ゼロの龍   作:九頭龍

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「微熱」のキュルケ


第5話

 桐生がトリステインの魔法学園に来てから、一週間が経った。

 朝、窓から漏れる朝日の眩しさに、桐生が床から身体を起こす。硬く冷たい床で寝るのが苦痛な為、メイドのシエスタに頼んで馬の餌である藁を貰って寝床を作った。寝返りの際に時折痛みを感じるが、床のゴツゴツした硬さに比べたらずっとマシである。

 桐生が藁で寝床を作ると、ルイズが、

 

「あんた…鶏にでもなりたいの?」

 

 と呆れた風に言ってきたが気にしない。

 起きた桐生はまず、部屋から出て、下の水汲み場まで行って自分の顔を洗った後、バケツに水を汲んで部屋に戻る。水道なんて気の利いた物は引かれていない為、こうしてルイズが洗顔や歯磨きに使う水を汲まなきゃならないのだ。

 戻ると、未だ寝息を立てているルイズを揺さぶって起こす。

 まだ眠たそうに体を起こして、手の甲で目を擦りながら欠伸を浮かべたルイズはまず着替えを行う。下着を自分で着けた後は桐生に制服を着させる。

 遥は流石に羞恥心があって、以前、遥の着替え中に誤って部屋に入った時、ランドセルを投げつけられた事がある。遥よりも少し上なのにそういった羞恥心を感じないルイズに桐生は親の様な、複雑な感情を抱く。

 黒いマントに白いブラウス、グレーのプリーツスカートの制服を着終わると、顔を洗って歯を磨く。ルイズはもちろん自分で顔を洗わない。それも桐生にやらせるのだ。

 一度「自分でやれ」、と言った事もあったがその日一日食事を抜かされた。それ以来は「手間のかかる甘えん坊な子供」と割り切ってやっている。

 顔を洗ってやり、タオルで拭いてやるとようやく目覚めた様な顔をするルイズと食堂へ向かう。

 相変わらず桐生は床で食べてはいるが食事は多少良くなった。祈りが始まる前に適当にルイズが肉やら野菜やら果物やらを渡してくれる様になったのだ。

 それに関しては桐生も感謝していた。

 いつもの様に朝食が終わると、ルイズは教室へ向かい、桐生は部屋へ向かう。

 日課の掃除が桐生を待っているのだ。床を箒で掃き、机や窓を雑巾で綺麗に磨き上げる。

 掃除が終わったら洗濯が待っている。下の水汲み場にルイズの洗濯物を運んで洗濯板でごしごし洗う。湯が出ないため冷たい水で洗わなければならなくて、なかなか厄介な仕事だ。

 一度加減を間違えてルイズのパンツを破いてしまった事があった。如何せん元の世界では洗濯機なんて便利な物があるため、手洗いの加減がイマイチわからない。

 桐生の失態に頭に来たルイズが怒鳴り声を上げて罵倒してきた。実際、自分のミスなので「す、すまん……」としか言えない桐生。

 今の自分を見たらアサガオの皆は、名嘉原は、あっちにいる力也はなんと思うだろうか。しかし、ここに居させて貰っている間は仕方ないのだ。ここを飛び出したら、右も左もわからず途方に暮れるしかない。

 洗濯を終え、部屋の窓際に干すとルイズの教室へ向かう。授業中の為、教室には入らず、廊下で腕を組んで待つ。

 大体桐生が自分の仕事を終えて教室に来るのは昼休み近くなので、しばらく待つとゾロゾロと教室からメイジが出てくる。

 メイジ達は桐生を避けて廊下を進む。ギーシュを倒して以来、メイジ達に一目置かれる事になった桐生に喧嘩を売る物は、もはや誰もいない。桐生が教室にいる午後の授業は誰も彼もが静かに授業を受ける為、密かに教師達からも人気がある。

 ふと、いつもならルイズが来る筈なのに、見覚えのある少年が近付いてきた。

 ギーシュである。

 

「何か用か?」

 

 当たり障りのない声の調子で桐生がギーシュに聞く。ギーシュは頷いてみせた。

 

「少し君と話したいんだが、良いかね?」

 

 相変わらず偉そうな言葉遣いで声をかけてくるが、表情は真剣そのものだ。もしかしたら、再戦を望んでるかもしれないと思い、桐生も頷いて見せる。

 

「いいだろう。場所を変えて聞いてやる」

 

「カズマ、終わったわよ」

 

 桐生とギーシュが話していると、ルイズが近付いてきた。ギーシュの存在に気付いて目つきが厳しいものになる。

 

「なによ、ギーシュ……カズマになんか用な訳?」

 

「どうやらそうらしい。昼飯は、お前一人で行ってくれ」

 

 桐生の言葉に、ルイズがギーシュに詰め寄って睨み付ける。

 

「あんた、まさか……カズマに再戦しようってんじゃないでしょうね?」

 

「違う、そうじゃない。ともかく、君の使い魔と話がしたいんだ」

 

 ギーシュは困った様な顔で手を上げ、首を振ってルイズに弁解する。

 桐生からも大丈夫だと説明を受けたルイズは納得がいっていない様だったが、しぶしぶ一人で食堂に向かっていった。

 

「では、ついてきてくれ」

 

 ギーシュが食堂とは反対に歩き出し、桐生がそれについていく。

 しばらく歩くと、学園の裏に当たる広い場所に出た。建物の影で薄暗く、少し冷たい風が吹いている。周りを見る限り、人の気配はない。

 桐生が少しギーシュと距離を取って向き合う。

 

「で、話ってなんだ? またやり合いてぇって言うなら……いつでも相手になるぜ?」

 

「さっきルイズにも言ったが、そんな事じゃあない」

 

 桐生の言葉にギーシュが首を振る。なら一体何の用なのかさっぱりわからない桐生はとりあえず、ギーシュの出方を待つ。

 しばしの沈黙の後、ギーシュが言い辛そうに口を開く。

 

「あの時……君はその、なんで僕に香水をかけたんだね?」

 

「……なんの事だ?」

 

 ギーシュの話し方になんとなく言いたい事がわかってきて、桐生はとぼけた様に首を傾げる。

 ギーシュは真剣な眼差しで首を振った。

 

「君があの時、僕を助けたのはわかっている。それに僕は感謝もしている。だがわからないのは、あそこまで君を馬鹿にした僕を、なんで君は助けたんだね?」

 

 本当にわからない、と言った様子で桐生を見ながらギーシュが言う。

 曖昧な返答が許されない状況に見え、桐生もとぼけるのを止める。

 

「俺はお前に勝った。それだけで十分だっただけだ」

 

「……そんな理由で、僕を助けたのか?」

 

「ギーシュって言ったな。俺は売られた喧嘩を買ったまでだ。別に勝ったからと言って、相手を辱めるつもりも、えばるつもりもねぇよ」

 

