ゼロの龍   作:九頭龍

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ロマリアの神官


第52話

 艦内での奇襲から一夜明け、トリステイン・ゲルマニアの連合艦隊はアルビオンの港町ロサイスへと辿り着いた。

 突如としてロサイスを守る為に駐屯していた守備隊であるアルビオンの兵達は驚き、互いに顔を見せ合って慌てた。

 

「何で敵の艦隊がこっちに来たんだ!? あいつ等、ダータルネスへ向かったんじゃないのか!?」

 

「知るか! とにかく至急ダータルネスへ伝令を走らせろ! この人数じゃ勝ち目なんざある訳ない!」

 

 ルイズの「虚無」の魔法、「イリュージョン」で作り上げた艦隊連合の幻想からほとんどの兵はダータルネスへと向かってしまい、ここロサイスには多く見積もっても五百程度の兵しか残っていなかった。例え此方に来るとしても、敵の殆どがダータルネスへと向かっているだろうとの事であまりロサイスへの守備力を強めなかったのである。

 そんな訳でロサイスに残っていたアルビオン兵達は、今回自分達はあまり仕事もせずに済むだろうと高を括っていたのだ。

 そんな緊張感もほどよく解けてる状態のアルビオン兵達は、突如現れた敵艦隊に慌てふためくしかなかった。

 

「今からじゃ間に合わない! とにかく我々で防衛をーー」

 

 一人のアルビオン兵の言葉は、連合艦隊から放たれた大砲の音によって掻き消された。

 なるべくロサイスを傷付けたくない連合軍は極力町を崩壊させない程度に大砲を放ち牽制しつつ、六万の兵を乗せた艦隊を次々と上陸させた。

 艦隊の中で守られ力を温存していた連合軍の兵達が一斉にロサイスの町へと雪崩れ込む。

 アルビオン兵達のほとんどは平民で剣や銃を手に取り対抗したが、多勢に無勢、ほとんど連合軍側の兵が消耗する事なくロサイスは占領された。

 ロサイスの町を隅々まで調べ、アルビオン兵を全て排除、又は捕虜にした所で、艦内で待機させられていた桐生とルイズに町へ降りる様に指示が出された。

 ルイズと共に桐生が艦内からロサイスへと出ると、大砲によってであろう黒煙が上がる港町が目の前に広がった。

 桟橋が海ではなく空へと伸びているので、少し視線を下に落とせば海の代わりに雲とその切れ間から見える森や山が見える。

 港町というだけあって、桟橋の奥には灯台の様な石造りの高めの塔が二本、まるで門の柱の様に左右に一本ずつ建てられている。片方は大砲によって少し崩れてしまっているが、その左右対象に建てられたであろう形には不思議な美意識を感じさせる。

 桟橋を渡って港となる広場を抜けると、石と木で作られた小さな町並みが広がった。素朴な白を基調とした壁に彩りどりの屋根の家が広がり、港からすぐの場所には酒瓶やパン等が描かれた看板がつけられた建物が多く見える。こんな戦争中でなければそこそこの活気のある町なのだろうと思わせた。

 そんな建物も、いくつかは大砲によって壊されてしまって黒煙が上がっていた。先ほどチラリと聞いた兵の報告によれば、戦争にあたってアルビオン軍の人間以外は町から出されていたとの事なので、取り敢えず一般の市民の被害がない事に桐生は安堵していた。

 ルイズと歩いていた桐生は不意に一人の兵に声を掛けられた。どうやらド・ポワチエ将軍がお呼びらしい。

 桐生は兵に案内されるまま所々が崩れたロサイスの町並みを眺めながら歩いた。そして町から少し離れた場所に、ド・ポワチエ将軍を筆頭に作成会議の時に見た面々が集まっていた。中央には大きな木製のテーブルが置かれ、それを囲む様に皆座っている。その周りには豪華な作りの天幕が張られている。恐らく此処に居る連合軍将軍達の専用の物なのだろう。

 

「おお、来なすったな。「虚無」殿、貴女のお陰でこのロサイスは無事、我々の被害を最小限に抑えて占領する事が出来ました。改めて、感謝致します」

 

 ルイズの存在に気付いたド・ポワチエ将軍が椅子から立ち上がり頭を下げると、他の将軍達も立ち上がりルイズへ頭を下げる。

 そんな将軍達にルイズは照れ臭そうに頬を赤らめながら小さく頷きながら、

 

「い、いえ……」

 

