ゼロの龍   作:九頭龍

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交差した二本の杖


第53話

 ロサイスがトリステイン・ゲルマニアの連合軍に堕とされてから二日が経ったこの日、アルビオンの首都ロンディニウムのホワイトホールでは激論が飛び交っていた。

 ルイズによる「虚無」の魔法「イリュージョン」に惑わされて、アルビオン軍はダータルネスへと軍が誘導され水際で敵を迎え撃つ機会を失ってしまったのだ。設備を整えたロサイスで待ち構えていれば、連合軍を追い返す事も不可能ではなかったのだが。

 

「敵は完全に上陸して陣を築いています。今此方反撃を試みるのは自殺行為です」

 

 十五人ほどが腰掛けた円形のテーブルで、北側に座っている若い将軍が憔悴した表情で口にした。

 確かにこの若い将軍の言う通りである。四十隻ほど残っていたアルビオン軍の空軍艦隊は先の艦隊決戦で半数近くが墜とされ、残った艦も深刻なダメージを負っていて修復が追い付いていない。仮に出撃となっても、出せるのは多くて十隻と見積もった方が良いだろう。

 これに対し連合軍の艦隊は約十二隻ほどが沈み、八隻は深刻なダメージを負ったがまだ四十隻ほどが出撃可能の状態だ。アルビオン軍のお家芸とも言える制空権の掌握は、完全に向こうの手にある。

 更にタルブでは戦闘で三千の兵を失い、先日の敗北によって軍全体の士気は大きく下がってしまっていた。この事により離反する隊まで現れてしまい、アルビオン軍の戦力は大きく低下していた。革命時の勢いは既になく、虫の息の状態と言っても過言ではない。

 座の中心に控えた、神聖アルビオン共和国議会長にして、初代アルビオン皇帝でもあるクロムウェルに対して非難の視線が集中する。

 数々の謀略を失敗し、挙句敵を上陸させてしまったのだ。その視線は当然の物でもあった。

 しかし当のクロムウェルはそんな視線を全く意に介さず、穏やかな表情でその場に座っている。

 アルビオン軍主力の実質的な指揮を執っているホーキンス将軍が、重々しく口を開いた。

 

「反転は小官のミスです。初戦で敵を殲滅する好機を私の判断ミスで失いました。詫びの言葉もありませぬ」

 

 机に額がくっ付きかけんばかりに頭を下げるホーキンス将軍を見てから、クロムウェルは腕を組みながら小さく溜め息を漏らした。

 

「魔法学園の子弟を人質に取る作戦は失敗、敵の主艦隊に忍ばせたネズミからの連絡も途絶えた。ボロボロだな、我が軍は」

 

 自身が用いた策が失敗した事に悪びれる様子もなく、クロムウェルは呟く。

 ホーキンス将軍は顔を上げて再び口を開いた。その声には、疲れが籠っていた。

 

「敵の使用する魔法兵器は我々の想像を超えています」

 

「ふむ。ミス・シェフィールド」

 

 クロムウェルの後ろで控えていた黒ずくめの秘書シェフィールドは、主の言葉に頷いて脇に携えていた羊皮紙を取り出し、書かれていた報告を読み上げた。

 

「ダータルネス付近に突如現れた「幻影」は、約十三時間に渡ってダータルネス付近を遊弋し、その後忽然と姿を消しました」

 

「報告にもあるように、矢も撃てぬ、魔法も出せぬ幻影等姑息な魔法に過ぎん。恐れる必要等ない」

 

「姑息な魔法ですと? その姑息な魔法のおかげで敵はこのアルビオン大陸に上陸する事が出来たのですよ。効果は甚大です」

 

 確かに攻撃的な役割ならば幻影等恐れるに足りないだろう。しかし、その幻影一つで軍を動かされ、戦力を分断されたのだ。侮る気持ち等微塵も産まれない。

 

「閣下……正直に申しますと、小官は敵が恐いのです。ダータルネスで見せた幻影、タルブで使われた光……敵は未知の魔法を多々使用しています」

 

 悔しげに、しかし正直にホーキンス将軍がそう口にすると、クロムウェルはシェフィールドに目配せした。

 シェフィールドはまるで寺院で賛美歌を歌う聖歌隊の様な、良く通る美しい声で羊皮紙を読み上げた。

 