 腕を組んで、諭す様にギーシュに語りかける桐生。ギーシュは俯いて身体を震わせた。

 

「……たとえ相手が、勝った時に相手を馬鹿にしようと思っていてもかい?」

 

「ああ、関係ねぇな」

 

 ポケットから煙草を取り出し、先端に火を付けて紫煙を吹きながら桐生はギーシュに笑いかける。優しい、まるで父親が子供に浮かべる様な笑みにギーシュは言葉を失う。

 

「ギーシュ、お前くらいの年に、女にモテたいと思うのは当たり前の事だ。だから別にお前に文句はねぇ。だがな、同じ男として忠告しておく。今すぐにとは言わねぇが、外見と同じくらい、中身も鍛えろ。それが出来る様になれば、年を取ったお前は今の何倍も格好いい男になってると思うぜ?」

 

 笑いながら言う桐生を、ギーシュは心から格好いいと思った。

 自分よりも遥かに年上のこの平民の男は、ギーシュが今まで会ってきた貴族の男達の上辺の強さとは違う、真の強さを秘めている様に思う。

 ギーシュは桐生に、「付き合わせて悪かったね」と謝罪と共に感謝を述べてから食堂へ向かった。

 日の傾きを見た桐生は、そろそろ昼休みが終わるだろうと感じ、携帯灰皿に煙草を押しやりながら食堂とは違うある場所へ向かう。

 桐生が向かったのは以前シエスタに案内してもらった、食堂の裏にある厨房だ。

 昼食を終えてやはり足りないと感じていた桐生をシエスタが見つけ、再び案内されて食事を恵んで貰って以来昼には来させて貰っていた。

 ヴェストリの広場でギーシュをやっつけた桐生は厨房の人気者になっていた。

 

「「我等の(けん)」が来たぞ!」

 

 そう叫んで桐生を歓迎したのは、この厨房のコック長であるマルトー親父だった。四十過ぎの太った親父だ。もちろん貴族ではなく平民ではあるが、魔法学園のコック長ともなればちんけな貴族よりもずっと収入が良く、羽振りもいい。

 丸々と太った体に、立派なあつらえの服を着込んで厨房を一手に切り盛りしている。

 マルトー親父は羽振りのいい平民の例に漏れず、魔法学園のコック長でありながら貴族と魔法を毛嫌いしていた。

 彼はメイジのギーシュを素手で倒した桐生を「我等の拳」と呼んで、いつも快くもてなしてくれた。

 桐生がすっかり自分専用になった椅子に座ると、シエスタが寄ってきて温かなシチューの入った皿と、ふかふかの白パンを目の前に出して微笑んだ。

 

「いつもすまないな」

 

「今日のシチューは特別ですわ」

 

 シエスタの嬉しそうに言う言葉に桐生がスプーンでシチューをすくい、口に入れる。

 瞬間、桐生の顔が輝いた。

 

「これは……美味い! いつも貰っている食事も美味いが、これはまた……!」

 

 感動に笑みを浮かべる桐生の元へ包丁を持ったマルトー親父がやってきた。

 

「そりゃそうだ。そのシチューは、貴族連中に出しているのと同じ物だからな」

 

「こんな美味い物を、あいつ等は毎日食べているのか……」

 

 桐生がそう言うと、マルトー親父は得意げに鼻を鳴らした。

 

「ふん! あいつ等は、確かに魔法が使える。土から鍋や城を作ったり、とんでもない火の玉を飛ばしたり、ドラゴンや魔物を操ったりと、大したもんだ! それは認める。だが、こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって一緒の魔法だ! そう思うだろ、カズマ?」

 

 桐生は頷き、スプーンを置く。

 

「まったくその通りだな。そして、あいつ等が少し不憫に思う」

 

「? どういう事だ?」

 

 桐生の言葉にマルトー親父や側にいたシエスタ、果ては調理を続けていた他のコックも手を止めて桐生の方を見て首を傾げる。

 厨房の中で、桐生の言葉が通る様に響いた。

 

「こんな美味い物を毎日食べているのに、あいつ等は感謝の気持ちを知らない。いつも祈りを捧げ、感謝するのは始祖と呼ばれる神や、女王陛下とやらだ」

 

「まぁ……確かにな」

 

 桐生の言葉にマルトー親父が頷く。

 

「俺の所もそうだったが、最近の子供は「食べられている」事に当たり前になってきている。だから食事を取れる事に感謝の気持ちがない。俺が子供の頃は、出された料理はもちろん、作ってくれた人にも感謝したものだ」

 

 厨房の誰もが黙ったまま、桐生の言葉に耳を傾けている。

 

「それをあいつ等はしない。恐らく、親が教えなかったからなんだろうが、そんな子供が今度は親になり、自分の子供に同じ考えを教えると思うと……少しあいつ等が可哀想だな」

 

 寂しそうに言い終えた桐生の言葉に一瞬の沈黙が漂った後、誰かの鼻をすする音が聞こえた。

 驚いて桐生が周りを見ると、コック達が次々と腕で目を覆って泣いていた。

 マルトー親父の閉じた瞼からも、涙が溢れて頬を伝っていた。

 

「す、すまん、なにか気に障ったか?」

 

 コック達が泣く姿を見て、桐生が席を立って狼狽える。マルトー親父の涙を初めて見たシエスタも、困った様にオロオロとしていた。

 

「ち、違う……。違うんだ、カズマ……」

 

 マルトー親父は太い指で涙を拭いながら桐生の肩に手をかけて、再び椅子に座らせる。声が震えていた。

 

「俺は……いや、俺だけじゃない。ここにいるコック全員が、いつも悔しい思いをしていた。どんなに美味い物を作っても、結局あいつ等が感謝するのは始祖ブリミルと女王陛下だ。俺達に対してそんな気持ちは一切持たない。いつもそれが歯痒く、悔しかった……」

 

 マルトー親父の言葉にコック達がウンウン頷く。

 涙を拭いたマルトー親父が今度はにかっと笑ってみせた。気持ちのいい笑顔だ。

 

「だが、今のお前の言葉を聞いて、俺は今日ほどコックで良かったと思った日はない。お前は、本当にいい奴だ!」

 

 少し大袈裟にマルトー親父が腕を高々と上げて見せるとコック達から盛大な拍手が巻き起こった。

 桐生は気恥ずかしさから頭をかいてシチューを食べる。

 

「なぁ、カズマ、お前一体どこであんな格闘技を身につけたんだ? 俺にも教えてくれよ」

 

 マルトー親父がシチューを食べ続けている桐生の顔を覗き込んで問い掛ける。

 桐生はその問いに首を振る。

 

「別に習ったわけじゃあねえよ。ただ喧嘩して、勝手に身に付いたもんだ」

 

