十二月に入り帝国政府関係者は多忙を極めていた。
同盟から帝国への帰順が後を絶たないのである。
エル・ファシルへの大量亡命が成功した事について同盟の各星系が最高評議会に統治能力無しと判断した為であり、順番待ち状態になった。
一応、事態が切迫している星系に関しては人道措置として支援を行う為に軍が出動する事が多くなった。
「イゼルローンからも救援部隊を出させろ!」
「ハイネセンのキルヒアイス元帥を通してウルヴァシーからも救援物資を届けさせろ!」
「朝貢の問い合わせだと、手ぶらで来るなら断れ!」
「軍だけだと間に合わん。民間企業に下請けを出せ!」
「宇宙海賊が出没する。黒色槍騎兵艦隊に任せろ!」
ハンスの執務室は既に戦場と化していた。
帰順希望の星系も窓口としてハンスを頼るので断るのも手間が掛かるのである。
「当職に権限無し、交渉するなら皇帝陛下もしくは国務尚書に直訴するべし」
帰順希望の星系政府の役人してみればハンスなら民意に通じているのではと思いハンスを窓口にするのだが、ハンスとしたら迷惑な話である。
意外な事にラングも多忙を極めていた。毎日の様に来訪する帰順希望の使節団に混じり刑事犯も入国するので取り締まりに右往左往していた。
なんとか新年休暇前日には嵐の様な帰順ラッシュも終わったのである。
「エミールにも苦労を掛けたな。帰省の為の休暇を与えても良いぞ」
業務終了後の執務室でコーヒーを運んで来たエミールにラインハルトが声を掛けた。
「陛下、有り難う御座います。しかし、オーディンに帰省するより、将来の為にフェザーンの街を見学したいと思います」
エミールの返答にラインハルトは優しい微笑みを浮かべる、
「エミールは余と違い真面目だな。宜しい新年休暇中にフェザーンの街を見学すれば良い。ついでに、マリーカと一緒に見学に行くが良い。あれは生まれも育ちもフェザーンだからな」
いきなりマリーカの名前が出て来てエミールの頬が紅色に染まる。
「おや、エミール。顔が赤いぞ」
「陛下!」
これが、ラインハルト以外の人間ならエミールも自分が誂われたと思うのだが相手は朴念仁の代表であるラインハルトでは真意が分からない。
「風邪かもしれん。今日は休んで良いぞ」
「はい。有り難う御座います」
エミールが一礼した時にリュッケが執務室に走り込んで来た。
「大変です。陛下!」
「リュッケ、落ち着け。何事だ!」
ラインハルトの一言でリュッケも冷静さを取り戻す。
「し、失礼しました。今朝、同盟の元首が暗殺されました!」
「それは確かな情報か?」
「はい。キルヒアイス元帥に確認を取りました」
「宜しい。至急、元帥と尚書全員を集めて会議を開く」
ラインハルトの命令で三十分後には会議が開かれた。
「皆も既に知っている通りに今朝、同盟元首が暗殺された。今後の指針について自由に討議して欲しい」
「しかし、何者が何の目的でレベロを暗殺したのかが問題だな」
珍しくハンスが会議の口火を切った。
「うむ。確かに迂闊に動けば暗殺した連中に踊らさせる結果になる」
ミッターマイヤーもハンスの意見を是とした。
「しかし、暗殺者の背後関係より順調に併呑していた事に対する影響が心配だ」
オーベルシュタインの意見も当然の意見であった。
「その件に関して心配は無いと思われます。既に同盟に統治能力はなく、各星系ではライフラインに支障が出る程の財政難です。今回の事で逆に日和見をしていた星系も帰順すると思われます」
フェザーンを動かしていた実績のある行政のプロのルビンスキーらしい見解であった。
「こうなると問題になるのはエル・ファシルですな。共和主義者がエル・ファシルを頼り第二の同盟となる可能性がありますな」
マリーンドルフ伯が国務尚書としての意見を出して来た。
「軍事的にはエル・ファシルの戦力では負ける事は無いだろう。問題は犠牲の数だが……」
帝国の天敵とも言えるヤンは既に帝国の手の内にある。問題はビュコックである。
「ビュコック提督は人望と能力を兼ね備えた経験豊な人だからな。負けない戦いをされたら、無視が出来ない犠牲の数になるな。まあ、向こうはそれが目的だろうけど」
ハンスにしたら完済したと思っていた借金が残っていた心境である。
ランテマリオでビュコックの恐ろしさは身に染みている。
「確かに、あの老人の狡猾さと巧妙さには手を焼かされたからな」
ミッターマイヤーもランテマリオではビュコックに翻弄された犠牲者である。
「宇宙潮流を使った策とか余人には出てこんわ!」
ハンスもカンニングの知識で避ける事が出来たが、それでも老将の経験に裏付けされた策には背筋が凍る思いがした。
