銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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播種

 

 ハンスは喉の痛みと息苦しさで目が覚めた。

 

「く、苦しい!」

 

 背中から抱き付いているヘッダの腕がハンスの喉に巻き付いて喉を圧迫している。

 

「チョーク!チョーク!」

 

 朝は低血圧で動かない体に鞭打って、ヘッダの足に渾身の蹴りを入れてヘッダを起こす。

 

(痴情の縺れで女に刺されて死ぬなら本望だが、寝相の悪さで殺されるのは嫌だぞ!)

 

 世の中、戦場だけでなく日常にも危険はあるものである。

 

 

「もう、何時までも膨れっ面をしないの」

 

「二度目は無いからね。次に同じ事したら、もう一緒に寝ないから!」

 

「はい、反省してます」

 

 二人ともお互いの言葉を全く信用していない。これも一種の社交辞令である。

 二人は思わぬ早起きをしたので港まで散歩を兼ねて朝食を摂りに行く事にした。

 

「港で観光客相手に新鮮な魚の屋台が出ているらしいけど、楽しみだなぁ」

 

「そうね。オーディンの屋台とは違うでしょうから面白そうね」

 

 逆行前の世界では海で釣りをして糊口を凌いだ事もあるが、新鮮な魚は簡単な調理でも極上の味なのである。ハンスとしたら嬉しくて仕方がない。

 

「早く行こう!直ぐに行こう!」

 

「もう、慌てなくても屋台は逃げません!」

 

 ヘッダも内心は朝から港まで行くのは面倒だと思っていたが弟が珍しく喜んでるので呆れながらも行く事にした。

 結果として、屋台の食事は素晴らしく美味であった。

 

「この小魚のアイントプフ(ドイツ風スープ)はオーディンのレストランでも食べれない味だわ」

 

「ホイル焼きの魚はオーディンにはあるけど魚の串焼きはオーディンでは無いよね」

 

「この魚のハンバーガーも美味しいわ」

 

 欠食児童と化した二人は屋台の人達も驚く程に手当たり次第に食べ歩く。

 

「明日から朝食はホテルではなく港で食べましょう」

 

「そうだね」

 

 ヘッダも気に入った様である。ホテルでの朝食より料金も安く、魚が主体の食事は女性として色々とありがたい。

 二人して満腹になった腹を擦りながらホテルに帰るとロビーでラングと出会った。

 

「お久しぶりです。局長さん!」

 

「これは、フロイラインも美しくなって、お元気そうで何よりです」

 

 ヘッダもラングとは旧知の仲である。

 

「局長、今回は手間を掛けさせて申し訳ありません」

 

「そんな事はありません。それに二人が姉弟の養子縁組をして幸せそうな姿を見る事も出来ました」

 

 ラングの言葉に嘘は無く目に涙を浮かべて二人を祝福していた。

 

 現在も後世でもラングは秘密警察の長官として嫌われているが、ラング自身は帝国の官僚としては珍しく清廉潔白であり、無辜の一般人には寛容な人物でもある。下級官吏時代から匿名で育英事業や福祉施設に送金していた篤志家の顔を持つ善良な人間でもある。

 

「こんな場所で立ち話ではなく部屋でコーヒーでも飲みながらゆっくりと話をしましょう」

 

 ヘッダの提案にハンスも賛同した。ラングの報告内容は衆人環視の中で聞けるものでないからである。

 部屋までの道中でのヘッダとラングの二人の会話は日常的な平和のものである。二人の会話を聞いて、ハンスはラングにも死んで欲しくなかった。秘密警察の長官としては嫌われているが役職で汚れ役を行っているだけでロイエンタールやラインハルトよりも善良な人間なのだから。 

 

「フロイラインには過分なご配慮を頂き部下一同を代表し御礼申し上げます」

 

 部屋に入り席に着くなりラングが礼を言い始めた。

 ヘッダが昨日のうちに警察署に朝食のケータリングサービスを頼んでいた。裏方の人間に対する配慮を欠かさないのは流石に一流女優である。

 

「遠い所まで来て、頑張って頂いて貰っているんですもの。当然ですわ」

 

「その言葉だけでも部下は喜びます」

 

「それで、連中を叩いたら何が出ましたか?」

 

 ハンスが本来の話に軌道修正する。

 

「今までに数十件の犯罪の揉み消しがありました。宰相閣下からは連中の資産から適正な賠償金を被害者に払う様にとの指示もうけています」

 

「残りの資産は?」

 

「当然、全て没収して国庫に入ります。そして、連中が経営していた会社も国営になります」

 

「連中は?」

 

「オーディンで詳しく調べた後は死罪でしょう。望み薄ですが良くて自裁ですな」

 

「妥当な処置でしょうね」

 

「宰相閣下も最近の門閥貴族の横暴さには頭を痛めてる御様子ですから、今回の件が一罰百戒になるのではと期待をしてます」

 

「宰相閣下も苦労されてますね」

 

 いつの間に部屋から姿を消していたヘッダが部屋に戻ってきた。

 

「局長さん、お風呂の準備が出来ましたわ。昨日からシャワーを浴びる時間もなかったのでしょう。ハンスは局長さんの背中を流して差し上げて」

 

「これは有難い。では遠慮なく」

 