 嘘ではない。元の世界ではしょっちゅう喧嘩を売られては買った物だ。

 もともと桐生の喧嘩慣れは、養護施設で育っていた頃から来ている。孤児だ、親がいないんだと周りから馬鹿にされたりいじめられたりした仲間を守る為に良く親友だった男、錦山彰と共に喧嘩した。

 もちろん負ける事だってあった。その度に自分なり鍛えて仕返しもしにいった。

 そんな昔を思い出しながらシチューを食べていると、

 

「聞いたか!? お前達!」

 

 マルトー親父が厨房で調理を再開していたコック達に叫ぶ。

 若いコックや見習い達が頷く。

 

「聞いてますよ、親方!」

 

「これが本当の達人だ! 自分の実力を決して誇ったりしないんだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」

 

 マルトー親父の言葉を、コック達が嬉しげに唱和する。

 

「達人は誇らない!」

 

 コック達の唱和を聞いて、マルトー親父が嬉しそうに頷き、桐生の手を掴み上げる。その手はもう傷が治っていた。

 

「この拳であんな固そうなゴーレムを砕くとは、まったく見事だ! なのに決してそれを自慢しない! 俺はますますお前の事が好きになったぞ! 「我等の拳」!」

 

「やめてくれ……」

 

 マルトー親父の好意に苦笑を浮かべながら桐生は自分の手を見た。数々の猛者を殴り倒してきた自慢の拳はゴツゴツしていて、細かい傷でいっぱいだ。

 

「シエスタ!」

 

「はい!」

 

 マルトー親父がシエスタに笑顔で話し掛ける。桐生とマルトー親父達のやり取りを見ていたシエスタが元気良く返事を返した。

 

「我等の勇者にアルビオンの古いのを注いでやってくれ!」

 

 マルトー親父の言葉に頷いて、シエスタが葡萄酒の棚から言われた通りのヴィンテージの物を取り出し、桐生のグラスに並々と注いでいく。

 グッと葡萄酒で満たされたグラスを空ける桐生を、シエスタはうっとりとした表情で見つめている。

 桐生が厨房に来る度にマルトー親父やコック達はますます桐生を気に入り、シエスタは更に桐生を尊敬していくのだった。

 みんなが桐生を囲んでワイワイ騒いでいると、そんな様子を厨房の窓から覗き込んでいる赤い影があった。その影に若いコックが気がつき、首を傾げる。

 

「なんだ? 窓の外に何かいるぞ?」

 

 赤い影はきゅるきゅると鳴いて、消えていった。

 

 

 仕事を終えた桐生は午後からルイズの授業のお供を務める。相変わらず壁に背中を預けたまま、静かに黒板に視線を定めながら授業を眺めている。

 授業中にふざけたり、教師の邪魔をする生徒が出ると、真っ先に桐生が口を出して止めさせる。毎度平民のくせに、と文句は言うものの、ギーシュに勝利した実力を目の当たりにした生徒達は素直に言うことを聞いていた。

 桐生は、この魔法学園の授業を気に入っている。自分の世界では絶対に受けられない内容のせいか、毎回真剣に教師の話を聞いている。

 水からワインを作り出す授業や、秘薬を調合して特殊なポーションを作り出す講義、目の前に現れる巨大な火の玉や、空中に箱やボールを自在に浮かして動かす授業など、新鮮な内容に驚き、夢中になって見ていた。

 しかし、この日は窓から差し込む春の暖かい日差しに当てられてうとうとしてしまった。

 ルイズには申し訳なく思うも、眠りの誘惑に勝てず、邪魔にならない様に教室の隅に移動して座り込み、そのまま眠ってしまう。

 ルイズは眠り始めた桐生を一瞬睨んだが、授業中の使い魔の居眠りを禁じる校則はないため溜め息をつく。よく見れば夜行性の幻獣や、誰かのフクロウだってぐーすか寝ている。文句の一つでも言ってやりたいが、邪魔しない様に教室の隅まで移動しているだけマシだろうと割り切る。

 するとここで、不思議な事が起こった。

 授業を受けて黒板を眺めていたルイズの目の前を、誰かの使い魔である青い猫が横切った。思わずルイズがその猫を視線で追う。

 猫は机から飛び降りて、あぐらをかいて床に座って寝ている桐生に向かって歩いていく。桐生の目の前まで行くと、スンスンと鼻を鳴らして膝の匂いを嗅いでから、その膝の上へ飛び乗って、桐生の脚の中で丸くなり眠り始めた。

 それを皮切りにした様に、次々と使い魔達が桐生に近寄り、その体を寄せながら眠り始める。肩にはピンク色のネズミが眠っている。もう片方の肩には赤い鳥が止まっている。空いてる膝には六本足のトカゲが顎を乗せていびきをかいている。反対側の膝に大きな蛇が体をすり寄せて丸まっている。

 

「……おや?」

 

 講義をしていた教師が使い魔達に群がられた桐生に気づいて笑みを浮かべた。

 

「ミス・ヴァリエールの使い魔さんは、他の使い魔に大人気ですね」

 

 教師の言葉に生徒達が桐生を眺める。桐生に寄り添い、幸せそうに眠る使い魔達の姿に誰もが思わず和んだ。

 

「使い魔となる生物の大半は、人間よりも警戒心が強く、自分の主人が認めた相手にしか懐かない事が多いですが、ミス・ヴァリエールの使い魔さんは、そんな生物達の警戒心を解いてしまう人なのですね。きっと、とても優しい人なのでしょう」

 

 教師は笑顔のままルイズに語りかける。思わず真っ赤になってしまったルイズをよそに、桐生は身体に感じる重みからか寝苦しそうに顔を歪めていた。

 ギーシュは教師の言葉に誰も気付かぬ様に小さく頷いた。

 そんな桐生を、遠くからじっと睨んでいる赤い影があった。

 キュルケのサラマンダーである。床に腹ばいになり、教室の隅で使い魔に囲まれ眠りこけている桐生をじっと見つめている。

 サラマンダーの主であるキュルケは、教科書である本を見つめながら、その口元に妖艶な笑みを浮かべた。

 

 

 学園長室で秘書のロングビルは書き物をしていた。

 紙の上を滑る様に走っている羽ペンの動きを止め、オスマンの方を見つめた。オスマンは、セコイアの机に体を伏せて居眠りをしている。

 ロングビルはその姿を見て薄く笑った。誰にも見せた事のない笑みである。

 それから立ち上がり、低い声で「サイレント」の呪文を唱える。オスマンを起こさぬ様、自分の足音を消して学園長室を出て行った。そのまま下の階に向かって歩き続ける。

 ロングビルが向かった先は、学園長室の一階下にある宝物庫の階である。

 階段を下りて、巨大な鉄製の扉を見上げる。扉には、太く固そうな閂がかかっている。その閂にはこれまた頑丈そうな錠前がかけられて守られている。

 この宝物庫には、魔法学園創立以来の秘宝が収められているのだ。

ロングビルは慎重に辺りを確認し、誰もいないのを確かめた後ポケットから杖を取り出した。鉛筆ぐらいの長さだが、くいっと手首を捻ってみるとするすると杖が伸び始めた。オーケストラの指揮者が振っている指揮棒くらいの長さだ。