「敵は先のタルブで見せた、我が戦艦隊を殲滅した光を撃てない状態であると判断出来ます」

 

「それは何故か?」

 

「仮に使用が可能ならば、先日の上陸前の艦隊決戦で使わない筈がないからです」

 

「その考えは軽率過ぎやしませぬか? いざという時の為に温存の可能性もありますぞ」

 

 将軍の一人がそう口にすると、シェフィールドは羊皮紙から視線を逸らし丸テーブルに座る将軍達を見回してから続けた。

 

「先日の艦隊決戦、あそこで敗北すれば敵には後がない状態でした。上陸後の兵力や物資の温存を考えても、使えるなら使わざる得ない状態だった筈です。しかし、敵は通常の艦隊戦を行いました。確かにそれでも我が艦隊は敗北しましたがーー」

 

「空で勝てぬなら陸で勝てば良い。簡単な事だ」

 

 シェフィールドの言葉を引き取り、クロムウェルがそう続けた。

 その言葉を受けて、参謀本部の将軍が立ち上がった。

 

「閣下、参謀本部は敵の次なる攻撃予定地を、シティオブサウスゴータと推定しました」

 

 丸テーブルの上に拡げられた地図を杖の先で叩きながら、将軍は説明を加える。

 

「街道の収束点であり、重要な大都市です。推定を裏付ける要素としましては、この辺りの敵の偵察活動が活発になっています。我々はシティオブサウスゴータに主力を配置して陣を構え、敵を迎え撃つべきです」

 

 参謀本部からの作戦に、他の将軍からも賛同の声が上がった。

 しかし、クロムウェルは首を横に振る。

 

「いや、主力はロンディニウムからは動かさぬ」

 

「これは異な事を! 座して敗北を待つおつもりか!?」

 

 声を荒げる将軍の一人に対し、クロムウェルはまるで子供のいたずらをたしなめる父親の様な眼差しを向けてから首を振った。

 

「サウスゴータの街は取られても構わぬ」

 

「敵にみすみす策源地をお与えになると申されるか。敵は大都市で消費した兵糧を補充し、休息も取って更に力をつけるでしょうな」

 

 ホーキンス将軍が皮肉を込めて言葉を返すと、クロムウェルの口元に笑みが浮かび上がった。その笑みは冷たく、思わずゾクリと感じるほどに邪悪な何かを宿していた。

 

「兵糧等与えはせぬ」

 

「どうやって?」

 

「簡単だ。サウスゴータの住民達から丸々食料を取り上げれば良い」

 

 クロムウェルの言葉に、将軍達は言葉を詰まらせた。クロムウェルは、サウスゴータの住人達を利用し、最悪見捨てるつもりなのだ。

 

「敵は数少ない食料を住民達に分け与えぬばならなくなる。なまじ防衛戦を展開して此方の兵力に損害が被るよりも、賢い方策だと思わぬか?」

 

「敵が見捨てたらどうなさるおつもりか!? 大量の餓死者が出ますぞ!」

 

「それはない。なに、仮に敵が見捨てたとしても、国の大事の前では都市の一つ等小さな損害に過ぎぬ」

 

 元司教とは思えない、冷たい言葉だがクロムウェルの読みは正しいと思えた。

 連合軍はクロムウェルと交渉する為に侵攻して来た訳ではない。クロムウェルを倒し、この地を支配する為に来たのだ。十中八九、戦闘後の民意を考えて施しを行うのは間違いないだろう。

 だが、もし此方側が勝利した場合はどうだろうか。下手したら大都市が反旗を翻しかねない。昔から言われているが、食い物の恨みとはそれほどまでに恐ろしい物なのだ。

 

「大都市一つを敵に回すと……勝利したとて、しこりが残りますぞ」

 

「そのしこりとやらを残さぬ為に先遣で亜人共を配置したのではないか。奴等の独断だったと説明すれば、問題ない」

 

 どんな手を使ったのかは想像もつかないが、クロムウェルは亜人との交渉術に優れている。亜人先遣は通常の軍事作戦ではなく、いざとなった時の保険も兼ね備えた謀略であったと知り、将軍達は唖然とした。

