ハンスは冬バラ園の勅令の直後に帝国から随行して来た行政官達からハイネセンの統治について質問責めにされていた。
「昔から何だが、企業の天下りを大学の教員として就職させる見返りに卒業生を企業に就職させる事が習慣化しているのだ」
「その様な風習が同盟には存在していたのですか!」
「帝国の大学には無い風習なのか?」
「はい。帝国では明文化してませんが教育者の家庭に生まれた者が教育者になります」
大学等と縁の無い人生を送ったハンスには新鮮な驚きである。
この様に同盟の社会的風習や明文化されない社会常識をレクチャーするハンスである。
その一方で、ロイエンタールの下で幕僚総監としてロイエンタールを補佐もするのである。
「給料に色を付けてくれ!」と言いたいが新領土総督がキルヒアイスなので言えないハンスである。
三月に入りフェザーンに帰国する準備を始めた時に、エル・ファシルからハンス宛に通信が入るのであった。
「誰かと思えばキャゼルヌ中将ですか」
「ご無沙汰してます。元帥閣下」
「あの件ですね」
キャゼルヌからの要件と言えば一つしかない。
「何時かの借りを利息を付けて返して貰うつもりですよ」
「キャゼルヌ中将の事ですから、条件等は安心していますけど、一応は使節団の人員を教えて貰えますか?」
キャゼルヌから提示された使節団の人員名簿を見てハンスの顔が曇る。
「キャゼルヌ中将。護衛役が一人なのは問題ですね」
「何か情報でも入りましたか?」
「地球教ですよ。奴らには当方も手を焼いていまして」
「そう言えば、ウルヴァシーに仮皇宮と連中も執拗ですな」
ハンスにしたら地球がヤンを暗殺した記憶が脳裏で警告音を鳴らしている。
「此方が出向けば安全ですが、世の中には体面という存在もありますから」
「分かりました。可能な限り護衛を増やしましょう」
「私が途中まで出迎えに行きますから、途中で他の帝国軍を相手にしないで下さい」
「しかし、此方は閣下の名前をだされたら、私達に選択肢は有りません」
「なら、合言葉を決めましょう」
「合言葉ですか」
確かに古臭い手であるが、有効な手段だとキャゼルヌは感心したが、ハンスのセンスには呆れたのである。
「まあ。二回のテロで構成員も残り少ないと思いますが、連中は死兵となりますので、用心して下さい」
通信が終わるとハンスは事の次第をラインハルトに報告した。
「分かった。フェザーンに居る行政官に用意させておこう」
「陛下には腹案が有るのではないですか?」
「余も卿と同じ考えである。余の子孫が皇帝の責に耐える事の出来る者ばかりではないからな」
「御意」
「それから、エル・ファシルの連中を出迎えに行くならば、艦は良いのがある」
「ご配慮、有り難う御座います」
ハンスは、手持ちの仕事を終わらすと翌週には土産を買いに街に出た。
「フェザーンで買うと高いからねえ」
長年の貧困生活でラインハルト以上に倹約が身に付いている。
後世の歴史家がハンス、ヤン、ラインハルトを語る時に三人の共通した特徴として挙げるのは倹約が身に付いている事である。
実は、この時代の人々は少なからず倹約が身に付いているのである。
長年の戦争で帝国と同盟共に国力が落ちていた為である。
逆に高位高官に登り詰めても贅沢に走らないのがローエングラム王朝初期の特徴でもあった。
とは言え、ハンスの倹約家ぶりは、この時代でも珍しい部類に入ってはいた。
「しかし、ハイネセンも変わったな」
ハンスが知る。この頃のハイネセンは二度の大火により荒れていた。
ハンスは義手義足が健在で瓦礫撤去の日払いの仕事をしていた時期である。
「確か、この角を曲がった所に炊き出しのテントがあったんだよなあ」
あの頃の荒れた面影も殆ど無く不況とは言え財政破綻まではしてはいない現状では、それなりに活気があった。
ハンスはオープンカフェで買い物リストをチェックしながらケーキセットを注文する。
「頼まれた化粧水は買った。パスタも買った。クッキーも買った。他に必要な物があったかな?」
ハンスにしたらハイネセンの地を踏む事は滅多に無い事なのでチャンスは最大限に活かしたい。
ケーキセットを持って来たウェイトレスから見れば妻にお使いを命ぜられた恐妻家に見える。
「あれ、可愛いフォークだな」
ケーキセットのフォークの持ち手の先端がデフォルメされたクマの顔になっている。
「有り難う御座います。お土産用に販売もしてますよ」
「へえ。アイディアだな」
ケーキセットのフォークを帰りに買う事を決めてハンスはケーキを食べる。
「フォークが可愛いとケーキも美味しく感じる」
能天気にオープンカフェの経営戦略に乗りながらケーキを堪能した。
帰りにレジの横に並べられたフォークを物色する。
「クマにネコ、ウサギにキツネとイヌとパンダもある!」
「六本セットも有りますよ。ケースも付いてますよ」
「それじゃ、4セット下さい」
1セットは我が家で使い、残りはシェーンコップ家とヤン家とキャゼルヌ家の土産にするつもりである。帝国でも飾りの付いたフォークはあるが、ハンスにしたら気取った物が多く、動物をデフォルメしたフォークは斬新に見えた。
「良い土産が出来た!」
フォーク如きで喜ぶ事が出来る幸せな男である。しかし、その幸せも軍港に着いた途端に消えたのである。
「此方が陛下から指定された艦になります」
係員がハンスの乗艦を紹介する。軍港には黄金色に輝くオストマルクが鎮座していた。
「何で?」
「陛下が立派な武勲を立てた時の縁起の良い艦だからと言っておられたと聞きました」
帝国ではヴェスターラントの英雄として有名だが、ハイネセンでは殆どの人が知らない。成金趣味と思われて恥ずかしいだけである。
「これ、売りに出した筈だよな」
「買い手が居なかったのでしょう」
「帝国の貴族はフォークにしても趣味が悪いからなあ」
嘆いた自分の言葉が自分の中で腑に落ちない。
(何だ?この感覚は?)