 ロングビルは低く呪文を唱え始め、詠唱が完成すると杖を錠前に振った。

 しかし、錠前からは何の音もしない。

 

「……想定通り、ここの錠前には「アンロック」は通用しないか」

 

 少し残念そうに呟いてから、ロングビルは妖艶に笑うと今度は自分の得意な呪文を唱え始めた。

 それは「土」系統の魔法、「錬金」であった。慣れた調子で呪文を唱えあげ、分厚い鉄の扉に向かって杖を振る。魔法は扉に届いたものの、なんの変化も表れない。

 

「スクウェアクラスのメイジが、「固定化」の呪文をかけてるみたいね……」

 

 ロングビルはつまらなそうに呟いた。

 「固定化」の呪文は、物質の酸化や腐敗を防ぐ呪文である。これをかけられた物質はあらゆる化学反応から保護され、そのままの姿を永遠に保ち続ける。「固定化」をかけられた物質には「錬金」の呪文も効力を失う。呪文をかけたメイジが、「固定化」をかけたメイジの実力を上回れば話は別だが。

 しかし、この鉄製の扉に「固定化」の呪文をかけたメイジは相当強力なメイジであるらしい。「土」系統のエキスパートである、ロングビルの「錬金」を受け付けないのだから。

 ロングビルはかけた眼鏡を持ち上げ、扉を見つめた。その時、階段を上ってくる足音に気付く。

 素早く杖を折りたたんでポケットにしまう。

 現れたのはコルベールだった。

 

「おや、ミス・ロングビル。ここでなにを?」

 

 コルベールは予想外の人物がいた事に間の抜けた声で尋ねた。

 ロングビルはそんなコルベールに愛想の良い笑みを浮かべる。

 

「どうも、ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているんですが……」

 

「ほぉ、それは大変だ。なにせここにはお宝、ガラクタひっくるめて所狭しと並んでいますからな。一つ一つ見て回るだけでも、一日がかりになりますよ」

 

「でしょうね」

 

「オールド・オスマンに鍵を借りればいいじゃないですか?」

 

 何気なく思った事を口にするコルベールにロングビルは困った様に眉をひそめて見せる。

 

「それが、ご就寝中でして。まぁ、宝物庫の目録作成は急ぎの仕事ではないので」

 

「なるほど、ご就寝中ですか。あのクソじ、じゃなかった、オールド・オスマンは寝ると起きませんからな。仕方ない、僕も後で伺う事にしよう」

 

 コルベールは溜め息混じりに呟いてから歩き出した。そして急に立ち止まり、ロングビルの方へ振り向いた。

 

「その……ミス・ロングビル?」

 

「なんでしょう?」

 

 ロングビルが首を傾げて見せると、コルベールは照れくさそうに禿げた頭をかいてから口を開く。

 

「その……もし、よろしかったら、昼食をご一緒にいかがですかな?」

 

 ロングビルは少し考えた後、にっこりと微笑んで頷き、申し出を受ける。

 

「ええ、喜んで」

 

 二人は並んで歩き出した。

 

「ねぇ、ミスタ・コルベール」

 

 ちょっとくだけた言葉遣いになって、ロングビルが隣を歩くコルベールに話しかける。

 

「は、はい? なんでしょうか?」

 

 自分の誘いがあっさり受けられ少し舞い上がった気分でいたコルベールは、跳ねる様な調子で答えた。

 

「宝物庫の中には、入った事がありまして?」

 

「もちろん、ありますとも」

 

「では、「破壊の杖」をご存知?」

 

「ああ、あれは奇妙な形をしておりましたなぁ」

 

 コルベールは思い出した様に顎に手を当てながら頷く。

 ロングビルの目が光った。

 

「と、申されますと?」

 

「いやぁ、説明のしようがありません。奇妙な形としか……それよりも何をお召し上がりになります? 本日のメニューは平目の香草焼きですが、なに、僕はコック長のマルトー親父に顔が利くんですよ。僕が一言言えば、世界の珍味や美味を」

 

「ミスタ」

 

 コルベールの自慢気なお喋りをロングビルが遮る。

 

「は、はい?」

 

「それにしても、宝物庫は立派な造りですわね。あれなら、どんなメイジを連れてきても、開けるのは不可能でしょうね」

 

「その様ですな。なんでもスクウェアクラスのメイジが何人も集まって、あらゆる呪文に対抗出来る様に設計したそうですからね。並大抵のメイジが何十人と集まってもビクともしないでしょう」

 

 

「ミスタ・コルベールは様々な事をご存知ですのね。本当に感心いたしますわ」

 

 ロングビルはコルベールを頼もしげに見つめた。

 

「え? いや……ははっ、暇になってはいろんな書物を眺めている物で。研究一筋に生きてますからね。おかげでこの年になっても独身でして……ははっ」

 

 少し寂しそうに笑って見せるコルベールにロングビルは悪戯っぽい笑みを浮かべながら熱い視線を送る。

 

「ミスタ・コルベールのお側にいられる女性は幸せですわね。だって誰も知らない様な事を教えて貰えるんですから……」

 

 ロングビルの熱い視線にコルベールは禿げ上がった額の汗を拭く。今までの人生でこんなに近くで女性と接する事がなかったコルベールの身体は緊張でカチコチになっていた。

 少し歩いて所で、コルベールが真顔になってロングビルの顔を覗き込む。

 

「ミス・ロングビル、ユルの曜日に開かれる「フリッグの舞踏会」はご存知ですかな?」

 

「あら、なんですの? それは」

 

「ははぁ、貴女はここに来てまだ二カ月ほどでしたな。その、なんてことない、ただのパーティーです。ただ、そこで一緒に踊ったカップルは、結ばれるとかなんとか! そんな伝説がありまして! はい!」

 

「素敵な伝説ですわね。それで?」

 

 白ロングビルが笑って先を促した。

 コルベールは頬を少し染めながら勇気を出す様に口を開く。

 

「その……もしよろしければ、僕と踊りませんかと、そういう。はい」

 

「喜んで。舞踏会も素敵ですが、私はもっと宝物庫の事について知りたいわ。魔法の品々にはとても興味がありまして……教えてくださる? ミスタ」

 

