一般に家庭の数だけ家族の形があると言われている。
しかし、来年には16歳になる弟と一緒に入浴してベッドも共にするのは倫理的に問題があるのではないか。
そう思いながらもヘッダには言えないハンスであった。
「あのね。弟とは言え羞恥心は無いの?」
「無い!」
「……」
朝から一緒に入浴しながら、きっぱりと断言されてしまい絶句するしかないハンスである。
「貴方が成人するまでは全て一緒のつもりよ」
「はあ……」
「途中で結婚して夫婦になっても良いと思っているわよ」
「……結婚ね」
逆行前の人生では結婚もせずに人生を終わらせたハンスであったが結婚して不幸になった人を多く見てきたので結婚には憧れより恐怖が先立つ。
(まあ、連中は先の事を考えない無責任な連中だったからなあ)
結婚して不幸になった人達の顔を思い出した。
本人は無能なのに妻の実家の縁故で出世して法令違反を犯して逮捕され会社を倒産させた上司。
(あの人も周囲が違法行為だからと止めたけどね。結婚せずにいたら出世もせずに法令違反を犯さずに逮捕されなかったのに確か逮捕後に離婚されて出所後はどうなったんだろ?)
離婚した後に財産の半分以上を慰謝料と養育費に取られて実家から勘当された嘗ての同僚も思い出した。
(あの人も実家の威光で出世したが勘当されてからは悲惨だったよなあ。他社に転職したが実家から勘当された事を密告されてクビになって結局は詐欺で逮捕されたんだよなあ)
唯一、幸せになった人もいたが妻の実家が資産家で妻の実家の会社で働き従業員からは腫れ物扱いされ家では妻に頭が上がらずに家庭内では一切の決定権が無い人もいた。
(まあ、一応は役員扱いで妻の実家に家も建ててもらい子宝に恵まれたけどなあ。妻の姑からは金持ちと結婚して往生際が悪いとか言われてたからなあ。何か不満を言っていたんだろうなあ)
「私と結婚するのは嫌?」
ヘッダの言葉に現実の世界に引き戻されたハンスであった。
「嫌と言うよりは自信が無いなあ。姉さんを支える事が出来るとは思えんよ。弟として甘えてばかりだもん」
これはハンスの本音である。相手は「帝国一の若手女優」で年数が過ぎれば「若手」が取れて「帝国一の女優」になるのは間違いない。もしかしたら「帝国」から「宇宙」に変わる可能性のある女性である。
「本当に男って、下らない事に拘るのね。貴方は自分の価値を判ってないわ!」
「まあ、男性と女性では価値観とか美的感覚が違いますからね。同盟にいた時に可愛い女の子を紹介してあげると同僚の女の子に言われたけど可愛いかった試しがなかったけどね」
これにはヘッダも苦笑するしかなかった。
「まあ、貴方は色んな意味で有望株なんだけどね」
「いつ戦死するか分からん軍人とか有望株とは思えんけどね」
「もう、直ぐに職業とかを考えるんだから!」
「取り敢えずは有望株の価値としては朝食は期待して貰ってもいいけどね」
「貴方、本当に軍人に向いてないわね。コックが天職よ」
「最初は軍務省の士官食堂の下働きを狙っていたんだけどなあ。何処をどうを間違えたのか」
「まあ、十代で少佐さんだからね。軍人さんの才能があったんでしょうけど……」
(それはカンニングの結果なんだけどね)
実際に口に出したのは別の事だった。
「まあ、平和になれば最初にリストラされるけどね」
「そうなれば、私専属のボディーガード兼付き人として雇ってあげるわ」
「その時は頼みます」
結局、二人は前日と同じく朝風呂を堪能した後に港に朝食を摂りに出掛ける。
「今日は準備してきたから期待してね」
「何を準備してきたかは知らないけど楽しみね。私も今日は準備してきたからね」
