ゼロの龍   作:九頭龍

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招かれざる客


第51話

 ロサイスへと真っ直ぐに向かっている「ヴュセンタール」号の作戦会議室で、ド・ポワチエ将軍は報告を受け取った。

 ロサイスへと偵察に向かっていた第一竜騎士中隊の一騎士からの物だ。報告を聞いたド・ポワチエ将軍の口元には機嫌の良い笑みが浮かび上がっている。

 参謀総長のウィンプフェンが上官の笑みを見てニヤリと笑った。

 

「どうやら朗報の様ですな」

 

「ああ。ロサイス付近はもぬけの殻と化したとの事だ。どうやら「虚無」は期待に応えてくれたらしい。アルビオン軍の全ての艦隊がダータルネスへ吸引された様だ」

 

「ほう! これで勝利への第一の関門は突破出来たという事ですな」

 

 ウィンプフェンの相槌にド・ポワチエ将軍は深く頷いた後、軽く咳払いをしてから命令を発した。

 

「これより我が艦隊は全速をもってロサイスへと向かう。上陸に向け、打ち合わせをしなければならない。各指揮官を急ぎ集めよ」

 

 ド・ポワチエ将軍の命令を受けた伝令は深々と頭を下げた後、全速力ですっ飛んで行った。

 ウィンプフェンを脇に携え、ド・ポワチエ将軍が作戦会議室の椅子に腰掛ける。

 

「さて、俺が元帥となれるかは今後一週間にかかっている。この第一の作戦成功がそれを何処まで後押ししてくれるのやら……」

 

 ド・ポワチエ将軍は近くに広げられていた作戦会議用のアルビオン大陸の地図を引き寄せ、掌を勢い良く地図の中心へ叩きつけた。

 この広大な空飛ぶ大陸には手付かずの五万の敵兵が眠っている。上陸は成功しても、厳しい戦いとなるのは火を見るより明らかだった。

 

 

 ダータルネス上空に艦隊の幻影を浮かべた後、たった一機となってしまった桐生達を乗せたゼロ戦は、トリステイン艦隊との合流地点を目指して飛行していた。

 計画書に書かれた通りならば、アルビオン大陸と空の境界で艦隊と合流出来る。

 機体の中は、重苦しい空気が充満していた。

 操縦席に座った桐生は黙ったまま、ただ前だけを見ていた。

 そんな桐生にルイズは何とか声を掛けようとするも、上手く言葉を出せずに口を開きかけては閉じるのを繰り返していた。

 しばらく飛行していると雲が途切れ、ロサイスを目指すトリステイン・ゲルマニア連合艦隊が姿を現した。

 最初の頃に比べると、随分と数を減らしている。

 が、それでも輸送船団がほとんど無傷という事は、戦闘に勝利したのだろう。

 勝ったとはいえ、生き残った船も満身創痍と言った様子でボロボロだった。船体には幾つも穴が空き、マストがへし折れてる船もあれば、片舷の大砲がそっくり無くなっている船もあった。

 

「……あの、カズーー」

 

「忘れるなよ、ルイズ」

 

 重苦しい沈黙に耐えかねたルイズが必死に喉を絞って出した声は、桐生の言葉で遮られた。

 桐生の声に身体を硬直させるながら生唾を飲むルイズ。

 そんなルイズに、桐生は顔を向けた。その表情は悲しんでいる様な、苦しんでいる様な物で、瞳は寂しい光が秘められていた。

 

「俺達の為に命を懸けた、あいつ等を忘れるな。そして、人の「死」に慣れるな。これから先、この戦争が進むに連れて、亡くなる仲間もいるだろう。でもな、どんなに仲間を失ったとしても、「死」という物に慣れるな。人が死ぬのを、当たり前だと思うな。この世に、意味もなく亡くなって良い命なんてないんだ」

 

「…………うん」

 

 ルイズが「始祖の祈祷書」を抱き締めたまま、ゆっくりも深く頷くのを見届けてから桐生はゆっくり前へと顔を戻した。

 目の前に「ヴュセンタール」号の機体が見え、ゼロ戦は着艦する為に機首を向けた。

 黒煙と火薬の匂いが漂う中、ゆっくりと夕日へと変わり始めてる淡いオレンジ色の日の光が煤まみれの艦隊を美しく輝かせた。

 

