ゼロの龍   作:九頭龍

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「炎蛇」の罪


第50話

 重々しい沈黙の中、コルベールが右手に握っていた杖を軽く振るう。

 瞬間、杖の先から巨大な炎の蛇が飛び出してコルベールを包み込む様に纏わりつく。まるで生きていて飼いならされている様に、炎の大蛇はメンヌヴィルへと顔を向けて口を開いて威嚇する様な動作をして見せた。

 噛み締めた唇の端から流れる血が顎を赤く染める中、コルベールの口元に笑みが浮かぶ。

 蛇の瞳で浮かべたその笑みは、二つ名の爬虫類を思わせる冷たい物だった。

 キュルケはただただ目の前に立つコルベールに圧巻されるばかりだった。

 自分の知っている普段のコルベールは何処か頼りない雰囲気で、生徒にも簡単に馬鹿にされる様な人間だった。しかし、今目の前に立って居るのは全く別な、氷の様に冷たくて全てを焼き尽くすほど熱いという矛盾した感覚を覚えさせる雰囲気を纏っている。

 そんな風に呆然と此方を見ていたキュルケに、コルベールが声をかける。

 

「「火」系統の特徴をこの私に開帳してくれないかね? ミス・ツェルプストー」

 

 血で赤く染まった口から出た言葉は、普段の授業の時の様に穏やかな物だった。

 

「……情熱と破壊こそ、「火」の本領ですわ」

 

「情熱はともかくとして、「火」が司るのは破壊だけでは寂しい。私は二十年間、そう思い続けて来た」

 

 そう言ったコルベールの顔に浮かんだのは、先ほどまでの冷たい笑みではなく、何処までも寂しい笑顔だった。

 

「だが……残念だ。結局は君の言う通りだ」

 

 

 再び月は雲に隠れ、刷毛で塗った様な闇が辺りを包み込んだ。

 見えるのはコルベールの身体に巻き付いた炎の大蛇が照らす、僅かな範囲だけ。

 常人にとって闇の中の戦いは楽ではない。倒すべき相手の姿が見えないからだ。

 しかし、盲目の世界を生き抜いて来た人間にとっては闇等ハンデにならない。

 杖を握り、メンヌヴィルは口元に笑みを浮かべながら思う。

 二十年前、自分の炎は負けた。未熟だったからだ。

 しかし、今は違う。「光」を失い、死に物狂いで鍛えて来た炎はかつての何十倍も強くなった。

 「光」を失った事で、自身の神経は強烈なまでに研ぎ澄まされて来た。僅かな熱量を、空気の変化でしっかりと感じる事が出来る。

 人の体温、物の位置、それは空気の流れによって心の中に影を作り出し、的確な「視覚」へと変化させて映し出す。

 

「聞こえるか!? 隊長殿!」

 

 闇の中で叫ぶ自身の声に反応する影を捉え、杖を構えるメンヌヴィル。

 

「さぁ、最高の再会にしよう! 貴様か俺、どちらかが焼き尽きるまでの死合いを始めようじゃないか!」

 

 何処までも続きそうな深淵の中で、メンヌヴィルははしゃぐ様に言いながら呪文を詠唱し始める。

 

 

 メンヌヴィルの声の後にピンと緊張が走る中、コルベールがキュルケに命じる。

 

「友人を連れて下がっていなさい。ここからはまだ君みたいな子供が足を踏み入れてはいけない領域だ。醜い大人同士の、殺し合いが始まるからね」

 

 普段ならコルベールの言葉に一言二言軽口を返すキュルケだが、今は素直にタバサを抱き抱えて走り出した。

 走る去ろうとするキュルケ目掛けて、闇の中から数発の火球が飛んで来る。

 コルベールは咄嗟に杖を振るい、炎の大蛇を動かして飛んで来た火球をその巨大な身体で受け止めさせる。

 キュルケが塔の影まで逃げ切ったのを見て安堵したのも束の間、今度はコルベール目掛けて四方八方からメンヌヴィルの炎が襲い掛かる。

 コルベールは炎の大蛇を操って迫り来る火球を受け止めながら、右へ左へと闇の中を動き回る。

 