「フォークにしても趣味が悪い?」
ハンスは自分の言葉に自問自答してみると不吉な名前が出てきた。
「アンドリュー・フォーク!」
ハンスの突然の反応に係員も驚く。
「忘れていた!」
(そうだ。ヤン・ウェンリー暗殺の時に奴を捨て駒にして信用を得ていたんだ)
「大至急、発進させる!」
ハンスはオストマルクに乗り込むとアンドリュー・フォークの現状を報告させた。
「閣下が探している人物ですが、現在は生死不明となっています。先月の病院火災にて遺体が発見されてません」
ハンスは報告を受けて事の事情をラインハルトに報告する。
「地球教がエル・ファシルの連中の暗殺に成功したら帝国の信用が無くなります。それだけじゃない。場合によればエル・ファシルと戦争になります。戦争にならなくとも、その後の交渉も此方の手落ちですから大きく譲歩する事になります」
「卿の危惧は当然だな。卿の後にミッターマイヤーの部隊を行かせる。卿はヒューベリオンと合流する様に」
ハンスはラインハルトに報告が終わるとエル・ファシルに連絡を入れる。
「ミューゼル元帥。どうされました?」
画面の内でムライが困惑した表情を見せている。
やはり、エル・ファシルには、フォークの話は届いて無い様子である。
「アンドリュー・フォークが何者かの手引きで病院を脱走してロムスキー医師達を暗殺に動いているんですよ」
「何と!」
「数隻で良い。すぐに護衛をつけるか、呼び戻せ!」
「分かりました!」
「パエッタ提督にはエル・ファシルで待機をお願いします。ここを空にする訳にはいきません」
「了解しました」
「リンツ大佐も部隊を連れてフィッシャー提督と同行してくれ」
「了解しました。私も何人か連れてフィッシャー提督と同行します」
エル・ファシルのムライ達もヒューベリオンに連絡だけでもと通信を試みるが回線が繋がらない。
「何時から繋がらないのか?」
「昨日からです。磁気嵐帯に入った模様です」
通信士官によれば、磁気嵐が発生しやすく珍しい事ではないらしい。
しかし、ムライにはタイミング的にも不安が積もるのである。
そして、エル・ファシルと通信が繋がらない事にビュコックも不安を感じていた。
「閣下。何か御用でしょうか?」
キャゼルヌはビュコックに執務室に呼び出されていた。
「昨日からエル・ファシルと通信が繋がらない件なんだが」
「通信士官からは磁気嵐と報告を受けています」
「そうなんじゃ。昔から磁気嵐が発生しやすい宙域なんだが、この様に長い磁気嵐は初めてじゃ」
「閣下。これが人為的に起こされた磁気嵐と言いたいのですか?」
「その可能性もあるやもしれん!」
「しかし、対応策が無いでしょう」
「うむ。その通りじゃ。儂らには磁気嵐に対する策が無い。しかし、用心は出来る」
「つまり、不測の事態にロムスキー医師達に邪魔になる様な事をさせるなと言うわけですね」
「そういう事じゃ。儂は明日から艦橋に詰める事にする」
「分かりました。明日からロムスキー医師達を一ヵ所に集めて置きましょう」
「うむ。ミューゼル元帥の迎えが来るまでは用心をした方が良い」
老練なビュコックは経験から自分達の危機を察知していた。
しかし、ビュコックも既に過去の人となったアンドリュー・フォークの存在までは察知する事は出来なかった。