 と小さく漏らした。

 ルイズの言葉に顔を上げたド・ポワチエ将軍達は再び椅子に腰掛け、ルイズにも空いた椅子に座る様に促す。

 ルイズが椅子に腰掛け、桐生がルイズの後ろに立つのを見届けたド・ポワチエ将軍はこれからの予定を話し出した。

 将軍等の話では、ここロサイスはアルビオンの首都であるロンディニウムの南方三百リーグ、桐生達の世界で言った所の約三百キロの位置にある。その為これから恐らくアルビオン軍からの反撃が直ぐに行われるのが予想されている。なのでここロサイスを中心に円陣を組み、向かって来たアルビオン軍との決戦をこの地で行って、一気にロンディニウムへ進軍する。その様に作戦を組んでいるとの事だ。

 距離も距離な為アルビオン軍からの反撃は二、三日中、早ければ明日にでも向かって来ると参謀長から意見が出された。

 

「幸い今はウィンの月が始まったばかり。暑くはないがまだ寒さを感じさせぬこの気候ならば兵達には要らぬ疲労を感じさせずに済む。可能であるならば今年中にこの戦争を終わらせたい」

 

 ド・ポワチエ将軍は髭を指で軽く撫でながらそう口にした。

 ウィンの月。ハルケギニアでいう所未だ秋の季節である。汗ばむほどの暑さはないが上着を着なければならないほどの寒さも感じず、動くにはほどよい気候なのだ。

 しばらくはこのロサイスに留まり、しっかりと反撃の準備を整える事で会議は終了した。

 会議の終了を機にそれぞれが自分隊への指示を送る為に、将軍達は椅子から立ち上がると散り散りと去っていった。

 ルイズも椅子から立ち上がり、桐生とこれからどうするか話そうとすると、ド・ポワチエ将軍から声を掛けられた。

 

「そうだ、「虚無」殿。貴女と貴女の使い魔殿には此方の天幕をご用意した。其方をお使い下さい。それと……」

 

 ド・ポワチエ将軍は自分達と同じくらいに豪華な天幕へ二人を案内してから、指をパチンと鳴らして見せた。

 するとすかさず一人の兵が駆け寄り、跪いて少し大きな鞄をド・ポワチエ将軍へ差し出す。ド・ポワチエ将軍はその鞄を開いて中身を取り出すと、それは一枚のマントだった。

 ルイズが今着けている学園の物と生地も色も同じだが、そのマントの中心にはトリステイン王家の百合の紋章が白く描かれている。

 

「今は戦中、そして此処は敵の領地内です。敵味方の識別をつける為にも、貴女にはこれを羽織ってもらいます。どうぞ」

 

 ド・ポワチエ将軍に差し出されたマントをジッと見詰めてからルイズはそれを受け取ると、着けていたマントを外して桐生に手渡し、紋章入りのマントを身に付けた。

 自分が連合軍の一員である事を示す百合の紋章を身に付けた事で、ルイズは自然と自分の背筋が伸びるのを感じた。

 ド・ポワチエ将軍はそんなルイズを見て微笑んだ。

 

「うむ、丈も問題ないし、バッチリですな。ああ、その学園のマントは此方から学園へと送っておきますのでお預かりしましょう。それでは」

 

 桐生からマントを受け取ったド・ポワチエ将軍はそれだけ言うと何処へと向かっていった。

 取り敢えずの自由時間、手持ち無沙汰となった二人はロサイスの町を歩いてみる事にした。

 小さな町のあちこちでは粗末な天幕が張られ、道を狭くしていた。連合軍の兵士達が所かしこと動き回り、来たるべき決戦へと向けて準備を進めている。

 ふと、桐生の目に縄で繋がれた数匹の風竜の姿が目に入った。その周りには自分達を守り、戦死していった少年達と変わらぬ歳の十数人ほどの少年達が話し合っている。

 桐生は思わずその少年達に向かって歩き出し、ルイズも突然歩く方向を変えた桐生を慌てて追いかける。

 少年達に近付いてその姿が確認出来る所まで来ると、桐生は苦々しく顔を歪めた。

 分かってはいたが、やはり自分達を守ってくれたあの少年達とは別人だった。もしかしたら助かったのかもしれないと一瞬でも期待を持ってしまった自分に桐生は苛立ちを覚えた。

 顔を歪めながら此方を見る桐生に気付いた少年達は、桐生の元へとやって来た。

 

