その日、ケスラーは地球教に破壊されたローフテン地区の復興の視察を終えた後、昼食を兼ねて復興後の状況を市民目線で知る為にハンスの店に向かう地上車の中にいた。
ケスラーが車内から復興後の地区の様子を観察していると1人の女性が交差点の中央で行き交うトラックに怯えながら立ちすくんでいた。
服装から帝国の地方出身者と判断が出来たがローフテン地区は工業区であり観光客が訪れる場所ではない。
「閣下。危ないですぞ」
同乗していた副官のヴェルナーも気が付いた様である。艦隊司令官時代からの副官だが優しい為人は変わらない男である。
「ふむ、確かに危ない。あの、女性を同乗させてやってやれ」
ヴェルナーが運転手に命じて女性の前に地上車を停車させて女性を同乗させた。
この当時、帝国軍は軍律が厳しく民間人に害を加える事は無かったので女性も安心して地上車に同乗した。
「フラウ、この地区は工業地区で復興して間がなく交通量も多い気をつけた方が良い。近くに用事があるなら送り届けましょう」
「私は子供の頃にローフテンに住んでいました。その時の家を探してます」
「差し支えが無ければ詳しい住所を教えて頂けますか?」
帝国の地方出身者特有の発音で、帝国標準語を話す女性の背後に事情がある事を悟ったケスラーが女性に詳しい住所を聞いた。
「ローフテン地区しか覚えてないのです。私の記憶には、あんな大きいタンクは無かったのです」
「ローフテン地区は三十年前から工業地区として再開発された地区です。あのタンクも地球教団のテロで破壊されたタンクを再建したものです」
「そうですか」
ヴェルナーが気の毒そうに女性に説明する。女性の記憶が正しければ三十年前以上の話になる。恐らくは工業地区として再開発以前の記憶なのだろう。
明らかに落胆する女性を見てケスラーも気の毒に思った。
「フラウ。宜しければ、これからランチも如何ですか。これから行くレストランの主人なら力になれなくとも、知恵は貸してくれるかもしれません」
ケスラーの言葉に内心は呆れるヴェルナーであった。ハンスは色々と機転の効く人物である事は副官も承知していたが流石に無理というものである。
ケスラーの狙いは気落ちした女性にハンスの料理を食べさせたら、幾分は気分が晴れるのではと考えもあった。
(ミューゼル元帥の料理が素晴らしいと言われても限界があるでしょうに)
ヴェルナーの予想は二重に外れる事になるのであった。
「本当に美味しいですわ。フェザーンの料理なのに懐かしい味がします」
「喜んで頂いて誘った甲斐がありました」
副官はケスラーと女性の会話を聞いて内心は驚いていた。車内では落胆していた女性が愁眉を開いたのである。
「お久しぶりです。ケスラー総監」
「此方こそ、ご無沙汰でした」
「フラウも如何でしたでしょうか」
「とても懐かしい味でしたわ」
ハンスも女性の感想を聞くと懐かしそうな顔で旧同盟標準語で語り掛けた。
「帝国の方と思い込んでいましたが、同盟出身の方でしたか」
「いえ、私は母が同盟出身でフェザーン出身の帝国育ちです」
たどたどしい旧同盟標準語での返答にハンスの顔色が一瞬に変わる。
ハンスは帝国語に変えて女性に語り掛けた。
「フラウ。立ち入る事を聞きますが、フラウはカプチェランカ残留孤児の方ですか?」
「はい。私は同盟名はナターシャといいます。今回は生き別れになった父を探しに来ました。父はカプチェランカの鉱山労働者でした」
「そうでしたか。これは失礼しました。滞在期間中は遠慮なく来店されて下さい」
ナターシャも旧同盟標準語よりは少し流暢な帝国標準語で自身の生い立ちを話した。
二人の会話にケスラーとヴェルナーは困惑した顔になる。
「その、無学なのでカプチェランカ残留孤児とは何でしょうか?」
ケスラーとヴェルナーで無言の会話の末にヴェルナーが代表してハンスに質問する。
「少し長くなるが時間は良いか?」
「構いません。憲兵総監として知らない業務に差し支えがあります」
ハンスの話は第二次ティアマト会戦の直後から始まった。第二次ティアマト会戦で多くの士官や将官を失った帝国軍はイゼルローン要塞の建設に着手する。
イゼルローン要塞建設の間は帝国軍も小規模の小競合いのみで大規模な軍事行動は行えなかった。
「第二次ティアマト会戦での人材の損失の回復に10年の歳月を必要としたが、宿敵のブルース・アッシュビーは戦死させて人材回復もしたが、730年マフィアは健在であったからな。そりゃ、復讐心はあるが手を出せんよ」
730年マフィアで最後まで軍に留まったフレデリック・ジャスパーが退役するのと同時に帝国軍は積極的に同盟に侵攻を始める。