 自分の言葉に笑って頷いてから、まるで甘える彼女の様に腕を絡めて熱い視線で見上げてくるロングビルにコルベールは顔を真っ赤にして身体を更に固まらせる。

 それでもコルベールはロングビルの気を引きたい一心で、まるでグーグル検索の様に頭の中を探った。宝物庫……宝物庫と……。

やっとロングビルの興味が引けそうな話を見つけたコルベールは、少しもったいぶった様に話し始めた。

 

「では、ちょっとご披露いたしましょう。大した話ではないのですがね……」

 

「是非とも、お伺いしたいわ」

 

「宝物庫は確かに魔法に関しては無敵に近いですが、一つだけ弱点があると思うんですよ」

 

「それは……興味深いお話ですわ」

 

「それは……ズバリ、物理的な力です!」

 

「物理的な力?」

 

「そうですとも! 例えば、まぁ、そんな事はないでしょうが、巨大なゴーレムが……」

 

「巨大なゴーレムが?」

 

 コルベールは得意気に、ロングビルに自説を語った。聞き終わった後、ロングビルは満足気に微笑んだ。

 

「大変興味深いお話でしたわ。ありがとう、ミスタ・コルベール」

 

 

 二つの月が彩る夜空を眺めながら、桐生は一人、女子寮の外で煙草を吸っていた。

 あれから目を覚ますと、いろんな使い魔に身体をすり寄せられ、乗られていた事に驚いたが「使い魔に人気者の使い魔」と誰かに言われて思わず苦笑してしまった。

 授業も終わり、夕食を済ましてから暫しルイズと他愛ない話をして先に寝ると言われたので、こうして外で煙草を吸っているのである。

 宝石が散りばめられた様な星空に浮かぶ二つの月を見て、綺麗だな、と思ってから短くなった煙草を携帯灰皿に捨てて女子寮に戻る。

 石造りの廊下に桐生の革靴の足音が響く。壁に開いた穴から吹き込む夜風が身体を少し冷ましていく。

 ルイズの部屋の前に行き、ドアノブに手をかけようとした瞬間、どこかの扉が開く音が聞こえた。

 振り返ってみると、扉の一つが開いている。場所からして、そこはキュルケの部屋だ。

 中からサラマンダーのフレイムが出てきた。燃える尻尾を揺らしながらちょこちょこと桐生の方へ近づいていく。桐生はしゃがみ込んで笑みを浮かべた。

 

「お前は確か……フレイム、だったな。どうした? 俺に用か?」

 

 目の前まで近づいてきたフレイムの頭を優しく撫でてやる。フレイムはきゅるきゅると気持ち良さそうに声を漏らした後、桐生の上着の袖をくわえてグイグイ首を振る。

 

「なんだ? どうした?」

 

 桐生の言葉を無視してまるで付いて来いと言わんばかりにグイグイ上着を引っ張るフレイム。

 キュルケの部屋のドアは開けっ放しだった。どうやらその部屋に桐生を連れて行きたいらしい。

 

「わかった、わかったから袖を引っ張るのは止めてくれ」

 

 困った様に言う桐生の言葉を理解した様に、フレイムは袖から口を離すとキュルケの部屋に向かって歩き出す。部屋に入る前、桐生に振り向いてきゅるっ、と鳴いて見せてから中へと入っていった。

 一体キュルケが何の用なのだろうか。よくわからないが、フレイムに案内された為、そのまま部屋へと入る。

 入ると部屋は真っ暗だった。フレイムの周りだけ、ぼんやりと明るく光っている。

 桐生がどうするか迷っていると、暗がりからキュルケの声が聞こえた。

 

「扉を閉めて?」

 

 とりあえず言われた通り扉を閉める桐生。辺りは更に闇に包まれた。

 

「いらっしゃい。こちらにいらして?」

 

「暗くて何も見えねぇぞ?」

 

 桐生がそう言った瞬間、パチンと指が鳴る音が響いた。

 すると部屋の中に立てられた蝋燭が、一つずつ灯っていく。

 桐生の近くに置かれた蝋燭から順に火が灯り、キュルケのそばの蝋燭がゴールの様だ。道のりを照らす街灯の様に、蝋燭の灯りがゆらゆら揺れながら浮かんでいる。

 ぼんやりと淡い幻想的な光の中に、ベットに腰掛けたキュルケの姿が見えた。ベビードールと言ったか、そういう誘惑する為の下着姿で妖艶に笑っている。

 キュルケの胸が、上げ底でない事が確認出来た。豊満な褐色の乳房が、レースのベビードールを持ち上げている。

 

「そんな所に突っ立ってないで、いらっしゃいな」

 

 キュルケが色っぽい声で言う。

 桐生はゆっくり蝋燭の灯りが照らす床を踏みしめてキュルケの元に向かった。

 

「座って?」

 

 目の前まで来ると、キュルケは自分の隣をポンポン叩きながら笑って言った。桐生はそれに従う様に隣に腰掛ける。

 

「それで、俺に何の用だ?」

 

 桐生が静かに口を開く。燃える様な赤い髪を優雅にかきあげ、キュルケは桐生を見つめた。淡い蝋燭の灯りに照らされるキュルケの褐色の肌は、野性的な魅力を放っている。

 キュルケは大きな溜め息を漏らし、そして悩ましげに首を振った。

 

「あなたは、あたしをはしたない女と思うでしょうね」

 

「何の事だ?」

 

「思われても仕方ないわ。わかる? あたしの二つ名は「微熱」」

 

「そう言えばそう言ってたな」

 

 キュルケの言葉に桐生は首を傾げたり、頷いたりと反応を見せる。

 

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの。だから、いきなりこんな風にお呼びだてしたりしてしまうの。わかってるわ。いけない事なのよ」

 

「確かに感心はしないな」

 

 桐生は相槌を打ちながら、異国の少女の打ち明け話を聞いていた。

 

「でもね、あなたはきっとお許しくださると思うわ」

 

 キュルケは潤んだ瞳で桐生を見つめた。年頃の男なら、キュルケにこんな風に見つめられたら本能を剥き出しにしてしまうだろうと思う。

 

「何を許すんだ?」

 

 キュルケは、すっと桐生の手を握り始めた。キュルケの手は温かい。そして一本一本、桐生の指を確かめる様になぞりだす。思わず桐生も困惑した表情を浮かべる。

 

「恋してるのよ、あたし。貴方に。恋はまったく、突然ね」

 

「それは……突然だな」

 

 キュルケの真剣な表情に、桐生も真剣な表情で頷いて返す。

 

「あなたがギーシュを倒した時の姿……かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者の様だった! あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる!? 痺れたのよ! 情熱! ああ、情熱だわ!」

 

「あ、ああ……じょ、情熱か」

 

 芝居がかった様なキュルケの語りに思わず圧倒される桐生。そんな桐生に構わず、キュルケは夢見る少女の様に語り続ける。

 