「あんた、もしかして……あの「ひこうき」とやらに乗ってた人か?」

 

 少年の中の一人がそう問いかけて来た為、桐生は静かに頷いた。

 瞬間、少年達はそれぞれ顔を輝かせガッツポーズを取ったり、中にはハイタッチをして喜ぶ者もいた。

 

「あいつ等、任務を無事に果たしたんだな! 流石は俺の弟がいた隊だ!」

 

「……弟?」

 

 状況が読めない桐生が戸惑った様に言うと、少年の一人が強く頷いた。淡い栗色の短い髪に青い瞳。確かに自分の周りを飛んでいた竜騎士の中に似た様な姿の少年がいたのを覚えている。

 

「ああ。あんたの乗ってた「ひこうき」を守る任務を与えられていた第二竜騎士中隊、あの中には俺の弟が入隊してたんだ。出来れば俺もこっちの第三中隊じゃなくそっちに入りたかったんだけど、編成でこっちに選ばれちゃってね。いやぁ、でも兄貴としては誉れ高いよ! 無事に任務を遂行したんだ。あいつは名誉の戦死を遂げられたんだな。しかし実の兄よりも先に成し遂げるなんざ、やっぱり生意気な弟だ」

 

 悔しそうにそう口にする少年の顔からは悲しみを感じない。実の弟を失ったというのに、何処か誇らしげにしているその姿は痛々しさすら感じられた。

 

「ああ、ごめん。自己紹介が遅れたね。俺はバッシュ。第三竜騎士中隊の副長みたいなもんだよ。よろしく、えーっと……」

 

「一馬だ。よろしくな、バッシュ」

 

 差し出されたバッシュという少年の手を握りながら自身の名前を伝える桐生。

 バッシュは子供らしい笑顔でニッと笑って見せてから、桐生の後ろに立つルイズの存在に気が付いた。

 

「ん? そっちの女の子は誰だい?」

 

 首を傾げながらバッシュが問い掛ける。そんなバッシュにルイズは桐生の横に立って胸を張った。

 

「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。このカズマの主人よ」

 

「しゅ、主人?」

 

 ルイズの自己紹介の言葉の意味が理解出来ないのか、バッシュは二人を交互に見ながら目をパチクリさせる。普通に考えれば親子ほどの年の差を感じさせるのに、若い方が主人などと言っても意味がわからないのは無理もないだろう。

 

「俺はルイズの使い魔なんだ」

 

 そんなバッシュに桐生が助け船の如く疑問の答えを口にする。

 瞬間、バッシュを筆頭に少年達が桐生を取り囲んで物珍しげに眺め始めた。

 

「人が使い魔なんて……聞いた事ないな」

 

「ああ。これって歴史に残る事なんじゃないか?」

 

 口々にそう言ってマジマジと桐生を眺めていた少年達の後ろから、パンパンと手を叩く音が聞こえた。

 音の方へと振り返ると、一人の少年が腕を組んで立っていた。背は桐生の周りの少年達より高く、整えられたセミロングまであるかないかの金髪が日の光に輝いている。黒のズボンに白の腰辺りまで伸びた丈の長いシャツにマントを身に付けている。

 

「おかしいな。報告の間、君達には竜の世話を頼んでおいた筈なんだけど?」

 

 少年から発せられるその声は透き通っており、男か女か一瞬判断に迷う美声だ。

 そんな少年に対して、バッシュ含む少年一同は露骨に嫌な顔をする。

 

「申し訳ありませんね、ロマリア人の隊長殿」

 

「やれやれ、いい加減隊長の名前くらいは覚えてくれても良いんじゃないかな? ジュリオ・チェザーレだ」

 

 バッシュの言葉に首を振りながら優雅な仕草で髪を掻き上げながら近付くジュリオと言う少年の顔を見て、桐生はある事に気付いた。

 ジュリオの左眼はルイズと同じ鳶色だが、右眼は透き通る様な碧眼だ。確か、オッドアイと言ったか。虹彩の異常がもたらす現象だったと記憶している。

 ジュリオは少年達を掻き分けて桐生の前に来ると微笑みを浮かべた。

 

「貴方が噂の使い魔、カツマ君とやらだね?」

 

「……一馬だ」

 

 名前の間違いを訂正した瞬間、ジュリオは大仰な身振りで手を広げて仰け反って見せてから優雅に一礼した。

 

「これは大変な失礼を! 僕はロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。以後、お見知りおきを。人間が使い魔なんて珍しいからね。貴方には是非一度お会いしてみたかったんだよ」