「しかし、犠牲が大きくなるのは奴らも同じであろう。奴らが講和より戦いを選択すると思えん」
オーベルシュタインが冷静な分析をする。
「確かに、オーベルシュタインの言う通りだと余も思う。奴らが講和を求めるなら交渉の余地はある」
ラインハルトにしたらヤンとの約束もある。内心はエル・ファシルに自治を認めていた。
「そうなれば、問題はハイネセンの動向ですな。工部省としては同盟の存続の有無で計画に大幅な修正が必要となります」
工部尚書のシルヴァーベルヒは立場上、当然の意見である。
同盟が存続の有無で流通システムから税制までを新たに整備する必要になる。
全員が同盟に対する対応に頭を悩ませる事になる。
「最初の予定では少しずつ真綿で首を締めて両手を挙げさせるつもりだったのになあ。まさか、自滅するとは思わんかった」
ハンスの言葉は会議に参加している人間達の気持ちを過不足なく表現している。
「どちらにしても、新しい元首が必要だな」
ラインハルトにしても、戦うにしても降伏して帝国に帰順しても代表者が居なければ話にならない。
「陛下。ハイネセンのキルヒアイス元帥からは詳細な情報は、まだ無いのですか?」
「うむ。キルヒアイスからは詳細な情報は、まだ無い。キルヒアイスの報告では当事者の同盟も混乱しているらしい」
ハンスの質問に応えるラインハルトも困惑している。
キルヒアイスの報告では暴動等を恐れて警察署の署長レベルから治安維持の為に出動を懇願されているらしい。
「同盟だと議長が死ねば選挙で新しい議長を擁立する必要が有るからなあ。時間が掛かるだろう」
結局、その日の会議は新しい元首が擁立されるまでの様子を見る事に決定した。
ハンスの予想では新しい元首が擁立されるのも早くて年内で遅くとも新年休暇明けには選出されると断言した。
「残された役人連中にしては同盟が少なくとも冬の賞与を払うまでは存続して貰う必要が有りますからな」
ハンスの言葉に思わず失笑してしまう者もいた。
「更に言えば一月の末に交渉を求めて来るでしょう。同盟は一月に一年の会計をしますから、退職者の退職金を一月の二十日に払う事になっていますから」
「船が沈む前にネズミは逃げ出すと言うが役人も同じ事か」
ハンスの説明に皮肉な気持ちになるラインハルトであった。
困ったのは周囲の者達である。ラインハルトの感想が皮肉なのか冗談なのか判断がつかないのであった。
翌日、キルヒアイスから詳細な情報がラインハルトに通信で報告された。
「まずは暗殺者の背後関係は有りません。暗殺者は定年退役した薔薇の騎士のOBです」
「動機は?」
「それが、退役軍人の年金支給額を引き下げた事と支給年齢を七十歳に引き上げてた事に対する恨みだそうです」
ラインハルトも絶句するしかない暴挙であった。
「更に言えば、閣議決定で支給年齢を将来的には八十歳まで引き上げると発表した事です」
「それは、暗殺されても文句は言えんだろうな」
「それから、レベロ議長の後任ですが、ホワン・ルイが選出される事が確実と言われています」
「聞いた事が無い名前だな。どんな人物なのか?」
「良心的な政治家だそうです。イゼルローン奪取後の帝国領進攻に反対した事で有名な人物でもあります」
「同盟にも慧眼の者が居たのか」
「はい。この様な状況で議長に立候補する人間も居ない様です」
「それで、正式に元首に就任するのは何時になる?」
「手続き上の問題で年明けには就任するそうです」
「では、就任後にキルヒアイスから今後の事を話してみてくれ。出来るだけ民衆に犠牲を強いる事はしたくない」
「分かりました。ラインハルト様」
通信が終わりラインハルトは今後の同盟に対して方針を考える。
(老人から金を奪う程に同盟の財政が逼迫しているのなら、出来るだけ早く併呑するべきだな)
ラインハルトの頭にハンスの顔が浮かんだ。ハンスも父親を軍隊の事故で亡くして遺族年金や一時金を貰えずに苦労したと聞く。
(ハンスが、どの様な政治体制でも国民を養うのが国の務めだと言っていた意味を本当に理解が出来たな)
ラインハルトが凡百の支配者と一線を画すに、常に戦場で陣頭に居た事を挙げられるが、もう一つは自身の未熟さを認めて他者の意見を尊重した事も挙げられる。
ラインハルトは同盟の完全併呑を決意した。
「併呑に際して大量の血が流れるのか。それとも無血開城となるのかは奴ら次第だな」
ホワン・ルイは就任早々に大きな選択を迫られる事になる。
そして、ホワン・ルイの選択次第で銀河に大量の血が流れる事になる。