 

 「ヴュセンタール」号に無事着艦したゼロ戦の傍らにはド・ポワチエ将軍を筆頭に参謀達が集まっていた。無事に任務を達成した「虚無」ことルイズを労う為に出向いたのである。

 エンジンが切られたゼロ戦の風防が開けられ、桐生とルイズが顔を出すと、ド・ポワチエ将軍が拍手をして見せた。

 それを皮切りに参謀達も次々と拍手をして二人を出迎えた。

 桐生は無表情のまま、ルイズは複雑な表情でゼロ戦から降りる。すると二人を囲む様にド・ポワチエ将軍達が拍手を続けながら笑顔で近づいて来た。

 

「お見事です、「虚無」殿。無事に作戦を成功させてくれた事を心より感謝致しますぞ」

 

「あ、いえ……」

 

 ド・ポワチエ将軍の労いの言葉に、ルイズは困った様に頬を掻きながら頷いた。

 作戦の成功は喜ばしい事である。だが、桐生の事が引っかかっているのか素直に喜ぶ事が出来ないルイズであった。

 そして気付く。ド・ポワチエ将軍を含め、拍手も笑顔も誰も桐生へと向けていない事に。

 今までは平民だから当然だと思っていたその光景に、ルイズは内心歯噛みする。

 確かにあの呪文、「イリュージョン」を唱えたのは自分かもしれない。だが、その呪文を成功させられたのは他ならぬ桐生のおかげだ。そんな彼に対して何の労いの気持ちも無いのは失礼だと思わないのか。

 

「「虚無」殿のおかげでロサイスは問題なく占拠出来るでしょう。今宵は細やかですが作戦成功の祝勝会をしたいと思っています。宜しければお二人もーー」

 

「悪いんだが」

 

 舞い上がった様に話すド・ポワチエ将軍の言葉を桐生が遮る。

 突然自分の言葉を遮られた事に面食らった様に目を丸くさせるド・ポワチエ将軍とルイズが桐生へと顔を向けた。

 桐生は相変わらず無表情だが、その顔には些か疲れの様な物を感じさせた。と言うよりは、うんざりしている、と言った方が正しいのかもしれない。

 

「俺は遠慮させて貰う。少し……疲れた。祝勝会とやらは俺抜きでやってくれ」

 

 桐生はそれだけ言うと、ド・ポワチエ将軍や参謀達を乱暴に押し退け、自分達の部屋へと通じる通路の扉を力任せに開くと艦内へと消えて行った。

 

「全く、「虚無」殿の使い魔であるとは言え、平民は作法というのを知らんので困る」

 

 ド・ポワチエ将軍が嘆く様に言うと、参謀達も全くだと言わんばかりに頷いて桐生の入った扉を軽蔑する様に見る。

 ルイズはド・ポワチエ将軍達の態度に怒りを覚えた。桐生がどれだけ傷付き、どれだけ辛いのかを分かっていない。エルギースが、自分と歳の変わらぬ少年達が死んだというのに彼等の事も一切口にしないのも気に食わない。

 頭では分かっている。今は戦争中だ。犠牲者を想って嘆いてばかりはいられない。だが、せめて形だけでも良い。彼等の為にまず祈りを捧げるくらいしても良いのではないか。

 ルイズはここで改めて思った。今のド・ポワチエ将軍達が、目の前の大人達が桐生の言う「死」に慣れた人間の姿なのだと。

 彼等にとって戦場で死に行く者等、所詮は手駒が無くなった程度でしかないのだ。手駒が無くなったならば新しく兵を補充すれば充分、そういう考えなのだろう。

 自分がこの戦争の、アンリエッタの役に立てたのは良かったと思っている。その為に今回の従軍に志願したのだから。自分が得たこの「虚無」の力を、アンリエッタの為に使おうと。