 この初代皇帝は様々な謀略を企てるだけでなく、卑劣にも自国の民をも裏切ろうと言うのだ。

 

「それに勝利の為の策はまだある。ただし、この策は効果を発するには時間がかかる」

 

「一体どの様な策をお考えなのです?」

 

「詳しくはまだ話せぬが、そうだな……我が「虚無」による罠、とだけ言っておこうか」

 

 クロムウェルはにっこりと笑いながらそう言って立ち上がると、拳を振り上げた。

 

「諸君、降臨祭だ! それまで何としてでも敵を足止めするのだ! 降臨祭の終了と同時に、余の「虚無」と交差した二本の杖が驕り高ぶった敵に鉄槌を下す!」

 

 交差した二本の杖、それはガリア王家の紋章を表していた。

 将軍達は次々と立ち上がり、色めき立った。遂にガリアが動き出すというその期待によって。

 

「その時こそ我が軍は前進する! 我等の地を土足で上がった敵を粉砕する為に! 約束しよう!」

 

 歓声が上がり、会場の空気が熱せられる中、まるで水を差す様に荒々しい拍手の音が上がった。いや、それは拍手と言うより、乱暴に手を叩いているといった方が正しい音だ。

 興奮に色めき立っていた将軍達やクロムウェルはその音の方へと視線を向ける。

 その先には赤い鎧に身を包んだ大柄で黒い髭面の将軍がクロムウェルに不敵な笑みを浮かべながら手を叩いていた。

 

「バルバトス……将軍」

 

 ホーキンス将軍がその大男、バルバトス将軍に向かってたしなめる様な視線を向けて名を呼ぶ。

 

「いやぁ、興奮する演説だったぜ、閣下。いよいよガリアが動くってのは俺達にとっちゃあありがてぇ事だからな。けどよ、こうも押されっぱなしの我が軍に、本当にガリアは味方してくれのかね? 俺はそこがどうも不安でならねぇんだけどな」

 

「バルバトス将軍、閣下に対して口が過ぎるぞ!」

 

 ホーキンス将軍は自分と同い年で同期でもあり、唯一無二とも言える親友に向かって声を荒げた。

 そんなホーキンス将軍に対してバルバトス将軍は不敵な笑みを続けながら視線を向けた。

 

「不安要素を口にしているだけさ、ホーキンス将軍。何せこっちは自分の国の民すら犠牲にしなきゃならねぇくらいに切羽詰まってんだからよ。だから閣下に問いてぇんだ。ガリアが俺達アルビオンに味方してくれる保証は何処にあるのかをな。それぐらい聞いたって罰は当たらねぇだろう」

 

 バルバトス将軍の言葉に他の将軍達もクロムウェルへと視線を向ける。

 盛り上がっていた所を邪魔されたクロムウェルは苦々しい顔をしてバルバトス将軍を睨んでいたが、すぐに涼しげな表情へと顔を戻して胸元へと手を当てがった。

 

「確かな保証を示す物品はない。だが、万が一ガリアが我等に味方しなかった時は、余の命を持って償おう。それでどうかね、バルバトス将軍?」

 

 バルバトス将軍は笑みを消して鎧と同じ色の兜から覗く真剣な眼差しでクロムウェルの眼をジッと見つめた。その視線は心の奥底に眠る何かを探る様な、鋭さを秘めていた。

 しばらくの沈黙の後、バルバトス将軍は立ち上がって背を向けた。

 

「そんだけの覚悟があんなら良い。ならまあ、降臨祭まで頑張らせて貰うさ。悪ぃけど腹が減った。先に昼飯にさせて貰うぜ」

 

 それだけ言うとバルバトス将軍は会場から出て行った。

 一瞬白けかけた会場だったが、クロムウェルの一言でその熱気は再び燃え上がる事になった。

 

「さぁっ! 忠勇なる兵士諸君を、我等閣僚全員で励まそうではないか!」

 

 掛け声と共に歩き出したクロムウェルに続き、閣僚や将軍達も続いてバルコニーへと向かった。

 かつて王の謁見を待つ為に設けられた広い中庭には、熱狂的な信頼をクロムウェルへ寄せている親衛連隊がずらりと並んでいた。

 自分達の皇帝の姿に上がった歓声に、クロムウェルは手を振って応える。

 