「どうしたどうした、隊長殿!? 逃げてばかりでは俺は殺せないぞ!」

 

 闇の中からメンヌヴィルの挑発する声が聞こえてくる。

 これほどまでに深い夜の闇の中では相手の姿が見えない此方に対して、メンヌヴィルは身体の温度から此方の位置を的確に察知して来るのだ。

 コルベールは反撃に転じようと火球のが飛んで来る方向へ同じ様に火球を放つ。

 しかし手応えはない。コルベールが飛ばした火球は先を僅かに照らしながら進むだけである。

 メンヌヴィルは火球を放ちながら次々と位置を変えてコルベールを撹乱する。此方の位置を掴ませぬ事でコルベールを追い詰めていく。

 

「闇の中では戦い辛いか!? 貴様等の様な五体満足な身体でも、時には俺達の様に何かを失った者の身体よりも不便な物よな! ようし、せっかくだ! 少しサービスをしてやろうじゃないか!」

 

 何処までも楽しそうに言うメンヌヴィルに不気味さを感じながらコルベールが身構える。

 数秒の後、一発の火球がコルベールの背後から飛んで来た。

 コルベールは咄嗟にその火球を防ごうと炎の大蛇を操った瞬間、嫌な予感が頭をよぎった。

 罠だと気付いた時には遅く、炎の大蛇に触れた火球が一瞬昼間の様な閃光を放った。

 先ほどキュルケ達がメンヌヴィルにして見せた事を更に即席にした目潰しの効果を持つ、「閃光」の魔法だ。

 一瞬とは言え、闇に凝らしていた目に焼ける様な光がかかれば視覚が奪われる。

 失明し兼ねないほどの光を感じて、コルベールは目元を抑えながらよろめき、身体に纏っていた炎の大蛇がかき消えてしまう。

 

「こんなに側に寄り合うのはあの部隊での作戦以来だな、隊長殿」

 

 メンヌヴィルの声が近くに聞こえた次の瞬間、腹に重い衝撃が突き抜ける。

 目を覆って格好の的となってしまったコルベールの腹にメンヌヴィルが拳を叩き込んだのだ。

 前屈みになりながら小さく呻くコルベールのローブの首元を掴み、メンヌヴィルはその顔を力任せに殴り飛ばす。

 殴り飛ばされたコルベールの身体が地面を転がり、手に持っていた杖も地面を跳ねて飛んで行ってしまった。

 

「言っただろう、隊長殿。サービスしてやると。メイジであるこの俺が直接殴ってやるのだ。貴様は簡単には焼かぬ。ここまで貴様を追いかけて来た分、痛ぶらせて貰うぞ」

 

 呻くコルベールを無視して首根っこを掴み、無理矢理立ち上がらせて殴り飛ばす度、メンヌヴィルは堪らない快感を覚えた。

 あの日、自分から「光」を奪った男を、自分が心底惚れ込んだ男を好き勝手に痛ぶれる快感は堪らない物があった。

 数発目となる拳をコルベールの顔面に叩き込み、満足したメンヌヴィルは地面に置いておいた杖を拾い上げた。

 

「見たか、隊長殿! 俺は強くなったんだ! あの頃のあんたよりも! さぁ、フィナーレだ! あんたの焼ける臭いを嗅がせてくれ! なあに、心配するな! あんたの「蛇」の名は俺が引き継ぎ、やがてはあのウロボロスをも超える裏社会の大蛇になって見せるさ!」

 

「…………メンヌヴィル君。げほっ、楽しんでいる所を申し訳ないが、一つ頼みがあるのだが」

 

 荒い呼吸を繰り返し、時折咳込みながら言うコルベールの声にメンヌヴィルが詠唱を止めた。

 