「二つ名の「微熱」はつまり情熱なのよ! その日から、あたしはぼんやりとマドリガルを綴ったわ。マドリガル。恋歌よ。あなたのせいなのよ、カズマ。あなたはあの日からあたしの中に住んでしまったの。だからフレイムを使って様子も探らせたりしたわ。本当に、あたしってばみっともない女だわ。そう思うでしょ? でも全部、あなたのせいなのよ」

 

 桐生はなんと答えればいいかわからず、じっとしていた。

 キュルケは桐生の沈黙を、イエスと受け取ったのか、ゆっくり目をつむり、唇を近づけてきた。

 大概の男なら、女性に、しかもキュルケの様な魅力的な女性にここまでされたら堪らなくなるだろう。しかし、桐生はキュルケの肩を押し戻した。

 どうして? と言わんばかりの顔で、キュルケが桐生を見つめた。

 

「今の話を聞いて思ったんだが……」

 

「ええ」

 

「お前、惚れっぽいんだな」

 

 桐生がきっぱり言う。それは図星だった様で、キュルケは顔を赤らめた。

 

「そうね……人より、ちょっと恋っ気は多いのかもしれないわ。でも仕方ないじゃない。恋は突然だし、すぐにあたしの身体を炎の様に燃やしてしまうんだもの」

 

「そうか……どうしてそうなのか、わかるか?」

 

 桐生の言葉にキュルケは首を振る。桐生は真剣な眼差しでキュルケを見つめながら言った。

 

「お前、誰かを本気で好きになった事があるか?」

 

「えっ?」

 

 突然の質問に、キュルケは言葉を詰まらせる。そんなキュルケを見抜いていた様に桐生は頷いた。

 

「やっぱりな。恋っ気が多いのは、別に悪い事じゃねぇ。だが、それは誰かを真剣に好きになった事がない証拠だ。本気で誰かを好きになったら、必ずそいつに似た部分を持ってる奴を好きになるだろうしな」

 

「……」

 

 桐生の言葉に何も返せないキュルケ。確かに、誰かを本気で好きになった事があるかと自分に問いかけても、その名前は出てこない。

 

「お前は本当にいい女だと思う。だが誰かを本気で好きになった事がなければ、俺みたいな男に惚れない方がいい。いつかお前の前に、誰よりも本気で好きになる相手が現れるさ」

 

 燃える様な赤髪に桐生の指が絡み、優しくキュルケの頭を撫でる。

 大人の女性顔負けのプロポーションを持つキュルケの顔が僅かに赤らみ、小さく声を漏らす。

 桐生の手が頭から離れたかと思うと、突然キュルケがベットに身体を横にし、桐生の膝に頭を乗せる。

 

「ねぇ……もう少し、もう少しだけ……撫でてくれない……?」

 

「……ああ」

 

 甘える少女の様なおねだりに応える様に何度も優しくキュルケの頭を撫でながら桐生が小さな笑みを浮かべる。

 撫でられる度にキュルケの中で小さな頃の記憶が蘇る。いつだったか、まだ魔法なんて使えなかった頃、父親によく頭を撫でて貰った。その感触は何よりも優しく、安心出来る温もりがあった。

 この桐生と言う男はよくわからない。絶対自分の魅力に落ちると思っていたのに、こちらの心を見透かしたかと思えば、こんなにも優しく扱ってくれる。今まで遊びで付き合った男達にはない包容力に、キュルケの心の炎は静かに燃え広がった。

 そんな風に二人の時間が流れていくと、窓の外が叩かれた。

 そこには恨めしげにこちらを覗いている、なかなかのハンサムな男が一人いた。

 

「キュルケ! 待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……!」

 

「ペリッソン! ええと、二時間後に」

 

「話が違う!」

 

 ここは確か三階のはずだ。どうやらペリッソンと言うこのハンサムな男は魔法で浮いているらしい。

 キュルケは煩そうに胸の谷間に差していた派手な魔法の杖を取り上げると、そちらの方も向かずに杖を振った。

 蝋燭に灯っていた火から炎が大蛇の様に伸びて窓ごと男を吹き飛ばした。

 

「もう、無粋なフクロウね」

 

 キュルケは桐生の膝に指を這わせながら、迷惑そうに呟いた。

 

「今のは誰だ?」

 

 あまりにも突然の事で事態についていけてなかった桐生がキュルケに尋ねる。

 

「彼はただのお友達よ。それより、ほら……もっと撫でて……」

 

 キュルケは桐生に色っぽい声でおねだりする。どうやら撫でられるのがクセになっているらしい。

 再びキュルケの頭に手を伸ばそうとすると、今度は窓枠が叩かれた。

 見ると、悲しそうな顔でこちらを覗き込む、精悍な顔立ちの男がいた。

 

「キュルケ! その男は誰だ!? 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!?」

 

「スティックス! ええと、四時間後に」

 

「そいつは誰だ!? キュルケ!」

 

 怒りに狂いながらスティックスと呼ばれた男が部屋に入ってこようとした。キュルケは煩そうに再び杖を振るう。

 蝋燭の火から再び太い炎が宙を泳ぎ、男を包み込んで地面に墜としていった。

 

「……今のも友達か?」

 

「彼は、友達と言うよりただの知り合いね。ああ、もう! 夜が長いなんて誰が言ったのかしら!? 瞬きする間に、太陽は昇って来るじゃないの!」

 

 少し苛立ちを隠せない様子でキュルケが頭を掻く。

 窓だった壁の穴から悲鳴が聞こえた。いい加減桐生もうんざりしながら振り返る。

 窓枠で、三人の男が押し合いへし合いしている。

 三人は同時に、同じ台詞を吐いた。二重唱の歌手も真っ青なほどのハモリ具合だった。

 

「キュルケ! そいつは誰だ!? 恋人はいないって言ったじゃないか!」

 

「マニカン! エイジャックス! ギムリ!」

 

 今まで出てきた男が全員違うので、呆れを通り越して思わず感心してしまう桐生。と、言うよりこのキュルケと言う少女、一体一晩に何人会うつもりだったのだろうか。

 

「ええと、六時間後に」

 

 キュルケは起き上がって面倒くさそうに言った。

 

「朝だよ!」

 

 三人は仲良く唱和する。

 キュルケはうんざりした様に、フレイムに命令した。

 

「フレイム! ちょっとなんとかしてちょうだい!」

 

 今まで部屋の隅で眠っていたフレイムが起き上がり、三人が押し合っている窓だった穴に向かって炎を吐いた。三人は仲良く地面に落下していく。

 

「……おい」

 

 同じくうんざりした様にキュルケを見ながら桐生が声を漏らす。そんな桐生にキュルケは手を広げて見せた。

 

「彼らは知り合いでも何でもないわ。ともかく今夜はあなたと過ごしたいの」

 