「諸君! 敵は我が国土へと足を踏み入れた! しかし、勇敢なる諸君に問おう! これは、敗北か!?」

 

「否っ! 敗北に非ずっ!」

 

 数千の声がクロムウェルの声に答える。

 

「その通りだ、諸君! これは断じて敗北ではない! 余は勝利を諸君等に約束する! 無能な王から冠を奪い取った、勇敢にして無双な諸君等に断言しよう! 降臨祭の終了、それと共に敵は壊滅する! 奴等は神の怒りに触れたのだ! 迷えるハルケギニアを導くのは、神より選ばれし我等アルビオンの民に他ならぬ! だからこそ、始祖は余に力をお与えになったのだ!」

 

 バルコニーには戦士したアルビオン兵士達が幾人か並べられていた。

 クロムウェルが高く指輪を掲げると、指輪から光が発せられた。

 すると、死んでいた筈の兵士達は起き上がり、歩き出した。

 

「諸君! 始祖が与え給うたこの「虚無」の力がある限り、我等に敗北はない! 余を信じよ! 祖国を信じよ! 始祖より選ばれた者の証、「虚無」を信じよ!」

 

 中庭の熱気が最高潮まで高まり、歓声が響く中、クロムウェルは拳を振るって叫んだ。

 

「神聖アルビオン共和国万歳っ!」

 

「神聖アルビオン共和国万歳っ! 神聖アルビオン共和国万歳っ! 神聖アルビオン共和国万歳っ!」

 

 クロムウェルに続いて声を上げる中庭の親衛連隊に続いて、バルコニーの将軍や閣僚達も次々と声を張り上げた。

 終わる事のない連呼が空へと響いた。

 

 

 熱狂的な演説の後、将軍や閣僚達は昼食を摂っていた。

 そんな将軍達とは別に、ホーキンス将軍は人の居なくなったバルコニーで空を眺めていた。

 これからの作戦、部下達への指示、様々な事案が両肩へとのし掛かって息苦しく感じて食欲も湧かず、ホーキンス将軍は一人溜め息を漏らした。

 

「相変わらず難しい顔してんなぁ、ホーキンス」

 

 背後から掛けられた声に振り返ると、ローストチキンを囓りながらもう片手にワインの瓶を持ったバルバトス将軍が立っていた。

 

「そんな面ぁ繰り返してっと、早く老け込むぞ?」

 

「……私以上に常に先を考えているお前に言われても、説得力はないな」

 

 クチャクチャと行儀悪く音を立ててローストチキンを咀嚼しながら近付いて来たバルバトス将軍に、ホーキンス将軍は首を振ってから再び空を眺めた。

 ホーキンス将軍の隣に立ったバルバトス将軍は、手に持っていたワインを一口ラッパ飲みしてローストチキンを胃に流し込むと、ワインをホーキンス将軍へと差し出す。

 ホーキンス将軍はワインの瓶を少しジッと見つめてから、乱暴に受け取ってラッパ飲みする。朝食も碌に入らなかった空きっ腹に胃にアルコールが染み込んでいく感覚が腹部から伝わった。

 ホーキンスとバルバトス。父親同士が仲が良かった事で幼馴染みの間柄の二人だが、性格はほとんど真逆に近かった。

 何事にも真面目に取り組み、常に成績も上位だったホーキンスに対し、勉強は自分が気に入った事しか学ぼうとせず、貴族だろうと平民だろうと分け隔てなく接して仲間の多かったバルバトス。

 しかし、成長していくにつれて、ホーキンスはバルバトスの本当の性格を知っていく事になる。人の見えない所で弛まぬ努力を繰り返すタイプであると。

 魔法も体術も誰にも悟られる様に努力を続け、「炎」の「スクウェア」クラスまで成長し、乱暴な口調とは裏腹に誰よりも先を見越して動く器量を持ち合わせているのもあって、このアルビオンの将軍にまで上り詰めたのだ。

 その気さくな性格から他の将軍や兵からも人気が高いが、バルバトスの隊はアルビオン軍の中でも一、二位を争うほど人数が少ない。バルバトスが本当の意味で信頼し、バルバトスを心から自分達の主であると認めた男達によって作られた隊は、人数こそ少ないながらも武力だけならアルビオン軍の中でもトップクラスに入る、正に少数精鋭の部隊なのだ。

