗艦は爆発四散した。
「敵、旗艦の撃沈を確認!」
ブリュンヒルトの艦橋内にオペレーターの声が響きわたる。
「脆いな」
ラインハルトは特に感情を込める事もなく呟く。
既に第六艦隊は背後から心臓を槍で貫かれて、その槍を捻り回されてる状態であった。
(あの艦隊の旗艦にはジェシカ・エドワーズ議員の婚約者が乗り込んでいたが、歴史は変えられないか)
ハンスは遺されたジェシカの事を思う。この後、ジェシカは反戦運動に身を投じてクーデター騒動の時に同じ同盟人から撲殺されるのである。
(救いがないな。せめて不必要な流血は避けないと)
ハンスはジェシカの身の上を考えながら戦術コンピューターに何かを打ち込み始めた。
抵抗らしい抵抗も無く第六艦隊は第四艦隊の半分の時間で壊滅した。
二個艦隊を壊滅した帝国軍の士気は最高潮に達していた。
「まだ敵は残っている。最後まで油断をするな。油断した軍隊の末路は卿達は見知ったばかりであろう」
ラインハルトの訓戒に全将兵が納得した。倍の戦力を持ちながら油断により壊滅させられた軍隊を見たばかりである。
しかし、既に油断を捨てた第二艦隊には悲壮感が漂っていた。
友軍とは通信途絶したまま孤立しているのである。まして自軍の戦力は敵より少ないのである。
第二艦隊旗艦の艦橋内では上司がいない場所で兵士が会話する。
「司令官はどうするつもりだ?」
「そんな事は司令官に面と向かって聞けよ!」
「聞けたら聞いてる。エル・ファシルの英雄の助言を散々に無視した後だからなあ。本人も罰が悪いだろう」
「まあな。面子を捨てて敵が来る前に撤退を決断してくれんもんかね」
艦橋にいた乗組員はヤンとパエッタの会話を聞いていたのでヤンが撤退を具申するのを期待していたが既に遅かった。
「二時方向に敵襲!数、およそ二万隻!」
オペレーターの声と警報が鳴り響く艦橋内で全乗組員が負けを確信した。
ほぼ無傷の艦隊に数の不利と先手を取られた。勝利の要素がない。後は生き残りをかけての戦いになった。
「右舷回頭、スパルタニアンを出せ!」
パエッタも無能ではない。最低限の指示は出した。
「少しはやるが反応が遅い。所詮は……」
ラインハルトもパエッタの対処を認めるが戦う前に既に決着はついていた。
最初の一撃で第二艦隊の先頭部隊は壊滅していた。
これから態勢を立て直しても数の差を覆せない。
第二艦隊が回頭して帝国軍に向き直った瞬間に第二の主砲三連斉射が待ち構えていた。
「流石に味方の二個艦隊が壊滅した後ですから油断はしていませんね」
キルヒアイスが第二艦隊の抵抗に関心した。
「三度目の正直と言う言葉もあるが、それも時間の問題だな」
ラインハルトも油断した訳ではないが自分達の勝利を確信した。
「私は次席幕僚のヤン・ウェンリー准将だ。司令官が負傷の為、私が指揮を引き継ぐ。大丈夫だ。負けない算段はしてある。新たな指示があるまで、其々、各個撃破に専念してくれ」
ヤンが敵味方全軍に聞こえる様に見栄を切る。
「大言壮語する奴だな。この期に及んで負けないとは」
ラインハルトは第四次ティアマト会戦以来、ヤンを警戒していたが、流石にヤンの言葉は虚勢に思えた。
「味方の士気を上げる為か、それとも何か策があるのか?」
キルヒアイスがヤンの大言壮語の裏を考える。
「策が有っても実行する暇を与えなければ良いだけだな」
「ラインハルト様、あの手を使いますか?」
「どう思う。キルヒアイスは?」
「おやりなさい。私もラインハルト様と同意見です」
それまで艦橋で通信オペレーターと話をしていたハンスが二人の様子を見て指揮座まで走って来た。
「駄目です。中央突破をする気でしょうが敵の罠です」
ハンスの勢いに驚きながらもラインハルトは諭す様にハンスを説得する。