 

 優雅な仕草で自己紹介をするジュリオの動きは、全てが芝居掛かっている様に見えた。取り繕いの表情と動きで決して本心を他人に見せない様な、何処か食えない印象を桐生は覚えた。

 ジュリオは顔を上げると桐生の横に居たルイズに視線を向けて、無邪気さを感じさせる人懐っこい笑みを浮かべて見せた。

 

「貴女がミス・ヴァリエール? 噂通り美しいお方だね!」

 

 突然自分に声を掛けられポカンとしてるルイズの手を取ると、ジュリオはその甲に優しく口付けた。

 瞬間、ルイズは頬を可愛らしく赤らめながら視線をジュリオから逸らす。

 

「もう、いけない人ね」

 

 まんざらでも無さそうにそう漏らすルイズに桐生は溜め息を漏らした。まぁ、ジュリオはギーシュ以上の美少年だ。そんな美少年に口付けられて嫌な顔をする少女は数少ないだろう。

 

「神官が女性に触れても良いのか? ロマリアってのは本当に節操のない国だな」

 

 バッシュの言葉から察するに、ジュリオは自分の部下達に好かれていないらしい。

 

「一応此度の戦に参戦するにあたり、一時的な還俗の許可を教皇よりは頂いているんだよ。とは言えバッシュ、君の言う事ももっともだ。ミス、失礼を。未だ僧籍に身を置く故、女性に触れてはならぬ身。しかし、貴女の様な美しき女性に出会えたのも神からの贈り物に他なりません。その喜びに粗相をしてしまった事をお許しください」

 

 ルイズの手から自身の手を離し、一礼するジュリオ。

 バッシュはそんなジュリオを忌々しげに見つめながらも頭を下げた。

 

「ではジュリオ隊長殿、先ほどお願いした通り「鎮魂の儀」をして頂きたい。数名を着けますので準備の方を」

 

「ああ、そうだったね。それこそ坊さんの仕事だ。喜んでやらせて貰うさ」

 

 ジュリオが頷くと、バッシュが数名の少年を指名してジュリオに着かせ、そのまま何処かへと向かって行った。

 そんなジュリオを見送ったバッシュは露骨に舌打ちをしながら腕を組んで首を振る。

 

「神官の癖に偉そうにしやがって。これだからロマリア人は嫌いなんだ」

 

「そのロマリア、っというのは何なんだ?」

 

 先ほどからバッシュが口にする言葉に疑問を覚えた桐生がそう問い掛けると、バッシュは信じられないといった表情で首を傾げて見せた。

 

「あんた、ロマリアを知らないのか?」

 

 桐生は静かに頷く。

 情けない話ではあるが、未だ桐生は此方の世界の文字が読めない。だから地図を見たとしても、何処が何の国なのかさっぱり分からないのだ。

 しかし、素直に異世界から来た、と言った所で誰もがコルベールの様に信じてくれる訳ではない。だからこういう時は、決まった文句を口にする。

 

「俺は東のロバ・アル・カリイエから来たんでな。こっちの地理はよく分からないんだ」

 

「あのエルフ共としょっちゅうやり合ってる国か!」

 

 バッシュの発言や、以前コルベールから聞いた話から、エルフとやらはどうやら人間とあまり仲が良い関係では無いらしい。

 

「ロマリアってのはハルケギニアの寺院を束ねてる「宗教庁」がある国さ。神に仕える身分、つまりは神官がこの世で最も偉いと思ってる国さ」

 

 宗教が絡む国となると、確かに諍いや争いは絶え無い様なイメージが湧いた。桐生のいた世界でも、宗教の相違で離婚や絶縁、果ては戦争だって起きる。誰しも自身が信じている神こそこの世で唯一絶対の存在なのだ。

 

「その神官とやらも、魔法が使えるのか?」

 

 桐生がそう口にすると、少年達の一人がまさか! と口にした。

 

「そりゃあ貴族の血筋なら魔法も使えるだろうけど、神官には平民も多いんだ。だから全員が魔法を使える訳じゃないよ」

 

「あのジュリオは、平民の出って話さ。そのくせあんなに偉そうだから、いけ好かない奴だよ」

 

 本人が居ないのを良い事に、少年達は顔をしかめながら口々に続けた。

 

「魔法が使えないのに、それでも中隊長になれるものなのか?」

 