「何だ? 苦しまずに焼いて欲しいとでも言いたいのか? まあ、あんたは昔馴染みだしな。お望みの部位から焼いてやるよ。その頼みとやらを言ってみろ」

 

 視覚を取り戻したコルベールは上体を起こして地面に片手を着くと、呼吸を整えてもう片手で鼻血を拭いながら落ち着いた声で言う。

 

「簡単な事だ。降参して欲しい。私はもう、出来れば魔法で人を殺めたくないんだ」

 

 メンヌヴィルは一瞬コルベールが何を言っているのかわからなかったらしく、呆けた表情で固まってから頬を軽く掻いて見せた。

 

「おいおい、隊長殿……まさか殴られ過ぎてボケちまったのか? 今のこの状況が理解出来んのか? 貴様はもう杖も無く、後は俺に焼かれるだけだ。この状況で何処にあんたに勝ち目があるってんだ?」

 

「そうかもしれない。だが、それでもお願い申し上げる。この通りだ」

 

 コルベールは両手と両膝を地面に着いて頭を下げ、日本で言う土下座の様な体勢で言う。

 そんなコルベールを見ていたメンヌヴィルの口元が怒りで歪み始めた。

 

「俺は……俺は貴様みたいな腑抜けを超える為に、この二十年間を生きて来たと言うのか。許せぬ。俺は、俺が許せぬ! じわじわと炙り殺してやる。産まれて来た事を後悔させながら殺してやる!」

 

 メンヌヴィルは顔全体を怒りで歪めながら再び呪文を詠唱する。

 

「これほどまでに頼んでも駄目かね?」

 

「くどい!」

 

 尚も懇願するコルベールに怒鳴った瞬間、突如メンヌヴィルの足元からあの炎の大蛇が現れて身体にグルグルと巻き付いた。

 

「ぐぉぉぉぉぉぉっ! ば、馬鹿な!? 何故杖を持たぬ貴様に魔法が……!」

 

 灼熱の炎の身体が自身の肌を焼く音を聞きながらメンヌヴィルが叫び声を上げる。

 コルベールはそんなメンヌヴィルを殴られ膨れ上がった顔で見詰めながら立ち上がる。その手には両掌で覆い隠せるほどの小さい杖が握られていた。

 

「き、貴様!?」

 

「メイジたる者、いざという時用に仕込み杖の一つや二つは持っておく物だ。あの部隊に居た頃、私は君に教えておいた筈なのだが……今回ばかりは、出来の悪い部下だった事を嬉しく思うよ」

 

 コルベールはローブの袖に折り畳み式の簡素な予備の杖を備えて、先ほど土下座の様な体勢で両手で地面を着く振りをしながら広げた杖を隠して、下を向いている時に小声で呪文を詠唱していたのだ。

 

「ついでに言うと、あの部隊に居た頃に教えた筈だ。蛇は音もなく獲物を仕留めると。君の拳は確かにそれなりに強烈だったが、あの様に繰り返しては敵に反撃の機会を与えるだけだ。必要以上の殺生を望んだ時点で、君には蛇になる資格はない。「炎蛇」と言う「蛇」の名に愛着も拘りもありはしないが、少なくとも君の様な者にはやれんな。先ほどの君の言葉を返すよ。そのままゆっくりじわじわと炙り殺してやる。産まれて来た事を、私の大切な生徒達に手を出した事を後悔すると良い」

 

 無表情で感情のない声で言うコルベールにメンヌヴィルは熱い中ゾクリと寒気を感じた。

 意識を失わせない程度に、しかし確実に肌を溶かして骨まで焼いていく炎に焼かれながらメンヌヴィルはコルベールに笑いかけた。

 

「ふふっ! ふははははははっ! そうだ! 流石だ、隊長殿! 一瞬迷いもしたが、やはり俺はあんたを追って正解だった! 隊長殿! あんたは自分が教師になったつもりだろうが、何も変わっちゃいない! その炎で他者を焼き殺す、人殺しのままだ!」