 様々な考えが頭の中で渦巻き、ルイズは疲れた様な溜め息を漏らしてから肩を落としてド・ポワチエ将軍に声を掛けた。

 

「ごめんなさい、将軍。私も呪文の発動で少し疲れたみたいです。祝勝会には私とカズマは不参加という形でお願いします」

 

「む、左様ですか。残念ですが伝説の魔法となると疲労も並ではないのかもしれませぬな。分かりました。ではごゆっくり、お寛ぎ下さい」

 

 心底残念そうといった表情でド・ポワチエ将軍はそう言うと、参謀達に軽く声を掛けて道を開けさせた。

 ルイズは開けられた道を通り桐生同様に扉を開いて船内へと入る。

 コツコツと自分の足音が響く艦内の廊下を歩き、自分達にあてがわれた部屋の前まで来た。

 ルイズは扉を開こうとドアノブへ手を伸ばして、そこで戸惑った様に手を引っ込めてしまった。

 中には恐らく桐生が既に居るであろう。ならば、何と声を掛ければ良いのだろうか。

 叱られた訳でも、喧嘩した訳でもない。だがゼロ戦のコックピットでの重苦しい空気を考えると、ルイズの心は大きく騒ついた。

 別に無理に声を掛ける必要は無いのは分かっているのだが、あの沈黙の中でジッとしているのは些か耐えられない。

 しばらくモジモジした様に扉の前で身体を揺らしてから、ええいままよと意を決して扉を開いたルイズ。内開き式の扉が開き、そのまま中へと入る。

 部屋の中では桐生がベッドの上で横になっていた。

 桐生が寝ていると思ったルイズはゆっくりと音をなるべく立てない様に扉を閉める。

 

「いようっ、娘っ子。戻ったかい」

 

 突然掛けられた声にルイズの身体が驚きにビクッと跳ねて反応する。

 振り返ると壁に立て掛けられていたデルフリンガーがカタカタと小刻みに揺れていた。どうやら笑っている。

 

「こいつぁ面白ぇ! 身体を大きく跳ねさせるたぁ、良い反応じゃねぇか、娘っ子」

 

「い、いきなり話し掛けないでよ! ビックリするじゃない!」

 

「冷てぇなぁ、そりゃあ冷てぇ言い方じゃねぇか、娘っ子。こちとらずっと大人しくお留守番してたんだぜ? ちょろっと喋るくらい許して貰えねぇってのかい? 人権……剣権? も俺には無いってか? ああ、傷付いた。俺は今とぉっても傷付いた!」

 

 カタカタ揺れながら話すデルフリンガーにルイズは大きく肩を落としながら深い溜め息を漏らした。色々考えていた頭の中がこの喧しい声で一気に吹き飛んでしまった。

 

「デルフ、ルイズも疲れてるんだ。もう少し静かに喋ってやれ」

 

 横になっていた桐生からの言葉に、ルイズがハッとした様に声の方へと顔を向ける。どうやら桐生は眠っていた訳ではない様だ。

 桐生からのたしなめとも捉えられる言葉に、デルフリンガーはすかさず抗議の声を上げる。

 

「なんでぇなんでぇ、相棒までよぉ! さんざっぱら鞘ん中に納めっぱなしで全然構ってくれねぇ癖に、いざ喋ってみりゃあまるで俺がうるせぇ奴みてぇに言いやがって!」

 

「実際うるさいじゃないの……」

 

 抗議に対してのルイズの言葉にデルフリンガーは一際大きくカタンと揺れた。どうやら怒りの意思表示らしい。

 

「はーっ! そうかいそうかいっ! ピンチを救ってやったこの命の恩人、恩剣? である伝説の剣に向かってうるせぇってか! こんな言われ方しなきゃならねぇたぁ、世も末ってやつだなぁ、おい! 泣くぞ!? いじけるぞ、こらっ!」

 

「あんた、本当にうるさいわよ! ちょっと黙ってなさい!」

 

 ルイズはズカズカとデルフリンガーに向かって歩み寄ると、ヒョイと持ち上げて鞘と柄をそれぞれの手で掴んだ。

 