 

「で、お前はどう思うよ? あの初代皇帝様の事は」

 

 残り少なくなったローストチキンの肉を食い千切ってはクチャクチャと音を立てながらホーキンス将軍へと顔を向けるバルバトス将軍。

 ホーキンス将軍は空を見上げながらワインを再度ラッパ飲みして首を振った。

 

「私は私の王の言う事を聞くだけだ。それ以上を詮索するつもりはない」

 

「へぇ。つまりホーキンス将軍殿は、初代皇帝様の忠実なるゴーレムって訳か」

 

 その発言にキッと目付きを鋭くしてホーキンス将軍が顔を向けるが、バルバトス将軍はそんな視線等どこ吹く風と言わんばかりにワインの瓶をホーキンス将軍の手から引ったくって呷る。

 

「まあ俺には、寧ろあの皇帝様がガリアのゴーレムの様に見えるけどな。この国の為に今回の戦争に勝利しようとしてるとは思えねぇ」

 

「バルバトス……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか? 自身の王を疑う等ーー」

 

「生憎、俺が忠を誓うのはこの国と、俺が認めた奴だけだ。俺はあいつを認めちゃあいねぇ」

 

 最後の一かけとなった肉を囓り取って空高く骨を投げつけてから残っていたワインを一気に呷って瓶を床へと落とすバルバトス将軍。

 ガチャンと音を立てて硬いバルコニーの床に落とされ砕けた瓶だったガラスをブーツで踏みつけながらホーキンス将軍はバルバトス将軍の肩を掴んで顔を近づけた。

 

「バルバトス! 幾ら友と言えども、今の言葉は聞き捨てならぬぞ! 我等の王を疑う等、臣下としてあるまじき行為だと分からんのか!?」

 

 凄味を利かせながら詰め寄るホーキンス将軍とは対照的に、バルバトス将軍は口元に笑みを浮かべて見せた。

 

「お前も本当は分かってんじゃねぇのか? ガリアは今、俺達と連合軍がぶつかり合うのを涎垂らして待ち構えてる筈だ」

 

 ホーキンス将軍の腕を乱暴に振り払うと、バルコニーの中央へと歩くと空を見上げた。

 

「俺達アルビオンと連合軍が本気でやり合えばどっちの国もタダじゃあ済まねぇ。そこに一切傷を負っていないガリアが入って来てみろ。奴等は数少ないメイジと兵力だけで、一気に三国を手に入れる漁夫の利があり得るかもしれねぇ」

 

「それは……」

 

 バルバトス将軍の推測に、ホーキンス将軍は言葉を詰まらせた。

 もしもバルバトス将軍の言う通り、ガリアが自分達アルビオンの為でなく、この戦いで疲弊した三国を手に入れる為に来たとなればとてつもない脅威となるに違いない。連合軍を相手にただでさえ兵力を消耗していると言うのに、仮に勝てたとしてもこれで更に戦闘となれば僅かな兵力しか残っていない自分達の国はあっという間に敗れるだろう。

 

「それを黙って見たままでいるつもりはねぇ。もしもあの皇帝がガリアと通じてこの国を差し出す算段だってんなら……俺は遠慮なく、この国を守る為に牙ぁ剥くぜ」

 

「本気で言っているのか?」

 

 バルバトス将軍の隊がもしも敵となったら、厄介である事この上ない。何よりホーキンス将軍にとって、親友と杖を交えるのは正直やりたくない。

 

「俺は自分の認めた人間でなきゃ、王とは認めねぇ。今アイツに味方してんのは、ガリアの動きが読めないからだ。勝利の為に自分の国の民を犠牲にする奴なんざ、認められるか」

 

「……なら、何故お前は自ら王になろうとしないのだ?」

 

 ホーキンス将軍は思わずずっと思っていた事を口ずさんだ。

 親友であるが故に、バルバトス将軍の実力も人望も知っている。自分自身が羨んでしまうほどに、ホーキンス将軍にとってバルバトス将軍は上に立つだけの度量を感じていた。

 しかし、当のバルバトス将軍はそんな出世欲とは無縁な生き方をしていた。将軍まで上り詰めたのも、自分がなりたかったからではなく、仲間や他の将軍からの推薦があったからだ。

