ハンスと講師陣は嵐が過ぎ去るのを耐え忍びながら待っている。
嵐の名前はヘッダである。
ラインハルトが届けてくれたブランデーの逸品を講習の最終日にヘッダが帰った後に全員で飲もうと講師陣とハンスで画策していたが当日に不自然な態度に演技のプロであるヘッダに看破されてしまった。
更に不味い事に講師陣が小娘と侮って下手な嘘の言い訳をするが、ヘッダにことごとく看破されてしまい怒りに油を注ぐ結果になってしまった。
「貴方達は何を考えているんです!帝国軍の士官たる者が入院中の未成年と病院内で勤務時間中に酒盛りを計画するとは!」
講師陣もハンスも反論すら出来ない。出来ても火に油ではなくロケット燃料を注ぐ事になるだけである。
ヘッダの倍以上の年齢の士官達が自分の娘と変わらぬ年齢の娘に説教されている光景は見物である。
結局は騒ぎを聞きつけた看護婦が間に入りヘッダを説得して解放されたのであった。そして、当然の如くブランデーはヘッダに没収されてしまった。
(夢も希望も無くなってしまった)
義理の姉とは言え、本来は娘ではなく孫と言える年齢のヘッダに頭が上がらないハンスは凡人以下なのかもしれない。
「しかし、あんたも誰に似て酒好きなのかしらね?」
ハンスは無言でヘッダを指差す。
「そうか!軍隊だと周囲が酒好きばかりだからね!」
逆行前の世界でハンスは酒を飲む時は冬にワインのお湯割りを寒さ対策で朝と就寝前に一杯しか飲まなかった。それで満足もしていたのでヘッダの影響も嘘ではない。
「まあ、別にいいけど、それよりも入院も長くない?」
「そ、そうかしら?」
(舞台を降りたら大根だな)
ヘッダの不自然な態度にハンスも気が付いた。
「何か知っているだろ!」
「し、知らないわよ!」
ヘッダの余りにも下手な演技に呆れながらハンスは伝家宝刀を抜いた。
「後でバレたら官舎で暮らすよ」
「ごめんなさい!」
ヘッダはあっさりと全面降伏をした。
「何をした?」
「その、初日に私とマリーで抱きついたのが影響してヒビから骨折にレベルアップしました」
「……仕方ない」
「あら、怒らないの?」
「だから、仕方ないと言っているだろう。二人とも僕の事を心配しての事だから」
ヘッダは感心した様子である。
「あなた、本当に優しい子よね」
「でも、二度目は無いからね」
「はい」
(まあ、入院が長くなったお陰でフロイライン・ドルニエと仲良くなれたし考え事も落ち着いて出来たわ)
「しかし、早く帰って姉さんと一緒にのんびりしたいね」
半分はリップサービスで半分は本音である。ハンス自身も驚いているが、ヘッダとの暮らしが懐かしい。逆行前では気軽な独り暮らしが気に入っていた自分がヘッダとの暮らしを懐かしむとは、ヘッダが結婚する時が怖いくらいである。
「そうね。私も寂しいわ」
「お互い一生独身で二人で死ぬまで暮らす?」
ハンスが本気半分と冗談半分で言ってみる。
「それもいいかもね」
ヘッダの返答にハンスは驚いた。
「結婚する気は無いの?」
「そうね。貴方が一生側に居てくれるなら結婚しなくていいわ」
「赤ちゃんは欲しくないの?」
「既に大きい赤ちゃんが、ここにいるから」
「……あっ、そう」
(今は恋愛や結婚より仕事に関心があるのか。ラインハルトと同じだな)
ハンスからヘッダと同類扱いされたラインハルトの腹心が見舞いに来訪して来た。
「大尉、元気そうで何よりです。遅くなりましたが」
キルヒアイスが入院してから初めて見舞いにやって来た。
「中佐も忙しいでしょうに有り難う御座います」
「いえ、こちらこそ、来るのが遅くなりました」
「そうだ、姉さん。キルヒアイス中佐はホットチョコレートが好きなんだが、ちょっと買ってきて」
ハンスはヘッダに言外に席を外す事を要求する。ヘッダもハンスの意図を読み取る。
「ホットチョコレートね。ついでに菓子も買ってきましょう」
ヘッダが病室を出たのを確認するとハンスが口を開く。
「何があったのです?」
キルヒアイスが沈痛な表情で返答する。
「閣下が大尉に顔向けが出来ないと言って私を寄越しました。大尉が危惧していた事が起こりました」