「あっ! 止めろ、娘っ子! 久々のトークタイムを強制終了させんな! ねっ! お願い! 鞘に納めないでーー」

 

 強気だった口調から懇願に近い口調へと変わるデルフリンガーの言葉を無視して、ルイズは力強く鯉口を鞘へと納めた。

 明るく喧しい声がまるで切れたスピーカーの様に消えて、部屋の中には静寂が訪れた。

 ルイズは忌々しそうにデルフリンガーを眺めてからやや乱暴に壁へと立て掛けると、自分のベッドへと腰掛けた。

 天井に向けられていた桐生の顔がゆっくりとルイズの方へと向けられる。

 

「祝勝会とやらには行かなかったのか?」

 

「あんな人達と楽しく食事が出来るとは思えないわ。私も少し疲れてるし……だから断っちゃった」

 

 疲れているのは事実だが、桐生が行かないなら自分も行かないという子供っぽい理由は胸の中にしまっておいた。

 桐生は再び天井へと視線を向けると小さく息を漏らした。

 

「そうだな。以前同様、お前は凄い魔法を成功させたんだ。疲れて当然だな。お前も少し横になった方が良いぞ? 眠れなくても、疲労は多少取れる」

 

 そう言った桐生をジッと見詰めてから、ルイズはベッドから立ち上がってゆっくりと桐生へ近寄る。

 天井を映していた桐生の視界の端から、ルイズの顔がひょっこり覗き込んだ。可愛らしい鳶色の瞳はどことなく不安そうな色を見せている。

 どうしたのかルイズを見詰めていると、ルイズの小さな唇が動く。

 

「隣……良い?」

 

 不安そうにそう口にしたルイズに対して、桐生は笑みを浮かべて答える変わりに身体を少しずらした。

 ルイズは安心した様に笑ってからそそくさと桐生の隣に横になる。此方に身体を向けてくれた桐生の胸元に額を軽く当てながらまるで子猫の様に身体をすり寄せた。

 桐生の手が、ルイズの頭を優しく撫でる。ルイズにとって祝勝会やどんな言葉よりも自分への労いと思える優しい感触が心地良い。鼻腔を擽るのは、煙草の匂いが混じった桐生の香り。

 窓から差し込むオレンジ色の日の光はゆっくりと消えて行き、ランプの淡い灯だけが部屋を照らしていく中、桐生とルイズは疲労から眠りの海へと落ちていった。

 

 

 カチリ、という聞き慣れた音で桐生は目を覚ました。

 周りを眺めてランプの灯以外は部屋を照らしていないのを見ると、そこそこよるが深まった頃の様だ。だが、まだ祝勝会とやらは行われているらしく、少し遠くの方から笑い声が聞こえる。胸元ではルイズが小さな寝息を立てて眠っている。

 ルイズを起こさぬ様に気遣いながらゆっくりベッドから降りて、ランプの灯りを息で吹き消し意識を集中させる。

 遠い笑い声に混じって、かなり近い距離から忍び足で此方に近付いている気配を感じる。どうやら招かれざる客が深夜の訪問に訪れたらしい。

 桐生は扉の前で佇み、深い呼吸を繰り返す。すると徐々に身体から青いヒートの光が溢れて来た。薄暗い部屋の中で桐生の身体から溢れる青い光だけが淡く辺りを照らす。

 そうやって招かれざる客を待っていると、ドアノブがゆっくりと回り始めた。

 桐生は咄嗟にドアノブを掴んで勢い良く扉を開く。開かれた扉の前には、一人の男が立っていた。

 立っていたのは若い男だった。歳は二十代、見方によっては三十代の前半くらいにも見える。服装を見た所、船の整備士の様だ。薄汚れた茶色のツナギにカーキ色の帽子を被っている。「ヴュセンタール」号を初めて来た時、ゼロ戦を下ろしてから機体を固定するワイヤーを弄っている同じ服装の人間を見かけたのを覚えている。

 しかし、彼はどうやら他の整備士とは少し違う様だ。右手に握られているのはナットやドライバーではなく、拳銃だからだ。

 突然開かれた扉に面食らった様に驚いた表情を浮かべていた男はすかさず握っていた拳銃の銃口を桐生に向ける。

 