 キュルケは桐生の隣に座り、再び目を瞑って唇を突き出した瞬間、今度はドアが物凄い勢いで蹴破られた。

 また男か、と思って桐生とキュルケが扉に向かって視線を移すと違った。ネグリジェ姿のルイズが立っている。

 艶やかに部屋を照らす蝋燭を、ルイズは一本一本忌々しそうに蹴り飛ばしながら桐生とキュルケに近づいた。どうやらルイズは怒ると口よりも先に足が動く様だ。

 

「キュルケ!」

 

 ルイズはキュルケを睨み付けながら大声で怒鳴った。そんなルイズに面倒くさい、と言わんばかりの態度でキュルケが溜め息をつきながら口を開く。

 

「ちょっと。取り込み中よ、ヴァリエール」

 

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!?」

 

 ルイズの鳶色の瞳は爛々と輝き、火の様な怒りを灯している。

 

「仕方ないでしょ? 好きになっちゃったんだから」

 

 キュルケは両手を上げて見せた。桐生はひとまず黙って事の成り行きを見守る事にした。

 余裕な態度を取るキュルケと、感情が爆発した様に怒り狂っているルイズの姿は、いかにも対極の様に見える。

 

「恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命なのよ。身を焦がす宿命よ。恋の業火で焼かれるなら、あたしの家系は本望なのよ。それはあなたが一番ご存知でしょう?」

 

 キュルケは両手をすくめて見せた。ルイズの手がわなわなと震えている。

 

「来なさい、カズマ!」

 

 ルイズが桐生をじろりと睨んだ。

 

「ねぇ、ルイズ。彼は確かにあなたの使い魔かもしれないけど、意思だってあるのよ? そこは尊重してあげなくちゃ」

 

 キュルケの意見にルイズは桐生を指差しながら硬い声を漏らす。

 

「あんた、明日になったら十数人の貴族に魔法で串刺しにされるわよ? それでもいいの?」

 

「彼なら平気でしょ? あなただってヴェストリの広場で、彼の活躍を見たでしょう?」

 

 ルイズは鼻で笑って右手を振ってみせる。

 

「ふん、確かにちょっと拳法がお上手かもしれないわ。それは認めるわよ。でも、後ろから「ファイヤーボール」を撃たれたり、「ウィンド・ブレイク」で吹き飛ばされたりしたら、自慢の拳法も関係ないわね」

 

「大丈夫、あたしが守るわ!」

 

 キュルケは顎の下に手を置くと、桐生に熱っぽい流し目を送った。

 しかし、桐生はすくっと立ち上がった。

 魔法でこちらに攻撃を仕掛ける相手を容赦するつもりもないが、まだこと魔法に関して知識が浅い以上、負ける可能性は十分にある。それ以前に、やはり自分の主人はルイズなのだ。ルイズの言う事は聞いておかないとと自分の中で割り切っていた。

 

「あら、お戻りになるの?」

 

 立ち上がった桐生をキュルケは悲しそうに見つめた。キラキラとした瞳が、悲しそうに潤む。

 

「悪いな。俺の主人はあいつだからな」

 

 そんなキュルケに苦笑を漏らしながら、桐生がキュルケの頭を撫でてルイズの元に歩き始める。と、突然歩みを止めて、キュルケに振り向き、

 

「男を部屋に呼ぶなら、相手は一人に絞っといた方がいいぞ」

 

 という助言を残して部屋を出て行く。

 ルイズについて行く様に部屋に戻るなり、突然慎重に内鍵をかけると、ルイズが桐生に体を向けた。

 唇をぎゅっと噛み締め、両目が吊り上がっている。

 

「なぁにやってんのよあんた~!」

 

声を震わせながらルイズが怒鳴る。相変わらずその小さい身体に不釣り合いの大声に顔をしかめる桐生。

 

「別に何もしてないぞ? 誘われたから入っただけだ」

 

「当たり前でしょうが! 何かしてたらただじゃおかなかったわよ! なによ! あんな女のどこがいいのよっ!?」

 

 桐生の言葉がルイズの怒りに更に火を付けたらしく、悔しそうに床にダンッ、ダンッと足を打ち付ける。なかなか力が入っているのか、わずかながら振動が伝わってくる。

 桐生はあまりにも怒りを露わにするルイズに首を傾げながら尋ねる。

 

「お前、なんでそんなにキュルケと仲が悪いんだ?」

 

 突然の質問にルイズは呆気に取られた様な顔を見せた後、腕を組みながらベットに腰掛けた。桐生も釣られた様に椅子に座る。

 しばしの沈黙の後、忌々しそうにルイズが顔をしかめながら口を開いた。

 

「まず、キュルケはトリステインの人間じゃないの。隣国のゲルマニアの貴族よ。それだけでも許せないわ! 私はゲルマニアが大嫌いなの!」

 

「ふざけた理由だな」

 

 ルイズの言葉に桐生が口を挟む。キッとルイズは桐生を睨むが、桐生もまた同じ様にルイズを睨んでいた為思わず視線を逸らしてしまう。

 

「それはお前の勝手な偏見だろうが。そんな理由で友達を選んだり、相手を差別するんじゃねぇ。わかったか?」

 

「な、なによ!? ご主人様に説教するつもり!? 使い魔のくせに」

 

「わかったか、って聞いたんだ」

 

 なおも意見しようとするルイズに容赦なく桐生が言葉を遮る。その声は低く、真剣そのもので怒っているのがすぐにわかった。

 ルイズは認めたくないながらも桐生の言葉に唇を噛んで押し黙る。まるで悪戯を叱る父親の様な言い方には妙な迫力があり、同時に逆らいがたい何かを桐生は持っていた。

 

「……まぁ、確かにあんたの言うとおりよ。国が違うのを理由に嫌うのは悪いと認めるわ」

 

 でもね、と言わんばかりにルイズは桐生を見つめる。桐生もそれには意見を言わず、先を促す様に頷いて見せる。

 

「私がキュルケを嫌ってるのはそれだけじゃないわ。私の実家があるヴァリエールの領地はね、ゲルマニアとの国境沿いにあるの。だから戦争になるといっつも先頭切ってゲルマニアと戦ってきたの。そして、国境の向こうの地名はツェルプストー! キュルケの生まれた土地よ!」

 

 ルイズが歯軋りしながら叫んだ。

 

「つまり、あのキュルケの家は……フォン・ツェルプストー家は……! ヴァリエールの領地を治める貴族にとって不倶戴天の敵なのよ! 実家の領地は国境を挟んで隣同士! 寮では部屋が隣同士! 許せない!」

 

「なるほど……しかも、恋する家系とか言ってたな?」

 

「ただの色ボケの家系よ! キュルケのひいひいひいおじいさんのツェルプストーは、私のひいひいひいおじいさんの恋人を奪ったのよ! 今から二百年前に!」

 

「そりゃまた……」

 