ハンスは港に着くなり生きた魚を買うと持参してきたナイフで魚を捌き始めた。
器用に魚を捌き、一口サイズに切り塩とレモン汁を掛けてヘッダに勧める。
「新鮮な白身魚なら生でも塩とレモン汁だけで十分に美味しいけど、帝国人は生魚を食べる習慣が無いからなあ」
「まあ、帝国では生魚はあまり食べないけど……」
ヘッダも幼少の頃に帝国に亡命しているので生魚には抵抗があるのだが、取り敢えずハンスに勧められて一切れだけ食べてみる。
「あら、美味しい!ビールが欲しくなるわね」
ハンスは残った魚の皮や鱗に内臓も調理してきた。
皮はお湯を掛けて前日の魚の串焼きの串に刺して炙る。内臓は水道で丁寧に洗い屋台のサラダの具にする。鱗は屋台のフライヤーを借りて揚げて塩を降る。頭の部分は真ん中から半分に切りお湯を掛けて洗った後に串焼きにする。
「貴方、本当に軍人を辞めてコックになった方が社会に貢献が出来るわよ」
「平和になったら、コックになる予定だけどね」
ヘッダが呆れたのは今日の調理で使った器具は前日の魚の串焼きの串にホテルの使い捨ての歯ブラシに来る時に利用した宇宙船の機内食の使い捨てのフォークである。
「貴方の同盟での生活が簡単に想像が出来たわ」
「そんな事より、まずは食べてみてよ」
ハンスにフライヤーやコンロを貸した屋台の店主達も味見をしている。
「この商売を長年しているが、こんな魚の食べ方もあったんだな!」
「坊や。今日の分の代金はサービスするからレシピを教えてくれないか?」
「いいですよ。簡単ですから」
ハンスは屋台の店主達を相手に即席の料理教室を始めだした。
(美味しいわね。軍人を辞めてコックになるなら店くらいは持たしてあげるのに)
別にヘッダだけの話ではないが家族が戦乱の時代の軍人など歓迎する人はいないだろう。
(ドルニエ侯の娘も頭痛の種だけど、軍隊にいる事も頭痛の種よね)
気が付けば料理は完食してビールは飲み干していた。新しいビールを買いに行こうとしたらハンスが声を掛けてきた。
「朝からビールのお代わりしたら駄目だよ。代わりに新しい料理だよ」
ハンスが目の前にスープパスタを差し出してきた。
「あれ、さっきとは違う料理じゃない」
「同じ作るなら違う料理じゃないと芸が無いだろ」
弟の器用さに感心しながらもフォークを手にする。
「パスタだけどパスタじゃない!」
「魚をミンチにして練り上げて作ったパスタだよ。スープは魚の中骨と骨の間の肉で作っているよ」
「これも、美味しいわ!」
「先に言っておくけど、オーディンじゃ作れないからね。新鮮な魚が前提の料理だから」
「それは残念ね」
パスタを食べた後は二人は授業料の代わりに昨日と同様に屋台の食べ物を食べ歩いた。
「明日が楽しみね。屋台のおじさん達の新しい料理が食べれるかも」
ヘッダの言葉にハンスが笑いながら返答する。
「流石に今日、明日では無理だよ」
「それなら、帰る日の朝の楽しみにしましょう」
二人は朝食を食べた後は食後の運動を兼ねて海岸を散歩する。
「ヴィーンゴールヴの海岸、散歩するハンス、ヘッダの二人連れ」
いきなりハンスが歌を唄い出す。完全な呆れ顔のヘッダにハンスも弁明する。
「分かる人には分かるギャグだよ」
「……何それ?」
多分、読者にも分かる人が少ないギャグにヘッダも困惑する。
「それより、磯がある。何かいるかも」
二人は磯に上がり小さな蟹を見つけては捕まえて遊ぶ。
「われ、泣きぬれて蟹とたわむる」
「今度は何?」
「昔の高名な詩人の詩の一節だよ」
(変な知識や学があったりするわ。この子、本当に15歳かしら?)