 

 狂った様に笑うメンヌヴィルに、コルベールは穏やかな笑みを浮かべて見せる。その眼からは、もう「蛇の眼」は消えていた。

 

「そうかもしれない。だが、もうそんな事に拘る事は辞めたのだよ。どんなに償おうと、私の犯した罪は消えない。しかし、異世界から来た友に教えられたのだ。「力」その物は悪では無く、使う者次第で守る事にも使えると。だから私は、大切な生徒達を守る為なら……蛇にでも鬼にでも、悪魔にでもなるさ」

 

 拭った自身の血に塗れた掌を見てから、コルベールはその掌をギュッと握った。

 桐生が連合艦隊に向かって飛んで行った日、力の使い方について教えてくれた事。破壊を司る「火」系統も、他者を守る為に使えば破壊だけではない使い方が出来ると。

 コルベールは桐生の話を聞いた上でもまだ迷っていた。本当に自分は、誰かを守る為に「火」を扱えるのかと。

 しかし、もう迷いはない。大切な仲間を、生徒達を守る為にならば、罪で汚れたこの身を幾らでも更に汚せる。そう決心したのだ。

 メンヌヴィルの身体は炎の大蛇によって殆どが焼かれて炭になって行き、後は僅かに顔が残っているだけとなった。

 

「ぐぅっ! 隊長殿! 俺は一足先に地獄へと行くが、忘れるな! 貴様が如何に他者の為、人の為と善行を積んだ所で行き先は俺と同じ地獄だ! あっちで貴様を待っているぞ! ふはははっ! ふははははははっ!」

 

 不気味に笑うメンヌヴィルに対してコルベールは無表情のまま軽く杖を振るう。

 主人の命を受けた炎の大蛇はメンヌヴィルの顔をも包み込んだ。

 数秒の後、再びコルベールが杖を振るって炎の大蛇が消えた後、メンヌヴィルだった炭と化した塊が残っていた。炭の塊は煙を上げながら嫌な臭いを放っている。

 コルベールはしゃがみ込んで炭の塊を見詰めながら口を開く。

 

「さようなら、副長」

 

 

 事の成り行きを呆然と見ていたアニエスと目を覚ました他の銃士隊の隊員、更にはキュルケもハッと我に返り施錠された食堂の鍵を叩き壊して中へと突入した。

 食堂の中は肉の焼け焦げた様な、異様な臭いが充満していた。

 銃士隊が銃を構えるも、メンヌヴィルが引き連れていた傭兵達の姿が見当たらない。あるのは食堂のあちこちで煙を上げている炭の塊と女子生徒達、それとオスマンの姿だった。

 銃士隊の隊員達が急いで負傷した他の隊員に駆け寄り声を上げる。

 

「誰かっ! この中で治癒の魔法を使える物は居ないか!?」

 

 銃士隊の声で恐怖から解放されたのに気付いた女子生徒達の中から、「水」系統を得意とする生徒がすぐに駆け寄って治癒の魔法負傷した銃士隊の隊員にかける。

 他の銃士隊に誘導されながら、ある者は安堵から涙を流し、ある者は解けた緊張から腰を抜かしかけながら女子生徒達が食堂から外へと出て行く。

 女子生徒達の解放を確認したコルベールは安堵の溜息を漏らすと、その場に倒れこんだ。顔中は殴られた痛みがまだ走っているし、身体のあちこちも痛い。

 目の前に広がる月も星も隠してしまっている分厚い雲の隙間から、僅かに開かれた雲の切れ間から差し込む月明かりがやけに美しく感じた。

 

「先生っ! 大丈夫!?」

 

 視界の端から心配そうに此方の顔を覗き込むキュルケの顔が見えた。タバサを休ませて此方まで駆け寄り、しゃがみ込んで顔を覗いている様だ。

 コルベールはそんなキュルケに穏やかな笑みを浮かべて腕を伸ばし、キュルケの頭を優しく撫でる。

 