 桐生なりにこのハルケギニアという世界の常識はそれなりに理解して来たつもりだ。何事も基本は貴族が一番、という風潮に染まったこの世界で、平民ながら中隊長に上り詰められたのは普通ではないのはわかる。

 

「あいつ、平民の癖に竜に乗るのがとっても上手いんだ」

 

 バッシュが悔しそうに顔を歪めて口にしてから、少年達は深い溜め息をついた。

 

「メイジでもないのに竜の声が聞こえる、なんて言ってたよ。何処まで本当かは知らないけど」

 

「まあ、その能力を買われて僕達竜騎士中隊を指揮しているギンヌメール伯爵に気に入られて、第三中隊の隊長の席に収まったんだ。そりゃあ、第三中隊は外人を補充して作られた部隊ではあるけど、破格の出世には違いない。神官が隊長だなんて、お陰で僕達竜騎士中隊は他の隊の笑い者さ!」

 

 口々に熱く不満を漏らす少年達をバッシュはまあまあと宥める。弟を持っていたというだけあって自分と年端の変わらぬ少年達をまとめるのはそこそこ上手いらしく、バッシュの宥めに少年達も渋々ながら落ち着きを見せる。

 少年達全員がそれなりに落ち着きを取り戻した頃、ジュリオが共に連れて行った少年達を引き連れて戻って来た。

 

「お待たせした。「鎮魂の儀」の準備が整ったよ。それじゃあ来てくれ」

 

 それだけ言うと、ジュリオは再び踵を返して歩き出した。それに少年達も続く。

 

「良かったら、あんた達も一緒に来てくれないか? 弟達の魂を一緒に天国へと導いてやって欲しい」

 

 バッシュの声掛けに桐生とルイズは頷いて、少年達の後に続いた。

 

「「鎮魂の儀」と言うのは、どういう物なんだ?」

 

 少年達の後に続きながら桐生がルイズへと耳打ちする。

 ルイズの話によれば、戦争や災害等で命を失った人間の魂は自身が死んだ事を受け入れられない場合があると言う。未練や怨みつらみが魂を現世へと縛り、やがては怨霊や悪魔へと姿を変えてしまう場合があるらしい。なので祈りを捧げ、神官による歌を聞かせる事で魂の中の未練や怨みを鎮めて迷いなく天国へと導く為の儀式だそうだ。

 恐らくその歌とやらは日本で言う所のお経の様な物なのだろう。何処の世界でも、不条理な死を遂げた死者の魂は決して晴れる物ではないという事だ。

 怨霊、という言葉を聞くと、いつだったか渡された「呪いのビデオテープ」なんて物があったなと内心桐生は思った。突然道端で渡されたビデオテープを見て、それは呪われたテープだとインチキな霊媒師から石を売り付けられそうになったのが懐かしい。もっとも、あんな子供騙しな赤い服の女なんてものとは比べ物にならない様なのがこの世界では実際に蠢いているんだろうが。

 そういえば、あの時石を渡してきた霊媒師はこっちを見て随分怯えていた様だったが、あれは一体何に怯えていたのか未だに分からない。胡散臭いとは思ってはいたが、そんなに自分は恐い顔をしていたのだろうか。それとも自分の後ろに何かが居たのだろうか。いや、あの時近くにあったのは、件のビデオテープくらいだったとしか覚えていない。

 まあ、今はどうでも良いかと桐生はその記憶を頭の片隅に追いやった。

 

 

 ロサイスの町から少し離れた空き地に、大小の石で作られた粗末な墓が十数個建てられていた。夕暮れへと変わった淡いオレンジ色の光がその墓石を照らしている。

 バッシュの誘導で、少年達はその墓石の前に参列に並び出す。桐生とルイズもそれに続いた。

 少年達全員が背筋を伸ばして墓石を見詰める中、少年達と墓石の間にジュリオが歩み寄って辺りを見回した。

 

「これより「鎮魂の儀」を行う。一同、祈りを」

 

 真剣な表情で言うジュリオの言葉に、少年達は次々と右手で拳を握り、左手でその拳を包むと瞳を閉じた。

 ルイズもそれに続き、桐生も同じ様に拳を左手で包んで瞳を閉じた。

 全員が祈りの姿勢を取ったのを見届けると、ジュリオはお経の様な歌を口にし始めた。透き通った声は迷いや未練を払い、彷徨う魂を天へと昇らせるのを連想させた。

 時間にして十分ほどの時が経った頃、ジュリオの声が止んだ。それを合図に少年達も祈りの姿勢を解いて瞼を開いた。

 