 

「それだけの武、それだけの知、それだけの眼を持っているのなら、何故王を、頂点を目指さない? お前は一体何を目指しているのだ?」

 

 嫉妬が混じった視線を向けるホーキンス将軍に対して、バルバトス将軍は困った様な表情で頭を掻いた。

 

「自分の器は自分が一番知ってる。俺は誰かの上に立つのは嫌いじゃあねぇが、一国一城の主って器じゃねぇ。いずれ現れる、本当にこの国の頂点に立つに相応しい人間を支える方が向いてんだよ。まぁ、もしかしたら……その人間はお前かも知れねぇがな」

 

「私、だと?」

 

 ホーキンス将軍はその言葉に狼狽えた様に困った表情を浮かべた。

 そんなホーキンス将軍に対して、バルバトス将軍はからかう様に笑ってから身体を伸ばした。

 

「まぁ、とりあえずお前が未来の王になるかどうかは別だが、お前はこの「炎斧」のバルバトス様が守ってやるよ。だからせいぜい胸ぇ張ってな、総隊長殿」

 

 それだけ言うと、バルバトス将軍は軽く手を上げて見せてその場を去った。

 一人残されたホーキンス将軍は、再び空を見上げたながら親友の言葉に複雑な溜め息を漏らした。

 

 

 将軍や閣僚達の昼食が始まった頃、かつて王が寝室として使っていた巨大な個室で、クロムウェルは身体をガタガタと震わせながら頭を抱えて床に蹲っていた。

 その前には、秘書のシェフィールドが立っていた。

 

「見事な演説だったわ、司教殿」

 

 普段とは違う高圧的な秘書からの言葉に、かつての役職で呼ばれた男はビクッと身体を震わせて顔を上げた。その顔には先ほどまでの威厳は無く、ただ怯えた三十路男がそこにいた。

 

「おぉっ! ミス・シェフィールド! 本当にあのお方はこの地に援軍を寄越してくださるのでしょうか!? 先ほどの将軍ではないが、私は恐ろしいのです! 魔法も使えぬこのただの男は恐いのです!」

 

 まるで子供の様に怯えるクロムウェルの頭を撫でながら、あやす様な口調でシェフィールドは言う。

 

「あの酒場で「王になりたい」と言ったのは貴方でしょう。貴方のその率直な言葉に感じ入り、私の主人は貴方にこのアルビオンを与えたのよ」

 

「一介の司教が夢を見過ぎたのでしょうか? 貴女とあのお方にそそのかされ、「アンドバリの指輪」を手に入れ、王家に不満がある貴族を集め、私に恥をかかしたアルビオン王家に復讐した所までは本当に楽しい夢を見ている様でした」

 

「ならばその夢を見続けなさい」

 

「私の様な小者にはこの空の大陸すら大き過ぎると言うのに……。何故ゲルマニアとトリステインを攻める必要があるのでしょうか?」

 

「言ったでしょう。ハルケギニアは一つにまとまる必要があるの。聖地を回復する事が、唯一始祖と神の御心に沿う事になるのよ」

 

「私とて聖職者の端くれ。聖地の回復は望む所でありますが……私には荷が重過ぎます! 敵が攻め込んで来ました! あの無能な王達と同じ様に私を吊るしに来たのです! どうすれば良いのでしょう!? 教えて下さい、ミス……!」

 

 懇願しながら顔を見上げるクロムウェルに対して、シェフィールドはその顎に手をあてがうと、猛禽類の様な険しい顔をして見せた。

 

「甘えるな」

 

 普段の柔らかな声色とは違う、ドスの利いた声を出すシェフィールドにクロムウェルは小さく悲鳴を上げながら後退る。

 深い闇の様な黒いブルネットの髪が揺れ、その下の目は妖しい輝きを放って、まるで人あらざる者の様だ。

 

「並の神官が到底叶えられぬ「王になりたい」という夢を叶えて貰っておいて、今更泣き言を口にするな。誰のおかげでその夢を叶えられたと思っている? 貴様等我が主人が望むならば、今この場で消し去る事も出来る事を忘れるな」

 

「も、申し訳っ……申し訳ありません!」

 

