九月に入り遷都が完了すると帰順した四星系の法的手続きと行政整備で各省庁が忙しくなる。
軍務省も例外では無く治安維持の為の駐留艦隊の派遣の準備で忙しい。
この当時、最も忙しい軍高官はミッターマイヤーであった。
妻であるエヴァンゼリンが臨月なのである。
愛妻家のミッターマイヤーとしては妻の事が心配で勤務時間の合間に家に連絡を入れながら、子持ちの人間を見れば誰かれ構わずに色々と質問する始末である。
周囲の人達も苦笑するしか無いのである。
「まあ。無理も無い。待望の子供だからなあ」
ハンスも苦笑しながらもガイエスブルグ要塞の移動計画の準備で忙しい。
「そう言えば、オーディンに居る、ヤン・ウェンリーも娘が誕生したと聞く」
ロイエンタールも駐留艦隊の人事に忙殺されながらもオーディンで幸せそうなヤンの話をする。
根底には「学者の真似事を辞めて帝国元帥となって仕事を分担しろ!」との思いがあるのだが、ロイエンタールはヤンのデスクワーク能力を知らない。
「ヤン・ウェンリーなら、今月末にフェザーンに到着しますよ」
「何!」
驚くロイエンタールに対してハンスは涼しい顔である。
「自分とヤン夫人とは旧知の仲でしてね。先日、女の子が誕生したそうです」
学芸省がフェザーンの移転と同時に学芸省の職員であるヤンもフェザーンに移住するのは当然である。
実は、ハンスは地球教の残党とエル・ファシルが裏で手を結びフレデリカなり娘なりを人質に軍服を着させる事を危惧しているのである。
オーディンに残留しているのは、メックリンガーとケンプにワーレンである。彼らは優秀な軍人だがテロリスト相手では分が悪い。
警備上の都合を考えたら自身の目の届く場所に居て貰う方が良い。
「意外の様で当然と言えば当然だな。卿はハイネセン出身だったな」
そこまで言って、ロイエンタールの表情が途端に曇る。
「ロイエンタール元帥。どうしました?」
ハンスもロイエンタールの表情を見て、何か深刻な事に気付いたのかと不安になった。
ハンス自身は地球教のテロを警戒していたが何か見落とした事があったかもしれない。
「いや、ヤン・ウェンリーがフェザーンに来るなら、護衛役の男の娘も来るのだな」
二瞬程の間、ハンスは考えたが、ロイエンタールが何を危惧したが分かり吹き出してしまった。
「そりゃ、カリンも来るでしょう。まだ、十六歳ですよ」
ロイエンタールの顔が一気に青くなる。
「カリンに女性関係でも責められましたか?」
「煩い!元は卿の頼みだろうが!」
図星だったらしく、ハンスは笑いを噛み殺すのに苦労する事になった。
九月末になると予定通りにヤンがフェザーンに到着する。
「お久しぶりです。ヤン提督」
ハンスは宇宙港までヤンの出迎えに来ていた。
「此方こそ、オーディンでは色々と配慮して頂きました」
「対した事はしてませんよ。しかし、可愛い娘さんですなあ」
ハンスは逆行前の世界では子供をどころか結婚もせずに生涯を閉じた。
家庭を持てなかった事に後悔は無いが未練はあった。その反動か子供好きになっていた。
「閣下。抱いてあげて下さい」
フレデリカが娘をハンスに手渡すとハンスは慣れた動作で娘を受けとる。
逆行前の世界で歓楽街で働いていた時にホステス達の赤ん坊の世話もした事があったハンスである。
「本当に可愛いですなあ。夜泣きとかは大丈夫ですか?」
「ええ。父親に似た様で、よく寝る子です」
フレデリカの後ろに居たシェーンコップ一家が笑いを噛み殺していた。
フレデリカに赤ん坊を返すとハンスはカリンとエドワードに声を掛けた。
「二人とも大きくなったな!」
ハンスが親戚のおじさんの様な事を言う。
「お久しぶりです。閣下!」
二人一緒に仲良く異口同音に挨拶する姉弟であった。
「元気があって宜しい!」
「お久しぶりです。閣下」
最後にシェーンコップが挨拶をする。
「卿も父親稼業が板に付いたらしいなあ」
「閣下も登り詰めましたね」
「うん。残念ながら」
ハンスの返答にヤンだけが同情している様子である。
「貴官には用事があったのだ」
「ほう。何用ですかな?」
「卿の保護者の責務についてだ。卿の子供達は姓が二人とも違うから、此方の役所が事務手続きで混乱しているのだ」
「いや、そうでしたか」
「手続きの為に卿からサインを貰わねばならんのだ。という事で提督。シェーンコップを少し借りますよ」
「分かりました。私達はラウンジで待っています」
ハンスはシェーンコップを連れて宇宙港の事務所の一室に入った。
「で、元帥閣下。何用ですかな?」
シェーンコップが先程の会話はハンスがシェーンコップと二人きりで話す為の方便であると既に見破っていた。