「ジュリオ隊長殿……ありがとうございました」

 

 バッシュがジュリオに深く頭を下げた。

 ジュリオは小さく頷きながら微笑むと、優雅な足取りでその場から去って行った。

 それを皮切りに少年達も次々とロサイスへと戻り始める。桐生もルイズを連れて戻ろうとした時、その場から動かない少年の姿に気付いた。

 参列に並んだ真ん中の先頭、そこに立っていたバッシュは墓石をじっと見詰めたまま微動だにしていない。

 桐生はそのままルイズとロサイスへと戻った所で足を止めた。

 

「どうしたの、カズマ?」

 

 突然足を止めた桐生にルイズが首を傾げる。

 桐生はしばらく黙ったまま虚空を見つめてから、ルイズへと視線を向けた。

 

「悪いがルイズ、先に天幕に戻っててくれ」

 

「えっ? どうしたの? 何かあるなら私も一緒にーー」

 

「悪いが、これは俺一人で済ませたい用事なんだ」

 

 ルイズの言葉を遮りそう口にした桐生の言葉は、怒りや叱咤の様な物はないが、有無を言わせぬ威圧感があった。

 ルイズは少し戸惑いながらも、素直に頷いた。

 そんなルイズに桐生は微笑みながら頭を優しく撫でてから、踵を返して歩き出した。

 淡いオレンジ色の空は段々と夜の青黒さを濃くしていき、小さな星が砕け散った宝石の様に煌いている。

 墓石の前に戻ってみると、まだバッシュは其処に立っていた。だが、先ほどとは少し様子が違う。小さくだが、肩が震えている。

 桐生はゆっくり近付いて、バッシュの背後に立った。

 桐生の存在に気付いたバッシュは振り返ると、ぎこちない笑みを浮かべた。瞳には、今にも溢れそうなほどに涙が溜まっている。

 

「ああ、あんたか。今、弟を……レックスを褒めてたんだ。良く、やったって……。兄ちゃんは、誇らしいって……」

 

 懸命に涙を流さぬ様、嗚咽を漏らさぬ様に言うバッシュの声は震えていた。

 名誉の死だと口にしても、大切な兄弟を失った事に変わりはない。まだ十代そこそこの少年が味わうには早すぎる悲しみを、バッシュは懸命に堪えている。

 桐生はゆっくりバッシュの横に立つと、その背中を優しく叩いてから撫でた。

 バッシュは桐生に視線を向けずに戸惑った様に生唾を飲む。

 

「お前の弟のお陰で、俺とルイズは今、此処にこうして立てていられる。何の慰めにもならないが、礼を言わせてくれ。レックス……ありがとう」

 

 自分の背中を撫で続けながらそう口にした桐生と墓石を交互に見て、バッシュの瞳から一筋の涙が頬を伝う。

 

「良かったな、礼を言って貰えて。……お前、生意気なんだよ。兄ちゃんより先に逝きやがって。またロサイスで必ず会うって約束しただろう? ……父さんから言われてたじゃないか。嘘を吐くのは……一番しちゃ……いけないって……」

 

 もうバッシュは耐えられない。そう感じた桐生はバッシュの背中を少し強く叩いた。

 それが文字通り背中を押した様に、バッシュは墓石に抱き着いて崩れる様に座り込んだ。

 

「うわああああああっ! レックス! 何で、何で死んじゃったんだよぉっ! 一緒に帰るって、約束したじゃないか! 母さんと父さんに、胸を張って帰って来るっていったじゃないかぁっ!」

 

 昼時に見せた悔しそうな表情の仮面を剥ぎ取り、涙と鼻水で顔を濡らしながら大声で泣き喚くバッシュの姿を見て、桐生は強く歯噛みした。

 血が繋がっていないとはいえ、兄弟として共に育った錦山彰が自分の目の前で死ぬのを目の当たりにした時の絶望感は計り知れない物があった。そんな思いをこんな年端も行かぬ少年が味合わなきゃならないのだ。

 ルイズを守る為にと参加した戦争だったが、桐生の中でこの戦争の意味が大きく変わって来た。

 一刻も早くこの戦争を終わらせなければならない。大人だろうが子供だろうが、男だろうが女だろうが、こんな思いを味わう事のない様に。

 兄弟を失った少年の悲しげな泣き声に、桐生は心に強く誓った。


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