 クロムウェルは額を床にゴリゴリと額を押しつけながら許しを請うた。そうしながら何故こんな事になってしまったのか、その理由を思い返してみた。

 始まりは、小さな酒場での出会いだった。たまたまその酒場に酒を飲みに来た際、物乞いの老人に頼まれて酒を一杯奢った。

 

「司教殿、この酒の礼に、貴方の望む物を一つあげよう。言ってごらんなさい」

 

 久しく口にした酒で気を良くしていたクロムウェルは、少し悩んでから口を開いた。

 ここは酒の席、多少自分の望みを大きく言った所で誰かに迷惑を掛けるわけでもないだろう。そう思い、クロムウェルは口を開いた。

 

「そうだな……王になってみたい」

 

 もちろん本気で言った訳ではない。気が大きくなった酒飲みの戯言だ。そもそも目の前の物乞いの老人が他人の願い等叶えられる訳がない。

 クロムウェルの言葉を聞いた物乞いの老人はにっこりと笑って、その場を去っていった。

 そしてその翌日の朝、自分の部屋にこのシェフィールドが現れたのだ。

 地方司教でしかなかった自分の人生は、それをきっかけに大きく起動が変わっていった。シェフィールドが連れて来た数人のメイジと共にラグドリアン湖から「アンドバリの指輪」を盗み出し、その力を使って今の地位まで余りにも異例な速さで上り詰めたのだ。

 シェフィールドは愛おしげにクロムウェルの指に嵌められた、「アンドバリの指輪」を撫でた。その瞬間、指輪は妖しい深い水色の光を放った。

 

「お前はこの指輪が蓄えた力はどんな物だと思う?」

 

 魔法に関しては知識がからっきしなクロムウェルは首を振った。

 

「私には分かりませぬ。この指輪の力を「虚無」と呼べと仰ったのは貴女様ではありませんか。「虚無」ではないのですか?」

 

「そうだったわね。この指輪が蓄えている力は「虚無」ではない。これは「風石」と同じ、先住の魔法と呼ばれる魔法の源の雫の一つ。色んな呼び名があるけどね。賢者の石、生命のオーブ……歴史的な見解で見れば、どちらかといえば「虚無」の敵に値する力よ」

 

「毎度ながら、貴女様の知識の深さは感じ入るばかりです」

 

「しかし、秘められた力は無限では無い。だから使用する度に石は小さくなっていくのよ」

 

 シェフィールドの言葉にクロムウェルは眼をしかめて「アンドバリの指輪」を眺めた。確かに、今まで意識しなかったが、手に入れた時よりも石は小さくなっていた。

 

「先住の「水」の力の結晶。なればこそ水の精霊が守護する秘宝と成り得る。そこらの魔石とは比べ物にならぬ力を秘めた石。つまりは先住の秘宝……」

 

 そう呟きながらシェフィールドがクロムウェルの指からから「アンドバリの指輪」を引き抜きジッと見つめると、その額が輝き出した。内から溢れる光だった。

 初めてこの光を見た瞬間、クロムウェルは驚いた物だ。この「アンドバリの指輪」に触れる度に、シェフィールドの額は輝き出す。

 人の額が輝くなんてあり得るのだろうか。しかし、シェフィールドは尋ねて答えない。重要な事や肝心な事は、この謎めいた女性は一切教えてくれない。ただただ命令を下すのみだ。

 シェフィールドが掌に指輪を乗せて差し出した。

 クロムウェルは恐る恐るその指輪に触れると、まるで悪戯を仕掛けられた子供の様に咄嗟に手を引っ込めた。

 「アンドバリの指輪」が、微かに振動している。触れただけで電流が身体に流れるかの様な感覚を覚えさせる衝撃がクロムウェルの指に伝わった。まるで、失われた力を取り戻した様な振動だった。

 

「知っているかしら? 「水」の力の特徴を」

 

「そ、それは、傷を治したりーー」

 

「それはあくまで表面的な事象よ。「水」の力は生命の身体の組成を司る。もちろん、心もね」

 

 シェフィールドは妖艶な笑みを浮かべた。それはその笑みに近付いた者を咄嗟に食い殺してしまう様な危険な物を感じさせた。

 

「死体を動かす事など、この指輪の持つ力の一つに過ぎないのよ」


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