「大丈夫だ。敵に罠を仕掛ける暇を与えない為の中央突破するのだ」
「しかし、閣下!」
ハンスがラインハルトと話をしている間にキルヒアイスが紡錘陣形を全軍に指示する。見事なコンビネーションである。
「分かりました。でも、敵の罠と分かった時は戦術コンピューターのRXー78回路を開いて下さい」
二人のコンビネーションにやられた事を理解したハンスは予め用意していた策を使う。
「分かった。分かった」
ラインハルトはハンスを片手で制して紡錘陣形を形成した全艦に突撃を命令を下す。
「敵、微速ながら後退」
オペレーターの報告にラインハルトは満足の笑みを浮かべる。
「ハンスの懸念も杞憂だったな」
ラインハルトがハンスを見るとハンスの顔は緊張したままスクリーンを凝視している。
ハンスに釣られてラインハルトもスクリーンを凝視するうちに疑惑が起こり疑惑が確信となった時には同盟軍が分断されようとしていた。
「キルヒアイス。してやられた!」
「閣下!」
ハンスの声に応えて全艦に戦術コンピューターのRXー78回路を開く様に命令する。
「敵、我が軍の側面を高速で移動しています!」
ラインハルトが命令した直後にオペレーターが驚きを含んだ報告する。
「中央突破戦法を逆手に取られた!」
ヤンは中央突破されたと見せ掛けて帝国軍の後背を取る事に成功した。
しかし、毎回の様にカンニングで先の展開を知るハンスは対応策を用意していた。
(上手く行けよ。この日この時の艦隊運動だけの為にロイエンタールとミッターマイヤーから酒の肴を授業料に艦隊運用を勉強したんだ)
ハンスの渾身の艦隊運動は同盟のフィッシャーが見ても及第点を貰えるレベルであった。
中央突破した帝国軍の前半分の艦隊が左右の二時と十時の方向に別れて前進して後半分の艦隊も前半分の艦隊が居なくなった空間を高速で前進しながら左右の一時と十一時の方向に移動する。
ヤンが帝国軍の後背で艦隊を再集結した時には帝国軍は不完全ながら縦深陣を完成させていた。
「なんてこったい。折角、帝国軍の尻尾に火を着けてやろうと思ったのに」
ヤンは艦隊を集結したまま高速で後退を始めた。縦深陣のまま帝国軍が追撃が出来ない事を見越して逃げたと思わせる為である。
「追撃なさいますか?」
キルヒアイスの質問にラインハルトは首を横にふる。
「止めておこう。既に勝利を手にしたのだ無用の流血は避けよう」
「ご立派です。ラインハルト様」
「それより、キルヒアイス。ヤン・ウェンリーに俺の名で電文を送ってくれ」
「どの様な文章ですか?」
「そうだな。貴官の勇戦に敬意を表す。再戦の日まで壮健なれ」
「分かりました」
「それと、キルヒアイス」
電文を送る為に、その場を離れ掛けたキルヒアイスにラインハルトが声を掛ける。
「他にも何か?」
「悪いがアレを自室まで運んでやってくれ」
ラインハルトの横に居た時は見えなかったが、ラインハルトの視線の先には艦橋の柱を背に両足を投げ出して眠るハンスがいた。
「了解しました」
キルヒアイスは苦笑を隠しきれないでいた。
勝利した帝国軍の幕僚は居眠りする事が許されたが、敗軍の幕僚であるヤンには居眠りする贅沢はなかった。
帝国軍が戦場から去るのと同時に戦場に戻り負傷した味方を回収して後方に送らなければならない。
第四艦隊と第六艦隊の生き残りも回収しなければならない。
(しかし、私が考えた千日手より帝国軍の策の方が互いの犠牲者が遥に少なかった。もしかしたら、私は歴史的名将の誕生に立ち会ったのかもしれない)
ヤンの予測は外れていた。ラインハルトはヤンの罠に嵌まり、互いの犠牲者を減らす事に成功したのはハンスである。
ヤンがハンスの存在を知るには、まだ幾何かの時間が必要であった。