そして、最初に標的にされたのがカプチェランカであった。
当時、イゼルローン要塞は外壁や軍事施設は完成していたが、その他の施設は完成していなかったのである。帝国軍としては本国より必要な資材を輸送するよりはカプチェランカを奪取して予算と時間の節約を目論むの当然の選択であった。
一方で同盟側は第二次ティアマト会戦以降は帝国軍の大規模な進攻もなく油断があったと言えた。
しかし、長年争奪戦が行われた最前線の地に誰も行きたがらないのは当然であった。
それでも、軍人なら命令として派遣する事が出来たが問題は民間人であった。採掘作業の全てを軍人が行う事は人員的にも技術的にも不可能であった。
当時の同盟政府は民間から厚待遇と安全を条件に採掘作業者を募集したのである。
遠くフェザーンから応募した人達も少なくはなかった。
そして、帝国軍の襲来は完全に油断していた軍上層部の醜態を晒す事になった。
同盟軍が近隣の警備艦隊を救援艦隊としてカプチェランカに派遣した時には衛星軌道上に帝国軍の一個艦隊が準備万端に展開していたのである。
満を持して進攻して来た帝国艦隊と治安維持を任務にしていた警備艦隊とでは数と質に大差があった。
「結局はカプチェランカの駐在軍と民間人の大半が犠牲になったそうだ」
「その後、軍人は別にしても民間人はどうなりました?」
副官の質問にハンスの返答は歯切れが悪かった。
「それが、よく分からんのだ。帝国軍にしたら軍だけが相手なら恥ずべき事は無いのだが、民間人、特に採掘作業者の家族も巻き込んだ事で現場では隠蔽が行われたらしい」
当時の帝国軍にしたら無理も無い話である。第二ティアマト会戦で身内を亡くした者も多く復讐心に動かされた結果が学齢前の子供まで犠牲にしたのである。
「同盟政府も時の評議会議長と国防委員長に統合作戦本部長と宇宙艦隊司令長官が引責辞任したが、次の評議会議長と国防委員長も一年程で別件の汚職事件で辞める事になった」
その後は細々とフェザーン経由で交渉と公開捜索が行われたが、結果として家族を置き去りにした罪悪感からか同盟側の人の数は多くなかった。
「自分が同盟に居た頃は、年に一度のペースで公開捜索がされていた筈だが」
(アスターテ会戦以降は同盟政府も公開捜索をする余力も無くなっていたけどな)
この様な所にも自身が変えた歴史の影響があったが、それが良い事か悪い事かは、ハンスには分からなかった。
「私の滞在期間は二週間しかありません。その間に父を見つけたいのです」
残留孤児達も既に家庭を持つ年齢になっている。生き別れになった家族の高齢化が進み、時間が無いのは滞在期間だけでない。
「ふむ。それで、四十年前の事を知っている人の心当たりがないか、自分の聞きに来たわけですか」
ハンスは前王朝時代にフェザーンで行政官の引抜きをしていた事がある。その中にカプチェランカへの応募を担当した人間がいる可能性を考えてケスラーはナターシャををハンスに引合せたのだ。
(総監閣下も計算高い)
ヴェルナーは自分の上司の良く言えば深慮望遠、悪く言えば狡猾さに内心は苦笑した。
「軍務尚書の所に行けば当時のリストはあると思う。軍務尚書の事だから素直にリストを渡すとも限らん。陛下に私が手紙を書くので総監は、ちょっと待ていて欲しい。副官殿は先にフラウを宿舎まで送ってくれ」
ヴェルナーがナターシャと店を出ると、その場にはケスラーとハンスが残った。
「総監。覚悟はあるんですか?」
ハンスはケスラーの思惑を看破していながらケスラーの策に乗っていたのだ。
「覚悟とは?」
「惚けたら駄目ですよ。この種の人探しで相手を見つけても、生き別れた子供の事は忘れて新しい家族を持っている場合もあるんですよ」
「……」
この辺りまで考えが及ぶのはケスラーとハンスの人生経験の違いである。
(そういえば、この男もアムリツッア会戦の前哨戦の時に親類と生き別れになっていたんだよなあ)
内心ではケスラーがナターシャに肩入れする理由に思い当たりながら別の事を口にする。
「まあ。取り敢えず彼女には見張りを付けろ。名乗りをあげなくとも、一目だけでもと思い父親が宿舎に見に来るかもしれん」
「分かりました。今夜にも部下に指示を出します」
ケスラーにすると犯罪捜査と別で、不慣れな尋ね人探しとなるとハンスは心強い味方になる。
「それと、陛下には後で自分から話を通しておくから、明日から卿はフラウと父親探しをすれば良い」
この時、ハンスもケスラーも尋ね人とは違う葛藤を経験するとは予想もしていなかった。