「君も無事だった様だな。良かった……」

 

「やだ、先生……酷い顔してるわよ?」

 

 安堵からか目に溜めながらキュルケの顔に苦笑が浮かぶ。

 コルベールはそんなキュルケの顔を見て、自分が正しい事をしたという実感を感じた。

 キュルケの手を借りて起き上がり、共に銃士隊と女子生徒達の元へと向かうコルベール。

 コルベールの姿を確認した女子生徒達は次々と駆け寄って、感謝の言葉を述べた。

 

「先生! 助けてくれてありがとうございます!」

 

「怖かったよぉ、先生!」

 

 女子生徒に囲まれる慣れない状況にコルベールは苦笑を浮かべながら無事で良かったと一人一人に声をかける。

 

「ちょっと皆、先生の顔を治療したいから離れてあげて」

 

 負傷した銃士隊の隊員達の治療があらかた済んだらしく、モンモランシーが他の女子生徒達をコルベールから離れさせる。

 食堂から持って来た椅子にコルベールを座らせ、腫れ上がった顔に治癒の魔法をかけるモンモランシー。淡い水色の光に照らされたコルベールの肌にプクプクと小さな泡が浮かんでは、完全ではないが腫れた肌が元に戻って行き痛みを和らげる。

 

「ミス・モンモランシ、君の治癒の技術は大した物だ。私は「水」系統はからっきしだからわからないが、かなり「水」系統に対して精進している様だね」

 

「やめて下さいよ、先生。私なんて、まだまだですよ」

 

 コルベールの褒め言葉に苦笑しながらモンモランシーが言う。

 モンモランシーの治療が終わった頃、オスマンがコルベールの元へとやって来た。

 

「コルベール君。此度の生徒達の救出劇、誠に見事じゃった。不甲斐ないこの老いぼれに変わって生徒達を救い出してくれた事、本当に感謝しておる。ありがとう」

 

 顎髭を扱きながら言った後、頭を下げるオスマンに対してコルベールは慌てた様に立ち上がり手を振る。

 

「オールド・オスマン、今回は私ではなく率先して動いた銃士隊の方々に感謝を伝えてあげて下さい。彼女達が居なければ、私だって生徒達を救えたかどうか……」

 

「ふむ、確かにそうかもしれぬな。おや? あの隊長殿は何処へ行ったのかの?」

 

 コルベールの指摘にオスマンが先ほどまでアニエスが居た場所に顔を向けるも、アニエスの姿が見当たらない。

 ふと、コルベールは視界の端、メンヌヴィルが焼かれた場所に立って、その炭の塊を見下ろしているアニエスを見つける。

 椅子から立ち上がりアニエスの元へと向かうコルベールに、キュルケが後ろからついて行く。

 大きくなった雲の切れ間から差し込む月明かりに照らされたアニエスの背後から、コルベールが声を掛ける。

 

「隊長殿、今回はーー」

 

 瞬間、コルベールの言葉を遮る様に剣を引き抜いて振り返ったアニエスは、その切っ先をコルベールの喉元に突き付ける。瞳は憎悪に染まり、まるで飢えた獣の様なギラついた光を放っている。

 

「ちょっと! 何してるのよ!?」

 

 キュルケがコルベールの横から飛び出してアニエスに怒鳴る。

 キュルケの怒鳴り声でコルベール達の方へと視線を向けた女子生徒達も銃士隊の隊員達も、オスマンですら状況が理解出来ず目を丸くする。

 憎しみの視線を向けるアニエスを、コルベールは真っ直ぐ見詰めた。

 

「貴様が、アカデミー実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破ったのも、貴様なのか?」

 

 アニエスの質問に、コルベールは静かに頷いた。

 

「なら、教えてやる。私はダングルテールの、貴様が滅ぼした村の生き残りだ!」

 

「……そうか。君があの時の子供か」

 

「何故我が故郷を滅ぼした? 答えろ!」

 