「遅いっ!」

 

 銃口が向けられたのと同時に桐生は拳銃を握っている男の右手首を左手で掴み、銃口を自分から逸らさせつつ右手を内側から振り回して男の右頬を強く引っ叩く。

 右頬から身体に走る衝撃に意識を揺さぶられた男に今度は顎へ掌底を強く打ち付けて床に叩きつけた。床で背中を強く打った男の右手から拳銃が離され、乾いた音を立てて床を転がる。

 古牧流体術、「火縄封じ・短筒崩し」。拳銃の様に短い銃火器に対して発砲する前に先手を打つ護身体術である。

 男が痛みに呻きながら立ち上がろうとした為、桐生は胸ぐらを掴んで腹を蹴り付け男の身体を廊下へと吹き飛ばす。

 まだベッドで眠っているままのルイズを一瞥してから桐生も廊下へと出てそっと扉を閉める。

 一定の感覚で蝋燭の燭台によって僅かな灯りが灯されている廊下では、男が痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がっていた。

 

「アルビオンからの鉄砲玉か」

 

 男は黙ったままツナギの前を開いてナイフを取り出した。その行為を桐生は肯定とみなした。

 

「何で俺が来る事が分かった?」

 

 男はプッと血混じりの唾を吐き捨ててからナイフを構え、桐生に問い掛ける。

 

「お前の持っていた拳銃、どうやら撃鉄を挙げなければ撃てないらしいな。あの撃鉄の挙がる音を、俺は以前居た所でも聞いた事があってな。だから身の危険を感じて待ち構えて居たんだ」

 

「あの音に気付いたのか……」

 

「もっと遠くで撃鉄を起こすべきだったな。お前の計画は失敗したって訳だ」

 

 桐生の言葉に男はナイフの位置を変えずに片手で帽子を深く被り直しながら、俯いて肩を揺らして笑って見せた。

 

「馬鹿な奴だ」

 

「何だと?」

 

 男の言葉に桐生は訝しげな表情を浮かべながら問い掛ける。

 男が顔を上げると、狂気にギラついた瞳が覗いた。

 

「眠ったまま撃ち殺されていれば苦しまずに逝けたものを。予定は変わったが、俺がお前を殺す事に変わりは……ないっ!」

 

 素早い動きで帽子を脱ぎ捨てるなり桐生へ投げ掛ける男。

 桐生が帽子を片手で弾くのとほぼ同時に、男のナイフが桐生の首筋目掛けて閃く。

 桐生が避けると男はすかさずナイフを逆手に持ち替え、銀色の刃で追い掛ける。

 桐生はナイフを持っている男の手首に左腕を当てて迫り来る切っ先を防ぐ。ふと、遠目では分からなかったが、ナイフの刃が何かで濡れているのが分かった。切っ先からポタリと落ちる雫が蝋燭の灯りで煌めく。

 毒だ。瞬時に桐生はそう判断した。

 右の拳を男の腹目掛けて突き出す桐生。その拳が届く前に男は弾かれた様に後ろに引いて桐生との距離を取る。

 

「そのナイフ、ただのナイフじゃなさそうだな」

 

「ご名答。調合師に配合して貰った特製の毒が塗られてるのさ。例えかすっただけだとしても毒が体内に入れば激痛に襲われ、数分後にはあの世行きの特別製だ。苦しみながら死ぬ事になる。撃ち殺された方が良かったと思いながら逝かせてやるぜ」

 

 ナイフを指先で弄びながら言う男の顔に狂気的な笑みが浮かぶ。

 桐生は黙ったまま腰に差していたウェールズの形見である短剣を取り出して、鞘から引き抜いた。

 汚れのない白銀の諸刃が男のナイフ同様に蝋燭の灯りで妖しく光る。

 桐生が鞘を腰に差し戻し、短剣を持って構えると男も笑みを浮かべたまま構え直す。

 お互いの出方を待つ様にゆっくりとした動きで間合いを取り合っていると、男が先に仕掛けた。

 