 ラングが了承したのでハンスも黙って従い風呂に入る準備をする。

 

 

「しかし、フロイラインは聡明ですなあ」

 

「はい。自分には勿体ない姉です」

 

 二人はキングサイズのベッド並みの広さのバスタブに浸かりながら会話をしている。

 

「それに、このバスルームは立派ですなあ。一面がガラス張りで海を眺められる」

 

「それに、新婚夫婦用の部屋ですから防音設備も完璧です。姉の前で出来ない話も出来ますよ」

 

 ヘッダが風呂を用意したのは自分抜きでハンスとラングに話をさせる為である。

 一般人である自分には聞かせられない話がある事をヘッダは理解していた。

 

「それでは詳しい話をしましょう。この星で連中はサイオキシン麻薬を製造していました」

 

「な、サイオキシン麻薬!」

 

 ラングがヘッダの前で話さない筈である。ヘッダの父はサイオキシン麻薬の捜査をしていて、逆に麻薬組織に国を追われて帝国に亡命したのである。

 

「そうです。連中の会社は魚の養殖をしていますが稚魚に与える餌の開発と製造もしていました」

 

「では、その施設でサイオキシン麻薬の製造もしていたのですか?」

 

「はい。連中はそれぞれの施設でサイオキシン麻薬の原料を製造して出荷直前にそれぞれの施設で製造した原料を合成して出荷してましたから従業員も一部の者だけしか知らないそうです」

 

「局長、実は前から気になっていたのですが、同盟もサイオキシン麻薬は流通していましたが帝国の方が流通量は多い様に思えます。帝国には他にも貴族絡みの工場があるのでは?」

 

「その事は、以前から司法関係者の間で言われている事です。しかし、貴族相手では踏み込めないのが現状なのです」

 

「それと、軍部も縄張り意識があり手が出せないと」

 

 ハンスの言葉にラングの表情が一瞬だけ固まる。

 

「局長、そんな表情をしなくても大丈夫です。私は亡命者で軍とのしがらみも少ないですし、姉はサイオキシン麻薬を憎んでいますから人選としては正解だと思います」

 

 ラングの狙いは軍部に自分の味方を増やす事であった。そして、白羽の矢が立ったのがハンスである。

 ハンスは全てを承知して言外にラングに協力すると言っているのである。

 

「恐ろしい程の見識ですな。しかし、少佐が味方になってくれるのは心強い!」

 

「まあ、自分程度では微力ですけどね」

 

「謙遜する必要はありません。現に少佐の活躍で麻薬組織の工場を一つ潰せました」

 

「まあ、今回のは偶然ですがサイオキシン麻薬は軍内部でも深刻なので捜査をしてますけど、成果は出てないみたいです」

 

「ええ、我々の見解では、一つの組織ではなく複数の組織が軍内部に入り込んでいると見ています」

 

「麻薬組織同士の繋がりは無いのでしょうか?」

 

「恐らくは無いと思われますな」

 

「軍内部の流通もですがオーディンに持ち込まれる麻薬の流通経路は軍だけとは思えないのですが?」

 

「流通経路ですか?」

 

「はい。自分が同盟に居た時に地球教という宗教が在りましたが帝国にも在りましたので驚いたのですが考えてみれば宗教なら銀河系中に流通経路を持っていても不思議ではありません」

 

「なるほど、宗教ですか」

 

「歴史的に見て宗教と麻薬は密接な関係がありますからね。流石に上から下まで全員が麻薬を扱っているとは思いませんが知らないうちに運び屋にされてる場合もあるでしょう」

 

 ハンスの言葉は嘘ではなく、古代より宗教儀式に薬物が使われる事は多く特にアヘンは医薬品としても使われていた。

 

「地球教でしたな。調べてみる価値はありそうですな」

 

「まあ、かなり内部に入り込まないと難しいでしょうけど」

 

「その辺は我々はプロですから任せて下さい」

 

「では、自分は軍内部の麻薬組織に注意を払いましょう」

 

「あまり無理をする必要はありませんから、まずは自分の身の安全に念頭に置いて下さい。決してフロイラインを悲しませないで下さい」

 

「はい。自分も戦場で後ろから撃たれたくありませんから」

 

 ハンスは以前から対処に困っていた地球教に帝国司法の目を向けさせる事に、まんまと成功させた。

 

(まあ、結果が出る迄に数年は掛かるだろうけど、疑惑の種は蒔いた。今は治安維持局の目を向けさせる事に成功した事に満足するべきだろうな)

 

 ハンスとラングは密談も終わり大急ぎで風呂を出る事にした。話が長引き流石に湯に浸かるのは限界を迎えていたからである。

 

「駄目だ。こりゃ!」

 

 ラングが帰った後にソファーで全裸で酒に酔った猫の様に寝そべる弟をレターセットの便箋で扇ぎながらの姉の一言である。

 

「湯に浸かりながら長話をするからよ。バスタブから出ても話は出来るでしょうに!」

 

「面目ありません。もう厄介事は有りませんから明日からは姉上様の命令に服従しますから」

 

「明日からじゃなく今日からよ!」

 

「はい」

 

 こうしてハンスは残りの休暇を姉孝行に使う事になる。

 

 


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