内心とは別にヘッダも両手の鋏を上げて威嚇する蟹を指先で突っついて遊んでいる。
「逃げずに向かってくるとは勇ましいわね」
ヘッダが蟹に夢中になっているとハンスが磯の岩を見てナイフで何か始めている。
「何をしてるの?」
「ペレセベス(亀の手)がいたから取っている。帝国人はペレセベスを食べないのかな?」
「それ、食べれるの?」
「珍味だよ。美味しいよ!」
ハンスがナイフで取っている間にヘッダが探し回り、小一時間程でレジ袋二枚分を集めた。
「仕方ないけど、ホテルのレストランに持ち込むか」
「レストランで料理してくれるかしら?」
「駄目なら、鍋だけを借りても自分で調理するさ。それが駄目なら方法は他にもあるよ」
ヘッダは他の方法が気になったが精神衛生のために聞かない事にした。
「善は急げと言うからホテルに帰ろ」
ハンスの心配は杞憂であった。シェフはペレセベスの事を知っていた。
「帝国でも海の多い星では食べますがオーディンや貴族の方は食べませんね。見た目が見た目ですから」
「勿体ない。美味しいのに」
「で、全部、塩茹にしますか?」
「一袋分は塩茹にして残りの半分はシェフにお任せします。残りの半分はお弟子さん達の教材にして下さい」
「ご配慮有り難うございます。この星では滅多にない機会ですので良い経験を積ませる事が出来ます」
ハンスの傍らでシェフとハンスの会話を聞いていたヘッダが初めて口を開いた。
「本当に食べれるんだ!」
「オーディン育ちのフロイラインが知らないのは無理もありません」
ヘッダは口には出さないが内心は本当に美味しいのか疑っていた。
(本当に美味しいなら貴族も食べると思うけど、大丈夫かしら)
ヘッダの懸念は見事に外れた。結果としてペレセベスは美味であった。
「あら、本当に美味しいわね。蟹や海老などの甲殻類とも違う味で貝とも違うわ」
「食べた殻の中の汁が美味しいスープなんだよ」
ハンスに言われてヘッダも殻の中の汁を飲むと凝縮した旨味が口内に拡がる。
「ほんの少しの量なのに凄く美味しいわ!」
塩茹でしたペレセベスを食べた後は塩茹でした汁で作ったシチューが出された。
「塩茹でした汁に野菜を入れただけなのに、こんなに素晴らしい味のシチューが出来るなんて!」
最後は焼いたペレセベスが出された。
「塩茹でより、味が凝縮されて美味しいわ!」
「まあ、焼くとシチューが楽しめなくなるけどね」
「ねえ、ハンス」
「何、姉さん?」
「結婚して!」
「えっ!」
「私と結婚して毎日料理だけして頂戴!」
「あんたは、弟を専用のコックにして飼い殺すつもりか!」
「なら、私と結婚しなくてもいいから私の専属シェフになって!」
ハンスも怒るより呆れている。
「同じ事でしょ」
しかし、その夜には蟹を取りに港まで出掛けるハンスであった。ヴィーンゴールヴの豊かな食材に料理人志望の血が騒ぎ料理を楽しんでいた。
翌日からハンスはホテルから一歩も出ずに食事もルームサービスですませる事にした。四六時中、ヘッダから抱きつかれたり隙を見てはキスされたりと姉馬鹿ぶりを発揮される事になるが、これも姉孝行だと思い姉の好きにさせる事にした。
(まあ、この程度なら良いか。確か、今日あたりキルヒアイス中佐は麻薬組織の襲撃を受けてるもんな)
後世、クロイツナハⅢでキルヒアイスが麻薬捜査に協力した事実は有名であったが詳細は不詳のままであった。
(今回の件と合わせてキルヒアイス中佐に詳しい話が聞けるな)
塩茹でされた蟹と格闘中の姉を眺めながらハンスは初めての旅行を楽しんでいた。