「しゃあっ!」

 

 叫び声と共に突き出された男のナイフの刃を、桐生が短剣で受け止める。

 ガキンという耳障りな金属音と火花が飛び散り、薄暗い廊下に一瞬真昼の明るさが広がる。

 キンッと金属音を立てながら刃同士が離れると、男がナイフを桐生目掛けて振るう。

 男は慣れた動きでナイフを操り変幻自在の斬撃を桐生に浴びせる。男にとってはたった一撃でも桐生に当てれば良いのだ。

 ナイフによる突き、袈裟切り、払いの斬撃を間一髪で短剣で受け止めて防いでいく。その度に火花が飛び散り、薄暗い廊下を明るくする。

 遠くでは未だに祝勝会による物なのか賑やかな笑い声が聞こえる。浮かれた連中の知らぬ所で命懸けで戦っている自分に、桐生は少し惨めにも感じた。

 男のナイフを受け止め弾いた瞬間、衝撃からか桐生の腕が大きく上がる。

 

「貰ったぁっ!」

 

 桐生の隙を突いたとばかりに、勝利を確信した男が笑みを浮かべながら桐生の腹へナイフを突き出す。

 瞬間、桐生は上がっていた腕を素早く動かしナイフが腹へ届く前に、短剣の柄頭で男の右手に握られているナイフの柄を強く叩く。

 硬い柄頭の衝撃と痛みに顔を歪め声を漏らしながら、男の手からナイフが零れ落ちる。

 桐生は間髪入れずに男の右手首を左手で掴んで壁に押し当てるなり、男の右手の甲の真ん中に短剣の刃を容赦なく突き刺した。

 

「があああっ! お、俺の右手が……!」

 

 短剣が抜かれ、桐生に床に転がされた男が自分の右手を押さえながらのたうち回って声を上げる。貫かれた男の右手の甲と掌の傷口からは鮮血が溢れ出し、床に赤い水滴を幾つも作っていく。

 我流喧嘩体術、「ドス刺しの極み・壁」。相手の手首を掴むなり壁へと掌を押し付けさせ、手の甲へドスや短剣といった短めの刃物の刃を容赦なく突き立て貫く荒技だ。

 

「ナイフの扱いはそこそこ悪くない。だが、生憎俺の知り合いに、ドスを持たせたら右に出る者が居ない男が居てな。その人に比べれば、お前のナイフ捌きなんて大した事がない」

 

 桐生は短剣を軽く振るい、刃に着いた血を飛ばして鞘に納めながらそう口にしながら頭の中に一人の男の顔を思い浮かべていた。

 頭に浮かんだのは自分の兄貴分でもある男、真島吾郎。真島組組長であり、元嶋野組若頭。通称、「嶋野の狂犬」。その通称が指す通り、常識では測れない男。

 素手での喧嘩の腕も恐ろしく強いが、愛用しているドスの「鬼炎のドス」を扱わせればその性格と同じくらいに読めないドス捌きで此方を翻弄してくる。その動きは左目を失っているというハンデを感じさせず、喧嘩を、いや、殺し合いを楽しむ様な恐ろしい無邪気さを持っている。

 沖縄のリゾート開発と基地拡大の本当の狙いを国会議員である田宮防衛大臣から聞かされた後、自身の計画を桐生に邪魔されまいと国会議事堂前でリゾート開発に力を入れていた田宮と同じく国会議員の鈴木から差し向けられたSPとの戦いの最中、トラックで救いに来てくれた時は一瞬本当に轢き殺されるかもしれないと思ったが、あの男のおかげで今の自分がいる。

 

「もう終わりだ。さぁ、雇い主は誰だ? 言えっ!」

 

 うずくまっている男の胸ぐらを掴んで無理矢理身体を引き上げ、凄味を聞かせながら問い掛ける桐生。

 男は額に痛みから脂汗を浮かべながらも、絶対に口を割るまいと笑みを浮かべながら首を振った。

 拳の一つでもお見舞いしてやろうかと桐生が腕を上げると、背後から扉の開く音が聞こえた。

 桐生が音の方へと振り返ると、ルイズが部屋から顔を出していた。

 ルイズのまだ眠たそうな表情が、桐生が男を掴んでいる姿を見て険しい物に変わる。

 