 アニエスの言葉に、キュルケはコルベールを見詰めた。メンヌヴィルが言っていた、女子供も容赦無く焼き尽くす隊長だったコルベールとアニエスが過去に会っていたのに驚きを隠せなかった。

 コルベールは辛そうに顔を歪め、少し俯きながら口を開いた。

 

「……命令だった」

 

「命令、だと?」

 

「あの村で疫病が発生し、焼かねば被害が広がると伝えられた。当時の私は上からの命令に対して疑問を抱かない、文字通り言われたまま仕事をこなすだけの男だった。だから、それが正しいと思いあの村を燃やした」

 

「馬鹿な……それは嘘だ。あの村に疫病なんてなかった」

 

 リッシュモンが賄賂を受け取り下した命令の内容に、アニエスは絶望した様な声で呟いた。

 その言葉に、コルベールは力無く頷いた。

 

「私も後から知った。疫病と言う仮の理由をつけた「新教徒狩り」だと。それを知った日から、私は毎日罪の意識に苛まれた。奴の、メンヌヴィルの言った通りの事を私はした。罪も無い人々を、女子供を焼き殺した。許される事じゃ無い。忘れた事も一時も無かった。それで私は軍を辞めた。二度と炎を、破壊の為に使うまいと誓った」

 

「それで貴様が手にかけた人々が戻って来ると思うか? 奪われた者が貴様を許すと思うか!?」

 

 悲痛な叫び声を上げるアニエスに、コルベールは首を振る。

 

「許されたいと思った事はないし、許されて良い事だと思った事はない。だから、君がこの場で私を殺し、それで君が満足出来るのならば喜んでこの命を差し出そう。復讐も誰かを殺める正しい理由……私はそう思っている」

 

 コルベールは持っていた予備の杖を投げ捨て、両手を広げて見せた。

 アニエスがそんなコルベールに剣を振り上げる。

 そんな二人の間に、キュルケが割って入った。コルベールを守る様に、両手を広げてアニエスの正面に立つ。その顔からは、普段の人を小馬鹿にした笑みはなく、真剣な表情だった。

 

「お願い、止めて!」

 

「退け! 私はこの男を殺す為に生きて来た! 二十年だ! 討つべき仇の片方を奪われたが、今度こそ私の手で復讐を終える!」

 

「退きなさい、ミス・ツェルプストー。これは私と彼女の問題だ。君が首を突っ込んで良い事じゃない」

 

 コルベールがキュルケの肩を掴んで退かせようとすると、キュルケは胸の谷間から回収しておいた杖を取り出してアニエスに向ける。

 

「どうしてもこの人を殺すと言うのなら、あたしが貴女を殺すわ!」

 

「止めろ、ツェルプストー! 君まで復讐の螺旋に囚われて駄目だ!」

 

「先生は黙ってて! 隊長さん、確かにこの人は貴女の仇かもしれない。でもあたしはこの人のお陰で今こうして生きている。貴女だってそうでしょう? この人が居なきゃ、あたしも貴女もあのメンヌヴィルとかいう奴に殺されていた。この人を許して、とは言わない。でもあたしは、あたしを救ってくれたこの人を殺そうとする人間を絶対に許さない!」

 

「邪魔をすると言うなら、貴様も殺すぞ!」

 

「殺りなさいよ! 此処で黙ったまま命の恩人が殺されるのを見ているくらいなら、その恩人と一緒に殺される方がずっとマシだわ!」

 

 必死に止めようとするコルベールをキュルケは強い口調で制してアニエスを睨み付ける。

 アニエスもまた、そんなキュルケを鋭い目付きで睨み付けた。そして気付く。自分を見詰めるキュルケの瞳。それは鏡に写っているかの様に自分と同じ、憎悪に染まった瞳だった。

 リッシュモンへの復讐を邪魔したあの男、カズマの言葉が蘇る。

 