ハンスは大きく深呼吸を二度してキルヒアイスに詳細を尋ねる。
「規模は?」
「犠牲者は二人です。15歳と10歳の姉弟です」
ハンスの表情も固まる。
「それは閣下も心痛でしょうに」
「事前に大尉から指摘されていたのに申し訳が無いと言っています」
「犯人達は?」
「騒ぎを知って駆け付けた将官に、即時、射殺されました」
「将官の名前は?」
「ミッターマイヤー少将です」
「……そうですか。閣下は成すべき事をしました。閣下が責任を感じる必要は無いとお伝え下さい」
「分かりました。そう伝えましょう」
「それから、ミッターマイヤー少将に圧力が掛からない様に閣下に配慮をお願いします」
「それは安心して下さい。既に事は済みました」
「そうですか」
キルヒアイスはヘッダの帰りを待つ事なく辞去した。ラインハルトにハンスが怒っていない事を一刻も早く伝えたいらしい。
ハンスも引き止めなかった。一人で考える時間が欲しかった為である。
(まあ、歴史通りに事が運んだようだ。双璧の二人が陣営に入った事は心強い)
ここまで思考を進めてもハンスの心は晴れない。
(犠牲者が出てしまった。犠牲者を無くす事は無理なんだろうけど)
本来の歴史より犠牲者を少なくして双璧を得られたと言えるのだが、それでは帝国のドライアイスの剣と呼ばれたオーベルシュタインと同じ道を歩む事になる。
ハンスはオーベルシュタインを尊敬もして評価もしているがハンスには民間人を犠牲にする事が出来ない。
オーベルシュタインは目的の為なら兵も民間人も自分自身も平等に犠牲に出来る。
(真似は出来んな。真似もしたくないが)
ヘッダが病室に入った時にハンスの憮然とした表情に驚く事になる。
ハンスから直接に事情を聞いて納得したヘッダであったがハンスの優しさに安心すると同時にラインハルトに責任が無い事を理解していてもラインハルトを恨めしく思えるのだった。
ヘッダから恨まれてしまったラインハルトも気分は晴れてなかった。
ロイエンタールとミッターマイヤーの二人の有能な提督を手に入れたが代償が大き過ぎた。
犠牲になった二人がアンネローゼと自分に重なってしまったからである。
「ラインハルト様、お気にするなとは言いません。むしろ忘れないで下さい。しかし、同じ悲劇を繰り返さない為に前をお向き下さい!」
ラインハルトもキルヒアイスに言われて気を取り直す。
「そうだな。俺もハンスも皇帝も成すべき事は成したのだからな。同じ悲劇が繰り返さない様にしよう」
「ご立派です。ラインハルト様」
「しかし、ハンスは不思議な奴だな。変にセコいと思えば自分の損得にならない事で落ち込み、危険な事でも平気な顔で行う」
キルヒアイスもラインハルトと同意見であった。
ハンスは自他共に認める凡人である。おそらくは本当に善良な凡人であるのだろうが、善良さが桁違いなのではないのかと思える。善良さ故に権力者が見落とす人々を見落とさないのではと思える。
「ハンスも色々な意味で得難い人材だな」
「しかし、本人は平和になれば軍を辞めるつもりです」
「あいつの才幹は平和な時にも役に立つ。辞めさせない様にするしかないな」
「その為には姉君という難敵が存在しますが」
ラインハルトが本気で嫌な顔をする。
「キルヒアイスに任せても大丈夫か?」
「それはお断りします。私が太刀打ち出来る相手ではありません。姉という存在ならラインハルト様の方が慣れていらっしゃいます」
途端にラインハルトが帝国軍大将とは言えない情けない声を出す。
「キルヒアイス」
ラインハルトもキルヒアイスもヘッダが本心ではハンスに軍を辞めて欲しいと思っている事を看破している。
ヤン・ウェンリーが数ある事象を予測していながら権限が伴わずに対処が出来なかった事と別次元でラインハルトとキルヒアイスもヘッダという存在に対処が出来ないでいた。
同盟末期の鉄灰色の髪をした三人の姉がいる提督に言わせれば「姉に逆らう事など考えるだけ無駄!」と言った事であろう。
将来的に軍を辞めてレストランの店主を夢みるハンスは知らぬ所で姉ヘッダに守られていた。