ハンスもシェーンコップが見破っている事を承知していた。
「実は地球教の残党の事だよ」
ハンスはシェーンコップにソファーを勧めながら本題に入る。
「地球教の残党と同盟から自立した共和星系が共謀してヤン提督を誘拐する可能性がある」
豪胆なシェーンコップの眉も僅かに動く。
「ヤン提督なら宇宙中の共和主義者の糾合も可能だからね」
「それを何故、本人ではなく私に?」
シェーンコップにしたら当然の疑問である。
「言っても効果のある人かい?」
ハンスの意見にシェーンコップも反論が出来ない。
「それに、娘も生れたばかりだからなあ」
この意見にもシェーンコップは反論が出来ない。シェーンコップ自身も二人の子持ちになると以前の様に捨て身になれない。
ヤンも同様に娘を人質に取られたら、完全にお手上げである。
「そんな事で護衛役の貴官の働きに期待する訳だよ」
シェーンコップは一つ溜め息をついてから返事をする。
「情報提供に感謝します」
シェーンコップもハンスについては複雑な心境である。シェーンコップとは逆に同盟から帝国に亡命して同盟を嫌いながら同盟の民政には尽力する。
更に軍隊を嫌いながら軍隊で栄達した人である。
(ヤン提督と似ているな。ヤン提督は元は社長のボンボンで育ちの良さが出ているが、この人は逆に育ちの悪さが出ている)
シェーンコップも稀有な存在である。軍人としても優秀であるがシェーンコップの最大の特徴は人物鑑定が正解な事であろう。
こうしてハンスはシェーンコップにヤンの護衛の強化を促す事に成功した。
その一方でハンスはロイエンタールの新妻であるローザをヒルダの護衛役に抜擢しているのである。
当初、ロイエンタールはローザをヒルダやアンネローゼの側に近寄らせる事に拒否をしていた。
「ハンス。あれは、皇妃陛下や大公妃殿下の前に出せる女ではないぞ」
ロイエンタールの危惧も当然である。ローザは市井の出身である。それも下賎と呼ばれる側なのである。
「逆に良いでしょう。お二方には庶民の事を理解して頂ける好機でしょう」
庶民という言葉を使われると裕福な貴族の出身のロイエンタールには何も言え無くなるのである。
元帥夫人として屋敷で無聊を託つローザがハンスの話に乗る気なのである。
「やる。やる!」
「意欲的なのは助かるが、せめて労働条件を聞いてからにしなさい」
どうやらハンスと同様に畏まった生活は苦手の様であるらしい。
そして、労働条件についてハンスとローザの熾烈な戦いが開始されたのであった。
「奥様が倹約家なのは承知してましたが同じ倹約家であるミューゼル元帥と互角に交渉される程とは思いませんでした」
ロイエンタールとして汗顔の至りである。皇妃と大公妃の二人の側で働ける事だけで栄誉な事である。それを労働条件で吝嗇で有名なハンスと互角に争ったのである。
「ロイエンタール家は良い女主人を手に入れた。普通は働く事もせずに散財するのにな」
ハンスが皮肉を言っている訳でなく純粋にローザを褒めている事が分かるからロイエンタールは文句も言えない。
ロイエンタール家は帝国騎士の家柄だが母方の実家は伯爵家である。故に帝国貴族の価値観を自然と持っていて、女性が外で働く事に違和感を感じるのである。
逆にハンスは社会の最下層の人間であるので女性が働く事は普通であり、女性ながら護衛役等は高度な技術職と思える。
「陛下がハンスを側に置き重用される理由が今更ながらに理解が出来た気がする」
実際にローザが働き始めるとヒルダとアンネローゼからは好評を得る事になる。
ヒルダもアンネローゼも銃を握り男性同様に働くローザに対しては羨望の眼差しであった。
「ローザさんは本当に凛々しいわ」
「本当にローザさんに早く会っていたらローザさんと結婚していたかも」
「あら、残念。私も皇妃様なら喜んで結婚しましたわ」
ローザは仮皇宮中の女性達から好意を寄せられていた。
一因としてはローザの格好にあったかもしれない。
護衛役という役目柄、ローザはスーツスタイルであった。ヒルダのスーツ姿は美少年という趣きがあったのに対してローザのスーツ姿は美青年の趣きがある。
丈の短いスーツの上下に足はスニーカーを履き両手にはグローブを嵌めて黒いセミロングの髪は後ろで纏めている。
因みにジャケットの下には二丁の銃が姿を隠している。
最初は敵を油断させる為に私服のスカートとトレーナー姿だったが、どう見ても高校生にしか見えずに警備兵から間違われるので護衛役らしいスーツ姿にしたのだ。
こうして、ハンスはヒルダとヤンの盾を用意して迎撃の準備を整えて地球教を待ち構えたのである。