「人間は長い事暗い道を歩いていると、この先もずっと暗いものだと思っちまう。そして次第に、先に進む事が嫌になっちまう。そして全てがどうでも良くなっちまうんだ。お前は、何時まで復讐なんて暗い道の中で彷徨い続けてる? お前にとってこの男が許せないなら、この男と同じ様な奴を作らない為に一歩前に行くべきじゃねぇのか?」

 

 もしもこの場でコルベールを殺せば、このキュルケという少女は自分と同じ道を歩むのだろうか。この少女にとって、自分がリッシュモンと同じ立場の人間となるのだろうか。

 深い闇の中を歩み続ける辛さや苦悩は痛いほど良く知っている。表面では仲間だ味方だと口にしながらも誰も信用出来ない、何も信じられない、世界中の全てが敵に見えてしまい、言葉では言い表せない孤独の中を生きる事になる。

 痛いくらい歯を食いしばりながら心の中で葛藤したアニエスは、更に高々と剣を振り上げて地面に突き立てる。

 

「この少女が言う通り、今回は貴様に命を救われている。だから……今回は引いてやる」

 

 剣を地面から引き抜いて鞘に納め、キュルケとコルベールの横を早歩きで通り過ぎたアニエスは足を止めて、顔を二人に向けずに叫ぶ。

 

「忘れるなっ! 私は貴様を許した訳ではない! いつか必ず、復讐は果たす! 精々身勝手な思想を抱いた偽善者として生きて行くが良い!」

 

 アニエスはそれだけ言うと他の銃士隊の隊員達を引き連れて宿舎である火の塔へと向かった。

 アニエス達を見送ったキュルケは杖を再び胸の谷間に仕舞い込むと、腰が抜けた様にガクンと身体が沈んだ。

 キュルケの身体を慌てて抱き止め、其処でコルベールは気が付いた。キュルケの身体が小刻みに震えている事に。

 

「ツェルプストー……なんて無茶をしたんだ。せっかく助かった命を粗末にする様な真似をして」

 

 怒りと呆れの篭った口調で言うコルベールに、キュルケは苦笑する。

 

「だって、まだ貴方に伝えてない事があったんだもの」

 

「伝えてない事?」

 

 キュルケの言葉にコルベールが首を傾げた。

 そんなコルベールに、キュルケはニコッと笑った。普段の大人びた感じとは違う、年相応の少女らしい可愛らしい笑顔だった。

 

「助けてくれてありがとうって。あたし、先生の事を散々馬鹿にしたのに、「私の生徒に手を出すな」って言ってくれたでしょう? あたし、こう見えても嬉しかったのよ」

 

「そんな事か……」

 

 キュルケの言葉に今度はコルベールが苦笑する。

 

「事実を言ったまでだ。君も、他の女子生徒達も、私にとって大切な生徒だからね」

 

「……そこは嘘でも、「君は」ってあたしだけを指して欲しいわね。本当、乙女心がわかってないんだから」

 

「えっ? あ、ああ……その、すまない」

 

「駄目、許さない」

 

 困った様に顔をしかめるコルベールの身体に抱き着いて、顔を胸元に埋めるキュルケ。その身体は先ほどよりも震えが強くなっていた。

 

「罰として、このまま強く、抱き締めて。女の子は泣いてる顔を、殿方に見せたくない物、なのよ……」

 

 呟く様に言うキュルケの声は震えていた。恐怖や緊張から漸く解放された事で、感情が高まってしまった様だ。

 普段は他の女子生徒よりも大人びた雰囲気や言動をしていても、キュルケも実際は十代の少女なのだ。今回の事は本気で怖かったのだろう。

 コルベールは答える代わりにキュルケの身体を強く抱き締め、何度も優しく頭を撫でた。

 嗚咽を漏らしてコルベールのローブを握り締めながら泣くキュルケ。

 キュルケの頭を撫でながら顔を上げたコルベールの視界には雲が流れ、夜明けに向かって起きようとしている太陽の明かりに空が徐々に白み出しているのが見えた。


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