 長い歴史を感じさせるルイズの語りに桐生も驚きの色を露わにする。

 ルイズの方は一度付いた火が収まらないかの様に更に早口で語り続ける。

 

「それから、あのツェルプストーの一族は散々ヴァリエールの名を辱めたわ! ひいひいおじいさんはキュルケのひいひいおじいさんに婚約者を奪われたし、ひいおじいさんは奥さんを取られたのよ! ううん、それだけじゃないわ! 戦争の度に殺し合ってるのよ! お互い殺し殺された一族の数は、もう数え切れないわ!」

 

「わ、わかった、わかったからちょっと落ち着け。な?」

 

 深夜なのにも関わらず大声で叫び興奮から荒い呼吸に肩を上下させるルイズをなだめる様に言ってから、桐生が家具の棚から水差しとグラスを取ってやる。グラスに並々と水を注いでルイズに手渡すと、そのまま一気に飲み干した。喋り過ぎたせいで喉もカラカラに乾いていたのだろう。

 水で喉を潤し、グラスを桐生に手渡すと、ルイズも少しずつ落ち着きを取り戻した様だ。

 

「まぁ、そんな訳だから……あんたが誰と付き合おうと勝手だけど、キュルケはダメ! 絶対!」

 

「心配しなくても、あいつにはいい男が周りに沢山いるだろ? 俺みたいな男より若い男を選ぶさ」

 

「……だと、いいけどね」

 

 桐生の言葉にルイズはどこか納得がいってない様に顔をしかめながら呟く。確かにキュルケは気まぐれで、誰彼構わず声をかけて、本命を作らない。しかし、女の勘と言うのか、桐生に対してのキュルケの想いはそんなちっぽけなものではないと思う。

 ここでルイズはハッとする。

 なんで私……こいつが取られないか心配してるのよ?

 チラリと桐生の方を見てみる。当の桐生はルイズが飲み干したグラスを布で拭いている。

 自分よりもずっと年上の男。整った顔立ちは力強さと、多くの苦難を乗り越えてきたかの様な逞しさが見える。時折見る横顔は、どこか影を持った、憂いを感じさせる物もあった。今までルイズが出会った事のないタイプだ。

 

「そう言えば、あんたって幾つなの?」

 

 ふと、疑問に思った事をルイズが口にする。桐生はグラスと水差しを棚に戻して振り向いた。

 

「今年で四十になったが?」

 

「……そう」

 

 自分の十六と言う年齢からして本当に親子の様な年の差だ。しかし、自分の父親とはまったく似ても似つかない。

 桐生は椅子に座りながら、先ほどのキュルケの部屋で焼かれ、落とされた男達を思い返していた。あの連中、キュルケの隣にいたのが自分だとわかったらどうするのだろうか。ギーシュの様に決闘を申し込んでくるか。はたまた魔法で闇討ちしに来るか。桐生にとってはどちらでも構わなかった。売られた喧嘩は買う、それだけの事だ。

 考え込んでいると、ルイズがこちらを見つめているのに気がつく。どうかしたのか桐生が首を傾げると、

 

「……何を考えてんのよ?」

 

 とぶっきらぼうに言ってきた。

 

「キュルケの取り巻き達と喧嘩になったらどうするか、考えていただけだ」

 

「あんた、勝つ自信でもある訳?」

 

「なんでガキ相手に負けなきゃいけないんだ? どんな方法で来ようが、魔法を使われようが、喧嘩売ってきた奴はぶちのめすだけだ」

 

「あんたねぇ……」

 

 呆れた様に口にしながらも、ルイズは桐生が負けるなどと到底思えなかった。

 ギーシュの決闘、あの時の様子が頭に浮かぶ。見慣れない拳法で鉄製のゴーレム達を蹴散らす姿は正直格好良かったと思う。

 しかし、同時に不安も押し寄せる。またあの時の様に拳をボロボロにしてしまったら。今度は肩や足がなくなってしまったら。万が一……命を落としてしまったら。

 ルイズの中の不安は、まるで朝靄の様に立ち込め、頭の中と胸の中をいっぱいにする。

 少し考える様に顎に手を当てて眉をひそめた後、ルイズが桐生に再び顔を向ける。

 

「ねぇ、あんたって、何か武器の心得とかあるの?」

 

「武器か? そうだな……一応、剣術と棒術なら嗜んではいるが」

 

「そう……なら、決まりね」

 

 ルイズは納得した様に立ち上がり、桐生にツカツカ歩み寄ると、ビシッと指を突き差した。

 

「あんたに剣、買ってあげる」

 

「なに?」

 

 突然の申し出に、桐生は驚いた様に目を見開く。

 

「キュルケに好かれたんじゃ、命がいくつあっても足りないでしょ? それに、あんたは私の使い魔なんだから、また怪我されたら困るのよ」

 

 ルイズは溜め息混じり告げてチラリと桐生の拳を見る。薬のおかげであの時の傷は治ったが、細かい傷の跡から桐生が生半可な戦いをしてきた訳がないと物語っている。

 

「使い魔は主人を守るのが役目なんだから、あった方がなにかと便利でしょ?」

 

 そうよ。私を守る為に持たせるのよ。べ、別にあんたの身体が心配だからとか、そんなんじゃないのよ! そう! 怪我されていちいち薬買うのだってお金かかるし!

 表情はあくまで仕方なさそうにしながらも、心の中では訳もわからず弁解しているルイズ。

 そんなルイズの心情に気付かず、桐生は笑みを浮かべる。

 

「ご主人様からの初めての贈り物って訳か。ありがとうよ」

 

 ルイズの頭に手を伸ばし、桃色の髪を指でかき分け優しく頭を撫でる。ルイズの頬が、仄かに赤く染まった。

 

「あ、あのねぇ! あんたは私を守るのも仕事のうちなの! だから、仕方なく、買ってあげるの! 感謝しなさいよね!」

 

「ああ、わかってるよ。ありがとうな、ルイズ」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でる桐生の手を振り払えず、されるがままになりながらルイズがう~っと唸る。

 気安くご主人様の頭なんか撫でてぇ……! で、でもまぁ、いいわ……させてあげるわよ……。

 心の中で桐生に文句を言いながらも、その優しい掌の感触に、ルイズは心の底から心地良さを感じていた。

 

「い、いつまで撫でてんのよ! ほら、早く寝るわよ! 明日は虚無の曜日だから、街に行くわよ!」

 

 少し名残惜しさを感じながらも、ルイズはとうとう桐生の手を振り払ってベットに向かう。こちらにも曜日によって休みがあるんだな、と思いながら、ルイズがベットに入ったのを見計らって蝋燭の火を吹き消した。

 毛布にくるまって、飼い葉のベットに横になる。

 なんだかんだ今日も一日が終わった。ゆっくりと桐生の意識は闇の中へ吸い込まれていった。


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