「カズマ、一体どうしたの? その人はーー」

 

「来るなっ!」

 

 部屋から飛び出そうとするルイズを声で抑え様と桐生の意識が一瞬男から外れる。

 男はその僅かな隙を逃さずに左手で桐生の腕を振り解くと、数歩下がって距離を取りながらツナギのポケットから黒々とした液体の入った小瓶を取り出す。

 桐生と目が合った男は一瞬ニヤリと口元を歪ませると、小瓶の蓋を指先で器用に弾いて開ける。

 

「よせっ!」

 

 男の行動の意図を察した桐生が次の行動を止めようと駆け出すも、男は桐生が近付くより早く小瓶を口に当てて中の液体を呷る。

 次の瞬間、男は喉を押さえながら苦悶の表情を浮かべ、声にならない呻きを上げながら口から泡を吹いて崩れる様に倒れる。

 桐生が倒れた男に駆け寄るも、男は既に事切れていた。首を押さえていた両腕はダランと力が抜けて広げられており、瞳孔が広がった虚ろな眼が虚空を見詰めている。

 その姿は、かつて大阪で「ヤクザ狩りの女」と呼ばれていた狭山薫と共に探っていた韓国のマフィア組織、「真拳派」の刺客を思い出させた。「真拳派」と東城会の因縁を探って、大阪の新星町で情報を探していた桐生と狭山が辿り着いた「桂馬」という将棋クラブ。そこで桐生達に襲い掛かり、最後には薬で自害した刺客達。

 何処の世界でも暗殺者はいざという時自害する物なのかと改めて思わされた。

 

「如何されました!? 今、叫び声が聞こえましたぞ!」

 

 先ほど男が上げた叫び声を聞き付けたらしいド・ポワチエ将軍が取り巻きを引き連れドタドタと走って来た。ついさっきまで宴を楽しんでいたのが赤らんだ顔から察せられる。

 桐生の足元で泡を吹きながら倒れている男を見て、ド・ポワチエ将軍は桐生と男を交互に驚いた表情で見る。

 

「一体何事だったのですか!? この男は……我が軍が雇った整備士の様だが?」

 

 状況が理解出来ていないド・ポワチエ将軍に、桐生は小さく首を振った。

 

「どうやらアルビオンからの刺客らしい。俺達の寝込みを襲いに来やがった」

 

「な、何と! 艦内にネズミが!?」

 

 酒で赤らんでいたド・ポワチエ将軍の顔がサァッと青くなっていく。

 部屋から顔だけを出していたルイズが何かに気付いたらしく、一度顔を引っ込めてから廊下へと出て来る。

 

「あの、これ……」

 

 ルイズが手に持っていた物を不安そうに差し出す。

 それはあの男が持っていた拳銃だった。古いタイプの拳銃らしく、撃鉄を上げて一発撃っては弾を込め直さなければならない単発式の様だ。木製のグリップに鉛色の鉄製の銃身がくっつけられている。

 恐らく男はこの拳銃で桐生かルイズのどちらかを仕留め、残った方をあのナイフの毒で殺めるつもりだったのだろう。

 桐生がルイズから拳銃を受け取り、ド・ポワチエ将軍に手渡す。

 

「酒盛りをするのも悪くないが、背後には気を付けた方が良いかもな」

 

 桐生の言葉にド・ポワチエ将軍がゴクリと生唾を飲む音が響く。

 桐生は死体となった男の処分をド・ポワチエ将軍達に任せ、ルイズを連れて部屋へと戻った。

 桐生もルイズも同じベッドに腰掛けると、どちらからともなくお互いに身体を寄せ合った。

 敵はもしかしたら他にも居て、息を潜めて機会を伺っているのかもしれない。

 ルイズの小さな身体を抱き寄せながら、桐生は「ヴュセンタール」号を逃げ場のない動く監獄の様に感じていた。


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